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・・国宝の土偶を見たい・・茅野でも・・<br />去年の夏、八戸で国宝の土偶を見て、神秘的な姿に魅せられ、茅野にもあることを知り季節の良い五月に予定<br />折角行くので、松代、上田、松本、諏訪、茅野、最後に甲府と電車とレンタカーで廻ってみることにしました。<br />信州は新緑と空の青さが際立つ季節で、ひとり旅にも絶好の季節でした。<br /><br />1日目・・長野・松代     メルキュール松代泊<br />2日目・・松代城・上田城・松本城・松本市立美術館 浮世絵博物館   梓水苑 泊<br />3日目・・諏訪大社・万治の石仏・尖石縄文考古館・イングリッシュガーデン・御射鹿池 北澤美術館 KKR諏訪湖荘泊<br />4日目・・甲府・山梨県立美術館・文学館・甲府城       城のホテル泊<br />5日目・・武田神社・印傳本店・ジュエリーミュージアム<br />

松代城から上田城を廻り真田の歴史を知る☆長野・松代・上田・松本・諏訪・甲府をぐるっと廻るひとり旅②2日目

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2024/05/14 - 2024/05/14

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旅行記グループ 長野

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mikan

mikanさん

・・国宝の土偶を見たい・・茅野でも・・
去年の夏、八戸で国宝の土偶を見て、神秘的な姿に魅せられ、茅野にもあることを知り季節の良い五月に予定
折角行くので、松代、上田、松本、諏訪、茅野、最後に甲府と電車とレンタカーで廻ってみることにしました。
信州は新緑と空の青さが際立つ季節で、ひとり旅にも絶好の季節でした。

1日目・・長野・松代     メルキュール松代泊
2日目・・松代城・上田城・松本城・松本市立美術館 浮世絵博物館   梓水苑 泊
3日目・・諏訪大社・万治の石仏・尖石縄文考古館・イングリッシュガーデン・御射鹿池 北澤美術館 KKR諏訪湖荘泊
4日目・・甲府・山梨県立美術館・文学館・甲府城       城のホテル泊
5日目・・武田神社・印傳本店・ジュエリーミュージアム

旅行の満足度
4.0
観光
4.5
交通
3.5
同行者
一人旅
交通手段
レンタカー
旅行の手配内容
個別手配
  • 2日目<br />前日は悪天候でしたが、一夜明けると、素晴らしい松代の景色が広がっていました。<br />12階の部屋から

    2日目
    前日は悪天候でしたが、一夜明けると、素晴らしい松代の景色が広がっていました。
    12階の部屋から

    メルキュール長野松代リゾート&スパ 宿・ホテル

  • 千曲川の向こうには冠雪した北アルプス山々が連なります。

    千曲川の向こうには冠雪した北アルプス山々が連なります。

  • 青空に白い山・・この季節が一番きれいだと地元の方がおっしゃってましたが、夏より初夏の5月半ばの景色、実感~<br />

    青空に白い山・・この季節が一番きれいだと地元の方がおっしゃってましたが、夏より初夏の5月半ばの景色、実感~

  • 景色と山々を見比べてみます。

    景色と山々を見比べてみます。

  • 反対側、松代北側の方角<br />しかし、紫外線はハンパじゃなさそう、天気予報でも注意してたので、完全防備して、サングラスかけなきゃ、慣れない日差しは眩しすぎるくらいです。

    反対側、松代北側の方角
    しかし、紫外線はハンパじゃなさそう、天気予報でも注意してたので、完全防備して、サングラスかけなきゃ、慣れない日差しは眩しすぎるくらいです。

  • ホテルを出て、車ですぐの松代城の界隈<br />歴史ある松代の建物が遺されています。<br />今回、真田三代、真田幸村の祖父、父の足跡を辿る・・には・・上田の北の真田にも行きたかったのですが、火曜日は真田歴史館が休館日なので、松代と上田を訪れました。

    ホテルを出て、車ですぐの松代城の界隈
    歴史ある松代の建物が遺されています。
    今回、真田三代、真田幸村の祖父、父の足跡を辿る・・には・・上田の北の真田にも行きたかったのですが、火曜日は真田歴史館が休館日なので、松代と上田を訪れました。

  • 松代の事を良く知らなかったのですが、松代城こそ、真田氏が江戸時代守り続けた地<br />真田の歴史を学ぶと<br />一族の開祖は幸村の祖父・幸隆 上田の東に位置した豪族・海野氏の一族。<br />武田信玄に臣従 上田の北の真田の地に真田氏本城を整備しました。<br />幸村の父昌幸が家督を継ぎ、上田城を築城。<br />徳川・上杉・北条を智計を尽くし奔走し、真田と徳川との上田の合戦を経て、大名となります。<br />関ヶ原原の戦いでは父昌幸 と幸村が西側、幸村の兄の信幸(信之)が東側、一族が分かれて戦い、父と幸村は負けてその後幽閉の身に。父は病死するも幸村は大阪夏の陣・冬の陣に加わり、最後は戦死。<br />残った幸村の兄信幸は、父と弟から離縁する為、信之と改名。徳川に忠義を示し、徳川二代秀忠の命で上田から松代に加増転封され、10万石の松代藩は幕末まで続くことになります。<br /><br />真田一族が東と西に分かれたのは、真田の存続の為としたら、策士一族らしいのですが。<br /><br /><br />

    松代の事を良く知らなかったのですが、松代城こそ、真田氏が江戸時代守り続けた地
    真田の歴史を学ぶと
    一族の開祖は幸村の祖父・幸隆 上田の東に位置した豪族・海野氏の一族。
    武田信玄に臣従 上田の北の真田の地に真田氏本城を整備しました。
    幸村の父昌幸が家督を継ぎ、上田城を築城。
    徳川・上杉・北条を智計を尽くし奔走し、真田と徳川との上田の合戦を経て、大名となります。
    関ヶ原原の戦いでは父昌幸 と幸村が西側、幸村の兄の信幸(信之)が東側、一族が分かれて戦い、父と幸村は負けてその後幽閉の身に。父は病死するも幸村は大阪夏の陣・冬の陣に加わり、最後は戦死。
    残った幸村の兄信幸は、父と弟から離縁する為、信之と改名。徳川に忠義を示し、徳川二代秀忠の命で上田から松代に加増転封され、10万石の松代藩は幕末まで続くことになります。

    真田一族が東と西に分かれたのは、真田の存続の為としたら、策士一族らしいのですが。


  • 松代城の前身は武田信玄が築いた海津城。<br />幸村の兄、真田信之の移封1622年から250年に渡り、真田の居城。<br />明治に廃城となりましたが、2004年に櫓門、石垣、土塁などが復元されました。<br />復元された前橋から入ります。

    松代城の前身は武田信玄が築いた海津城。
    幸村の兄、真田信之の移封1622年から250年に渡り、真田の居城。
    明治に廃城となりましたが、2004年に櫓門、石垣、土塁などが復元されました。
    復元された前橋から入ります。

    松代城跡 名所・史跡

  • 松代城本丸のうち、最大の門、太鼓門<br />とち葺きの屋根として忠実に再現されています。

    松代城本丸のうち、最大の門、太鼓門
    とち葺きの屋根として忠実に再現されています。

  • 石垣に歴史を感じます。

    石垣に歴史を感じます。

  • 門を入ると本丸跡。天守閣は元々なかったようです。

    門を入ると本丸跡。天守閣は元々なかったようです。

  • 石垣に囲まれています。

    石垣に囲まれています。

  • 石碑は松代城とは書かれておらず、前身の武田信玄の造った 海津城跡の碑 となっています。

    石碑は松代城とは書かれておらず、前身の武田信玄の造った 海津城跡の碑 となっています。

  • 石垣の上、櫓の跡でしょうか・・展望スペースになっていました。

    石垣の上、櫓の跡でしょうか・・展望スペースになっていました。

  • 上がってみると、見晴らしの良い絶景が広がっています。

    上がってみると、見晴らしの良い絶景が広がっています。

  • 北アルプス が綺麗に見渡せます。<br />南西方向は川中島の戦いで上杉謙信が陣をとった妻女山の方向

    北アルプス が綺麗に見渡せます。
    南西方向は川中島の戦いで上杉謙信が陣をとった妻女山の方向

  • 反対の北方向

    反対の北方向

  • こちらも、綺麗な山々

    こちらも、綺麗な山々

  • 東向き

    東向き

  • 松代城のお堀<br />10万石のお城にしては、防備が乏しく感じますが、江戸時代の平和な時代

    松代城のお堀
    10万石のお城にしては、防備が乏しく感じますが、江戸時代の平和な時代

  • 松代城界隈は歴史ある建物が残っています。

    松代城界隈は歴史ある建物が残っています。

  • 真田邸

    真田邸

  • 1864年に第9代藩主の義母貞松院の住居として建造<br />城外御殿として、新御殿 と呼ばれていました。

    1864年に第9代藩主の義母貞松院の住居として建造
    城外御殿として、新御殿 と呼ばれていました。

  • 松代城と合わせ、国の史跡に指定されています。

    松代城と合わせ、国の史跡に指定されています。

  • 江戸時代大名の妻子は江戸住まいを義務付けられていましたが、1862年の文久の改革による参勤交代制度の緩和により、妻子の帰国が許可されたことから、この御殿が造られました。

    江戸時代大名の妻子は江戸住まいを義務付けられていましたが、1862年の文久の改革による参勤交代制度の緩和により、妻子の帰国が許可されたことから、この御殿が造られました。

  • 襖や天井の絵も見所の一つです。

    襖や天井の絵も見所の一つです。

  • 中庭

    中庭

  • 杉戸<br />杉戸により奥が区切られています。

    杉戸
    杉戸により奥が区切られています。

  • 御寝所<br />床は防寒の為、二重に貼られています。

    御寝所
    床は防寒の為、二重に貼られています。

  • ふすまの上の部分は当時の唐紙なんだそう

    ふすまの上の部分は当時の唐紙なんだそう

  • 御持仏の間

    御持仏の間

  • お化粧の間 専用の小さな庭も縁側についてました。

    お化粧の間 専用の小さな庭も縁側についてました。

  • 御湯殿<br />土間の部分に湯船が置かれ、水が流れるように床が斜めになってます。

    御湯殿
    土間の部分に湯船が置かれ、水が流れるように床が斜めになってます。

  • 手洗いの間

    手洗いの間

  • 手洗いの間の横には手を洗う場所

    手洗いの間の横には手を洗う場所

  • 御居間 主人の私的な居間

    御居間 主人の私的な居間

  • 天井にまで張られた唐紙が独特な真田邸です。

    天井にまで張られた唐紙が独特な真田邸です。

  • 居間からは遠く山を景色に見立てた庭が広がっています。<br />興味深い建物でしたので、他の建物にも行ってみよう。

    居間からは遠く山を景色に見立てた庭が広がっています。
    興味深い建物でしたので、他の建物にも行ってみよう。

  • 松代城には上田城から転封された真田幸村の兄、真田信之公

    松代城には上田城から転封された真田幸村の兄、真田信之公

  • 隣接する 旧横田家住宅<br />1800年代前半から中頃の建物です。松代の中級武士の住宅。

    隣接する 旧横田家住宅
    1800年代前半から中頃の建物です。松代の中級武士の住宅。

  • 重要文化財に指定されています。

    重要文化財に指定されています。

  • 五月でしたので、兜、鎧が飾られていました。

    五月でしたので、兜、鎧が飾られていました。

  • 広々と風通しの良い造り

    広々と風通しの良い造り

  • 江戸時代の暮らしを身近に感じます。

    江戸時代の暮らしを身近に感じます。

  • 仙水、立派な燈籠のあるお庭でした。

    仙水、立派な燈籠のあるお庭でした。

  • 土蔵

    土蔵

  • 真田の紋はあちこちで見られました。<br />六文銭の由来は・・六文銭は三途の渡し賃を意味し、決死の覚悟を表すもの。<br />真田三代初代の幸隆が武田氏に従順した頃から旗印に用いたのが始まりとされています。

    真田の紋はあちこちで見られました。
    六文銭の由来は・・六文銭は三途の渡し賃を意味し、決死の覚悟を表すもの。
    真田三代初代の幸隆が武田氏に従順した頃から旗印に用いたのが始まりとされています。

  • 裏側に廻ってみました。

    裏側に廻ってみました。

  • 祠

  • 地面にも六文銭

    地面にも六文銭

  • 次は・長い塀を伝って・・

    次は・長い塀を伝って・・

  • 随分と長く続く塀

    随分と長く続く塀

  • 文武学校

    文武学校

  • 文武を奨励した八代藩主・幸貫が各地の藩校を調べて計画し、九代藩主・幸教の時代1855に藩士の師弟の学問と武道を学ぶ場として完成。

    文武を奨励した八代藩主・幸貫が各地の藩校を調べて計画し、九代藩主・幸教の時代1855に藩士の師弟の学問と武道を学ぶ場として完成。

  • 随分と広いです。創建時の姿を今に残す貴重な史跡です。

    随分と広いです。創建時の姿を今に残す貴重な史跡です。

  • 遠くには北アルプス

    遠くには北アルプス

  • とても立派な建物が数棟立ち並んでいるのに驚きます。<br />

    とても立派な建物が数棟立ち並んでいるのに驚きます。

  • 弓術所

    弓術所

  • 信州を感じる花梨の立派な木

    信州を感じる花梨の立派な木

  • 青空と かりん の新緑が眩しいほどでした。

    青空と かりん の新緑が眩しいほどでした。

  • 剣術所 他に柔術所、槍術所などもありました。<br />松代の特徴は、他の藩校には幕府の学問所にならって敷地内に孔子廟を設け、儒学を重んじる風習がありましたが、ここにはありません。<br />東洋、西洋医学、小笠原流礼法、西洋の軍学などが取り入れられました。<br />

    剣術所 他に柔術所、槍術所などもありました。
    松代の特徴は、他の藩校には幕府の学問所にならって敷地内に孔子廟を設け、儒学を重んじる風習がありましたが、ここにはありません。
    東洋、西洋医学、小笠原流礼法、西洋の軍学などが取り入れられました。

  • 江戸時代の姿が遺された文武学校など、映画や時代劇の撮影にも利用されています。

    江戸時代の姿が遺された文武学校など、映画や時代劇の撮影にも利用されています。

  • ここにも六文銭

    ここにも六文銭

  • 松代から国道を走り・・が、ちよっと失敗。高速で行けば良かった。<br />古い町並みが残る国道はスピードが遅くて混みがちでした。<br />一時間ほど走り上田城へ

    松代から国道を走り・・が、ちよっと失敗。高速で行けば良かった。
    古い町並みが残る国道はスピードが遅くて混みがちでした。
    一時間ほど走り上田城へ

    上田城跡公園 公園・植物園

  • 平日なので観光案内所の駐車場に置いたままでよいですよ~と言っていただき、歩く<br />桜の季節は有名ですが、五月の半ばは、おかげでゆったりしていました。

    平日なので観光案内所の駐車場に置いたままでよいですよ~と言っていただき、歩く
    桜の季節は有名ですが、五月の半ばは、おかげでゆったりしていました。

  • 公園として整備されています。

    公園として整備されています。

  • 真田三代・・ですが・・祖父の幸隆は、真田城で・・上田城に関係あるのかな?<br />ちょっと疑問<br />真田氏は江戸時代に松代に転封になって、江戸時代からは仙石氏が入って、櫓、お堀、石垣は改修されたので・・<br />現存するこの景色は正確には真田氏とはあまり関係ないんじゃ・・

    真田三代・・ですが・・祖父の幸隆は、真田城で・・上田城に関係あるのかな?
    ちょっと疑問
    真田氏は江戸時代に松代に転封になって、江戸時代からは仙石氏が入って、櫓、お堀、石垣は改修されたので・・
    現存するこの景色は正確には真田氏とはあまり関係ないんじゃ・・

  • 平城と言われますが、お城のすぐ下は千曲川が流れていて、自然の高低差を利用して川岸の崖の上に建てられています。

    平城と言われますが、お城のすぐ下は千曲川が流れていて、自然の高低差を利用して川岸の崖の上に建てられています。

  • 新幹線で東京から長野方面に乗り、上田城は崖の上に立っているイメージでしたが・・お城の下は昔は川だったよう。

    新幹線で東京から長野方面に乗り、上田城は崖の上に立っているイメージでしたが・・お城の下は昔は川だったよう。

  • かなり高低差があるので、地形を利用してるって・・頭よいよねぇ、昔の人は・・知って驚く、お城あるある でした。

    かなり高低差があるので、地形を利用してるって・・頭よいよねぇ、昔の人は・・知って驚く、お城あるある でした。

  • 石垣も崖の上から築けばよいから、建設費用も浮きそうだし・・

    石垣も崖の上から築けばよいから、建設費用も浮きそうだし・・

  • こちらも、青空が眩しいくらい・・サングラスないと目に毒かもって思うくらい・・慣れないもので・・

    こちらも、青空が眩しいくらい・・サングラスないと目に毒かもって思うくらい・・慣れないもので・・

  • 大手門正面 三の丸の門<br />瓦葺で瓦門と呼ばれています。築城当時の建造物

    大手門正面 三の丸の門
    瓦葺で瓦門と呼ばれています。築城当時の建造物

  • 真田石 が大手門の石垣にあります。<br />大手の石垣に巨石を置いて権威を示すのが当時のお城に多く見られますが、上田城にも真田石として遺っています。

    真田石 が大手門の石垣にあります。
    大手の石垣に巨石を置いて権威を示すのが当時のお城に多く見られますが、上田城にも真田石として遺っています。

  • 信之が父の形見にと、松代に転封の際にもっていこうとしましたが、微動だにしなかったと言う言い伝えのある石。ですが・・実際にこの石垣を築いたのは、真田氏の後に入った仙石氏だそうですが・・<br />真田石の言い伝えとして遺っています。<br />

    信之が父の形見にと、松代に転封の際にもっていこうとしましたが、微動だにしなかったと言う言い伝えのある石。ですが・・実際にこの石垣を築いたのは、真田氏の後に入った仙石氏だそうですが・・
    真田石の言い伝えとして遺っています。

  • お堀はかなりの深さ<br />藩主の居館は現在の上田高校でした。

    お堀はかなりの深さ
    藩主の居館は現在の上田高校でした。

  • 大手門をくぐり

    大手門をくぐり

  • 東虎口櫓

    東虎口櫓

  • 進むと・・神社 <br />大手門の正面に 真田神社

    進むと・・神社 
    大手門の正面に 真田神社

    真田神社 寺・神社・教会

  • 真田氏、仙石氏、松平氏を祀った本丸の神社です。

    真田氏、仙石氏、松平氏を祀った本丸の神社です。

  • 境内の門入りの大きな兜 フォトスポットになっていました。

    境内の門入りの大きな兜 フォトスポットになっていました。

  • 徳川の大群を二度も破ったことから、落ちない神社 として知られています。

    徳川の大群を二度も破ったことから、落ちない神社 として知られています。

  • 合格祈願など

    合格祈願など

  • 勝てそうな雰囲気

    勝てそうな雰囲気

  • 本丸からの風景も晴れ晴れとしていました。

    本丸からの風景も晴れ晴れとしていました。

  • 学業にご利益があるそうで

    学業にご利益があるそうで

  • お守りも多種ありました。

    お守りも多種ありました。

  • 真田神社の前身は 松平神社。ですが、主神は真田父子です。

    真田神社の前身は 松平神社。ですが、主神は真田父子です。

  • 歴史を感じます。

    歴史を感じます。

  • 幸村の鎧兜・・ご利益ありそうですよ・・<br />でも・・最期は・・父と幸村は負けたのですよね・・<br />兄の信之こそが徳川について江戸時代生き残って真田を守ったのですよね・・<br />信之さん、浮かばれないんじゃ・・ってちょっと思う・・<br />けど・・松代城に像があったから、良いのかな。バランスよく像やら鎧兜は現代の人が配置しているっぽい。<br />けど・・信之は人格者なのか、負けた父と弟の幸村の面倒をみてるんですよね。<br />お兄さんこそ素晴らしいのかもね・・ってちょっと思ったり・・<br />

    幸村の鎧兜・・ご利益ありそうですよ・・
    でも・・最期は・・父と幸村は負けたのですよね・・
    兄の信之こそが徳川について江戸時代生き残って真田を守ったのですよね・・
    信之さん、浮かばれないんじゃ・・ってちょっと思う・・
    けど・・松代城に像があったから、良いのかな。バランスよく像やら鎧兜は現代の人が配置しているっぽい。
    けど・・信之は人格者なのか、負けた父と弟の幸村の面倒をみてるんですよね。
    お兄さんこそ素晴らしいのかもね・・ってちょっと思ったり・・

  • 真田神社

    真田神社

  • 神社脇にも、幸村像

    神社脇にも、幸村像

  • 真田井戸<br />この井戸は抜け穴になっていて、太郎山麓の砦に通じていて、ここから兵糧を運び入れられたため、不自由がなかったんだとか。

    真田井戸
    この井戸は抜け穴になっていて、太郎山麓の砦に通じていて、ここから兵糧を運び入れられたため、不自由がなかったんだとか。

  • 西櫓 <br />江戸時代初期のままの姿で遺されています。

    西櫓 
    江戸時代初期のままの姿で遺されています。

  • 矢や鉄砲を放つための小窓、矢狭間も設けられています。

    矢や鉄砲を放つための小窓、矢狭間も設けられています。

  • 櫓からは塩田平 が南西方向に広々と広がっています。

    櫓からは塩田平 が南西方向に広々と広がっています。

  • 本丸跡<br />天守があったかは不明ですが、金箔の鯱瓦を載せた建造物があったとされています。

    本丸跡
    天守があったかは不明ですが、金箔の鯱瓦を載せた建造物があったとされています。

  • その周りは土塁になっているので、上がってみました。

    その周りは土塁になっているので、上がってみました。

  • 川岸の地形を生かした南側を除いた三方はお堀が取り囲んでいます。

    川岸の地形を生かした南側を除いた三方はお堀が取り囲んでいます。

  • 西櫓

    西櫓

  • 本丸跡を後にして

    本丸跡を後にして

  • 東虎門を出ます・・<br />この門の側の櫓は、明治に廃城後、払い下げになり、上田遊郭で使われていたというから・・驚きます。

    東虎門を出ます・・
    この門の側の櫓は、明治に廃城後、払い下げになり、上田遊郭で使われていたというから・・驚きます。

  • 明治時代には二の丸正面には刑務所が造られ、伝染病院や桑畑にもなり、<br />昭和にはお城のお堀には電車が通っていたり・・<br />随分とお城も明治時代は軽々しく扱われていたものです。<br />歴史のあり過ぎる上田城でした。<br />次は上田から、山を越え松本に向かいましょ。<br />③につづきます。

    明治時代には二の丸正面には刑務所が造られ、伝染病院や桑畑にもなり、
    昭和にはお城のお堀には電車が通っていたり・・
    随分とお城も明治時代は軽々しく扱われていたものです。
    歴史のあり過ぎる上田城でした。
    次は上田から、山を越え松本に向かいましょ。
    ③につづきます。

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