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 大阪のレトロ建築探訪の第2弾。後半は堺筋を挟んで北船場から北浜を歩いた。堺筋は御堂筋が拡張されるまでは大阪市を南北に貫くメイン通りで、薬の道修町や株取引の北浜に歴史を伝える建物が残っていた。<br /><br />********************************************<br /> 大正時代から昭和初期にかけて、大阪が「大大阪」と呼ばれた時期があった。人口、面積、工業出荷額において東京市を凌ぎ世界有数の大都市に躍進、特に繊維産業の集積から「東洋のマンチェスター」と呼ばれた。活況を呈した当時の面影を、現存する建物等から探るのがこのシリーズの目的である。<br /> 万歩計は現役時代に10年以上を淀屋橋の本社に勤務したが、これらを見て歩くことはなかった。今回の建物探訪を通して「進取」「商売に使うお金と世の中に使うお金は別物」、という大阪商人の考えが読み取れた。<br /><br /> 探訪に際しては事前にネット情報を調べ、当日はGoogleMapを片手に歩き回った。大部分の建物は非公開のため外観の写真が主になった。一方で既に撤去されその跡がマンションや駐車場になっていた場所も多く、文化財として保護しない限りこれ他の建物は早晩消える運命にある。<br /><br /> 参考にした主なネット情報は以下の通り。<br />・歴史散歩 大阪市内で今なお残る歴史的建造物<br />  https://tabicoffret.com/article/78221/<br />・大阪市中心部の近代建築・生きた建築MAP<br />  https://archirecords.com/blog-entry-210.html<br />・大阪レトロ プロットマップ<br />  現在ネットから削除されている?<br /><br />

大阪市のレトロ建築探訪 3.北船場、北浜

73いいね!

2023/01/13 - 2023/01/13

81位(同エリア1776件中)

旅行記グループ 大阪市のレトロ建築探訪

4

93

万歩計

万歩計さん

この旅行記のスケジュール

2023/01/13

  • ゴールは地下鉄御堂筋線の淀屋橋駅

この旅行記スケジュールを元に

 大阪のレトロ建築探訪の第2弾。後半は堺筋を挟んで北船場から北浜を歩いた。堺筋は御堂筋が拡張されるまでは大阪市を南北に貫くメイン通りで、薬の道修町や株取引の北浜に歴史を伝える建物が残っていた。

********************************************
 大正時代から昭和初期にかけて、大阪が「大大阪」と呼ばれた時期があった。人口、面積、工業出荷額において東京市を凌ぎ世界有数の大都市に躍進、特に繊維産業の集積から「東洋のマンチェスター」と呼ばれた。活況を呈した当時の面影を、現存する建物等から探るのがこのシリーズの目的である。
 万歩計は現役時代に10年以上を淀屋橋の本社に勤務したが、これらを見て歩くことはなかった。今回の建物探訪を通して「進取」「商売に使うお金と世の中に使うお金は別物」、という大阪商人の考えが読み取れた。

 探訪に際しては事前にネット情報を調べ、当日はGoogleMapを片手に歩き回った。大部分の建物は非公開のため外観の写真が主になった。一方で既に撤去されその跡がマンションや駐車場になっていた場所も多く、文化財として保護しない限りこれ他の建物は早晩消える運命にある。

 参考にした主なネット情報は以下の通り。
・歴史散歩 大阪市内で今なお残る歴史的建造物
  https://tabicoffret.com/article/78221/
・大阪市中心部の近代建築・生きた建築MAP
  https://archirecords.com/blog-entry-210.html
・大阪レトロ プロットマップ
  現在ネットから削除されている?

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
一人旅
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  •  適塾を後にこれから船場から北浜のレトロ建築を訪ねます。

     適塾を後にこれから船場から北浜のレトロ建築を訪ねます。

    適塾 名所・史跡

  •  この辺りは昔の大阪の中心。史跡が点在して「歴史の道」になっています。

     この辺りは昔の大阪の中心。史跡が点在して「歴史の道」になっています。

  •  旧大阪農工銀行ビル。辰野金吾が創立した辰野片岡建築事務所の設計により大正7年(1918)年に竣工。

     旧大阪農工銀行ビル。辰野金吾が創立した辰野片岡建築事務所の設計により大正7年(1918)年に竣工。

  •  当初は赤レンガの外壁でしたが、後にクリーム色の外観に一新されました。<br /> ~Wikipediaより

     当初は赤レンガの外壁でしたが、後にクリーム色の外観に一新されました。
     ~Wikipediaより

  •  エントランスのモールや、

     エントランスのモールや、

  •  窓の周囲には華麗なアラベスク模様の装飾。

     窓の周囲には華麗なアラベスク模様の装飾。

  •  これまで八木通商の本社になるなどの変遷を経て、現在は「グランサンクタス淀屋橋」という高層集合住宅になっています。

     これまで八木通商の本社になるなどの変遷を経て、現在は「グランサンクタス淀屋橋」という高層集合住宅になっています。

  •  集合住宅への改装では「曳家工法」で外壁部分を再利用し、上層部に60戸の住宅が追加されました。<br /> ~Wikipediaより

     集合住宅への改装では「曳家工法」で外壁部分を再利用し、上層部に60戸の住宅が追加されました。
     ~Wikipediaより

  •  旧大阪教育生命保険ビル。ここも辰野片岡建築事務所の設計で明治45年(1912)年に竣工しました。

     旧大阪教育生命保険ビル。ここも辰野片岡建築事務所の設計で明治45年(1912)年に竣工しました。

    オペラドメーヌ 高麗橋 グルメ・レストラン

  •  角地に毅然と建つ赤レンガの建物は存在感十分。

     角地に毅然と建つ赤レンガの建物は存在感十分。

  •  ここは「シェ・ワダ」というレストランや、「オペラ・ドメーヌ 高麗橋」という結婚式場に使われましたが、現在は空き家?

     ここは「シェ・ワダ」というレストランや、「オペラ・ドメーヌ 高麗橋」という結婚式場に使われましたが、現在は空き家?

  •  古い建物を使うのは費用がかかるのだろう。重要文化財に指定されていないようで、今後が心配です。

     古い建物を使うのは費用がかかるのだろう。重要文化財に指定されていないようで、今後が心配です。

  •  旧大阪教育生命保険ビルに並んで建つのは、日本基督教団浪花教会。

     旧大阪教育生命保険ビルに並んで建つのは、日本基督教団浪花教会。

    日本基督教団浪花教会 寺・神社・教会

    ヴォーリズ設計の教会建築 by 万歩計さん
  •  ヴォーリズ建築事務所の設計で昭和5年(1930)建築。内部も見たかったが施錠されていました。

     ヴォーリズ建築事務所の設計で昭和5年(1930)建築。内部も見たかったが施錠されていました。

  •  旧大阪教育生命保険ビルと日本基督教団浪花教会。いずれも外壁が痛んだりくすんだりしてますが、これがいい味を出しています。

     旧大阪教育生命保険ビルと日本基督教団浪花教会。いずれも外壁が痛んだりくすんだりしてますが、これがいい味を出しています。

  •  ここだけ見るとヨーロッパの街角のよう。

    イチオシ

     ここだけ見るとヨーロッパの街角のよう。

  •  現代的なビルの間に窮屈そうに建つのは小川香料。

     現代的なビルの間に窮屈そうに建つのは小川香料。

  •  1893年創業の香料を扱う老舗で、建物は昭和5年(1930)の建築。

     1893年創業の香料を扱う老舗で、建物は昭和5年(1930)の建築。

  •  クリーム色の外壁と丸みを帯びた玄関が優しい雰囲気。

     クリーム色の外壁と丸みを帯びた玄関が優しい雰囲気。

  •  船場ビルディング。大正14年(1925)建築で現在は各種テナントが入るオフィスビル。

     船場ビルディング。大正14年(1925)建築で現在は各種テナントが入るオフィスビル。

    船場ビルディング 名所・史跡

  •  外見はシンプルなアールデコ様式で、4階まで続く茶色のタイルの外壁が力強い。

     外見はシンプルなアールデコ様式で、4階まで続く茶色のタイルの外壁が力強い。

  •  内部はレンガを敷き詰めたパティオを設け4階まで吹き抜けにする等、当時は大正モダン溢れるビルだったそうです。

     内部はレンガを敷き詰めたパティオを設け4階まで吹き抜けにする等、当時は大正モダン溢れるビルだったそうです。

  •  綿業会館。渡辺節の設計で昭和6年(1931)に竣工。重要文化財になっています。<br />

     綿業会館。渡辺節の設計で昭和6年(1931)に竣工。重要文化財になっています。

    綿業会館 名所・史跡

    映画で見る20世紀初めのニューヨークのビルのよう by 万歩計さん
  •  昭和初頭になると日本は英国を抜いて世界最大の紡績大国になり、大阪は「東洋のマンチェスター」と呼ばれたそうです。

     昭和初頭になると日本は英国を抜いて世界最大の紡績大国になり、大阪は「東洋のマンチェスター」と呼ばれたそうです。

  •  シンプルで渋い外観は映画で見る20世紀初めのニューヨークの街中のビルのよう。

     シンプルで渋い外観は映画で見る20世紀初めのニューヨークの街中のビルのよう。

  •  鍛鉄を使った重厚な玄関扉。

     鍛鉄を使った重厚な玄関扉。

  •  扉を押したら開いて中に入ったら無人。悪いかなと思いながら、ちょっと見せて頂きました。

     扉を押したら開いて中に入ったら無人。悪いかなと思いながら、ちょっと見せて頂きました。

  •  イタリアルネッサンス様式の豪華なホール。見事な左右対称です。

     イタリアルネッサンス様式の豪華なホール。見事な左右対称です。

    綿業会館 名所・史跡

    映画で見る20世紀初めのニューヨークのビルのよう by 万歩計さん
  •  中央に岡常夫氏の座像。岡常夫氏は東洋紡績専務取締役で、氏の遺贈100万円と関係業界からの寄付50万円の合わせて150万円(現在価値で10億円)で建物が建築されました。<br /> ~Wikipediaより

     中央に岡常夫氏の座像。岡常夫氏は東洋紡績専務取締役で、氏の遺贈100万円と関係業界からの寄付50万円の合わせて150万円(現在価値で10億円)で建物が建築されました。
     ~Wikipediaより

  •  天井の豪華なシャンデリア。

     天井の豪華なシャンデリア。

  •  1階食堂。天井のデザインにも注目。

     1階食堂。天井のデザインにも注目。

  •  赤絨毯の廊下。外観に似ず内部はとても豪華。

     赤絨毯の廊下。外観に似ず内部はとても豪華。

  •  階段を上ってみました

     階段を上ってみました

  •  中2階から見たホールと2階。

     中2階から見たホールと2階。

  •  談話室。<br /> 後日この旅行記を整理していたら、館内見学は事前予約が必要でしかも有料だったと知りました。スミマセン。

     談話室。
     後日この旅行記を整理していたら、館内見学は事前予約が必要でしかも有料だったと知りました。スミマセン。

  •  武田道修町ビル。株式会社武田長兵衞商店(現武田薬品工業株式会社)の本店ビルとして昭和3年(1928)建設されますた。

     武田道修町ビル。株式会社武田長兵衞商店(現武田薬品工業株式会社)の本店ビルとして昭和3年(1928)建設されますた。

  •  道修町には多くの製薬会社がありますが、レンガ色のタイル貼りの建物は特に目立ちます。

     道修町には多くの製薬会社がありますが、レンガ色のタイル貼りの建物は特に目立ちます。

  •  ここには杏雨書屋という博物館が併設されていました。

     ここには杏雨書屋という博物館が併設されていました。

    武田科学振興財団杏雨書屋 名所・史跡

    無料で見学できる医学・薬学の資料館 by 万歩計さん
  •  武田薬品工業の歩みや、

     武田薬品工業の歩みや、

  •  医学、薬学の歴史。

     医学、薬学の歴史。

  •  健康や防疫を促す江戸時代の錦絵に、

     健康や防疫を促す江戸時代の錦絵に、

  •  安政5年に流行したコレラを記録した草紙、等々。

     安政5年に流行したコレラを記録した草紙、等々。

  •  道修町は通りに有名製薬会社のビルから小さな個人商店までが並ぶ薬の町です。

     道修町は通りに有名製薬会社のビルから小さな個人商店までが並ぶ薬の町です。

  •  道修町通りの狭い路地に入ると、

     道修町通りの狭い路地に入ると、

  •  「神農さん」の名で親しまれている少彦名神社。

     「神農さん」の名で親しまれている少彦名神社。

    少彦名神社 寺・神社・教会

    薬の町・道修町で篤く信仰される神社 by 万歩計さん
  •  薬の町道修町に鎮座し、日本と中国の薬の神様が祀られています。

     薬の町道修町に鎮座し、日本と中国の薬の神様が祀られています。

  •  堺筋に出て南に歩くと生駒ビルヂング。生駒商店(現・生駒時計店)の本社ビルとして昭和5年(1930)に建築。地下1階、地上5階建てのビルは。民間レベルでは類を見ない規模で、アール・デコ様式の外観と相まって街の注目を集めました。<br /> ~生駒時計店HPより

     堺筋に出て南に歩くと生駒ビルヂング。生駒商店(現・生駒時計店)の本社ビルとして昭和5年(1930)に建築。地下1階、地上5階建てのビルは。民間レベルでは類を見ない規模で、アール・デコ様式の外観と相まって街の注目を集めました。
     ~生駒時計店HPより

    生駒ビルヂング 名所・史跡

    凝った意匠のレトロビル by 万歩計さん
  •  生駒時計店の創業は明治3年。煙管や簪・帯留、輸入時計、銀器、工芸品などを扱い、現在も記念品、表彰用品、社章などバッジ製造販売を行っています。<br /> 平成14年にはこの歴史的な建物を有効活用するために、コンシェルジュオフィス北浜T4Bを開業しています<br /> ~生駒時計店HPより

     生駒時計店の創業は明治3年。煙管や簪・帯留、輸入時計、銀器、工芸品などを扱い、現在も記念品、表彰用品、社章などバッジ製造販売を行っています。
     平成14年にはこの歴史的な建物を有効活用するために、コンシェルジュオフィス北浜T4Bを開業しています
     ~生駒時計店HPより

  •  外壁は特注の手掻きのスクラッチタイル。

     外壁は特注の手掻きのスクラッチタイル。

    生駒ビルヂング 名所・史跡

    凝った意匠のレトロビル by 万歩計さん
  •  外壁には、駒形に「生」を刻んだ装飾板を最上段に、8つの同型・別意匠の板を垂直に並べています。

     外壁には、駒形に「生」を刻んだ装飾板を最上段に、8つの同型・別意匠の板を垂直に並べています。

  •  外壁に留まる鷲の彫刻など。素晴らしい建物でした。

     外壁に留まる鷲の彫刻など。素晴らしい建物でした。

  •  これより南は次回に。来た道を戻ります。

     これより南は次回に。来た道を戻ります。

    生駒ビルヂング 名所・史跡

    凝った意匠のレトロビル by 万歩計さん
  •  堺筋の向こうのビルの谷間に大きな日本建築が。気になるので行ってみました。

     堺筋の向こうのビルの谷間に大きな日本建築が。気になるので行ってみました。

  •  重要文化財の旧小西家住宅。明治36年(1903)に建てられ、現在は資料館になっています。

     重要文化財の旧小西家住宅。明治36年(1903)に建てられ、現在は資料館になっています。

    旧小西家住宅(小西儀助商店) 名所・史跡

    接着剤ボンドはこの会社の商品 by 万歩計さん
  •  明治3年に薬種商として創業し、後に化学製品を扱うようになりました。有名な接着剤「ボンド」はこの会社の商品です。

     明治3年に薬種商として創業し、後に化学製品を扱うようになりました。有名な接着剤「ボンド」はこの会社の商品です。

  •  WEBで予約すれば無料で内部を見学できるそうです。

     WEBで予約すれば無料で内部を見学できるそうです。

  •  重要文化財の伏見ビル(旧澤野ビル)。長田岩次郎の設計で大正12年(1923)に竣工、当初はホテルとして使用されました。

     重要文化財の伏見ビル(旧澤野ビル)。長田岩次郎の設計で大正12年(1923)に竣工、当初はホテルとして使用されました。

    伏見ビル 名所・史跡

    シンプルモダンなレトロビル by 万歩計さん
  •  コーナーに丸みをもたせている外観が特徴の鉄筋コンクリート造3階建てで、当時としてはめずらしいホテルとして人目を引いたそうです。<br /> ~大阪市中央区オフィシャルサイトより

     コーナーに丸みをもたせている外観が特徴の鉄筋コンクリート造3階建てで、当時としてはめずらしいホテルとして人目を引いたそうです。
     ~大阪市中央区オフィシャルサイトより

  •  窓の上に設けられた「丸に中の字」の飾り。

     窓の上に設けられた「丸に中の字」の飾り。

  •  昭和になって間もなくテナントビルになり現在に至っています。

     昭和になって間もなくテナントビルになり現在に至っています。

  •  伏見ビルの隣は青山ビル。地上3階、地下1階の南欧風建物は個人住宅として大正15年(1925)に建てられました。

     伏見ビルの隣は青山ビル。地上3階、地下1階の南欧風建物は個人住宅として大正15年(1925)に建てられました。

    青山ビル 名所・史跡

    蔦の絡まる南欧風ビルは昔の個人住宅 by 万歩計さん
  •  戦後に5階に増設され、以後はテナントビルとして使用されています。館内には随所に大正時代のイタリア製ステンドグラスやガラス窓が残されているそうです。<br /> ~青山ビルHPより

     戦後に5階に増設され、以後はテナントビルとして使用されています。館内には随所に大正時代のイタリア製ステンドグラスやガラス窓が残されているそうです。
     ~青山ビルHPより

    青山ビル 名所・史跡

    蔦の絡まる南欧風ビルは昔の個人住宅 by 万歩計さん
  •  隣の伏見ビルとともに重要文化財。

     隣の伏見ビルとともに重要文化財。

  •  アーチ型のエントランスとレトロな照明

     アーチ型のエントランスとレトロな照明

  •  彫りの深い窓

     彫りの深い窓

  •  目立つのは建物全体を覆う蔦。甲子園球場の蔦を株分けしたとのことです。

     目立つのは建物全体を覆う蔦。甲子園球場の蔦を株分けしたとのことです。

  •  高麗橋野村ビルディング。ガスビルを設計した建築家安井武雄により昭和2年(1927)に建てられました。そういえばガスビルと感じが似ている。

     高麗橋野村ビルディング。ガスビルを設計した建築家安井武雄により昭和2年(1927)に建てられました。そういえばガスビルと感じが似ている。

    高麗橋野村ビルディング 名所・史跡

    ミニガスビル by 万歩計さん
  •  帯を巻いたような各階の腰壁が、外に捲れ出したような独特のデザイン。

     帯を巻いたような各階の腰壁が、外に捲れ出したような独特のデザイン。

  •  歩きっぱなしで疲れた。テナントのカフェで一息。

     歩きっぱなしで疲れた。テナントのカフェで一息。

  •  建物内部は建築当時のままのようです。

     建物内部は建築当時のままのようです。

  •  こんな時は甘いものが美味しい。

     こんな時は甘いものが美味しい。

  •  高麗橋野村ビルディングの道向かいに三井住友銀行大阪中央支店。建築は昭和11年(1936)。

     高麗橋野村ビルディングの道向かいに三井住友銀行大阪中央支店。建築は昭和11年(1936)。

    三井住友銀行大阪中央支店 名所・史跡

  •  この建物で目立つのはギリシャ神殿のような4本の円柱。

     この建物で目立つのはギリシャ神殿のような4本の円柱。

  •  壁に張り付いて独立した円柱ではないが、彫りが深いので目立ちます。

     壁に張り付いて独立した円柱ではないが、彫りが深いので目立ちます。

  •  建物上部の装飾もGood!

     建物上部の装飾もGood!

  •  新井ビル。建築は大正11年(1922)で重要文化財。

     新井ビル。建築は大正11年(1922)で重要文化財。

    新井ビル 名所・史跡

  •  1階部分の正面中央に列柱を配したシンメトリーで、花崗岩の石積み風の重厚な仕上げ。1、2階は吹き抜けで銀行として使われました。

     1階部分の正面中央に列柱を配したシンメトリーで、花崗岩の石積み風の重厚な仕上げ。1、2階は吹き抜けで銀行として使われました。

  •  2階以上には当時流行しつつあったタイルが使われ、モダンな印象です。

     2階以上には当時流行しつつあったタイルが使われ、モダンな印象です。

  •  入口からちょっとだけ覗きました。

     入口からちょっとだけ覗きました。

  •  大阪証券取引所のと新しい高層ビル。

     大阪証券取引所のと新しい高層ビル。

    大阪証券取引所前 五代友厚像 名所・史跡

  •  円形の旧市場館は長谷部竹腰建築事務所の設計で昭和10年(1935)に竣工。2004年に新しい高層ビルが建設されましたが、円形のエントランスホールの外観部分は残されました。

     円形の旧市場館は長谷部竹腰建築事務所の設計で昭和10年(1935)に竣工。2004年に新しい高層ビルが建設されましたが、円形のエントランスホールの外観部分は残されました。

  •  旧市場館の前に建つ五代友厚像。<br /> 五代友厚は薩摩藩士。欧州視察に派遣されるなど、海外事情に通暁するようになりました。 明治維新後は、大阪で官職に就き、大阪造幣寮(現・造幣局)等の設立に尽力した後、民間に転じ、紡績業、鉱業、鉄道業などを幅広く手がけ、事業を大きく発展させました。<br /> ~日本取引所グループHPより

     旧市場館の前に建つ五代友厚像。
     五代友厚は薩摩藩士。欧州視察に派遣されるなど、海外事情に通暁するようになりました。 明治維新後は、大阪で官職に就き、大阪造幣寮(現・造幣局)等の設立に尽力した後、民間に転じ、紡績業、鉱業、鉄道業などを幅広く手がけ、事業を大きく発展させました。
     ~日本取引所グループHPより

    大阪証券取引所前 五代友厚像 名所・史跡

  •  さらに堂島米会所を復興するとともに、株式取引所条例の成立を受けて、自ら大阪証券取引所の前身である大阪株式取引所の発起人となり、その設立に尽力するなど、大阪の経済的基盤の構築にも熱心に取り組みました。<br /> ~日本取引所グループHPより

     さらに堂島米会所を復興するとともに、株式取引所条例の成立を受けて、自ら大阪証券取引所の前身である大阪株式取引所の発起人となり、その設立に尽力するなど、大阪の経済的基盤の構築にも熱心に取り組みました。
     ~日本取引所グループHPより

  •  中に入ってみると、

     中に入ってみると、

  •  館内は大きなガラス窓が並び教会の一部のよう。

     館内は大きなガラス窓が並び教会の一部のよう。

  •  大阪市中央公会堂を寄付した「北浜の風雲児」岩本栄之助は、ここで丁々発止の相場を張っていました。

     大阪市中央公会堂を寄付した「北浜の風雲児」岩本栄之助は、ここで丁々発止の相場を張っていました。

  •  現在は株取引の電子化が進み、昔の熱い雰囲気はないのでは?

     現在は株取引の電子化が進み、昔の熱い雰囲気はないのでは?

  •  大正4年(1915)竣工の難波橋。「ライオン橋」の愛称で市民に親しまれています。

     大正4年(1915)竣工の難波橋。「ライオン橋」の愛称で市民に親しまれています。

    難波橋(ライオン橋) 名所・史跡

  •  難波橋から眺める土佐堀川。先月行った中之島図書館と中央公会堂が見えます。

     難波橋から眺める土佐堀川。先月行った中之島図書館と中央公会堂が見えます。

  •  最後に来たのは北浜レトロビルヂング(旧桂隆産業ビル)。思わず立ち止まってしまう可愛い建物は、株の仲買業を営む企業の社屋として明治45年(1912)に建てられました。<br /> ~Wikipediaより

     最後に来たのは北浜レトロビルヂング(旧桂隆産業ビル)。思わず立ち止まってしまう可愛い建物は、株の仲買業を営む企業の社屋として明治45年(1912)に建てられました。
     ~Wikipediaより

    北浜レトロビルヂング 名所・史跡

    ビルの間に建つ可愛いレトロビル by 万歩計さん
  •  近代的なビルに挟まれてポツンと残っています。

     近代的なビルに挟まれてポツンと残っています。

  •  現在は英国紅茶とスイーツの店として女性に人気の店のようです。

     現在は英国紅茶とスイーツの店として女性に人気の店のようです。

  •  大阪市のレトロ建築探訪の第2弾はこれで終了。1.7万歩の街歩きでした。

     大阪市のレトロ建築探訪の第2弾はこれで終了。1.7万歩の街歩きでした。

    淀屋橋駅

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この旅行記へのコメント (4)

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  • mom Kさん 2024/01/29 21:25:44
    もうたまりません
    万歩計さん、この中のひとつだったと思うんです。入って左手に小さなお一人でしている英国pub。またと思いながらもコロナ禍前。         この辺り、晩秋の黄昏時最高! 行かなくっちゃ。感謝します。

    万歩計

    万歩計さん からの返信 2024/01/30 16:11:59
    Re: もうたまりません
     mom Kさん 、こんにちわ。コメントありがとうございます。

     建物の多くは非公開だったので殆ど外見しか見ませんでした。しかし雑居ビルとして使われているテナントにはパブやレストランもあり、これらはきっと個性的な「大人の隠れ家」的なお店なんでしょうね。

     この旅行記の中の高麗橋野村ビルディングでサンマルクカフェに入りました。建物内部は建築当時のままのようで、階段やトイレもなかなか雰囲気がありました。

      万歩計
  • pedaruさん 2024/01/21 06:54:54
    レトロ建築の解説
    万歩計さん おはようございます。

     大阪のレトロ建築、たいへん興味深く拝見しました。写真だけなら、私でもたくさん撮れますが、いちいちこの説明となると、気が遠くなります。
     万歩計さんは几帳面な性格なので、一枚の写真でも、責任をもって(笑)コメントをいれています。私も万歩計さんをまねて竹原その他を見てきましたが、解説をいれるとなると地獄ですね。さっさと完成させるコツはありませんかね、やはり地道に調べて旅行記を完成させるしかないですか?旅行記に近道なしですかね。

     次を楽しみにしています。  pedaru

    万歩計

    万歩計さん からの返信 2024/01/21 12:01:51
    Re: レトロ建築の解説
     pedaruさん、こんにちわ。コメントありがとうございます。

     私の解説は現地でもらったパンフレット、看板の説明文、それにネット情報の寄せ集めです。特にレトロ建築探訪では事前と事後のはネット調査が欠かせません。こうして旅行記を仕上げていくと旅行先の理解が一層深まり、旅行が完結した気になります。

     なお、全ての写真にコメントを入れてるのは、これをしないと500ポイントが貰えない、というせこい考えからです(笑)。

      万歩計

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