2022/12/16 - 2022/12/16
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たびたびさん
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6日目の今日は大分市内を回ります。
大分市は大分県の県庁所在地なんですが、ずばり言うと観光資源はあんまりない。全国でいうと、福島市、三重市、大津市とこの大分市はかなりさみしくて、第一印象とかでいうとほとんど最悪かな。ただ、福島市、三重市、大津市はその後なんとかそれなりにリベンジして少し修正ができていますから、変な話、大分市だけがその印象のまま残っている状況でして。今回もまだ半信半疑なので、そういう意味でも大分市リベンジの旅という位置づけです。
さて、結果としてはまあまあというかやっぱり想定の範囲かな。以前拝見した金剛宝戒寺の大日如来坐像が唯一あまりにも素晴らしくて、もしかしたらという期待もあったのですが、なかなかそういうことではないですね。確かに、大分県の人口110万人の半分近くが集まる賑やかさはあるのですが、府内城は見栄えがしないし、大友宗麟の関係もやっぱり微妙です。ただ、大友館跡の発掘はやや遅ればせの感はありますが、それなりに意味のあるものかな。というのも、大友宗麟は臼杵城というイメージが強いですが、大友宗麟が府内の大友館から臼杵城に拠点を移したのは弘治3年(1557年)前後。毛利からの攻撃に備えたとか日向国の経営を見据えたとかの諸説もあるようですが、とにもかくにも大内氏の勢力を九州から追い出し、北九州における旧大内領を確保したのは府内城のころですからね。臼杵城は府内で一定の成果を上げた後、自らの理想とする姿をさらに追ったという位置づけかな。版図を広げた府内の時代の大友宗麟の動きはもう少し整理されてもいいような気がします。
一方、文化的なところでいうと、田能村竹田、直入に福田平八郎は、間違いなく一服の清涼剤。ちなみに、福沢諭吉は中津藩なので、大分市のアイデンティティにはならないですからね。後は、コンパルホールやOASISひろば21に大分県立美術館とかのハコモノ施設もこれくらいがちょうどいいところかな。といった感じですね。
いずれにしても、一日目の旅行記でも触れましたが、大分県はやはりそれぞれがそれぞれ。県庁所在地であってもそのひとつに過ぎないということであって、むしろ、それを無理やりなんとかしようとしていないことの方が大分県らしさなのかもしれません。
そのうえで、改めて大分の観光ランキングは、やっぱり以下の順かなあ。3位以下はそれほど差はないんですが、たびたび的にはこんなところで整理するのが妥当かなと思います。
1位 別府温泉・湯布院温泉
2位 天領日田
3位 中津・耶馬渓・九重
4位 宇佐・豊後高田・国東半島
5位 臼杵・津久見
6~8位 竹田・豊後大野、杵築・日出、大分市
9位 佐伯
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早朝、別府の宿を出発して。大分に移動する前にちょっと周辺散策。
緑の太陽は、別府駅西口から少し歩いたところ。ビルの外壁に描かれた岡本太郎の作品です。ビルのオーナーが大阪万博で多忙中の岡本太郎に掛け合って承諾を受けたのだとか。太陽の光が緑色なのも奇抜ですが、その活き活きとした形は確かに岡本太郎。キリンとの組み合わせもほっこりします。 -
別府駅から大分駅に到着。
大分駅の駅ビル内にある豊後にわさき市場です。 -
大分のお土産品のお菓子などたくさんのお店が入っています。観光客の数からしたら別府の方が圧倒的に多いはずなんですが、別府駅の方にはこんなに充実したショッピング施設はないですよね。県庁所在地の玄関口だけにいろんな支援があるのかもしれません。
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イチオシ
これから、大分駅の北側から県庁とかの中心部へ。そこから時計回りに大分市の南側、郊外を回って大分駅に戻ってくるというコースです。
大友宗麟公像は、大分駅の北側出てすぐ。ちょっと難しい顔をした像です。
キリシタン大名として知られる大友宗麟は、積極的に西洋の文物を受け入れ豊後府内を発展させたとされますが、その評価は微妙かな。一時は、豊後、豊前、筑前、筑後、肥前、肥後の北九州6か国を支配し、九州最大の戦国大名となるのですが、毛利氏、龍造寺氏との争いで体力を削がれたのは許容範囲としても、耳川の戦いで島津氏に大敗すると衰退への道へ。キリシタンの優遇による内部の軋轢も原因の一つとされ、キリシタン大名としての功績ももしかしたらマイナスの影響の方が大きかったかもしれません。それでも、最後は秀吉の九州平定に助けられて命脈を保つのですが、嫡男、大友義統は、文禄の役で小西行長を救援せず撤退したことが秀吉の逆鱗に触れて改易となる。
結局、小さな戦いの勝利を重ねても大きなところで戦略を誤る的なイメージがあるんですね。大分だと間違いなく英雄ではあるのですが、大分県人のアイデンティティとしてやっぱり難しい面があるような気がします。 -
大分駅から市の中心部に向かうとすぐ見えてくるのは、祝祭の広場。駅前道路に面して、大型の屋根付きスペースが現れます。木製のベンチと正面には小さなステージが設けられていて、ちょっとしたイベントをやるにはちょうどいい感じ。少しくらいの雨ならこの屋根があるから大丈夫ですね。
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中心部にやってきました。
トキハの真向かい。平成31年にビルを建て替えて、現在は大分オーパ。大分フォーラスの時代はファッションが中心だったようですが、今はイオンモールが運営して、食を中心としたビルに変わっています。そういう意味だと観光客にも利用しやすくなったのかと思います。 -
のりあいバスプラザは、トキハ百貨店の一階に入った大分バスのターミナル。通りから、待合所の様子も見えています。
ところで、大分駅の方もバスのターミナルになっていますが、たぶん、ルート的には大分駅の方とかなりダブるはず。駅前で乗るか、ここで乗るか。どっちも同じくらいの便利さかと思います。 -
隣りは、大分銀行 赤レンガ館。東京駅の設計で知られる辰野金吾による建物で、大正2年、旧二十三銀行の本店として建てられました。赤と白のコントラストが美しいのは辰野金吾の特徴なのですが、この建物もそのまんま。早朝だったので中には入れませんでしたが、内部の方も拝見するとまた印象が変わっていたかもしれません。
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セントポルタ中央町は、トキハの向かいにあるアーケード商店街。ちょっと高級感もあって、これも大分市の顔の一つになっていると思います。一角にある老舗の喫茶店「珈琲かわい」でモーニングをいただきますよ~
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珈琲かわいは、ビルの二階の小さなお店。店内の整理整頓がイマイチなのはちょっと気になりましたが、
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いただいたモーニングは悪くない。トーストのカリカリ感もいいし、珈琲がなにげにおいしくて、やっぱり大分では老舗なのかなと妙に納得しました。
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こちらガレリア竹町も大分市の中心部にあるアーケード商店街。セントポルタ中央町が東西に延びるのに対して、こちらは東西。途中でクロスするという関係です。
二つは大分市の賑わいを支える一番の商店街なので、活気も感じるし、洗練された雰囲気もあるような。。地方によくあるいわゆるシャッター商店街とかとはわけが違います。 -
では、再び散策開始。
アートプラザは、府内城跡の西側。鉄筋コンクリートの建物で、この建物自体がちょっとアートっぽいなと思ったら、大分市出身の建築家、磯崎新の代表作で、もともとは大分県立大分図書館だったよう。 -
少し古びた感もなくはないですが、入り口入ってすぐのホールには、
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いくつものアート作品があっていい感じ。
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少し楽しませてもらいました。
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では、向かいの大分城址公園へ。
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あんまり見どころがない公園なんですが、気が付くと廊下橋という橋がありました。西の丸と山里丸を結んでいた橋で、新大分市発足30周年記念事業の一環として平成8年に復元されたもの。復元橋でも檜皮葺の屋根とか雰囲気もあるし、お堀の大きなアクセントになっています。
ここで、少しこの城の府内藩にも触れておくと、関ケ原の戦いの後、豊後高田1万石から2万石に加増移封された竹中重利が藩祖。この竹中重利は豊臣家の直臣だったのですが、黒田如水の誘いに応じて東軍に寝返ったという人物。黒田の顔を立てての加増移封だったのでしょうが、案の定、次の代で改易。少し紆余曲折はありますが、最後は大給松平家2万2千石で幕末を迎えます。こんな小さな藩しかない大分市がなぜ県庁所在地になったのか不思議な気もしますが、今の大分市には、幕末時点で府内藩のほか、臼杵藩、岡藩、延岡藩、熊本藩、幕府の領地が存在していて、全体としては豊後で最大の街だったということ。大分のアイデンティティは、どこまでも大変です。 -
そのそばにある松栄神社。あんまりパッとしない神社なんですが、詳しい説明書きがありまして。
それによると創建は慶長年間末、群馬県の水沼村。徳川家康の生家、松平家の祭神、近正八幡宮。その神社が享保14年(1729年)、こちらに移されたのだとか。その他、大戦の戦災も逃れた縁起のいい神社のようです。 -
府内城公園の南側に移動して。
西洋音楽発祥記念碑は、遊歩公園彫刻群の一つですが、遊歩公園の中ではなく通りを挟んだ東側です。
これも、フランシスコ・ザビエルに関連する西洋文化の碑。ビオラの伴奏で讃美歌を合唱している様子が表されています。西洋音楽の最初が讃美歌というのはなるほどなと思います。 -
イチオシ
フランシスコザビエル像は、府内城跡のお堀のちょうど向かい側。遊歩公園の入り口脇に立っています。左手に十字架を持ち、後ろには世界地図。山口にいるところを大友宗麟に招かれ、天文20年(1551)、この府内で布教をすることを許されて2か月間滞在。その後、インドに旅立ちました。
ちょうどキリシタン大名として飛躍をする大友宗麟が勢いのあった時代。フランシスコザビエルが勇気を与えた面も大きかったかもしれません。
ただ、府内から臼杵に移るのはこの数年後。その辺りの経緯が曖昧なところが私的には残念です。 -
フランシスコザビエル像の裏手が大手公園。ただ、殺風景な空き地みたいなスペースがあるだけ。公園というには潤いも何もなくて、これではどうにもならないと思います。
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やっぱり中心は遊歩公園ですね。城址公園の南側に延びる通りの中央部を公園として整備したもの。植え込みの間の遊歩道を歩くと伊東ドン マンショ像や西洋医術発祥記念像など、キリシタン大名、大友宗麟の時代に関係するいくつかのモニュメントが並んでいます。そして、最後、瀧廉太郎終焉の地まで。数百メートルの長さです。
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イチオシ
で、これは伊東ドンマンショ像。
伊東マンショは、九州のキリシタン大名大友宗麟、有馬晴信、大村純忠がローマ教皇に派遣した少年使節団の主席正使。13歳の幼気な少年が馬に乗っている姿は帰国後の禁教令の厳しい世の中で浮かばれない未来が待っているという運命。どう受け止めていいかちょっと難しいところです。 -
西洋医術発祥記念像も南蛮文化に関係するモニュメント。
わが国で初めて西洋式病院を建て、西洋医術を実践したのは、ポルトガル人の外科医アルメイダ。イエズス会の修道士でもあったようで、島原や天草でも布教活動をしたということ。南蛮文化とキリスト教の布教は一体です。 -
瀧廉太郎終焉の地は、標柱と説明板が立っていました。ここは、瀧廉太郎が最期を過ごした自宅があったのだそう。明治36年、23歳の若さでした。
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向かいに見えるのは、コンパルホール。文化ホール、体育室、多目的ホールなどが入った複合施設。県庁やトキハにも近い大分市のほぼ中心部にあって、市民の多様なニーズに応えています。ただ、観光客にとってはあまり縁はない施設かな。立派な建物ですが、それで大分市の文化度を感じるくらいではないかと思います。
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そのまま、大分県庁展望ホールの方へ。県庁の新館14階です。
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大分市の周辺なんて見るものあるのかなあと思いながら上がってみましたが、大分川の向こうに日本製鉄の九州製鉄所が見えて、まあやっぱりそれくらいですね。ただ、製鉄所からは白い煙が何本も上がって、なかなか壮観でした。
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県庁から少し東に進むと大分川。
大分川は、由布岳の南西麓に始まって、由布院盆地から大分平野へ。最後は、大分市市街地を通って別府湾に注ぎます。もう河口の近くの大分川ですが、ゆったりと流れる姿。河川敷にはアスファルトの道が続いていました。 -
ここからは、南の方へ向かいます。
長浜神社は、創建が室町時代の応永13年(1406年)と伝わります。 -
医の神様、少彦名命と大己貴命を祭神とし、婦人病平癒に霊験があるとされるそう。祈願の際は男女の立ち雛を描いたひな絵馬を奉納する習わしというのも面白いですね。境内を囲む塀も簡単なものだし、気軽な感じの神社です。
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万寿寺の創建は、徳治元年(1306年)。大友氏第5代当主、大友貞親が、足利泰氏の子で博多の承天寺住職の直翁智侃和尚を迎えて開いた臨済宗妙心寺派の寺。
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楼門形式の山門や
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威厳のある仏殿とか大寺の風格があって、なかなか素晴らしいですが、これは寛永年間(1624-1644年)、府内藩第2代藩主、竹中重義の援助を受けて再建されたものです。
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さらにどんどん歩きまして、これは大友氏館跡。豊後国守護となった大友氏の館跡です。
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大友氏の21代当主、大友宗麟の時代になると、宗麟は南蛮貿易を盛んに行って、城下町の府内を発展させたのですが、1586年(天正14年)の島津家久の侵攻の際に壊滅。その後、館跡は長くはっきりしていなかったようです。しかし、最近の発掘調査によりやっとここがその館跡と分かってきたよう。宗麟は既に臼杵城を築城し、そちらに防衛の構えを取っていたので、この館は島津軍の前ではひとたまりもなかったかもしれません。一段高い土塁が巡った平地ですが、それでも国の指定史跡になり、その価値は小さくないように思います。
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隣りで整備が進んでいるのは大友氏館跡庭園。大友家19代当主、義長の頃に造られ、21代当主、宗麟と22代当主、義統の時代に大規模に改修されたというもの。
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イチオシ
東西67m、南北30mの池は戦国大名の館としては、最大級。大友宗麟の力を如実に示しています。
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大友家の拠点として長く続いた館ですが、大友宗麟は途中で臼杵城に移っていて、その経緯はあまり明確ではない。家臣団の団結に陰りが出たりする流れを考えると府内から離れたことが裏目に出たような気もするし、この庭園もどう受け止めればいいか。美しくはあるのですが、これもなかなか微妙なものがあると思います。
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南蛮BVNGO交流館は、これらの資料館。大友宗麟がいかに凄かったかというのをアニメ風の解説で分かりやすく紹介しています。
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「西洋との出会い」「ザビエルとの出会い」「盛んな南蛮貿易」「九州6か国を治める戦国大名へ」のまとめはシンプルですが、まあその通りなのかな。
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ただ、繰り返しになりますが、宗麟の居城は後年は臼杵城だし、そのイメージがとても強い。
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交流館にはリアルな発掘品の展示もほとんどないし、大分市から宗麟を発信するのはまだまだ工夫が必要な気がします。
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では、さらに南に向かいまして、ここから先は郊外といった感じかな。大分市内の歴史的な観光スポットがそれなりにあるエリアとされていて、少し疲れてきていますががんばりどころです。
若宮八幡社は、大分駅からだとけっこうな距離ですね。境内は大通りに面していて、塀もなくて境内はオープンです。 -
建久7年(1195年)、大友氏初代当主、能直が鎌倉の鶴岡八幡宮から分霊したと伝わる神社。大友氏の氏神であり、大友宗麟も神殿を修繕したということです。
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続いての大臣塚古墳は、県立芸術文化短期大学の東側。5世紀のものと考えられる全長約50mの前方後円墳。人骨や刀、甲冑などが発見されたということですが、そのまま石棺内に埋め戻されたとも。木々に覆われてもまあるい形状は確認できますが、学術的な価値はあまりはっきりしません。
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さて、大友氏の館は大分市内に二か所あって、大友氏館跡として発掘されたさきほどの顕徳町の館に対してこちらは上原館(うえのはるやかた)。
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何でもないような小山の上にそれを示す碑があるだけですが、大友氏の7代当主、大友氏泰が築いたもので、上野台地にあってこの城下町が府内と呼ばれるようになりました。宗麟の頃にも存続していて、二つの館は、居住の場と政務の場の使い分けではないかと見られています。
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円寿寺は大友氏ゆかりの寺。中興の祖、道勇和尚を比叡山から招いた5代大友貞親、古国府から現在地に移し、円寿寺と名付けた6代貞宗など。
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境内は高台にあって本堂とかはまだ新しい感じ。周囲の塀もないのですが、境内は広く枯山水風に整備されていてちょっとした威厳は保っていますね。唯一、山門が歴史を感じさせてくれる遺構だと思います。
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イチオシ
岩屋寺石仏は、大分市内では元町石仏と並ぶもの。交差点脇の崖に屋根付きの建物で保護されています。
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平安時代後期の作と言われますが、凝灰岩質の石なので、痛みはかなり進んでいて、顔面の判別がつかないものも少なくない。
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正直、微妙なことになっています。
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弥栄神社は、大友氏の初代能直が疾病退散を願って、京都の祇園社を勧請。以来、大友氏の庇護が厚く、また江戸時代に入ってからも歴代の府内藩主が庇護した神社。
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イチオシ
山の尾根のような場所にあって山岳信仰の雰囲気もありますが、一方で、赤い楼門が辺りを威圧するような存在感。これが一番の見どころかな。
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本堂はそれなりです。
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ここから大分市美術館に向かいます。
上野丘墓地公園は、その途中。墓地公園といっても、まあ共同墓地ということですね。 -
大分市美術館に到着です。
ところで、大分市には大分市美術館と大分県立美術館がありますが、地元ゆかりの画家の名品を見るならこちらの大分市美術館です。 -
イチオシ
ゆったりロビーから
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展示室へ。
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お馴染みの福田平八郎や高山辰雄の日本画に
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重鎮、田能村竹田の文人画がそれなりに揃っています。
田能村竹田の方はさすがですけど、ただ、福田平八郎の作品はもっといいものがあるんですけどね~。氏の代表作と言えるようなものはなかったように感じましたが、いいものを見た時の感動を思い出すだけでも悪くはない。いろんな出会いがあっていいでしょう。 -
イチオシ
こちら上野丘子どものもり公園は、大分市美術館に隣接した公園。美術館の敷地からつながっている感じ。芝生の広場にアートっぽい象のモニュメントがあって、なかなか迫力がありました。さて、ここから大分駅に戻りますけど、けっこう距離はあるんですよね~。ただ、下り道なので、来た時よりはらくちんです。
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大分駅への最後のルートは大分いこいの道。雰囲気としては大分駅の南口まで続く芝生の広場といった方がいいかもしれませんが、それが400m以上も続いていて確かに「道」になっています。
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市街の中心は駅の北側ですが、それにしても駅からすぐだし一等地。それをこんなにぜいたくに使って大分はすごいことをしていますね。芝生はよく手入れされていて、寝っ転がっても気持ちいいです。
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もう大分駅が目と鼻の先になって、これはホルトホール大分。大分いこいの道に面した大きなハコモノです。
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見通しの良いロビーは天井の白黒のストライプがモダンな感覚。
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ホールのシートや舞台のデザインもしっかりしていてこれはいい。
大分市の誇れるホールだと思います。 -
再び大分駅に戻ってきましたよ~
後先逆になりましたけど、大分市観光案内所は、大分駅の構内。少し小さめですが、それでもちゃんとあるという感じ。別府と違って、大分市はあんまり観光地のイメージはないですからね。
歩いて回れる観光だと、府内城跡の周辺、遊歩公園の彫刻群とかが中心。さっきまで回っていた南部の方は、やっぱりけっこうマニアックかもしれません。 -
大分駅にもアミュプラザ。JR九州がやっているだけに九州だとあちこちにあって、レストランなんかも適度に地元のいいお店が入っているのでなんか安心感がありますよね。
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ということで、昼飯は、うまやの粋というのにしました。
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とり料理がウリなのかな。ここは大分ですけど鳥南蛮の定食をいただきました。鶏肉のしっかりした味わいを活かした芳醇な仕上げがいいですね。魚の付け合わせとか郷土料理っぽい感じの組み合わせも悪くない。適当に入りましたが、当たりのお店でした。
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ついでに、アミュプラザの屋上にあるシティ屋上ひろばもチェック。ビルの屋上なので広さは限られますが、それでも塔のような展望所やミニトレイン。潤いを感じる植え込みなど気分を変えて寛げる雰囲気がちゃんとあるような気がします。意外にいい施設だと思います。
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ここからは、また大分駅を出発して、大分市の北西部。別府へは西大分駅から帰ります。
あたみ温泉は、大分駅の北口から目と鼻の先。これって別府みたいだなあと思ったら、さすがに共同浴場ではなくて、ちゃんとした銭湯。番台におばちゃんが座っていて、脱衣場もよくある銭湯の形式。お昼から地元の人が利用していて、それなりに親しまれている温泉です。 -
若草公園は、街中の都市型公園。石畳に噴水池や花壇などきれいにデザインされていまして、
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片隅にはC55のSL展示も。
大分に関係するものなのかどうかはよく分かりませんでしたが、保存状態はとてもいいようです。 -
天満神社というのも寄ってみます。
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あくまで地元の神社で特別な神社ではないと思いますが、ふと気が付くと軒破風の瓦の意匠が凝っていて、これは見ごたえありですね。雲のような渦巻のようなデザインがびっしり。瓦の産地なんかだとこうしたものがみられるのですが、どういう背景なのか。ちょっと気になります。
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県庁前の通り、昭和通りに出てきました。
このOASISひろば21は、平成10年に完成した多目的複合施設。ホールを備えたiichiko 総合文化センター、NHK大分放送局、ホテル日航大分などが入っています。 -
入ってすぐの全面ガラス張りの明るい巨大空間は、確かに街のオアシスといった感じ。イスとテーブルがいくつも配置されていて、しばしここで体を休めます。
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NHK大分放送局は2階です。
どこでもあるのかもしれませんが、ここでも8K映像のデモンストレーションをやっていて、やっぱり見ごたえがありますね。まだ、放送は4Kまでだと思いますが、8Kの時代ももうすぐかな。NHKの先端技術に期待しましょう。 -
イチオシ
2階から通りを越えて、向かいの大分県立美術館へ。ここは、大分市の典型的な巨大箱ものですね。
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この建物自体、内部の明るい開放感が素晴らしいと思います。ただ、地元の画家の絵画を見ようと思っていたのですが、
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この日はポケモンの企画展。もともと常設展というのもないようで、コレクション展がたまにあるのだとか。所蔵品でめぼしいのは竹細工の作品とかだそうですが、企画展中心の美術館ととらえた方がいいのではないかと思います。
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さらに北に向かって。
春日神社は、貞観2年(860年)、国司だった藤原朝臣世数が奈良の春日大社の四所大神を迎えたのが始まり。 -
大分の市街の端っこにあって、広々とした境内には大きなクスノキが何本も。赤い社殿が鮮やかで、なかなか立派な神社です。
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ここから、先哲史料館へ向かいますが、
と、ここは福田平八郎の生家跡だとか。
大分市美術館でも触れましたが、大分出身の画家の大御所は田能村竹田。それと並ぶのは福田平八郎になるでしょう。明治25年生まれで、昭和36年には文化勲章受章。 -
その福田の生家跡が公園のように整備されて顕彰碑も建っていました。
どちらかというと分かりやすい作風で、はっとするような美的感覚がいいんですよね。地元でこうしてちゃんと大事にされていて、私もうれしくなりました。 -
先哲史料館は、大分市街の端っこ。やっぱり、けっこう遠いです。
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ダイナミックな玄関ホールから展示室へ。
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入ってすぐの中央には福沢諭吉の立像があって、改めて何ですがやっぱりこの人が大分県の偉人の代表なんですね。
その他の展示物は古文書みたいなものが主で、ちょっと堅いかな。大分県には日田の咸宜園を開いた広瀬淡窓、中津の解体新書を翻訳した前野良沢とかがいますから、もう少し素直にこうした人物を紹介することでも十分アピールできるのではないかと思いますけどね。 -
せっかくなので、港の方にも寄ってみます。
別府も大分も複数の港がありますが、それぞれ航路が違っているようで。この西大分港フェリーターミナルに入ってくるさんふらわあ号は神戸港から。同じさんふらわあ号でも別府観光港へは大阪港からやってくるんだとか。ただ、こちらは市街からのアクセスは少し不便。ここに着いた観光客も別府に行くんでしょうが、ちょっとハンディがあるような気がしますね。 -
かんたん港園は、西大分港フェリーターミナルの近くの海沿いに整備された公園。海に面したウッドデッキの遊歩道やベンチは、まあまあの構え。メジャーな公園ではないですが、それでも少し観光客への意識があって整備されたものではないかと思います。
以上で、大分市は終了。 -
西大分駅から、別府に戻りますが、
東別府駅で途中下車して、気になっていた東町温泉を訪ねました。
事前の情報では湯が熱いということでしたが、常連さんがいて、入ってくる湯の量を調節したり水で薄めたりしてくれて、本当に助かりました。かなりちゃんとしないと確かに熱い。一人だったら、入るのは無理だったかもしれません。 -
イチオシ
そのまま別府駅まで歩いて、晩飯は、またまたとよ常 別府駅前店で。
今回は関サバのどんぶり。やっぱりこの店は最高ですね~ -
そして、今日の宿は、温泉宿はまゆう凪。湯治のためのような典型的な安宿ですね。玄関の雑さからしてチープな雰囲気なのですが、それでもいいところを上げるとすると、別府駅からそこまでは遠くはない。部屋はそこそこの広さがある。受付の人がフレンドリー。家族連れが泊まっていたりして、そこまで客層は悪くない。こんなところです。
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で、最後に、もう少し温泉巡り。
的ヶ浜温泉の看板は「北的ヶ浜温泉」となっていて、もうひとつある「南的ヶ浜温泉」と間違えないようになっています。
まあ、どっちも地元の小さな共同温泉で、大差はないんですけどね。 -
石造りの風呂場は温泉の泉質で赤茶けた色が全体に染みついていて、いい味を出しています。
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南的ヶ浜温泉は、別府駅の北東側。この辺りまでなら悠々歩ける範囲ですね。
地元の典型的な共同温泉。小さな受付がありますけど、係の人はいたりいなかったりかな。 -
電気はついていましたが、誰もいなくて自分でお金を入れて入るしかない。手持ちの小銭がなくて、断念します。
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最後は春日温泉。
建物の脇の道を進むと戸があって、そこを入ると風呂場があるという簡素な造り。 -
風呂と脱衣場も最低限といった感じかな。温泉の垢が付いてかなり古びた感じですが、ただ、基本的な清潔感はあると思います。
さて、6日目もこれで完了。明日は最終日ですが、雨予報なので、のんびり別府駅周辺の温泉巡りを予定しています。雨の別府もそれはそれでいいかもしれません。
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