2023/12/28 - 2024/01/06
3025位(同エリア4071件中)
RiEさん
旅行6日目(1月2日)、前編。
10:00すぎに出発してHOTELから徒歩圏内にある“出島和蘭商館跡”から観光スタート。2021年GW期間とその前後はコロナ禍で休業していたため、前を通るたびに隙間から見える建物に思いを馳せていた分、期待度も上がる。
1636年に築造された出島は江戸幕府の命により、ポルトガル人によるキリスト教布教を禁止するために岬の突端に人工島を築いてポルトガル人を収容し、1859年に出島和蘭商館が廃止されるまでの218年間に渡って、日本で唯一西欧に開かれた窓として日本の近代化に大きな役割を果たした。
出島和蘭商館の廃止以降は出島周辺の埋め立てが進み1904年には消失したものの、出島復元整備事業により2016年までに16棟の復元建物が完成して、19世紀初めの景観を彷彿とさせる街並みを楽むことができるようになり、異国情緒あふれる長崎の基となったオランダから持ち込まれた蘭学・生活様式・貿易で得た特産品・交流など、発掘調査で出土した資料や当時の生活を再現した部屋を眺めながら残り香を想像した。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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正月らしい穏やかな晴日で迎えた1月2日。
日差しが強くて日向にいると暑いくらいで、何よりもコントラストの激しさに泣かされた。
正面に見える表門は本来川の中央辺りに位置していたそうで、1888年の中島川変流工事の際に18m程削られてしまったため現在は後方に下がっている。出島 名所・史跡
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入館券は大人1人520円。
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表門を抜けるとまるで路地のよう。
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敷地の東西に渡って1本道が伸びていて、建物は1本道を挟んで向かい合うように建っているので、表門正面に位置する乙名詰所をスタート地点にして乙名詰所側の建物を見学しながら西方向に進み、西端に位置する水門から今度は東方向に歩いて行き、旧石倉(考古館)でUターンして乙名詰所に戻ることにした。
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【乙名詰所】
表門から出入りする者を監視するために、出島の日本人管理者である乙名が詰めていた建物。
2階部分が乙名の住居になっていて、夜は島に滞在できない倉庫番役人・夜警番人・オランダ船と出島とを行き来する小船を見張る番人などが日中ここに滞在していた。
乙名職は発祥が元禄以降からの世襲制で、特に江戸時代になってから任命された家柄が多く、長崎の町を支えた町長的な存在だったそう。
長崎の地役人だった乙名は町の支配を任されていて長崎には乙名職が総計85名おり、一般住民の居住する77町の乙名である惣町乙名が77名・丸山町1名・寄合の傾城町1名・唐人屋敷乙名4名・出島乙名2名で構成されていた。 -
復元された襖は当時長崎でオランダ人が造らせた出島の模型を参考に、華やかな花菱唐草で表現されている。
ここは外から覗くだけで立ち入り禁止だけど、基本的に再現された部屋は靴を脱げば見学できるようになっていて、その他の建物は靴を履いた状態で見学できた。 -
【十四番蔵】
かつては砂糖の蔵だった。 -
中に入ると蔵の下の発掘遺構や出島築造の様子を知ることが出来る。
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【筆者蘭人部屋】
オランダ人の書記たちの住居だった建物。 -
出島が貿易や文化交流を通じて、世界と日本各地とつないでいた様子を学べる。
世界のオランダ商館を紹介するコーナーでは、台南やマラッカなどかつて旅行で訪れた場所もあり、このとき点と点が線で繋がった。 -
ヨーロッパへの輸出に向けて制作された染錦手の大壷など、ヨーロッパで貴族や富裕層に装飾品として好まれた品々も展示されている。
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【十六番蔵】
ツルンとした漆喰壁のスリムな蔵はかつての丁子蔵で、現在は企画展示室と収蔵庫になっていて見学出来ない。
丁子とはインドネシアのモルッカ諸島原産の花のつぼみで、更新料や薬の原料になる。 -
【時鐘】
【カピタン部屋】
オランダ商館長=カピタンの事務所や住居として使用されていた出島最大の建物で、日本の役人や大名などが出島を訪れたときの接待場所としても使われていた。 -
1階はかつて商館長の食料と物品の倉庫で中央には通り抜けの土間があり、現在は出島の歴史や生活に関する展示が行われている。
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【商館長の居住空間を再現】
2階では商館長の生活の様子を再現・展示している。 -
靴のまま階段を上っていくけど、入口で脱いでから中へ。
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大玄関
オランダでは玄関にあたる場が接客の場も兼ねていたそうで、1部屋分ありそうな広さだった。 -
15畳の部屋
普段は商館長の事務室として用いられていたと考えられている。
15畳なので狭くは無いけど椅子が多くて圧迫感があった。 -
この建物で私が注目したのは唐紙とシャンデリア。
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天井は西洋風のデザインだけど、和風っぽい色のせいか不思議な印象だった。
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壁面の唐紙は七宝小紋柄を思わせ、遠目だと壁に薄っすら色が付いているようにしか見えなかった。
長押には鏡や絵が飾られているのも、当時の日本人には無い感覚だと思われる。 -
玄関の間
ホールとして使われていたこのスペースには、当時ビリヤード・テーブルが設置されていた。 -
大きく翼を広げた鷹のような彫像が施されたライト。
天井は15畳の部屋と同じデザインだった。 -
バッテンを重ねたような菱型の中に松の木がデザインされた唐紙は、オレンジ色と緑という派手な組み合わせで遠目で見ても煩く感じる。
玄関の間から向かって右側へ。 -
大広間
35畳あるこの広間はカピタン部屋の中でも最大の広さを誇り、部屋幅いっぱいの長いダイニングテーブルが配置されていて、出島の商館員たちは朝夕2回ここに集まり食事をする習慣があったそう。 -
一見ピンク色に見える唐紙も、余白を許さないかのように配置された植物があしらわれていて、遠目で見たときと印象が随分異なる。
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客間
大広間での宴会の際に隣接するこちらの部屋で、笛・太鼓・ヴィオラを召使に奏でさせていた。
ここは大広間と同じ唐紙だけど、こちらは光が差し込まず薄暗いせいか沈んだ色に見える。 -
涼所
カピタン部屋で最も海に近い涼所は建物内で傷みやすい部分だったようで、修理や改築の記録が多く残されている。
ちなみに現在は窓際まで行っても、見えるのは車道だけ。 -
居間
玄関の間に戻ってから向かって左の部屋で、日常的サロンとして使用されていたと考えられている。 -
図書室
居間から向かって右側の部屋には大きな窓があり、明るい日差しが差し込んでいた。
百科事典をはじめとする様々な本を備えていた図書室には、西洋の知識を求める人々が多く訪れたそう。 -
壁面の唐紙は装飾された菱形を、小さな正方形が囲うデザインで落ち着いていた。
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女中部屋
居間から向かって左側の部屋には窓が無いため薄暗く、唐紙も貼られていない。
出島に着任する商館員たちは妻子同行が認められなかったため、出島に入ることが許された唯一の女性であった丸山町や寄合町の遊女たちが使用した部屋だと思われる。 -
17.5畳の部屋
玄関わきにあるこの部屋は商館の重要な事務を執る場所で、日本の役人や通詞との商談も行われたと推定されている。
15畳の部屋と大して変わらないはずなのに、整然と配置されているせいかより広く感じた。 -
菊の紋を重ねたり、散らしたようなデザインの唐紙。
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【ヘルト部屋】
オランダ商館の商館長次席=ヘトルの住居で、1階は出島グッズなどを販売するミュージアムショップになっており、2階は企画展を開催する企画体験調理室なので公開されていない。 -
突き当りに見える水門前を通って、今度は向かいの日差しが当たっている建物側を見学していく。
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【一番船船頭部屋の1階畳の部屋】
オランダ船=一番船の船長や商館員の居宅として使用されていた建物で、正面から見ると2つの建物を中央階段で繋いだような造りになっている。
まず建物に向かって右側の入口に入ってみると1階畳の部屋があり、中には上がれないため入口の土間から鑑賞した。 -
畳が小上がりになっているせいか天井は若干低めな印象だけど、2間続きになっていて広い。
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立て看板には「唐紙は一番船船頭部屋の模型を参考に小花柄七宝を採用した」と書いてあるものの、私には豊かな花びらを持つ大振りの花に見える。
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【倉庫】
建物に向かって左側の入口の1階は倉庫として使用されており、記録によるとこの土間には天秤と分銅、木炭と砂糖の不良品などが置かれていた。 -
中央の入口から入ると1階は簀の子と靴箱が並んでいるので靴を脱ぐ。
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一般的な階段よりも少し幅がある階段を上がって2階へ。
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オランダ商館員の部屋
階段上がって右側にある最初の部屋は、オランダ商館の事務官が暮らしていた居間と寝室が再現されている。 -
部屋入口に仕切りがあるため廊下から見学するのだけど、あまり物が置かれていないせいか広々していた。
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隣室は寝室になっていて、これらの家具はインドネシアのジャカルタから持ち込むか長崎の職人に注文していた。
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一番船船長の部屋
19世紀初頭の出島には夏になるとオランダの貿易船が2隻来航するのが通例で、先に到着する一番船の船長が出港する11月頃まで滞在したのが、廊下を挟んで向かい合うように並ぶこの部屋。
ちなみに船員たちは船の中で生活したそうで雲泥の差である。 -
オランダ商館員の部屋は各部屋に入口が設けられていたけど、一番船船長の部屋は階段に接しているので居間しか出入口が無く、寝室は玄関側に配置されていた。
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【二番蔵】
3個並ぶ蔵の中で1番大きく、主に輸入品である蘇木=染料が収められていた蔵。
蘇木とはスオウという木の枝のことを指す。 -
ちなみに二番蔵は入口が閉ざされており、表から入れないので一番蔵か三番蔵から入って見学することに。
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【一番蔵】
輸入品である砂糖が収められていた蔵で、傷んだサトウキビを収めていたという記録も。 -
ここでは建造物復元事業の紹介や、一番蔵の基礎遺構が展示されていた。
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蔵の奥には壁が無く、その先に中島川が見えた。
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屋根のない通路を歩いて隣の二番蔵へ移動。
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【二番蔵】
貿易と文化の交流をテーマに出島に出入りした様々な貿易品や、発掘された二番蔵の遺構のパネル展示が行われていた。 -
【三番蔵】
砂糖のほか様々な輸入品が収められていた蔵で、当時の様子を再現した麻袋が積まれていた。 -
【拝礼筆者蘭人部屋】
建物の2階に、帳簿などの筆記を行うオランダ人の首席事務員が住んでいた建物。
1階は土の中から水銀が検出されたことから、工房や医薬関係など特殊な仕事が行われていたと推測されている。 -
中に入ると2階の階段は上がることが出来ないため1階のみが見学可能で、出島から入ってきた蘭学を展示・紹介していた。
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【旧石倉】
入口に「考古館」と書かれたこの建物は幕末の商社の石倉で、現在は出島の発掘調査によって出土した考古資料を展示している。 -
1階はヨーロッパの陶器関連や、出島に滞在していた商館員の生活に関連する説明が中心で見応えがあり、足元は石畳になっていた。
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階段を上がって2階へ。
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鎖国期の西洋陶器がテーマになっていて、伝統ある陶器ブランドについてもいくつか紹介があった。
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いかにもイギリス的な染付図柄の六角蓋付鉢。
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こちらはオランダの銅板。
ここでUターンして、乙名詰所側に1つ残していた建物を見学する。 -
【組頭部屋・銅蔵】
乙名の補佐役である組頭の名前が入っているけど、出島の主要な輸出品だった銅を保管していた建物。 -
銅蔵に納められた棹銅はオランダ船へ船積みする前に、再計量してから取引が行われており、荷改めの作業と呼ばれていた。
この時オランダ商館員と日本人役人双方が立ち合い、オランダ製の測りが使用されていたとのこと。 -
炉跡遺構と呼ばれるこちらは、銅蔵の出入口西側から床面を掘って火を起こした跡が幾つも見つかっている。
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1階奥では輸出用の棹銅が一時保管されていた様子が再現されており、輸出用の棹銅は同じ大きさの木箱に納められていた。
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1本の重さ:半斤=300gの棹銅がこのように200本詰められている様子。
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階段を上がって2階に行くと、吹き抜けになっていて天井が高いのに何も置かれていなかったので明るい方へ。
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2階のテラス部分あたる場所にガラスケースがあり、中には輸入品の鮫皮が収められていた。
この先のエリアでは、明治時代に建てられた2つの建物を展開している。 -
【旧長崎内外クラブ】
組頭部屋・銅蔵と道を挟んだ同じ並びにあるこの建物は1903年にイギリス人のF・リンガーによって建てられた洋風建築で、1階は長崎の食をテーマにしたレストランになっている。 -
小さなエレベーターが付いているけど、これはレストラン用。
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居留地時代の展示は2階で行われているので靴のまま階段を上がる。
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居留地制度が廃止されて壁がなくなった外国人と日本人の一層の友好を目的に、1899年にT・B・グラバーの息子である倉場富三郎や荘田平五郎などを発起人とし、長崎に在留する外国人と日本人の親交の場として設立された。
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左壁面に見えるのは植物の装飾が施された重厚感あるデザインの長崎内外会員名札入れで、下は暖炉になっていた。
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当時ここに名札を納めた人は皆、新しい交流に期待を込めていたはず。
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長崎内外クラブはホール・図書室・ビリヤード台・バーなどが置かれて、明治から昭和にかけ華やかな運営がなされていたそうで、その面影を垣間見ることが出来た。
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【陶製の門柱】
旧長崎内外クラブの向かいにあるこの門柱は、1954年に長崎市立博物館からこの地に移設されたもので、オランダのマーストリヒトの窯で制作された刻印が刻まれている。出島 陶製の門柱 名所・史跡
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【キャピタン橋と葡萄棚】
1798年の大火前後に描かれた出島の絵図を参考に造られ、庭園整備の一環として1965年に設置された。 -
【ミニ出島】
海に浮かぶ扇形の全体像が見渡せた。 -
【旧出島神学校】
1878年に建てられた現存する日本最古のキリスト教(プロテスタント)神学校で、1910年以降は病院として使用されていたのもを、長崎市が保存のため買い取って補修工事を行っている。
こちらは裏側にあたるので建物内を通って正面へ。 -
鮮やかなブルーの暖炉タイルが目を惹く。
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ポーチは石畳で少し凸凹していた。
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正面から撮影しようとしたら激しいコントラストに泣かされる。
一応ここが出島の東端。 -
再び表門から表門橋を通って外へ。
扇型をした出島の外壁を眺めながら鎖国時代、日本と西欧を結ぶ唯一の窓口だった重要性を改めて考えさせられた。
この後は長崎新地中華街でランチを食べてから、旧唐人屋敷跡周辺を散策する予定。
続きは08へ。
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