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2022年1月6日(木)2時20分過ぎ、和田家住宅の見学を終えて外に出るとメインストリートの右手には白水園(下の写真1)、左手にはこびき屋(下の写真2)の合掌造りが見える。こびき屋の横からメインストリートを南に進む。<br /><br />少し歩くと、左手に昼食の後にも写真を撮った大正建築の奥左エ門と云うインテリア用品店があり、「大正時代の建築美をごらん下さい」とあるので、ちょっとお邪魔する。ご主人とも少しお話したが、京都でも聞くが、こうした古い建物はメンテなどが大変だそうだ。まあ、そうだろうね。<br /><br />さらに南に進み、昼には左折した佐藤民芸品店の前の三差路を直進して少し進むと荻町公園がある。2012年3月までは観光駐車場だったところで、2014年4月からの観光車両乗入制限実施に伴い、村民・来訪者の公園として再整備した。<br /><br />合掌造り建物の休憩所 ゆるりの他に土産物屋の山楽堂、定食屋のしらおぎ、飛騨牛握り処 おけさなどが公園を囲んでおり、雪で覆われていたが、真ん中には芝生と植栽を施している。この芝生はここは駐車場になる前までは水田だったため、稲の緑を表現している。公園の奥から川沿いに明善寺への抜け道が続く。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9344780845591856&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />メインストリートより1本東の道に出て、少し南に進むと右手に唐臼場がある(下の写真5)。母屋から独立した小規模の建物で、切妻、茅葺、桁行1.5間、梁間1間の木造平屋。1976年に白川郷が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された際、同時に伝統的建造物に選定された。<br /><br />米・麦・豆・粟・ひえなどを脱穀した後の籾から籾殻を取り除く作業を、唐臼(からうす)と云う搗き臼の一種を使って行うところ。唐臼とは臼を地面に固定し、杵をシーソーのような機構の一方につけ、足で片側を踏んで放すと杵が落下して臼の中の穀物を搗く仕組み。水力を使う場合もあり、この小屋はわざわざ母屋と離して独立させている事から水力利用だったかも知れない。<br /><br />2時40分頃、その向かいの明善寺庫裡郷土館に到着。明善寺は浄土真宗大谷派の寺院で、山号を松原山と称する。創建は江戸中期の1736年で、1744年に本山より寺号を許されて松原山明善寺を名乗った。<br /><br />元々は、明善寺と荻町公園を挟んで西側にある本覚寺が真宗大谷派だったのだが、1680年に本覚寺は本願寺派へ転派し、その際に大谷派本山は本覚寺の阿弥陀如来と名号を取り上げて村内の大谷派の門徒に与えていた。それを創建時に下付し、本尊とした。<br /><br />この合掌造りの庫裏は江戸後期の1817年の建立で岐阜県の文化財に指定されている。内部は合掌造りや郷土資料を集めた明善寺庫裏郷土館となっており、さっそく入場(大人300円)。まずは2階へ上がると合掌造りの広いスペースに、昔の農具や木工家具、炊事用具など、当時の暮らしをうかがわせる生活用品が展示されている。<br /><br />続いて廊下を奥に進むと棟続きの本堂がある。江戸後期の1827年に高山の大工、水間宇助により建築されたもので、白川村の文化財に指定されている。1806年から欅材の伐採に着手し、20年近い歳月を経て、延べ9191人を要して建築された。<br /><br />正面(西)及び南、北に縁があり、南側奥が花立部屋、北側は半鐘部屋、東奥側には後堂、中央部は2間で手前に外陣、その奥に一段高くして内陣があろご本尊の阿弥陀如来が祀られている。向拝の龍頭の彫刻などに細工師のすぐれた技術をうかがうことができる。<br /><br />庫裏に戻って来て、今度は1階の囲炉裏部屋に。実際に火が入っていて周りに座らせてもらうことが出来る。なお、庫裏は客間である「でい」が「口のでい」「奥のでい」と3室に分かれており、南側と表側の一部が庭に面して回廊になっているのが大きな特徴。<br /><br />見学を終えて、入口に戻り、来た道をさらに少し南に進むと鐘楼門。屋根は茅葺きだが、1階に板庇をつけた珍しい建築物。1801年に加藤定七により、延べ人数1425人を要して建てたもので、岐阜県の文化財に指定されている。梵鐘は第二次大戦中に供出されたため、現在のものは戦後に高岡市の鋳金工芸作家の中村義一氏によって作られたもの。<br /><br />その左手には岐阜県の天然記念物のイチイの木。1827年の本堂の建設に際し、副棟梁の大工与四郎が記念樹として植樹したと云われる。根元の幹周囲2.6m、目通り幹周囲3.5m、樹高10.6m、枝張りが東1.9m、西3.5m、南2.8m、北3.5m。伝統的建造物の石垣(43.3m)の一角にあるが、この石垣は伝建地区の保存対象となっている。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9344800372256570&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />さらに南に進み、白川八幡神社へ向かうが、続く

岐阜 白川郷 荻町 明善寺(Myozen-ji Temple,Ogimachi,Shirakawago,Gifu,Japan)

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2022/01/06 - 2022/01/06

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ちふゆ

ちふゆさん

2022年1月6日(木)2時20分過ぎ、和田家住宅の見学を終えて外に出るとメインストリートの右手には白水園(下の写真1)、左手にはこびき屋(下の写真2)の合掌造りが見える。こびき屋の横からメインストリートを南に進む。

少し歩くと、左手に昼食の後にも写真を撮った大正建築の奥左エ門と云うインテリア用品店があり、「大正時代の建築美をごらん下さい」とあるので、ちょっとお邪魔する。ご主人とも少しお話したが、京都でも聞くが、こうした古い建物はメンテなどが大変だそうだ。まあ、そうだろうね。

さらに南に進み、昼には左折した佐藤民芸品店の前の三差路を直進して少し進むと荻町公園がある。2012年3月までは観光駐車場だったところで、2014年4月からの観光車両乗入制限実施に伴い、村民・来訪者の公園として再整備した。

合掌造り建物の休憩所 ゆるりの他に土産物屋の山楽堂、定食屋のしらおぎ、飛騨牛握り処 おけさなどが公園を囲んでおり、雪で覆われていたが、真ん中には芝生と植栽を施している。この芝生はここは駐車場になる前までは水田だったため、稲の緑を表現している。公園の奥から川沿いに明善寺への抜け道が続く。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9344780845591856&type=1&l=223fe1adec

メインストリートより1本東の道に出て、少し南に進むと右手に唐臼場がある(下の写真5)。母屋から独立した小規模の建物で、切妻、茅葺、桁行1.5間、梁間1間の木造平屋。1976年に白川郷が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された際、同時に伝統的建造物に選定された。

米・麦・豆・粟・ひえなどを脱穀した後の籾から籾殻を取り除く作業を、唐臼(からうす)と云う搗き臼の一種を使って行うところ。唐臼とは臼を地面に固定し、杵をシーソーのような機構の一方につけ、足で片側を踏んで放すと杵が落下して臼の中の穀物を搗く仕組み。水力を使う場合もあり、この小屋はわざわざ母屋と離して独立させている事から水力利用だったかも知れない。

2時40分頃、その向かいの明善寺庫裡郷土館に到着。明善寺は浄土真宗大谷派の寺院で、山号を松原山と称する。創建は江戸中期の1736年で、1744年に本山より寺号を許されて松原山明善寺を名乗った。

元々は、明善寺と荻町公園を挟んで西側にある本覚寺が真宗大谷派だったのだが、1680年に本覚寺は本願寺派へ転派し、その際に大谷派本山は本覚寺の阿弥陀如来と名号を取り上げて村内の大谷派の門徒に与えていた。それを創建時に下付し、本尊とした。

この合掌造りの庫裏は江戸後期の1817年の建立で岐阜県の文化財に指定されている。内部は合掌造りや郷土資料を集めた明善寺庫裏郷土館となっており、さっそく入場(大人300円)。まずは2階へ上がると合掌造りの広いスペースに、昔の農具や木工家具、炊事用具など、当時の暮らしをうかがわせる生活用品が展示されている。

続いて廊下を奥に進むと棟続きの本堂がある。江戸後期の1827年に高山の大工、水間宇助により建築されたもので、白川村の文化財に指定されている。1806年から欅材の伐採に着手し、20年近い歳月を経て、延べ9191人を要して建築された。

正面(西)及び南、北に縁があり、南側奥が花立部屋、北側は半鐘部屋、東奥側には後堂、中央部は2間で手前に外陣、その奥に一段高くして内陣があろご本尊の阿弥陀如来が祀られている。向拝の龍頭の彫刻などに細工師のすぐれた技術をうかがうことができる。

庫裏に戻って来て、今度は1階の囲炉裏部屋に。実際に火が入っていて周りに座らせてもらうことが出来る。なお、庫裏は客間である「でい」が「口のでい」「奥のでい」と3室に分かれており、南側と表側の一部が庭に面して回廊になっているのが大きな特徴。

見学を終えて、入口に戻り、来た道をさらに少し南に進むと鐘楼門。屋根は茅葺きだが、1階に板庇をつけた珍しい建築物。1801年に加藤定七により、延べ人数1425人を要して建てたもので、岐阜県の文化財に指定されている。梵鐘は第二次大戦中に供出されたため、現在のものは戦後に高岡市の鋳金工芸作家の中村義一氏によって作られたもの。

その左手には岐阜県の天然記念物のイチイの木。1827年の本堂の建設に際し、副棟梁の大工与四郎が記念樹として植樹したと云われる。根元の幹周囲2.6m、目通り幹周囲3.5m、樹高10.6m、枝張りが東1.9m、西3.5m、南2.8m、北3.5m。伝統的建造物の石垣(43.3m)の一角にあるが、この石垣は伝建地区の保存対象となっている。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9344800372256570&type=1&l=223fe1adec


さらに南に進み、白川八幡神社へ向かうが、続く

  • 写真1 白水園

    写真1 白水園

  • 写真2 こびき屋

    写真2 こびき屋

  • 写真3 奥左エ門

    写真3 奥左エ門

  • 写真4 奥左エ門内部

    写真4 奥左エ門内部

  • 写真5 唐臼場

    写真5 唐臼場

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