2023/02/03 - 2023/02/03
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たびたびさん
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昨日に引き続いて京都の節分。今日のメインは廬山寺の追儺式鬼法楽です。
昨日の八坂神社や吉田神社ほどの観客はいませんが、それでも京都ではかなりの人気を誇る節分祭。用心して2時間前から大師堂前に陣取って、始まりを待つことにしました。さすがに2時間前はまだ少ししか人はいませんでしたが、時間が近づくと一気に人が多くなって特設舞台の周りももう一杯。やっぱり判断は間違っていなかったように思います。
さて、追儺式鬼法楽の方ですが、主役は、三匹の鬼。太鼓と法螺貝の音を合図に松明と宝剣を持った赤鬼、大斧を持った青鬼、大槌を持った黒鬼が大師堂前の特設舞台に出現して思い切りのパーフォーマンス。腰を落として足拍子をとりながら、オーバーアクション気味の鬼踊りを披露します。そして、調子が出たところで、その勢いのまま勇ましく堂内へ。堂内では厄除け開運、福寿増長の護摩供の修法が執り行われていて、そのまわりを三鬼が踊りながら修法の妨げをするのですが、護摩供の秘法、追儺師の邪気払いの法弓、そして蓬莱師、福娘によって撒かれる蓬莱豆及び福餅の威力に追われて鬼は門外へ逃げ去るという流れ。分厚い肉襦袢を纏った太っちょの鬼達はちょっと純朴な感じだし、それぞれ特徴のある得物を振り回す動きも面白いですね。堂内の狭いスペースでもしっかり動き回って元気だった鬼達が最後はよろよろと崩れ落ちるように逃げていく展開もお決まりのパターンですけどちゃんとメリハリが効いていてドラマチックだと思います。
一方で、追儺式鬼法楽の前後には、大師堂の一角で”鬼のお加持”というのもありまして、邪気払いされた鬼が身体の悪いところを加持して病気平癒、身体健全をはかるというもの。宝剣を持ち、でんと座った白っぽい鬼は目がぎょろりとしてなんか特殊メイクをしたみたいで妙にリアル。けっこう異様なんですが、その異様な姿で一生懸命丁寧に身体の悪いところをなぜなぜしているのが面白い。大勢の人が順番を待って並んでいましたが、せっかくお寺に来たのならただの楽しみで終わらせたくない。鬼法楽を拝見してから鬼のお加持を受けることで、そんな気持ちもうまく整理できるのかもしれません。
ところで、この廬山寺というのは紫式部の実家があった場所。紫式部の曽祖父であり、堤中納言であった藤原兼輔が建てた邸宅跡です。紫式部は、ここで結婚生活を送り、一人娘の賢子を育てる傍ら、源氏物語を執筆したのですね。京都の観光スポットはいろいろありますけど、たびたび的な基準でいうと一流の観光スポットの条件は纏わる物語があるかどうか。そして、その物語のランクが重要です。幕末の維新の志士や豊臣秀吉、足利将軍たちの物語も人気があってランクは高いのですが、やはり、最高峰は平家物語と源氏物語。平家物語で言うと後白河院のために平清盛が建てた三十三間堂は有名ですが、清盛が愛した二人の女性にまつわる祇王寺や滝口入道の滝口寺とか小さな寺であっても根強い人気がありますし、特に平家が滅んだ後、安徳天皇を失い出家した建礼門院を後白河法皇が訪ねたという寂光院は建物とか火事の後再建されたばかりのものであっても、以前と変わらず超一流の観光スポットであることは異論のないところだと思います。ほか、高倉天皇と小督の悲恋、清閑寺なんかも渋いですね。いずれにしても、実在した人物たちの物語なので関連する史跡はとても多いのですが、ふと考えると源氏物語の方の史跡は意外に少ない。光源氏が六条御息所を訪ねた野々宮神社や光源氏のモデル、源融の山荘跡という清凉寺とかなくはないですが、広くそれと認知されているのは紫式部が源氏物語の構想を練ったと言われる石山寺くらい。また、宇治十帖ゆかりの宇治の方が地元では積極的にアピールしていますね。そういう意味では、京都市内の廬山寺はとても貴重。紫式部や源氏物語をもっと前面に出していいはずなんですが、あんまりそうはなっていない。考えてみれば不思議というかもったいないことをしています。ただ、源氏物語は架空の物語である分、場面場面で自由な想像が広げられることもあって、狩野派、土佐派、琳派等の画人たちが競ってテーマにしてきていて、源氏物語絵巻を始めとして関連する美術工芸品などを多く生んだというもうひとつの素晴らしい世界がありますからね。廬山寺では源氏庭という桔梗の庭はありますが、それ以上の何かをしようとしてもどうかすると大きな美術館を建てるくらいがんばらないと間に合わないでしょう。なかなかハードルは高くて難しいかもしれません。つまり、多くの史跡とともに楽しむ平家物語に対して、伝統的な美術の世界でも楽しむ源氏物語かな。そう考えるとこれまで二つの物語を同じ位置づけにしていたのはちょっと軌道修正が必要のよう。京都を彩る物語のあり様はさまざまです。
なお、廬山寺の節分のほかは、六波羅蜜寺、平安神宮、須賀神社、聖護院もちらり拝見しましたが、時間がかぶるのでまあまあ雰囲気だけ。いっぺんにすべてを見ようと思っても、そんなに甘くはありません。
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廬山寺の鬼法楽は午後3時からなので、まだまだ大丈夫。時間を気にせず午前中は五条坂辺りから散策開始です。
慈芳院は五条通の南エリア。豊臣政権の奉行衆の1人で方広寺大仏殿建立に力をつくしたという山中長俊が妻の菩提を弔うために、慶長3年(1598年)に建立した建仁寺派のお寺です。外観は地味かな。 -
入ってすぐ左手に薬師石仏があって、それがちょっと印象に残ったくらいです。
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常徳寺は、五条通から改めて細い路地を南に入ったところ。小さなお寺だと思いますが、一方で真宗大谷派の寺院らしく鉄の鋲がしっかりした山門とその横には櫓のような建物が建っていて、全体としてそれなりに厳めしい雰囲気。観光の寺ではないですが、廃れてもいないと思います。
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半兵衛麩のところの通りに入って、稲荷大明神 市姫大明神は少し下がったところ。通りから脇の細い路地に入って行く入口に「稲荷大明神 市姫大明神」の額が架かった石の鳥居が建っています。
詳しいことは分かりませんが、市姫大明神は、和歌山にある伊久比売神社と関係があるのかな。稲荷神社はお屋敷の中に祀られていたりすることが多いし、ここももとは何か立派な邸宅があって、そこの敷地だったのかなあとか想像しました。 -
さらに下がって、これは洛東遺芳館。なかなか立派な町家建築です。
もともとは、肥後国、加藤清正の家臣、柏原郷右衛門を祖とする京小間物や扇子等を商う柏屋の建物で、初代がここに居を構えたのだとか。
今は、その柏原家の江戸時代からの伝承品を春と秋に公開しているようですが、商家としての静かな佇まいは外観からでもその歴史が伝わってくるような。京都はいろんなところに名家がありますね。 -
今度は松原橋のところまでやってきました。五条大橋の一つ上手で、松原通りを通します。
この松原通りというのは平安時代は五条大路。この橋も当初は嵯峨天皇の勅命によって架けられたと伝わります。ということで、牛若丸と弁慶が出会う五条の橋というのも、現在の五条大橋ではなく、実はこの橋のことなんですね。少し寂しげなことになっていますが、それでもちゃんと擬宝珠の付いた欄干で、最低限の雰囲気は保っているように思います。 -
そこから宮川町通へ。京都の五花街のひとつ宮川町のメインストリートです。
石畳のまっすぐ伸びる通りの両側にはお茶屋さんらしき町家の建物が軒を並べていて、それらしい雰囲気がしっかりあります。祗園ともさほど離れてはいないのですが、こちらの人通りは圧倒的に少ないし、落ち着いた中で京都らしさが楽しめるのはここかな。けっこうお勧めです。 -
宮川町歌舞練場は、宮川通の中ほどにあるのですが、今はちょうど建て替え工事をやっていました。2025年に竣工予定。本来であればここで京おどりも見られるのですが、残念。しばしの辛抱です。
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宮川町通りを上がって、団栗橋まで出てきました。橋は四条大橋の一つ南。で、団栗橋の一つ南は松原橋です。
団栗橋自体は特にどうこうないのですが、ということで、結局この橋と松原橋の間が宮川町通りという関係です。 -
そこから祗園の方に移動して、これは祇園甲部歌舞練場。こちらも令和の大改修工事中で休館中。庭園の方も今は見ることができません。
ただ、2016年から始まった工事もほぼ終わり、2023年3月からは都をどりもこの歌舞練場で行われる予定。7年ぶりの開催だそうですが、もう少しの辛抱です。 -
祗園から六波羅蜜寺の方に向かいますが、その途中、あじき路地も寄ってみます。これは、築100年以上の町家長屋で、細い脇道に入るとちょっと異次元の空間が現れます。古い建物には違いないのですが、軒や建物全体が一直線に伸びていてちょっと現代的だし、一方で二階のすだれはまたいい感じの風情かな。
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中ほどにはもう使われなくなった井戸が残っていたりもして、時間が止まったような不思議な気持ちになってきます。
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六波羅蜜寺節分会は、事前の情報だと11時から星まつりということでそれを見ようと思って訪ねましたのですが、なんか境内は静かで変。星まつりというと普通は大護摩を焚いてというものなので楽しみにしていたんですけどね。
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尋ねると防火の関係から今は境内でやる大護摩はなくなっていて、今は本堂の中で普通の護摩を焚いて代えるようになったのだそうです。
鬼のパーフォーマンスは午後のようだし、それでは廬山寺の方とかぶるので無理ですね。 -
一方で、都七福神めぐりの幟が立っていて。これは日本最古。600年の歴史があるというもの。
普通、正月の行事と思っていましたが、1月7日以降毎月7日が縁日となっているようです。
こちらは、弁財天。境内のお堂にありましたが、 -
こんな金ぴかの像。ちょっと驚きました。
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あとは、豆まきの袋とかを確認しただけで退散しました。
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続いては、清水坂の方に向かいますが、六波羅蜜寺から松原通に出たところで目に入ったのがSAGAN。
ではここで、少し休みましょうか。
外観はいかにも京都の町屋ですが、 -
中はコンクリート打ちっぱなしに会議室のような机といすが並んで、そのギャップが面白いですね。
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朝のおにぎりモーニングは、漬物のおいしさに拘った感じがあって意外に悪くない。これから一日京都観光するぞ!みたいな元気が出てきます。
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清水坂を上って、少しマイナースポットをチェックします。
これは大漸寺。寛保2年(1742年)、日逢上人により開創。同じ日逢上人の建てた鬼子母神堂でザクロを植える習わしがあり、この寺でもザクロを植えたので、通称は柘榴寺。路地の入り組んだところに建っていて、境内とか窮屈そう。場所も見つけにくいかなと思います。 -
清水坂に戻って、これは日體寺。これまで何度も通っていたはずですが、印象としては薄いですね。
享保6年(1721年)日蓮宗に改宗した日體が創建。 -
京都でも観光客が多いエリアですが、山門はしっかりした構えだし、本堂の辺りも穏やかです。
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経書堂は、清水坂をさらに上がって、三寧坂の方に下りていく角のところ。この辺りは観光客がごった返すし、早く清水寺に行こうと気が急くので、この存在には気が付かない人が多いと思います。唐破風の立派な構えのお堂には聖徳太子像が祀られているようです。宗派は北法相宗。清水寺と同じです。
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では、三年坂を下りていきますよ~
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産寧坂の途中から青龍苑の方に入ります。
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築山に佇む草庵形式の茶室は長嘯庵。これは、豊臣秀吉の正室、ねねの甥、桃山歌人、木下長嘯子が陰棲した地に造らせたもの。高台寺にもねねゆかりの茶室がありますけど、庭の背景とするのは共通ですね。
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三年坂からは、維新の道に入って山越えです。
霊明神社はその山越えの一番難所の辺り。文化6年(1809)、正法寺から土地を買い受けて創建された神社。幕末に勤王の志士たちの葬送を行ったことで知られますが、これを提唱したのは長州藩士、久坂玄瑞。後の靖国神社創建の源流となったとも。 -
社務所の方には坂本龍馬の御朱印帳なんかもあって、勤王の志士への強い思いも伝わります。
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少し下ると京都霊山護國神社の山側に整備された霊山墓地があって、久しぶりに坂本竜馬の墓にも寄ってみましょう。自動販売機で入場料を払って無人のゲートを入ります。
墓は石の鳥居と柵で囲われた中。中岡慎太郎と並んで細めの墓石が立っています。 -
その前には、二人の銅像。遠くを見つめていますが、二人が亡くなったのは慶応3年(1867年)の12月。戊辰戦争も明治維新以降の世界も見ることはできませんでした。残念な気もするし、それでよかったような気もするし。その意志を継いだのは誰とするのかな。確かに幕末の英雄ではあるのですが、時代の流れは一人の力ではどうすることもできない。龍馬であっても、ある意味大河の一滴と捉えて間違ってはいないような気がします。
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ここからは京都市街もこんな風に見渡せます。
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維新の道を下って、途中の二年坂もちらりと見て
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今度はねねの道です。
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途中、お店の玄関といった場所にある東山路傍の触れ仏。ねねの道から直接は見えないので、少し分かりにくいです。たくさんの人が触ってすり減ったような感じですが、一方で触ったことで艶々したところもある。もしかしたら客寄せのためのものではないかと思いますが、熱心に手を合わせる人がいたりして、ちょっと意外でした。
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ねねの道をさらに進んで、これは雙林寺。ねねの道から少し東に入ったところにある天台宗の寺です。創建は、延暦年間(782~805)。鳥羽天皇の皇女が寺に入ったりして栄えたこともあったようですが、今はちょっと寂しい感じ。雰囲気的には荒れ寺に近いかも。
ただ、何といっても開基は最澄であり、本尊の木造薬師如来坐像は最澄作とも伝えられる重要文化財。やはりそれなりの背景はあるようです。 -
もう一度ねねの道に戻って、もう円山公園に抜ける辺り。京都祇園堂は、何の建物だか分からない奇妙な建物ですが、ここは白河法皇の晩年の寵妃であった祇園女御ゆかりの地で、祇園女御がここに阿弥陀堂を建てたという場所だとか。その後、その所以から祇園女御の菩提寺が建立されて、京都祇園堂。ちなみに、この祇園女御は身重の体で平忠盛に下賜され平清盛が生まれたことから、清盛の白河法皇落胤説にもつながります。なお、建物が開いている時もあるようで、機会があれば話を伺ってみたいものです。
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円山公園を抜けて、八坂神社に出てきました。
あ、今日も節分の奉納舞踊をやっています。 -
静御前と同じ白拍子ですね。白拍子は男装をした女性の踊り手。
今様奉納かと思いますが、ここはさらっとスルーです。 -
では、岡崎地区の方へ移動して、平安神宮の節分に向かいます。平安神宮に到着。
節分祭ですが、この時間は大蔵流茂山社中による奉納狂言をやっていて、それ拝見します。 -
境内に入って
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ここが会場です。
狂言は例によって主人と太郎冠者の人を喰ったような掛け合いがお馴染みのものですが、こうやって間近で拝見するとやっぱり迫力が違いますね。後ろの方に大先生がいて、役者さんが少し言葉に詰まったりすると助け舟を出す。その厳しい姿からは日頃の甘くない鍛錬の様子が想像できるよう。そちらの方もちょっと印象に残りました。 -
平安神宮から近くに見える京都市美術館別館。これは、昭和5年に京都市公会堂東館として建てられたその建物がまた見どころ。全体としては鉄筋コンクリートのビルですが、玄関には立派な唐破風の向拝が備えられているし、屋根は端がピンと反った神社のような形。和のデザインで統一されています。京都の特徴の一つ、大胆な和洋折衷を象徴している建物の一つかと思います。
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時代祭館 十二十二は、平安神宮の入り口からすぐの東西の大通り沿い。外観は白い漆喰の美しい日本建築。ただ、日本建築にしては異様な大きさなんですけどね。お土産物のショップがあったり、休憩所でもあるんでしょうが、今は改装工事中。またのオープンを期待したいと思います。
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ところで、平安神宮のある岡崎地区は美術館がいくつかあったりしてっ文化ゾーンといった位置づけ。京都ハンディクラフトセンターは、その一角にあって、京都の伝統工芸品や文化・美術関係の書籍を扱う施設です。
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書籍なんかは海外の観光客を意識したものが多くて、確かに京都でこういう施設は必要だなという感じです。
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また少し移動して、今度は須賀神社。
貞観11年(869年)の創建で、スサノオノミコトを祀る神社。交通神社が合祀されて、交通の神様でもあるのですが、スサノオノミコトからは縁結びの神。 -
奥に怪しげな人影が見えますが、
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これは節分名物、烏帽子水干姿の懸想文売り。懸想文というのは、今でいうラブレター。かつてというのは平安時代かな。人気のあったもののようです。
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続いてはお向かいの聖護院節分会です。
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入り口横では
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さっそく赤鬼が出迎えてくれました。
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ポーズを取ってくれて
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イチオシ
なかなかサービス精神旺盛です。
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ただ、事前の情報では、追儺式・福豆まきは13時からとなっていましたが、会場の設営はもうできているけど15時くらいからだということ。
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観光客は少しづつ集まっていましたが、そういうことなんですね。
では、仕方がないのでこれで退散。廬山寺の方は早めに入りたいし、仕方がありません。 -
廬山寺に到着。
追儺式まではまだ2時間ありますからね。 -
特設舞台の大師堂に近い辺りに陣取って始まるのを待つことに。
鬼おどりを見るだけなら特設舞台の正面がいいんですが、鬼達が修法の邪魔をするのは大師堂の中。それは大師堂から離れると見えなくなってしまいますからね~
笙を吹きながら -
笛を吹きながら
雅楽のメンバーが入場。 -
続いて、追儺師に
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蓬莱師です。
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女性の後には
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僧侶の方々
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この方が偉いさんでしょうね。
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雅楽が続いて
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蓬莱師
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追儺師も
大師堂の定位置に着きました。 -
松明を持った人がいますけど、鬼踊り始まるのかな~
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さっきの人に手渡してもらった松明を手に
まず登場したのは赤鬼です。 -
足を高く上げて
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ドシン、ドシンと足を踏みしめながら進んできます。
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手には松明と宝剣。
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腰を落として構えの姿勢。
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イチオシ
また足を高く上げて、
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踏みしめます。
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分厚い肉襦袢を着ているので体型としては相撲取りさんみたい。
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鬼としては威嚇しているつもりなんでしょうが、その姿と相まって
なんか純朴な感じもしてしまいますね。 -
青鬼もやってきました。
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得物は大斧。肩から担いで
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振り下ろします。
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あ、黒鬼もやってきましたね。
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黒鬼の得物は大槌。
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なんでも叩き潰してやるぞという気迫かな。
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そうして、三匹の鬼達は特設舞台の中央でそれぞれに競い合ってのパーフォーマンス。
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ドシーン
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ドシーン
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イチオシ
さあ、これから暴れまわってやるからな
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目にもの見せてやる~って感じでしょうか
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まあ、鬼法楽はまさにここが見せ場でしょう。
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周囲の観客の熱い視線を感じながら
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ここぞとばかりにアピールです。
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ドシーン
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ドシーン
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さて、赤鬼を先頭にして
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イチオシ
少しづつ大師堂に向けて移動を開始。
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大師堂で行われている護摩供の修法の邪魔をしてやるぞ!
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それ
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それ
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イチオシ
どうだー
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大師堂の中に乱入した鬼達。
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イチオシ
狭い堂内でも
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さんざんに暴れまわって
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その勢いは収まりません。
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イチオシ
堂内だけではなくて
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今度は縁の方にも出てきて
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そちらでも暴れるつもり。
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青鬼も出てきて
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赤鬼に続きます。
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どうだー
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黒鬼も出てきましたよ~
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最後は俺様が決めてやるみたいな感じなんですが、
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ちょっと観客に向けてポーズを取ってくれたり
この辺りはサービス精神も旺盛です。 -
さて、追儺師が舞台の方に出てきました。
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舞台では書状を取り出して
鬼達への宣戦布告。 -
東・西・南・北・中央の5箇所に向い
いよいよ矢を射かけます。 -
この矢の威力で鬼達の運命もここまでです。
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大師堂内で暴れていた赤鬼ですが
外に出てきましたよ~ -
しかし、なんかおかしい。
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イチオシ
暴れていた時の元気な姿は一変して
よろよろとした足取り。 -
青鬼も足元がおぼつかない。
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イチオシ
なんとか歩いていますが、
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ふらふらです。
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黒鬼もすっかり元気をなくして
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倒れそうです。
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三匹ともよれよれ
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お互いに助け合ってと行きたいところですが
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それぞれがそれぞれに
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息も絶え絶え。
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頭も回るし
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俺たちどうしたんだーって感じですね
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鬼達は崩れ落ちるように退散していきました。
めでたし、めでたし。 -
鬼が退散したところで
いよいよ豆まき。 -
観客は多いですけど、蒔く豆もそれ以上に大量。何度も何度も蒔いてくれるので
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こんなにたくさんの豆がゲットできました。
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豆まきが落ち着いて
これは鬼のお加持。 -
イチオシ
邪気払いされた鬼が身体の悪いところを加持して病気平癒、身体健全をはかるというものなんですが、
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宝剣を持ち、でんと座った白っぽい鬼は目がぎょろりとしてなんか特殊メイクみたいに妙にリアル。
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けっこう異様なんですが、
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その姿で一生懸命に身体の悪いところを
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あちこちなぜなぜしていて、とっても丁寧なんですよね。
楽しんだ後に、それだけではなくて改めて厄を払うことで気持ちも整ったと思います。 -
廬山寺を終えて、もう少し京都御所の南側エリアを歩きます。
これは、横井小楠殉節地。丸太町通りから寺町通を南にちょっと入ったところです。小さな石碑が建っていました。
ところで、横井小楠は熊本藩出身でありながら、福井藩主松平春嶽に招かれ、財政改革を進言したり春嶽を助けて公武合体運動を推進したり。維新の志士たちと交流は持っていますが、印象としては基本は儒学者であり、教育者なのかな。熊本藩では多くの弟子を育て、松平春嶽に対しても先生ですから、例えば、将軍の世継ぎ問題で慶喜を推して動いた春嶽の腹心、橋本佐内なんかとはだいぶ立場が違うような気はします。
殉節は新政府の参与となって以降の明治2年。御所参賀の帰途だったということ。まだまだ血なまぐささが残る時代。京都も殺伐としていたかもしれません。 -
大福寺は、カラフルな幡が下がっていまして、建物としてはお堂のような構え。門前に駒札が立っていて、推古天皇の時代に大和国で建立されたこと。平安時代の初めに勅旨により京都に移され、七堂伽藍を有したこと。本尊の菩提薬師如来は聖徳太子 の作といわれ,京都十二薬師の一つであることなどが細かく説明されていました。
なお、大福帳の名の由来はこの寺の名前なのだそうで、それにはちょっと驚きました。 -
寺町通を下って、もう四条通に近づいた辺り。
商店街の中の人気店、天丼のまきのです。 -
チェーン店なんですが、けっこう豪華版。しっかり食べれてお得感がありますね。
どちらかというと若い人が多いように感じました。 -
今日の宿はホテル京阪京都八条口。
京都駅の周辺にはホテル京阪がいくつかあって、この京都八条口は少し離れたところです。ただ、離れている分、ちょっと豪華さというか。入り口からフロントに向かうエントランスが緩い下り坂になっていたりして雰囲気がありますね。
部屋の方も一回り大きくて快適。駅からのアクセスを取るか、この快適さを取るか。なかなか微妙な判断かなと思います。
さて、節分は今日で終了。明日からは京の冬の旅ほかです。
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