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 鶴岡八幡宮の流鏑馬馬場から東の鳥居を潜って出ると直ぐに見えるのが鎌倉町青年団が建てた「畠山重忠邸址」碑(大正12年(1923年)3月銘)である(https://4travel.jp/travelogue/10419251)。関東大震災(大正12年(1923年))が起こる半年前に建てられた石碑である。なお、正治元年とは西暦では1199年であり、5月とあるから源頼朝の死の直後のことが記されている。<br /> 今回のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見て畠山重忠が鎌倉武士の鑑と称賛された理由が少しだけ理解出来た。また、鎌倉時代が終わると明徳4年(1393年)には供養塔が若宮大路沿いに建てられている(https://4travel.jp/travelogue/11472102)こともそうしたことからであろう。<br /> それにしても邸宅のあった場所が鶴岡八幡宮と御所の間と、余りにも鎌倉の中心過ぎるので、存命中も源頼朝などの信頼が厚かったのであろう。<br />(表紙写真は「畠山重忠邸址」碑)

畠山重忠邸址(鎌倉市雪ノ下3)

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2022/12/12 - 2022/12/12

7107位(同エリア7348件中)

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 鶴岡八幡宮の流鏑馬馬場から東の鳥居を潜って出ると直ぐに見えるのが鎌倉町青年団が建てた「畠山重忠邸址」碑(大正12年(1923年)3月銘)である(https://4travel.jp/travelogue/10419251)。関東大震災(大正12年(1923年))が起こる半年前に建てられた石碑である。なお、正治元年とは西暦では1199年であり、5月とあるから源頼朝の死の直後のことが記されている。
 今回のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見て畠山重忠が鎌倉武士の鑑と称賛された理由が少しだけ理解出来た。また、鎌倉時代が終わると明徳4年(1393年)には供養塔が若宮大路沿いに建てられている(https://4travel.jp/travelogue/11472102)こともそうしたことからであろう。
 それにしても邸宅のあった場所が鶴岡八幡宮と御所の間と、余りにも鎌倉の中心過ぎるので、存命中も源頼朝などの信頼が厚かったのであろう。
(表紙写真は「畠山重忠邸址」碑)

  • 「畠山重忠邸址」碑。

    「畠山重忠邸址」碑。

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