2022/11/22 - 2022/11/29
14位(同エリア604件中)
てつやんさん
さて、朝からペトラ遺跡を楽しんでます♪♪
…が、しかしくどいようなのですが、両足かかとに3cmから4cmほどの巨大靴ずれが出来てまして、靴が履けないし、ペトラ遺跡があまりに広いし、入場料高いしで、これぞ修行に相応しい場所。
我に苦難を与えし神は誰ぞ…。
とはいえ、ペトラ遺跡は人類の宝とも言うべき、もの凄い歴史的価値のあるものばかりで感動の連続。
前編でご紹介したエルハズネも有名で非常に美しい遺跡ではありましたが、この後編で行くペトラ遺跡最奥のエドディルが本当に素晴らしく、疲れた身体と達成感も加味されてくるんだと思いますが最高の遺跡でした。
エルハズネよりさらに大きなエドディル修道院の迫力に加え、長い長い岩の階段を上がりきった後に見える48mの巨大な遺跡と、その登山途中にふと後ろを振り返った時の、見渡すところ映画の世界へやって来たと見紛うほど広がるペトラ遺跡の規模の大きさにとても深い感動が待っていました。
一生に一度は来て見たいのですが、もう一回おかわりは遠慮しとくかな?というおかしな魅力がここにはあります(笑)
ではまずはペトラ遺跡のメインストリートから少し外れまして、犠牲祭壇の辺りから山を登ります。
トレイルコースになっていて、高い位置から見えるようにペトラ遺跡の全景と少し冷たい風が気持ち良い(ノ・∀・)ノワーイ
トレイルコースを登りきるとすぐさま、眼前にそびえ立つ王家の墓と呼ばれる石窟墓群が見えてきます。
王家の墓は、壺の墓、絹の墓、コリントの墓、宮殿の墓などの石窟墓群の総称で、ペトラ遺跡後半戦の最初のハイライトなのです♪
特に必見なのが壺の墓と宮殿の墓(゚A゚;)スゲェ
この墓がどんな謂れなのかは、他のお客さんのツアーガイドさんのお話しをちょこっとだけ聞かせて頂き(ホントにちょこっとよ(^o^;))まして、理解を深める。
よくこんな断崖を削りとり、荒野の岩山を芸術的な建物にしてしまうんだねぇ。
しかも重機なんか無い時代に、ねぇ?
王家の墓を後にして、トレイルコースをさらに進むと太古の昔の時代の教会跡、寺院跡、大神殿、更にはお城(宮殿とも)が現れまして、アラブであるヨルダンにいながらも、さながらローマやアテネに居るように錯覚( -_・)ン??
しかもこれらが砂漠のど真ん中という…。
いくつもの奇跡が起きたんだと思いますね、はい。
トレイルコースが終わり、ペトラ遺跡のエントランスゲートから約2時間ほど歩きまして、やっと遺跡内唯一のレストラン施設のベイジンに辿り着く。
ちょっと休憩を入れたのち、いよいよペトラ遺跡最奥部のエドディルを目指した最後の山場へと突入しますヽ(ヽ゚ロ゚)ヒイィィィ!!
標高約1,000mの高さの場所まで、850段の石段を1時間登り続ける苦行( >д<)、;'.・グハァ
そんな辛い(辛いのは両足かかとが死んでるから…)経験の後のエドディルたるやキタ━(゚∀゚*)━!!!
そんな、そんな後にやっと、神々しいまでの修道院施設が現れた時の感動には言葉に出来ない。
これを見るためにオラは両かかとを捧げたのです(笑)
魂を削ってる感覚あるけど、ようやく到達できた達成感のが上回り、ようやく心に新風が吹き込んだかのようでした♪♪
わざわざお金出して、辛い体験して、修行してるなんて頭おかしいから(笑)
あっ!?
エドディル=修道院だからかっ(;゚∇゚)エッ?
ではでは
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 1.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- レンタカー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- エティハド航空 ロイヤルヨルダン航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
エルハズネまでで帰る人もいる中で、ここからがいわば本番よ♪♪
ここで引き返すなんてとんでもなかったよ(人゚∀゚*)♪
なんともったいなきことか…。ペトラ 史跡・遺跡
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エルハズネから少し進むと、広く開けた場所に出てきました。
ファサード通りというらしいです。
ここは両サイドに非常に見所が広がっていて見逃せないエリアです♪ペトラ 史跡・遺跡
-
ファサード通り進み、ローマ劇場手前を右に行ってみます。
ここからちょっと山道になってます。
アルクブタトレイルというそうです。ペトラ 史跡・遺跡
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ふと、崖下を見ると男性二人が薪を拾いながら歩いてます。
寒いから焚き火にするんだろう。ペトラ 史跡・遺跡
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20mから30mくらいの高さまで登ったかな?
通りの向こうに見えたのが、犠牲祭壇がある山。
かなりの高さがある右上のとこかな?
さすがにあれは登れないわ、踵が無くなっちゃう(*T^T)犠牲祭壇 史跡・遺跡
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さてかなりの高さまで来ましたが、正面にまた遺跡らしきものが見えてきました♪♪
王家の墓 史跡・遺跡
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ここは王家の墓と呼ばれる遺跡で、このような石窟墓が4つ並んで建てられていました。
王家の墓 史跡・遺跡
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この石窟墓はなんと言うんでしょうかね?
一番手前にある墓で、入口の岩肌の地層が美しい色合いです♪♪王家の墓 史跡・遺跡
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全体的には赤みがかった岩なんだが、場所によってマーブル模様になるのが美しい。
王家の墓 史跡・遺跡
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(;´Д`)ハァハァ
だいぶ登ったぞ…。
うおおおおおお(゚A゚; )スゲェ
よくぞこんな土地に大都市を作ったもんだわ。王家の墓 史跡・遺跡
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王家の墓の全容が見えてきました♪
ものすごいな…。王家の墓 史跡・遺跡
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紀元前40年頃に造られたらしいのだが、こんな断崖の場所にどうやって造ったんだろ?
重機もないだろうに。王家の墓 史跡・遺跡
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王家の墓周辺には所々に洞穴があいてるので、これが洞窟住居なんだろうな。
王家の墓 史跡・遺跡
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トルコのカッパドキアや、イタリアのマテーラと同じかね?
共通するのはローマということか。王家の墓 史跡・遺跡
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こちらがコリント式の墓というらしいです。
コリントとは、ギリシャ南部の都市の事で、ペロポネソス半島と本土とを結ぶ地峡にあります。
交通・商業の要地で、古代にアテネ・スパルタと並んで栄えた都市国家で、ここにある遺跡と似ているからコリント式。王家の墓 史跡・遺跡
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このようにきれいに切り掘られているんです。
王家の墓 史跡・遺跡
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ここに棺を並べたんだろうか?
王家の墓 史跡・遺跡
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高度な測量技術があったってことやね。
きれい過ぎるわ…。王家の墓 史跡・遺跡
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古代ナバテア人が住んでいた時を見てみたいな。
どんな世界観なんだろ?
ロマンが尽きない。王家の墓 史跡・遺跡
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もう一度、犠牲祭壇方面を振り返る。
どこを見ても異常な世界。犠牲祭壇 史跡・遺跡
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犠牲祭壇の少し先にはローマ劇場が。
イタリアやギリシャにあるものと同じだわ…。ローマ円形劇場 史跡・遺跡
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イチオシ
いや、スケールがもっと大きいか?
何段あるんだろ?ローマ円形劇場 史跡・遺跡
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風雨にさらされてながら、この精巧さで残ってるという奇跡。
ずっと来たかったんだよね(^3^)/王家の墓 史跡・遺跡
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アルクブタトレイルの通路脇には、お土産を売る方や、
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軽食や飲み物を提供する喫茶スペースもある。
ベドウィンの方々が営業しています。 -
誇らしくヨルダン国旗が風にたなびく♪
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こんな荒野に人が住めるのか?という問題ですが、眼下に見えるように枯れ川があるので、時期によっては水が手に入るのよね。
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現にここに水溜まりがあるので、さっきのシークで見たように水の行き先を管理して、溜めておく技術が凄いんだと思います。
-
ツアーガイドさんが何か説明してますので、ちょっと盗み聞き(笑)
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ペトラ遺跡は外側は赤色の単なる岩肌だが、地層がこの通り様々な色合いを見せるので、薔薇色の街と呼ばれているんだそうです。
この色がペトラ遺跡の魅力なんだと、ガイドさんが仰っていました(笑) -
で、その美しい地層が見られる石をお土産として現代のベドウィンたちは商売してます。
-
ここで休憩出来るみたい。
コーヒーなのか、チャイなのか分かりませんでしたがみんな美味しそうに飲んでました。
かなり寒いもんね。 -
そして王家の墓のクライマックス。
これが壺の墓。王家の墓 史跡・遺跡
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では壺の墓に近付いてみます。
アルクブタトレイルの最奥部です。
靴ずれは依然として絶好調で、血が出てきました(>_<")ウヒョー王家の墓 史跡・遺跡
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見てください、これ。
これヤバ無い?
岩を削って造ったなんてウソでしょこれ…。
21世紀に入ってから、日本人が内緒で造ったんだよきっと(笑)王家の墓 史跡・遺跡
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宮殿の部分まで上がれるみたいなので、行ってみる。
王家の墓 史跡・遺跡
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ベドウィンたちは商魂たくましい。
まぁ国内最大級の観光地ですから、売れるもんはとにかく売っとけ!みたいな感じかしらね。王家の墓 史跡・遺跡
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あれ?
そこ君のお家なんだ♪♪
いいね( ゚Д゚)bグッ王家の墓 史跡・遺跡
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この壺の墓は、遺跡の頂上部に壺形の装飾があるので、そう呼ばれているのだそう。
ずいぶんと高い場所に作ったもんだよ。王家の墓 史跡・遺跡
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建設された年代は紀元前70年と言われており、墓の前には中庭(今、私が立って写真を撮っているあたり)が拡がっていたと考えられています。
王家の墓 史跡・遺跡
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ふーん、あれが壺かぁ。
王家の墓 史跡・遺跡
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中庭の両端にこのような列柱が配置されていて、この王家の墓の中では一番豪華なような気がします。
元々は墓なので、この場所も棺を安置される場所だったみたい。
しかし446年になるとこの辺りを統治する様になったローマによって、教会へと生まれ変わったそうです。王家の墓 史跡・遺跡
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壺の墓の内部を覗いてみます♪
王家の墓 史跡・遺跡
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天井に何か壁画のような跡を見つけましたが、これが何を書いているのか?が分かりませんでしたね…。
遺跡入口でもらったパンフレットも触れておらず。王家の墓 史跡・遺跡
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ただこのマーブル模様は見ているだけでも素晴らしい。
これがさっき、よそのグループに付いていたガイドさんが言ってた、「薔薇色の街」と呼ばれる所以だね♪
まさにバラが咲いているような紋様でした。王家の墓 史跡・遺跡
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2070年前はどんな人々が、ここで生活していて、どんな暮らしぶりだったのか?
想像が掻き立てられる♪♪王家の墓 史跡・遺跡
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この辺りで商売するベドウィン達とそんなに変わらなかったりしてね。
その日に食べられるほどの食べ物を手に入れられれば良い、と。
お茶を飲みながら、拾った小枝を薪にして暖をとり、1日をゆったり過ごしているような。王家の墓 史跡・遺跡
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かなりはっきりと石組みも見られまして、良い状況で残っているのが壺の墓でした。
王家の墓 史跡・遺跡
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お隣のこちらも王家の墓の一つ。
宮殿の墓と呼ばれる遺跡です。王家の墓 史跡・遺跡
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さっきのエルハズネに似ている遺跡だわ。
王家の墓 史跡・遺跡
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どこぞのヨーロッパの街にありそうな宮殿に見えます。
さすが宮殿の墓。王家の墓 史跡・遺跡
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この遺跡は2世紀初頭のものとされていて、下から五層にもなる構造で建てられているんだそうです。
こちらもかなりの装飾の美しさであります♪王家の墓 史跡・遺跡
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左が宮殿の墓、隣り合うのが右側のコリントの墓。
コリントの墓は、ナバタイ(アラブ)とローマの様式が混ざった建築様式のお墓です。王家の墓 史跡・遺跡
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いやーー、かなり壮大な遺跡ですなぁ。
エルハズネ以降もこんなレベルのものがじゃんじゃん出てくるんだと、もう1日じゃ見きれないんじゃないか?と不安になるわ…。 -
さてと、そのままトレイルを北西方面へ進みます。
完全に砂漠…。 -
雲間から太陽が顔を出すと少し暖かいのですが、基本内陸の砂漠気候ですから、陽が陰ればクソ寒いす。
足を引きずりながらも、こういう景色を目の当たりにすると一瞬でも痛みを忘れますね♪♪ -
イチオシ
素晴らしい景色の連続。
ペトラへ行ったら、是非ともトレイルコースを歩いてみて欲しいです。←誰目線? -
イチオシ
バランシングロックもたくさんありました。
観光客が置いて行くんでしょうけど、絵になるわぁ。 -
後ろを振り返り、王家の墓。
このペトラの広さが想像つかないと思うのですが、もう尋常じゃない広さ。
これ運動不足の人が行ったらダメな場所です、はい…。 -
途中、枯れ河の跡が見られました。
跡というか、今でも1年に数ミリ雨が降るらしいので、その時は川になるんでしょう。 -
この治水こそがペトラの生命線ですもんね。
-
トレイルを歩いていると次なる遺跡が見えてきました。
ペトラ教会です。ビザンチン教会 史跡・遺跡
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この教会はローマ統治時代のものでしょうから、5世紀末ころのものと考えられています。
その後6世紀に入って、地震や火災で倒壊されたとされていますが、教会の両端の側廊部分にあるモザイクが非常に美しい状態で残っていました。ビザンチン教会 史跡・遺跡
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柱があったすぐ隣の側廊です。
これは現在の教会の作りと全く同じ。ビザンチン教会 史跡・遺跡
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かなり大きなモザイクが配されていることから、このペトラ教会はこの街にとっての大聖堂並みに格の高い教会だったのではないでしょうか?
ビザンチン教会 史跡・遺跡
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崩れてしまっているのが大変惜しい…。
まぁ世界最古の木造建築の法隆寺でさえ6世紀なので、石で出来た教会の4世紀や5世紀のものがそのまま残っているのも不可能かとは思いますがね。ビザンチン教会 史跡・遺跡
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セラミック(焼き物)のタイルを、このように細かくモザイクにすること自体が素晴らしい芸術。
明日実はモザイクの大権化みたいな街へ行く予定なんですが、俄然楽しみになりました♪ビザンチン教会 史跡・遺跡
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修復工事が順調に終わり、人類の宝が陽の目を見られる日が来ることを期待しています。
ビザンチン教会 史跡・遺跡
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ペトラ教会全容と言っても、こんなサイズ感。
当時はこれ以上は難しかったのかしら?
いや、王家の墓や、エルハズネを作るくらいだからもっと規模の大きな教会もイケたはずやんな?ビザンチン教会 史跡・遺跡
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同じ敷地内の教会裏には人々が生活していた痕跡も。
ビザンチン教会 史跡・遺跡
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トイレや、台所などの調理場も見られました。
人間臭い部分も見られるんですね♪♪ビザンチン教会 史跡・遺跡
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さてペトラ教会を出るとずいぶん高台にいるんだと気づかされました。
遠くに大神殿が見えてきました。 -
イチオシ
大神殿が…、でっ、デカい…。
いつかアテネで見たような神殿だわ(汗) -
そしてそのペトラ教会のすぐ近くに、実はもう1か所寺院があるんです。
こちらは空飛ぶライオン寺院?有翼ライオン寺院?(winged lion temple)とでも訳せば良いのでしょうか? -
こちらは残念ながら、跡地しか残ってはおらず。
-
きっと翼の生えたライオンが飾られていた寺院だったのかと想像。
-
こちらも立派な柱列の寺院だった形跡を見ることができますね。
この辺に転がっている大きな石はきっと遺跡の一部だった模様。 -
この辺で足の指が取れそうになるほど寒かったので、スニーカーに履き替えました。
リュックの中に入れておいたんです。
でも両踵が靴ずれで死んでます。 -
陽が出てくると、周辺の景色がいっそう美しく見えてきます。
winged lion templeは現存していればきっと今のイタリアにあるような寺院だったんかなぁ…。妄想中 -
あちこちに土台だけ残っているエリア。
2000年前はさぞや賑やかなペトラの街だったことでしょう。 -
ほほぅ。
こんなイメージだったのね。 -
ペトラの街並みが垣間見えるよう。
当時の街はだいぶ埋まってしまっているようで、掘り返さないとこのような区割りは見えないみたい。
逆にいうとその辺を掘ればいくらでも遺跡が出てきそうだな…。 -
半分見えてるアーチ部分は建物への出入り口かな?
住宅街だったのかな、この辺? -
トレイルから列柱通り越しで大神殿と、
-
未完成の墓方面をのぞむ。
-
イチオシ
車も電車も無い時代、この広大な街で暮らすには大変なことだったでしょうなぁ。
やっぱ馬や、ラクダ、ロバなんかが活躍してたんだろう。 -
Qasr al Bint
アルビン城という意味になるけど、ホントにお城だったか、宮殿だったのか?は定かじゃないみたい。
約23?ある高さの巨大な建物で手前の大理石の階段を上り内部へ入るようです。
中央の台座には神像を設置していた跡でして、絢爛豪華なお城か宮殿だったんだって♪ -
ふぅ、入口のビジターセンターからやっと約5Km…。
2時間くらいかかりました、ここまで。
いつもなら1時間ちょいで来れる自信はあるが、今日はとにかくしんどい…。 -
やっと2/3くらい来たかな…。
足が完全にイカれたわ(?д?; )
もう2度とこんなに歩けない。
ペトラ遺跡内の唯一の本格的なレストランベイジンです。
おトイレ借りて少しだけ休憩して、いよいよいざエドディルへ。 -
にゃーがたくさんいるなぁ、ここ。
レストランだからみんなご飯くれるんだね♪ -
ん?
ちょうど遺跡に掘られた穴がハイラックスの駐車場としてジャストサイズやんけ(笑)
ハイラックス用に作ったかのようにぴったり。 -
私が目指す最終地点はここから山道へと変わり、ここを登りきるとエドディル(修道院)に着きます。
-
エドディルは標高1,000mに位置し、下から900段以上の石段を登り切ったところにあるようで、まさに修行かと思うくらい辛い道中になりました。
途中、こんな絶景がなければ絶対に心折れてたはずです。 -
イカれた足とはいえ気合いの塊であるてつやんですが、レストランのベイジンからエドディルまで、なんとさらに1時間がかかりました。
もうゲボ出そう(?´ω`? ) -
おいでこっちだよっ、て言われてるんだけど足が上がらないのよ(笑)
-
良いね、君たちは身体軽そうで。
-
にゃーの置物と、リアルにゃーのコラボ(笑)
-
段々と空気薄なってない?
死ぬのかな…おれ。 -
足の痛みと身体の疲れがマックスに達しました。
HP2くらい、もう無理…。 -
と思った先にどーーーーーーん!!
狭い石段を登りきると急にドデカい建物が。
えっ!?
こっ、これがエドディルか…。すげぇ(;゚Д゚)エド ディル 史跡・遺跡
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ラスボス登場。キタ━(゚∀゚)━!!!
エド ディル 史跡・遺跡
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イチオシ
このエドディルはナバタイ王国の最後の国王の時代である2世紀頃に造られたものとされています。
エドディル内は大きな空間があって、祭壇のようなものだけがあるようでして、神殿として使われていたのかもしれません。エド ディル 史跡・遺跡
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ナバナイ人が去ったその後はキリスト教徒がやってきて修道院代わりに使ったので「エドディル(修道院)」という名前で呼ばれているんだそうよ♪♪
エド ディル 史跡・遺跡
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よく靴履いてると思うわ…。
じゃなくて、よくこんな所に巨大な遺跡が…、とにかくデカい。
ここまでこんなに綺麗な状態で残ってたなぁ。
そしてこの旅で私、初登場(笑)エド ディル 史跡・遺跡
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ん?
さらに上から見られるみたい…。
もう足がしんどいんですけど(;^_^A -
イチオシ
ぶつぶつ文句良いながらも、ちゃんと上がる私(笑)確かに良い♪♪
エド ディル 史跡・遺跡
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さすがにあんな上にはもう無理。
-
なんか合成写真みたいじゃん。
あっこだけ異常。 -
元気があればなんでも出来る。
by猪木
ここから2時間以上折り返しはきちぃなあ(+_+) -
紀元前63年、ローマ帝国は現在のシリアとパレスチナを征服します。
当然このナバテア人が治めるペトラにも勢力を伸ばしましたが、裕福だったナバテア王国は、ローマ帝国の支配下ながら税金を払うことで自治を認められた経緯があると言います。エド ディル 史跡・遺跡
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この頃からペトラにはローマ帝国によるその他の支配地域で見られるような建築物が造営されるようになりました。
しかし結局このナバテアの自治は長くは続かず、106年にローマ帝国によって、ローマのアラビア属州として完全に取り込まれ、ナバテア王国は幕を閉じることになったのです。エド ディル 史跡・遺跡
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イチオシ
379年にはローマ帝国の国教がキリスト教に定められ、にわかに信じられませんがナバテアの人々もキリスト教へ改宗させられ、ここペトラにも主教座が置かれました。
それが先程の教会ですね。エド ディル 史跡・遺跡
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時が経ち、ローマ帝国にとってペトラの重要性が低くなるに連れ、徐々に衰退していきました。
エド ディル 史跡・遺跡
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そして749年この一帯を襲ったガリラヤ大地震で甚大な被害を受けたことが決定打となり、ナバテア人はこの地を放棄し、この地を離れたと言われています。
エド ディル 史跡・遺跡
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廃墟同然となったペトラには、アラブの砂漠の民ベドウィン族がひっそりと暮らすようになりました。
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その後はこの周辺のごく少数の人にしか知られていなかったペトラが世に大きく知られるようになったのは遥か後世の1812年のこと。
エド ディル 史跡・遺跡
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スイス人の探検家ブルクハルト氏が後に世界遺産として貴重な都市遺跡である古代都市ペトラを発見。
世界に発信したことにより、多くの人々に知られるようになりました。エド ディル 史跡・遺跡
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現在もヨルダンでは信教とするのはイスラム教93%、キリスト教等7%と一部では、まだローマ時代のなごりが残る。
エド ディル 史跡・遺跡
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これは他の中東各国から比べるとキリスト教の比率が高いのである♪
ここがローマとアラブが融合したとする由縁なのです(^3^)/エド ディル 史跡・遺跡
-
ふぅ、そろそろ戻るか…。
んで、また同じ距離戻るんか…。
んー、これ無理じゃねーーー!?
ここまで約6.5Km歩いて来てます(;'∀') -
この景色、もう猿の惑星かと思うわ…
-
ねぇっ?
帰りもまだいた(笑)
そして増えてる。 -
はぁはぁはぁはぁ(´゚д゚`)
やっとレストランベイジンあたりまで帰って来れた…。 -
再度Qasr al-Bint
-
最後の力を振り絞って、列柱通りと大神殿を見学。
これはペトラを代表する建造物の一つ。
この柱が乗る台座の部分は、通りの高さからはかなり高い位置にあって、当時の柱と屋根を合わせると約18?あったと考えられていて、相当巨大な神殿であったとされています。 -
円柱の柱が立ち並ぶ大神殿。
ギリシャのアテネにあるアクロポリスの大神殿みたいなものだったと想像♪♪
このペトラを象徴する大神殿だったんだろうなぁ。 -
所々このような崩れた跡が。
地震で崩れてしまったんでしょう。
そもそもこんな巨石をどうやって積み上げたんだか( ´-ω-`) -
ふいにダルマ落としを思い出しました(笑)
-
あっ!?あれ?
誰かあのラクダをコントロールしてる?
野良ラクダ?な訳ないよね鞍みたいなの付けてるし。
だっ、だれかーーー( 'Д') -
GREAT TEMPLE跡。
列柱通りの両脇には宗教関連の施設がたくさんあったみたい。 -
砂漠のど真ん中の大都市だわ。
今まで見てきて思ったのは、初期のナバテア人は丘の上や山中に岩肌に掘った所に住んでいたと考えらるんだわ。柱廊通り 史跡・遺跡
-
その後、紀元前1世紀頃から街の拡大が進み、ローマが統治する時代に列柱通りが整備されてきたようで、通りの南側には神殿が、北側には宗教施設や商店などが建っていたようです。by 入口でもらったパンフ
柱廊通り 史跡・遺跡
-
そして今回の見学順で最後の遺跡。
ローマ劇場です。
大きな岩山を削り、すり鉢状にして造られた劇場で約4000名を収容できるペトラ最大の娯楽施設でした。ローマ円形劇場 史跡・遺跡
-
きれいに整備すれば、今でも劇場として機能させられそうなローマ劇場。
傾斜が結構あるのできっと素晴らしい音響だったんだろうなぁ。ローマ円形劇場 史跡・遺跡
-
古代で4000名の劇場とか、マジですげぇわ。
やっぱり世界でも有数の規模だったよ…。ローマ円形劇場 史跡・遺跡
-
さてと、なんとか全ての見学がこれで終わった…。
もう足が上がらないわ…。
あぁぁ、あれ早いなぁ、良いなぁ。 -
もう無の境地でエルハズネまで戻ってきました。
もう無。
なにも感じない…。エル ハズネ 史跡・遺跡
-
ラクダさん良いなぁ。
エル ハズネ 史跡・遺跡
-
イチオシ
渾身の1枚。
エル ハズネ 史跡・遺跡
-
行きよりも少し晴れてきたのかな。
光が降り注ぐ。シーク (ぺトラ) 山・渓谷
-
この人たちは今から行くのかな?
日が暮れちゃうよ…。シーク (ぺトラ) 山・渓谷
-
イチオシ
シークまで来たら、車まであと少し…。
シーク (ぺトラ) 山・渓谷
-
はぁぁぁぁぁぁー!!
エントランスキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!ペトラ 史跡・遺跡
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ご飯も食べず、痛い足を引きずって、修行なんじゃないかと思う。
なんでわざわざお金払って辛い思いしてるんだか(笑)ペトラ 史跡・遺跡
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足がこんなじゃなきゃ、もっと早く戻って来れたんじゃないかと思うんですが、もう限界でして…。
すでに2:51…。
今日がおわっちゃうぅー(; ・`д・´)
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この旅行記へのコメント (5)
-
- マリオットさん 2023/05/25 09:00:48
- 凄い遺跡です
- こんにちは、マリオットです。
サッカーだけでもすごいと思っていたのですが、イスラエルやヨルダンまで足を延ばしていたとは。とても短期で行った旅行に思えません。
しかし、砂漠の中の遺跡をほぼ一日歩き通しなんて、とても私にはできません。あの時代に、しかも硬い石を加工してこれだけの物を作るのは、いったいどれくらいの労働力と年月がかかったのだろうか。
エドディル、実物を見ればより感動するでしょうけど、たどり着ける自信は全くありません。この旅行記の写真と説明を読んで行った気になれました。
- てつやんさん からの返信 2023/05/25 20:35:18
- ホントに感動しました♪
- マリオットさん
こんにちは!!
コメントありがとうございます。
〉〉〉
とても短期で行った旅行に思えません。
⇒ホントですね、自分でもイカれてると思います(笑)
命、削ってます…。
しかし、砂漠の中の遺跡をほぼ一日歩き通しなんて、とても私にはできません。あの時代に、しかも硬い石を加工してこれだけの物を作るのは、いったいどれくらいの労働力と年月がかかったのだろうか。
⇒いや、私も限界でした。
もう少し距離あったら、命の危険が(笑)
しかし、おっしゃる通り、大昔にこんな壮大な都市遺跡を作ったなんて考えられませんよね。
実は、コマ◯や、三菱キャ◯ピラとかの重機があったとしか思えません(笑)
エドディル、実物を見ればより感動するでしょうけど、たどり着ける自信は全くありません。この旅行記の写真と説明を読んで行った気になれました。
⇒今回はなんとか行って来れましたが、もう二度と行かないと思います。
それほどしんどかったです。
ただエドディルを見た感動は一生忘れないと思いますね。
デカいし、あの砂漠の奥地にあの遺跡ですから、とんでもないものを見た感が凄いです♪
いまだに長距離を歩くのがトラウマなてつやんでした
-
- ニースのミモザさん 2023/03/19 19:47:54
- てつやんさん
- 素晴らしい旅行記を拝見しています。
カタールでのワールドカップの合間にイスラエル、ヨルダンと飛び目的地へ向かい、
それでカタールに戻るかと思いましたら、ペトラの観光も!
足の痛みにも負けずにペトラの広大な遺跡も制覇され、本当に感動しました。
そして、知識豊富なコメントに素晴らしい写真!!!
靴擦れ、本当に痛いですね。
私も4,5回苦しんだ事が有ります。これは本当に痛いし辛いですね。
実は、昨年末のドイツに行きました時も靴擦れでかなり痛い思いをしました。
帰りは車椅子対応にして貰おうかとも思いました。
又、続編楽しみにしています。
ニースのミモザ
- てつやんさん からの返信 2023/03/20 20:52:04
- こんばんは!!
- ニースのミモザさん
こんばんは。
コメントありがとうございます。
あとたくさんのいいねもありがとうございます(^_^)v
〉〉〉
足の痛みにも負けずにペトラの広大な遺跡も制覇され、本当に感動しました。
⇒えっ(*´・д・)!?
靴ずれにも負けずが感動すか?、と思ったら素晴らしいペトラ遺跡が感動なのですよね?(笑)
一瞬勘違いしました(*´σー`)エヘヘ
エルディドは凄かったです、達成感も相まって♪♪
〉〉〉
実は、昨年末のドイツに行きました時も靴擦れでかなり痛い思いをしました。
帰りは車椅子対応にして貰おうかとも思いました。
⇒あら!?靴ずれのお仲間ですね。
ドイツだと街歩きとかがメインだと思うので、ニースのミモザさんもさぞや辛い痛みだったことでしょう…。
大げさじゃなくて、私も車イス欲しい案件でした(笑)
遅い執筆活動にお立ち寄り頂きまして、恐縮です。
今後とも宜しくお願い致しますm(_ _)m
てつやんでした
- ニースのミモザさん からの返信 2023/03/20 21:09:05
- Re: てつやんさん
- 返信有難うございました。
感動しましたのは、
てつやんさんが痛みを堪えながらもエルディドを制覇された事です。本当に痛かったでしょう!
私も大好きなパタゴニアのトレッキングで歩き過ぎて靴擦れで、帰国後、成田の診療所に直行した事もありました。
執筆活動、頑張って下さい!!!
ニースのミモザ
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旅行記グループ チケット取れちゃったのでクソ忙しいサラリーマンでも頑張って有休取ってワールドカップを観に行くしかない
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