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東海道をゆるゆると西下しながら、岡崎に到着。<br />十数年ぶりの岡崎ですが、前回は夕方到着で天守に<br />登れなかったので、今回が初登城です。<br />大河ドラマの中心地で週末と重なったこともあり、<br />岡崎城は多くの観光客で賑わっていました。

愛知訪問2023④(大河ドラマは見ていないけれど、東海道西下旅。徳川家康出生の城:岡崎市Ⅰ・岡崎城、岡崎公園)

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2023/05/26 - 2023/05/28

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旅行記グループ 愛知訪問

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赤い彗星

赤い彗星さん

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東海道をゆるゆると西下しながら、岡崎に到着。
十数年ぶりの岡崎ですが、前回は夕方到着で天守に
登れなかったので、今回が初登城です。
大河ドラマの中心地で週末と重なったこともあり、
岡崎城は多くの観光客で賑わっていました。

旅行の満足度
3.5
  • 名鉄に乗って豊川稲荷駅から、東岡崎駅に到着。<br />岡崎城を目指します。

    名鉄に乗って豊川稲荷駅から、東岡崎駅に到着。
    岡崎城を目指します。

    東岡崎駅

  • 岡崎市を流れる乙川に掛けられた、床材にヒノキを使用した桜城橋を通って対岸に渡ります。歩行者専用の広い橋で、橋上には屋根付きの休憩所なども設けられており、涼しく過ごすことが出来るようになっています。

    岡崎市を流れる乙川に掛けられた、床材にヒノキを使用した桜城橋を通って対岸に渡ります。歩行者専用の広い橋で、橋上には屋根付きの休憩所なども設けられており、涼しく過ごすことが出来るようになっています。

    桜城橋 名所・史跡

  • 乙川のこの辺りは、河川敷はあまりないようですが、護岸工事で両岸が整備されています。

    乙川のこの辺りは、河川敷はあまりないようですが、護岸工事で両岸が整備されています。

  • 桜城橋を渡り終えた場所には、鹿の角の兜を被り、名槍「蜻蛉切」を携えた、徳川四天王の一人:本多忠勝の石像が建っていました。<br />家康に過ぎたるものと例えられたり、50数度の合戦に出て怪我一つ負わず、豊臣秀吉に東の本多忠勝、西の立花宗茂と称賛されるなど、数多くの逸話を持つ猛将ですね。

    桜城橋を渡り終えた場所には、鹿の角の兜を被り、名槍「蜻蛉切」を携えた、徳川四天王の一人:本多忠勝の石像が建っていました。
    家康に過ぎたるものと例えられたり、50数度の合戦に出て怪我一つ負わず、豊臣秀吉に東の本多忠勝、西の立花宗茂と称賛されるなど、数多くの逸話を持つ猛将ですね。

  • 徳川四天王の中で最年長の酒井忠次の石像。<br />石像となっている太鼓の逸話は知りませんでしたが、内政・外交で徳川家を支え続けるだけでなく、多くの武功も立てた知勇兼備の武将ですね。<br />この先の国道1号線を渡った場所には、四天王の残り二人、榊原康政と井伊直政の石像が建っています。

    徳川四天王の中で最年長の酒井忠次の石像。
    石像となっている太鼓の逸話は知りませんでしたが、内政・外交で徳川家を支え続けるだけでなく、多くの武功も立てた知勇兼備の武将ですね。
    この先の国道1号線を渡った場所には、四天王の残り二人、榊原康政と井伊直政の石像が建っています。

  • 乙川沿いに鎮座している菅生神社。<br />東岡崎駅から見ると、岡崎公園の少し手前に位置しています。

    乙川沿いに鎮座している菅生神社。
    東岡崎駅から見ると、岡崎公園の少し手前に位置しています。

    菅生神社 寺・神社・教会

    岡崎最古の神社 by 赤い彗星さん
  • 境内に鎮座している稲荷大明神。<br />神亀2年(724年)に山城国から稲荷大明神が観請され、歴代岡崎城主に厄除け・開運の祈願所として厚く信仰されていたそうです。

    境内に鎮座している稲荷大明神。
    神亀2年(724年)に山城国から稲荷大明神が観請され、歴代岡崎城主に厄除け・開運の祈願所として厚く信仰されていたそうです。

  • 菅生神社は、日本武尊が創建した岡崎最古の神社です。<br />日本武尊が東国を平定する際に立ち寄ったこの地で、矢をご神体に伊勢の大神を祀る様に仰せになり、吹矢大明神として祀る様になったそうです。

    菅生神社は、日本武尊が創建した岡崎最古の神社です。
    日本武尊が東国を平定する際に立ち寄ったこの地で、矢をご神体に伊勢の大神を祀る様に仰せになり、吹矢大明神として祀る様になったそうです。

  • 社殿右側には、岡崎菅生東照宮が鎮座しています。

    社殿右側には、岡崎菅生東照宮が鎮座しています。

  • 岡崎菅生東照宮の社殿。<br />正保2年(1645年)岡崎城主の水野忠善により、東照宮が合祀され、徳川家康を祀るようになりました。

    岡崎菅生東照宮の社殿。
    正保2年(1645年)岡崎城主の水野忠善により、東照宮が合祀され、徳川家康を祀るようになりました。

  • 乙川と殿橋。

    乙川と殿橋。

  • 岡崎公園の周辺は、河川敷がイベントスペースになっているようです。

    岡崎公園の周辺は、河川敷がイベントスペースになっているようです。

  • 竹千代通りと名付けられた川沿いを歩いていると、岡崎城天守が見えてきました。

    竹千代通りと名付けられた川沿いを歩いていると、岡崎城天守が見えてきました。

  • 岡崎公園内の飲食店前に飾られていた、徳川家康の歯朶を象った兜を被った武者人形。段ボール製の二頭身人形です。

    岡崎公園内の飲食店前に飾られていた、徳川家康の歯朶を象った兜を被った武者人形。段ボール製の二頭身人形です。

  • 本丸と持仏堂曲輪の間に設けられた清海堀。<br />岡崎城最初の築城者である西郷頼嗣の法名から、名付けられたそうです。<br />本丸側は土塁のままですが、持仏堂曲輪側は改修により石垣になっています。

    本丸と持仏堂曲輪の間に設けられた清海堀。
    岡崎城最初の築城者である西郷頼嗣の法名から、名付けられたそうです。
    本丸側は土塁のままですが、持仏堂曲輪側は改修により石垣になっています。

  • 清海堀の辺りから撮った天守。<br />木々に挟まれていますが、ここが一番天守の全景が見られるかもしれません。

    清海堀の辺りから撮った天守。
    木々に挟まれていますが、ここが一番天守の全景が見られるかもしれません。

    岡崎城 名所・史跡

    徳川家康生誕の城 by 赤い彗星さん
  • 天守横に鎮座居している龍城神社。<br />御祭神として、徳川家康と徳川四天王の一人、本多忠勝が祀られているそうです。

    天守横に鎮座居している龍城神社。
    御祭神として、徳川家康と徳川四天王の一人、本多忠勝が祀られているそうです。

  • 天守前には松が植えられており、天守入口側から写真を撮ると、天守が隠れてしまいます。

    天守前には松が植えられており、天守入口側から写真を撮ると、天守が隠れてしまいます。

  • 天守入口部分の石垣。<br />城内でも最も古い石垣の一つで、関ケ原以前の田中吉政が城主だった時代に築かれた石垣と推測されています。

    天守入口部分の石垣。
    城内でも最も古い石垣の一つで、関ケ原以前の田中吉政が城主だった時代に築かれた石垣と推測されています。

  • 天守内部に展示されている、往時の岡崎城のミニチュア。<br />本丸を中心に何重もの曲輪で囲まれており、小さな出丸や馬出も設けられている事から、実戦に備えた守りの固い城郭だったようです。

    天守内部に展示されている、往時の岡崎城のミニチュア。
    本丸を中心に何重もの曲輪で囲まれており、小さな出丸や馬出も設けられている事から、実戦に備えた守りの固い城郭だったようです。

  • 天守からの龍城神社方面の風景。<br />本丸御殿などが残っていれば、このような風景だったんでしょうね。

    天守からの龍城神社方面の風景。
    本丸御殿などが残っていれば、このような風景だったんでしょうね。

  • 天守からの乙川方面の風景。

    天守からの乙川方面の風景。

  • 竹千代少年の石像が飾られた石のベンチ。

    竹千代少年の石像が飾られた石のベンチ。

  • その横には、徳川家康公の石像が飾られた石のベンチ。

    その横には、徳川家康公の石像が飾られた石のベンチ。

  • 廃城令により明治6年に破却された天守は、1959年再建されました。

    廃城令により明治6年に破却された天守は、1959年再建されました。

  • 岡崎城の空堀。<br />後世の改修により、石垣が築かれている個所も多く残っていますが、元々は土塁などで形成された土の城だったようです。

    岡崎城の空堀。
    後世の改修により、石垣が築かれている個所も多く残っていますが、元々は土塁などで形成された土の城だったようです。

  • 岡崎公園内に建てられた徳川家康銅像。

    岡崎公園内に建てられた徳川家康銅像。

  • 岡崎公園内の「どうする家康」大河ドラマ館。

    岡崎公園内の「どうする家康」大河ドラマ館。

    岡崎公園 花見

  • 1993年に再建された岡崎城の大手門。<br />現在の大手門は、往時の岡崎城大手門とは違う場所に再建されたそうです。

    1993年に再建された岡崎城の大手門。
    現在の大手門は、往時の岡崎城大手門とは違う場所に再建されたそうです。

  • 岡崎城下東海道二十七曲りの記念碑。<br />岡崎城主であった田中吉政が、東海道を城下町に組み込み、城の防衛と街道筋に多くの店舗並べる事による経済的な効果を狙って、岡崎二十七曲りと呼ばれる曲がりくねった街道を整備したそうです。

    岡崎城下東海道二十七曲りの記念碑。
    岡崎城主であった田中吉政が、東海道を城下町に組み込み、城の防衛と街道筋に多くの店舗並べる事による経済的な効果を狙って、岡崎二十七曲りと呼ばれる曲がりくねった街道を整備したそうです。

  • 蜻蛉切を片手に鹿角の兜を被った本多平八郎忠勝の銅像。

    蜻蛉切を片手に鹿角の兜を被った本多平八郎忠勝の銅像。

  • 木々の茂みの間から、顔を覗かせる岡崎城天守。

    木々の茂みの間から、顔を覗かせる岡崎城天守。

  • 三方ヶ原の戦いで武田軍に大敗した後に、生涯この負け戦を忘れないように、自分の姿を描かせたと云われる徳川家康の姿を石像にしたものです。<br />初めて絵図を見た際には、どちらかと云えば豊臣秀吉っぽい肖像画だなと思っていました。

    三方ヶ原の戦いで武田軍に大敗した後に、生涯この負け戦を忘れないように、自分の姿を描かせたと云われる徳川家康の姿を石像にしたものです。
    初めて絵図を見た際には、どちらかと云えば豊臣秀吉っぽい肖像画だなと思っていました。

  • 岡崎公園内の隅にひっそりと佇む東照公産湯の井戸。<br />岡崎城内で家康が産まれた際の産湯に、この井戸の水が使われたと伝わっています。

    岡崎公園内の隅にひっそりと佇む東照公産湯の井戸。
    岡崎城内で家康が産まれた際の産湯に、この井戸の水が使われたと伝わっています。

  • 岡崎公園横を流れる伊賀川。この先で乙川と合流します。<br />護岸も整備されていて、川と云うより水堀や用水路のようにも見える小さな川です。

    岡崎公園横を流れる伊賀川。この先で乙川と合流します。
    護岸も整備されていて、川と云うより水堀や用水路のようにも見える小さな川です。

  • 岡崎市のマンホール蓋には、岡崎城がデザインされています。

    岡崎市のマンホール蓋には、岡崎城がデザインされています。

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