1997/11/08 - 1997/12/02
1610位(同エリア3323件中)
まさとしさん
「日本から飛行機を使わずにユーラシア大陸最西端を目指す」のが旅行の目的です。
ネパールに滞在。
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ネパール側国境のコダリの街に到着。橋を渡るとネパールで1ヶ月間過ごした中国ともおさらばだ。ネパールへの入国の際、国境で1ヶ月ビザを購入した。
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ここからツーリストバスでカトマンドゥへ向かうことになった。ツーリストバスというのはカトマンドゥからチベットへ行く団体旅行者を乗せてきたバスで乗り心地はなかなか良い。しかし一人5$もした。
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コダリを出発して4時間後カトマンドゥに到着した。王宮近くでバスを降ろされ、ジョッチェンという安宿街でみんなで泊まることになった。
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宿は「ブッダゲストハウス」。洗濯禁止でシャワーは水だけだった。値段の安さだけが取り柄で早く移動したかった。ちなみに1泊70ルピー(140円)だ。カトマンドゥでは特にすることもなく毎日日本食を食べに行ったりして時間が過ぎていった。
インドビザを申請しにインド大使館へ向かった。4人でタクシーをシェアし、大使館の門に付けた。中にはたくさんの旅行者が行列を作っていた。
インドビザの申請は面倒で3回ここに来なければならない。まず今日申請用紙に記入してそれを提出。提出の際、簡単な面接がありいろいろと聞かれた。ビザの受取はまずインド本国にテレックスで不審者ではないか照会されたあと、その結果を見てから実際の申請手続きが可能になる。とりあえず今日はテレックスの申請だけだ。結果が分かるのは来週の火曜日(8日後)以降だ。掲示板に名前が張り出されていればビザの申請が出来るらしい。ビザ代は意外と高い。今まではいろいろビザの種類があったらしいが今では6ヶ月マルチビザのみらしい。そんなに長くいらないから安くしてほしいものだ。
ヒマラヤを一緒に旅してグループは解散し、ポカラへ行くことにした。インドビザがとれるまで時間があるのでそれまでのショートトリップだ。ここからはポカラ周辺の写真を紹介します。 -
ポカラへのバスには外国人はまったく乗っておらず、途中車内へ大量に荷物が積み込まれかなり窮屈になり、乗り心地も悪くほとんど眠れないままバスは峠を越えポカラを目指して走り続けた。
ポカラに到着したのは朝の4時だった。まだ夜明け前、無数の客引きたちだ僕を待っていた。このバスの外国人客は僕だけだが、客引きの数はざっと40人。僕は心を鬼にして1人の客引きについていくことにした。
ポカラにはペワ湖に面するレイクサイドと内陸のダムサイドの2カ所に安宿が固まっている。僕たちが落ち着いた場所はダムサイドの宿だ。設備の割に値段が安いというのが主な理由だ。
宿の屋上からの眺め。名峰マチャプチャレが美しい。 -
ポカラでトレッキングに行くことにした。といっても本格的なものではなく1泊2日の山登りだ。ネパール政府は山に入るだけで金を取る。そのパーミット代が高く、僕はトレッキングを断念したのだった。僕が行く場所はパーミットなしで行ける範囲に限られる。その日の朝、たまたま同じ宿にトレッキングに行くという日本人がいたので一緒にタクシーで登山口まで乗せていってもらうことになった。そして8時に登山口であるフェディを出発し、山を登りはじめた。しかし今夜泊まる予定だったはずのダンプスへ午前11時に着いてしまった。
ここからの風景もすばらしい。ダンプスにて -
パーミットを持っていないのでこれ以上進むことは出来ない。そこで僕たちが考えたのはパーミットの検問所を通らずに行ける抜け道を探すことだった。この先にあるランドルンという村が今日の目的地だ。村の人に聞いたらランドルンへ抜ける裏道があるらしく、そちらへ行ってみることにした。さっきまで5分おきにツーリストとすれ違っていたのに裏道に入ったとたん、まったく外人とはすれ違わなくなってしまった。途中の村は旅行者ズレしていないのでみんなのんびりしているが山賊が出そうだ。
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水牛が行く手を阻む。大きいので怖い。
この先に学校があるらしくとりあえずそこを目指すことにした。 -
山を登り、谷を越えやがて学校が見えてきた。
学校に着いたものの、これ以上先へ進むのは無理のようだ。事実上ここでトレッキングは終了となった。 -
学校では授業を見学させてもらったり、なんかよく分からないが楽しかった。
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前に習えは世界共通か?
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言葉が通じないのでひたすらジェスチャーだ。
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時間は過ぎ、ダンプスへ戻ることにした。
今夜はこの「ダンプスロッジ」で宿泊だ。
天気が悪くなってきた。ダンプスの宿(山小屋)は安いが食事が高い。 -
マッターホルンを思わせるマチャプチャレが美しい。夜は自家発電の頼りない光だけが頼りだ。
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翌朝ポカラへ山を下ることにした。今日は朝から雲の中を歩くことになった。
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ポカラに到着。町中を水牛が群れをなす。
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ポカラからカトマンドゥへ戻る際、途中のムグリン周辺でラフティングをすることにした。
ムグリンはポカラとカトマンドゥのちょうど中間にある。ポカラから数時間、ムグリンでバスを降り、ここから約5キロの川下りだ。
僕はラフティングをなめていた。タイのラフティングをイメージしていたからだ。まさかあんなにずぶ濡れになるとは思ってもみなかった。そうとは知らず、着替えもろくに持っていないのにズボンのままボートに乗り込んでしまったのだ。川は意外に急で下手をしたら急流にのみ込まれてしまいそうだ。ボートの中は急流を突破するごとにプール状になってしまい、全身ずぶ濡れだ。日の当たらない場所では風が強く凍えるような寒さだ。そんな状態が午前中に1時間、午後も1時間半と計3時間半続いた。午後3時を過ぎると完全に太陽が山に隠れてしまい死にそうなほど寒い。 -
夜はキャンプだ。かろうじて短パンとTシャツがあったので着替えて寝袋にくるまり就寝。
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翌日もラフティングだ。昨夜干しておいた服は乾くはずもなく、まだベタベタで冷たい。でも新しい服を濡らすのはいやなので気合いを入れて昨日濡れた服に袖を通した。
写真は朝食を自炊する風景。
朝は放射冷却で極寒だったが次第に太陽が出て少しはましになった。でも寒いことにかわりはない。14時すべてのラフティングが終わった。生き返った気分だ。
昼御飯を食べてバスでカトマンドゥへ戻ってきた。もう日が暮れてしまった。標高1300mのカトマンドゥは寒い。 -
カトマンドゥに戻ってきた翌日、カトマンズで一番有名な観光名所であるスワヤンブナート(通称モンキーテンプル)へ行ってみた。
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通称モンキーテンプル。サルがいるからこういう名前がついたらしい。
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カトマンドゥ市街を一望できる。
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「水牛の骨と女の子」
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自転車を使うと広範囲を回れて効率的
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バスターミナル。インドへはここから出発する。
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カトマンドゥの火葬場。
バラナシのが有名だが、各地にあるらしい。こちらは写真撮影可。 -
カトマンドゥを昨夜出発し、バスは朝5時にインド国境の街、ビルガンジに到着した。
霧が濃く、そして寒い。リキシャで5キロ先のラクソウルまで行かなければならない。最初歩いていこうかと思ったがちょっと無理がある。
ネパールを出国。そしてインドに入国した。
写真はインド側国境ラクソウル。 -
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