2024/03/26 - 2024/03/26
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mistralさん
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ポワティエからトゥールへとパリに向かって上っていく途上で
気になっていた街があった。
オルレアン、、、
こんな途上でないと、2度と通りかかることはなさそうに思い
思い切って1泊することにした。
なんといっても、中学?高校?の歴史で、イギリス軍に包囲され
陥落寸前だったオルレアンを解放、フランス王になれずにいた
王太子に戴冠式を執り行ったヒロインの街としてあまりに有名
だったが、実際はどんな街なのか興味深かった。
(表紙写真はマルトロワ広場のジャンヌ・ダルク像)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
-
26日、オルレアンへ移動する日はあいにくの雨。
トゥールからオルレアンまで、探していた時刻に直行列車は
見つからず、SNCFのバスがあるようなので予約しておいた。
トゥール駅発 11:15 オルレアン駅着 13:35
たまにバスでの移動も楽しそうだった。
現地に来て駅で時刻表をみたら、直通列車もあったことがわかったけれど
そのままに。 -
かなりの土砂降りの雨となった。
途中の停留所でも次々と乗客は増えて、結構な乗車率だったようだ。 -
オルレアン駅到着後
駅舎の反対側にありそうなホテルに辿り着くのに苦労した
けれど、無事にチェックイン。
ホテルは、Novotel Orleans Centre Gare.
コンパクトな部屋だけれど、一泊の滞在には充分そうだった。 -
雨足は相変わらず激しそうだったが
15時ごろになって意を決して外出。
レピュブリック通りをまっすぐ進んだところに
マルトロワ広場がある。
その中心に立つジャンヌ・ダルク像がみえてきた。 -
イングランドとフランスの間で行われた百年戦争
(1337/11/1~1453/10/19)の終盤に現れた
ジャンヌ・ダルク。
ここオルレアンは百年戦争における重要な場所であり
ジャンヌ・ダルクが有名になったのもまさにここだった。 -
<百年戦争について>
戦争の始まる10年前、フランスでは王朝が断絶。
その血縁関係からイングランド王がフランスの王位継承を主張。
しかしフランス側ではその要求を退けた為対立が生じた。
元々イングランド王はフランスの貴族であり、フランス王の家臣という
立場だった。
12世紀中頃、イングランドでは王の跡継ぎがいなくなり
フランスの貴族だったアンジュー伯ヘンリが王となった。
彼は西フランスとグレートブリテン島にまたがる広大な領土を所有
していたが、西フランスではフランス王の家臣という立場であり
それまでの複雑な関係を清算するべく起きた戦争だった。
フランス王の領土にイングランド王の領土があるのはおかしいという
議論が交わされ、一つの国には一つの言語、一つの領土には
1人の王、という今でいう国境、国家のかたちが出来上がってきた
ことが百年戦争の結果としての大きな意義になったそう。
百年戦争後期になるとフランス内部で2派にわかれての内乱
が起こってくる。そのうちの一派はイングランドと手を組み、
もう一派(オルレアンはこちらの派)をつぶしにかかってきた。 -
1429年、中央フランスの要所となっているオルレアンは
イングランド軍(とフランスの一派と)に包囲されてしまう。
ジャンヌ・ダルクはシノン、ブロアと南西の方角から
オルレアンへやってきた。しかしオルレアンへ向かうには
橋はすでにオルレアン軍によって落とされていたため
ロワール川を船で渡って、無事に上陸を遂げたそうだ。 -
正面に聳えるサント・クロワ大聖堂。
街の東側は手薄だったそうで、まず東を制圧
その後、ロワール川を渡って、川沿いの砦を攻略したそうだ。
(以下のステンドグラスの⑤) -
この大聖堂内に、ジャンヌ・ダルクの生涯を描いた
10枚のステンドグラスがあるということなので
雨の中をやってきた。
1893年~1897年にかけて製作されたそうだ。 -
ところどころに埋め込まれている金属製のメダル?
おそらくジャンヌ・ダルクがデザインされている。
それは横断歩道の印のようです。
普通の白線は美しくないという理由から選ばれたらしい。 -
サント・クロワ大聖堂内部に入った。
-
大聖堂内部にあるジャンヌ・ダルクに関する10枚のステンドグラス
①故郷のドンレミで神のお告げをうけるジャンヌ・ダルク
金の鎧をまとっている大天使ミカエル
ジャンヌ・ダルクにささやいている聖マルグリッド。
1412年、ドンレミーという小さな街(現在のロレーヌ地方)の
比較的裕福な農家に生まれたジャンヌだが、13歳のある日
初めて「声」を聴いた。その声は大天使ミカエルと名乗り、
「イングランド軍からフランスを救え」と語った。
その後も聖女マルガリータ、聖女カテリーナとともに何度も
ジャンヌのもとに現れ、祖国を救うよう告げたそう。
後に魔女裁判にかけられたジャンヌが魔女とされた理由は、
聖ミカエル、聖マルグリッドなどの神や天使の声を
聞いたということから、
・カトリック教会をさしおいて人間が神の声を聴くはずがない、
という理由から魔女とされてしまった。
・また男装をしていたことも、当時カトリックの教えに背いており
このことからも魔女とされてしまった理由とされた。 -
②ヴォークルールの街へ向かう。
1428年から翌年にかけて、地元の守備隊長に、フランス王宮の
あるロワール川のほとりの城まで連れて行ってほしいと願い出た。
初めは頭のおかしい娘だと思われたようだが、もしかしたらこの
苦境を打開してくれるやも、と希望を託されるようになり、
ジャンヌが17歳になった1429年、出立。
守備隊長のロベール・ド・ヴォードリクールは、ジャンヌに
剣と馬を揃え、騎士1人、平騎士1人、従者4人を護衛につけてくれた。 -
3。シノン城で
初対面のシャルル7世に、「王太子殿下に神のご加護が
ありますように」とジャンヌは声をかけた。その場には
王よりも立派な身なりをした貴族たちを列席させており
王は「私は王ではない」と臣下の貴族を指し示したが
ジャンヌはそれに騙されることはなかった。 -
④オルレアン到着
当時は、ロワール川の要衝であるオルレアンは
イングランド軍に包囲され、ここが陥落してしまうと
イングランド軍に中仏、南仏も一挙に制圧されかねないという
危機的状況にあった。更にランスもイングランド軍によって制圧
されており、そのために王太子シャルル(後のシャルル7世)は
戴冠式をあげられず正式に国王を名乗れない状況下にあった。 -
⑤トゥーレル砦の解放
百年戦争のオルレアン解放戦でイングランド軍最大の
拠点となったオルレアン。
オルレアンとロワール川をつなぐ橋のところにイングランド軍
の最大の拠点のトゥーレル砦があり、その砦を落とすことで
イングランド軍の攻城砦全てを制圧、やがてイングランド軍は
撤退していった。
そしてジャンヌ・ダルクは1429年5月8日、オルレアンを解放
することができた。
オルレアンでは毎年この日の前後に「ジャンヌ・ダルク祭」が
開催されるようだ。 -
⑥サンクロワ大聖堂で神に感謝する。
-
⑦シャルル7世、ランスの大聖堂で1429年聖別式を実現させる。
この時の功労者であるジャンヌは
貴族の身分と紋章があたえられたという。 -
⑧コンピエーニュでイングランド軍に捕らえられる。
ここまでは快進撃をとげてきたジャンヌだったが、やがて
王宮の内部対立に巻き込まれていった。
イングランドのフランスからの完全な撤退を目指すジャンヌ派。
一方戦闘の継続を嫌う王宮側。
王宮側から充分な支援を受けられなくなり、戦力をそがれるよう
になってしまう。
1430年5月23日、フランス近郊の街、コンピエーニュで
イングランド側についていたブルゴーニュ軍に捕らえられてしまう。
敵側に捕らえられた騎士は、身代金を支払い解放させるのが慣例
だったが、ジャンヌの為に身代金が支払われることはなかったそう。 -
⑨ルーアンの牢屋に入れられたジャンヌ。
当時、シャルル7世はイギリスと和平交渉をしたかった為
あくまでもパリ進撃をもくろむジャンヌは、王にとって厄介者と
なってしまっていた。
イングランド側は、ジャンヌの宗教性を認めないパリ大学神学部の
協力を得て、ルーアンで異端裁判にかけ、その結果1431年5月30日
ジャンヌの火刑が執行されることとなった。 -
⑩ルーアンのヴュー・マルシェ広場にて火あぶりの刑
にかけられるジャンヌ。
その時ジャンヌは19歳だったそう。
フランスのシャルル7世のご都合とイギリス軍の策略で
魔女裁判にかけられ魔女にされてしまった。 -
その後、ジャンヌを聖女として崇める人々は絶えることがなく
1455~56年にかけて復権裁判が行われる。
1920年には法王庁から正式に聖女に列せられた。
特にフランス革命時や19世紀の共和国再建時などの
フランスの歴史が動く時代にあっては熱狂的な支持を集める
こととなったそうだ。
フランス革命後の国内をまとめあげるため、ナポレオンは
彼女の名を掘り出し、フランスの為に戦うべしと国民を鼓舞
したそうだ。
ここオルレアンなどのゆかりの地では、ジャンヌを
讃える祭りが今でも執り行われているようだ。 -
内陣に向かって右側の奥にある
最後の火刑の場面。
ジャンヌが見た神の姿は、精神疾患があった為、とする
説もあるようだが、果たしてどうだったのか... -
大聖堂近くにあるグロロ邸(Hotel Groslot)へ。
-
ルネサンス様式の立派なお屋敷は
もとはオルレアン市役所だったそう。 -
1552年、オルレアンのジャック・グロロ代官の館
として建てられた。
その後、役場として使われてきた。 -
正面にはジャンヌ・ダルク像。
-
大聖堂との間の通りを通過していくトラム。
-
今でもお役所として結婚式やレセプション等の行事で使われているそうだ。
行事の無い折には、無料で公開されている。
当日は雨降りのせいか、訪れるひとも少なく
入場できたことも含めてラッキーだった。
1982年、グロロ邸の前に新市庁舎が出来たため
お役所としての業務はそちらに以降しているようだ。 -
どこの部屋で撮影したものか、わからなくなってしまった。
左から
ドンレミで、神と出会うジャンヌ
オルレアンでの戦闘の場面
ランスでの王との対面(?)の場面。 -
屋敷内部にはことさらの説明がなく
現在どの部屋がどんな用途で使われているのかわからない。
今だに結婚式などで使用されているため
観光用にすべてが解放されているわけではないためかも。 -
それにしても細部に目を凝らして見てみると
豪華な装飾に驚かされる。 -
-
あっさりとしたステンドグラスだが
外の雨にけむる景色も見えていて、なかなかの眺め。 -
豪華なお部屋だけれど
掛けられていた絵が、暗い印象で、、、 -
1560年、国王フランソワ2世が16歳で亡くなった折を描いた
絵だそう。(1544-1560年)
父はアンリ2世、母はカトリーヌ・ド・メディシス。
スコットランド女王メアリー・スチュアートを王妃とした方。
耳鼻咽喉科系の先天性の持病があった為の早逝。
(あるページには、フランソワ2世はこの館で亡くなったと
ありました。) -
以前の市長の執務室とある。
-
-
この絵は
もしかしたらジャンヌ・ダルク? -
-
なにも行事がない時に見学できるということだったが、
もう少し、説明書きなどがあると良かったのに、と
旅行記を書いていても思った。
左 ラ・イルことエティエンヌ・ド・ヴィニョル
フランスの軍人。百年戦争で活躍した軍人であり、ジャンヌの
戦友であったことで知られる。
右は Charles DUC d‘Orleans と書かれていてオルレアン
の公爵らしいが、もしかしたら王なのかも? -
雨の中に佇む
ジャンヌ・ダルク像と -
サント・クロワ大聖堂。
-
翌日朝のホテルのレストラン。
-
-
オルレアン駅。
いよいよパリに向けて出発する朝。
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この旅行記へのコメント (10)
-
- ドロミティさん 2024/09/01 10:52:12
- 雨のオルレアン
- mistralさん、お久しぶりです。
「雨のオルレアンでジャンヌダルクの軌跡を辿った」
とても興味深く拝見しました。
しっとり雨に濡れたオルレアンの街も素敵ですね。
表紙のジャンヌダルク像の凛とした美しいお顔に
胸を打たれます。
また大聖堂のステンドグラスもmistralさんの
簡潔で分かりやすい解説で一枚一枚つぶさに見ると
感慨も一入です。いつか再訪したいと思いました。
素晴らしい旅行記を見せていただきどうもありがとう
ございました。
ドロミティ
- mistralさん からの返信 2024/09/02 21:21:04
- RE: 雨のオルレアン
- ドロミティさん
私の方こそ、いつも読み逃げばかりで、ご無沙汰しています。
> 「雨のオルレアンでジャンヌダルクの軌跡を辿った」
> とても興味深く拝見しました。
ありがとうございます。
オルレアンという街の名前は、歴史の一コマの街として学んでいても
どこにあるのかも定かではなく、ついつい忘れ去ってしまっていました。
今回トゥールからパリへ戻る途上にあることを発見。
こんな時でないと2度とチャンスは訪れないと思い、思い切って1泊しました。
> しっとり雨に濡れたオルレアンの街も素敵ですね。
当日はしっとりと降る雨、というよりは激しいほどの雨降りに見舞われました。
それでも2度と来れないかもと思い、意を決して街歩きに出かけたのでした。
> 表紙のジャンヌダルク像の凛とした美しいお顔に
> 胸を打たれます。
さすがジャンヌダルクで有名な街。
立派な銅像が広場には立ち、彼女にまつわる施設も多数あるようでした。
どんなお顔だったのかは今となってはわかりませんが、銅像の表情からは
一大事を成し遂げた女性の意志の強さを感じられますね。
> また大聖堂のステンドグラスもmistralさんの
> 簡潔で分かりやすい解説で一枚一枚つぶさに見ると
> 感慨も一入です。いつか再訪したいと思いました。
現地では一枚一枚のステンドグラスを眺めながら、何となくシーンの想像を
するだけでしたが、旅行記を書きながら調べていて、解説されているサイトを
見つけ、引用させていただきました。
コメントをお寄せいただき、ありがとうございました。
mistral
-
- milkさん 2024/06/13 23:06:13
- もう一度行きたいオルレアン
- mistralさん、こんばんは☆
お元気ですか?
フランスの旅行記を拝見させて頂きました。
ジャンヌ・ダルクゆかりの地、オルレアンは私も一度行ったのですが、食いしん坊な私はタルトタタン発祥の地へタルトタタンを食べに行く事がメインだったので、オルレアンは駆け足散策でした(≧▽≦)
大聖堂に着いたのは閉館時間ぎりぎり。
あの美しいステンドグラスを見てはいるのですが、一枚一枚丁寧な解説を読ませて頂いたら「もう一度ゆっくり見たいな~」と、改めて思いました。
フランスの為に戦ったのに、最後は見捨てられて魔女に仕立て上げられ火刑に処されるなんて、本当に可愛そうな人生でしたよね。
私はいつかジャンヌ・ダルクゆかりの地巡りもしたいと思っていて、彼女が生まれた「ドンレミ」にも行きたいと思っています。
その時にオルレアンも再訪したいです。
そうそう、パリのパンテオンにあるジャンヌ・ダルクの連作はご覧になりましたか?
こちらもまた素晴らしかったです。
お話は少し遡りますが、電車の乗り間違い、私も同じことをやりました...。
同じ時間に両方向の電車が来て、なんの迷いもなくみんなが乗り込んでいく方の電車に乗ったら...。
逆方向でした(´Д`)
同じく、次の駅で1時間待ち。
私だけでなくて良かった(≧▽≦)
フランスのロマネスク教会巡りも素敵でしたね。
巡礼街道もいつか行ってみたい場所のひとつです。
この後のパリも楽しみにしていますね。
milk
- mistralさん からの返信 2024/06/14 21:11:13
- RE: もう一度行きたいオルレアン
- milkさん
こんばんは。
こちらこそご無沙汰しております。
それでもmilkさんの旅行記はずっと訪問させていただいてます。
今回のコッツウォルズの旅行記、ゆったりとしたご滞在で、お散歩やらお買い物やら、存分に楽しまれてうらやましい限りでした。
ロンドンから現地発着のツアーで行ったり、最初は英国巡りのツアーだったりでしたから、のんびり滞在してみたいなあ、とかねがねから想っています。
> ジャンヌ・ダルクゆかりの地、オルレアンは私も一度行ったのですが、食いしん坊な私はタルトタタン発祥の地へタルトタタンを食べに行く事がメインだったので、オルレアンは駆け足散策でした(≧▽≦)
発祥の地でいただくタルトタタン、さぞ美味しかったことでしょうね。
> 大聖堂に着いたのは閉館時間ぎりぎり。
> あの美しいステンドグラスを見てはいるのですが、一枚一枚丁寧な解説を読ませて頂いたら「もう一度ゆっくり見たいな?」と、改めて思いました。
> フランスの為に戦ったのに、最後は見捨てられて魔女に仕立て上げられ火刑に処されるなんて、本当に可愛そうな人生でしたよね。
閉館時間ぎりぎり・・・せっかく現地までいかれたのに、残念なことでした。
それでも中に入ることができたのはラッキーでしたね。
大聖堂で、10枚のステンドグラスを見たときには、それぞれの場面の解説はまだ知りませんでした。想像では、あ〜これはドンレミでのことね、などと漠然とわかる程度でした。
旅行記を書いていて、それぞれの場面の解説が分かってくると、もっと現地でしっかりと見ておけばよかった、などと後悔の念が沸き起こりました。
> 私はいつかジャンヌ・ダルクゆかりの地巡りもしたいと思っていて、彼女が生まれた「ドンレミ」にも行きたいと思っています。
> その時にオルレアンも再訪したいです。
ドンレミですか!良いですね。ドンレミ、どこかに書かれていましたが、一種変わった雰囲気のただよう村のようですよ。変わった、というのはうまい表現ではないのかもしれませんが。ジャンヌ・ダルクのような神がかりのような人が出てきそうな・・・という意味だったかも。
> そうそう、パリのパンテオンにあるジャンヌ・ダルクの連作はご覧になりましたか?
> こちらもまた素晴らしかったです。
連作があることは聞いたことがあります。パンテオン、まだ未訪問です。
いつか行ってみる機会があると良いのですが。
> お話は少し遡りますが、電車の乗り間違い、私も同じことをやりました...。
> 同じ時間に両方向の電車が来て、なんの迷いもなくみんなが乗り込んでいく方の電車に乗ったら...。
> 逆方向でした(´Д`)
> 同じく、次の駅で1時間待ち。
> 私だけでなくて良かった(≧▽≦)
サンピエールデコール駅での乗り継ぎの際のことですよね。
あの駅のホームはおおいに問題ありですよね。どれだけ多くの観光客が惑わされたことか。というよりそんな間違いをする方が悪いのでしょうか。
> フランスのロマネスク教会巡りも素敵でしたね。
> 巡礼街道もいつか行ってみたい場所のひとつです。
>
> この後のパリも楽しみにしていますね。
有難うございました。
これから何度旅に出られるかわからない年齢になりました。
それでも健康であればチャンスはあると想い、旅のアンテナは張っておかなくてはと
思っています。
mistral
-
- yunさん 2024/06/13 16:15:02
- ひと味プラス
- mistralさん
いつもながらの判り易い文面に引き込まれつつ、読み進みました。
写真からすると、本降りの雨だったようで
大聖堂まで歩く間にしっとりと濡れてしまったのでは?
外見がレースをまとったようなサント・クロワ大聖堂。
ジャンヌのための「優しさ」をイメージ出来る様な気がします。
ステンドグラスがその表現から新しそうに見えましたが、1890年代製とは!
きっと大切にメンテされているのでしょう。
活躍した人間(特に女性)が、集団のエゴで潰されていく。
現代でも構図は変わらず、人間団子は愚かしいとつくづく思う。
トゥールからパリへの北上、この街を見逃さないのはさすがmistralさん
しかもSNCFバスでの到着とは、旅にひと味プラスでしたね。
オルレアン駅、波打つような曲線の天井を眼に
いよいよ、久々のパリですね。どこを歩かれたのかな~
yun
- mistralさん からの返信 2024/06/13 18:55:45
- RE: ひと味プラス
- yunさん
いつもお立ち寄りと、コメントをいただきまして有難うございます。
現在、どこかの旅の空の下でしょうか?
> 写真からすると、本降りの雨だったようで
> 大聖堂まで歩く間にしっとりと濡れてしまったのでは?
あいにくの大雨となってしまいました。
今回の旅では唯一の雨の一日となりました。
ホテルの部屋に籠ったままでは、どこも訪れることもなく、翌日はパリに発ちますので、思い切って出かけました。
お察しの通り、大聖堂まで辿り着くころには足元はびしょ濡れとなってしまいました。
靴は防水仕様のものでしたから、さほどの被害には会わずに済みましたが。
> 外見がレースをまとったようなサント・クロワ大聖堂。
> ジャンヌのための「優しさ」をイメージ出来る様な気がします。
現地では気づくこともなかったのですが(傘を斜めにして持っていたせいです)写真で見てみたら、塔の上の飾りは王冠のようだし、全体にはまさにレースをまとったような素敵な大聖堂でした。
> ステンドグラスがその表現から新しそうに見えましたが、1890年代製とは!
> きっと大切にメンテされているのでしょう。
思っているようりも年代ものということがわかり、驚きました。
最初は、ジャンヌダルクにちなんだ観光誘致の為に、製作されたもの?と思ってしまいました。
> 活躍した人間(特に女性)が、集団のエゴで潰されていく。
> 現代でも構図は変わらず、人間団子は愚かしいとつくづく思う。
そうですね!
特に今回は、王が、ご自分の都合から、ジャンヌをお払い箱にしたという仕打ちに、腹立たしく想いました。彼女のおかげでランスでは戴冠式まであげることができたのに。
> トゥールからパリへの北上、この街を見逃さないのはさすがmistralさん
> しかもSNCFバスでの到着とは、旅にひと味プラスでしたね。
最初の旅行記でyunさんは、多種類の乗り物を乗り継いでの旅、ということをコメントの中で挙げてくださいました。そういうところに注目くださるのは、yunさんならでは、と想いました。私自身も実はSNCFのバスで到着、ということ自体が、一つの旅の中での密やかな楽しみでもありましたから。だからと言って、決して楽ではなくて、そのバス乗り場はどこにあるの?など余計な心配もあったのですが。
> オルレアン駅、波打つような曲線の天井を眼に
> いよいよ、久々のパリですね。どこを歩かれたのかな?
旅のおわりはパリで、、、ですね。
いよいよパリへ向かう、と思うと、一種独特の高揚感を抱きますね。
細部まで見ていただき、有難うございました。
mistral
-
- ryujiさん 2024/06/13 10:04:36
- 「オルレアンの乙女」を見せて頂きましたよ!
- こんにちは、mistralさん。
タイトルの旅行記「ジャンヌダルクの軌跡を辿る」を拝見で~す。 いやぁ~、素晴らしい!・興味を持っての拝読致しました。
小生も、ジャンヌダルクについてはそこそこの触りは知っていたつもりでした。(フランスの危機を救った・宗教裁判で火刑・国民的ヒロイン)
mistralさんの旅行記を通して、よりいっそうジャンヌダルクが好きになりました。 でもオルレアンは行っていない・行けない自身。 mistralさんと思いを同化する事は所詮無理ですね。
素敵な旅行記です、アリガトmistralさん。
ryuji
- mistralさん からの返信 2024/06/13 18:31:20
- RE: 「オルレアンの乙女」を見せて頂きましたよ!
- ryujiさん
こんにちは。
ご投票と、コメントをいただきまして有難うございました。
> タイトルの旅行記「ジャンヌダルクの軌跡を辿る」を拝見で?す。 いやぁ?、素晴らしい!・興味を持っての拝読致しました。
有難うございます。
今回の旅の旅行記、もたもたしていてなかなか終着地のパリまで辿り着くことができずにおりましたので、あまり時間をかけずに書き上げてしまいました。
あとから、いろいろなことに気づき、手直しをしております。
> 小生も、ジャンヌダルクについてはそこそこの触りは知っていたつもりでした。(フランスの危機を救った・宗教裁判で火刑・国民的ヒロイン)
はい、私もryujiさんと同じ、サワリぐらいの知識しかありませんでしたが、
ジャンヌ・ダルクの活躍した地がオルレアンであることは知っていましたので、思い切って立ち寄ることに致しました。
> mistralさんの旅行記を通して、よりいっそうジャンヌダルクが好きになりました。 でもオルレアンは行っていない・行けない自身。 mistralさんと思いを同化する事は所詮無理ですね。
オルレアンまで足を伸ばすのは、なかなか大変なことです。
今回はパリまで北上していく途上に、その街があることに気がつきました。
思い切って一泊してみて、100年戦争のことなどを改めて調べ、どのような経緯での戦争だったのかなど、やっと理解することができました。
実際の歴史の地に立つ、ということの意味はそこにあるんだろうなあ、など想ったことでした。
> 素敵な旅行記です、アリガトmistralさん。
有難うございました。
mistral
-
- pedaruさん 2024/06/12 06:34:30
- ジャンヌダルク
- mistralさん おはようございます。
子供の頃、映画館でジャンヌダルクの映画を見た記憶があります。
mistralさんの分かりやすい解説を読みながら、ジャンヌダルクの生涯を学ぶことが出来ました。この町で実際に存在した英雄の物語、知っているといないとでは建物を見る目も異なります。
うら若い乙女が、過酷な運命に翻弄され、最後は生きたまま焼かれるとはなんという残酷な話でしょう。
実際に魔女裁判で多くの女性が処刑された歴史は、いかにも優しさに欠けるヨーロッパらしさを物語っている気がします。というよりはいかに宗教の影響が強いか、民衆が愚かだったことを痛感します。
つい最近の戦時中、日本でも天皇を現人神だといって、国民に教え込んでいたくらいですから、油断はなりません。日本人がどこまで現人神だと本当に信じていたかは疑問ですが。
pedaru
- mistralさん からの返信 2024/06/12 22:14:39
- RE: ジャンヌダルク
- pedaruさん
早々にコメントをいただきまして有難うございました。
> 子供の頃、映画館でジャンヌダルクの映画を見た記憶があります。
> mistralさんの分かりやすい解説を読みながら、ジャンヌダルクの生涯を学ぶことが出来ました。この町で実際に存在した英雄の物語、知っているといないとでは建物を見る目も異なります。
映画をご覧になったご記憶がおありなんですね。
私の記憶は、歴史で(いつの時代か?)習ったというものです。
また、何かの本で、火炙りの刑に処されているジャンヌ・ダルクの挿絵を見た記憶もあります。ただ、どういう経過からそのような過酷な運命をたどることになったのかは、正確にはわかっていませんでした。
また、100年戦争によって・・・など読んでみても、???なことばかりでした。
今回、10枚のステンドグラスにコメントをつけるために、100年戦争の経過を学び、やっとジャンヌ・ダルクの短かった生涯に想いを馳せることができるようになりました。
> うら若い乙女が、過酷な運命に翻弄され、最後は生きたまま焼かれるとはなんという残酷な話でしょう。
> 実際に魔女裁判で多くの女性が処刑された歴史は、いかにも優しさに欠けるヨーロッパらしさを物語っている気がします。というよりはいかに宗教の影響が強いか、民衆が愚かだったことを痛感します。
おっしゃる通りですね。
最も過酷な火刑。肉体までもことごとく焼き尽くしてしまい、復活をとげられないようにする、、、という考えは、なんといってもキリスト教の影響が強いものですね。
愚かな民衆を扇動する宗教者や支配者・・・
こんな時代に生まれなかったことを感謝するばかりです。
> つい最近の戦時中、日本でも天皇を現人神だといって、国民に教え込んでいたくらいですから、油断はなりません。日本人がどこまで現人神だと本当に信じていたかは疑問ですが。
「つい最近のこと」としても身近な例がありますね。個々人は現人神の存在をこころの底から信じていなかったとしても、国民全体としての大きなうねりの中にのみ込まれてしまったら、逆らうようなことは出来なかったことと想像します。
旅の途上でも、こうして帰国して(随分時間がたってしまいましたが)旅行記を書いているときでも、様々な学びが、4トラの方々との交流を通してあることは、とても嬉しいことです。
mistral
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旅行記グループ 2024.3 フランス旅
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