2023/05/11 - 2023/05/11
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たびたびさん
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高松から姫路に入って、姫路で一泊。翌日の今日からが関西の旅の始まりです。スタートは龍野。「龍野」は「たつの」の表記もあって紛らわしいのですが、歴史的には「龍野」。姫路藩池田氏の二代藩主、池田利隆の死に伴い、姫路藩の領地であったこの地に徳川四天王、本多忠勝の孫、本多政朝が入封し、龍野藩を立藩。その後、藩主家はいくつか交替して、最終的には脇坂家10代が200年に渡って当地を治め、明治維新を迎えます。城下町の歴史を持つ龍野市となっていましたが、奈良時代からの歴史がある室津港なんかも含めた広域合併により、たつの市が誕生したという関係ですね。「たつの」ということで、なんとか龍野の歴史が名前に残されたのは幸いです。
そのたつの市の人口は7万人。小さな町ですが、龍野藩53千石の城下町という歴史もあって”播磨の小京都”といわれる市街は重伝建地区の指定を受けているほか、淡口醤油の”ヒガシマル醤油”、手延べそうめんの”揖保乃糸”があったり、童謡”赤とんぼ”の作詞者、三木露風や哲学者の三木清などの文化人も輩出。予備知識があまりない中で訪ねましたが、予想に反して、城下町としての遺産、伝統産業、著名な文化人輩出の誇りなどまったくないものがない街という印象を受けました。
ただ、その基礎を築いたのは、やっぱり、脇坂家10代の時代ですから、少し脇坂家についてまとめて置きたいと思います。脇坂家が世に知られるようになったのは、秀吉が柴田勝家を破った賤ヶ岳の戦い。勲功を挙げた賤ヶ岳の七本槍の一人が脇坂安治です。関ヶ原の戦いの際は、淡路島洲本藩主でしたが、家康に内応。関ヶ原の戦いに出陣した息子、安元は、石田三成の圧力を受け西軍としての参戦となりますが、小早川秀秋の裏切りに乗じて寝返り、本領を安堵されることなります。関ヶ原の戦いの後は、伊予国大洲藩に加増転封。安元の代になって、さらに信濃国飯田藩から播磨国龍野藩へ。脇坂家は、徳川幕府の下で直系が大名として存続するのですが、賤ヶ岳の七本槍の中では唯一の例。加藤嘉明は傍系が近江国水口藩として存続したようですが、ご存じの通り、福島正則も加藤清正も改易となりましたからね。ただ、少し調べると、安元の次の安政は、継嗣。幕府の重鎮、堀田正盛の次男だった人物で、荒れていた龍野の城下を整備して”龍野の殿様”と慕われる土台を作った人物。脇坂氏の血脈はここで途絶えるのですが、安元は外様である身分から改易の危険があることを深く憂慮し、こうした決断をしたとも言われるよう。いずれにしても、結果としてその決断は正解。脇坂家の家としての安泰にはつながったということでしょう。
大大名にはなれなかった脇坂安治ですが、その息子、安元も立派。継嗣、安政も優秀だったし、龍野の歴史や文化もそうした基礎によっているとみていいのではないかと思います。
なお、脇坂安治は、淡路島洲本でもそれなりの面影が残っています。関連した旅行記がありますので、参考まで。https://4travel.jp/travelogue/11778562
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姫路の宿を出発し、姫新線で本竜野駅に到着。姫路から本竜野は20分ほど。かなり楽勝です。ちなみに、姫新線の先だと佐用から智頭を経て鳥取へのルートがあって、一度行きましたけど、その辺りまでになるとそれなりの覚悟をしないと行けるところではないですからね。
本竜野駅からは城下町の市街を目指します。その途中、これは兵庫県手延素麺協同組合。敷地の中に建つ銅像は、品質管理方法の基礎を築いた2代目トップの澤野利正です。今ではすっかり有名となった揖保乃糸ですが、実は大手のメーカーではなくて、400軒の生産組合員工場が製造するという家内工業的な委託生産方法を取っているのですね。ですから、粗製乱造を防ぐための品質管理はかなり重要だったはずで、それを可能にした人物ですから、今の揖保乃糸の隆盛の恩人なのでしょう。市街の中心にあって、しっかり存在感を放っています。 -
イチオシ
さて、もう少し歩いて、この揖保川に架かる龍野橋を渡ると城下町の市街です。龍野の旧市街というか龍野城跡の背後にこんもりとそびえる山は鶏籠山。標高は210m。形が鶏籠に似ているのが名前の由来のようです。新緑の緑がとても美しくて、その周辺に市街がへばりつくように展開しているのが分かります。ちょっと独特の景観ですね。
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橋から後方を振り返るとヒガシマル醤油の第一工場です。薄口しょうゆの龍野醤油のルーツは安土桃山時代の天正年間にも遡るようですが、その伝統の上に立っての醤油造り。川沿いの立派な大工場の建物をこうして眺めると、しっかりとその伝統を受け継いでいるようにも感じます。
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また、この揖保川ですが、たつの市を貫流して姫路市網干区で播磨灘に注ぐ一級河川。たつのの名物、揖保乃糸の名前もこの揖保川からかな。こうして龍野市街のすぐ脇を流れていて、美しい眺めです。
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橋を渡るとすぐにそれらしい町並み。
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なるほど雰囲気は確かに重伝建地区ですね。
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そのまままっすぐ進んで、これは龍野御坊圓光寺。蓮如の直弟子、多田祐全なる人物が開いた文明道場が始まり。石山本願寺と織田信長の戦いでは、これに参戦し、多くの軍功を挙げたということです。
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イチオシ
たつの市街の中心部にあって、真宗寺院らしい豪壮な構え。
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宮本武蔵も訪れたことがあるとの説明書きもありました。
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さらに山手の方に進みますよ~
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見えてきたのは、山すそにある龍野公園の外周。ここに建っている赤い煉瓦の碑が赤とんぼ歌碑です。
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赤とんぼは、地元出身の作詩家、三木露風の代表曲。童謡としては、きっとどこかで耳にしたことがあって、最もポピュラーなものの一つでしょう。
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誰でもが持っている子供の頃の微かな思い出がよみがえってくるような郷愁溢れる情景を見事に歌っていますが、ここが地元だと知るとまた気分も違うように思います。
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土手を上がるとそこは龍野公園。鶏籠山のふもとのような場所にあって、美しい緑をバックにしたグラウンドのような広場がありました。地元の人がゲートボールをやっていて、なんかとっても恵まれた環境です。
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その向かい側には小さな動物園も。ひつじ、猿、うさぎなど。本当に小さな無料の動物園ですが、小さな子供達にはこれで十分かな。市街にもすぐ近くだし周囲は自然がいっぱいなので、手軽に遊べる場所になっていると思います。
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そして、龍野公園から斜面の道をさらに上がっていくと童謡の小径の入り口です。市街からすると急に山の中に入ったような感じになりますね。山の中に続く小径には、赤とんぼで知られる童謡作家の三木露風に因んで、氏以外の童謡も含めていろんな童謡の歌碑があるんですが、これは勲功輝悠久と銘打ったちょっと場違いな碑なんですが、拝見すると田中静壱大将という人物の顕彰碑。
8月15日、ポツダム宣言を受け入れて出された天皇の玉音放送。「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、もって万世の為に太平を開かんと欲す」遂に訪れた終戦の日ですが、その陰にあって、陸軍の一部若手将校が徹底抗戦を目論み、皇居を制圧しようとする反乱、宮城事件がありました。田中静壱大将は、反乱軍鎮圧に成功した東部軍管区司令官。自らの職務を果たしただけとも言えますが、やはり事件は、戦争を終わらせることがいかに困難で紙一重なものであったかを物語っているもの。戦争は狂気ですし反乱軍の将校たちへの同情なんて全く感じませんが、そうしたぎりぎりのところを乗り越えた今の平和のありがたさには深く感謝をしなければならないと思います。 -
さて、山道に入って行きますよ~
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小さい秋みつけた、
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月の砂漠、
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みかんの花咲く丘
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山頂にはちょっとした展望所があって
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龍野の市街も見えています
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引き続き
七つの子、 -
里の秋など。
歌碑の前に建つとそれぞれセンサーが働いて歌が流れる仕組み。少し歩きではありますが、けっこう楽しく歩けました。 -
これは出口。というかこちらが入口だったのかな。
付近には立派な駐車場もありました。 -
もう一度龍野公園の方に下りてきて、赤とんぼの碑から文学の小径の方へ。小径は、龍野神社や聚遠亭の方につながる桜並木。道の途中には地元出身の童謡作家、三木露風の銅像もありました。好々爺とした小柄なおじいさんの像ですが、たつのを童謡の街宣言させたというくらいの大先生。今でもこうしてその影響力は残っていて、その功績は想像以上に大だと思います。
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イチオシ
ここでも新緑が美しい。
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正面に見えてきたのは、ムクロジの大木。郷土記念物の説明板がありました。
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ほどなく、龍野神社に到着。神社は、山の方に少し上がっていった先です。
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龍野藩脇坂家初代、賤ケ岳の七本槍の脇坂安治を祀る神社。明治に入ってから藩祖を祀る神社は一種の流行になったのですが、その流れで出来たものだと思います。
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参道は石段が下の方にも向けて何段階かになって続いていて、それらも総合するとけっこうな構えです。
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一方、野見宿禰神社は、龍野神社の脇から飛び石の長い参道が始まっていて、かなり山の上の方まで上っていきます。
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野見宿は当麻蹴速と相撲を取って勝ったいうのは知っていましたが、故郷の出雲に帰る途中にここで病気になり亡くなっていたのですね。参道の最後も山の上に続く長い石段と予想外にスケールの大きな構え。訪ねるには少し覚悟が必要かもしれません。
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元に戻って、龍野神社のすぐ先、聚遠亭へ。
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龍野藩主、脇坂氏の上屋敷跡の高台にある庭園。芝生の広場の横に建つのは、
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孝明天皇から拝領したという浮堂の茶室です。
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奥に進んで
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日本庭園の中には
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藩主の御涼所、茶室楽庵。
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イチオシ
どうかすると一般の個人住宅のようでいて、
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この庭の感じはやっぱり普通ではない。
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入場は無料で自由に出入りできるのですが、趣のある風雅な雰囲気がいいですね。新緑がとてもきれいでした。
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旧脇坂屋敷は、聚遠亭から市街地に降りてきたところ。通り沿いに立派な塀が続いています。
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幕末の龍野藩主12代、脇坂安斐の旧住居なのですが、江戸上屋敷から龍野へ帰ってきた際、聚遠亭の住居が焼失していたため、藩士の邸宅を屋敷にしたものだとか。塀の辺りは武家屋敷風ですが、住居の方は意外に現代風な外観です。
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イチオシ
では、いよいよ龍野城へ。
龍野は基本的には城下町ですからね~
二重隅櫓の方から入ります。一層目、二層目の屋根はともに唐破風を設けて、品のある姿がいいですね。 -
錣(しころ)坂を上ると
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高麗門形式の裏門です。
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城内へ入ります。
ちなみに、この城は、京極高和の丸亀移転の後荒れていたところを寛文12年(1672年)、龍野藩脇坂家初代、冒頭触れましたが堀田家から養子に来た脇坂安政によって再建されたもの。山麓にあった居館のみを残す陣屋形式の城郭となりました。 -
城跡には先ほどの隅櫓に正面の埋門や中心部には本丸御殿が建てられていて、予想以上に立派。
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本丸御殿はいわゆる豪壮な陣屋の雰囲気がよく再現されていると感じました。
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龍野藩は51千石。上段の間もなかなか立派です。
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イチオシ
では、埋門を出て
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隣りのたつの市立龍野歴史文化資料館へ。
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こちらもしっかりした施設。
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ロビーに飾られた武者人形に
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池内製オルガンは、地元出身の池内甚三郎が横浜でオルガン造りを学んだもの。
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野田焼は、龍野藩の御用窯です。
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そして、古代の山陽道については、駅家の解説や奥村廃寺出土瓦など。
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龍野城主と城下町については、守護大名だった赤松氏の一族、龍野赤松家から龍野城主は10氏22代。蜂須賀、木下、福島、京極、そして脇坂氏10代。
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改めてですが、龍野藩初代、脇坂安政はその養父、脇坂安元が外様大名の身分に危機感を持って、徳川幕府の重鎮、堀田正盛の次男を養子としたもの。かなり大胆な決断だったと思いますが、その思惑は当たり、以降の脇坂家は安泰。龍野の豊かな経済や文化の土台になったのではないかと思います。
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展示がとてもきめ細かいのにも好感を持ちました。
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では、さらに市街の方へ。
これは三木露風生家。 -
明治期の建てられた建物のようですが、まだそんなに古びていませんけどね。天井の方だけ、露風が6歳の頃まであった時の天井と説明があったので、後はかなり手が入っているのかもしれません。
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なお、露風は明治22年生まれ。露風が6歳の時、両親が離縁したことから、母と別れて祖父の家に引き取られたということ。ちょっと寂しい経緯も説明されていました。
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イチオシ
醤油の郷大正ロマン館は、大正時代に建てられた旧龍野醤油同業組合事務所及び醸造工場を活用した観光施設。白とカーキ色のツートンカラーのおしゃれな建物です。
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館内では
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アクリル画の画家KYOKUMA絵画展をやっていて、
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可愛くて不思議な感覚が大正ロマンの建物の雰囲気にぴったり。
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こういう展覧会をここでしようとするそのセンスもいいんじゃないかと思います。
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醤油の郷大正ロマン館の敷地の中には、土産物屋さん兼食事処があって、クラテラスたつの。
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ショップの奥の方には喫茶店のような食事処があるのですが、これがかなりの人気でして。平日のちょうどお昼頃でしたが、すでに満席。店内の雰囲気がいいのと地産地消のコンセプトというのも人気の理由だと思います。
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では、改めて市街中心部に向かいます。
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イチオシ
かどめふれあい館は、たつの市龍野伝統的建造物群保存地区の中心部。明治後期に建てられた町家を活用して、ビジターセンター的な施設としたものです。
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入ってすぐには休憩どころとしても使えるスペースがあって、その壁面には龍野の町並みや伝建地区の概要について説明する展示があって、なるほどねという感じ。管理人さんがいて、お勧めのグルメ情報なんかもいただきました。
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ランチで訪ねたのはエデンの東。
たつのは、手延素麺、揖保乃糸が名物ですが、どこかいいお店はないかと地元で尋ねたらここが紹介されたというわけ。外観も古民家風で渋いですが、 -
店内も落ち着いた雰囲気。喫茶店としてもかなりいい線行っていると思います。
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いただいたそうめんですが、出汁の爽やかでいて少し奥深いような味わいが秀逸。おにぎりも丁寧な作りが感じられました。紹介いただいた通り、たつのではなかなかの名店ではないかと思います。
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西山浄土宗 如来寺。
重伝建地区にあっても、この眺めはまた一格上。城下町を代表する景観となっています。 -
そ龍野において内山城主となった関東御家人、塩津新左衛門の創建。500年の歴史があって、その後、脇坂家の菩提寺となりました。
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境内には、作詞家三木露風の石碑などもあって、凛とした雰囲気が漂います。
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続いては、うすくち龍野醤油資料館。旧ヒガシマル醤油本社社屋を活用し、昭和54年に開館した全国初の醤油資料館です。
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薄口しょうゆは関西が発祥。塩分を少し濃いめにすることで醤油の発酵や熟成が抑えられ淡い色に仕上がるというのですが、関西というか西日本では醤油イコール薄口しょうゆなので、あまりにも当たり前の醤油なんですけどね。
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ちなみに、龍野醤油の起源は天正15年(1587年)、
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うすくちの創案が寛文6年(1666年)。
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江戸時代からの醤油醸造用具や資料などが展示されていて、
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創意工夫が積み重ねられてきた長い歴史を感じます。
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その伝統を引き継ぐヒガシマル醤油は、今でも隆盛を誇っていて
創意工夫の歴史が本物であったことを証明しているようにも思います。 -
イチオシ
続いては
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武家屋敷資料館。
たつの市街重伝建地区のやや端っこですね。 -
天保8年(1837年)、鉄砲師の芝辻平左衛門が建てた木造2階建ての武家屋敷。
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式台玄関から入って
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邸内は落ち着いた雰囲気。
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武家屋敷と言っても特別な感じはあまりしないし、展示もほとんどないのですが、龍野ふるさとガイドさんがいて、藩主脇坂家の話などを少し窺ったり。脇坂家が地元の人にとっては今でもアイデンティティの一つとなっていることを感じて、ちょっと心が和みました。脇坂氏の血統は賤ケ岳七本槍の脇坂安治とその息子、安元の二代で終わりましたが、地元の歴史や文化への貢献もあって歴史にはちゃんと脇坂家の名前は残ったということ。血統よりも家が大事というのは封建制度だったからこその判断。龍野の歴史にとっても幸いとなりました。
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また、中心部に戻ってきて、こちらは霞城館。
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地元出身の文化人、「赤とんぼ」の作詞者である三木露風、反戦・田園詩人の内海信之、一高寮歌「嗚呼玉杯に花うけて」作詞者の矢野勘治、哲学者の三木清4氏を紹介する施設です。
こちらは、三木清のコーナー。西田幾多郎の教え子という関係ですから、西田幾多郎の代表作「善の研究」や -
三木清の扁額「臨危不変」とか。
どっちにしてもほとんど馴染みはありませんが、いい機会なので、三木清の人生論ノートも読んでみたいなという気持ちになりました。 -
これは三木露風のコーナー。
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ゆかりの文献や資料が大事に保管されていて、たつのの文化度の高さも窺えました。小さな町なのに、こうして多彩な人物を輩出したというのは森鴎外や西周を育んだ津和野の感じにも似ているような気もします。
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最後にもう一度、重伝建の街並みをあちこち。
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城下町であり
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揖保乃糸や醤油の地元産業に
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多彩な文化人の輩出。
改めて、龍野の街に敬意を表したいと思います。 -
それと、觜崎屋はたつのを代表する老舗の和菓子屋さん。市街の中心部にあって、店構えも雰囲気がありますね。
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いただいたのは、醤油饅頭と甘酒饅頭。醤油饅頭は醤油の味は微かかな。どちらもしっとりしたあんこの甘さがおいしいです。
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では、また本竜野駅の方へ戻ります。
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たつの観光案内所は、本竜野駅の構内。中に入るとすぐに地元の特産品である醤油製品や揖保乃糸、お菓子類がずらりと並んでいて、なんかそれだけでも龍野がイメージしやすくなるような感じですね。スタッフは一人なので、ショップの方が忙しくなると観光案内は余裕がなくなる。そんな感じです。
さて、以上で龍野はおしまい。 -
龍野から今夜の宿の神戸に向かいますが、播磨町のJR土山駅で途中下車。
JR土山駅から緑道であいのみちを通って、大中遺跡のある兵庫県立考古博物館まで向かいます。この道はかつての貨物輸送を主体とする別府鉄道の廃線路を活用し整備したものなんですよね~
途中、いくつかの公園を抜けて行くので、それなりに楽しい気分で歩けると思います。 -
最初の公園は、野添北公園。緑道であいのみちに面していて、それなりの広さ。悠々としたスペースには滑り台とかの子供用の遊具が充実していて、しっかりした公園ですね。背後に圓満寺の五重塔も見えています。
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イチオシ
ちなみに、圓満寺は、創建を天長年間とする真言宗のお寺。空海が建てた無量寿院の元塔頭寺院が始まりで、空海を開基としています。山岳仏教的な雰囲気はないですが、存在感はすごいと思います。
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次の公園は、野添であい公園。少し高台にあって、日陰を作る施設の屋根がすっきりしたデザイン。ここも野添北公園と同じくらいよく整備されているなという感じがします。
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そうこうしているうちに、兵庫県立考古博物館に到着。
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敷地の続きには、国指定史跡、大中遺跡もあるのですが、そもそも兵庫県は遺跡数が全国1位なんだとか。あんまりそういう認識はありませんでしたし、それに私的には明石原人に少し疑わしい感じもあって、兵庫の考古学ってあんまり印象はよくないんですけどね。
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平清盛も熱心だった日宋貿易で栄えた大輪田泊。神戸港のルーツみたいな存在かな。
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瀬戸内海は、古代から人や物、文化の交流の表舞台ですからね。
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弥生終末から古墳時代初頭を代表する遺跡の大中遺跡、
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邪馬台国の交流地点だったと説明のある長越遺跡も同じ時代かな。畿内、山陰、四国との交流を示す出土品があるのですが、まあ、当時としてそれは普通のことですよね。
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縄文人と弥生人が混血して日本人のルーツになったのは今や考古学の常識ですが、
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古墳時代の争いの激化とかはどう捉えるのか。
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大陸からの弥生人の流入に続いての古墳人の流入とか。
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新しい説もどんどん出てきているんですが、なんか無難なところでまとめている感じ。もう少し大胆なところがあってもいいような。新しい情報への対応がちょっと遅れているような印象も受けました。
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では、大中遺跡へも。
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遺跡内には少なくとも250軒くらいの住居が建てられていたと推定される大規模な集落。王墓は発見されていませんが、中国製の銅鏡片も出土しているので、有力者がいた可能性もあるということでしょう。広い遺跡の中には竪穴式住居が復元されています。
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今夜の宿は二宮旅館。三ノ宮駅からも近い安宿です。工事現場で働くような人たちもたくさん泊まっていました。部屋は和室。中庭にお風呂があって、それもレトロな仕様。ただ、女将さんが丁寧な対応でいい感じ。ちょっとほっこりしました。
さて、明日からは京都です。
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この旅行記へのコメント (6)
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- うふふ♪♪さん 2024/06/17 21:44:32
- 三木清の”読書と人生”が大好きです!
- たびたびさんへ
「たつの」と聞いて、
三木清の出身地では??
と思いきや、やはりそうでしたね。
”人生論ノート”は20代後半の頃、勢いで、なんとか最後まで読みましたが、
最初から最後まで、なんのこっちゃらさっぱりわからず。
師匠の西田幾多郎の”善の研究”に至っては、1行目から歯が立たず。
でも、”読書と人生”はすっごくいいんですよ!!
エッセイ集なんです。
戦時下で、哲学を発表出来るような状況ではなかったから。
子供の頃からの読書遍歴や師・西田幾多郎のことなど。
三木清が学生時代・当時の京大文学部には、西田幾多郎・内藤湖南など、
教科書に載るような学者が目白押しで、
(わぁ~・・キラキラ星みたい~・・)
まさに、キラキラ星の如く、日本を代表する学者が一堂に集まっていたなんて、
なんて素晴らしいことなんでしょう!!!
まぁ、うふふ♪♪には京大や東大に行く頭は微塵も持っていないのですが💧
(三木清は一高→京大です。)
多分、三木本人が、懐かしさを込めて書いているのもあるのでしょうね。
読んでいると、なんだかしみじみと温かい気持ちになるんです。
解説に「この本には学問と青春の空気がいっぱいに詰まっていた」
とありますが、本当にそのとおりなんです!!
(解説者がこの本を読んだのは昭和18年頃。
既に、京大哲学科に入学が決まっていたけれど、
学徒出陣も世間では、決まりかけていた頃だったとか。
<死ぬまでに、三木さんのように学問の雰囲気を味わいたい。>
と思ったそうです。)
すっごくいいんですけど、もう絶版かなぁ・・
”人生論ノート”は少し前、年齢を経たからわかる部分もあるかな??
と思って、開いてみましたが、
もう1ページ目からさっぱりわからない。
あ、でもたびたびさんなら大丈夫かも。
これだけ、詳細な旅行記書かれて、
たくさんの知識のある方だったら、大丈夫かな。
と、滅多に話題に出来ない三木清が出て来たので、
白熱してしまいました(笑)。
失礼致しました。
うふふ♪♪
- たびたびさん からの返信 2024/06/21 17:28:20
- RE: 三木清の”読書と人生”が大好きです!
- 人生論ノートを読み始めました。
死について、幸福について、懐疑について、習慣についてと続きますが、
死について
死の恐怖が薄らいでいくというのは自分の感覚。それを論理的に解釈しようとしていますが、実はそれには輪廻の考え方とか知らず知らず日本人が受け継いできたものが混じっていて、三木清はそれに気が付いていないように思えます。一方で、西洋の哲学や宗教を形作ってきた死に対する考え方を語っていますが、その二つのことをそれぞれ別々に勝手に展開しているので、まとまりがない。自分の感覚を理解してくれといいたいのか、西洋の考え方を紹介したいのかどっちなんだ?という感じ。乱暴ですが、三木清は日本や東洋の死生観について理解が浅いというのが印象ですね。インド哲学の系譜くらいから論じてくれたら、評価しますけどね。
幸福について
これも切り込みが足りないなあ。幸福を抜きにして倫理学、心理学は成り立たないとか。それはいいけど、幸福とは何かのことをまず整理しないと。なのに、幸福は人格であるのひとこと。それって、自分が自分であることというくらいの意味でしょうが、それで終わりか?みたいながっかり感。自分が自分であると考える場合、自分がどうありたいと考えるのかの自分観が重要ですね。それは歴史や文化が反映された死生観とも関係して、ここから突っ込まないと!くらいのテーマでしょ。言葉は簡潔ですが、思想的な深みがあまり伴っていないような気がします。この辺りで、昭和初期の一世を風靡した思想家はこんなにもレベルが低いのかと驚きました。
ところで、夏目漱石の草枕の中で展開される美術論とか人間論とかだとその卓越した解釈には瞠目するしかない。明治の人間がこんなにすごかったのにいったいどうしちゃったんでしょうか。限られた西洋の知識に埋もれて、自分がよってたつものが何だか分からなくなっているような印象。懐疑や習慣になってくるとテーマが小さくなってくるので、それなりにまとまっていますが、それでも別に普通のことを言っているだけで、今の感覚でいえば常識のレベル。偉そうに語る内容ではないと思いますけどね。ただ、まだ読み始めたところですが、これを読んで、夏目漱石の偉大さがまたよく分かったのは収穫と言えば収穫だったかもしれません。
ということで、うふふさんが読んでも分からなかったというのは、むしろ私もそうでしたよと言いたい。それが普通。まったく、気にすることはないと思います。
たびたび
- うふふ♪♪さん からの返信 2024/06/21 22:45:06
- 凄いです・・さすがたびたびさん・・・
- > 人生論ノートを読み始めました。
> 死について、幸福について、懐疑について、習慣についてと続きますが、
>
> 死について
> 幸福について
凄いですね・・・
日本人の仏教の死生観と西洋の死生観を合わせて、
その面から考えられて・・
うふふ♪♪には、何言ってんだか、本当にさっぱりわからなくて。
こんな風に分析出来るたびたびさんは凄いお方ですね・・・
幸福についても同じく。
こんなご自身の解釈が出来るとは・・
凄過ぎます・・・
> ところで、夏目漱石の草枕の中で展開される美術論とか人間論とかだとその卓越した解釈には瞠目するしかない。
うーん・・
漱石は、一番好きな作家ですが(一応)、
あぁ・・”草枕”。
これ、読み流しただけなんで💧
でも、あの有名な冒頭は凄いですよね。
あまりにも簡潔に纏まっていて、唖然。
漱石の偉大さはわかってはいませんが、
とにかく「こころ」が好きで。
好きで、好きで、好きで、好きで。
と司馬遼太郎好きの知人に熱く語っていたら、
知人が「こころ」読んでくれたんですよ。
どんな感想が来るのかな??とワクワクしながら、待っていたら、
「あのな・・最後の”先生と遺書”ってあるやん(知人)」
「うん(ワクワクしっ放しのうふふ♪♪)」
「あれ、物凄く長いけど・・封筒に入らへんと思うねん(知人)」
<絶句・うふふ♪♪>
知人続けて曰く「巻紙じゃないと無理やと思うねんけど・・(まだ色々言ってる)」
いやぁ、ビックリしました。
確かに封筒には入らないだろうけど、
本文に一応、折り畳んだ手紙を開く描写があるんですよね。
だから、封書です。
・・・・・
と言うか、これ小説やし!
そんなところに、リアリティ求めなくても!!!
まぁ・・以前入っていた”趣味の会(の知人でした)”には、
こんな変な人がいっぱい居ました・・・
もう・・
絶句するしかなく・・・
> ということで、うふふさんが読んでも分からなかったというのは、むしろ私もそうでしたよと言いたい。それが普通。まったく、気にすることはないと思います。
>
>
> たびたび
そうでしょうか・・・
うふふ♪♪はたびたびさんのような素晴らしい考察など、
欠片も出て来ませんでしたが・・
うーん・・
三木清はレベルが低いのでしょうか・・・(ちょっとがっかり・苦笑☆)
でも、いいんです。
”読書と人生”が大好きなので、
三木清はいつまでもうふふ♪♪の心の中では燦然と輝いていることでしょう!
たびたびさんは本当に凄い方ですね・・・
驚きました・・・
1つ、ほっとしたのは、
”読書と人生”のなかで、三木清は「西田先生の本は難しい」と書いています。
そっかぁ・・
教科書に載るような(一応)日本を代表する哲学者が、
「難しい」んだから、うふふ♪♪ごときに分かる訳無いなぁ〜・・・
と。
(でも、じゃあ西田哲学って誰ならわかるんでしょうか??💧)
たびたびさんの深い洞察力に心から敬意を表します。
素晴らしい!!
うふふ♪♪
- たびたびさん からの返信 2024/06/25 17:15:42
- RE: 凄いです・・さすがたびたびさん・・・
- 最後まで読みましたよ。
感想としては、特に変わりなし。それぞれのテーマを丁寧に整理してはいるのですが、それなりに共感するところはあっても深く共感する部分は少ないですね。例えば旅についても、なんかな〜。最後の結論はとってもいいんですが、そこまで述べてきた大部分の内容からはつながらないのでは?突然とってつけたようなことになっていて、この人本当に分かっているのかなあという懐疑的な気持ちが湧いてきます。
とはいえ、人は聞きたいことを聞き、見たいものを見る。三木清は私にとってはそういう対象ではなかったということなんでしょう。私はもっと楽しい本を読みたいですね。夏目漱石の「心」とかが気になってきました。
たびたび
-
- masaさん 2024/04/11 09:43:55
- 昨日、たつのに行ってきました🌸
- ビックリしました(^^;)
まさに昨日行ってきたところです。
たつのは初めてですが、何の下調べもせず、小さい町みたいなので2~3時間でまわれるやろうと考えてました。けっこう広範囲なので、一部しか行けませんでした(^^;)
ちょうど桜が満開で、すばらしい桜を見ながらの散策でした(^-^)観光客もまぁまぁいましたね。
『うすくち龍野醤油資料館』の入館料が10円なのは爆笑しました!
うろうろして昼飯難民になりかけましたが、『エデンの東』さんでランチいただきました。とはいえ、ランチは「ご飯がない」、にゅうめんは「お出汁がない」( 一一)
たつの醤油と麴を使用したピザをいただきました。
そのうちブログもアップします。
紅葉の頃もよさそうですね(^-^)
今後ともよろしくお願いいたします
masa
- たびたびさん からの返信 2024/04/11 22:56:38
- RE: 昨日、たつのに行ってきました🌸
- それはそれは。。
たつの市だと室津港の方も気になっています。いつか機会を作りたいなと思っているんですけどね。
たびたび
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