2024/04/14 - 2024/04/19
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この旅行記のスケジュール
2024/04/15
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電車での移動
新山口⇒津和野 JR特急スーパーおき2号 米子行
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鳴滝神社
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バスでの移動
津和野駅⇒東萩駅 防長交通バス
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この旅行記スケジュールを元に
2024年4月14日(日)~19日(金)の5泊6日で山口県旅行に行ってきました。下関は以前観光したので、今回はそれ以外のスポットを周遊します。山口県を本格的に観光するのは今回が初めてなので、有名な観光名所をメインに回って行きます。春休みとゴールデンウィークの間の時期なので観光地はすいていましたが、やはり円安の影響で外国人観光客の姿が多く見受けられました。
旅行記その2は山口県からはみ出して島根県の津和野を観光します。山陰の小京都と呼ばれる山間の城下町です。この日は朝から雨模様で時折強く雨が降りましたが、歴史を感じさせる街並みの散策がメインなので、案外雨も悪くなかったです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ホテルの朝食。
1人4000円程度の宿泊料金でこれだけのバイキングが出るのはかなり良いと思います。とりあえずカレーさえあれば私的には大満足です。 -
山口県周遊と言っておきながら2日目にして早くも県外へ移動してしまいます。
本日の目的地は島根県津和野です。 -
JR特急スーパーおき2号 米子行に乗って約1時間、津和野に到着しました。
私たちが乗ってきた新山口~津和野間の路線にはSLやまぐち号という蒸気機関車が走っています。 -
少し雨が降っていますが、かまわず歩き始めましょう。
今回訪れるまで津和野については「山陰の小京都」と呼ばれていることぐらいしか知りませんでした。森鴎外の出生地であることも旅の前に初めて知りました。森鴎外のこともほとんど知りませんが。 -
最初の観光スポット、乙女峠マリア聖堂を目指します。
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乙女峠というくらいですから、結構な坂道を登って行くことになります。
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山道には手すりが整備されていて歩きやすかったです。隣を流れる沢ではカエルがしきりと鳴いています。かなり注意深く探したのですが、カエルの姿が全く見えなかったのが不思議です。
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広場が見えてきました。
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明治元(1868)年、長崎浦上から153人の潜伏キリシタンが津和野に送られてきました(浦上四番崩れ)。そして改宗に応じなかった信者たちのうち37人が拷問の末に殉教しました。
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「三尺牢」という檻に閉じ込めて行われた拷問の際、聖母マリアが降臨されたそうです。津和野は日本で唯一マリア様が降臨された地なんだとか。
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昭和21年に津和野カトリック教会に赴任したネーベル神父が建てたマリア聖堂。
乙女峠マリア聖堂 寺・神社・教会
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小さな教会です。中は自由に見学できます。
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津和野で受難にあったキリシタンたちの様子が表現されているらしいステンドグラス。
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信仰のために命を捨てるという行為が私には全く理解できないので、特に感銘を受けるということはありませんでしたが、静かな山の中にある小さな教会はなかなか良い雰囲気でした。
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麓に降りて来ました。
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続いて永明寺(ようめいじ)に行きます。応永27年(1420)津和野城主吉見氏五代頼弘が創建した古刹です。
永明寺 寺・神社・教会
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先に参拝していたご婦人から「今日は閉まってましたよ。」と教えていただきました。とりあえず山門をくぐって境内に進みます。
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このお寺は吉見、坂崎、亀井の歴代津和野城主の菩提寺として栄えてきました。
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本堂は茅葺です。
ひっそりと静まり返った境内はとても良い雰囲気です。 -
鐘楼。
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珠を咥えた魚が吊るされています。開梆(かいぱん)とか魚梆(ぎょほう)とか呼ばれるもので、木魚の原型といわれているものです。
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やはり今日はお休みらしく、受付は閉まっていました。境内から見える場所だけ見学させてもらいます。
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本堂左手の小道を登ると悲運の勇将坂崎出羽守成正の墓があるそうです。さらにその上手には筆頭家老多胡家の墓もあるとのことでしたが、あまり興味もないので適当に見て引き返します。
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山門を入った左手の墓地に森鴎外の墓があります。
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墓石には「森林太郎墓」とだけ刻まれています。森鴎外の遺言に従ったものなんだそうです。
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となりの石像がいい感じです。
外観だけの観光になりましたが、山に囲まれた静かな境内は厳かな雰囲気に満ちており見ごたえ十分でした。 -
津和野の町に戻って町歩きを始めます。中村吉蔵生誕碑というのがありました。津和野出身の劇作家・演劇研究家らしいです。
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くたびれた感じの塀が続いている路地を歩きます。
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「日本脳外科の父 中田瑞穂先生 生誕の地」という碑が立っていました。
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現在建っている家が中田瑞穂先生と関係あるのかは不明です。多分関係ないのでしょう。
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中田瑞穂先生のお隣には小藤文次郎生誕碑がありました。こちらは日本地質学の父なんだそうです。
この路地に「博士小路」とか何とか名前を付けて、「頭が良くなるDHAサバ饅頭」などを土産屋で売ればきっと観光名所になるでしょう。 -
津和野カトリック教会にやって来ました。
津和野カトリック教会 寺・神社・教会
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昭和6(1931)年、ドイツ人シェーファーによって建てられたゴシック風建築の教会です。教会の周囲は殿町という、津和野でも特に古い町並みの残るエリアなので、この教会はとても目立ちます。
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中に入ると畳が敷いてあります。
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日本の風土に適応した教会です。
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振り返って入り口側。パイプオルガンはないみたいです。
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教会に隣接して殉教資料を集めた乙女峠展示室があります。
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残酷な拷問の様子。
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教会を出て殿町通りを歩きます。津和野観光のメインストリートです。津和野で有名な掘割を泳ぐ鯉。大きく太った鯉がウジャウジャいます。
殿町掘割 名所・史跡
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大岡家老門。津和野藩の家老職を勤めた大岡家の表門です。
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門をくぐると、津和野町役場があります。現役で使用中の庁舎です。
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大正8年建築当時、和風公共建築が流行していたそうです。
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旧鹿足郡会議事堂。明治42年に建てられたものを令和5年に復元新築したもの。
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養老館。津和野藩主亀井氏8代矩賢が、天明6年(1786)に創設した津和野藩の藩校です。ちょうど団体さんが門の前で集まっていたのでちょっとだけ覗いて立ち去りました。後で再訪します。
藩校養老館(津和野町立民俗資料館) 美術館・博物館
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ちょっと早めに昼食にします。あぜみちレストハウスというお店に入ります。
あぜみちレストハウス グルメ・レストラン
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いかにも大衆食堂という感じの店内です。
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とんかつ定食。美味です。
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うずめ飯定食。島根県西部、石見地方の郷土料理です。普通のお茶漬けのように見えますがご飯の下にいろいろな具が隠れています。この食べ方の起源としては質素倹約を強いられた江戸時代に贅沢しているのを悟られないため、あるいは具材が粗末で他人に見られるのが恥ずかしかったため、という説が考えられています。
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提供するときや食べるときは伏し目がちにする、といった習わしも伝わっているそうです。そんなことは露知らず、匙でかき混ぜながら目を見開いて大口開けて食べてしまいました。『昭和14年(1939年)には、宮内庁の全国郷土料理調査において日本の代表的な郷土料理として、岐阜県の「さよりめし」、東京都深川の「深川めし」、埼玉県小川町の「忠七めし」、大阪府難波地方の「かやくめし」とともに、「うずめ飯」が「日本五大名飯」のひとつに選定された。』と農林水産省のサイトに書いてありました。
ものすごく美味しい、というほどではありませんが、それなりに満足な味の郷土料理でした。 -
観光再開。弥栄神社(やさかじんじゃ)に向かいます。正長元年(1428年)に吉見氏が京都の弥栄神社の分霊を太鼓谷山に勧請したのが初めとされています。
弥栄神社 寺・神社・教会
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毎年6月30日は輪くぐり神事が行われ、石見神楽奉納が行われるそうです。岩見神楽はいずれ見なければならない伝統芸能の一つです。次に島根を訪れる時にはぜひ見たいと思っています。
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境内に立派なご神木があります。
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ケヤキですね。
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樹齢600年以上と推定されているそうです。幹の割れ具合、苔の生え具合、こぶの付き具合、どれも満点です。
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拝殿はすっきりしています。
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そしてこの神社では毎年7月20日・27日に国の重要無形民俗文化財「津和野弥栄神社の鷺舞」が舞われます。
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鷺舞や石見神楽を実際に見てみたいですが、もう一度訪れるチャンスがあるかどうか、難しいところです。
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津和野の町を貫流する津和野川。川岸の菜の花がきれいでした。
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太皷谷稲成神社の入り口横に総霊社という神社もあったのでついでに見ていきます。解説看板には明治10年建立とあります。場所的に太皷谷稲成神社の末社か何かだと思っていたのですが、どうも違うらしい。
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どうやら明治期の神仏分離の際に、寺による葬儀にかわって神道葬祭式や祖霊を祀る必要から建てられた社らしいです。通常は祖霊社と呼ばれるものなのですが、津和野では総霊社と言って祖霊をまとめて祀っているようです。まぁ細かいことはどうでもいいや。次に行きましょう。
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太皷谷稲成神社の参道に入ります。
太皷谷稲成神社 寺・神社・教会
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千本鳥居が続く階段を登って行きます。
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階段の途中にあった小さなお稲荷様。
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やっと階段を登り切りました。神門の横から中に入ります。
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かなり上まで上がってきたのでとても眺めが良いです。
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神門から入ってすぐ右手にあるのが元宮です。
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狐の描かれた奉納額が飾ってあります。
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こちらは狐と女性(の神様?)
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こちらは鏝絵です。
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元宮の裏手には命婦社があります。稲成大神お使いの夫婦の白狐神が祀られています。
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子だくさんな狐様です。
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奥の方には結構古そうな狐様もいらっしゃいます。
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お供えはもちろん油揚げです。
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拝殿に向かいます。
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立派な注連縄です。
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こちらにも油揚げがいっぱい。
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やはりお稲荷様は金回りが良さそうです。
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駐車場側から山を下ります。
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津和野城跡に続くリフトがあります。晴れていたら登るつもりでしたが、生憎の空模様でしたので、今回はパスします。
津和野城跡観光リフト 乗り物
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津和野伝統文化館 ステージ。
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その横に津和野伝統文化館がありましたが、現在閉館中になっていました。
どうやら鷺舞などをやっていたみたいです。 -
さらに下に降りて行きます。
招き猫を沢山売っている土産屋がありました。 -
津和野城物見櫓。
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津和野城跡馬場先櫓。ここから津和野川を渡ります。
津和野城跡 馬場先櫓 名所・史跡
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この辺りは観光の中心エリアからはだいぶ離れています。つぶれた美術館があって寂れた感じがいいですね。
板橋アンティックドール美術館 美術館・博物館
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民家の脇を抜けて土手を登ります。
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JR山口線の線路を渡ります。
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鳴滝神社にやってきました。
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幕末に栗本里治という人が津和野藩の風景等を記録した「津和野百景図」という書物が残っています。津和野の町は、そこに描かれた津和野の風景をもとに「津和野今昔~百景図を歩く~」というストーリーで日本遺産に認定されています。
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この鳴滝神社も百景図の中で取り上げられています。
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案内看板の開設によると、『【第六十七図】鳴滝 津和野市街の町田というところに瀑布(滝)がある。「鳴滝」といい、水落差が約16mである。この滝の水はとても清いので、近くの滝の前、町田、中丁、横堀などに住む人々はこれを飲用としている。古くは成就院という修験の寺や文殊堂があったが、里治がこれを描いた大正2年ごろは琴平神社があった。この滝は別名「仁王洞の滝」とも言った。滝の近くにある洞の中には蝙蝠が多く生息している。』とあります。
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観光客が頻繁に訪れるスポットではないようですが、周囲はとてもきれいに整備されていて歩きやすくなっていました。
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社殿の奥に続く階段を上ります。
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ここが鳴滝ですね。隣に巌窟があります。
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祠になっています。
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左の柱に照明のスイッチがありました。蝙蝠はいないようです。
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相撲取りみたいな姿です。
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小さな仏像がたくさん並んでいます。
にぎやかな観光地とは一味違った、津和野のディープスポットでした。 -
町の方に戻ります。
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懐かしい看板。
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まだ文化財としての価値は認められていないものの、一昔前の建築というのも懐かしくて見ごたえがあるものです。
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杜塾美術館。津和野藩の筆頭庄屋屋敷を往時のままに復元し、中尾彰、吉浦摩耶画伯絵画を展示しています。ネジネジスカーフの中尾彬さんではなく、津和野生まれの画家、中尾彰(なかおしょう)さんです。
この日は閉館日でした。杜塾美術館 美術館・博物館
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津和野町郷土館。
津和野町郷土館 美術館・博物館
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大正10年(1921)開館という歴史ある郷土館です。現在の建物は昭和15年(1940)に建てられたものらしい。
展示内容よりも歴史を感じさせる展示室自体が面白くて良かったのですが、残念ながら内部撮影は禁止でした。 -
津和野町郷土館に入場すると、養老館の入場券を貰えます。先ほどスルーしてしまったので、改めて養老館に向かいます。
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津和野大橋を渡ります。
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鷺舞モニュメント広場。
鷺舞の銅像の前でポーズをまねして記念撮影をしましょう。津和野 鷺舞の像 名所・史跡
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養老館に入ります。
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養老館は津和野藩の藩校です。私は派手でゴテゴテした装飾がいっぱいついている建物が好きなので、武士の建物はちょっと退屈です。
藩校養老館(津和野町立民俗資料館) 美術館・博物館
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とはいえ森鴎外や西周など数多くの人物を輩出したすごい場所なので、一応まじめな顔をして見学させていただきます。
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養老館の脇を流れる掘割。
お散歩中のワンちゃんが巨大な鯉に向かって吠えています。戦ったら鯉が勝つんじゃないかと思うほど津和野の鯉たちは太っています。 -
ちょっと雨も強くなってきたので津和野コミュニティーセンター(津和野公民館)で休憩します。
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津和野を紹介するビデオが流れていたのでそれを見学しました。
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殿町通りから続く本町通に入りました。
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この通りには歴史ある商家の建物がたくさん残っています。
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看板も味わい深い。
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今市通り。脇道も良い雰囲気です。
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古い通りには必ずと言っていいほどいい感じの酒屋さんがあります。
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魚町通り。昔ここには魚市場があり、日本海側の港から魚を運んでいました。当時の様子は『七浦(萩・須佐・江崎など日本海に面した七つの浦里のこと)めぐって魚がなけりゃ、銭金もって津和野にござれ』と謳われるほど活気があったようです。
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津和野町日本遺産センター。
残念ながらこの日は閉館日。入り口を覗くと岩見神楽で使うヤマタノオロチが飾ってありました。津和野町日本遺産センター 美術館・博物館
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御旅所がありました。
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1617年、弥栄神社の御旅所として「祇園社休堂」をつくったのが始まりと言われています。ちょっと殺風景すぎますね。
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駅に続く通りにあるパブリックアート。トタンのサビが美しいグラデーションを造り出しています。
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ちょっと脇道にそれて津和野川を眺めてから駅に向かいます。
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津和野からバスで萩に向かいます。
山の中を約1時間半走って東萩駅に到着しました。東萩駅 駅
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雨は小降りになっていましたが、とても強い風が吹いています。萩橋を渡って萩観光のメインエリアになる三角州の中に入ります。
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橋を渡ったところにあるプチホテル クランベール。本日からここに2泊します。
プチホテル クランベール 宿・ホテル
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先に夕食を食べてしまいます。ホテルの近くにある、うどんチェーン店「どんどん」に入ります。どうやらここ土原(ひじわら)店が本店らしい。山口県民のソウルフードと言われているそうです。
どんどん 土原店 グルメ・レストラン
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肉ごぼう天うどんとやまかけうどん。それからワカメがまぶされたおにぎり。
刻みネギがすり鉢にたっぷり入って出されます。
モチモチした麺がすごく美味しいうどんでした。私はコシの強いうどんより柔らかくてモチモチ、チュルチュル食べられるうどんの方が好きなので、これは大変気に入りました。
私の中での日本三大うどんが秋田稲庭うどん、博多うどん、そして山口のどんどんのうどんに決定しました。 -
ホテルにチェックイン。
津和野の町を歩き回った後に路線バスの狭い座席にじっとかたまっていたせいで膝がやられました。早めに就寝して明日の観光に備えます。
明日からは2日間萩をじっくり観光します。
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2024年4月14日~19日 山口県周遊旅行
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