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2022年1月6日(木)3時5分ほど前、明善寺の鐘楼門から南西方向に道を辿る。右手に「コーヒー」の看板が掛かった小振りの合掌造りの建物が見えるが、「文化喫茶 郷愁」と云うリノベーションした喫茶店(下の写真1)。セルフサービスでメニューはコーヒーのみらしい。左手には合掌造りの家が3件並んで建つ。3件とも民宿で、右から「きどや」、「ふるさと」、「久松」(下の写真2)。雪を被って本当に絵になる。<br /><br />メインストリートに合流してすぐ南の左手に白川八幡神社がある。かつては上白川郷(現在の高山市荘川)と下白川郷(現在の白川村)の計41ヶ村の産土神で、現在も荻町、戸ヶ野、島集落の氏神として信仰されている。主祭神は比売神(ひめがみ)、神功皇后と共に八幡三神とされる応神天皇(第15代天皇で誉田天皇(ほむたのすめらみこと)とも呼ばれる)。<br /><br />創建は不詳だが平城京遷都前後の和銅年間(708~714年)に勧請されたのが始まりと伝えられる。中世以降、内ヶ島家の家臣で萩町城の城主となった山下家(内ヶ島家滅亡後は徳川家に使え、江戸時代には尾張徳川家家老となった)の氏神として崇敬庇護された。<br /><br />古くから神仏習合し、別当寺院として江戸時代初期まで仙光院(現在の弘法堂)、江戸時代中期以降は明善寺が祭祀を司ってきたが、明治の神仏分離令により分離を余儀なくされ、その後、白川荘川両村の郷社に列っしているが、現在でも境内には釈迦堂が残されており神仏習合の名残が感じられる。<br /><br />10月半ばに開催される例祭はどぶろく祭りと呼ばれ、天下の奇祭として知られる。五穀豊穰・家内安全・白川郷の平穏を祈願する神事で、笛太鼓に合わせて五色旗が集落内を練り歩き、境内では獅子舞が奉納され、参拝者にはどぶろくが振舞われる。獅子舞は古式を伝える貴重な芸能行事である事から、白川村の獅子舞として1996年に岐阜県指定無形民俗文化財に指定されている。<br /><br />2002年に発表され、後に漫画化、アニメ化、小説化、実写映画化などもされて大ヒットしたコンピューターゲーム「ひぐらしのなく頃に」に登場する古手神社のモデルとしてアニメ聖地になっており、聖地巡礼に訪れたファンによる力作の絵馬が数多く納められている。<br /><br />「ひぐらしのなく頃に」は、同人サークル「07th Expansion」によるコンピューターゲーム作品で、監督と脚本は竜騎士07。昔ながらの村社会の様相を残す村落で発生した連続怪死・失踪事件の顛末を描いた連作式のミステリー。<br /><br />人口2000人に満たない寂れた架空の村落、雛見沢村を舞台としているが、そのモデルが白川郷で、その中でたびたび登場する重要な場所の一つがこの神社をモデルにした古手神社。なお、実写映画は第1話「鬼隠し編」を原作として、2008年5月に公開された。監督が及川中で主演は前田公輝。単館系作品としては異例の興行収入2億円を突破した。ただし、白川八幡神社でロケされた訳ではない。<br /><br />道路から一ノ鳥居を抜けて境内に入る。素木の木造明神鳥居で控え柱の付く両部鳥居。参道は雪に覆われており、気を付けながら進む。左手に手水舎。その奥の建物はどぶろく祭りの館で、人形や模型が展示されどぶろく祭を再現する展示施設だが、コロナ禍で休館中。ニノ鳥居は石造の明神鳥居。参道には常夜灯2対と1対の狛犬が置かれている。<br /><br />正面の社殿は1639年に再建されたものだが、その後も1861年、1902年(明治35年)、1961年(昭和36年)に造営や改築が行われている。拝殿は入母屋、檜皮葺、正面唐破風向拝付、平入、桁行4間、梁間4間、外壁は真壁造白漆喰仕上げ、正面中央には「八幡宮」の社号額が掲げられている。雪に覆われ、廻りも雪囲いのシートで囲まれているので、それ以上は見えない。本殿も覆い屋内部の為、様子は分からない。<br /><br />社殿の右手には釈迦堂。前述したように神仏習合時代の名残。江戸時代初期の1627年に当時の領主の山下氏勝が病気平癒のお礼に寄進した。氏勝が家康の命により名古屋城築城の大役を受けた折、諸国の優れた彫刻家に彫らせた弥陀、釈迦、日輪、月輪の4体の仏像が収められている。<br /><br />反対側にはこれも雪囲いのシートで囲まれているので、ほとんど見えないが、入母屋妻入りの白川村招魂社が建つ。これは新しく1961年に創建されたもので、みたま社とも呼ばれ、現在は村出身の戦没者の御霊が祀られている。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9382162755186998&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />3時過ぎ、白川八幡神社からメインストリートに戻り、もう少し先へ歩く。神社の少し先で道は西に方向を変えるが、この先はかん町と呼ばれる地域になり、家はまばらになる。右手に「お食事の庵 基太の庄」になっている大きな合掌造りの家があるが(この時はコロナ禍で休業中)、その先に観光ポスターなどでよく使われる綺麗に並んだ3つの合掌造りが建つ。<br /><br />三連合掌とか三小屋や三つ子の合掌造りと呼ばれ、少し行き過ぎてから振り返って眺めると雪深いなかに佇む家屋が幻想的。田植え時期の田んぼの水面に映る逆さ合掌や秋の実った稲穂との景色も美しい。三棟のうち中央が「木古里」、右が「忠兵衛」と云う食事処兼土産屋となっていたようだが、これもコロナ禍で休業中だった。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9382176348518972&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />道を引き返し、白川を渡って白川郷合掌造り民家園へ向かうが、続く

岐阜 白川郷 荻町 白川八幡神社(Shirakawa Hachiman Shrine,Shirakawago,Gifu)

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2022/01/06 - 2022/01/06

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ちふゆ

ちふゆさん

2022年1月6日(木)3時5分ほど前、明善寺の鐘楼門から南西方向に道を辿る。右手に「コーヒー」の看板が掛かった小振りの合掌造りの建物が見えるが、「文化喫茶 郷愁」と云うリノベーションした喫茶店(下の写真1)。セルフサービスでメニューはコーヒーのみらしい。左手には合掌造りの家が3件並んで建つ。3件とも民宿で、右から「きどや」、「ふるさと」、「久松」(下の写真2)。雪を被って本当に絵になる。

メインストリートに合流してすぐ南の左手に白川八幡神社がある。かつては上白川郷(現在の高山市荘川)と下白川郷(現在の白川村)の計41ヶ村の産土神で、現在も荻町、戸ヶ野、島集落の氏神として信仰されている。主祭神は比売神(ひめがみ)、神功皇后と共に八幡三神とされる応神天皇(第15代天皇で誉田天皇(ほむたのすめらみこと)とも呼ばれる)。

創建は不詳だが平城京遷都前後の和銅年間(708~714年)に勧請されたのが始まりと伝えられる。中世以降、内ヶ島家の家臣で萩町城の城主となった山下家(内ヶ島家滅亡後は徳川家に使え、江戸時代には尾張徳川家家老となった)の氏神として崇敬庇護された。

古くから神仏習合し、別当寺院として江戸時代初期まで仙光院(現在の弘法堂)、江戸時代中期以降は明善寺が祭祀を司ってきたが、明治の神仏分離令により分離を余儀なくされ、その後、白川荘川両村の郷社に列っしているが、現在でも境内には釈迦堂が残されており神仏習合の名残が感じられる。

10月半ばに開催される例祭はどぶろく祭りと呼ばれ、天下の奇祭として知られる。五穀豊穰・家内安全・白川郷の平穏を祈願する神事で、笛太鼓に合わせて五色旗が集落内を練り歩き、境内では獅子舞が奉納され、参拝者にはどぶろくが振舞われる。獅子舞は古式を伝える貴重な芸能行事である事から、白川村の獅子舞として1996年に岐阜県指定無形民俗文化財に指定されている。

2002年に発表され、後に漫画化、アニメ化、小説化、実写映画化などもされて大ヒットしたコンピューターゲーム「ひぐらしのなく頃に」に登場する古手神社のモデルとしてアニメ聖地になっており、聖地巡礼に訪れたファンによる力作の絵馬が数多く納められている。

「ひぐらしのなく頃に」は、同人サークル「07th Expansion」によるコンピューターゲーム作品で、監督と脚本は竜騎士07。昔ながらの村社会の様相を残す村落で発生した連続怪死・失踪事件の顛末を描いた連作式のミステリー。

人口2000人に満たない寂れた架空の村落、雛見沢村を舞台としているが、そのモデルが白川郷で、その中でたびたび登場する重要な場所の一つがこの神社をモデルにした古手神社。なお、実写映画は第1話「鬼隠し編」を原作として、2008年5月に公開された。監督が及川中で主演は前田公輝。単館系作品としては異例の興行収入2億円を突破した。ただし、白川八幡神社でロケされた訳ではない。

道路から一ノ鳥居を抜けて境内に入る。素木の木造明神鳥居で控え柱の付く両部鳥居。参道は雪に覆われており、気を付けながら進む。左手に手水舎。その奥の建物はどぶろく祭りの館で、人形や模型が展示されどぶろく祭を再現する展示施設だが、コロナ禍で休館中。ニノ鳥居は石造の明神鳥居。参道には常夜灯2対と1対の狛犬が置かれている。

正面の社殿は1639年に再建されたものだが、その後も1861年、1902年(明治35年)、1961年(昭和36年)に造営や改築が行われている。拝殿は入母屋、檜皮葺、正面唐破風向拝付、平入、桁行4間、梁間4間、外壁は真壁造白漆喰仕上げ、正面中央には「八幡宮」の社号額が掲げられている。雪に覆われ、廻りも雪囲いのシートで囲まれているので、それ以上は見えない。本殿も覆い屋内部の為、様子は分からない。

社殿の右手には釈迦堂。前述したように神仏習合時代の名残。江戸時代初期の1627年に当時の領主の山下氏勝が病気平癒のお礼に寄進した。氏勝が家康の命により名古屋城築城の大役を受けた折、諸国の優れた彫刻家に彫らせた弥陀、釈迦、日輪、月輪の4体の仏像が収められている。

反対側にはこれも雪囲いのシートで囲まれているので、ほとんど見えないが、入母屋妻入りの白川村招魂社が建つ。これは新しく1961年に創建されたもので、みたま社とも呼ばれ、現在は村出身の戦没者の御霊が祀られている。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9382162755186998&type=1&l=223fe1adec

3時過ぎ、白川八幡神社からメインストリートに戻り、もう少し先へ歩く。神社の少し先で道は西に方向を変えるが、この先はかん町と呼ばれる地域になり、家はまばらになる。右手に「お食事の庵 基太の庄」になっている大きな合掌造りの家があるが(この時はコロナ禍で休業中)、その先に観光ポスターなどでよく使われる綺麗に並んだ3つの合掌造りが建つ。

三連合掌とか三小屋や三つ子の合掌造りと呼ばれ、少し行き過ぎてから振り返って眺めると雪深いなかに佇む家屋が幻想的。田植え時期の田んぼの水面に映る逆さ合掌や秋の実った稲穂との景色も美しい。三棟のうち中央が「木古里」、右が「忠兵衛」と云う食事処兼土産屋となっていたようだが、これもコロナ禍で休業中だった。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9382176348518972&type=1&l=223fe1adec


道を引き返し、白川を渡って白川郷合掌造り民家園へ向かうが、続く

  • 写真1 文化喫茶 郷愁

    写真1 文化喫茶 郷愁

  • 写真2 民宿 久松、ふるさと、きどや

    写真2 民宿 久松、ふるさと、きどや

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