2024/02/17 - 2024/02/17
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kojikojiさん
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横手の3泊4日の旅も最終日です。かまくらの祭りは昨晩で終わったのでもう雪が無くても大丈夫です。最後の朝ごはんも美味しくいただき、荷物をフロントで預かってもらい、タクシーを呼んでもらいます。もう少し早い時間であれば市役所前に集結した梵天を見ても良かったのですが、橋を渡るところなどを見て朝日岡山神社まで歩くのは妻には無理に思えました。ということで先回りして神社の境内で梵天(ぼんでん)の来るのを待つことにします。タクシーを降りて少し歩くと森が見えてきて、大きな幟に神社の名前が染め抜かれています。ここでお札を買って参道を進みますが延々と続く医師団を見て妻は登るのを諦めます。仁王門の先の見学するのに良さそうな場所にいることにします。1人石段を登りましたが、かなりの距離があるので雪が積もっていなくて良かったと思います。秋田杉の木立を杉の落ち葉を踏みしめながら、父も57年前にここを登ったのだろうかと追体験している気になってきます。石段を登り切った鳥居の奥に本殿があり、まずは参拝させていただきます。その後は昔、父が撮った写真を思い出して同じような場所に立ちます。そのうちに山門にいる妻から動画と写真が送られてきます。しばらくすると梵天(ぼんでん)が上がってきますが、その姿は昨日の穏やかな飾りの美しい姿ではありません。竹籠に「さがり」を下げた姿ですが、その「さがり」も結ばれ、直径15センチほどの太い「鉢巻」だけになっています。その梵天を本堂に向けて突っ込んでいきます。本堂には先に納めた人たちが阻止するべく道を塞いでいます。その勇壮な姿に感動してきます。なかには1本が押し合っている間に横から突っ込んだり。12月にインドへ行ったばかりですし、東南アジアのヒンドゥー遺跡にも数多く訪ねたこともあり、これはヨニとリンガと思えてきました。後で調べてみると民俗学的に梵天を男根、拝殿を女陰と比定する考え方もあるようです。父はそこまでのことを考えなかったと思いますが、勇壮な奉納を極寒の雪の中で写真を撮りながら感動したのではないかと思い、57年経って同じような感動を追体験出来て良かったと思いました。祭りの終わった後はタクシーでホテルに戻り、ひとっ風呂浴びて、お昼を食べて秋田空港へ向かいました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー ANAグループ JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- 楽天トラベル
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横手4日目の朝です。雪の必要なかまくらは昨晩で終わって、この日はどちらかというと晴れた方がよい梵天(ぼんでん)の奉納日です。
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温泉に浸かった後は最後の朝ごはんをいただきます。この日は今までのイワシの丸干しではなく鯖に変わっていました。
横手駅前温泉 ホテルプラザ迎賓 宿・ホテル
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「ホテルプラザ迎賓」の食事は本当に美味しかったです。今回は祭りのために3泊しましたが、食事を食べに来てもいいと思えるほどでした。
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曲げわっぱの中には蕗味噌に玉子焼きにポテトサラダ、赤貝を煮付けたもの。
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朝から湯豆腐で一杯飲みたくなってきます。
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ジュンサイも秋田の特産品です。黒酢と生姜が体に優しいです。
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鮪のやまかけと煮物と盛りだくさんです。これからお祭りを観に行くのでなければお酒いただきたいです。
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横手が発祥と言われるひきわり納豆など大満足の朝ご飯でした。あきたこまちおかわりします。
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デザートとコーヒーをいただいた後はチャックアウトして、荷物はフロントで預かっていただきます。そしてタクシーを呼んでもらって「旭岡山神社」に向かいます。
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本当は横手市役所前からスタートするところを見て、横手川に架かる橋を渡る姿も写真に撮りたかったのですが、境内で見学することにします。
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タクシーに乗っていると子供たちの小若梵天が「旭岡山神社」に向かっているのが見えました。
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57年前に梵天を見に来た際は町内の家の2階で、下を通る梵天の姿を見せていただきました。その当時実家の前に住んでいらした家のご主人が横手出身の方で、その方の家に泊めていただき、そのご家族に歓待していただき、こんな特等席で見ることが出来ました。
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昭和42年1967年の梵天の姿です。
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参加する人の人数などは現在よりもすごかったのだと思います。
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父の遺してくれた写真と共に、寒さと祭りの熱気と迫力が記憶に残っています。
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ちょうど2階屋の窓から見るとその美しさが感じられます。
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子供だった私はこの家に残され、父は梵天について「旭岡山神社」の奉納を観に行ってしまいました。
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梵天を担ぎながら横手市役所本庁舎前からの約4キロの道のりを練り歩き、「旭岡山神社」へと梵天を奉納します。道中では法螺貝が吹かれ、梵天唄を披露しながら「ジョヤサ、ジョヤサ」と掛け声を上げながら進みます。
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この橋を渡る姿を見てみたかったのですが。
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太平山三吉神社総本宮の情景なので横手の旭岡山神社の情景とは違いますが、「秋田県立美術館」に収蔵されている平野政吉コレクションの核である藤田嗣治(ふじたつぐはる)の「秋田の行事」を観たときは、自分の旅した昭和42年の冬と情景が重なって胸が詰まる思いでした。
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雪除けの板囲いや和服を着た女性の入ったかまくらや、箱ソリを押す子供は自分の姿に思えました。
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神社の近くでタクシーを降りて参道を歩き始めます。横手川を再び渡るとのどかな田園風景に変わります。
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さすがにこの辺りまで来ると雪が残っています。何か小動物の足跡が雪の上に残っています。
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茅葺き屋根の農家も残っています。橋を渡っただけで、時代が昭和に戻ってしまったような気になります。
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参道には奉納された幟が何本も立てられています。
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参道の先に杉木立が見えてきました。ここから先が神社の境内なのだということが感じられます。
旭岡山神社 寺・神社・教会
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ここからは砂利道に杉の枝が落ちた道を進みます。ここまでのぽかぽか陽気から空気が引き締まった気がします。
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ここで神社のお札を買い求め、両親へのお土産にします。
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「旭岡山神社(あさひおかやまじんじゃ)」は社伝によると、大同2年の807年の征夷大将軍坂上田村麻呂の東征の際に創建されたとされます。梵天奉納祭は従来は旧暦1月17日に行われていましたが、昭和27年の1952年に坂上田村麻呂が神社を創建したと言われる新暦2月17日に改められました。
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「旭岡山神社」の仁王門に近づくと梵天の頭飾りは外され、門の前で二礼二拍手をした後一気に参道へと突っ込むのですが、梵天を入れようとする町内は仁王門手前で梵天を槍のように横に構え、入れまいとする町内は門内に陣取り、互いに「ジョヤサー」の掛け声で自らを鼓舞します。
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妻はこの全長約640メートルの参道の石段を見て登るのを諦めました。仁王門の先のカーブが押し合いを見るのに良い場所らしいので、地元の方に妻を預けて先を急ぎます。
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先を歩いていたおばあさんは70年以上横手に住んでいるけどここへ来るのは初めてだと言っていました。「こんなにしんどいなら来なければ良かった。」とおっしゃいながら石段を進んでいました。
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石段を登りながら横を見ると子供たちの小若梵天がやってくるのが見えました。
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山頂から降りてくる「鳳中学校37期同期会」のえびす俵とすれ違いました。こちらはえびす俵コンクールで金賞を受賞されています。
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ようやく山頂の本殿が見えてきました。雪は少ないのですが、石段の上の雪は凍り付いてとても歩きにくかったです。積雪と一緒に落ちた杉の葉が滑り止めの役目を果たしています。
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鳥居の前で住所氏名を伝え、本殿を参拝することにします。
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まだ梵天が上がってきていないので本殿の周りは静まり返っています。
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本殿の中に入ることが出来きました。この後ここへ梵天が突っ込んで奉納されるわけです。
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その風景を目に焼き付けておきます。父の写真のアングルを確認して右手の斜面の杉の根本に場所を確保しました。
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しばらくすると仁王門の近くにいる妻からLINEで写真が送られてきました。
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仁王門もこの時は静かですが、ここでも町内対抗で激しい押し合いが始まります。
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次々に梵天が仁王門に集結してきているようです。梵天を入れようとする町内は仁王門手前で梵天を横に構え、入れまいとする町内は門内に陣取って、「ジョヤサー」の掛け声で鼓舞している動画も送られてきます。押し合いから抜け出した梵天が1つ、また1つと本殿を目指します。
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仁王門から本殿までは20分くらいかかるので、麓で起こっている熱気は全く伝わってきません。
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妻も寒い中でただ待っているだけではなく、祭りを楽しんでいることが分かってよかったです。
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しばらくするとえびす俵が上がってきました。前を担ぐ男性が履いている「草鞋」は梵天のための特別なものだと先日の増田町の蔵で学びました。
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本殿に奉納の終わったえびす俵は表に置かれます。秋田杉の木立の中に絵になる風景です。
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その後を小若梵天が登ってきました。頭飾りは外されて竹籠に「さがり」を下げた姿ですが、その「さがり」も結ばれ、直径15センチほどの太い「鉢巻」だけになっています。
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小若梵天はスムーズに本殿の中に奉納されていきます。
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小若梵天の奉納が続きます。
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この辺りは穏やかな祭りの雰囲気です。
ぼんでん 祭り・イベント
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57年前の梵天奉納で父が写真を撮っていたのがこの辺りの場所でした。
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穏やかな奉納が続いていきます。
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この頃はほのぼのとした雰囲気が漂っています。
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奉納を終えた子供がキツネのお面を被って座っていました。この急斜面を駆け下りたり不思議な雰囲気を感じました。
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見上げる杉木立ちもこの世とは思えない世界です。上空を航空機が通過していきますが、まさかこの杉木立の下で祭りが行われているとは思えません。
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ようやく大人の梵天が上がってきました。
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鳥居を潜ったところで本殿に向かって参拝します。そして準備が整ったところで。
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本殿に突っ込みます。この時はまだ本殿に男衆の数が少ないので比較的安易に奉納されます。
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次の梵天がスタンバイします。
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奉納を終えた男衆は次の梵天が本殿に入らないように阻止する側に回るので、だんだん難しくなってきます。
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どんどん人が多くなってくるので、境内はすごい熱気に包まれていきます。
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「梵天」という言葉は仏教語に由来し、淫欲を離れた清浄な天を意味することから、掲げた梵天で邪気が払われ、浄化されると信じられてきました。また神が降りる祭場を標示するため、高く茂った樹木や竿に御幣をつけたことが梵天の形状の原型になったとも言われています。
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本殿の中の男衆の数はどんどんと増え、スタンバイした梵天を煽ります。
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必ず一度は押し戻され、二回目から三回目でようやく本殿に入ることが出来ます。
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この辺りまで奉納の姿を見ていて感じたことがありました。このプリミティブな押し合いは梵天を男根とし、本殿を女陰と考えたのではないだろうかということです。五穀豊穣とはそういうことかと思いました。
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後で調べてみると「梵天」は幣束であると同時に男性器の暗喩でもあるため、寝かしたり、倒したりしては縁起が悪いとされ、秋田の梵天は仏教や修験道に由来すると言われる一方、原始宗教にその源流を見いだすこともできるということです。
男性器をモチーフとするという説はまさにそういったところのようです。 -
この辺りが一番盛り上がり、本殿からの掛け声も最高潮になります。
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横手の梵天については弘化2年の1845年に横手城主である戸村十太夫が行った全町あげての巻き狩りがその始まりだといわれます。約300年前の2月16日夜から始まった巻き狩りは全町あげての催しだったため、町民はもちろん、町の防火や火消し組も参加しました。
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巻き狩り終了を告げられた17日の夜明けにこの町の火消し、
火防組が「まとい」を高々と掲げ、装いも勇ましく旭岡山神社へ参り無火災祈願する姿が梵天奉納の原型となったそうです。 -
父が57年前に撮った写真が頭の中に浮かんできました。この時は雪が降りしきる寒い日だったのですが、父は6歳の私を置いてここで奉納を観ていました。
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これまでこのれらの写真を観ても奉納を見ることが出来たのだというくらいにしか感じませんでした。
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実際に自分がこの場所に身を置いて感動してみると、父が40歳くらいで感じた感動を追体験しているような気になりました。
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改めて子供の頃に日本中を連れ周り、自分の中に日本や旅についての種を蒔いてくれたことに感謝します。ただ、そんな話をもうすることが出来ないのが残念です。
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父の生前中に梵天を観に来た方が良かったのか、このタイミングで良かったのかは分かりませんが、絵葉書にそんな気持ちを書いて両親宛に投函しました。
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密教における「梵天」は四面四臂で表され、これはヒンドゥー教のブラフマー像の姿が取り入れられたものです。6世紀半ばから8世紀ごろのインドの様式が源流ではないかという指摘があり、ムンバイの沖合いにあるエレファンタ石窟群にあるブラフマー像が例の1つとして挙げられています。
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この20数年は東南アジアの国々を巡りヒンドゥー遺跡にも数多く訪ねました。梵天の奉納を見ていて男根と女陰を感じたのもリンガとヨニを数多く見てきたからだと思います。
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この旅の次には北陸の旅があり、その後はインドのムンバイをベースにアジャンタとエローラの遺跡を観に行くことになっていました。その旅の最後にインド門から船に乗りエレファンタ島に行くことになっています。ここで梵天(ブラフマー像)を観ることによってこの横手の旅も終わりに出来そうです。
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そう考えるとこのタイミングで横手へ旅したこともインドへ行くことにも意味があったのかなと思えます。そこには偶然ではなく必然があったのかもしれません。
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一昨年の11月に男鹿半島を旅して、昨年の2月には「なまはげ柴灯まつり」と「上桧木内の紙風船あげ」、8月にはダイヤモンド・プリンセスで「竿灯まつり」を観に来て、そして今年は「かまくら」と「梵天」です。これまで50年以上来ることのなかった秋田県に集中して4回も来たのも何か意味があったのかと思います。
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梵天の奉納は1基づつが本殿に突っ込んでいきますが、中には押し合いの隙を見計らって横から突っ込んでいくものもあります。
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日本には数多くの祭りがありますが、その多くは整然とした美しさを感じるものが多いように思います。昨日の「梵天コンクール」もそんな中の1つだと思います。
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ところが翌日になると梵天はその姿も変え、山の中の神社の本殿に突っ込むという全く違う原始的なものになります。
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粉期横手に来るまで表面的な祭りの内容は理解していましたが、ここにきては人てその本質を知ることが出来た気がしました。
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妻がここまで登ってこれなかったのが残念です。この感動を味合わせてあげたかったなと思いました。
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押し合いはまだまだ続いていきます。
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男衆と男衆のぶつかり合いです。
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延々と続く押し合い。
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順番を待つ梵天。もうこの時分には違ったものに見えてきます。
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さすがに男根と女陰という表現は祭りの紹介では使われないのが残念です。
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押し合いもクライマックスです。
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全部の梵天が奉納されました。自分の中で何かが1つ終わったような気がしました。
57年前の梵天祭りとかまくら:https://4travel.jp/travelogue/10350435 -
奉納が全部終わるとそれまでの押し合いの雰囲気は消え去り、全員で手締めが行われます。ここで自分も祭りと一体になった気がしました。
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そして餅が撒かれます。
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持ちも取りたいし写真も撮りたいし、瞬間で判断しなければなりません。
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祭りが終わり、参加者は三々五々石段を下り始めます。それに合わせて石段を下ります。
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奉納の終わった梵天はもう神代ではないのか、簡単に担がれています。
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この後無事に妻と合流出来ました。横にいらしたご夫婦にいろいろ教えていただいたようでした。
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神社の仁王門も違ったものに見えてしまいます。もう一度拝んでおきます。
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仁王門の手前にはここまで飾られていた「頭飾り」が雪に刺されていました。
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ナントか拾うことの出来た餅を妻に依田寝ました。これは父へのお土産で、横手の旅の報告が出来ます。
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分解された梵天は軽トラックの後ろに積み込まれて町へ帰って行きます。ここでタクシー会社に電話して迎えに来てもらいます。
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ホテルに戻って風呂に入ってから2階のレストランでお昼をいただきます。横手のまちゅ田舎は食事をするところが極端に少ないので、「ホテルプラザ迎賓」に宿泊して良かったです。
横手駅前温泉 ホテルプラザ迎賓 宿・ホテル
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予定していたものは全て見ることが出来て大満足の4日間でした。
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ここでもう打ち上げです。朝食も夕食も美味しいレストランでしたが、お昼のメニューも良かったです。ネタの良さの割にはお手軽な値段です。
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横手駅まで戻ってきました。2月の横手とは思えない全く雪のない姿です。57年前は山形蔵王でのスキーの後に横手に来たので、秋田駅とは逆方向だったのだと実感します。
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神奈川県の鎌倉駅と横手駅が姉妹駅締結したというポスターに安直だなと思いました。ところがよくよく調べてみると、鎌倉権五郎景政という平安時代後期の武将がいました。父の代から相模国鎌倉(現在の神奈川県鎌倉市周辺)を領して鎌倉氏を称していました。16歳のころに後三年の役に従軍し、右目を射られながらも奮闘した逸話が「奥州後三年記」に残されています。
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右目に矢が刺さったまま敵を討ち取り自陣に帰った景政に対し仲間の三浦平太郎為次が駈け寄り、矢を抜こうと景政の顔に足をかけたところ、怒った景政は「武士であれば矢が刺さり死ぬのは本望だが、土足で顔を踏まれるのは恥辱だ」と言ったという逸話もあります。
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後三年の役の由来する後三年駅は横手駅の隣駅なので、安直だと思ったのは間違えで奥が深いなと感心しました。
横手駅 駅
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2両編成の列車に乗って秋田駅を目指します。
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このまま大曲駅で新幹線に乗り換えればかなり早い時間に帰宅することが出来るのですが。
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夕日の中を秋田駅へと向かいます。
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昨年の2月にも写真を撮った秋田駅のなまはげと記念写真を撮ります。
秋田駅 駅
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秋田犬とも再会です。
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今年の夏も友人たちは竿灯に参加するのだと思います。残念ながら昨年と同じダイヤモンド・プリンセスの夏祭りには乗船しますが、秋田港への入港はありません。
竿灯まつり:https://4travel.jp/travelogue/11851896 -
秋田駅前から空港バスで秋田空港へ向かいます。
秋田空港リムジンバス 乗り物
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今回は「秋田県立美術館」の藤田嗣治の「秋田の行事」を見ることは出来ませんでした。
秋田県立美術館 美術館・博物館
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前回も東京へ戻る前に食事した「あきた茶房」で2回目の打ち上げをします。
秋田空港ターミナルビル 売店 専門店
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お疲れさまでした。今回の旅も無事に終えられました。
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この4日間は和食ばかりだったので中華系の味を体が求めています。妻はあんかけ焼きそば。
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ラーメンと唐揚げのセットでガッツリお腹を満たします。
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池田修三の少女が見送ってくれます。今回の旅では勝平得之の作品に出会うことはありませんでしたが、かまくらも梵天も増田町の風情も彼の作風を感じるものでした。前回の旅の旅の後に神田の古書店の勝平得之展で作品を購入してしまいました。
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長年心に残っていた横手を再訪することが出来て大満足の旅が終わりました。
羽田空港第2ターミナル駅(東京モノレール羽田線) 駅
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