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 来年の干支・辰の写真素材を求めて,畳108畳の双龍図のある建仁寺を訪ね、安井金比羅宮、八坂の塔、高台寺、八坂神社など、祇園界隈を散策しました。

2023 秋・京都祇園界隈の散策

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2023/10/26 - 2023/10/26

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T.バイソン

T.バイソンさん

この旅行記スケジュールを元に

 来年の干支・辰の写真素材を求めて,畳108畳の双龍図のある建仁寺を訪ね、安井金比羅宮、八坂の塔、高台寺、八坂神社など、祇園界隈を散策しました。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
グルメ
3.5
交通
4.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
私鉄 徒歩

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  •  阪急・京都河原町駅から歩いて建仁寺へ向かいます(約8分)。<br /><br /> 写真は、途中の高瀬川沿い

     阪急・京都河原町駅から歩いて建仁寺へ向かいます(約8分)。

     写真は、途中の高瀬川沿い

    高瀬川 自然・景勝地

  •  鴨川(団栗橋)を渡ります。

     鴨川(団栗橋)を渡ります。

    団栗橋 名所・史跡

  • 建仁寺西門<br /><br /> 惣門とも呼ばれる、江戸時代後期の文化年間(1804~18年)に建てられた、本瓦葺切妻造の四脚門。京都府指定文化財となっています。

    建仁寺西門

     惣門とも呼ばれる、江戸時代後期の文化年間(1804~18年)に建てられた、本瓦葺切妻造の四脚門。京都府指定文化財となっています。

  • 勅 使 門<br />               <br /> 平重盛の六波羅邸の門又は平教盛の館門を移築したものと言われる、銅板葺切妻造の四脚門で、柱や扉に戦乱の矢の痕があることから、矢の根門、矢立門とも呼ばれています。国の重要文化財です。

    勅 使 門
                   
     平重盛の六波羅邸の門又は平教盛の館門を移築したものと言われる、銅板葺切妻造の四脚門で、柱や扉に戦乱の矢の痕があることから、矢の根門、矢立門とも呼ばれています。国の重要文化財です。

  • 三 門<br />                <br /> 池越しの一枚。「望闕楼」の扁額が見えます。御所を望む楼閣という意味です。

    三 門
                    
     池越しの一枚。「望闕楼」の扁額が見えます。御所を望む楼閣という意味です。

  •  空門、無相門、無作門の三解脱門。江戸時代末期に静岡県浜松市の安寧寺に建立され、大正12年(1923年)に移築された、本瓦葺入母屋造の楼門で、国の重要文化財となっています。

    イチオシ

    地図を見る

     空門、無相門、無作門の三解脱門。江戸時代末期に静岡県浜松市の安寧寺に建立され、大正12年(1923年)に移築された、本瓦葺入母屋造の楼門で、国の重要文化財となっています。

  •  楼上には、釈迦如来、迦葉尊者、阿難尊者、十六羅漢が安置されています。

     楼上には、釈迦如来、迦葉尊者、阿難尊者、十六羅漢が安置されています。

  • 楽神廟(楽大明神)<br />                                         <br /> 江戸時代前期に建てられた、桟瓦葺一間社流見世棚造の祠。栄西禅師の母親が岡山吉備津神社の末社である楽の社にお参りし、夢に明星を見て禅師を身籠ったという逸話に由来して「明星殿」とも呼ばれています。

    楽神廟(楽大明神)
         
     江戸時代前期に建てられた、桟瓦葺一間社流見世棚造の祠。栄西禅師の母親が岡山吉備津神社の末社である楽の社にお参りし、夢に明星を見て禅師を身籠ったという逸話に由来して「明星殿」とも呼ばれています。

  •  智慧明瞭・学徳増進・記憶力増進の功徳があるとされ、丑年生まれ・寅年生まれの守り本尊でもあります。

     智慧明瞭・学徳増進・記憶力増進の功徳があるとされ、丑年生まれ・寅年生まれの守り本尊でもあります。

  •  祠の近くにこんな花が咲いていました。

     祠の近くにこんな花が咲いていました。

  • 開山堂楼門<br />              <br /> 手前に「千光祖師栄西禅師入定塔」の碑が立つ、開山の栄西禅師を祀る塔頭の開山堂の楼門。栄西禅師は1215年に入場したといわれます。

    開山堂楼門
                  
     手前に「千光祖師栄西禅師入定塔」の碑が立つ、開山の栄西禅師を祀る塔頭の開山堂の楼門。栄西禅師は1215年に入場したといわれます。

  • 茶 碑<br />                   <br /> 栄西禅師は、茶祖とも呼ばれ、宋から茶の作法を日本に伝えました。

    茶 碑
                       
     栄西禅師は、茶祖とも呼ばれ、宋から茶の作法を日本に伝えました。

  • 法 堂<br />              <br /> 明和2年(1765年)に建立。中国南宋時代の仏教書『無門関』第6則の「世尊拈華」に由来し、「拈華堂(ねんげどう)」と呼ばれる仏殿です。

    法 堂
                  
     明和2年(1765年)に建立。中国南宋時代の仏教書『無門関』第6則の「世尊拈華」に由来し、「拈華堂(ねんげどう)」と呼ばれる仏殿です。

    建仁寺 寺・神社・教会

    まるで美術館のような趣き by T.バイソンさん
  • 方 丈<br />              <br /> 建仁寺は、日本における臨済宗の開祖である栄西禅師が、建仁2年(1202年)に、鎌倉将軍源頼家の援助を受けて、京都における臨済宗の拠点として建立した、京都最古の禅寺です。

    方 丈
                  
     建仁寺は、日本における臨済宗の開祖である栄西禅師が、建仁2年(1202年)に、鎌倉将軍源頼家の援助を受けて、京都における臨済宗の拠点として建立した、京都最古の禅寺です。

    建仁寺 寺・神社・教会

    まるで美術館のような趣き by T.バイソンさん
  •  本坊に入場(拝観料1人600円)<br /><br /> スミソニアン国立アジア美術館開館100周年を記念して、同館が所蔵する門外不出の日本美術の複製を展示する特別展「スミソニアン国立アジア美術館の名宝 ~高精細複製品による里帰り~」が開催されていました。<br /><br /> 写真は、俵屋宗達の「扇面散図屏風」です。

     本坊に入場(拝観料1人600円)

     スミソニアン国立アジア美術館開館100周年を記念して、同館が所蔵する門外不出の日本美術の複製を展示する特別展「スミソニアン国立アジア美術館の名宝 ~高精細複製品による里帰り~」が開催されていました。

     写真は、俵屋宗達の「扇面散図屏風」です。

  •  阿吽の双龍図を求めて法堂へ<br /><br /> 平成14年(2002年)に、建仁寺開創800年を記念して小泉淳作が、麻紙と呼ばれる丈夫な和紙に、中国明代最上の墨房「程君房」の墨を使用して約2年の歳月をかけて描いたものです。

    イチオシ

     阿吽の双龍図を求めて法堂へ

     平成14年(2002年)に、建仁寺開創800年を記念して小泉淳作が、麻紙と呼ばれる丈夫な和紙に、中国明代最上の墨房「程君房」の墨を使用して約2年の歳月をかけて描いたものです。

  •  通常の天井画の雲龍図では、一匹の龍が描かれることが多く、二匹の龍の天井画は珍しい。

     通常の天井画の雲龍図では、一匹の龍が描かれることが多く、二匹の龍の天井画は珍しい。

  •  縦11.4m、横15.7m、畳108畳もあります。2018年訪問時は、真下まで行けましたが、現在は柱に囲われてた部分には進めません。

    イチオシ

     縦11.4m、横15.7m、畳108畳もあります。2018年訪問時は、真下まで行けましたが、現在は柱に囲われてた部分には進めません。

  •  色々なアングルで撮影します。

     色々なアングルで撮影します。

  •  須弥壇には、本尊の釈迦如来坐像と脇侍に迦葉尊者、阿難尊者の立像が安置されています。また、西側の祖師堂には、栄西禅師の塑像を中心に建仁寺に因縁の深い日中禅僧の位牌を、東側の土地堂には、建仁寺の守護神である張大帝を祀っています。

     須弥壇には、本尊の釈迦如来坐像と脇侍に迦葉尊者、阿難尊者の立像が安置されています。また、西側の祖師堂には、栄西禅師の塑像を中心に建仁寺に因縁の深い日中禅僧の位牌を、東側の土地堂には、建仁寺の守護神である張大帝を祀っています。

  •  方丈に戻ります。

     方丈に戻ります。

  • 俵屋宗達の「雲龍図屏風」(右側)

    俵屋宗達の「雲龍図屏風」(右側)

  • 俵屋宗達の「雲龍図屏風」(左側)

    俵屋宗達の「雲龍図屏風」(左側)

  • 俵屋宗達の「松島図屏風」

    俵屋宗達の「松島図屏風」

  • 海北友松の「雲龍図襖」

    海北友松の「雲龍図襖」

  • 阿形の龍図<br /><br /> 部屋を前述の松島図屏風で区切られていたので、全面を見ることはできませんでした。

    阿形の龍図

     部屋を前述の松島図屏風で区切られていたので、全面を見ることはできませんでした。

  • 吽形の龍図

    吽形の龍図

  • 方丈の扁額

    方丈の扁額

  • 方丈の広間<br /><br /> 2018年訪問時には大書院のガラスケースに入れられていた「風神雷神図屏風」がこちらに展示されていました。

    方丈の広間

     2018年訪問時には大書院のガラスケースに入れられていた「風神雷神図屏風」がこちらに展示されていました。

  •  建仁寺の襖や屏風は、キャノンの文化財未来継承プロジェクトにより高精細デジタル複製されたものなので、写真撮影できるのはうれしい。<br /><br /> https://global.canon/ja/tsuzuri/works/18.html

    イチオシ

     建仁寺の襖や屏風は、キャノンの文化財未来継承プロジェクトにより高精細デジタル複製されたものなので、写真撮影できるのはうれしい。

     https://global.canon/ja/tsuzuri/works/18.html

  • 風神図(拡大)

    風神図(拡大)

  • 雷神図(拡大)

    雷神図(拡大)

  • 海北友松の「竹林七賢図襖」

    海北友松の「竹林七賢図襖」

  • 大 雄 苑<br /><br /> 方丈前の庭園

    大 雄 苑

     方丈前の庭園

  • 海北友松の「山水図襖」

    海北友松の「山水図襖」

  • 尾形光琳の「群鶴図屏風」

    尾形光琳の「群鶴図屏風」

  • 海北友松の「琴棋書画図屏風」

    海北友松の「琴棋書画図屏風」

  • 狩野光信の「四季花木草花下絵山水図押絵貼屏風」

    狩野光信の「四季花木草花下絵山水図押絵貼屏風」

  • 海北友松の「花鳥図襖」

    海北友松の「花鳥図襖」

  • 葛飾北斎の「遊女図」

    葛飾北斎の「遊女図」

  • 葛飾北斎の「年始回りの遊女図」

    葛飾北斎の「年始回りの遊女図」

  • 葛飾北斎の「源氏物語・早蕨図」

    葛飾北斎の「源氏物語・早蕨図」

  • 葛飾北斎の「琵琶に白蛇図」

    葛飾北斎の「琵琶に白蛇図」

  • 葛飾北斎の「蟹尽くし図」

    葛飾北斎の「蟹尽くし図」

  • 葛飾北斎の「雲龍図」

    葛飾北斎の「雲龍図」

  • 納骨堂<br /><br /> 周囲が少し紅葉し、秋の訪れを感じます。

    納骨堂

     周囲が少し紅葉し、秋の訪れを感じます。

  •  赤い実をたわわにつけた木

     赤い実をたわわにつけた木

  •  赤い実を拡大

     赤い実を拡大

  •  庭にも下りてみました。

     庭にも下りてみました。

  • 田村月樵碑

    田村月樵碑

  •  ヒノキの実でしょうか。<br /><br /><br /> 大書院に移ります。

     ヒノキの実でしょうか。


     大書院に移ります。

  • 葛飾北斎の「富士田園景図」(左側)

    葛飾北斎の「富士田園景図」(左側)

  • 葛飾北斎の「富士田園景図」(右側)

    葛飾北斎の「富士田園景図」(右側)

  •  屏風の後ろに隠れて、細川護熙の「達磨大師」

     屏風の後ろに隠れて、細川護熙の「達磨大師」

  • 葛飾北斎の「十二ケ月花鳥図」(右側)

    葛飾北斎の「十二ケ月花鳥図」(右側)

  • 葛飾北斎の「十二ケ月花鳥図」(左側)

    葛飾北斎の「十二ケ月花鳥図」(左側)

  • 葛飾北斎の「玉川六景図」(右側)

    葛飾北斎の「玉川六景図」(右側)

  • 葛飾北斎の「玉川六景図」(左側)<br /><br /> ガラスケースの映り込みが残念です。

    葛飾北斎の「玉川六景図」(左側)

     ガラスケースの映り込みが残念です。

  • 潮 音 庭<br /><br /> 縁側に設けられた椅子に腰かけ、いまだ残る緑に癒されました。

    潮 音 庭

     縁側に設けられた椅子に腰かけ、いまだ残る緑に癒されました。

  •  潮音庭越しに小書院に展示された屏風を望みます。<br /><br /><br /> 小書院に移ります。

     潮音庭越しに小書院に展示された屏風を望みます。


     小書院に移ります。

  • 池田狐邨の「紅葉に流水・山景図屏風」(表側)

    池田狐邨の「紅葉に流水・山景図屏風」(表側)

  • 池田狐邨の「紅葉に流水・山景図屏風」(裏側・左)

    池田狐邨の「紅葉に流水・山景図屏風」(裏側・左)

  • 池田狐邨の「紅葉に流水・山景図屏風」(裏側・右)

    池田狐邨の「紅葉に流水・山景図屏風」(裏側・右)

  • 唐子の間<br /><br /> 田村月樵の「唐子遊戯図」<br /><br /> <br /><br />

    唐子の間

     田村月樵の「唐子遊戯図」

     

  • 葛飾北斎の「雷神図」

    葛飾北斎の「雷神図」

  • ○△□乃庭

    ○△□乃庭

  • 北 門 <br /><br /> 江戸時代前期の寛永年間(1624~45年)に建てられた、本瓦葺高麗門。京都府指定文化財となっています。<br /><br /><br /><br /> 北門から歩いて花井金比羅宮へ(約5分)

    北 門 

     江戸時代前期の寛永年間(1624~45年)に建てられた、本瓦葺高麗門。京都府指定文化財となっています。



     北門から歩いて花井金比羅宮へ(約5分)

  • 安井金比羅宮<br />                <br /><br /> 写真は北門の鳥居です。

    安井金比羅宮
                    

     写真は北門の鳥居です。

  •  素朴な感じの犬の像がありました。

     素朴な感じの犬の像がありました。

  •  2体の対になって置かれています。

     2体の対になって置かれています。

  •  京都の「縁切り神社」として有名。藤原鎌足がお堂を創建して紫色の藤を植え、藤寺と号したのが始まりで、崇徳天皇が久安2年(1146年)に堂塔を修造。治承元年(1177年)に後白河法皇の命により光明院観勝寺を建立したのが起源。応仁の乱の兵火により荒廃しましたが、元禄8年(1695年)に太秦安井(京都市右京区)にあった蓮華光院がこの地に移建され、その鎮守として崇徳天皇に加えて、讃岐の金刀比羅宮より勧請した大物主神と、源頼政公を祀ったことから「安井の金比羅さん」の名で知られるようになり、維新の後、蓮華光院を廃して「安井神社」と改称し、更に「安井金比羅宮」と改めて現在に至っています。

     京都の「縁切り神社」として有名。藤原鎌足がお堂を創建して紫色の藤を植え、藤寺と号したのが始まりで、崇徳天皇が久安2年(1146年)に堂塔を修造。治承元年(1177年)に後白河法皇の命により光明院観勝寺を建立したのが起源。応仁の乱の兵火により荒廃しましたが、元禄8年(1695年)に太秦安井(京都市右京区)にあった蓮華光院がこの地に移建され、その鎮守として崇徳天皇に加えて、讃岐の金刀比羅宮より勧請した大物主神と、源頼政公を祀ったことから「安井の金比羅さん」の名で知られるようになり、維新の後、蓮華光院を廃して「安井神社」と改称し、更に「安井金比羅宮」と改めて現在に至っています。

    安井金比羅宮 寺・神社・教会

    縁切り縁結び碑が人気 by T.バイソンさん
  • 縁切り縁結び碑<br /><br /> 願掛けのために穴をくぐる参拝客で行列ができていました。

    イチオシ

    縁切り縁結び碑

     願掛けのために穴をくぐる参拝客で行列ができていました。

  •  東門への参道です。

     東門への参道です。

  • 東門の大鳥居

    東門の大鳥居

  • 高台寺の鳥居<br /><br /><br /> 歩いて八坂の塔方面へ(約6分)

    高台寺の鳥居


     歩いて八坂の塔方面へ(約6分)

  •  八坂の塔が見えてきました。

     八坂の塔が見えてきました。

  • 八坂の塔<br />       <br /> 法観寺の五重塔で、崇峻天皇5年(592年)に聖徳太子が創建したと伝わります。何度となく焼失し、現在の塔は、永享12年(1440年)に将軍足利義教の援助により再建されたものです。重要文化財

    八坂の塔
           
     法観寺の五重塔で、崇峻天皇5年(592年)に聖徳太子が創建したと伝わります。何度となく焼失し、現在の塔は、永享12年(1440年)に将軍足利義教の援助により再建されたものです。重要文化財

    法観寺 (八坂の塔) 寺・神社・教会

    祇園の撮影ポイント by T.バイソンさん
  •  八坂の塔の袂にある、「京八坂」さんで昼食。ポテトフライの入ったちょっと変わった丼物をいただきました。2階の窓からは八坂の塔がよく見えました。

     八坂の塔の袂にある、「京八坂」さんで昼食。ポテトフライの入ったちょっと変わった丼物をいただきました。2階の窓からは八坂の塔がよく見えました。

    京八坂 グルメ・レストラン

    1000円均一。ちょっと変わった丼 by T.バイソンさん
  •  二寧坂(二年坂)方面へ(約3分)

     二寧坂(二年坂)方面へ(約3分)

  •  二年坂の道標

     二年坂の道標

    二年坂 名所・史跡

    多くの観光客で溢れていた by T.バイソンさん
  •  高台寺表門まで歩きます(約3分)

     高台寺表門まで歩きます(約3分)

  • 高台寺表門<br /><br /> 加藤清正によって伏見城に建てられたものを移築したと言われる、本瓦葺切妻造三間薬医門。国の重要文化財。現在は、門としては使用されておらず、通行できません。

    高台寺表門

     加藤清正によって伏見城に建てられたものを移築したと言われる、本瓦葺切妻造三間薬医門。国の重要文化財。現在は、門としては使用されておらず、通行できません。

  • 高 台 寺<br /><br /> 正式名称を「鷲峰山高台寿聖禅寺」といい、慶長11年(1606年)に、豊臣秀吉の菩提を弔うため、正室であった北政所(ねね)が創建。当初は曹洞宗として開山しましたが、寛永元年(1624年)に、建仁寺の三江紹益を中興開山に招聘し、臨済宗に改宗しました。<br /><br /><br /><br /> <br /> 左に曲がって「ねねの道」を歩いて台所坂へ向かいます。

    高 台 寺

     正式名称を「鷲峰山高台寿聖禅寺」といい、慶長11年(1606年)に、豊臣秀吉の菩提を弔うため、正室であった北政所(ねね)が創建。当初は曹洞宗として開山しましたが、寛永元年(1624年)に、建仁寺の三江紹益を中興開山に招聘し、臨済宗に改宗しました。



     
     左に曲がって「ねねの道」を歩いて台所坂へ向かいます。

  •  ねねの道の道標。台所坂へ

     ねねの道の道標。台所坂へ

    ねねの道 名所・史跡

  • 台 所 坂<br /><br /> 北政所が高台院屋敷(現在の永興院)から秀吉の菩提を弔うために高台寺に通った道で、木々の緑に包まれた緩やかな坂道。訪問時はまだ色付いていなったが、紅葉スポットとしても有名

    台 所 坂

     北政所が高台院屋敷(現在の永興院)から秀吉の菩提を弔うために高台寺に通った道で、木々の緑に包まれた緩やかな坂道。訪問時はまだ色付いていなったが、紅葉スポットとしても有名

  • 台 所 門

    台 所 門

  •  庫裡の前は、工事の資材置き場となっていました。残念(&gt;_&lt;)<br /><br /><br /> 入場します(拝観料1人600円)

     庫裡の前は、工事の資材置き場となっていました。残念(>_<)


     入場します(拝観料1人600円)

    高台寺 寺・神社・教会

    小方丈の再建工事中 by T.バイソンさん
  •  受付を抜けたところから、祇園閣が見通せました。

     受付を抜けたところから、祇園閣が見通せました。

  • 遺 芳 庵<br />           <br /> 天下の名妓とうたわれた吉野太夫と太夫を見受けした豪商灰屋紹益の好みに造られた趣のある茶室です。

    遺 芳 庵
               
     天下の名妓とうたわれた吉野太夫と太夫を見受けした豪商灰屋紹益の好みに造られた趣のある茶室です。

  • 開 山 堂<br />          <br /> 創建時に建立された本瓦葺入母屋造の仏堂で、当初は高台院の持仏堂でしたが、その後中興開山である三江紹益の塔所となったもので、重要文化財に指定されています。手前の池は、偃月池です。

    開 山 堂
        
     創建時に建立された本瓦葺入母屋造の仏堂で、当初は高台院の持仏堂でしたが、その後中興開山である三江紹益の塔所となったもので、重要文化財に指定されています。手前の池は、偃月池です。

  •  方丈と開山堂を結び、偃月池に架る屋根付きの楼船廊には、重要文化財の観月台があり、高台院が亡き秀吉を偲びながら月を眺めたといいます。

    イチオシ

     方丈と開山堂を結び、偃月池に架る屋根付きの楼船廊には、重要文化財の観月台があり、高台院が亡き秀吉を偲びながら月を眺めたといいます。

  •  堂内には三江禅師の座像、北政所の兄である木下家定夫妻の木像、高台寺の普請に尽力した堀直政像が祀られており、天井には、北政所の御所車の天井と、秀吉が使用した御座船の天井が使われています。天井画の「龍図」は狩野山楽の作です。

     堂内には三江禅師の座像、北政所の兄である木下家定夫妻の木像、高台寺の普請に尽力した堀直政像が祀られており、天井には、北政所の御所車の天井と、秀吉が使用した御座船の天井が使われています。天井画の「龍図」は狩野山楽の作です。

  • 臥 龍 廊<br />             <br /> 臥龍池に架る、開山堂と霊屋を結ぶ屋根付きの階段で、龍の背に似ているところからこの名が付けられました。

    臥 龍 廊
                 
     臥龍池に架る、開山堂と霊屋を結ぶ屋根付きの階段で、龍の背に似ているところからこの名が付けられました。

  •  臥龍池や偃月池を含む、小堀遠州作の庭園は、桃山時代を代表する庭園として知られ、国指定史跡・名勝となっています。

     臥龍池や偃月池を含む、小堀遠州作の庭園は、桃山時代を代表する庭園として知られ、国指定史跡・名勝となっています。

  • 霊 屋<br />                  <br /> 北政所の墓所で、檜皮葺宝形造の堂。中央の厨子に大随求菩薩(だいずいぐぼさつ)像が安置され(秘仏)、右の厨子に豊臣秀吉の坐像、左の厨子には高台院の片膝立木像がそれぞれ安置されています(写真撮影不可)。厨子の扉には秋草、松竹など、須弥壇には楽器など、「高台寺蒔絵」と呼ばれる蒔絵が施されています。

    霊 屋
                      
     北政所の墓所で、檜皮葺宝形造の堂。中央の厨子に大随求菩薩(だいずいぐぼさつ)像が安置され(秘仏)、右の厨子に豊臣秀吉の坐像、左の厨子には高台院の片膝立木像がそれぞれ安置されています(写真撮影不可)。厨子の扉には秋草、松竹など、須弥壇には楽器など、「高台寺蒔絵」と呼ばれる蒔絵が施されています。

  • 臥 龍 廊<br /><br /> 霊屋から見下ろした写真です。

    臥 龍 廊

     霊屋から見下ろした写真です。

  • 傘 亭<br />       <br /> 正式には安閑窟といい、伏見城から移築された茅葺宝形造の茶室で、竹で組まれた天井の形が唐傘に似ているところからその名で呼ばれています。重要文化財

    傘 亭
           
     正式には安閑窟といい、伏見城から移築された茅葺宝形造の茶室で、竹で組まれた天井の形が唐傘に似ているところからその名で呼ばれています。重要文化財

  • 時 雨 亭<br />         <br /> こちらも伏見城から移築されたもので、傘亭で廊下で繋がった、二階建ての茶室。慶長20年(1615年)の大坂夏の陣の際には、高台院が2階から燃え落ちる大坂城の天守を見つめていたといいます。

    時 雨 亭
             
     こちらも伏見城から移築されたもので、傘亭で廊下で繋がった、二階建ての茶室。慶長20年(1615年)の大坂夏の陣の際には、高台院が2階から燃え落ちる大坂城の天守を見つめていたといいます。

  • 竹林の道<br /><br /><br /> ここを抜けて出口へと向かいます。

    竹林の道


     ここを抜けて出口へと向かいます。

  • 高台寺天満宮<br />         <br /> 高台寺創建に際し、北政所が綱敷天満宮の祭神菅原道真公を勧請して高台寺の鎮守社としたもの

    高台寺天満宮
             
     高台寺創建に際し、北政所が綱敷天満宮の祭神菅原道真公を勧請して高台寺の鎮守社としたもの

  • 霊山観音<br />      <br /> 太平洋戦争で没した日本兵を慰霊するため、昭和30年(1955年)に帝産オート(現・帝産観光バス)社長の石川博資によって建立された、高さ約24mの観音座像。駐車場から撮影

    霊山観音
          
     太平洋戦争で没した日本兵を慰霊するため、昭和30年(1955年)に帝産オート(現・帝産観光バス)社長の石川博資によって建立された、高さ約24mの観音座像。駐車場から撮影

    霊山観音 名所・史跡

    大きさに圧倒 by T.バイソンさん
  •  台所坂を下って、八坂神社方面へ

     台所坂を下って、八坂神社方面へ

  • 祇 園 閣   <br />                <br />  昭和3年(1928年)に、近代日本を代表する建築家伊東忠太の設計により、大倉財閥の創始者大倉喜八郎の別荘であった真葛荘に建築された、下層及び基礎部分を鉄筋コンクリート造、中層以上を鉄骨鉄筋コンクリート造とする3階建ての望楼で、高さは約36mあり、祇園祭の鉾をモチーフとした造りとなっています。屋根が銅板葺きなのは、大倉が金閣、銀閣に次ぐ銅閣として作ろうとした所以です。国の登録有形文化財

    祇 園 閣   
                    
     昭和3年(1928年)に、近代日本を代表する建築家伊東忠太の設計により、大倉財閥の創始者大倉喜八郎の別荘であった真葛荘に建築された、下層及び基礎部分を鉄筋コンクリート造、中層以上を鉄骨鉄筋コンクリート造とする3階建ての望楼で、高さは約36mあり、祇園祭の鉾をモチーフとした造りとなっています。屋根が銅板葺きなのは、大倉が金閣、銀閣に次ぐ銅閣として作ろうとした所以です。国の登録有形文化財

  •  手前に見えているのは、1807年に建立された大雲院南門。大雲院は、天正15年(1587年)、織田信長とその子信忠の菩提を弔うため、正親町天皇の勅命により、当初信忠が自害した二条新御所の跡地に創建され、その後2度の移転により、昭和48年(1973年)に真葛荘の建物に移転しました。大雲院という名は信忠の戒名から採られたものです。

     手前に見えているのは、1807年に建立された大雲院南門。大雲院は、天正15年(1587年)、織田信長とその子信忠の菩提を弔うため、正親町天皇の勅命により、当初信忠が自害した二条新御所の跡地に創建され、その後2度の移転により、昭和48年(1973年)に真葛荘の建物に移転しました。大雲院という名は信忠の戒名から採られたものです。

  • 八坂神社<br />               <br /> 全国に約2,300社あるある八坂神社や祇園信仰神社の総本社。主祭神は素戔嗚尊(すさのをのみこと)で、薬師如来を本地仏とします。<br />                    <br /> 写真は、正保3年(1646年)に建立された明神鳥居で、寛文2年(1662年)に地震で倒壊しましたが、寛文6年(1666年)に補修再建されました。国の重要文化財

    八坂神社
                   
     全国に約2,300社あるある八坂神社や祇園信仰神社の総本社。主祭神は素戔嗚尊(すさのをのみこと)で、薬師如来を本地仏とします。
               
     写真は、正保3年(1646年)に建立された明神鳥居で、寛文2年(1662年)に地震で倒壊しましたが、寛文6年(1666年)に補修再建されました。国の重要文化財

  • 南 楼 門<br />                <br /> 高さ約14m、幅約9mの銅板葺入母屋造、三間一戸門で、慶応2年(1866年)に火災で焼失したものを、明治12年(1879年)に再建。こちらが八坂神社の正門です。国の重要文化財

    南 楼 門
       
     高さ約14m、幅約9mの銅板葺入母屋造、三間一戸門で、慶応2年(1866年)に火災で焼失したものを、明治12年(1879年)に再建。こちらが八坂神社の正門です。国の重要文化財

  • 舞 殿<br />             <br /> 慶応2年(1866年)に火災で延焼したものを、明治7年(1847年)に再建

    舞 殿
                 
     慶応2年(1866年)に火災で延焼したものを、明治7年(1847年)に再建

  • 本 殿<br />            <br /> 現在の建物は、徳川4代将軍家綱によって、承応3年(1654年)に再建。檜皮葺入母屋造りで、神社建築としては最大規模の建物。令和2年(2020年)に国宝に指定

    本 殿
                
     現在の建物は、徳川4代将軍家綱によって、承応3年(1654年)に再建。檜皮葺入母屋造りで、神社建築としては最大規模の建物。令和2年(2020年)に国宝に指定

    八坂神社 寺・神社・教会

    祇園観光の定番スポット by T.バイソンさん
  • 西 楼 門<br />                     <br /> 応仁の乱により焼失していたが、明応6年(1497年)に再建された、境内最古の建物。永禄年間に檜皮葺きから瓦葺きに改築され、大正14年(1925年)に翼廊が追加され、現在の形となる。

    西 楼 門
        
     応仁の乱により焼失していたが、明応6年(1497年)に再建された、境内最古の建物。永禄年間に檜皮葺きから瓦葺きに改築され、大正14年(1925年)に翼廊が追加され、現在の形となる。

  •  通りを渡ったところから、西楼門の全景を撮影<br /><br /><br /> 鴨川方面へ歩いて(約8分)

    イチオシ

    地図を見る

     通りを渡ったところから、西楼門の全景を撮影


     鴨川方面へ歩いて(約8分)

  •  花見小路の前を通り過ぎ

     花見小路の前を通り過ぎ

  •  南座の前を通り過ぎ

     南座の前を通り過ぎ

    京都四條 南座 (阿国歌舞伎発祥の地) 名所・史跡

  •  鴨川(四条大橋)を渡ります。

     鴨川(四条大橋)を渡ります。

    四条大橋 名所・史跡

  •  白鷺が翼を広げてくれました。

     白鷺が翼を広げてくれました。

    鴨川 自然・景勝地

    野鳥を眺めながら小休憩 by T.バイソンさん
  •  カモが雌雄並んで泳いでいました。

     カモが雌雄並んで泳いでいました。

    鴨川 自然・景勝地

    野鳥を眺めながら小休憩 by T.バイソンさん
  •  最後に川鵜が羽を広げて<br /><br /><br /><br /> 阪急・京都河原町から帰途に

     最後に川鵜が羽を広げて



     阪急・京都河原町から帰途に

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