2024/02/15 - 2024/02/15
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kojikojiさん
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充実した増田町の町並みと内蔵の見学を終えて横手に戻り、「ホテルプラザ迎賓」の温泉にゆっくり浸かります。そうこうしているうちに晩ご飯の時間になり2階のレストランに向かいます。今晩も昨夜と同じ個室での食事になります。2日目の晩の食事も豪華で、本当にこのホテルにして良かったことと夕食付きのハーフペンショーネで間違いなかったと思います。特に食事については横手駅周辺からホテル周辺の間には日本全国にある居酒屋チェーンが2軒ほどしかないので、市役所近くの馬口労町周辺まで歩かなければならないところでした。温泉も広くて大きいし、申し分のないホテルなうえに、コスパも良かったです。食事を終えた後は防寒対策をしてホテルからゆりのき通りをゆっくりと富士見大通りに向かいます。さすがに今晩から始まるかまくらの祭りを観る人で混雑してきます。光明寺公園の横には屋台がたくさん出て、たくさんの人で賑わっています。ところが雪が全くありません。横手は秋田県の中でも豪雪地帯で、57年前に来たときはあまりに雪が多すぎて、降り積もった雪と屋根から落ちた雪のせいで、2階の窓から家へ出入りしていました。通りも雪に覆われて、町中にかまくらが乱立してそれは美しい景色でした。ところが屋台とたくさんの人が入りだけで肝心のかまくらはほんの数えるほどしかありません。公園の中にあった恵比寿像は雨が当たって竹竿と雪の塊になっています。これにはガッカリで、美しいかまくらの風景を妻に見せてあげられないなと思います。食事を済ませた後なので屋台に用もなく、ぶらぶらと歩いて横手川を渡って、横手南小学校の会場に行ってみます。ところがここも真っ暗で雪不足で中止になったということです。武家屋敷通りの先にある旧片野家で甘酒を振舞ってかまくらもあるというので真っ暗な道を進みます。道には灯篭が置かれ風情が感じられます。片野家は立派な門があり、その前には篝火も焚かれて雰囲気も良いです。門を潜って庭先も見学しましたが、多少の雪も残っていてようやく雪国に来た感じはします。玄関脇にはかまくらが置かれ、甘酒とお持ちの接待をしています。5組ほどの人が並んでいたので我々も後ろに続きます。20分ほどで順番が来てかまくらの中に入り、高校生たちから甘酒をいただきます。57年前に綿入りのちゃんちゃんこを着てかまくらに入って、地元の子供たちと甘酒を飲んだ記憶が蘇ってきます。ここでかなり時間を使ってしまったので、横手公園まで足を延ばしている時間は無くなってしまいました。帰りは無料の巡回バスに乗って横手公園から蛇の崎川原を周って、けやき大通りのバス停で降りました。ここからはホテルまでぶらぶら歩いて戻り、冷めた体を温泉で温めて長い2日目が終わりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー ANAグループ JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- 楽天トラベル
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増田町からホテルに戻って、まずは温泉で温めた後は2階のレストランで夕食をいただきます。昨晩に引き続いて個室での食事です。
横手駅前温泉 ホテルプラザ迎賓 宿・ホテル
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夕食は3種類の中から選べ、今回は3泊なので日替わりでそのすべていただくことができました。
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風呂上がりなのでまずは冷たく冷えたビールをいただきます。
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テーブルの真ん中には木桶に野菜が入っています。冬野菜のバーニャカウダで、ソースは胡麻風味とクリーミーなバジルの2種類がありました。地元の野菜は甘くてとても美味しかったです。
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オードブルは六角形の器に牛肉のタルタルで、とんぶりとウニが乗っています。丸い器にはプリプリの牡蠣が盛られ、和風のジュレでいただきます。手前から鮪のタタキにバジルソース、カボチャのクリームチーズ和えとほうれん草とベーコンのスパニッシュオムレツです。
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厚切りのブリのカルパッチョも、刺身でいただけるほど新鮮なのでとても美味しいです。以前はあまり好きではなかった魚ですが、天橋立で美味しいブリのしゃぶしゃぶを食べてから好きになりました。次に行く北陸の旅ではブリ尽くしを食べるので楽しみです。
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昨日もいただいて美味しかった「山内人参」のポタージュスープです。mプ港で甘くて美味しいです。
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揚げ物は「北限ふぐ」のフリットです。男鹿半島沖はトラフグの産卵地の中でも国内最北限に位置し、「北限のとらふぐ」の名前の由来にもなっています。北緯40度の冷たく荒い日本海で育つため成長は遅いですが、その分身は引き締まり、歯ごたえがしっかりして味も抜群です。
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煮物は牛肉のシチュー林檎釜焼きです。中を刳り貫いた林檎の器も甘くて美味しいです。
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魚料理はロブスターのオーブン焼きです。身がしっかり入っているのでちょっと贅沢な気分になります。
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もうこの辺りでお腹はいっぱいになってきます。
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肉料理は横手黒毛和牛のサーロインステーキです。1月はMSCベリッシマで美味しいステーキを2晩食べて、船を降りた那覇でも「ジャッキーステーキハウス」にも行きました。今年は美味しいステーキにありつけそうな予感がします。
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食事は稲庭うどんを豆乳クリームのスープでいただきます。
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デザートは熱々の番茶と柚子プリンとイチゴのチーズケーキ、手前の編笠柚子は伝統的な和菓子です。これからかまくらの祭りに行くのにお腹がいっぱいで動けなくなりました。
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ホテルの敷地内にあるかまくらで記念写真を撮ります。先ほどホテルの人が補修していたものです。
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子供の頃の自分の方はかわいいなと思います。食事を終えた後は防寒対策をしてホテルからゆりのき通りをゆっくりと富士見大通りに向かいます。さすがに今晩から始まるかまくらの祭りを観る人で混雑してきます。
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光明寺公園の横には屋台がたくさん出て、たくさんの人で賑わっています。ところが雪が全くありません。公園の中には「雪の芸術」の恵比寿像と銘打った雪像が置かれてあります。竹竿だけが恵比寿らしいですが、本体は解けてしまっています。
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漫画家やなせたかしがデザインした人権イメージキャラクター人KENまもる君と人KENあゆみちゃんのあゆみちゃんがいました。法務省のキャラクターなので記念に写真を撮りました。ホッカイロと軍手までくれました。母が何十年と保護司をしていて、叙勲の際は法務省にも入れてもらったので馴染みはあります。
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馬口労町通りの入り口にかまくらがありました。写真を撮っていたら近くで縁かいしていた方が「写真撮りますよ。」と声を掛けてくださいました。
横手のかまくら 祭り・イベント
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個人で旅行しているとなかなか2人の写真が撮れないのでありがたいです。
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水神様(すいじんさま)のことを横手では「おしず(清水)の神さん」と呼んでいるそうです。横手地方は良質の井戸が少なかったために、昔から飲料水で大変苦労したことからかまくらにも祀ったようです。
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馬口労町通りは市役所も近いので横手一の繁華街のようです。この通りを眺めていて、昔お昼を食べてモンペや藁沓を借りたのはこの辺りの店でなかったかと思いました。
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正直に言ってこの時この格好をさせられたのは嫌でしたが、父に嫌とは言えませんでした。さらにこの格好でかまくらの祭りを歩いたものですから格好のカメラマンの餌食になりました。
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富士見大通りを歩いているといくつかかまくらがありました。ここは「秋田信用金庫」が作ったもので、記念写真のポイントになっています。
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何枚か写真を撮ってくださいましたが、その全部に右側の看板が映っていました。夜遅くまで残業して気の毒に思います。我が家の担当の「みずほさん」にも写真を見せてあげました。「私もかまくら見てみたいです~。」て言ってましたが、ポイントはそこじゃないんだけど。
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妻は寒さもあって足が痛いので靴を脱いで上がれないので横座りしています。この辺りにいても屋台で何か食べるわけでもないので横手川を渡った先の会場に行くことにしました。
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「横手南小学校」では校庭に子供たちが作ったミニかまくらが並び、明かりが灯っているということでしたが行ってみると真っ暗でした。近くに警備の人のテントがあったので尋ねてみると、雪が少なくて中止になったということでした。
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「旧片野家」では甘酒を振舞っているというので行ってみることにします。武家屋敷通りには小さな灯篭が置かれ、明かりが灯っています。さらに門の前には篝火が焚かれて雰囲気は最高です。
武家屋敷跡 名所・史跡
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まずは庭の方行ってみました。わずかに雪が一面覆うように残っています。通常の都市であれば雪で覆われて近づけないのでなないかと思います。口伝では千秋公園や横手公園の設計を行った長岡安平の作庭といわれる美しい庭園らしいのですが、辺りは真っ暗なのでその良さは分かりません。
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横手城跡南方の旧武家町に所在する旧家の主屋で、平屋一部2階建の鉄板葺で、中庭を中心に玄関応接棟、座敷棟、大広間棟、北廊下を配した大規模な建物です。
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庭木には雪囲いが施されそのていますが、17年振りの暖冬ではその役割は果たせていません。通年であれば積もった雪をお金を払って横手川の河原に運んで捨てていたそうですが、今年はお金を払って河原から雪を運んでかまくらを造っているほどだそうです。
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唐破風造りの立派な武家の家の玄関なのですが、暗くて何だか分かりません。
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土間に入るとそのシンメトリーな美しさが感じられます。残念ながら内部はこの時期公開していないのでここから先に入ることは出来ません。
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その脇の奥まったところに普段使うであろう玄関があります。
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格子から漏れる明かりが何とも言えない風情を感じます。この日は何かの撮影があるのか、たくさんの人が忙しそうにしていました。
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主屋の壁が雪で傷まないようにわら菰で囲われています。雪が直接壁に当たらないようにする意味もありますが、融雪時に雨樋から落ちる水が跳ね返らない意味もあるのだと思います。
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玄関脇に大きなかまくらが1基置かれてあります。昔は市内でも一家に1基くらいのかまくらが林立していたと思います。通りは車など全く通れないように右に左に立ち並ぶ姿は素晴らしかったです。
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様子を見ていると1組10分から15分くらいで入れ替わっていきます。我々の順番が来るまで30分ちょっとかかったと思います。
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接待しているのは地元の中学生までの子供たちで、高校生になると引退するそうです。地元の高校生のようだったので、彼らも中学生の頃はここで接待していたのかもしれません。
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横手のかまくらの歴史は400年といわれているのですが、期限などははっきりしていないようです。さまざまな文献に残っている断片をつなぎ合わせると、どこかの神様をお祀りした神事ではなく、複数の行事が下敷きになっているようです。その1つが鳥追いで、これは子どもの祭りで歌を唄いながら家を一軒一軒回って行くのだそうで、それぞれの家ではおひねりの中に小さく切った餅やお菓子を入れてくれました。
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侍の町だった内町(うちまち)にもかまくらのルーツがあり、正月の14日になると屋根のない土蔵のようなものを雪で造って、前に注連飾りをして、空になった米俵を据え、お神酒を上げて子どもの成長を祈りました。最後に米俵に火をつけて燃やす左義長(さぎちょう)という火祭りを行いました。そしてもう1つが商人の町である外町の行事で、水が得にくい土地だったことから1月15日には井戸にきれいな幕を張って、水の神様に感謝したそうです。かまくらの中に水神様を祀るのは井戸に感謝した行事の名残です。
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「どんぶぐ」という綿入れ半纏を着た中学生が接待してくれました。写真は丁度居合わせた市の後方のような方が撮ってくださいました。
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現在の横手のかまくらは高さ3メートルで、直径3.5メートルほどの室になっています。昔は子供10人くらいは入れたのでだいぶ小さくなったのではないかと感じます。水神様の造りもかなり簡易になっているようです。それでもろうそくの明かりの中で初めて会った子供たちと楽しく会話できるのが不思議です。
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庭先にはテントが張られ接待している子供たちのお母さんたちなのか苺粉雪しるこを接待してくれました。秋田県産の米粉で作った純白のお汁粉はかまくらをイメージしているようです。そこに愛知県産の苺が入っています。優しい甘さでした。
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かがり火に見送られて南小学校の近くにある無料巡回バスの停留所に向かいます。この日は時間が押してしまったので、横手公園に行くのは翌日の夜にしましたが、巡回バスで様子だけ見に行けます。
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自分の記憶と共に父と57年前に来たときの写真が大量に残っていました。現在は見掛けることは少ない箱ソリもこの当時は当たり前のように置かれてありました。
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「あがってたんせ、おがんでたんせ」(あがってください、拝んでください)という掛け声が懐かしいです。
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この当時横手のかまくらに来る観光客もまだ少なかったと思います。国鉄がディスカバー・ジャパン(DISCOVER JAPAN)のキャンペーンを始めたのが1970年ですが、この時の旅は1967年でした。
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子供たちだけではなく日本髪を結った芸者さんの姿もありました。中に入る人も少なかったし、かまくらの数もたくさんあったので呼び込みの声もたくさん掛かりました。
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現在は小さなお餅と紙コップに入った小さな甘酒ですが、この頃はいろいろなものがいただけました。
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炭火を入れるこたつも当たり前のように入れられていました。
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水神様もこんな風に鳥居と本殿が一緒になったようなデザインで凝っていました。
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通りにはこんな風にかまくらが林立していたので車は通ることは出来なくなっていました。周囲も住宅ばかりで、暗闇の中にかまくらが浮かび上がる景色は幻想的でした。
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子供の頃に日本中を旅して、膨大な写真を残してくれた父に感謝しなければなりません。そんな気持ちは絵葉書にして送りますが、自宅に届いた絵葉書はそのまま仏壇に供えられます。
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「どんぶぐ」という綿入れ半纏を着た子供たちの中に自分を見つけました。いただいたお菓子を食べているようです。写真を見ているとこの時横手の子たちに「東京ってどんなとこ?」なんていろいろ聞かれた記憶が蘇ってきます。
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この当時流行っていたTV番組がおばけのQ太郎でした。このかまくらはそのQ太郎を形にしたものでした。
1967年の横手のかまくらと梵天の旅:https://4travel.jp/travelogue/10350435 -
巡回バスは横手公園から双葉町と蛇の崎川原を経由して市役所近くで停車しました。これで翌日の晩御計画も立てることができました。
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通りに名前に惹かれますが、馬口労町(ばくろうまち)には行くことは出来ませんでした。
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市役所前のかまくらは地元の中学生たちが取り仕切っていて、学校の先生の姿もありましたが、午後9時を過ぎると誰もいなくなっていました。先生が座布団とかの後片付けをしています。
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ようやくホテルまで戻って、長い1日が終わりました。翌日も朝から梵天(ぼんでん)コンクール、夜はかまくらと忙しい1日になりそうです。
横手駅前温泉 ホテルプラザ迎賓 宿・ホテル
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