2024/03/27 - 2024/03/27
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mistralさん
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2013年、2015年にも、旅の終わりはパリで、とのタイトルで旅行記を投稿していました。
見知った街に戻ってくるとホッと安心したものでした。
コロナ禍を経てのパリの街はどうだったのか、、、
オリンピックを前にしての街の変化は?
実際に旅をした3月からすでに3ヶ月が経ってしまい、いまだに旅行記作成に手間取ってしまっていますが、思い出しながらあと3編?の旅行記を記したいと思います。
(表紙写真は、改装も終わったサマリテーヌ、ポン・ヌフ館、最上階)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
3月27日
パリへ向かう朝。 -
朝食をすませチェックアウト。
-
オルレアン駅に入る手前で、携帯電話が見当たらないことに気づいた。
バッグのいつも入っているポケットに見当たらなかったからだ。
今回の旅に出る前、古い携帯だとシムを入れ替えた際、不具合が起こる恐れがありそうと携帯電話のショップで脅かされた。
それでなくても、写真を撮ろうとすると、その時々でシャッターがおりないなどの不具合が起こっていた。
せっかくの機会でもあるので、思い切って買い替えをしたばかりだった。
駅近のホテルだったので急ぎ引き返し、フロントでわけを話し、部屋まで一緒に行ってもらった。
置き忘れたかと思ったが、部屋には何もなかった。
別の部屋の清掃を始めていたルームキーパーの人に聞いてもらったが、まだそちらの部屋には入っていないからわからない、とのことだった。
仕方なく駅まで引き返し、後ろ髪をひかれつつ予約してあった電車にのった。 -
オルレアン発 10:03
パリ、オーステルリッツ駅着 11:10 のTERだった。
ポワティエに向かう折、TGVを一等にアップグレードした際には座席指定ができたのに、
今回はアップグレードしても座席指定はされていないことが不思議だった。
前日、トゥールの駅でそのわけを聞いてみたらTERだからということが分かった。
一等の車両に乗ったら、席は自由に選んで座ればよいと言われた。
確かに混んではおらず、車両によってはがらがらに開いていた。 -
ところで、紛失したと思っていた携帯電話の行方・・・
席に座って落ち着いてから、バッグの中身を全部取り出して
携帯電話を捜してみたら・・・
思いがけない所(いつも入れておくのと別のポケット)から
出てきて一安心したのでした。
出立前に、慌てて押し込んだのかも。 -
オーステルリッツ駅に到着。
右手にガラス張りの建造物、しかもアールを多用し
無駄に?変形しているようなビル、が見えていて
何?このビルは?!と驚きながら通り過ぎる多くの人。 -
駅舎を出て、そのまま歩いてリヨン駅へ向かう。
右手に見えていた斬新なビルは、
「Le siege de Journal Le Monde」という
ル・モンド紙の新社屋が入った建物で
75周年を記念して建てられたそう。
設計はノルウェーの建築事務所。 -
大通りを渡り
セーヌ川の対岸にあるリヨン駅から地下鉄で
宿泊先まで向かう予定だった。 -
セーヌ川を渡りながらも、まだ気になっていて
後方を振り返りながら、ガラスのビルを見たりして、、、
追記します;手前にある緑色のチューブのようなものが付いた気になっていた建物・1907年築のセーヌ川港の倉庫が全面改修後、2008年、仏モード学院が入り、その後も新たなスペースがオープン。Les Docks-Cite de la Mode et du Designとの名称の建築物。
リヨン駅からは地下鉄1号線でアパートメントへと向かった。
地下鉄駅でICカードのNavigo easyを購入(最初に2ユーロを
支払い。有効期限は10年だそう。)
そこに10回分の乗車券をチャージしてもらった。(CDG行もチャージ可能)
以前は改札口を出たあたりから紙製のティケットが散乱していた
けれど、多少は解消したのかもしれない? -
下車駅は、メトロ1号線にある Louvre Rivoli 駅。
ルーブル美術館への最寄駅で下車。
すでに美術館にいるかのようなシックな駅。 -
最初に行くのは、アパートメントの近くにあるオフィス。
平日の所定の時間はここにスタッフが常駐されている。
ここでチェックインの手続きを済ませてから
滞在するアパートメントまで案内される。 -
アパートメントのあるビル。
オフィスからはすぐの所。 -
入り口。
暗証番号で入る。
内部にはもう一つドアがある。 -
そしてここがアサインされたお部屋。
-
キッチン部分と小さめな食卓にもなりそうなテーブル。
-
-
すぐ近くに老舗百貨店「サマリテーヌ」があるはずと
ひと休みした後、ぶらぶらと向かった。 -
-
-
全面改築されたリヴォリ館。
設計はSANAA(妹島和世・西沢立衛率いる設計事務所)
(日本では21世紀美術館の設計他で有名)
ルーブル美術館ランス館の設計などでフランスでも有名だそう。
波打つようなガラス張りファサードをもつ現代建築だった。
2.7mx3.5mのガラスのパネル343枚を組み合わせて構成されている。
バルセロナの工場で、平面のガラスを一枚一枚型に置き5~8時間
かけてゆっくりと加熱、冷却するというプロセスによって
作られたものだそう。
更に内側には太陽光を反射するガラスと耐熱ガラスを組み合わせ、
実用性をも兼ね備えているそうだ。 -
アール・ヌーヴォー様式として有名な「ポン・ヌフ」館には
すぐに辿り着くことができず
以下の写真は翌日に再挑戦したものです。 -
2001年、ルイ・ヴィトン、ディオールなどのトップメゾンを
所有するLVMHが買収を決定。
その頃には建物のガラスの天井は閉ざされ、ガラスの床はリノリウムへ、
七宝で絵付けされた壁は白く塗られてしまっていたそう。 -
2005年、LVMHはサマリテーヌのリニューアルと
この地区の再開発のため百貨店を閉店。
2021年、新「サマリテーヌ」がグラン・オープンしていた。 -
最上階、孔雀の壁画は
アヴィニョンの工房で修復。パネル状の物を現場で組み合わせ
手作業で継ぎ目を補修し表面を仕上げたそう。
ガラス張りの天井は、フレームは建設当時の色に再現され
エレクトロクロミックガラスと呼ばれる光に応じて色合いが
変化するガラスが新しく採用されたそう。
金属製の手すりも、当時のアール・ヌーヴォー調デザインを
継承しつつ、色調はオリジナルに合わせ明るくリニューアルした。 -
-
-
-
オペラ座近くまで歩くつもりが
やがてサンジャックの塔が見えてきてしまい
方向違いだったことに気づいた。 -
16世紀の建設。
ゴシック・フランボワイヤン様式。
パリの街の中に突然不思議な塔が現れてきて驚かされる。
もともとはサン・ジャック・ドゥ・ブシュリー教会の鐘楼部分だった。
フランス革命時に破壊され、塔のみが残された。
1836年、パリ市が買い取り、周辺広場も整備された。 -
教会が存在していた中世には
サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼道の起点とされていて
この塔は巡礼者にとってのランドマーク的存在だったそうだ。
巡礼者はここにあった教会からセーヌを渡り、サン・ジャック通り
を通り、スペインまでの長い巡礼路を旅立っていったそうだ。
わずか100キロしか歩けなかったけれど、
それでも無事に歩けたことの感謝をこめて、この塔に上がってみたい
と想えど、なかなか実現できていない。(要予約、期間限定)
また、ここでパスカルが大気圧の実験をしたことでも有名。 -
-
方向修正してオペラ座へ到着。
正面は修復工事中だった。
オリンピックに備えてのお色直し中? -
かなり前、オペラ座でバレエの公演を見たいよねと
当日のキャンセル待ちの行列に並んだことがあった。
並びながらだったか、天井桟敷でも良いか(こちらは確率が高い)
それとも、各窓口で売れ残っていた良い席が、当日戻されてくる
分の席を希望するのか聞かれ、後者を選んで待っていた。
やがて次々と呼ばれる中、私たちは正面桟敷の席(Balcon)があたり、同じような選択をしていた近くの人とガッツポーズでお祝いしあったことを思い出した。 -
その折は、当選した喜びを味わう間もなく
急ぎ、座席へ向かってしまったため
豪華な内部をじっくりと見る間もなかった。
今回、夫が、オペラ座の館内見学をしたいと希望し
見学時間の予約をしてあった。 -
-
有名なシャガールの天井画。
パリの有名なモニュメント、エッフェル塔、凱旋門、コンコルド広場、オペラガルニエなどが描かれている。
更に「魔笛」「フィデリオ」「白鳥の湖」などのオペラやパレエの有名作品がモチーフとなっていて、偉大な作曲家とその作品へのオマージュともなっているそう。
今でこそ観客はこの天井画に魅了されて仰ぎ見ているが、当初は不評だったそうだ。メディアには批判が殺到、オペラ座の調和が乱れるというのが、主な趣旨だったようだ。1964年天井画の公開時、メディアからの辛辣な批判に対して、時の文化大臣、アンドレ・マルローはシャガールを同時代の最も偉大な色彩画家であるとし、彼以外にどの芸術家がこのように描けたであろうかと作品を称賛したそうだ。
シャガールは当時77歳。この作品に対して制作料は一切受け取らず、材料費のみを何とか国から受け取ってもらったそうだ。 -
舞台上ではちょうど照明テスト中だった?
-
-
一旦戻って、夕ご飯に再び外出。
-
再びリヨン駅にやって来た。
ここから朝、ディジョンに向かう折には、階段を上がっていって
ひと気のない店内をドア越しに覗いてみた事もあった。
それでも列車に乗る前の時間では、なんとなく気ぜわしいように思えた。
レストランの名前はLe Train Bleu。 -
ディナーは19時スタートだったので予約は19時に、
席のみの予約をしてあった。
店内に入ったら、レセプション近くはお客さんで大賑わい。
予約なしで、オープン目指して来た人たちのようだった。
予約の確認書?をプリントして持参していたのを遠くから
見つけて下さり、すぐに招じ入れられて
席まで案内された。 -
気合を入れて写真を撮ってなかったので
良い写真が見当たらず、、、
Le Train Bleuのホームページより
写真を一枚お借りしました。
さすが、の一枚。 -
コートを預けるクロークもなく
各自でコート、荷物などは席に置く。
旅に出る前に、旅から帰ってきてそのままで
訪れることもありなので、その辺りはカジュアルなものと
なるのだろう。 -
今回きっかけとなったのは
himmelさんの旅行記で、お三人で美味しそうに
お食事なさっているご様子を拝見したからだった。 -
オーダーしたのは
The PLM Menu というコース。
PLMというのはParis Lyon Mediterraneanとの意味のようだ。
すでに季節は変わり
3月当時のメニューは見当たらず、さま変わりしていた。
スターターの一品 (としか書けない。。。) -
mistral が選んだオードブル
-
Train Bleu のロゴの入ったグラスで。
-
メインは鴨にした記憶が。
-
夫のオードブルと
メインはお魚。
付け合わせの野菜は海苔で巻かれていた記憶が。 -
最後のデザートに選んだものは
このお店では有名らしかったが、完食は出来ず。
ラム酒のババ・オ・ラム。 -
夜のリヨン駅構内。
パリで今回の旅が終わると思うと
ちょっぴり感慨深い。。。 -
再び1号線でルーブル・リヴォリ駅へ戻ってきた。
夫によれば、自動運転だった?!と。
(後に実際に確認したところ、先頭部の車両には運転席もなく、全面が窓になっていた。)
そういわれてみれば、乗車した折にはブレーキの効き具合がなめらかでなかったりしていた。
有名どころの多い1号線(と14号線が、更に4号線も加わった?)では自動運転になっていたようだ。
調べてみたら1号線では2011年から自動化されていたそうだが、今頃になって気が付いた。
残された滞在時間、
中世美術館、ロダン美術館、そして最後にノートル・ダムを見て
今回の旅が終わりとなります。
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この旅行記へのコメント (6)
-
- 唐辛子婆さん 2024/07/22 23:45:27
- コンポステラ
- mistralさん
1年間滞在していてニカラグアのアパートメントの名前がコンポステラで
もちろんマークはホタテ貝。スペイン人がオーナーということでした。
そのときはまだ巡礼の印だと言うこともあまりよく知らず。
>サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼道の起点とされていて
>この塔は巡礼者にとってのランドマーク的存在だったそうだ。
>巡礼者はここにあった教会からセーヌを渡り、サン・ジャック通り
>を通り、スペインまでの長い巡礼路を旅立っていったそうだ。
mistaralさんはその道を100kも歩かれたんですね。
それだけでもひれ伏したくなってしまひます。
リヨン駅でもあの緑色っぽいクラシックな階段を上ってなんとかブルーていう名前のレストランでお食事なさったんですね。フランス旅の大先輩コクリコさんが教えてくれてたのにもかかわらず、唐辛子婆はジヴェルニー行きの列車の切符探しにウロウロしててそこには寄らず。惜しいことをしました。
唐辛子婆
- mistralさん からの返信 2024/07/23 11:56:40
- RE: コンポステラ
- 唐辛子さん
こちらにもありがとうございます。
> 1年間滞在していてニカラグアのアパートメントの名前がコンポステラで
> もちろんマークはホタテ貝。スペイン人がオーナーということでした。
> そのときはまだ巡礼の印だと言うこともあまりよく知らず。
ニカラグアに1年間ご滞在ということからも、唐辛子さんがさまざまなバックグラウンドを
お持ちなことが想像されます。
ニカラグアの公用語はスペイン語とありましたから、きっとスペイン人のオーナーさんは
巡礼道を何度も歩かれたんだろうなあ、と思いました。
> mistaralさんはその道を100kも歩かれたんですね。
> それだけでもひれ伏したくなってしまひます。
私が歩いたのは最後の100キロだけで、、、
それもバスが並走してくれる保険付きの巡礼道歩き。
私がしばしばやり取りさせていただいている yunさん とおっしゃる方は
フランスの別の起点のル・ピュイの道を歩き始め、更にそのままスペインをずっと
歩き通されたすごい方で。
その方こそひれ伏すに値する方と思っています。
> リヨン駅でもあの緑色っぽいクラシックな階段を上ってなんとかブルーていう名前のレストランでお食事なさったんですね。フランス旅の大先輩コクリコさんが教えてくれてたのにもかかわらず、唐辛子婆はジヴェルニー行きの列車の切符探しにウロウロしててそこには寄らず。惜しいことをしました。
そんなことがあったんですね。
切符を購入するにかなり手間取った体験は、私も何度もあります。
ライプツィヒまでのティケット購入のためベルリン駅をさんざんウロウロした挙句
やっと辿り着いたと思ったら、最初に探し始めた地点近くだったり。
そんな状況下では、周りの景色までは目がいかなくなって来ますね。
見損なったことがら、味わい損なったことなど、多数あれど
そんな残念な思いには、またいらっしゃいね、と呼ばれている、と思うことに
しています。
どれだけ実現できるのかはわからないですが。
mistral
-
- しにあの旅人さん 2024/06/22 17:35:10
- 懐かしのパリ
- フランスを離れたのは2010年の4月ですから、ほぼ14年後のパリということですね。
それから3回くらいパリに行ってはいますが、あんまり覚えていません。
私の中では昔のパリのまま、時間が止まっています。
オーステルリッツのホームは変わっていないみたいです。あいかわらず貧相。
あんなところにル・モンドが来たのですか。50年前はどこだったのか、覚えていません。新聞はたしか50サンティームくらいだった。旧フランのサンティーム。
フランス語の勉強に1週間に1度は買っていました。毎日買ったって読めない。
セーヌ川に面する草緑の屋根の変な建物は、税関だったような。今はもう違うでしょうね。
Louvre Rivoliの駅は昔からきれいでした。きれいというのは、ゴミが落ちていないという意味です。パリの顔、ルーブルですから、特別にリキをいれて掃除していたのかも。
Samaritaineが開店したのですね。古い方の建物は、外観は変わっていないみたいです。2005年から閉めていたのですか。もっと前から閉まっていたような気がします。その間従業員はどうしていたのでしょう。いらぬお世話です。
Le Train Bleu.たしか一度来たことがあるような気がするのですが、ちゃんと覚えていません。
お料理はヌーベル・キュイジンヌ風ですね。野菜が海苔でまかれていたとは、厨房には日本人がいるかもしれません。だいぶ前から珍しくないらしいですよ。
- mistralさん からの返信 2024/06/23 11:14:46
- RE: 懐かしのパリ
- しにあの旅人さん
こんにちは。
コメントをお寄せいただきまして有難うございました。
しにあさんご夫妻にとりましては数十年暮らされたパリですから、様々な思い出がある地だと思います
> フランスを離れたのは2010年の4月ですから、ほぼ14年後のパリということですね。
> それから3回くらいパリに行ってはいますが、あんまり覚えていません。
> 私の中では昔のパリのまま、時間が止まっています。
日本に戻られてから14年の間に3回、パリにはいらっしゃっているんですね。
観光だけではなかったことでしょうが、あまり記憶には残っていらっしゃらない、、、
昔のままで時間が止まってしまっている、、、
不思議な感じがしました。
今の日本でのお暮しも、仮の日常生活のような感覚でしょうか?
> オーステルリッツのホームは変わっていないみたいです。あいかわらず貧相。
> あんなところにル・モンドが来たのですか。50年前はどこだったのか、覚えていません。新聞はたしか50サンティームくらいだった。旧フランのサンティーム。
> フランス語の勉強に1週間に1度は買っていました。毎日買ったって読めない。
そうでした。昔の通貨はサンティーム。。。
オーステルリッツのホーム、ちらっと旅行記の写真をご覧になっただけで貧相、という雰囲気が伝わるんですね。
その折にはゆっくりと味わう間もなく、まっすぐリヨン駅に向かいました。
通り過ぎていく駅、なのでしょうか。
パリのそれぞれの駅には、それぞれ違った役割があることでしょうね。
> セーヌ川に面する草緑の屋根の変な建物は、税関だったような。今はもう違うでしょうね。
その時も気になっていました。緑色のチューブのようなものが巻き付いているみたいで。
改めて調べてみて追記しました。1907年築、もとは倉庫だったところに2008年、仏モード学院が入り、現在は Les Docks-Cite de la Mode et du Design.
中からのセーヌ川の眺めが素晴らしいとか。ル・モンド社ともども、近くに行ってみたかったです。
> Louvre Rivoliの駅は昔からきれいでした。きれいというのは、ゴミが落ちていないという意味です。パリの顔、ルーブルですから、特別にリキをいれて掃除していたのかも。
きれい、の意味、同感です。まずゴミが散乱していないことが街のきれいの条件ですね。
Louvre Rivoli駅は特に綺麗に感じました。また駅構内の美術館のような設えも。特別なリキ入りなんですね、きっと。
> Samaritaineが開店したのですね。古い方の建物は、外観は変わっていないみたいです。2005年から閉めていたのですか。もっと前から閉まっていたような気がします。その間従業員はどうしていたのでしょう。いらぬお世話です。
長きにわたる休館。確かに多くの従業員問題があったことでしょう。
> Le Train Bleu.たしか一度来たことがあるような気がするのですが、ちゃんと覚えていません。
> お料理はヌーベル・キュイジンヌ風ですね。野菜が海苔でまかれていたとは、厨房には日本人がいるかもしれません。だいぶ前から珍しくないらしいですよ。
もうだいぶ前になりますが、日本に出店を出される前のピエール・ガニエールさんのレストランに行ったことがあります。その時にすでに日本料理の懐石料理スタイルで、小皿がたくさん出てきて驚きました。
また、その後、小さなレストランでメニューが分からないでいたところ、キッチンに日本人がいるからと、彼が出てきて説明してくださったことなど、いろいろ思い出しました。
フランス料理のシェフたちは、かなり早くから日本料理(おだしなど、特に)に注目していたことが分かります。
今回の海苔で巻いた野菜のアイディア、もしかしたら日本人のかたのアイディアかもしれませんね。
mistral
-
- frau.himmelさん 2024/06/18 21:18:07
- ラ・トランブルー\( 'ω')/
- mistralさん、こんばんは。
いよいよパリですね。
何回もいらしゃってるからご自分のお庭に帰られたようなお気持ちなのでは?
そしてご出発間際の携帯電話紛失騒動、私たちも前回の旅で何度もやりましたので、ドキッとしました。あれは本当に心臓には良くないですね。でも見つかって良かった。
オリンピックを数か月後に控えたパリ市内、随分整備されていましたね。
それにしてもmistralさん、建築物のこと、本当にお詳しい。そして日本人の建築家が活躍しているのも嬉しいです。
リヨン駅のラ・トラン・ブルーにいらっしゃったのですね。私の名前を出して下さって大変光栄です。やはり店内は豪華ですね。
パリ編があと数回続くとのこと、オリンピックを間近に控えたパリがどのように変わったのか、楽しみに拝見させていただきます。
himmel
- mistralさん からの返信 2024/06/20 08:49:37
- RE: ラ・トランブルー?( 'ω')/
- himmelさん
おはようございます。
コメントをいただきありがとうございます。
> いよいよパリですね。
> 何回もいらしゃってるからご自分のお庭に帰られたようなお気持ちなのでは?
旅行記の作成に手間取り、なかなかパリに到着できませんでした。
最初のロマネスク探訪に時間ばかりかかったせいですが。
結果、ロワールのシャトー巡りの旅行記など、おざなりなものとなってしまいました。
その点、himmelさんは一つ一つの旅行記に手抜きなくじっくりと取り組まれていて
いつも感心してしまいます。
> そしてご出発間際の携帯電話紛失騒動、私たちも前回の旅で何度もやりましたので、ドキッとしました。あれは本当に心臓には良くないですね。でも見つかって良かった。
だんだん注意力散漫、記憶力の衰えなどが進んできました。
それでなくても体力の低下から、たくさんの予定はこなせなくなってきて、せめてメインは一つ
に絞るようになりました。
> オリンピックを数か月後に控えたパリ市内、随分整備されていましたね。
オリンピック開催を目標に、数多くのプロジェクトがあったことと思いました。
それも新しいものをつくるのでなく、既存のものの整備、改修のようでした。
> それにしてもmistralさん、建築物のこと、本当にお詳しい。そして日本人の建築家が活躍しているのも嬉しいです。
SAANAのお二人は好きな建築家ですから、パリ進出は嬉しいことですね。
自身でも建築に携わっていましたので、どうしても関心が向いてしまいます。
> リヨン駅のラ・トラン・ブルーにいらっしゃったのですね。私の名前を出して下さって大変光栄です。やはり店内は豪華ですね。
勝手ながらhimmelさんのお名前を出させていただきました。すみませんでした。
何度かお店をチラチラみながらリヨン駅から出かけていましたが、旅行記を拝見してはじめて
いつか実際に行かなくては、と思ったのでした。
> パリ編があと数回続くとのこと、オリンピックを間近に控えたパリがどのように変わったのか、楽しみに拝見させていただきます。
今回の旅行記、だんだん息切れしてきています。
なんとか頑張って、せめて帰国しなくてはと思う今日この頃です。
どうぞ宜しくお願いします。
mistral
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