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岡崎城見学の後、歩いて15分程の場所にある愛知環状鉄道の<br />中岡崎駅に向かって移動。<br />電車に乗って徳川家菩提寺の大樹寺に向かう前に、<br />駅近くの八丁味噌工場を見学する事にしました。<br />

愛知訪問2023⑤(東海道西下旅。徳川家の菩提寺:岡崎市Ⅱ・カクキュー八丁味噌の郷、大樹寺)

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2023/05/26 - 2023/05/28

219位(同エリア788件中)

旅行記グループ 愛知訪問

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赤い彗星

赤い彗星さん

この旅行記のスケジュール

2023/05/26

  • 15分

  • 5分

  • 5分

  • 15分

この旅行記スケジュールを元に

岡崎城見学の後、歩いて15分程の場所にある愛知環状鉄道の
中岡崎駅に向かって移動。
電車に乗って徳川家菩提寺の大樹寺に向かう前に、
駅近くの八丁味噌工場を見学する事にしました。

旅行の満足度
4.5
  • 岡崎城から、歩いて約15分のカクキュー八丁味噌の郷に到着。<br />これから味噌工場を見学をします。

    岡崎城から、歩いて約15分のカクキュー八丁味噌の郷に到着。
    これから味噌工場を見学をします。

  • 平日は1時間おき、週末は30分おきに工場見学ツアーが実施されているので、受付で見学予約を済ませます。

    平日は1時間おき、週末は30分おきに工場見学ツアーが実施されているので、受付で見学予約を済ませます。

  • 本日も朝から歩き通しのため、工場見学の予約時間まで味噌ソフトクリームを食べて暫し休憩。予約時間になると、ガイドしてくれる社員さんに続いて工場見学開始です。

    本日も朝から歩き通しのため、工場見学の予約時間まで味噌ソフトクリームを食べて暫し休憩。予約時間になると、ガイドしてくれる社員さんに続いて工場見学開始です。

  • 工場入場時に目にしたカクキューの看板が掛かったレトロな建物の裏側。

    工場入場時に目にしたカクキューの看板が掛かったレトロな建物の裏側。

  • こちらは味噌蔵。現在は扉が閉められていますが、見学ツアーの最後に中を見せて貰えます。

    こちらは味噌蔵。現在は扉が閉められていますが、見学ツアーの最後に中を見せて貰えます。

  • 奥行きのある蔵の間には、味噌をつけるタルが置かれています。

    奥行きのある蔵の間には、味噌をつけるタルが置かれています。

  • 石垣の上に建物が建っていますが、これは水害対策なんだとか。<br />この辺りは昔は川が氾濫する事が多く、大事な味噌が水に浸からないように、石垣で土台を高くしてから建物を建てているそうです。

    石垣の上に建物が建っていますが、これは水害対策なんだとか。
    この辺りは昔は川が氾濫する事が多く、大事な味噌が水に浸からないように、石垣で土台を高くしてから建物を建てているそうです。

  • 現在はあまり見かけなくなった、古いタイプの給水塔が建っていました。<br />長い期間、工場で活躍し続けているのかもしれませんね。

    現在はあまり見かけなくなった、古いタイプの給水塔が建っていました。
    長い期間、工場で活躍し続けているのかもしれませんね。

  • 江戸時代、岡崎領と多領の境界線を示していた傍示石。

    江戸時代、岡崎領と多領の境界線を示していた傍示石。

  • 工場見学用の展示を集めた資料館のようなところで、カクキューの歴史や味噌づくりの説明をしてくれます。

    工場見学用の展示を集めた資料館のようなところで、カクキューの歴史や味噌づくりの説明をしてくれます。

  • 工場見学用の資料館入口に展示されている味噌運搬用の樽と看板。

    工場見学用の資料館入口に展示されている味噌運搬用の樽と看板。

  • 見学ルートとなっている建物から、歩いてきた通路を振り返った風景。<br />昔から残る古い街並みのような工場内の風景。

    見学ルートとなっている建物から、歩いてきた通路を振り返った風景。
    昔から残る古い街並みのような工場内の風景。

  • 古いカクキューの看板が飾られていました。<br />看板には、後に豊臣秀吉となる日吉丸少年と後に秀吉の股肱の臣となる蜂須賀小六が矢作橋で出会い、日吉丸少年が蜂須賀小六の手下になったという言い伝えのシーンが描かれています。しかし矢作橋が架けられた1601年には、すでに豊臣秀吉が亡くなっていたため、後の世の創作ということです。

    古いカクキューの看板が飾られていました。
    看板には、後に豊臣秀吉となる日吉丸少年と後に秀吉の股肱の臣となる蜂須賀小六が矢作橋で出会い、日吉丸少年が蜂須賀小六の手下になったという言い伝えのシーンが描かれています。しかし矢作橋が架けられた1601年には、すでに豊臣秀吉が亡くなっていたため、後の世の創作ということです。

  • 江戸時代の味噌屋の番台が再現されています。<br />大河ドラマ「どうする家康」の主人公:徳川家康役の松本潤さんが、撮影でこちらの番台に座ったとガイドさんが説明されていました。

    江戸時代の味噌屋の番台が再現されています。
    大河ドラマ「どうする家康」の主人公:徳川家康役の松本潤さんが、撮影でこちらの番台に座ったとガイドさんが説明されていました。

  • 全て人力で重い荷物を背負って登ったり降りたり、一度腰を痛めた事がある身としては、想像するだけで恐ろしい。。

    全て人力で重い荷物を背負って登ったり降りたり、一度腰を痛めた事がある身としては、想像するだけで恐ろしい。。

  • 味噌造りの様子を再現した展示。巨大な樽に味噌を漬け込む必要があるため、樽の中にも人が入り、階段を作って原料を運び込んでいたんですね。

    味噌造りの様子を再現した展示。巨大な樽に味噌を漬け込む必要があるため、樽の中にも人が入り、階段を作って原料を運び込んでいたんですね。

  • 天保年10年(1839)に製造された、カクキューで最も古い六尺樽。

    天保年10年(1839)に製造された、カクキューで最も古い六尺樽。

  • 樽の底面には、樽の製造年が記載されています。

    樽の底面には、樽の製造年が記載されています。

  • 資料館の出口を出ると、先ほど見かけた給水塔の裏側に出ました。

    資料館の出口を出ると、先ほど見かけた給水塔の裏側に出ました。

  • 工場見学ツアーの最後は、現在も使用している味噌蔵見学です。<br />先程、扉の閉まっていた建物の入口部分から、建物内部を見せてくれます。

    工場見学ツアーの最後は、現在も使用している味噌蔵見学です。
    先程、扉の閉まっていた建物の入口部分から、建物内部を見せてくれます。

  • 現在でも樽の上には、重しの石を積み上げているんですね。<br />大きな漬物石をきれいに三角錐のピラミッド型に積み上げています。<br />穴太衆のような技術が伝わっているのかも。<br />工場見学ツアーは、最後に赤味噌のお味噌汁を振舞ってくれ、お土産に味噌パウダーも頂けました。

    現在でも樽の上には、重しの石を積み上げているんですね。
    大きな漬物石をきれいに三角錐のピラミッド型に積み上げています。
    穴太衆のような技術が伝わっているのかも。
    工場見学ツアーは、最後に赤味噌のお味噌汁を振舞ってくれ、お土産に味噌パウダーも頂けました。

  • カクキューでの工場見学後、歩いて5分の愛知環状鉄道の中岡崎駅から、大門駅に到着。

    カクキューでの工場見学後、歩いて5分の愛知環状鉄道の中岡崎駅から、大門駅に到着。

    大門駅

  • 愛知環状鉄道の存在は、今回の旅行で初めて知ったのですが、高架の鉄道路線なんですね。無人駅では、ホームに設置されている整理券発券機で整理券を手に入れてから、乗車する必要があります。

    愛知環状鉄道の存在は、今回の旅行で初めて知ったのですが、高架の鉄道路線なんですね。無人駅では、ホームに設置されている整理券発券機で整理券を手に入れてから、乗車する必要があります。

  • 大門駅から歩いて約15分の場所にある大樹寺は、多宝塔が見えてくると入口の山門まではもうすぐです。

    大門駅から歩いて約15分の場所にある大樹寺は、多宝塔が見えてくると入口の山門まではもうすぐです。

  • 大樹寺の山門は、直接道路に面しています。

    大樹寺の山門は、直接道路に面しています。

    大樹寺 名所・史跡

    徳川家の旗指物「厭離穢土欣求浄土」由来の寺院 by 赤い彗星さん
  • 寛永18年(1641)に三代将軍徳川家光により建立された山門が、大樹寺への入口となります。大樹寺は、徳川家の菩提寺というだけでなく、家光の尊敬する祖父家康と非常に縁の深い寺院なので、特に力をいれて大造営したように思います。

    寛永18年(1641)に三代将軍徳川家光により建立された山門が、大樹寺への入口となります。大樹寺は、徳川家の菩提寺というだけでなく、家光の尊敬する祖父家康と非常に縁の深い寺院なので、特に力をいれて大造営したように思います。

  • 大樹寺は、文明7年(1475)松平家4代当主の親忠により創建されました。

    大樹寺は、文明7年(1475)松平家4代当主の親忠により創建されました。

  • 境内の鐘楼は、山門と同じく寛永18年(1641)に三代将軍徳川家光により建立されました。

    境内の鐘楼は、山門と同じく寛永18年(1641)に三代将軍徳川家光により建立されました。

  • 大樹寺の本堂。現在の本堂は、安政4年(1857)13代将軍の徳川家定により再建されたものです。本堂内部は無料で見学可能で撮影可。宝物殿は、拝観料が500円で撮影不可です。宝物殿へは、拝観料を納めてから、本堂奥の廊下を通って拝観することが出来ます。

    大樹寺の本堂。現在の本堂は、安政4年(1857)13代将軍の徳川家定により再建されたものです。本堂内部は無料で見学可能で撮影可。宝物殿は、拝観料が500円で撮影不可です。宝物殿へは、拝観料を納めてから、本堂奥の廊下を通って拝観することが出来ます。

  • 本堂の柱には、徳川家の旗指物にも記されていた「厭離穢土欣求浄土」の浄土信仰の思想が記されています。<br />桶狭間合戦で今川義元が倒れ、家康も大高城から大樹寺に逃れた後、先祖の墓前で自害しようとした際に、住職の登誉上人に「厭離穢土欣求浄土」の教えと乱世を安心して暮らせる世の中(浄土)にするのが家康の役目だと諭され、自害を思いとどまったという逸話が伝わっています。

    本堂の柱には、徳川家の旗指物にも記されていた「厭離穢土欣求浄土」の浄土信仰の思想が記されています。
    桶狭間合戦で今川義元が倒れ、家康も大高城から大樹寺に逃れた後、先祖の墓前で自害しようとした際に、住職の登誉上人に「厭離穢土欣求浄土」の教えと乱世を安心して暮らせる世の中(浄土)にするのが家康の役目だと諭され、自害を思いとどまったという逸話が伝わっています。

  • 本尊の阿弥陀如来坐像。<br />木造で平安末期に造像されたものだそうです。

    本尊の阿弥陀如来坐像。
    木造で平安末期に造像されたものだそうです。

  • 大樹寺の座布団の家紋は、徳川家の三つ葉葵が装飾されていました。

    大樹寺の座布団の家紋は、徳川家の三つ葉葵が装飾されていました。

  • 本堂に安置された春日局の稔侍佛。<br />大樹寺は、3代将軍徳川家光により大々的に造営された寺院なので、家光の乳母所縁の仏像が安置されているのも当然なのかもしれません。

    本堂に安置された春日局の稔侍佛。
    大樹寺は、3代将軍徳川家光により大々的に造営された寺院なので、家光の乳母所縁の仏像が安置されているのも当然なのかもしれません。

  • 仏教の経典などを納めた輪蔵。<br />規模の大きな古刹などで、巨大な輪蔵を納めた経堂を見かける事がありますが、大樹寺の輪蔵は、コンパクトな造りです。

    仏教の経典などを納めた輪蔵。
    規模の大きな古刹などで、巨大な輪蔵を納めた経堂を見かける事がありますが、大樹寺の輪蔵は、コンパクトな造りです。

  • 平成27年に造像された本堂前の徳川家康公霊夢像。<br />家康への尊敬の念が篤い家光の夢に度々現れる家康の姿を、狩野探幽に描かせた「東照大権現霊夢像」と呼ばれる作品群の中の正面向きの束帯図を基に、石像を作成したそうです。

    平成27年に造像された本堂前の徳川家康公霊夢像。
    家康への尊敬の念が篤い家光の夢に度々現れる家康の姿を、狩野探幽に描かせた「東照大権現霊夢像」と呼ばれる作品群の中の正面向きの束帯図を基に、石像を作成したそうです。

  • 境内から見た山門。

    境内から見た山門。

  • 写真では小さくなり過ぎて見えませんが、大樹寺の山門から、正面の総門の向こうに岡崎城天守を見る事が出来ます。<br />3代将軍の徳川家光により、岡崎城から松平家・徳川家の菩提寺である大樹寺を拝することが出来るように大造営が行われ、伽藍配置などが整えられたそうです。

    写真では小さくなり過ぎて見えませんが、大樹寺の山門から、正面の総門の向こうに岡崎城天守を見る事が出来ます。
    3代将軍の徳川家光により、岡崎城から松平家・徳川家の菩提寺である大樹寺を拝することが出来るように大造営が行われ、伽藍配置などが整えられたそうです。

  • 山門脇の回廊部の花頭窓。

    山門脇の回廊部の花頭窓。

  • 大樹寺前のマンホール蓋。ゲームソフトとのコラボ版のようです。

    大樹寺前のマンホール蓋。ゲームソフトとのコラボ版のようです。

  • 大樹寺山門。

    大樹寺山門。

  • 山門に掲げられた大樹寺と書かれた扁額は、後奈良天皇御宸筆の勅額で重要文化財に指定されています。

    山門に掲げられた大樹寺と書かれた扁額は、後奈良天皇御宸筆の勅額で重要文化財に指定されています。

  • 大樹寺の道路を挟んだ向かい側には、小学校の校庭が拡がっています。<br />山門の正面に当たる校庭の向こうにも総門が残っており、門の間からは岡崎城の天守を望むことができます。かつては大樹寺が広大な敷地を持つ寺院であったことがわかります。

    大樹寺の道路を挟んだ向かい側には、小学校の校庭が拡がっています。
    山門の正面に当たる校庭の向こうにも総門が残っており、門の間からは岡崎城の天守を望むことができます。かつては大樹寺が広大な敷地を持つ寺院であったことがわかります。

  • 大樹寺から道路を挟んだ向かい側にある「大樹寺の土塀」。<br />大樹寺塔頭の善陽院と開花院の塀として使用されていました。

    大樹寺から道路を挟んだ向かい側にある「大樹寺の土塀」。
    大樹寺塔頭の善陽院と開花院の塀として使用されていました。

  • 大樹寺境内の左隅には、重要文化財の多宝塔を示す石碑が立っています。

    大樹寺境内の左隅には、重要文化財の多宝塔を示す石碑が立っています。

  • 石碑の裏には、室町時代末期に徳川家康の祖父である松平清康が、多宝塔を建立したことが記されています。

    石碑の裏には、室町時代末期に徳川家康の祖父である松平清康が、多宝塔を建立したことが記されています。

  • 多宝塔に至る小径には、不思議な造形の石像が土台になっている燈籠が並んでいました。

    多宝塔に至る小径には、不思議な造形の石像が土台になっている燈籠が並んでいました。

  • 天文4年(1535)松平清康が建立した多宝塔は、大樹寺最古の建物です。<br />清康は10代から頭角を現し、短期間で三河を統一した知勇兼備の武将でしたが、尾張の織田家攻略の最中に若くして暗殺されてしまいました。家康が最も尊敬していた人物ですね。

    天文4年(1535)松平清康が建立した多宝塔は、大樹寺最古の建物です。
    清康は10代から頭角を現し、短期間で三河を統一した知勇兼備の武将でしたが、尾張の織田家攻略の最中に若くして暗殺されてしまいました。家康が最も尊敬していた人物ですね。

  • 去り際に再度多宝塔を眺めて、宿泊地の名古屋に向かいます。

    去り際に再度多宝塔を眺めて、宿泊地の名古屋に向かいます。

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