1998/02/21 - 1998/03/01
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まさとし/国連加盟国全て訪問済さん
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「日本から飛行機を使わずにユーラシア大陸最西端を目指す」のが旅行の目的です。
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パキスタン入国。文字がアラビックなウルドゥー語になった。パキスタン人はみんなイスラム服の「パージャーマ」を着ていて異国の地に来たのだと実感できる。
国境から乗り合いバスを使いワーガーを経てラホール駅へ向かった。 -
ラホール駅前にて。
ラホールでは宿泊する予定はなく、夜行バスで次の目的地ムルタンへ向かうことになる。
それまでラホールを半日ほど観光することにした。荷物は駅に預けることにした。 -
ラホール観光はまず馬車に乗り、ラホールフォートという城に行ってみた。
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ここもインドに何カ所あったムガール帝国の遺産だ。
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その後塔に上ってみた。
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塔からの眺め
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それにしてもこのユーラシア大陸横断の交通の要所であるラホール、そんなに外国人が珍しいのかどこへ行っても注目の的だ。確かにこの町で欧米人旅行者に会うことはなかった。もうちょっとツーリストが多いと思っていたが意外だ。
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夜8時、ラホール駅に戻ってきた。荷物を受け取り出発だ。列車を利用したいが、ここからはバスでラホールを出発。ムルタンを目指す。
ラホールを出発
パキスタンの高速道路では突然日本のようなインターチェンジが整備されていて自分の目を疑った。と思ったら首都イスラマバード方面への道路だけで僕が向かう南部への道路は相変わらずの凸凹道だった。道は悪いのにかなりのスピードが出ているので怖い。
早朝4時にムルタンに到着した。まだ夜明け前で寒い。しかも郊外でおろされた。「いったいここはどこだと叫びたくなってきた」。
とりあえず乗り合いワゴン車らしきものを発見。これでムルタン駅前まで来ることができた。そして歩いてホテルを探そうとしたが、道は真っ暗で何も見えない。強盗など人的なものは怖くないが、犬が怖い。アジアの夜で一番怖いのは野犬だ。歩いていたら予想通り犬が出てきて行く手を阻まれた。今にもこっちに飛びかかってこんとばかりに唸っている。
それ以上前へ進むのを断念せざるを得なかった。
駅に戻り、オートリキシャを拾って再びホテルを目指した。3軒周り250Rs(700円)の宿に落ち着くことにした。 -
ムルタンで宿泊した宿
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いちおうお湯付き。時間制限あり
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少し寝たあとムルタンの旧市街へ歩いていってみた。
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旧市街の入り口付近はタイムスリップしたような雰囲気だ。
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バザールを冷やかす。
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ここでも相変わらず注目の的だ。
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展望台のあるモスクに登ってみた。
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ここから町を一望。
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翌朝8時フロントの前を通ったときチェックアウトのことで少しもめてしまった。壁には午後12時(正午)までにチェックアウトすればいいと書かれていたのだ。しかし本当は他のホテル同様24時間制だったらしく、今日の宿泊代を払えと言われ、その場でチェックアウトする羽目になってしまった。予想外の出来事で靴下はまだ乾いていないし最悪だ。かなり文句を言ってしまったので荷物も預けられない雰囲気になってしまった。
仕方なくリュックを担いで駅へ向かった。次の目的地サッカルへは夜行バスで行くつもりだったが急遽列車に変更だ。 -
写真はムルタン駅舎。
パキスタンの列車は予約がコンピューター化されておらず、かなり不便だ。しかしパキスタンの鉄道には外国人割引なるものが存在する。25パーセント引きでかなりお得だ。偽学生証があれば半額になっていたのだが、今回作りそびれた。
しかしこの外国人割引の事前手続きがかなりやっかいで数十円のためにそこまでやる必要はないだろうという人もいるが、僕はとりあえず時間もあるし、試してみたいという気があったので手続きをしてくれる事務所に向かった。駅舎から数百メートルは離れた建物に出向きそこで書類にいろいろと記入させられ証明書が発行された。その証明書を持って再度駅の窓口へ向かった。しかし駅の窓口でたらい回しにされたあげく、席は満席。切符は買えたが席は指定されていない。サッカルに隣接するローリー駅までは6時間だ。ずっと立ちっぱなしかもしれない。割引に関しては100Rsの料金が75Rsになっただけだ。
25Rs(70円弱)安くなっただけで朝御飯代が浮いた程度といった感じだ。 -
列車に乗ろうとホームで待っていたらおっさんに話しかけられ席が取れなかったという話をしていたら「席を確保してやるから心配するな」と言ってくれた。そのおっさんはただ息子と奥さんを駅に送りに来ていただけでその息子の席を半分僕に座らせてくれるらしい。ずっと立ちっぱは免れたので少し安心。しかしその息子は親父のように英語が堪能ではなく結構意思の疎通が大変だった。旧イギリス植民地パキスタンでは若い者ほど英語ができない。
やがて列車が到着した。 -
列車は満員だが立っている人はそれほどいないようだ。さすがのパキスタン人も予約なしで列車に乗り込むマネはしないようだ。
パキスタンの列車はインドに比べかなりぼろい。しかも砂漠を走るため、砂が車内に入ってくる。それを避けるために窓は閉めっぱなしで暑い。しかし窓を閉めているのに埃っぽく、体中砂だらけだ。
夕方6時にローリー駅に到着した。ここからサッカルへ行けるはずだ。オートリキシャで行けば簡単だが結構距離があるはずなので高そうだ。駅前の通りに出たら乗り合いワゴン車の「スズキ」が止まっていてその中にサッカル行きがあり早速乗り込んだ。
スズキはトラックを改造した乗り合いバスでパキスタンでは重要な交通機関だ。
スズキはローリー駅を出発し、インダス川に架かる橋を渡った。そのままサッカル市街地に滑り込んだ。 -
写真はローリーから見たインダス川の橋梁方面。
サッカルに着いたものの自分の場所がまったく把握できない。おまけに町は暗くなってきた。地図を見ても現在地がさっぱりだ。リキシャに歩み寄ると外国人慣れしていないのか逃げられてしまう。全く身動きが取れない。
インダス文明の都市遺跡「モヘンジョダーロ」の拠点になる町サッカル。こんなにここは旅行者が少ないのだろうか。途方に暮れていると親切な人が現れ、その人が自分のバイクの後部座席に僕を乗せてくれ、サッカル中心部のホテルへ案内してくれた。突然英語のできる親切な人が現れるのがパキスタンの特徴か?とにかくホテル周辺はにぎやかで一安心だ。しかしパキスタンはこんなに英語が通じないとは思わなかった。ホテル以外通じない。 -
翌朝モヘンジョダーロへ向かうことにした。写真は宿泊したサッカルの宿。
しかし歩いてバスターミナルへ向かったところ(地★の歩き方の)地図の距離表示がでたらめでまた自分のいる場所がわからなくなった。間違えだらけの地図はない方がましだ。結局人に聞きまくり、タクシーでかなり走ったところにバス乗り場はあった。 -
まずはこのバスでラールカーナという街へに向かうことになる。所要2時間。
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車内の様子。
ラールカーナに到着後、隣の座席に座っていた医者をやっているというおじさんにモヘンジョダーロ行きのバス乗り場までリキシャの値段交渉をしてもらった。ラールカーナには2つのバスターミナルがありその間をリキシャで移動しなければならない。
これからは英語の話せる人に交渉してもらったほうがいいし適正な価格で乗ることができる。
再びバスで40分。モヘンジョダーロへ続き分岐点に到着した。 -
バスはここまででここからさらに別のバスを乗り換えなくてはならない。しかしここからのバスは本数がかなり少ないようだ。近くに馬車がいたのでそれで行くことにした。辺りはインダス川の灌漑整備された畑が広がっている。
馬車でかなり走りやっとの思いで世界最古(四千年前)のインダス文明都市遺跡「モヘンジョダーロ」にやってきた。 -
モヘンジョダーロ。
インダス文明の代表的な遺跡だ。だが有名な割に観光客は僕一人だ。
敷地内には考古学博物館などもあるが人の気配はない。 -
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観光客はいないのに物売りの子供たちはたくさんいる。久々に来た外国人観光客の僕は絶好の標的だ。
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帰りは遺跡のすぐ近くでバスを拾え、二本乗り継ぎラールカーナへ戻ってきた。ラールカーナでは馬車で通り過ぎるだけになる。ラールカーナからサッカルへは窮屈なミニバスになってしまった。
二時間後サッカルへ到着。サッカルからモヘンジョダーロへの日帰り強行は結構厳しいかも。
まだ日は高くサッカルの街を歩くことにした。地図は当てにならないので自分の勘だけが頼りだ。 -
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サッカルはインダス川沿いに拓けた街だ。川沿いは静かでのんびりできる。
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インダス川沿いを散歩していたら橋があり、写真を撮ったら兵士が追いかけてきた。少し焦ったが写真を撮るなという口頭注意で解放された。
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サッカルからはアフガニスタン国境に近いクエッタへ移動することになる。列車ではなくバスで向かいたい。すると中心部にバスのチケット売り場を見つけ18時30発のバスがあるらしく今夜出発することにした。ホテルは24時間制なので昨日到着が遅かったこともあり、今チェックアウトすれば間にあう。
集合時間にチケット売り場に行ったらそこからミニバスに乗せられバスターミナルに連れて行かれた。連れて行かれた場所はラールカーナに行ったときと同じバスターミナルだ。サッカルのバスターミナルはすべてここに統一されたのかもしれない。
クェッタへのバスはラホールからムルタンに移動の際、利用したフライングコーチと呼ばれる高級バスだ。しかしそれはパキスタンの他の交通機関と比較しての話で現実は厳しくボロバスだ。
とにかく今回のクェッタ行きのバスは最悪で窓の閉まりが悪く、閉めても閉めても振動で窓が空いてしまう。移動ルートは標高1700メートルを越える高原地帯。外は氷点下だ。寒さは半端ではない。とてもじゃないがこのバスでは熟睡できない。もうこのバスで寝るのはあきらめた。
しかし眠い、寒い。いちいち閉めるのをあきらめカーテンで窓を押さえつけ窓の代わりにして冷たい風を押さえつけたいろいろ寒さに対抗する処置を考えたが結局寒さに耐え、朝を待つしかなかった。
早朝6時、クエッタに到着した。市の中心部から少し離れたバススタンドでバスから降ろされた。あちこちにある水たまりは凍り付いている。とにかく寒さと眠気で体はぼろぼろだ。
とりあえずそばにあったチャイハネでチャイを飲み暖をとることにした。そのまま日の出を待った。
7時になり日は昇り始めたが、気温は上がらないので気合いを入れて街へ出ることにした。バスに乗り込み駅前で降りることにした。 -
クエッタではムスリムホテルへ泊まることにした。このホテルは外国人旅行者の間で有名な安宿だ。各部屋の水道からお湯はでないが、共同のお湯シャワーがある。時間は限られているが熱湯がでるようだ。案内された部屋は牢屋のようだ。コンクリートの壁にベッドが一つ。もちろん暖房はない。日中は気温が上がるが夜間は厳しい。疲れていたが9時過ぎシャワーを浴びイランへ向かう列車のチケットを買い
に向かった。列車はイランのザヘダンへ乗り入れるが、切符は国境のクイタフタンまでしか買うことができない。イランの切符は国境で買い直すことになる。ここでも外国人割引を有効に使うことができた。 -
この駅からイランへ向かうことになる。クェッタ駅。
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クエッタの街を散策した。高原の都市クエッタは日中でも日陰にはいると風が冷たい。
山に囲まれた乾燥した大地はチベットと紙一重だ。 -
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どこへ行っても人が行き交う。
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市場へ行ってみた。買いもしないのにパキスタン人はみんな気さくだ。
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肉が売られるブース
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ムスリムホテルに戻り、部屋にいたら見覚えのある人が部屋を訪ねてきた。デリーで同じ宿に泊まっていた尾柳さんだ。彼女とはデリーで一緒にパキスタンのビザを申請しにいった仲だ。一週間ぶりの再会だが、彼女は僕より三日早くデリーを出発していて、ペシャワルまで行った後、列車で48時間かけてクエッタまでやってきたとのことだ。見かけによらず強者だ。
デリーでシンさんという日本人旅行者がいた。僕も彼とは一緒にチベット料理を食べに行ったり割と行動を共にしていた。尾柳さんはそのシンさんに「もしクェッタに行くならここを訪ねればいい」と住所とそこの人の写真を受け取っていた。
しかしいざクエッタにきたものの一人だと不安だし、たまたま僕と再会したこともあり一緒に行こうということになった。 -
写真の人はホマユンさんとアリモハメドさん。彼らが住む場所はクエッタ近郊の街「ハザラタウン」という場所らしくバスで向かった。
そして土壁でできた家々が並ぶ住宅地に到着した。 -
目的の家を探すのは簡単だった。黙っていても親切なパキスタン人たちが案内してくれ、家まで連れて行ってくれた。
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ホマユンさん一家は突然の訪問者を何の躊躇もなく家の中に迎え入れてくれた。
左がホマユンさんで右がアリモハメドさん。 -
大家族で家族構成が覚えきれない。
ホマユンさんの妹の旦那はクウェートに出稼ぎに行っているらしい。部屋の中には日本メーカーのテレビやビデオが置いてありなかなかいい生活をしているようだ。
話を聞いているとここはアフガニスタン人の難民キャンプとのこと。彼らは12年前ここに逃げてきたらしい。
しかしここは今ではキャンプというより一つの街になっている。バザールもあるし電気も水道も通っている。結局今日は荷物をホテルに置きっぱなしでホマユンさんの家に泊めてもらうことになった。 -
翌朝ハザラタウンを散策。この町はアフガニスタンのハザラ人の街だ。道行くひとはどことなく我々日本人と顔立ちが似ている。
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クエッタではホマユンさんの家に2日間滞在させてもらった。アフガニスタン人難民の居住区でホームステイするという意外な経験ができたが、いつまでも居座るわけにはいかず、移動しなくてはならない。
次の目的地はイランだ。ここクェッタから600キロにも及ぶ列車の旅になる。予定では30時間だ。妥協して一等親台を確保したが常に不安がつきまとう。このイランへ向かう列車はバックパッカーの間で世界三大最悪交通機関として恐れられているからだ。「暑さ、寒さ、飢餓、脱水症状、砂嵐」。しかし最悪になるのは雨期が始まる暑季の時のことで今ならそんなに問題はないはずだ。
ホームで二人の日本人と知り合った。これから同じ列車に乗ることになるが、彼らは二等に乗るらしく車両は別々だ。彼らのうちの一人は今後重要人物となるヒロサワさんだ。 -
クェッタ。ハザラタウンで訪問した英語の学校にて。英語の先生。パキスタンの難民キャンプでは将来中東の産油国に出稼ぎに行くことも多く英語は重宝され、習得熱は高い。
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この列車では別々の車両ということで途中の停車駅でたまに顔を合わす程度でほとんど話をすることもなかった。
砂漠の中の途中駅にて。この列車でイランへ向かう。 -
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砂漠の真ん中にも活気のある町があり、人がたくさん住んでいる。
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列車は途中の駅でどんどん遅れ、六時間遅れのまま砂漠を走り続けた。
同じ車両の乗客はスイスやカナダ人の旅行者で彼らと行動を共にすることになった。
車内の風景。
この日の夜、食事のできる駅に到着した。二百円食らいだが、パキスタンでは一食に70円(30ルピー)以上出すことはあり得なかったので高く感じた。
一等寝台ということで横になって寝られるのが救いだ。しかしベッドには砂埃が積もっていて寝るのは少し勇気がいる。とにかくこの移動が今回の旅行の最大の山場といってもいい。今夜耐えればあとは楽だ。自分に言い聞かせ床についた。
夜半過ぎかなり寒くなってきた。車内ので電気もなく真っ暗でよくわからないが、自分の体が砂まみれになっているのがわかる。すきま風と一緒に砂も車内に入ってきているようだ。寝袋は使いたくなかったが、寒さには耐えられない。しかたなく砂だらけの体を寝袋に包むことににした。 -
やがて夜が明けた。
体に砂がつもり、鼻の穴は真っ黒で顔もざらざらだ。窓の外は延々と砂漠が続いている。腹が減ってきたがこういう時に限って列車は止まらず猛スピードで大地を駆け抜ける。 -
デッキに出たら砂が一センチくらい積もっていた。
夕方3時にパキスタン国境側国境のクイタフタンに到着した。
この駅で出国スタンプを押してもらい、パキスタンを脱出。このまま列車でイランへ向かう事になる。
列車は動き出して国境フェンスを越えた。イラン領に入って辺りの状況が一変した。近代的な建築物と舗装された道路。そこにはボルボの立派なタンクローリーが止まっていた。雰囲気が一気に欧米的になった。オイルマネーで近代化されたかつての名残がそのまま残っているようだ。パキスタンから入国するとこの変化はあまりにも衝撃的だった。
イランでも入国手続きに時間が掛かり、その後一つ目の街にある駅に移動した。イランの駅は駅舎やトイレ、待合室に至るまですべて立派で文句のつけようがない。
いったん駅に入ってしまうとあの室内灯もない汚い列車には戻りたくない。
イラン時間の19時に列車は出発。暗闇の中を走り続け終着駅のザヘダンに到着したのは深夜0時の事だ。
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