2022/11/29 - 2022/11/29
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kojikojiさん
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津軽平野の稲垣温泉を出て、バスは五所川原駅に向かいます。ここへは五所川原ねぶたを観に来たことがあり、懐かしい気分になります。駅前でバスを降りて20分ほどの自由時間になります。車窓から見えた果物屋の店先にリンゴがたくさん並んでいたので、ツアーの方は戻って買い物していました。駅のスタンプを押したり写真を撮ってから店に入ると妻はすでに店のおばさんと何やら話しをしています。1個500円の高級なリンゴと250円の蜜入りリンゴを2個買ったら店先でふかしているサツマイモを1パックくださいました。他のお客さんが店を出たタイミングだったからか分かりませんが、いろいろなところで何かもらってくる人です。お店の看板には「台湾バナナ」の文字がありましたが、その時は何も思いませんでしたが、津軽鉄道の中での案内で、「昔の津軽の花見では家族でお重で料理を持って行ったり、当時高級だった台湾バナナを持っていきました。」という話しを聞いて理由が分かりました。津軽五所川原駅から津軽中野駅までの全線を走破するのもツアーの売りになっていましたが、通常の1両編成が2両編成になり、1両は我々だけの団体車両になっていてびっくりしました。途中で太宰治の生家のある金木駅にも停車しましたが、車窓から赤い屋根を見るだけで残念でした。津軽中野駅からは弘前までバスで戻り、弘前城の脇にある「津軽藩ねぷた村」に入ります。まずは弘前ねぷたについての説明とお囃子の実演があり、その後は太鼓を叩かせていただけました。これはとても素晴らしく、太鼓の達人では得られない感動がお腹の中から湧いてくるようでした。展示されているねぷたを見学していると津軽三味線の時間になり10分ほどでしたが、迫力のある素晴らしい音色を楽しみました。売店にあった「ひなごま」に一目惚れして、クーポンもあるので買ってしまいました。ここではお昼もいただきましたが、「大間のマグロ丼と田子のにんにく御膳」はなかなか美味しかったです。買い物が済むとバスに乗って盛岡を目指します。岩木山の近くを通過しながら天気は下り坂でその姿は霞んでいます。盛岡駅のデッキからもその姿は見えず仕舞いでした。秋には松茸を買った売店には賞を取ったリンゴが並んで季節の移り変わりを感じました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス 新幹線 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
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ツアーの最終日は午前9時に「稲垣温泉ホテル花月亭」を出発しました。不思議な場所に建つ旅館でしたが、宿の人たちも親切で温泉も良く、料理も美味しいところでした。
稲垣温泉ホテル花月亭 宿・ホテル
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バスは五所川原駅に向かって津軽平野を走ります。
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早朝はきれいな姿を見せていた岩木山も雲がかかってきました。前の晩に酒屋の若奥さんが言っていたように、この旅の翌日から津軽平野は雪に覆われたと知りました。
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岩木川を越えると五所川原の町に入ります。13年前のHISの格安ツアーで東京から青森のねぶたと五所川原の立佞武多を見に来たことがありました。それは苛酷なバスの旅で、往路に8時間、宿泊地が八戸だったので祭りが終わっても宿に着くのは2時間とか3時間後でした。
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青森ねぶたの混雑に比べると五所川原の立佞武多は穏やかな祭りで、この通りの歩道に腰かけて前を通過する立佞武多を見送りました。あれから13年かと思うと、年月の流れの速さを実感します。
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JR五所川原駅の隣の津軽五所川原駅の前でバスを降り、20分ほどの自由時間になりました。
津軽五所川原駅 駅
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JRと津軽鉄道の両方の駅のスタンプを押しました。津軽凧が飾られ、金魚ねぷたも吊り下げられて風情があります。
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駅員さんが改札していた頃の囲いが残っています。改札パンチのリズムのある音が頭の中に蘇ってきます。
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皆さんに出遅れて駅前通りにある果物屋さんに行ってみました。この店の前を通り過ぎているので皆さん買い物に来たようです。
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木箱に入ったリンゴが懐かしいです。子供の頃に京都の祖母が毎年送ってくれていました。その当時はもっと雑な木箱にもみ殻を敷き詰めて、その中からリンゴを掘り出すのが楽しかったです。開いた箱は兄弟で机にして、押し入れの中に秘密基地のように入れていました。
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他の方が買い物を終えて去ってしまった後も、店のおばちゃんと話していると熱々のまま店先に並べられたふかし芋を1ついただきました。いただいたのは妻ですが、いつも何かをいただいてくる人です。国内海外に関わらずアジアの国でもヨーロッパでも買い物しないのに…。
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果物屋さんの軒には古い看板が残されたままで、そこには台高バナナの文字が見えました。なぜ数ある果物の中で台湾のバナナなのか気になりましたが、時間も無いので尋ねませんでした。その理由はこの後に乗る津軽鉄道の車内で分かりました。
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まだ10分ほど時間があったので駆け足で「立佞武多の館」まで行ってみました。ここも13年前に立ち寄った場所でした。その時はさすがにごった返していましたが、祭りの無い平日の朝は閑散としています。
立佞武多の館 美術館・博物館
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2007年にはここで「RX-78-2 GUNDAM」、ガンダム立佞武多が制作されました。無料ではいれるエリアにもねぶたが飾られていました。
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小型の立佞武多の題材は歌舞伎の「暫」です。
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こちらは陰陽師の安倍晴明です。「梵珠北斗星」というタイトルです。梵珠山は青森市と五所川原市にまたがる標高468メートルの山で、陰陽師の安部晴明が法乗寺を建立したという伝説が残る神秘の山です。
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松明を持つ男の周りには縄文土器の顔がいくつも浮かんでいます。青森県は縄文遺跡の多い場所で、近いうちにそんな遺跡も巡ってみたいと思っています。縄文土器にスポットを当てたのは岡本太郎と言われますが、このねぶたを見て「芸術は爆発だ!」と思いました。
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時間ギリギリに駅に戻ると妻が「みんな先に行っちゃったよ。」とせかしながらも「隣で絵葉書売ってるよ。」と感情を揺さぶります。
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さすがに時間が無いので先を急ぎます。添乗員さんも「まだ、時間前だから大丈夫ですよ。」と声を掛けてくれます。
津軽五所川原駅 駅
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階段を登って津軽鉄道のホームに向かいます。
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これから乗る「走れメロス」が待ってくれています。
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昭和の時代が止まったままここに保存されている感じです。
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2両編成のうちの1両は我々の団体専用車両のようです。JR五能線には乗れませんでしたが、津軽鉄道の方が乗ってみたかったので良しとします。津軽鉄道津軽21形気動車が出迎えてくれました。
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ホームの周りには打ち捨てられたような車両が見えます。
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車両はワンマンですが、車両の中ほどに女性のガイドさんがいらっしゃいました。「津軽観光アテンダント」と呼ばれる職員の方のようです。
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汽車はすぐに出発します。木製の電柱に傘を被った電灯を見ると夕方の暗くなった頃に来てみたくなります。高校生の頃にパチンコ屋の景品でもらったアリスの「遠くで汽笛を聞きながら」のシングルのジャケットがこんな感じだったなと思い出しました。調べてみると電化前の奥羽本線の醍醐駅の風景だったので遠く外れては無かったようです。
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最初の停車駅は十川駅(とがわえき)ですが、誰も乗降しません。無人の駅舎はとんがり屋根の可愛らしいデザインです。
十川駅 駅
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津軽平野のど真ん中に五農校駅がありました。冬にこんなホームで汽車を待つのは大変だなと思います。
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通過する駅もありますが、ほとんど全部の駅に停車しますが、乗降する人の姿はほとんどありません。
津軽飯詰駅 駅
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妻が五所川原の町で買った大きなリンゴを見せてくれました。ツアーバスの中は飲食禁止ですが、列車内でも飲食は躊躇われたのでふかし芋は食べられませんでした。
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嘉瀬駅の構内には1997年のテレビ番組「SMAP×SMAP」の企画で香取慎吾と地元小学生が塗装したイラスト車両が置かれてありました。
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ほぼそのままの塗装で「キャンバス号」として運行されていましたが、津軽21形の導入にともない、2000年3月31日をもって廃車となったそうです。
嘉瀬駅 駅
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ここに22年も停車したままのうちにSMAPも解散してしまいました。
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嘉瀬駅では列車交換が出来るようですが、ここですれ違うことはありませんでした。
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この列車はこのままここで朽ち果てていくのでしょうね。
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列車内からも岩木山がきれいに見えました。散々バスからも見た風景ですが、シャッターを押してしまうのは何故でしょうか。
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最近のコンバインでは稲わらを粉砕していることが多いですが、ここではロールベールにされていました。この近くのどこかで牛や馬が飼われているのでしょう。
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車内放送が少し遅くて金木駅に到着する前の太宰治の「斜陽館」の写真がうまく撮れませんでした。田んぼの中からも目立つ赤い屋根だったのでちょっと残念です。近いうちに金木には訪れたいと思っていたので次の機会にします。
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ここで車内放送で「団体の皆さんはこちらで下車になります。」と間違った放送があって、車内はちょっとしたパニックです。気分的にはここで降りて「斜陽館」を見たかったです。
金木駅 駅
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金木駅では列車交換のために少し長く停車しました。全線単線の津軽鉄道で唯一列車交換の出来る駅が金木駅です。津軽五所川原駅から来た列車はタブレット閉塞区間で、駅長は運転士からタブレットを受け取ります。
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津軽中里駅から来た列車はスタフ閉塞区間です。駅長は棒状のスタフを受け取り、タブレットを渡します。そして津軽五所川原駅から来た列車へ戻り、スタフを渡します。
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芦野公園駅には1976年に防衛庁から貸与された超音速高等練習機T-2が展示してありました。
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車内放送では昭和30年代の花見についての説明がありました。当時はオシャレして、人でいっぱいの津軽鉄道に乗って芦野公園に行ったそうです。重箱に料理を盛って、当時は高級だった台湾バナナも持って行ったそうです。ここで五所川原の果物屋さんの看板に”台高バナナ”の文字があったわけが分かりました。
芦野公園駅 駅
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車窓から見える家の周りには木製の柵が延々と見えました。これはこの地方で「かっちょ」と呼ばれる防風や防雪の柵です。バスで走っている道路の脇にも金属製のものが延々と続いていました。この地方では日本海側からの季節風が強く、雪は横から降るそうです。新沼謙治は津軽には7つの雪が降るとかと歌っていたのを思い出しました。https://www.youtube.com/watch?v=VWaDy1AjoJ0
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線路の脇に用水路が見えてきました。車内放送によるとここには津軽森林鉄道が走っていたそうです。津軽森林鉄道は津軽半島一帯に路線を持っていた日本初の森林鉄道だったそうです。
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約40分で終点の津軽中里駅に到着しました。「津軽観光アテンダント」に見送られて下車します。沿線の説明を聞くのは楽しいことですし、勉強にもなりました。津軽弁の語り口も良かったです。津軽鉄道のHPを見ると何人ものアテンダントさんがいらっしゃるようです。列車の写真も忘れずに撮っておきます。
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ここで15分ほどトイレタイムになります。女性が多いのでトイレは長蛇の列になってしまいますが、男性はあっという間に終わってしまいます。男に生まれてよかったと感じる数少ない場面です。
津軽中里駅 駅
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駅前は閑散として人の姿は全くありません。
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駅の先には踏切があったのでそこまで歩いてみました。
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鉄路の終点を感じる風景です。
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津軽五所川原駅に向かっての単線も列車の先に見えました。
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次にこの地を訪れることがあったとしても、金木駅までだろうと考えるとここへ来ることは無いだろうと思います。
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津軽中野駅を出発したバスは弘前に向かいます。姪が大学で弘前にいたので在学中に桜を観に行きたかったのですが、もたもたしているうちに卒業してしまいました。
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お昼前に弘前に到着しましたが、弘前城に入ることはありません。バスはそのまま隣接する「津軽藩ねぷた村」の駐車場に入りました。
弘前公園 (弘前城) 公園・植物園
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まずは「弘前ねぷたの館」の見学に入ります。いきなり目の前に10メートルほどのねぷたが現れました。
津軽藩ねぷた村 美術館・博物館
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青森とねぶたと五所川原の立佞武多は13年前に見たことがありますが、弘前のねぷたを見るのはこれが2回目です。お祭りは見たことはありませんが、大阪の万博公園の国立民族博物館にも巨大なねぷたが納められていました。
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今年は弘前ねぷたまつりの300年とい節目の年だったそうです。ねぷたの種類は巨大な扇型の「扇ねぷた」と立体的な人形の形をした「組ねぷた」の2種類があります。正面の「鏡絵」に描かれるのは勇壮な武者絵で、背面の「見送り絵」は妖艶な美女の絵となっていて表裏の対比も魅力の1つです。
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係員さんが笛と太鼓のお囃子を実演をしてくれました。
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その後に太鼓のばちの使い方を教えていただき、実際に太鼓を叩かせていただきました。その瞬間に手の先からお腹に電気が流れたようで、自分の中にも日本人の地が流れているのだなと感じました。太鼓なんて子供の頃にお祭りで叩いて以来ですが、ちょっと感動しました。
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その後は自由見学になりますが、15分後に津軽三味線の実演があるので戻ってこなければなりません。
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初めて「ねぷた」についての記録が記されたのは今からちょうど300年前の1722年で、津軽藩5代藩主の津軽信寿(つがる のぶひさ)がねぷたを高覧したという記述が弘前藩庁御国日記に残されています。
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「ねぷた」の起源については諸説あるようですが、夏の農作業が眠気でおろそかにならないようにと農民が行った、眠気を灯篭と一緒に流す行事「ねぶり流し」が元になったというのが一般的なようです。
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「ねぷた」の呼称は津軽弁の「ねぷて(眠たい)」からきているとされ、青森市で「ねぶた」と呼ぶのは訛りの違いだといわれています。
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津軽は江戸時代に弘前藩が治めていた場所で、現在の弘前市と五所川原市と青森市を含む広大な所領でした。藩のお膝元でその居城があった弘前の文化は津軽文化のルーツで、青森では跳人が舞う賑やかな祭りですが、弘前ではお城の近くなので静かな祭りになったそうです。
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平面に描かれた武者絵は巨大な津軽凧のようでもあります。
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1階の見学を終わると2階に上がる階段があり、吹き抜けの周りのテラスにねぷた師の方が描いた作品が展示してあります。「扇ねぷた」のミニチュアがたくさん並んでいます。
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「長谷川達温(たつおん)」津軽錦絵作家協会2代目会長で、正伝寺住職だったことからねぷた和尚と呼ばれたそうです。
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「阿部義夫」津軽錦絵作家協会3代目会長で、10代の頃からねぷたや凧絵を描き始め、21歳から40年間大型ねぷたを手掛けたそうです。
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「桜庭春香」
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「斎藤北明」
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我が家にも金魚ねぷたが1つありますが、こんなタコのねぷたもありました。
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福助のねぷたもシンプルな割付ですが、上手い具合に造られています。どこかで見た記憶があると思ったら「攻殻機動隊 イノセンス」で少女型アンドロイドの顔が割れるシーンだと気が付きました。
https://www.youtube.com/watch?v=4smvW7YaX7g&list=PLVEMK24eKlcREuxodi1TGASQi8hLPUCwu -
来年の夏には我が家の金魚ねぶたも飾ろうと思いました。
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ねぷたの骨格はこのような木製の物で、材は青森県産のヒバが使われているそうです。青森のねぶたは毎年骨組みから造り替えますが、弘前では同じものが使い回されるそうです。
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壁面にはこのような扇型がたくさん並んで、1人1人のねぷた師の紹介がされています。その全部を写真に収めることが出来ないので、真正面から写真の撮れるものだけにしました。
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「舘田峡風」
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「藤田仁」
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「木村邦仙」
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1階では新たなお客さんが来られて、説明が始まりました。
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「相馬春陽」
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「小笠原翆渓」
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「西谷昇陽」
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「山口峯節」
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「河村尊斗」
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「土岐清」
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「中村敬造」
この方の津軽凧のような作風が一番気に入りました。欲しいなと思える1枚です。 -
「古川俊美」
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「藤田与之」
この方は津軽凧の絵師で、気に入った作品はどれも凧の作家さんの流れでした。 -
青森のねぶたとは違った魅力をここで学ぶことが出来ました。近いうちに弘前ねぷたは観に来たいと思います。
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ツアーの方も妻も先に行ってしまいました。1人だけになってしまうとちょっと不安になってきます。
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今度弘前ねぷたを観に来るときのために運行についても勉強しておきます。
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青森の跳人の賑やかさとは違った音色を楽しめそうです。
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昭和46年に陸奥新報社創立25周年に棟方志功の描いたねぷた絵が現存していることも知りました。祭りの期間に弘前博物館に展示されるということなので楽しみが増えました。
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ねぷたの見学が終わって工房のエリアに入ると目の前に「ひなごま」がありました。妻共々気に入ったのですぐに買うことにしました。ここでクーポンが威力を発揮します。津軽三味線の実演が始まってしまうので支払いだけ済ませて梱包をお願いしました。
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津軽三味線は世界数十の国で愛好者がいるようで、世界大会3連覇した葛西頼之さんという方の演奏を聴くことが出来ました。
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その撥さばきの速さに惹き込まれてしまいます。
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撥を叩きつけるように弾く打楽器的奏法と、テンポが速く音数多いのがかっこいいと思えました。三味線というと京都のお茶屋さんで聞いたことしかありませんでしたが、全く違う楽器に聞こえました。
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三味線の演奏は10分ほどであっという間に終わってしまいましたが、食事まで時間があるので「ひなごま」を受け取りがてらに博物館も見ておくことにします。
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10月に行った奄美大島では偶然入った居酒屋で流しの三線の演奏を聴くことが出来て感動しましたが、念願の津軽三味線も聞くことが出来ました。機会があれば演奏会にも行ってみようと思いました。
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名前だけは聞いたことのある名人も紹介されていました。津軽三味線の楽曲の原型は、新潟地方の瞽女(ごぜ)の三味線と言われ、それ以外にも北前船によって日本海側各地の音楽が津軽に伝わり、津軽民謡は独特の発達をしたそうです。集落を三味線を弾きながら歩いたそうですが、風が強いので演奏方法も撥を叩きつけるように変わったそうです。津軽三味線の始祖は、幕末に五所川原の金木地区に生まれたボサマ「仁太坊」(にたぼう)は、それまで地味な門付け芸だった三味線音楽に革新的な奏法を取り入れ、津軽三味線の原型を築いたそうです。
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高橋竹山の著書によると「祭りがあればその神社の境内にはずらりとボサマ達が並び、互いの腕を競い合うかのように三味線を演奏していた。そんな環境の中、津軽三味線草創期の名人と呼ばれる人々は、他のボサマより目立つために、より大きな音・派手な技を追求するようになる。三味線は、それまで瞽女と同じ中棹や細棹を用いていたものが太棹になり、撥は速弾きに適した小振りなものとなり、音楽もまた一部に「叩き」と呼ばれるパーカッシヴな奏法を用いた、複雑かつハイテンポなものに変化していった。」
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先ほどねぷた絵も展示してあった絵師の長谷川達温の描いた「一丈青双剣勇戦の図」です。水滸伝の一場面で、二振りの剣を振るう一丈青は男勝りの武人で、”海棠の花”と呼ばれる美貌の持ち主です。雪嶺と名づけた白馬を愛馬とし、林冲との戦いで重傷を負い、王英に救出されてそのまま梁山泊入りします。晁蓋に惚れていたが、宋江の後押しもありかねてから自分の危機を救ってくれた王英と結婚し一児をもうけます。中村敦夫主演で放映されたテレビドラマ「水滸伝」を思い出します。
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中庭に当たる日本庭園「揚亀園」(ようきえん)は、津軽富士岩木山と弘前公園の老松を借景とした津軽独特の大石武学流庭園で、国の登録記念物に指定されています。
揚亀園 公園・植物園
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雪深い雪国ならではの雪囲いもまた風情があります。木々が雪の重みや低温で傷まないように木板で囲んでいます。
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「かっちょ」を思い出させるデザインです。現代の「かっちょ」はアルミ板など素材も変わってきてしまっていますが、この庭園の雪囲いに伝統的な材料と技術を見たような気になりました。
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この庭園での一番の見どころだったと思います。
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今回のツアーは2日目と3日目の昼食が含まれていて、それがツアーの目玉にもなっていました。ここでは「大間マグロ丼と田子のにんにく御膳」でした。
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前の晩に稲垣温泉の旅館でもいただいた「じょっぱり」をいただきました。このレストランのお酒は値段が安いのでありがたいです。
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安いツアーにしては2回のお昼も付いていて、晩御飯もしっかり頑張った美味しい料理ばかりでした。
津軽旨米屋 グルメ・レストラン
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大間のマグロ丼は赤身と中トロと大トロまで乗っています。美味しいものでしたが、10月に行った大間で食べたマグロ丼は忘れられないほどの美味しさで、それには及びません。その後に行った奄美大島でもマグロ丼を食べましたし、今年は海鮮丼の年だったかもしれません。
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左から八戸のしめ鯖のカルパッチョ、鶏と野菜焼き、陸奥湾の帆立の天婦羅の3品は田子のニンニク風味になっています。
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ガーリックポークの陶板焼きもニンニク風味で美味しい1品です。
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鍋仕立てになったガーリックポークの豚汁も熱々なのでそれだけで美味しいです。旅の最後になって小雨が降ってきました。この小雨も夜になると雪に変わったようです。
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食事の後は最後の買い物で、妻の実家の義父に弘前のリンゴを送りました。10月には早生の葉付きのリンゴ10キロを五所川原のふるさと納税で送りとても喜ばれました。
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木工芸品には先月遠野で買ったコマに似たものも並んでいました。昔は全く興味がなかったこけしも美しく思えるようになりました。
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先ほど買い求めたのに似たヒナコマも伝統的なものだと分かりました。
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50年以上前ですが池袋のPARCOの5階に親せきが陶器店を出していて、そこの店長だった大叔母をよく訪ねました。同じフロアに民芸品の店もあって、父にホーゴマを買ってもらったことがありました。我が家ではホーゴマと呼んでいましたが、正式には糸引きゴマとか鳴りゴマと呼ぶようです。棚の上に並ぶコマを眺めながら懐かしい気分になりました。
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弘前を出たツアーバスは最終目的地の盛岡に向かいます。天気はどんどん下っていきますが、立ち寄る先は無いので問題ありません。
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山間部には雲が湧き、幻想的な風景になりました。
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最後の休憩は花輪サービスエリアでした。今年は東北自動車道をよく走りました。
花輪サービスエリア 道の駅
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一時だけですが、秋田県に少し戻ってきたことになります。
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雲の中に岩手山が見えてきました。ここだけはもう少し天気が良かったらと思うところです。
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姿が見えたのはここまでで、到着した盛岡駅のデッキからは何も見えませんでした。
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9月には松茸が売っていた駅構内の催事場は高級なリンゴが並んでいます。ここは岩手県ですが、田子のニンニクのバラが安く売っていたので1キロ買い求め友人に分けました。後はいつもの瓶丼を翌日の晩御飯用に買い、車内で食べるお弁当を調達します。
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午後5時7分発の「はやぶさ112号」で東京方面に戻ります。仙台の次は大宮なのでかなり早そうです。帰りの座席は2人掛けだったので安心してお弁当がいただけます。
盛岡駅 駅
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岩手の和牛あぶり焼き弁当にしてみました。ボリュームもたっぷりで美味しかったです。駅のNewDaysで買った氷と檸檬堂で旅の終わりの乾杯しました。
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妻はいつもの平泉うにごはんです。どれだけウニが好きなのでしょう。大宮ではバスの後方でお隣だったご夫婦とお別れして池袋に向かいます。企画切符だと途中下車すると乗車券まで無効になることがありますが、池袋まで有効になるよう添乗員さんが交渉してくれました。駅に迎えに来てくれた友人の車に乗って思ったよりも早く帰宅することが出来ました。
大宮駅 駅
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