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バングラデシュのビザを取るため在カルカッタ・バングラデシュ領事館に行ったのは2月2日のことだった。滞在していたサダルストリートから徒歩30分、やっとの思いで領事館に着いたが、僕は大使館周辺の状況を見て愕然とした。建物の前に人が溢れていたのだ。僕もこの中で彼らと一緒にビザを申請しなくてはならないのかと思い気が遠くなってきた。でも心配には及ばず外国人は勝手口から中に入り優先的に申請することが出来た。1000Rs.を払い明日の受け取ることになった。他国でバングラデシュビザを取ると無料で即時発行なのにインドは高い、遅い最悪だ。<br />翌日ビザを受取に領事館へ向かった。しかし今日は渡せないと言いやがる。明日来てくれだ。ふざけるな。いい加減な奴らだ。さすがに場所が場所だけに怒鳴ったりはしなかったが。それにしても本当に明日ちゃんとパスポートを返してくれるのか。信用できない。

1997年~1998年 ユーラシア大陸横断-F(バングラデシュ編)

3いいね!

1998/02/04 - 1998/02/11

520位(同エリア583件中)

まさとし

まさとしさん

バングラデシュのビザを取るため在カルカッタ・バングラデシュ領事館に行ったのは2月2日のことだった。滞在していたサダルストリートから徒歩30分、やっとの思いで領事館に着いたが、僕は大使館周辺の状況を見て愕然とした。建物の前に人が溢れていたのだ。僕もこの中で彼らと一緒にビザを申請しなくてはならないのかと思い気が遠くなってきた。でも心配には及ばず外国人は勝手口から中に入り優先的に申請することが出来た。1000Rs.を払い明日の受け取ることになった。他国でバングラデシュビザを取ると無料で即時発行なのにインドは高い、遅い最悪だ。
翌日ビザを受取に領事館へ向かった。しかし今日は渡せないと言いやがる。明日来てくれだ。ふざけるな。いい加減な奴らだ。さすがに場所が場所だけに怒鳴ったりはしなかったが。それにしても本当に明日ちゃんとパスポートを返してくれるのか。信用できない。

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  • <br /><br />バングラディシュへの旅立ら (2/4)<br /><br />今日こそビザを受け取るためバングラデシュ領事館に向かった。本当に今日受け取れるのか心配だったがパスポートにはちゃんとバングラデシュのスタンプビザが押されていた。一安心。カルカッタに長くいても仕方ない。 早速今日出発だ。荷物をまとめホテルパラゴンを後にした。バングラディシュへの玄関口はシアルダー駅。歩いて約40分。結構距離があるがバスはワケがわからないし、タクシーは使いたくないので仕方がない。途中で雨が降ってきた。でも何とかシアルダー駅にたどり着くことが出来た。そして国境の町バンガオンへ向かう列車に乗り込んだ。12時50分に出発。2時間後、終点のバンガオンに到着。<br />



    バングラディシュへの旅立ら (2/4)

    今日こそビザを受け取るためバングラデシュ領事館に向かった。本当に今日受け取れるのか心配だったがパスポートにはちゃんとバングラデシュのスタンプビザが押されていた。一安心。カルカッタに長くいても仕方ない。 早速今日出発だ。荷物をまとめホテルパラゴンを後にした。バングラディシュへの玄関口はシアルダー駅。歩いて約40分。結構距離があるがバスはワケがわからないし、タクシーは使いたくないので仕方がない。途中で雨が降ってきた。でも何とかシアルダー駅にたどり着くことが出来た。そして国境の町バンガオンへ向かう列車に乗り込んだ。12時50分に出発。2時間後、終点のバンガオンに到着。

  • そこから乗り合いリキシャで国境地点「ベナプル」へ向かった。バングラデシュに入国したが言葉や文字、人も同じなので異国に来たという感じはあまりない。<br />そのままバスでクルナを目指す事にした。バスはインド製か日本製(TATAバスに日野のマークを付けているのがある) かわからないが乗り心地は悪くない。<br />途中ジョソールで乗り換えなくてはならない。何もしなくてもバングラ人がどこに行けばいいのか案内してくれる。クルナに着いたのは夜の10時だった。ガソリンスタンドに降ろされ町の中心部までまだ結構ありそうだ。仕方なくリキシャに乗ることにした。<br />クルナはバングラデシュ第3の都市だけあってわりと近代的なビルも建っている。<br />今日は朝しかまともな物を食べていないので空腹が限界だ。しかし時間が時間だけに食堂はおろか全ての店が閉まっている。とりあえずホテルを決めた。滞在する事になったクルナホテルの宿帳にはアルファベットの記入あとが全くない。こんな所に来る外国人ツーリストはほとんどいないのだろうか。クルナの街に来て気づいたのは看板からアルファベット表示が消えたこと。そしてバングラデシュ人にはインドほど英語が通じない。<br /><br />

    そこから乗り合いリキシャで国境地点「ベナプル」へ向かった。バングラデシュに入国したが言葉や文字、人も同じなので異国に来たという感じはあまりない。
    そのままバスでクルナを目指す事にした。バスはインド製か日本製(TATAバスに日野のマークを付けているのがある) かわからないが乗り心地は悪くない。
    途中ジョソールで乗り換えなくてはならない。何もしなくてもバングラ人がどこに行けばいいのか案内してくれる。クルナに着いたのは夜の10時だった。ガソリンスタンドに降ろされ町の中心部までまだ結構ありそうだ。仕方なくリキシャに乗ることにした。
    クルナはバングラデシュ第3の都市だけあってわりと近代的なビルも建っている。
    今日は朝しかまともな物を食べていないので空腹が限界だ。しかし時間が時間だけに食堂はおろか全ての店が閉まっている。とりあえずホテルを決めた。滞在する事になったクルナホテルの宿帳にはアルファベットの記入あとが全くない。こんな所に来る外国人ツーリストはほとんどいないのだろうか。クルナの街に来て気づいたのは看板からアルファベット表示が消えたこと。そしてバングラデシュ人にはインドほど英語が通じない。

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  • バゲラハト (2/5)<br /><br />朝銀行へ両替しに行った。待っている間チャイが出た。バングラデシュでの外国人の待遇はかなりいいようだ。そのあとクルナ駅へ行ってみた。車両はインドよりきれいだ。その裏にダッカ行の船着き場があったので予約することにした。ダッカまでファーストクラスで900TK (2000円)で飛行機より高い。僕は2等に乗ることにした。ちなみに値段は555TK<br />(1300円)と飛行機より少し安いだけだ。期待していいのだろうか。<br />クルナから川を渡って南に20Kmぐらい行くとバゲラハトという世界遺産にも登録されている観光名所があるらしい。せっかくなので行ってみた。川を渡るフェリーはタダ。<br />そこからバスで40分、モスクの並ぶ村に到着した。バスの中で知り合ったムスリムに案内してもらい湖の周辺を散策した。はっきり言ってたいした所ではない。でもバングラデシュ人で賑わっていた。外人は僕だけか。<br />帰りはバスの屋根の上だ。2ヶ月前のガヤでのことを思い出した。しかし乾期のバングラは意外と風が冷たい。<br />一緒に行動していたムスリムが寒いから中へ入ろうとうるさい。決して我慢できない寒さではないだろう。<br />再びクルナの街に戻ってきた。昼御飯は街唯一の中華レストラン「HONG KONG」に行くことにした。しかし営業時間外だったらしい。でも開けてくれた。メニューは英語で書かれていたが1人も英語を話す店員がいない。オーナーは中国人なのかどうかわからないが店の雰囲気から判断するとバングラ人がやってそうだ。そのくせ値段だけは一人前だ。「この店大丈夫か」と思っていたら案の定、頼んでもないものが出てきた。腹も減っていたし、食べる前にもめてせっかくの料理の処理に困ってもいけないと思い、食後もめることにした。僕が頼んだものは60TKのチキンフライドライス。しかし出てきたのはエッグフライドライスとフライドチキン。おまけにカレー味。領収書には90+50=140TKと書かれていた。<br />出てきた時それぐらいはいくだろうと思っていたが、いちゃもんをつけたが英語が分からない奴らには無駄だった。むなしくなってきた。結局140TK払って店をあとにした。別に悪気があってしたことではないのはわかるが、外国料理店なのだからもうちょっと英語でメニューぐらい理解できるよう努力して欲しい。<br />夜、街は暗い。その割にリキシャがやたらと多い。<br />

    バゲラハト (2/5)

    朝銀行へ両替しに行った。待っている間チャイが出た。バングラデシュでの外国人の待遇はかなりいいようだ。そのあとクルナ駅へ行ってみた。車両はインドよりきれいだ。その裏にダッカ行の船着き場があったので予約することにした。ダッカまでファーストクラスで900TK (2000円)で飛行機より高い。僕は2等に乗ることにした。ちなみに値段は555TK
    (1300円)と飛行機より少し安いだけだ。期待していいのだろうか。
    クルナから川を渡って南に20Kmぐらい行くとバゲラハトという世界遺産にも登録されている観光名所があるらしい。せっかくなので行ってみた。川を渡るフェリーはタダ。
    そこからバスで40分、モスクの並ぶ村に到着した。バスの中で知り合ったムスリムに案内してもらい湖の周辺を散策した。はっきり言ってたいした所ではない。でもバングラデシュ人で賑わっていた。外人は僕だけか。
    帰りはバスの屋根の上だ。2ヶ月前のガヤでのことを思い出した。しかし乾期のバングラは意外と風が冷たい。
    一緒に行動していたムスリムが寒いから中へ入ろうとうるさい。決して我慢できない寒さではないだろう。
    再びクルナの街に戻ってきた。昼御飯は街唯一の中華レストラン「HONG KONG」に行くことにした。しかし営業時間外だったらしい。でも開けてくれた。メニューは英語で書かれていたが1人も英語を話す店員がいない。オーナーは中国人なのかどうかわからないが店の雰囲気から判断するとバングラ人がやってそうだ。そのくせ値段だけは一人前だ。「この店大丈夫か」と思っていたら案の定、頼んでもないものが出てきた。腹も減っていたし、食べる前にもめてせっかくの料理の処理に困ってもいけないと思い、食後もめることにした。僕が頼んだものは60TKのチキンフライドライス。しかし出てきたのはエッグフライドライスとフライドチキン。おまけにカレー味。領収書には90+50=140TKと書かれていた。
    出てきた時それぐらいはいくだろうと思っていたが、いちゃもんをつけたが英語が分からない奴らには無駄だった。むなしくなってきた。結局140TK払って店をあとにした。別に悪気があってしたことではないのはわかるが、外国料理店なのだからもうちょっと英語でメニューぐらい理解できるよう努力して欲しい。
    夜、街は暗い。その割にリキシャがやたらと多い。

  • クルナで暇つぶし (2/6)<br /><br />12時過ぎまでホテルでダラダラしていた。今夜出発なのでチェックアウトをしようと思った。でもこのホテルは変わっていて4時まで部屋にいていいらしい。ずっとダラダラしていても仕方ないので荷物をフロントに預かってもらうことにした。午後、クルナ駅周辺をうろついた。すると物乞いが来た。1TKくれと言う。しかしそんなものあげる気はない。<br />僕が歩き出すと彼は僕の後をつけてきた。「日本に働きにいきたい」とか言い出した。そんなこと知るか。2kmぐらい僕のあとをついてきたがいつの間にかいなくなってしまった。<br />ニューマーケットへ行ってみた。客層は比較的裕福な人が多い。今日はイスラム教の安息日ということもあり、閉まっている店が多い。そのまま中心部へ戻ることにした。途中クルナ大学の学生と出会った。いつものように同じ質問をされ疲れてきた。こいつも日本へ働きたいとか言い出した。チャイをおごってくれたかと思うと、2IKくれとか言い出した。わけがわからん。子供は30人ぐらい集まってくるし疲れた。<br />クルナの最高級ホテル「ロイヤルインターナショナルホテル」に行ってみた。特に理由はないがこの街の最高級ということで興味があった。さすがにここには外国人客も泊まっているみたいだ。最高級と言っても1泊450TK/10$である。泊まる気は全くないのにベルボーイ(というようなガラではないが)部屋に案内された。一様エアコン付き。テレビは別料金(200TK)で部屋に持ってきてくれるようだ。シャワーはお湯も出るらしいが案内<br />された部屋は壊れていた。レストランは高級な雰囲気で夕食は200mKより。<br />客も少なく、ホテルの人も暇そうだったので1階のロビーでホテルの従業員にベンガル語を少し教えてもらうことにした。少し覚えておくとこれから少しは楽になる。<br />といっても数字の発音と値段交渉の会話だけ聞いただけだが。この街で英語をまともに話してくれる人はこのホテルの従業員ぐらいのものだしいい機会だ。<br />9時前クルナホテルに戻った。そして11時頃港へ向かった。出港4時間前だが人はもう乗っていた。

    クルナで暇つぶし (2/6)

    12時過ぎまでホテルでダラダラしていた。今夜出発なのでチェックアウトをしようと思った。でもこのホテルは変わっていて4時まで部屋にいていいらしい。ずっとダラダラしていても仕方ないので荷物をフロントに預かってもらうことにした。午後、クルナ駅周辺をうろついた。すると物乞いが来た。1TKくれと言う。しかしそんなものあげる気はない。
    僕が歩き出すと彼は僕の後をつけてきた。「日本に働きにいきたい」とか言い出した。そんなこと知るか。2kmぐらい僕のあとをついてきたがいつの間にかいなくなってしまった。
    ニューマーケットへ行ってみた。客層は比較的裕福な人が多い。今日はイスラム教の安息日ということもあり、閉まっている店が多い。そのまま中心部へ戻ることにした。途中クルナ大学の学生と出会った。いつものように同じ質問をされ疲れてきた。こいつも日本へ働きたいとか言い出した。チャイをおごってくれたかと思うと、2IKくれとか言い出した。わけがわからん。子供は30人ぐらい集まってくるし疲れた。
    クルナの最高級ホテル「ロイヤルインターナショナルホテル」に行ってみた。特に理由はないがこの街の最高級ということで興味があった。さすがにここには外国人客も泊まっているみたいだ。最高級と言っても1泊450TK/10$である。泊まる気は全くないのにベルボーイ(というようなガラではないが)部屋に案内された。一様エアコン付き。テレビは別料金(200TK)で部屋に持ってきてくれるようだ。シャワーはお湯も出るらしいが案内
    された部屋は壊れていた。レストランは高級な雰囲気で夕食は200mKより。
    客も少なく、ホテルの人も暇そうだったので1階のロビーでホテルの従業員にベンガル語を少し教えてもらうことにした。少し覚えておくとこれから少しは楽になる。
    といっても数字の発音と値段交渉の会話だけ聞いただけだが。この街で英語をまともに話してくれる人はこのホテルの従業員ぐらいのものだしいい機会だ。
    9時前クルナホテルに戻った。そして11時頃港へ向かった。出港4時間前だが人はもう乗っていた。

  • 2等は2人用キャビンで水道もコンセントもありなかなか快適だ。しかし出航前にオートロックの部屋の中に鍵を忘れてしまった。スペアキーがないらしい。最悪だ。でも何とかネジ回しでドアをこじ開けることに成功した。胎員には悪いことをしてしまった。今夜は1人なのでゆっくり寝よう。<br />

    2等は2人用キャビンで水道もコンセントもありなかなか快適だ。しかし出航前にオートロックの部屋の中に鍵を忘れてしまった。スペアキーがないらしい。最悪だ。でも何とかネジ回しでドアをこじ開けることに成功した。胎員には悪いことをしてしまった。今夜は1人なのでゆっくり寝よう。

  • ガンジス川クルーズ (2/7)<br /><br />今日は1日中船の中だ。天気は曇り、ベンガルデルタを行く蒸気は揺れもなく穏やかな川を航行。食事は1回30~80TKで量も多く満足した。クルナとダッカの間はバルサルとチャンドプルだけ寄港するのかと思っていたら日中だけで5カ所以上寄港した。どこも素朴な村の船着き場といった感じだ。こういう所に住んでいる人たちが毎年サイクロンの犠牲になっているのだろうか。<br />

    ガンジス川クルーズ (2/7)

    今日は1日中船の中だ。天気は曇り、ベンガルデルタを行く蒸気は揺れもなく穏やかな川を航行。食事は1回30~80TKで量も多く満足した。クルナとダッカの間はバルサルとチャンドプルだけ寄港するのかと思っていたら日中だけで5カ所以上寄港した。どこも素朴な村の船着き場といった感じだ。こういう所に住んでいる人たちが毎年サイクロンの犠牲になっているのだろうか。

  • バルサルから一気に客が増えた。同室にも2人客が乗ってきた。うち一人は床に寝だした。<br />バルサルからダッカへの移動は飛行機か船の世界で隆路だとかなり遠回りになってしまう。だからこの区間が混むのは仕方ない。

    バルサルから一気に客が増えた。同室にも2人客が乗ってきた。うち一人は床に寝だした。
    バルサルからダッカへの移動は飛行機か船の世界で隆路だとかなり遠回りになってしまう。だからこの区間が混むのは仕方ない。

  • 4等デッキはまるで難民船のように人で流れ足の踏み場もない。下のデッキは市場のように店が出て物売りもたくさんいる。でも我々2等以上の階級は出入りが制限されているので別世界のように静まり返っている。同室の人はチャンドプルまで行きそこから列車でチッタゴンへ行くらしい。<br />

    4等デッキはまるで難民船のように人で流れ足の踏み場もない。下のデッキは市場のように店が出て物売りもたくさんいる。でも我々2等以上の階級は出入りが制限されているので別世界のように静まり返っている。同室の人はチャンドプルまで行きそこから列車でチッタゴンへ行くらしい。

  • バングラデシュの首都ダッカ(2/8)<br /><br />翌朝、目が覚めたらすでにダッカ港へ入港していた。急いで荷物をまとめ船を降りることにした。<br />ダッカ港周辺の町並みはクルナと違って思いっきりイスラミックな雰囲気だ。とりあえずホテルまでリキシャを利用した。<br />そのホテルで1人の日本人旅行者と出会った。ダッカに行けば多少旅行者はいると思っていたが本当に会うとは。

    バングラデシュの首都ダッカ(2/8)

    翌朝、目が覚めたらすでにダッカ港へ入港していた。急いで荷物をまとめ船を降りることにした。
    ダッカ港周辺の町並みはクルナと違って思いっきりイスラミックな雰囲気だ。とりあえずホテルまでリキシャを利用した。
    そのホテルで1人の日本人旅行者と出会った。ダッカに行けば多少旅行者はいると思っていたが本当に会うとは。

  • 午前中は1人で町の中心部や国立モスク、マーケットをふらついた。ダッカの街は思った以上に高層ビルが多く近代的だ。しかし道路はリキシャで渋滞している。噂によるとダッカは世界ーリキシャの多い都市らしい。午後は今朝知り合った日本人(西野さん)と新市街にある日本大使館へ行く事にした。日本の新聞を読むためだ。しかし少し古い。でもネパール(12/1)以来まともに日本の新聞を読んだことがなかったので全ての記事が新鮮だ。<br />今日は日曜日だがイスラム国家だけあっていろいろな店が全て開いている。新市街にはバングラデシュらしからぬファーストフード風の店があり、そこでピザとハンバーガーそしてアイスクリームを食べてみた。しかし僕らのことを窓の外から終始いている物乞いがいた。悲しすぎるバングラデシュの現状を目の当たりにしてしまった。<br />

    午前中は1人で町の中心部や国立モスク、マーケットをふらついた。ダッカの街は思った以上に高層ビルが多く近代的だ。しかし道路はリキシャで渋滞している。噂によるとダッカは世界ーリキシャの多い都市らしい。午後は今朝知り合った日本人(西野さん)と新市街にある日本大使館へ行く事にした。日本の新聞を読むためだ。しかし少し古い。でもネパール(12/1)以来まともに日本の新聞を読んだことがなかったので全ての記事が新鮮だ。
    今日は日曜日だがイスラム国家だけあっていろいろな店が全て開いている。新市街にはバングラデシュらしからぬファーストフード風の店があり、そこでピザとハンバーガーそしてアイスクリームを食べてみた。しかし僕らのことを窓の外から終始いている物乞いがいた。悲しすぎるバングラデシュの現状を目の当たりにしてしまった。

  • (2/9)<br /><br />朝10時過ぎまで寝てしまった。イスラミックなオールドダッカ。バングラデシュが今まで行った国の中で一番貧しいのは言うまでもないが、こういう国でも首都には外国人を迎ぇ入れるための高級ホテルが準備されている。まずシェラトンホテルへ行ってみた。ホテルの敷地には航空会社のオフィスが軒を連ねショッピングアーケードが少しだけあった。<br />ロビーは狭く窮屈であまり開放感がない。思ったほどダッカのシェラトンは大したことなかった。<br />続いてパン・パシフィックホテルにも行ってみた。英語のガイドブック「ロンリープラ<br />ネット」を見ていたらこのホテルにディスコがあると書いてあったのでそのことについても聞きたかった。このホテルはロビーも広々していてショッピングアーケードも広くかなり高級感がある。おそらくここがバングラデシュ最高級ホテルなのだろう。ちなみに1泊180 $ぐらいだ。2人で泊まれば一人当たり90$なので払えない額ではない。<br />外に出たとたん子供の乞食がからみついてきた。やっぱりここはダッカだった。ダッカの最高級ホテルはスラム街の横にあった。しかしこのホテルから歩いて外へ出た外国人はおそらく僕だけだろう。普通の客はタクシーで移動してしまう。子供は「ITKくれ」とうるさい。このホテルから出てきて1TK (2円強)を拒むのはあまりにも矛盾している。コイン(1TK) をあげたらどこかへ行ってくれた。ホテルから東にスラムが広がっていた。スラムというと川沿いあるいは線路沿いと相場が決まっている。ここも例外ではない。線路を線路沿いのスラムにて(ダッカ)<br />挟むように無数のバラックが並んでいる。いざスラムに入ってみると金をせびられることもなく、みんな親切でフレンドリーだ。なぜかこういうところにいると気分が落ち着く。<br />夕方ダッカ駅の方をふらついたあと中心部のスイートの店でお菓子を食べていたら日本の会社で働いているというエンジニアが現れた。そして僕の食べた分もおごってくれた。<br />バングラデシュは親切な人も多い。しかし人々は素朴で外国人慣れしていないので僕のことが珍しい。そのため人々は僕のことをじろじろ見てくる。その視線に遠慮はない。僕はそれが不快だった。それらはあまり気分が良くなく、時にはイライラして睨み返したり<br />怒鳴ってしまったこともある。でもじろじろ見てくる人たちは、もしかしたら生まれて初めて見た外国人が僕だったのかもしれない。その初めて見た外国人に睨み返されてしまったらその人は一生外国人は怖いと思いながら生き続けなければならない。<br />そう考えると僕の立場は重要だ。じろじろ見てくる奴に微笑み掛け、相手がそれに対して少しでも笑えばそれでいいじゃないかといつも思っている。なのにいつも睨み返してしまう。いつも反省しているがなかなか治らない。とにかく笑顔、笑顔。<br />明日出発するのでダッカは今日で最後だ。夕食は同じホテルに泊まっている西野さんと中華を食べに行くことにした。スープがうまい。1人170TKと安く味も良かったので満足した。<br />

    (2/9)

    朝10時過ぎまで寝てしまった。イスラミックなオールドダッカ。バングラデシュが今まで行った国の中で一番貧しいのは言うまでもないが、こういう国でも首都には外国人を迎ぇ入れるための高級ホテルが準備されている。まずシェラトンホテルへ行ってみた。ホテルの敷地には航空会社のオフィスが軒を連ねショッピングアーケードが少しだけあった。
    ロビーは狭く窮屈であまり開放感がない。思ったほどダッカのシェラトンは大したことなかった。
    続いてパン・パシフィックホテルにも行ってみた。英語のガイドブック「ロンリープラ
    ネット」を見ていたらこのホテルにディスコがあると書いてあったのでそのことについても聞きたかった。このホテルはロビーも広々していてショッピングアーケードも広くかなり高級感がある。おそらくここがバングラデシュ最高級ホテルなのだろう。ちなみに1泊180 $ぐらいだ。2人で泊まれば一人当たり90$なので払えない額ではない。
    外に出たとたん子供の乞食がからみついてきた。やっぱりここはダッカだった。ダッカの最高級ホテルはスラム街の横にあった。しかしこのホテルから歩いて外へ出た外国人はおそらく僕だけだろう。普通の客はタクシーで移動してしまう。子供は「ITKくれ」とうるさい。このホテルから出てきて1TK (2円強)を拒むのはあまりにも矛盾している。コイン(1TK) をあげたらどこかへ行ってくれた。ホテルから東にスラムが広がっていた。スラムというと川沿いあるいは線路沿いと相場が決まっている。ここも例外ではない。線路を線路沿いのスラムにて(ダッカ)
    挟むように無数のバラックが並んでいる。いざスラムに入ってみると金をせびられることもなく、みんな親切でフレンドリーだ。なぜかこういうところにいると気分が落ち着く。
    夕方ダッカ駅の方をふらついたあと中心部のスイートの店でお菓子を食べていたら日本の会社で働いているというエンジニアが現れた。そして僕の食べた分もおごってくれた。
    バングラデシュは親切な人も多い。しかし人々は素朴で外国人慣れしていないので僕のことが珍しい。そのため人々は僕のことをじろじろ見てくる。その視線に遠慮はない。僕はそれが不快だった。それらはあまり気分が良くなく、時にはイライラして睨み返したり
    怒鳴ってしまったこともある。でもじろじろ見てくる人たちは、もしかしたら生まれて初めて見た外国人が僕だったのかもしれない。その初めて見た外国人に睨み返されてしまったらその人は一生外国人は怖いと思いながら生き続けなければならない。
    そう考えると僕の立場は重要だ。じろじろ見てくる奴に微笑み掛け、相手がそれに対して少しでも笑えばそれでいいじゃないかといつも思っている。なのにいつも睨み返してしまう。いつも反省しているがなかなか治らない。とにかく笑顔、笑顔。
    明日出発するのでダッカは今日で最後だ。夕食は同じホテルに泊まっている西野さんと中華を食べに行くことにした。スープがうまい。1人170TKと安く味も良かったので満足した。

  • ユーラシア大陸横断、再び西~(2/10)<br />日本(大阪)を出て4ヶ月目の今日、再び挑戦が始まる。日本を出発するとき実は目標を二段階に分けていた。その一段階としてはインド最南端カニャークマリまで隆路で行く事。その目標は1ヶ月以上前に達成し、スリランカにも足を延ばしてみた。そしてたどり着いたダッカ。第二段階の目標はダッカからポルトガルへひたすら西を目指す事だ。もちろん隣路で。<br />これら2つの目標が重なり合って今回の旅が完成する。<br />早朝ホテルを出発(ダッカ)<br />ダッカから目指す場所はガンジス川の向こうにある都市ジョソールだ。1週間前にも通った街だ。市バスで郊外のバスターミナルへ向かいそこから長距離バスに乗り換えた。

    ユーラシア大陸横断、再び西~(2/10)
    日本(大阪)を出て4ヶ月目の今日、再び挑戦が始まる。日本を出発するとき実は目標を二段階に分けていた。その一段階としてはインド最南端カニャークマリまで隆路で行く事。その目標は1ヶ月以上前に達成し、スリランカにも足を延ばしてみた。そしてたどり着いたダッカ。第二段階の目標はダッカからポルトガルへひたすら西を目指す事だ。もちろん隣路で。
    これら2つの目標が重なり合って今回の旅が完成する。
    早朝ホテルを出発(ダッカ)
    ダッカから目指す場所はガンジス川の向こうにある都市ジョソールだ。1週間前にも通った街だ。市バスで郊外のバスターミナルへ向かいそこから長距離バスに乗り換えた。

  • バスターミナル周辺はリキシャの渦、おまけにバスの排気ガスで空気も悪い。バスで少し走ったら車窓はのどかな風景になった。しかし道路はバングラデシュからインドへの重要幹線道路ということもあり、トラックがひっきりなしに通過する。<br />ガンジス川の車両専用連絡船そのわりに道は狭い。Achiaというところでガンジス川にぶちあたった。

    バスターミナル周辺はリキシャの渦、おまけにバスの排気ガスで空気も悪い。バスで少し走ったら車窓はのどかな風景になった。しかし道路はバングラデシュからインドへの重要幹線道路ということもあり、トラックがひっきりなしに通過する。
    ガンジス川の車両専用連絡船そのわりに道は狭い。Achiaというところでガンジス川にぶちあたった。

  • もちろん橋などない。全ての車両はフェリーで運ばれる。バスはここまでで対常に違うバスが待機しているらしく案内されるがままにフェリーに乗り込んだ。海岸の見えなかった川を渡るのに約45分かかった。対岸ではダッ力からのバスで知り合ったライスルのおかげで迷うことなくバスに乗り込むことが出来た。バスはすぐに出発。ずいぶんスムーズだ。

    もちろん橋などない。全ての車両はフェリーで運ばれる。バスはここまでで対常に違うバスが待機しているらしく案内されるがままにフェリーに乗り込んだ。海岸の見えなかった川を渡るのに約45分かかった。対岸ではダッ力からのバスで知り合ったライスルのおかげで迷うことなくバスに乗り込むことが出来た。バスはすぐに出発。ずいぶんスムーズだ。

  • そして数時間後ジョソールに到着した。ここで1泊するつもりだったがライスルが家に来いというので世話になることにした。さらにバスを2本乗り継いで2時間後、到着した街はコチャプル。村と言った方が正しいかもしれない。こんな所に外国人が来たのは初めてなのではというぐらい辺鄙な所だ。ライスルの家に案内されたあと、街を案内してもらった。一応鉄道の駅があり、大きな学校もあって第一印象よりはしっかりした街だと思った。行く所行く所人垣が出来、僕のせいで道が渋滞してしまっている。ほとんどの人が東洋人を見るのが初めてなのだろう。僕の話した内容はライスルが全て通訳して回りの人たちに伝えられる。なんか有名人になった気分<br />だ。<br />こうも注目されてしまうとなかなか気分がいいもんだ。<br />一通り街を回った後、ライスルの親戚の家に遊びに行くことになった。結局この日は夜に11時まで人々の質問責めにあい、とにかく疲れた。<br />

    そして数時間後ジョソールに到着した。ここで1泊するつもりだったがライスルが家に来いというので世話になることにした。さらにバスを2本乗り継いで2時間後、到着した街はコチャプル。村と言った方が正しいかもしれない。こんな所に外国人が来たのは初めてなのではというぐらい辺鄙な所だ。ライスルの家に案内されたあと、街を案内してもらった。一応鉄道の駅があり、大きな学校もあって第一印象よりはしっかりした街だと思った。行く所行く所人垣が出来、僕のせいで道が渋滞してしまっている。ほとんどの人が東洋人を見るのが初めてなのだろう。僕の話した内容はライスルが全て通訳して回りの人たちに伝えられる。なんか有名人になった気分
    だ。
    こうも注目されてしまうとなかなか気分がいいもんだ。
    一通り街を回った後、ライスルの親戚の家に遊びに行くことになった。結局この日は夜に11時まで人々の質問責めにあい、とにかく疲れた。

  • クリケットをしてみた。

    クリケットをしてみた。

  • 再びインドの謙遜へ (2/11)<br />朝7時起床。壺を造っている工場(というほどのもんでもないが)やジュースや飴の工場を見学した。壺は1つ5TK(10円)で売れるらしい。朝食はチャパティーをいただいた。うまい。

    再びインドの謙遜へ (2/11)
    朝7時起床。壺を造っている工場(というほどのもんでもないが)やジュースや飴の工場を見学した。壺は1つ5TK(10円)で売れるらしい。朝食はチャパティーをいただいた。うまい。

  • 僕が出発する時、近所の人や親戚が集まってきた。なんかいろいろ親切にしてもらいとても感激した。本当に言葉で表せないのが残念だ。またいつかここに戻って来てお礼がしたい。近い将来いつの日か。

    僕が出発する時、近所の人や親戚が集まってきた。なんかいろいろ親切にしてもらいとても感激した。本当に言葉で表せないのが残念だ。またいつかここに戻って来てお礼がしたい。近い将来いつの日か。

  • ライスルやその親戚にバス停まで見送りに来てもらった。やがてバスが来た。<br />相変わらず超満員で屋根まで人が乗っている。ライスルは僕に車内に入るよう進めてくれたが、僕は屋根の上でいいと言いバスに上った。そしてコチャプルの街をあとにした。<br />途中のガリガンジで屋根の上の人が全員降りてしまった。僕一人になった屋根の上はファーストクラスだ。<br />超満員のバスで出発(コチャプル) しばらくしてジョソールの街に到着した。なぜかライスルの友達がいてリクシャに乗って<br />ベナプル行きバス乗り場まで行くようにアドバイスしてくれた。バスはすぐ見つかりインド国境ベナプルへ向かった。ベナプルの街から国境までリキシャで5IK。イミグレーションに到着した。バングラデシュ側は外国人専用の手続きする場所がある。そこで1人のスイス人に出会った。彼はこれからバングラデシュへ行くらしい。ヨーロッパ人とはスムーズに会話が出来るのになぜ南アジアの奴らには英語が通じにくいのか。それに対してもイライラすることがある。インド人には僕の英語は通じない。<br />バングラデシュの税関で役人が絡んできた。金をいくら持っているか。T/C(トラベラーズチェック)はいくらあるか。一応答えたら見せろと言ってきた。そして「Give me 100 doller」とか言い出した。頭に来て「No!!」と言いながら僕は顔をしかめた。すると「出口はこっちだ」と役人は言った。<br />「Thank you」皮肉っぽく言ったら役人は「Your welcone」だと。<br /><br />インド入国がまた面倒くさい。「荷物を全部見せろ」と言われ、カメラはどこのメーカーだのウォークマンを聞かせろだの「どうでもええから早よせー」。<br />1週間前の両替屋が僕のことを覚えていたらしく、ついでに両替することにした。<br />そしてオートリキシャで鉄道駅のあるバンガオンへ向かった。乗り合いオートリキシャだったが他に客は捕まらず終始客は僕だけだった。25Rsで交渉済みだったが一人なら75Rsがどうのこうの言っていた。ずっと1人だったから75Rs払えと絶対にふっかけてくると思ったが、ここはカルカッタやデリーのように悪質な習慣はないようだ。かわいそうなので5Rs余分にやっといた。列車はすぐにあるようで15:10発カルカッタ・シアルダー行き。始発だから座れたが途中からだったら終わっていた。終始超満員。2時間後カルカッタに到着した。<br />また戻ってきた。カルカッタに感嘆しながら列車を降りようとした時、思わぬ事が起きた。降りようとしたが乗ってくる客と押し倉まんじゅう状態になり、とにかく僕は必死で外へ出ようと踏ん張った。それに気がとられている間にポケットに入っていた財布をスラれてしまったのだ。最初後ろにいた人たちも列車の外へ出るために僕を押しているのだと思っていた。しかしその中の1人が僕のポケットの中を狙っていたのだ。一瞬の出来事でポケットの中に手が入っていると気づいた瞬間、時すでに遅し、財布はなかった。もみくちゃ状態でどうすることもできなかった。やはりポケットに入れておくのはまずかった。<br />とは言っても特にたいした物が入っていたわけではない。一番高価な物は運転免許証(再発行手数料3,500円)ぐらいのもんであとは現金200Rsだけだ。その他の重要な物やまとまった金はいつものようになかなか見つけられない場所に隠してある。インドの犯罪者にとって200Rs(800円弱)はどれぐらいの価値があるのか知らないがたぶんガッカリしているだろう。でも盗られたことに腹が立つ。犯人にではなく無防備だった自分自身に。とにかく財布を買わなくてはならない。<br /><br />以上バングラディシュ

    ライスルやその親戚にバス停まで見送りに来てもらった。やがてバスが来た。
    相変わらず超満員で屋根まで人が乗っている。ライスルは僕に車内に入るよう進めてくれたが、僕は屋根の上でいいと言いバスに上った。そしてコチャプルの街をあとにした。
    途中のガリガンジで屋根の上の人が全員降りてしまった。僕一人になった屋根の上はファーストクラスだ。
    超満員のバスで出発(コチャプル) しばらくしてジョソールの街に到着した。なぜかライスルの友達がいてリクシャに乗って
    ベナプル行きバス乗り場まで行くようにアドバイスしてくれた。バスはすぐ見つかりインド国境ベナプルへ向かった。ベナプルの街から国境までリキシャで5IK。イミグレーションに到着した。バングラデシュ側は外国人専用の手続きする場所がある。そこで1人のスイス人に出会った。彼はこれからバングラデシュへ行くらしい。ヨーロッパ人とはスムーズに会話が出来るのになぜ南アジアの奴らには英語が通じにくいのか。それに対してもイライラすることがある。インド人には僕の英語は通じない。
    バングラデシュの税関で役人が絡んできた。金をいくら持っているか。T/C(トラベラーズチェック)はいくらあるか。一応答えたら見せろと言ってきた。そして「Give me 100 doller」とか言い出した。頭に来て「No!!」と言いながら僕は顔をしかめた。すると「出口はこっちだ」と役人は言った。
    「Thank you」皮肉っぽく言ったら役人は「Your welcone」だと。

    インド入国がまた面倒くさい。「荷物を全部見せろ」と言われ、カメラはどこのメーカーだのウォークマンを聞かせろだの「どうでもええから早よせー」。
    1週間前の両替屋が僕のことを覚えていたらしく、ついでに両替することにした。
    そしてオートリキシャで鉄道駅のあるバンガオンへ向かった。乗り合いオートリキシャだったが他に客は捕まらず終始客は僕だけだった。25Rsで交渉済みだったが一人なら75Rsがどうのこうの言っていた。ずっと1人だったから75Rs払えと絶対にふっかけてくると思ったが、ここはカルカッタやデリーのように悪質な習慣はないようだ。かわいそうなので5Rs余分にやっといた。列車はすぐにあるようで15:10発カルカッタ・シアルダー行き。始発だから座れたが途中からだったら終わっていた。終始超満員。2時間後カルカッタに到着した。
    また戻ってきた。カルカッタに感嘆しながら列車を降りようとした時、思わぬ事が起きた。降りようとしたが乗ってくる客と押し倉まんじゅう状態になり、とにかく僕は必死で外へ出ようと踏ん張った。それに気がとられている間にポケットに入っていた財布をスラれてしまったのだ。最初後ろにいた人たちも列車の外へ出るために僕を押しているのだと思っていた。しかしその中の1人が僕のポケットの中を狙っていたのだ。一瞬の出来事でポケットの中に手が入っていると気づいた瞬間、時すでに遅し、財布はなかった。もみくちゃ状態でどうすることもできなかった。やはりポケットに入れておくのはまずかった。
    とは言っても特にたいした物が入っていたわけではない。一番高価な物は運転免許証(再発行手数料3,500円)ぐらいのもんであとは現金200Rsだけだ。その他の重要な物やまとまった金はいつものようになかなか見つけられない場所に隠してある。インドの犯罪者にとって200Rs(800円弱)はどれぐらいの価値があるのか知らないがたぶんガッカリしているだろう。でも盗られたことに腹が立つ。犯人にではなく無防備だった自分自身に。とにかく財布を買わなくてはならない。

    以上バングラディシュ

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