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昨年の夏に乗ったダイヤモンド・プリンセスの日本の夏祭りを巡るクルーズで中島埠頭のクルーズターミナルに着いた際に港にあった観光案内所で横手のパンフレットをいただいていました。その中にあったのが増田町のパンフレットで、ここで資料をもらうまでその存在すら知らない町でした。いろいろ調べてみると古い町並みの残る街で、さらにその家の中に総漆喰の蔵があるということでした。男鹿半島のなまはげを見に行く前に行った秋田市内の「旧金子家住宅」で蔵の素晴らしさは知っていたので横手の冬の祭りと一緒に訪ねようと決めました。計画では横手駅から電車とバスで行こうと考えていましたが、横手駅の案内所で横手駅前から直接バスで行けると知り予定変更しました。ホテルで朝ごはんを食べた後に駅前に行き、バス停で待っていると同じ事を考えている方が数名いらっしゃいました。駅前発のバスに乗って40分ほどで増田町に到着しました。まずは一番大きい「佐藤養助漆蔵資料館」に向かいます。ここでお昼を食べようと思っていたのですが、稲庭うどんの店は数年前に閉店したと知りました。屋敷の中に2階建てになった美しい土蔵を見学した後は「旧石田理吉家」に向かいます。ちょうどガイドが始まった所だったので合流させてもらい、いろいろ教えてもらい勉強になりました。「いつもは入り口の門から左右に3メートルほど雪が積もっているのですが。」と言われたのが印象に残っています。何しろ増田町では雪を見ることがありませんでしたから。何となく覗いた「増田朝市」では買い物することはありませんでしたが、地元の魚屋さんと楽しい話も出来て思い出になりました。津空いて増田町観光物産センター「蔵の駅」になっている「旧石平金物店」ではJRの吉永小百合のCMのポスターと同じ間所を見ることができました。町並みの数が多く、見学した前半と後半に分けて旅行記を作成することにします。<br />

57年振りの横手のかまくらと梵天の旅(2)横手駅からバスで増田町を目指し、蔵の町を訪ね歩く。

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2024/02/15 - 2024/02/15

137位(同エリア274件中)

kojikoji

kojikojiさん

この旅行記スケジュールを元に

昨年の夏に乗ったダイヤモンド・プリンセスの日本の夏祭りを巡るクルーズで中島埠頭のクルーズターミナルに着いた際に港にあった観光案内所で横手のパンフレットをいただいていました。その中にあったのが増田町のパンフレットで、ここで資料をもらうまでその存在すら知らない町でした。いろいろ調べてみると古い町並みの残る街で、さらにその家の中に総漆喰の蔵があるということでした。男鹿半島のなまはげを見に行く前に行った秋田市内の「旧金子家住宅」で蔵の素晴らしさは知っていたので横手の冬の祭りと一緒に訪ねようと決めました。計画では横手駅から電車とバスで行こうと考えていましたが、横手駅の案内所で横手駅前から直接バスで行けると知り予定変更しました。ホテルで朝ごはんを食べた後に駅前に行き、バス停で待っていると同じ事を考えている方が数名いらっしゃいました。駅前発のバスに乗って40分ほどで増田町に到着しました。まずは一番大きい「佐藤養助漆蔵資料館」に向かいます。ここでお昼を食べようと思っていたのですが、稲庭うどんの店は数年前に閉店したと知りました。屋敷の中に2階建てになった美しい土蔵を見学した後は「旧石田理吉家」に向かいます。ちょうどガイドが始まった所だったので合流させてもらい、いろいろ教えてもらい勉強になりました。「いつもは入り口の門から左右に3メートルほど雪が積もっているのですが。」と言われたのが印象に残っています。何しろ増田町では雪を見ることがありませんでしたから。何となく覗いた「増田朝市」では買い物することはありませんでしたが、地元の魚屋さんと楽しい話も出来て思い出になりました。津空いて増田町観光物産センター「蔵の駅」になっている「旧石平金物店」ではJRの吉永小百合のCMのポスターと同じ間所を見ることができました。町並みの数が多く、見学した前半と後半に分けて旅行記を作成することにします。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
4.5
グルメ
4.5
ショッピング
4.5
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
高速・路線バス タクシー ANAグループ JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
利用旅行会社
楽天トラベル
  • 2日目の朝は温泉大浴場から始まり、続いて朝食になります。昨晩と同じレストランですが、朝食は個室ではなく大部屋でした。ここで初めて「和蘭」という名前の店だと知ります。

    2日目の朝は温泉大浴場から始まり、続いて朝食になります。昨晩と同じレストランですが、朝食は個室ではなく大部屋でした。ここで初めて「和蘭」という名前の店だと知ります。

    横手駅前温泉 ホテルプラザ迎賓 宿・ホテル

  • レストランの手前には居酒屋風のコーナーもあり、なかなか雰囲気も良かったのですが、夕食付だったので利用はしませんでした。

    レストランの手前には居酒屋風のコーナーもあり、なかなか雰囲気も良かったのですが、夕食付だったので利用はしませんでした。

  • 席に座ってびっくり、朝食もコース料理みたいになっています。メニューからも料理の期待が高まります。

    席に座ってびっくり、朝食もコース料理みたいになっています。メニューからも料理の期待が高まります。

  • 最初に並んだのがこんな感じの料理です。6つに仕切られた中にはいぶりがっこに山内ニンジンの漬物、明太子、ネギトロなどのおかずが並び、セリノお浸し、イワシなど。

    最初に並んだのがこんな感じの料理です。6つに仕切られた中にはいぶりがっこに山内ニンジンの漬物、明太子、ネギトロなどのおかずが並び、セリノお浸し、イワシなど。

  • 曲げわっぱの器には鶏つくね、卵焼き、ナスの煮びたし、飛竜頭(ひりょうず)。これ以外にも風呂吹き大根にお味噌汁もあります。ご飯はもちろん「あきたこまち」です。

    曲げわっぱの器には鶏つくね、卵焼き、ナスの煮びたし、飛竜頭(ひりょうず)。これ以外にも風呂吹き大根にお味噌汁もあります。ご飯はもちろん「あきたこまち」です。

  • 陽の入ったイワシですが、コンロで焙って熱々がいただけます。普段はイワシは絶対に食べない魚ですが、ここのは美味しかったです。サケもスーパーで売っている物ではなく百貨店で奮発した時の上等な切り身です。

    陽の入ったイワシですが、コンロで焙って熱々がいただけます。普段はイワシは絶対に食べない魚ですが、ここのは美味しかったです。サケもスーパーで売っている物ではなく百貨店で奮発した時の上等な切り身です。

  • 櫛野菜もホテルの名物のようで、セイロで蒸した熱々がいただけます。地産尾野菜はどれも甘くて美味しいです。胡麻の入った酸味のあるタレでいただきました。

    櫛野菜もホテルの名物のようで、セイロで蒸した熱々がいただけます。地産尾野菜はどれも甘くて美味しいです。胡麻の入った酸味のあるタレでいただきました。

  • 横手は納豆発祥の地ともいわれています。さらにここのひきわり納豆には思い出があります。57年前に横手に来るきっかけになった実家の前に住んでいたご家族の所に横手からひきわり納豆が届くと我が家にもお裾分けがありました。東京ではその当時ひきわり納豆など売っていなく、生卵と一緒に混ぜて食べた味は今でも忘れられません。その当時は正方形の紙のパックでしたが、同じものは横手で探してもありませんでした。

    横手は納豆発祥の地ともいわれています。さらにここのひきわり納豆には思い出があります。57年前に横手に来るきっかけになった実家の前に住んでいたご家族の所に横手からひきわり納豆が届くと我が家にもお裾分けがありました。東京ではその当時ひきわり納豆など売っていなく、生卵と一緒に混ぜて食べた味は今でも忘れられません。その当時は正方形の紙のパックでしたが、同じものは横手で探してもありませんでした。

  • 出掛ける準備をして横手駅に向かいます。残念ながらこの日は朝から小雨が降っています。2月の横手に雪ではなく雨が降るなんて。これほど雪が無いのは17年振りだということです。

    出掛ける準備をして横手駅に向かいます。残念ながらこの日は朝から小雨が降っています。2月の横手に雪ではなく雨が降るなんて。これほど雪が無いのは17年振りだということです。

    横手駅

  • 駅前のポストに両親あての絵葉書を投函します。

    駅前のポストに両親あての絵葉書を投函します。

  • バス停に建っていると東京方面から来られた方が2名ほど来られました。昨日は「民家苑木戸五郎兵衛村」でおこなわれた「かまくら撮影会」に行かれたそうですが、雪が全くなく、絵にならないのですぐに帰ってきたと仰っていました。

    バス停に建っていると東京方面から来られた方が2名ほど来られました。昨日は「民家苑木戸五郎兵衛村」でおこなわれた「かまくら撮影会」に行かれたそうですが、雪が全くなく、絵にならないのですぐに帰ってきたと仰っていました。

  • 9時51分発の横手駅始発のバスは湯沢駅行きで、増田町には10時30分到着の予定です。当初は横手駅から電車で十文字駅まで行って、タクシーに乗るつもりでしたが、駅の観光案内所でこのバスを教えてもらいました。

    9時51分発の横手駅始発のバスは湯沢駅行きで、増田町には10時30分到着の予定です。当初は横手駅から電車で十文字駅まで行って、タクシーに乗るつもりでしたが、駅の観光案内所でこのバスを教えてもらいました。

  • バスが市役所前を通過するときにかまくらが見えました。無残にもブルーシートが掛けられて雪に雨が当たらないようになっています。この日の夜から鎌倉の祭りが始まりますが、大丈夫だろうかとさらに心配になってきます。

    バスが市役所前を通過するときにかまくらが見えました。無残にもブルーシートが掛けられて雪に雨が当たらないようになっています。この日の夜から鎌倉の祭りが始まりますが、大丈夫だろうかとさらに心配になってきます。

  • 横手市内を出ると多少雪が増えてきたような気もしますが、不安な気持ちがそう見せたのかもしれません。

    横手市内を出ると多少雪が増えてきたような気もしますが、不安な気持ちがそう見せたのかもしれません。

  • 奥羽本線の単線の線路を渡ると増田町も間もなくです。57年前に父とこの線路の上を通ったと思うと感慨深いものがあります。

    奥羽本線の単線の線路を渡ると増田町も間もなくです。57年前に父とこの線路の上を通ったと思うと感慨深いものがあります。

  • 到着した増田町には全く雪がありませんでした。横手駅から1本で来ることができたので予定より早く到着することができました。運転手さんに帰りのバス停の場所を聞いておいてバスを降ります。

    到着した増田町には全く雪がありませんでした。横手駅から1本で来ることができたので予定より早く到着することができました。運転手さんに帰りのバス停の場所を聞いておいてバスを降ります。

    増田重要伝統的建造物群保存地区 名所・史跡

  • まずは「佐藤養助漆蔵資料館」まで戻ってみます。ここでお昼を食べる予定にもしていました。同じバスだった人たちも同じことを考えていらっしゃいました。

    まずは「佐藤養助漆蔵資料館」まで戻ってみます。ここでお昼を食べる予定にもしていました。同じバスだった人たちも同じことを考えていらっしゃいました。

    国登録有形文化財 漆蔵資料館 美術館・博物館

  • ところが中に入って尋ねてみるとかなり前に休業しているということでした。佐藤養助のHPをみてもはっきり書かれていないし、比内地鶏ネットという秋田県公式Webサイトには営業中と書かれてあります。分かりにくいですよと係員の方に申し上げたら「ああ、そうですか。」みたいなことを言い残して事務室に戻ってしまいました。

    ところが中に入って尋ねてみるとかなり前に休業しているということでした。佐藤養助のHPをみてもはっきり書かれていないし、比内地鶏ネットという秋田県公式Webサイトには営業中と書かれてあります。分かりにくいですよと係員の方に申し上げたら「ああ、そうですか。」みたいなことを言い残して事務室に戻ってしまいました。

  • 玄関の引き戸を開けて入ると土間があり、その奥が正式な玄関になっていて、式台の上にガラスをはめ込んだ障子が並んでいます。間口が広いので迫力があります。

    玄関の引き戸を開けて入ると土間があり、その奥が正式な玄関になっていて、式台の上にガラスをはめ込んだ障子が並んでいます。間口が広いので迫力があります。

  • 中に入ると一段高い板の間があり、その奥に内蔵があります。同じような造りの内蔵は昨年2月に秋田へ来た際に市内の「旧金子家住宅」を見学した際に見ていました。増田にはそんな内蔵がいくつもあると知って今回絶対に訪れたいと思っていました。

    中に入ると一段高い板の間があり、その奥に内蔵があります。同じような造りの内蔵は昨年2月に秋田へ来た際に市内の「旧金子家住宅」を見学した際に見ていました。増田にはそんな内蔵がいくつもあると知って今回絶対に訪れたいと思っていました。

  • 内蔵の外側も内側も総漆喰仕上げになっています。漆喰は消石灰にふのりや角又(つのまた)という海藻など粘着性物質と麻糸などの繊維を加え水で練り合わせたものです。基礎部分に葦を格子状に組み土壁を作った上に10工程ほど塗り上げていきます。時間経過により次間が生じるため1区画ごとに職人を決めて施工していきます。黒色の「煤漆喰」は本来の白漆喰に油煙や松煙と黒雲母の粉を混ぜ合わせて造ります。

    内蔵の外側も内側も総漆喰仕上げになっています。漆喰は消石灰にふのりや角又(つのまた)という海藻など粘着性物質と麻糸などの繊維を加え水で練り合わせたものです。基礎部分に葦を格子状に組み土壁を作った上に10工程ほど塗り上げていきます。時間経過により次間が生じるため1区画ごとに職人を決めて施工していきます。黒色の「煤漆喰」は本来の白漆喰に油煙や松煙と黒雲母の粉を混ぜ合わせて造ります。

  • 9段の厚さがある重厚な扉は骨組みを栗の木などの硬い木で組み、粘土状の土で壁状にして仕上げの最終段階で黒漆で仕上げていきます。左右の扉は数ミリの遊びしか許されませんが、扉の重さは数百キロになるので、蝶番を含めた技術の高さを感じます。

    9段の厚さがある重厚な扉は骨組みを栗の木などの硬い木で組み、粘土状の土で壁状にして仕上げの最終段階で黒漆で仕上げていきます。左右の扉は数ミリの遊びしか許されませんが、扉の重さは数百キロになるので、蝶番を含めた技術の高さを感じます。

  • 重厚な内蔵の扉を潜ると手前は春慶塗のような漆塗りの板の間の部屋になります。通常このような板張りは人に向かう方向ではなく横に張られると思うのですが、ここでは材の長さと太さを見せつけるかのように縦張りになっています。こんな床を漆塗りにした建物を見るのは京都の鹿苑寺の金閣の2層3層を見たとき以来です。

    重厚な内蔵の扉を潜ると手前は春慶塗のような漆塗りの板の間の部屋になります。通常このような板張りは人に向かう方向ではなく横に張られると思うのですが、ここでは材の長さと太さを見せつけるかのように縦張りになっています。こんな床を漆塗りにした建物を見るのは京都の鹿苑寺の金閣の2層3層を見たとき以来です。

  • 蔵の内側には格子戸も設けられ、2階へ上がれる階段も総漆塗りになっています。

    蔵の内側には格子戸も設けられ、2階へ上がれる階段も総漆塗りになっています。

  • 座敷蔵は大正10年の1921年に建設されました。基礎と土台には院内石、煙返しの踏み段に黒御影を使用し、土蔵の側廻りは白黒の漆喰塗りを施し、開口部を磨き漆喰で仕上げる贅を尽くした造りとなっています。

    座敷蔵は大正10年の1921年に建設されました。基礎と土台には院内石、煙返しの踏み段に黒御影を使用し、土蔵の側廻りは白黒の漆喰塗りを施し、開口部を磨き漆喰で仕上げる贅を尽くした造りとなっています。

  • 主要な部材は杉や欅や栗材で構成され、4寸8分の栗の通し柱を1尺5寸間隔に並べ、磨き漆喰の塗込壁で仕上げとしています。

    主要な部材は杉や欅や栗材で構成され、4寸8分の栗の通し柱を1尺5寸間隔に並べ、磨き漆喰の塗込壁で仕上げとしています。

  • 増田町は成瀬川と皆瀬川が合流する地点に立地し、江戸時代以前より人と物資の往来でにぎわった地域だそうです。両沢目で生産された養蚕や葉タバコのほか、様々な物資の流通に伴って増田は県内有数の商業地となっていきました。この後訪ねたいくつかの住宅でもその当時の話を聞くことができました。

    増田町は成瀬川と皆瀬川が合流する地点に立地し、江戸時代以前より人と物資の往来でにぎわった地域だそうです。両沢目で生産された養蚕や葉タバコのほか、様々な物資の流通に伴って増田は県内有数の商業地となっていきました。この後訪ねたいくつかの住宅でもその当時の話を聞くことができました。

  • 当時の繁栄を今に伝える伝統的な町並みや内蔵が多く残っていることから平成25年には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。秋田県では仙北市の角館に次ぐ2番目の選定だそうです。

    当時の繁栄を今に伝える伝統的な町並みや内蔵が多く残っていることから平成25年には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。秋田県では仙北市の角館に次ぐ2番目の選定だそうです。

  • ホームページには万延元年創業の「佐藤養助 稲庭干饂飩」の永い歴史を物語る貴重な資料を多数展示してあると書かれていますが、なにも展示されていませんでした。もっとも蔵の造りを見に来ているので余計なものが無くて良かったかもしれません。

    ホームページには万延元年創業の「佐藤養助 稲庭干饂飩」の永い歴史を物語る貴重な資料を多数展示してあると書かれていますが、なにも展示されていませんでした。もっとも蔵の造りを見に来ているので余計なものが無くて良かったかもしれません。

  • 和室の欄間にはシンプルな板が嵌めこまれているだけですが、これは黒柿と言って非常に高価なものです。黒柿が出る確率は1万本に1本とも言われ、切り出してみないと分からないものです。さりげなく財力を見せつけているような気がします。

    和室の欄間にはシンプルな板が嵌めこまれているだけですが、これは黒柿と言って非常に高価なものです。黒柿が出る確率は1万本に1本とも言われ、切り出してみないと分からないものです。さりげなく財力を見せつけているような気がします。

  • 座敷の奥は通り抜けられるようになっていて再び重厚な扉があります。2階の窓の観音扉を見ると分かりやすいですが、まず左側の扉を閉めないと右側の扉は閉めることができない構造です。この段々が狂いなく閉まらなければならないので精度が求められるわけです。

    座敷の奥は通り抜けられるようになっていて再び重厚な扉があります。2階の窓の観音扉を見ると分かりやすいですが、まず左側の扉を閉めないと右側の扉は閉めることができない構造です。この段々が狂いなく閉まらなければならないので精度が求められるわけです。

  • 扉を支える銅製の蝶番は狂いもなく現在も数百キロの扉を支えています。床の段に使われている石は地元の湯沢市雄勝町の院内で切り出された院内石と呼ばれる硬質の石材が使われています。その石を研磨して幾何学的に積み上げられています。

    扉を支える銅製の蝶番は狂いもなく現在も数百キロの扉を支えています。床の段に使われている石は地元の湯沢市雄勝町の院内で切り出された院内石と呼ばれる硬質の石材が使われています。その石を研磨して幾何学的に積み上げられています。

  • 面白いのが2階の外側には「渡り」と呼ばれるキャットウォークが設けられているということです。ここに登らないと蔵の扉が閉められないわけです。家人や使用人が内蔵に自由に入れないように仕切り格子も設けてあります。

    面白いのが2階の外側には「渡り」と呼ばれるキャットウォークが設けられているということです。ここに登らないと蔵の扉が閉められないわけです。家人や使用人が内蔵に自由に入れないように仕切り格子も設けてあります。

  • その格子の外側にはトイレがありました。欄間の格子の木組みなど手の込んだ細工が施されています。窓の格子や引き戸の摺りガラスなどのデザインも洒落ています。

    その格子の外側にはトイレがありました。欄間の格子の木組みなど手の込んだ細工が施されています。窓の格子や引き戸の摺りガラスなどのデザインも洒落ています。

  • その横には浴室があります。建設された大正10年当時としては高価なタイルがふんだんに使われています。通常お湯の出る焚口は建物の外側にあるはずですが、ここでは内側になっていました。

    その横には浴室があります。建設された大正10年当時としては高価なタイルがふんだんに使われています。通常お湯の出る焚口は建物の外側にあるはずですが、ここでは内側になっていました。

  • 内蔵の長手方向も2階までの吹き抜けになっていて、妻手と同じ「渡り」が設けてあります。

    内蔵の長手方向も2階までの吹き抜けになっていて、妻手と同じ「渡り」が設けてあります。

  • 窓には鉄格子が嵌められていることから貴重なものが納められていたのだろうということが想像できます。

    窓には鉄格子が嵌められていることから貴重なものが納められていたのだろうということが想像できます。

  • 人の行き来する内蔵の腰の部分には漆喰を保護するための格子の「鞘飾り」が取り付けてあります。この格子も美しい拭き漆で仕上げられています。一般には「鞘付土蔵」と呼ぶこの辺りの蔵の様式です。

    人の行き来する内蔵の腰の部分には漆喰を保護するための格子の「鞘飾り」が取り付けてあります。この格子も美しい拭き漆で仕上げられています。一般には「鞘付土蔵」と呼ぶこの辺りの蔵の様式です。

  • 内蔵の2階に上がると小屋組も洋小屋組(トラス構造)を意識した大寸法の梁と棟木を組合せた合掌構造となっています。現在では入手不可能な良質な材料を惜しげもなく使用し、大工や左官工の技術の粋を結集させ、造り上げられた究極の蔵と呼べる土蔵といえます。

    内蔵の2階に上がると小屋組も洋小屋組(トラス構造)を意識した大寸法の梁と棟木を組合せた合掌構造となっています。現在では入手不可能な良質な材料を惜しげもなく使用し、大工や左官工の技術の粋を結集させ、造り上げられた究極の蔵と呼べる土蔵といえます。

  • 通常は天井を作って塞がれてしまう小屋組みもわざわざ見せるために漆塗りの仕上げになっています。

    通常は天井を作って塞がれてしまう小屋組みもわざわざ見せるために漆塗りの仕上げになっています。

  • 階段を降りて内蔵の見学を終えます。この家は元々は増田の大地主であった小泉五兵衛の旧宅でした。小泉家は材木や味噌・醤油を商い江戸時代より8代続き、戊辰戦争においては350両という増田一の御用金を納めているそうです。

    階段を降りて内蔵の見学を終えます。この家は元々は増田の大地主であった小泉五兵衛の旧宅でした。小泉家は材木や味噌・醤油を商い江戸時代より8代続き、戊辰戦争においては350両という増田一の御用金を納めているそうです。

  • 主屋の中には昔使われていた井戸もありました。豪雪地帯のこの地域では冬場に表にある井戸から水を汲むのは大変だったのだと思います。

    主屋の中には昔使われていた井戸もありました。豪雪地帯のこの地域では冬場に表にある井戸から水を汲むのは大変だったのだと思います。

  • 電話番号は21番だったということはこの増田町では21番目に電話が敷かれたことになります。この家にも電話専用の部屋があるほど、昔は貴重な設備だったわけです。祖父の生まれた京都の二条陣屋という家にも昔は同じような電話室がありました。

    電話番号は21番だったということはこの増田町では21番目に電話が敷かれたことになります。この家にも電話専用の部屋があるほど、昔は貴重な設備だったわけです。祖父の生まれた京都の二条陣屋という家にも昔は同じような電話室がありました。

  • 見学を終えたので事務室に一声かけましたが応答はありませんでした。今まで秋田を旅して出会った方は気さくな方ばかりだったのでちょっと残念でした。

    見学を終えたので事務室に一声かけましたが応答はありませんでした。今まで秋田を旅して出会った方は気さくな方ばかりだったのでちょっと残念でした。

  • 漆蔵資料館の前にある洋館は昭和4年野1929年に建てられた「千田洋品店」です。洋館付きの和風住宅は大正から昭和初期にかけて流行したモダニズム建築です。

    漆蔵資料館の前にある洋館は昭和4年野1929年に建てられた「千田洋品店」です。洋館付きの和風住宅は大正から昭和初期にかけて流行したモダニズム建築です。

  • 「Caféしょくでんぷの里」は明治中期に建てられた築130年の古民家の「和」と「イギリスのアンティーク」をとり入れた、ヴィーガン料理とヴィーガンスイーツのお店のようです。週末金曜土曜日曜祝日のみの営業なのでこの日はお休みでした。

    「Caféしょくでんぷの里」は明治中期に建てられた築130年の古民家の「和」と「イギリスのアンティーク」をとり入れた、ヴィーガン料理とヴィーガンスイーツのお店のようです。週末金曜土曜日曜祝日のみの営業なのでこの日はお休みでした。

  • 「まちの駅 福蔵」はまだ時間が早いので開いていませんでした。ここからはバスの通る増田蔵町通りに面した屋敷の散策をはじめます。

    「まちの駅 福蔵」はまだ時間が早いので開いていませんでした。ここからはバスの通る増田蔵町通りに面した屋敷の散策をはじめます。

  • 「旧石田理吉家」は通りに面して庭があり、主屋は奥にあるというこの通りでは1軒だけ違った造りになっています。

    「旧石田理吉家」は通りに面して庭があり、主屋は奥にあるというこの通りでは1軒だけ違った造りになっています。

    増田くらしっくロード 名所・史跡

  • 立派な冠木門も開いているのでここの見学をすることにします。

    立派な冠木門も開いているのでここの見学をすることにします。

  • 増田町では珍しい3階建ての建物ですが、これには理由があり、見学した際に教えてもらえました。庭先には30センチほど雪が積もっています。見学は正面の玄関ではなく左手脇にある入り口から入ります。

    増田町では珍しい3階建ての建物ですが、これには理由があり、見学した際に教えてもらえました。庭先には30センチほど雪が積もっています。見学は正面の玄関ではなく左手脇にある入り口から入ります。

  • この家には主屋3階の平面図があるので見学するのも分かりやすくてよかったです。

    この家には主屋3階の平面図があるので見学するのも分かりやすくてよかったです。

  • 玄関から入った廊下の右側が内蔵になっています。ちょうど別のお客さんの案内を始めたばかりだというのでそこに合流させていただきます。

    玄関から入った廊下の右側が内蔵になっています。ちょうど別のお客さんの案内を始めたばかりだというのでそこに合流させていただきます。

  • 内蔵の正面入り口の前には廊下を挟んで座敷が続いています。座敷が2間続いているので内蔵の中はかなり暗かったのではないかと感じます。内蔵の扉の上には家紋が入っていますが、丸に違いヒイラギが描かれています。この家は文政2年の1819年に石田久兵衛家より分家し、分家なので本家の家紋とはヒイラギの重ねが逆になっているそうです。

    内蔵の正面入り口の前には廊下を挟んで座敷が続いています。座敷が2間続いているので内蔵の中はかなり暗かったのではないかと感じます。内蔵の扉の上には家紋が入っていますが、丸に違いヒイラギが描かれています。この家は文政2年の1819年に石田久兵衛家より分家し、分家なので本家の家紋とはヒイラギの重ねが逆になっているそうです。

  • 2間ある座敷にも贅を凝らした造りになっているのが分かります。床柱は台湾から取り寄せた石楠花(しゃくなげ)が使われています。

    2間ある座敷にも贅を凝らした造りになっているのが分かります。床柱は台湾から取り寄せた石楠花(しゃくなげ)が使われています。

  • 床の間の掛け軸は「国政為人命 青淵老人書」とあります。青淵(せいえん)とは渋沢栄一のことです。旧秋田銀行は渋沢栄一が設立と経営に関わった第一国立銀行の秋田支店を譲り受けているので秋田へ来ることもあったのでしょうか。

    床の間の掛け軸は「国政為人命 青淵老人書」とあります。青淵(せいえん)とは渋沢栄一のことです。旧秋田銀行は渋沢栄一が設立と経営に関わった第一国立銀行の秋田支店を譲り受けているので秋田へ来ることもあったのでしょうか。

  • 座敷の表側も贅を尽くした造りになっているのが感じられます。さらに外部の明るさを取り入れる工夫がなされ、書院の圓窓もガラス戸になっています。

    座敷の表側も贅を尽くした造りになっているのが感じられます。さらに外部の明るさを取り入れる工夫がなされ、書院の圓窓もガラス戸になっています。

  • この家にも黒柿の欄間が嵌め込まれていました。各家がそれぞれ競い合った時代があったのだと思います。

    この家にも黒柿の欄間が嵌め込まれていました。各家がそれぞれ競い合った時代があったのだと思います。

  • 座敷の間に置かれた衝立には芭蕉が描かれています。

    座敷の間に置かれた衝立には芭蕉が描かれています。

  • 裏面には竹と虎が描かれています。障子には桐の引手と菊が描かれています。

    裏面には竹と虎が描かれています。障子には桐の引手と菊が描かれています。

  • 表側は全面ガラス張りになっているのでかなり明るくなっています。冬場は座敷の腰高まで雪除けが建てられています。今年は無用の長物になっています。

    表側は全面ガラス張りになっているのでかなり明るくなっています。冬場は座敷の腰高まで雪除けが建てられています。今年は無用の長物になっています。

  • 欅板を張った廊下から階段を上がって2階の見学に移ります。昭和12年の1937年の建築なので、階段の支柱にはアールデコの影響がみられます。

    欅板を張った廊下から階段を上がって2階の見学に移ります。昭和12年の1937年の建築なので、階段の支柱にはアールデコの影響がみられます。

  • 2階にも2部屋があり、洋間と和室という違ったデザインが上手に組み合わされています。

    2階にも2部屋があり、洋間と和室という違ったデザインが上手に組み合わされています。

  • 2階にも表側に廊下が設けられています。低い位置に手摺りがあり、全面ガラス張りになっているので明るく開放感があります。昭和初期のガラスが残っているので微妙な歪みがいいです。

    2階にも表側に廊下が設けられています。低い位置に手摺りがあり、全面ガラス張りになっているので明るく開放感があります。昭和初期のガラスが残っているので微妙な歪みがいいです。

  • 2階の和室の床の間の床柱と床框はともに黒柿が使われています。

    2階の和室の床の間の床柱と床框はともに黒柿が使われています。

  • 洋間は寄席木の床に織りあげ天井になり、その段差には換気口が設けてあります。白いカバーの掛かったソファーも昭和を感じさせます。円形のテーブルは日本で作られたと思われますが、ア-ル・デコのデザインです。背の高い小テーブル2つもアール・デコの意匠ですが、脚部は日本の伝統的な名栗(なぐり)のような加工がされています。

    洋間は寄席木の床に織りあげ天井になり、その段差には換気口が設けてあります。白いカバーの掛かったソファーも昭和を感じさせます。円形のテーブルは日本で作られたと思われますが、ア-ル・デコのデザインです。背の高い小テーブル2つもアール・デコの意匠ですが、脚部は日本の伝統的な名栗(なぐり)のような加工がされています。

  • 床の寄木細工も良く残されていますが、廊下との間の敷居の桟は木製になっています。

    床の寄木細工も良く残されていますが、廊下との間の敷居の桟は木製になっています。

  • 和室側は襖になっていますが、洋間側は欅の一枚板の板戸になっています。

    和室側は襖になっていますが、洋間側は欅の一枚板の板戸になっています。

  • 案内していただいた方によるとこの時期は庭には3メートルほどの雪が積もっているということでした。「せっかく遠くから来ていただいたのに今年は雪が少なくて。」と仰いますが、地元の人にとってはラッキーなことのようです。横手にいた4日間何度も同じ言葉を聞きました。そして皆さん少し嬉しそうな笑みを浮かべています。

    案内していただいた方によるとこの時期は庭には3メートルほどの雪が積もっているということでした。「せっかく遠くから来ていただいたのに今年は雪が少なくて。」と仰いますが、地元の人にとってはラッキーなことのようです。横手にいた4日間何度も同じ言葉を聞きました。そして皆さん少し嬉しそうな笑みを浮かべています。

  • 和室と洋間の間の柱は1階から3階までの通し柱になっていて、長さは12メートルになるそうです。この柱は5寸角の通し柱9本によって建物を支持されています。この柱を中心に和室側の手摺りは和木で、洋間側は節の間隔短い竹が使われています。

    和室と洋間の間の柱は1階から3階までの通し柱になっていて、長さは12メートルになるそうです。この柱は5寸角の通し柱9本によって建物を支持されています。この柱を中心に和室側の手摺りは和木で、洋間側は節の間隔短い竹が使われています。

  • 同じデザインの階段は3階まで続いています。

    同じデザインの階段は3階まで続いています。

  • 階段の踊り場の手摺りの加工は日本の大工の技術の高さを感じさせます。

    階段の踊り場の手摺りの加工は日本の大工の技術の高さを感じさせます。

  • 踊り場にあった伝統のスイッチは昭和初期のものがそのまま使われていました。

    踊り場にあった伝統のスイッチは昭和初期のものがそのまま使われていました。

  • 3階からの眺めは近隣の2階屋の上になるので遠くの山並みまで見えます。説明によると建設当時は3階建ての建物は無かったのでこの座敷から9月に行われる増田の花火大会が良く見えたそうです。

    3階からの眺めは近隣の2階屋の上になるので遠くの山並みまで見えます。説明によると建設当時は3階建ての建物は無かったのでこの座敷から9月に行われる増田の花火大会が良く見えたそうです。

  • そのためこの3階が客間になっていたそうです。この座敷も贅を凝らしており、天井は台湾紅檜が使われています。ここも黒柿の床柱が使われています。戦前の一時には「秋田の行事」を描いた藤田嗣治などの著名人も逗留して作品を制作したそうです。

    そのためこの3階が客間になっていたそうです。この座敷も贅を凝らしており、天井は台湾紅檜が使われています。ここも黒柿の床柱が使われています。戦前の一時には「秋田の行事」を描いた藤田嗣治などの著名人も逗留して作品を制作したそうです。

  • 竹が真壁の中に組み込まれ、丸い竹を1/4円に組み込み、さらに真円が2つ組み込まれています。何故か懐かしく感じたのは60年近く前に使っていたスキーのストックのリングがこのような竹を丸めたものだったからだと思います。

    竹が真壁の中に組み込まれ、丸い竹を1/4円に組み込み、さらに真円が2つ組み込まれています。何故か懐かしく感じたのは60年近く前に使っていたスキーのストックのリングがこのような竹を丸めたものだったからだと思います。

  • トタン張りの屋根は内蔵が収まっている母屋の2階部分です。その奥に昭和初期に医師だった当主が経営していた病院の建物が見えました。

    トタン張りの屋根は内蔵が収まっている母屋の2階部分です。その奥に昭和初期に医師だった当主が経営していた病院の建物が見えました。

  • 廊下の材が分からなかったのでお聞きすると梨の木だということでした。

    廊下の材が分からなかったのでお聞きすると梨の木だということでした。

  • このような畳の敷き方は不祝儀敷きと呼ばれ、葬儀など縁起が悪いときに用いられる敷き方です。寺院仏閣や旅館の大広間などでは不祝儀敷きが採用されています。大広間で不祝儀敷きが用いられる理由は、大勢の利用者が同じ向きで座ることが多く、畳がすべて同じ方向で敷かれていれば畳が傷みにくいからです。

    このような畳の敷き方は不祝儀敷きと呼ばれ、葬儀など縁起が悪いときに用いられる敷き方です。寺院仏閣や旅館の大広間などでは不祝儀敷きが採用されています。大広間で不祝儀敷きが用いられる理由は、大勢の利用者が同じ向きで座ることが多く、畳がすべて同じ方向で敷かれていれば畳が傷みにくいからです。

  • 主屋3階の見学が終わったので内蔵の表側の見学に移ります。この家では窓の扉の開け閉めを体験させていただけました。

    主屋3階の見学が終わったので内蔵の表側の見学に移ります。この家では窓の扉の開け閉めを体験させていただけました。

  • 小さい扉は三段蛇腹と呼ばれるもので、閉じてしまうとその段々を通って炎や煙が入らない仕掛けになっています。蔵側の段々は奥に行くにしたがって小さくなっていきます。逆に扉側は表が一番大きく、だんだんに小さくなります。ただ1カ所、先に占める左側の扉の長手方向だけが奥に向かって広くなります。

    小さい扉は三段蛇腹と呼ばれるもので、閉じてしまうとその段々を通って炎や煙が入らない仕掛けになっています。蔵側の段々は奥に行くにしたがって小さくなっていきます。逆に扉側は表が一番大きく、だんだんに小さくなります。ただ1カ所、先に占める左側の扉の長手方向だけが奥に向かって広くなります。

  • 閉じた状態の留め金は一文字のように見えます。このサイズの扉でも非常に重く、両手で力を入れないと閉めることは出来ないほどです。

    閉じた状態の留め金は一文字のように見えます。このサイズの扉でも非常に重く、両手で力を入れないと閉めることは出来ないほどです。

  • 妻手側の大きな扉は数百キロの重さになるそうです。こちらは押しても引いてもびくともしないです。この扉はさらに厚さのある四段蛇腹になっています。

    妻手側の大きな扉は数百キロの重さになるそうです。こちらは押しても引いてもびくともしないです。この扉はさらに厚さのある四段蛇腹になっています。

  • 裏側から座敷の中を覗いた後は母屋の座敷側から内部の見学をします。

    裏側から座敷の中を覗いた後は母屋の座敷側から内部の見学をします。

  • 2階部分にも窓と扉がありますが、この家には「渡り」はありませんでした。

    2階部分にも窓と扉がありますが、この家には「渡り」はありませんでした。

  • 内蔵に入った最初は板の間になっています。巨大なこけしが6体置かれてあります。その後ろには代々この家に嫁いだ女性の花嫁道具と思われる見事なタンスも並んでいます。

    内蔵に入った最初は板の間になっています。巨大なこけしが6体置かれてあります。その後ろには代々この家に嫁いだ女性の花嫁道具と思われる見事なタンスも並んでいます。

  • 奥の座敷の床の間には唐木の名木として知られる紫檀(したん)と黒檀(こくたん)と鉄刀木(たがやさん)がふんだんに使われています。

    奥の座敷の床の間には唐木の名木として知られる紫檀(したん)と黒檀(こくたん)と鉄刀木(たがやさん)がふんだんに使われています。

  • 1階の座敷は当主の生活空間として使われたそうです。三階建の主屋奥に繋がる土蔵は明治14年の1881年に五代の理吉によって上棟されたものです。鉢巻きや鞘飾りを廻した腰、そして開口部が黒漆喰で仕上げられ、その他の部分が白漆喰で仕上げられた白と黒のコントラストが綺麗な内蔵です。特に入口の開口部廻りは、磨き漆喰仕上げで100年以上もその光沢を残しています。

    1階の座敷は当主の生活空間として使われたそうです。三階建の主屋奥に繋がる土蔵は明治14年の1881年に五代の理吉によって上棟されたものです。鉢巻きや鞘飾りを廻した腰、そして開口部が黒漆喰で仕上げられ、その他の部分が白漆喰で仕上げられた白と黒のコントラストが綺麗な内蔵です。特に入口の開口部廻りは、磨き漆喰仕上げで100年以上もその光沢を残しています。

  • 2階へ上がる蕗漆塗りの階段はかなり急で、踏面(ふみずら)も小さいです。蔵の内部は1階が手前に板間、奥に床の間を設けた座敷の2間となって、2階は什器等の収蔵庫として使われていたようです。1階の壁は1尺間隔で柱が並び、貫を隠す塗り込め壁の磨き漆喰仕上げとなっています。

    2階へ上がる蕗漆塗りの階段はかなり急で、踏面(ふみずら)も小さいです。蔵の内部は1階が手前に板間、奥に床の間を設けた座敷の2間となって、2階は什器等の収蔵庫として使われていたようです。1階の壁は1尺間隔で柱が並び、貫を隠す塗り込め壁の磨き漆喰仕上げとなっています。

  • 棟木には破魔矢が飾られています。梁は樹齢500年から600年の杉材が重ねられています。この上は先ほど母屋の3階から見下ろしたトタン張りの屋根ですが、積もる雪の重さが想像できます。明治前半まで用いられていた小梁を重ねる小屋組の形式で、掛け渡された巨大な杉梁で長大な棟木と柱に使えそうな4寸角の根太を受ける豪快な小屋組です。

    棟木には破魔矢が飾られています。梁は樹齢500年から600年の杉材が重ねられています。この上は先ほど母屋の3階から見下ろしたトタン張りの屋根ですが、積もる雪の重さが想像できます。明治前半まで用いられていた小梁を重ねる小屋組の形式で、掛け渡された巨大な杉梁で長大な棟木と柱に使えそうな4寸角の根太を受ける豪快な小屋組です。

  • 古いニホンカモシカの毛皮が置いてありました。展示コーナーのケース内は写真撮影は出来ません。

    古いニホンカモシカの毛皮が置いてありました。展示コーナーのケース内は写真撮影は出来ません。

  • 2階の階段の手摺りは非常に繊細な造りになっています。

    2階の階段の手摺りは非常に繊細な造りになっています。

  • 面白いのは床下に扉があり、全部塞ぐことができるようです。冬場の積雪時の寒さが下に降りてこない工夫なのだと思います。同じようなものが祖父の家にあったことを思い出します。扉ではなく階段の1段目がこのような引き込み式になっていて、知らない人が階段を踏み外して落ちる仕掛けになっています。落ちた先は仏間の仏壇の裏側という落ちがあります。

    面白いのは床下に扉があり、全部塞ぐことができるようです。冬場の積雪時の寒さが下に降りてこない工夫なのだと思います。同じようなものが祖父の家にあったことを思い出します。扉ではなく階段の1段目がこのような引き込み式になっていて、知らない人が階段を踏み外して落ちる仕掛けになっています。落ちた先は仏間の仏壇の裏側という落ちがあります。

  • 「旧石田理吉家」は造り酒屋であり、「金星」という日本酒を戦前まで造っていたそうです。

    「旧石田理吉家」は造り酒屋であり、「金星」という日本酒を戦前まで造っていたそうです。

  • 今年は雪除けの囲いが役を成さなかったようです。通常の都市であればこれらの庭木は埋まってしまうそうです。

    今年は雪除けの囲いが役を成さなかったようです。通常の都市であればこれらの庭木は埋まってしまうそうです。

  • 古い建物を利用したコミュニティラウンジはトイレもあり、帰りのバスもこの前から乗ることができます。無料wifiも使えるようです。

    古い建物を利用したコミュニティラウンジはトイレもあり、帰りのバスもこの前から乗ることができます。無料wifiも使えるようです。

  • 毎月2と5と9のつく日に朝市通りで開かれる朝市は佐竹藩の公認で、約360年前の寛永20年から始まったと言われています。増田城の武士達が日常生活を営むための物資の調達が行われたものでした。この日は2月15日で朝市の日ですが、既に正午なのでほとんどの店は閉まったいました。店じまいしていた魚屋さんのおじさんたちと話が弾んで楽しい時間が過ごせました。ここでも「今年は雪が無くて残念だね。」と言われますが、その顔は嬉しそうです。

    毎月2と5と9のつく日に朝市通りで開かれる朝市は佐竹藩の公認で、約360年前の寛永20年から始まったと言われています。増田城の武士達が日常生活を営むための物資の調達が行われたものでした。この日は2月15日で朝市の日ですが、既に正午なのでほとんどの店は閉まったいました。店じまいしていた魚屋さんのおじさんたちと話が弾んで楽しい時間が過ごせました。ここでも「今年は雪が無くて残念だね。」と言われますが、その顔は嬉しそうです。

    増田の朝市 市場・商店街

  • 「観光物産センター蔵の駅」として運営されている「旧石平金物店」に立ち寄ってみます。この建物は明治大正期に金物商を営んでいた石田家より横手市に寄贈されました。

    「観光物産センター蔵の駅」として運営されている「旧石平金物店」に立ち寄ってみます。この建物は明治大正期に金物商を営んでいた石田家より横手市に寄贈されました。

  • ここでこの蓑の名前が「ケラ」ということを初めて知りました。57年前に初めて横手に来たときに父に買ってもらって、自宅の玄関に何年も飾ってありました。「ケラ」は「毛羅」とも書くそうで、藁や海草など植物性の原料を使って作られる作業着で、今で言う雨合羽であり、重い物を背負う時の背当ての役目も果たすようです。

    ここでこの蓑の名前が「ケラ」ということを初めて知りました。57年前に初めて横手に来たときに父に買ってもらって、自宅の玄関に何年も飾ってありました。「ケラ」は「毛羅」とも書くそうで、藁や海草など植物性の原料を使って作られる作業着で、今で言う雨合羽であり、重い物を背負う時の背当ての役目も果たすようです。

  • 57年前の「梵天(ぼんでんコンクール」の時の写真です。この時背負っているのがその旅で買ってもらった「ケラ」でした。

    57年前の「梵天(ぼんでんコンクール」の時の写真です。この時背負っているのがその旅で買ってもらった「ケラ」でした。

  • 物産センターではありますが、商品の販売だけでなく増田町の町やについて学べるようになっています。

    物産センターではありますが、商品の販売だけでなく増田町の町やについて学べるようになっています。

  • 「旧石平金物店」時代の説明もあります。この家はこれまで見てきた建物とは違い、間口の狭い表に商店があり、その奥に座敷と水屋があり、「内蔵」が続くという典型的なレイアウトになっています。

    「旧石平金物店」時代の説明もあります。この家はこれまで見てきた建物とは違い、間口の狭い表に商店があり、その奥に座敷と水屋があり、「内蔵」が続くという典型的なレイアウトになっています。

  • 店舗だった部分は物産センターとしての機能と展示物が並べられていますが、その奥は昔のままの姿が残されています。店舗に近い座敷は帳場になっていて帳場囲いや金庫が置かれてあります。

    店舗だった部分は物産センターとしての機能と展示物が並べられていますが、その奥は昔のままの姿が残されています。店舗に近い座敷は帳場になっていて帳場囲いや金庫が置かれてあります。

  • ガラスの引き戸越しに店の様子が確認できました。

    ガラスの引き戸越しに店の様子が確認できました。

  • 帳場の奥は襖が入っていますが、一部は障子になっていて、横にスライドさせると目隠しにもなるようです。店舗から座敷までの前部が一番新しい建築で、水屋部分より柱間が広くなっており天井が張られています。昔は冠婚葬祭を家で執り行ったため、座敷中心にある柱は取り外すことができ、大広間として使えるようになっています。

    帳場の奥は襖が入っていますが、一部は障子になっていて、横にスライドさせると目隠しにもなるようです。店舗から座敷までの前部が一番新しい建築で、水屋部分より柱間が広くなっており天井が張られています。昔は冠婚葬祭を家で執り行ったため、座敷中心にある柱は取り外すことができ、大広間として使えるようになっています。

  • 訪れたのが2月中旬ということもあり、雛人形が飾られていました。上段は京都御所の紫宸殿の正殿を模した御殿雛が飾られています。子の御殿雛は明治43年の1910年に京都で製作されたものを増田の旧家が購入したものです。

    訪れたのが2月中旬ということもあり、雛人形が飾られていました。上段は京都御所の紫宸殿の正殿を模した御殿雛が飾られています。子の御殿雛は明治43年の1910年に京都で製作されたものを増田の旧家が購入したものです。

  • 昔祖母と叔母と京都御所の紫宸殿の中に入れてもらったことがありました。高御座(たかみくら)を間近で見たときは日本の歴史を垣間見たような気がしました。今日はまた違った意味で秋田の歴史を実感しています。

    昔祖母と叔母と京都御所の紫宸殿の中に入れてもらったことがありました。高御座(たかみくら)を間近で見たときは日本の歴史を垣間見たような気がしました。今日はまた違った意味で秋田の歴史を実感しています。

  • 2間の座敷の奥は水屋になっていて、建物の中に井戸までありました。通り土間の右側は展示コーナーになっています。

    2間の座敷の奥は水屋になっていて、建物の中に井戸までありました。通り土間の右側は展示コーナーになっています。

  • 内蔵の手前には箱ぞりが置いてありました。秋田の箱ぞりは格子模様の飾りが施されていて、地板の色はあずき色が多いそうです。秋田の版画家の勝平得之の作品にもよく出てきます。

    内蔵の手前には箱ぞりが置いてありました。秋田の箱ぞりは格子模様の飾りが施されていて、地板の色はあずき色が多いそうです。秋田の版画家の勝平得之の作品にもよく出てきます。

  • それよりも子供の頃にこれに乗っていた思い出が残っています。

    それよりも子供の頃にこれに乗っていた思い出が残っています。

  • 昨年行った「秋田県立美術館」で「秋田の行事」という藤田嗣治(レオナール・フジタ)の作品を観た時には驚きました。まるで自分がモデルではないだろうかと思うほどでした。

    昨年行った「秋田県立美術館」で「秋田の行事」という藤田嗣治(レオナール・フジタ)の作品を観た時には驚きました。まるで自分がモデルではないだろうかと思うほどでした。

  • 先ほど見学した「旧石田理吉家」の3階の大広間から増田の花火が良く見えたという話を思い出しました。大曲の花火大会は有名ですが、増田の花火も見てみたくなりました。月山神社の祭典として毎年9月14日に開催され、正二尺玉の打ち上げを始め、正尺の早打ちやスターマインなど5000発打ち上げるそうです。

    先ほど見学した「旧石田理吉家」の3階の大広間から増田の花火が良く見えたという話を思い出しました。大曲の花火大会は有名ですが、増田の花火も見てみたくなりました。月山神社の祭典として毎年9月14日に開催され、正二尺玉の打ち上げを始め、正尺の早打ちやスターマインなど5000発打ち上げるそうです。

  • 表通りに面した入口側に店舗、そして座敷、居間、水屋と部屋が続き、増田では基本的な商家の配置となっています。奥行は約90メートルで3回の増改築で現在の姿に至なっています。釿(ちょうな)の跡が残る水屋の部分が一番古い建築のようです。

    表通りに面した入口側に店舗、そして座敷、居間、水屋と部屋が続き、増田では基本的な商家の配置となっています。奥行は約90メートルで3回の増改築で現在の姿に至なっています。釿(ちょうな)の跡が残る水屋の部分が一番古い建築のようです。

  • 「そよかぜは1945年10月に公開された佐々木康監督による日本映画で、監督が横手市雄物川町出身だったこともあり、この増田町を中心にロケが行われたそうです。この映画については主題歌は「そよかぜ」で、「リンゴの唄」は挿入歌という説が信じられているようですが、実際にオープニングとエンディングで歌われるのは「リンゴの唄」だそうです。映画は観たことはありませんが、歌だけはさすがに知っています。https://www.youtube.com/watch?v=VDieNMkohEY

    「そよかぜは1945年10月に公開された佐々木康監督による日本映画で、監督が横手市雄物川町出身だったこともあり、この増田町を中心にロケが行われたそうです。この映画については主題歌は「そよかぜ」で、「リンゴの唄」は挿入歌という説が信じられているようですが、実際にオープニングとエンディングで歌われるのは「リンゴの唄」だそうです。映画は観たことはありませんが、歌だけはさすがに知っています。https://www.youtube.com/watch?v=VDieNMkohEY

  • 「大人になったら、したいこと。」大人の休日倶楽部のCMは吉永小百合が出演していることもあって大好きなのですが、日本国内を旅した先でこの種のポスターを見掛けて先を越されたと思ってしまいます。

    「大人になったら、したいこと。」大人の休日倶楽部のCMは吉永小百合が出演していることもあって大好きなのですが、日本国内を旅した先でこの種のポスターを見掛けて先を越されたと思ってしまいます。

  • ここで同じ立ち位置で写真を撮るのはお約束のようです。今年の春のCMでは栃木県の笠間の「春風萬里荘」と「回廊ギャラリー門」だけは我々の方が先に行っていました。

    ここで同じ立ち位置で写真を撮るのはお約束のようです。今年の春のCMでは栃木県の笠間の「春風萬里荘」と「回廊ギャラリー門」だけは我々の方が先に行っていました。

  • 交代して同じように写真を撮ってもらいましたが。

    交代して同じように写真を撮ってもらいましたが。

  • 何だか納得できない自分がいます。

    何だか納得できない自分がいます。

  • 妻の背中に二尺玉がよく似合います。

    妻の背中に二尺玉がよく似合います。

  • 先ほど訪ねた「旧石田理吉家」の内蔵に掲げてあった「丸に違いヒイラギ」の家紋がありますが、重ね方が逆になっています。

    先ほど訪ねた「旧石田理吉家」の内蔵に掲げてあった「丸に違いヒイラギ」の家紋がありますが、重ね方が逆になっています。

  • 内蔵は鞘や外壁の装飾の素朴さから明治20年代の建築だと言われているそうです。この蔵の扉も四段蛇腹になっています。扉の黒漆喰を保護するために被せられた「鞘飾り」がとても美しいです。上部には縁起の良い亀甲模様がデザインされています。

    内蔵は鞘や外壁の装飾の素朴さから明治20年代の建築だと言われているそうです。この蔵の扉も四段蛇腹になっています。扉の黒漆喰を保護するために被せられた「鞘飾り」がとても美しいです。上部には縁起の良い亀甲模様がデザインされています。

  • 内蔵の中はこれまで来て来たものと同じように板張りで、奥が畳敷きの座敷になっています。何とも言えない暗さに陰影礼賛を感じ、建設当時を想像します。

    内蔵の中はこれまで来て来たものと同じように板張りで、奥が畳敷きの座敷になっています。何とも言えない暗さに陰影礼賛を感じ、建設当時を想像します。

  • 色口の延長線上に裏側の出入り口があるのも他の内蔵に倣っています。ここでも家人以外自由に入れないように格子戸が設けられています。

    色口の延長線上に裏側の出入り口があるのも他の内蔵に倣っています。ここでも家人以外自由に入れないように格子戸が設けられています。

  • 階段を上がった2階も他の蔵と同じく収納スペースになっています。これだけのスペースがあったらいろいろなものを収納できると羨ましく感じます。

    階段を上がった2階も他の蔵と同じく収納スペースになっています。これだけのスペースがあったらいろいろなものを収納できると羨ましく感じます。

  • 家にある陶器の木箱をこんな風に収納できたらと思います。この蔵ほどのスペースがあれば家にある骨董品の出し入れも楽なのにと痛感します。

    家にある陶器の木箱をこんな風に収納できたらと思います。この蔵ほどのスペースがあれば家にある骨董品の出し入れも楽なのにと痛感します。

  • 内蔵の外にある「通り土間」は農機具などの収納になっていました。現在は物産センターになってはいますが、元の家主の生活が垣間見られるようです。

    内蔵の外にある「通り土間」は農機具などの収納になっていました。現在は物産センターになってはいますが、元の家主の生活が垣間見られるようです。

  • これはバンドリという藁で作られた荷物を背負う道具です。これをここで見られるとは思いませんでした。

    これはバンドリという藁で作られた荷物を背負う道具です。これをここで見られるとは思いませんでした。

  • このように背負った家に荷物を背負うので、下の衣類が傷まないというものです。これは岡本太郎が1957年に秋田市や横手市を訪ねて撮った「岡本太郎の東北」という本にも出てきます。

    このように背負った家に荷物を背負うので、下の衣類が傷まないというものです。これは岡本太郎が1957年に秋田市や横手市を訪ねて撮った「岡本太郎の東北」という本にも出てきます。

  • 「渡り」の脇には長い木製の梯子があり、家の修理などに必要な資材なのだと思います。

    「渡り」の脇には長い木製の梯子があり、家の修理などに必要な資材なのだと思います。

  • ようやく3つの建物の見学が終わりましたが、増田の町の家並みはまだまだ延々と続いています。建築的な面白さと美しさにお腹が減ったことも忘れて見学を続けます。

    ようやく3つの建物の見学が終わりましたが、増田の町の家並みはまだまだ延々と続いています。建築的な面白さと美しさにお腹が減ったことも忘れて見学を続けます。

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