奄美大島旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2泊3日の奄美大島の旅も最終日です。朝から天気も良く、天候にも恵まれた旅でした。気になっているのはホテルでいただいた全国旅行割りのクーポンがほとんど使えずに残っていることです。政府の決定のバタバタからなのか準備が整っておらず、多くの店がまだ申請中でした。朝食を食べて出発の準備をして午前9時前にはロビーに降りました。クーポンを使わずとも大きなキャリーバックは満杯になり、前の晩にグリーンストアでいただいた段ボール箱も満杯になり、スーパーの2階のダイソーで買ったガムテープでぐるぐる巻きです。バスはホテルを出て東シナ海側の「大浜海浜公園」に向かいます。まずは海岸を散策しますが、この日が一番天気が良くてエメラルドグリーンの海を眺められました。一度集合して希望者だけ「奄美海洋展示館」に入ります。ここでウミガメに餌やり体験が出来るのですが、餌はなんとレタスでした。ちょっと興ざめしますが、1頭でレタス1玉くらいはぺろりと食べてしまうそうです。団体が来たので餌がもらえると分かったウミガメたちは集まってきます。中には海中の岩の間に挟まってバタバタしているものもいます。これはあっという間の餌やりで、後の時間は奄美大島の海や川にいる生物の見学です。リュウキュウアユなどの固有種や、ウミガメの赤ちゃん、巨大なウツボなど小さい水族館でしたが楽しめました。バスは一度名瀬に戻りながら「大島紬村」に向かいます。大島紬を売るための施設だけかと思っていましたが、広大な敷地には美しい木々が育ち、植物園のようでもあります。その奥に実際の工房があり、最初の糸染めの工程の展示があり、表の池では泥染めの実演までありました。その後は織の工程に移りますが、その柄を表現するためにものすごい細かい工程があることを知りました。これは凄い勉強になりました。最後のショップでは大島紬の製品が並ぶのですが、欲しいと思えるものが無くて困って諦めかけて店を出ようとしました。すると置かれてあった木製のキャビネットの中にティディベアが見えました。照明も当たっていない中に暗い色の大島紬製なので目立ちません。これが良く出来ていて、値段も手ごろなので買い求めました。というかここではクーポン券が使えましたので実質無料というわけです。後で調べてみると何冊も本を出している有名なティディベア作家さんとのコラボで造られたものだということが分かりました。さらなる謎は午後になって行った奄美パークで解けました。

クラブツーリズムいも~れ奄美大島3日間(4)大浜海浜公園でウミガメにレタスをあげ、大島紬村で技術の高さに驚き、大島紬のティディベアを買う。

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2022/10/26 - 2022/10/26

689位(同エリア1516件中)

旅行記グループ 2022奄美大島

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kojikoji

kojikojiさん

2泊3日の奄美大島の旅も最終日です。朝から天気も良く、天候にも恵まれた旅でした。気になっているのはホテルでいただいた全国旅行割りのクーポンがほとんど使えずに残っていることです。政府の決定のバタバタからなのか準備が整っておらず、多くの店がまだ申請中でした。朝食を食べて出発の準備をして午前9時前にはロビーに降りました。クーポンを使わずとも大きなキャリーバックは満杯になり、前の晩にグリーンストアでいただいた段ボール箱も満杯になり、スーパーの2階のダイソーで買ったガムテープでぐるぐる巻きです。バスはホテルを出て東シナ海側の「大浜海浜公園」に向かいます。まずは海岸を散策しますが、この日が一番天気が良くてエメラルドグリーンの海を眺められました。一度集合して希望者だけ「奄美海洋展示館」に入ります。ここでウミガメに餌やり体験が出来るのですが、餌はなんとレタスでした。ちょっと興ざめしますが、1頭でレタス1玉くらいはぺろりと食べてしまうそうです。団体が来たので餌がもらえると分かったウミガメたちは集まってきます。中には海中の岩の間に挟まってバタバタしているものもいます。これはあっという間の餌やりで、後の時間は奄美大島の海や川にいる生物の見学です。リュウキュウアユなどの固有種や、ウミガメの赤ちゃん、巨大なウツボなど小さい水族館でしたが楽しめました。バスは一度名瀬に戻りながら「大島紬村」に向かいます。大島紬を売るための施設だけかと思っていましたが、広大な敷地には美しい木々が育ち、植物園のようでもあります。その奥に実際の工房があり、最初の糸染めの工程の展示があり、表の池では泥染めの実演までありました。その後は織の工程に移りますが、その柄を表現するためにものすごい細かい工程があることを知りました。これは凄い勉強になりました。最後のショップでは大島紬の製品が並ぶのですが、欲しいと思えるものが無くて困って諦めかけて店を出ようとしました。すると置かれてあった木製のキャビネットの中にティディベアが見えました。照明も当たっていない中に暗い色の大島紬製なので目立ちません。これが良く出来ていて、値段も手ごろなので買い求めました。というかここではクーポン券が使えましたので実質無料というわけです。後で調べてみると何冊も本を出している有名なティディベア作家さんとのコラボで造られたものだということが分かりました。さらなる謎は午後になって行った奄美パークで解けました。

旅行の満足度
4.5
観光
5.0
ホテル
4.0
グルメ
4.0
ショッピング
4.5
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
観光バス JALグループ 徒歩
利用旅行会社
近畿日本ツーリスト

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  • ツアーも最終日です。さすがに前日と同じように朝の散歩はしませんでした。この日までは天気は良かったのですが、翌日からは雨ということです。いいタイミングで晴れた日だけで旅が出来ました。

    ツアーも最終日です。さすがに前日と同じように朝の散歩はしませんでした。この日までは天気は良かったのですが、翌日からは雨ということです。いいタイミングで晴れた日だけで旅が出来ました。

  • 最終日も午前9時にホテルを出発するので、御膳8時にレストランへ向かいましたが、前の日より混んでいるようです。

    最終日も午前9時にホテルを出発するので、御膳8時にレストランへ向かいましたが、前の日より混んでいるようです。

  • がっつり朝食を摂った後は部屋に戻って荷物をパッキングしてみると大変なことになりました。大きなキャリーバックに段ボール箱、大きなショルダーバックに、カメラ用の小さなバック。

    がっつり朝食を摂った後は部屋に戻って荷物をパッキングしてみると大変なことになりました。大きなキャリーバックに段ボール箱、大きなショルダーバックに、カメラ用の小さなバック。

  • 妻は小さなリュックに小さな手提げ袋。何か理不尽なものを感じます。

    妻は小さなリュックに小さな手提げ袋。何か理不尽なものを感じます。

    ホテルニュー奄美 宿・ホテル

  • 表側が本館で名瀬湾に多少向いているので眺望は良いのかもしれません。最上階のレストランの窓は日除けのシェードが降りていたので表は見えませんでした。眺望を考えると隣接する「ホテルウエストコート奄美」の方が良さそうです。

    表側が本館で名瀬湾に多少向いているので眺望は良いのかもしれません。最上階のレストランの窓は日除けのシェードが降りていたので表は見えませんでした。眺望を考えると隣接する「ホテルウエストコート奄美」の方が良さそうです。

  • 午前9時前に「島バス」がお迎えに来ました。荷物はトランクに入れてしまうので最終日も空港までは身軽です。

    午前9時前に「島バス」がお迎えに来ました。荷物はトランクに入れてしまうので最終日も空港までは身軽です。

  • 最初に向かったのは昨日も通りがかった「大浜海浜公園」です。奄美大島を移動する場合ルートが限られているので、同じ道を何度も往復することがあります。それでも一番効率の良いルートなのだと思います。

    最初に向かったのは昨日も通りがかった「大浜海浜公園」です。奄美大島を移動する場合ルートが限られているので、同じ道を何度も往復することがあります。それでも一番効率の良いルートなのだと思います。

    大浜海浜公園 公園・植物園

  • 県道79号名瀬瀬戸内線から離れてしばらく走ると「大浜海浜公園 見はらし広場」に差し掛かり、高台から美しい東シナ海の海が見えました。この時間だと太陽を背にしたほうが海の色は美しいです。

    県道79号名瀬瀬戸内線から離れてしばらく走ると「大浜海浜公園 見はらし広場」に差し掛かり、高台から美しい東シナ海の海が見えました。この時間だと太陽を背にしたほうが海の色は美しいです。

  • 高台から海岸線に降りると「奄美海洋展示館」の建物が見えてきました。駐車場でバスを降りて、まずは海岸線で自由時間になります。

    高台から海岸線に降りると「奄美海洋展示館」の建物が見えてきました。駐車場でバスを降りて、まずは海岸線で自由時間になります。

  • 誰もいない美しい砂浜です。天気も良く爽やかに晴れ渡って気持ちよいです。今回の奄美のツアーで行った中では一番の海岸です。

    誰もいない美しい砂浜です。天気も良く爽やかに晴れ渡って気持ちよいです。今回の奄美のツアーで行った中では一番の海岸です。

  • 左手には「宮古崎」という小さな岬があり、その向こう側が昨日の夕方に行った国直海岸です。

    左手には「宮古崎」という小さな岬があり、その向こう側が昨日の夕方に行った国直海岸です。

  • 何をするでもなく白い砂浜の上を散歩します。妻は母へのお土産に枝サンゴのかけらや貝を拾ってくれています。毎年夏になると玄関にお盆を置いて、白砂を敷いて貝を置いていましたから。

    何をするでもなく白い砂浜の上を散歩します。妻は母へのお土産に枝サンゴのかけらや貝を拾ってくれています。毎年夏になると玄関にお盆を置いて、白砂を敷いて貝を置いていましたから。

  • よく見ると「宮古崎」の向こうの山が重なって見えています。「宮古崎」青い海と空と群生するササのコントラストが素晴らしい公園で、東シナ海を目の前に岬一帯にリュウキュウササが群生しているそうです。ただ、1.4キロほど歩かなければならないので老若男女を受け入れるツアーでは組み込めないのだと思います。

    よく見ると「宮古崎」の向こうの山が重なって見えています。「宮古崎」青い海と空と群生するササのコントラストが素晴らしい公園で、東シナ海を目の前に岬一帯にリュウキュウササが群生しているそうです。ただ、1.4キロほど歩かなければならないので老若男女を受け入れるツアーでは組み込めないのだと思います。

  • 「宮古崎」は2018年の大河ドラマ「西郷どん」のオープニングロケ地として使われて有名になったそうです。鈴木亮平が走り抜けるのがここだそうです。<br />https://www.youtube.com/watch?v=PC1sji8mIR8

    「宮古崎」は2018年の大河ドラマ「西郷どん」のオープニングロケ地として使われて有名になったそうです。鈴木亮平が走り抜けるのがここだそうです。
    https://www.youtube.com/watch?v=PC1sji8mIR8

  • 明治維新の立役者と知られる西郷隆盛は安政6年の1859年から文久元年の1861年まで潜居を命ぜられ、奄美大島の龍郷町に約3年ほど暮らしていたそうです。その屋敷跡西郷南洲謫居跡(さいごうなんしゅうたっきょあと)が残されているそうです。西郷隆盛が島妻の愛加那と息子の菊次郎のために建てた新居で、土地選びなどは西郷自らが選定したそうです。

    明治維新の立役者と知られる西郷隆盛は安政6年の1859年から文久元年の1861年まで潜居を命ぜられ、奄美大島の龍郷町に約3年ほど暮らしていたそうです。その屋敷跡西郷南洲謫居跡(さいごうなんしゅうたっきょあと)が残されているそうです。西郷隆盛が島妻の愛加那と息子の菊次郎のために建てた新居で、土地選びなどは西郷自らが選定したそうです。

  • 残念ながら旅行会社のツアーでは立ち寄ることは無いようです。バスガイドさんからも説明ほとんどありませんでした。唯一、愛加那(あいかな)の加那というのは、いとしい人という意味で、大事にする女性に加那というのを奄美ではよく付けるということくらいでした。

    残念ながら旅行会社のツアーでは立ち寄ることは無いようです。バスガイドさんからも説明ほとんどありませんでした。唯一、愛加那(あいかな)の加那というのは、いとしい人という意味で、大事にする女性に加那というのを奄美ではよく付けるということくらいでした。

  • 沖合いには海上保安庁の巡視船が停泊していました。北海道や沖縄を旅していると感じる国境をここでも感じます。奄美大島には海上自衛隊は奄美基地(瀬戸内町古仁屋)が置かれていますが、艦艇の配備は無いそうです。

    沖合いには海上保安庁の巡視船が停泊していました。北海道や沖縄を旅していると感じる国境をここでも感じます。奄美大島には海上自衛隊は奄美基地(瀬戸内町古仁屋)が置かれていますが、艦艇の配備は無いそうです。

  • 海上保安庁は奄美海上保安部(奄美市名瀬入船町)と古仁屋海上保安署(瀬戸内町古仁屋)が置かれています。奄美海上保安部には巡視船2隻、古仁屋海上保安署には巡視艇1隻と監視取締艇1隻が配置されています。自民党は防衛費のGDP比2%を目指していますが、個人的には海上保安庁を充実したほうが良い気がします。

    海上保安庁は奄美海上保安部(奄美市名瀬入船町)と古仁屋海上保安署(瀬戸内町古仁屋)が置かれています。奄美海上保安部には巡視船2隻、古仁屋海上保安署には巡視艇1隻と監視取締艇1隻が配置されています。自民党は防衛費のGDP比2%を目指していますが、個人的には海上保安庁を充実したほうが良い気がします。

  • 15分ほどすると集合が掛かり、オプションを申し込んだ人は「奄美海洋展示館」に向かいます。ここには大きな水槽があり、中をウミガメが優雅に泳いでいます。

    15分ほどすると集合が掛かり、オプションを申し込んだ人は「奄美海洋展示館」に向かいます。ここには大きな水槽があり、中をウミガメが優雅に泳いでいます。

  • アカウミガメとアオウミガメの3頭が飼育されています。それ以外に魚もたくさんいますが目には入ってきません。美しいウミガメばかりを目で追ってしまいます。

    アカウミガメとアオウミガメの3頭が飼育されています。それ以外に魚もたくさんいますが目には入ってきません。美しいウミガメばかりを目で追ってしまいます。

  • 人の気配を察知したアオウミガメが岩の上を越えようとジタバタしています。餌がもらえるのを分かっているようです。

    人の気配を察知したアオウミガメが岩の上を越えようとジタバタしています。餌がもらえるのを分かっているようです。

  • 上品なアカウミガメは投げられたレタスをついばんでいます。ウミガメの餌やり体験というオプションでしたが、実際は「奄美海洋展示館」の有料エリアの見学がメインのようです。手渡されたレタスの切れ端数枚を水槽に投げ込んで餌やりは終わりです。

    上品なアカウミガメは投げられたレタスをついばんでいます。ウミガメの餌やり体験というオプションでしたが、実際は「奄美海洋展示館」の有料エリアの見学がメインのようです。手渡されたレタスの切れ端数枚を水槽に投げ込んで餌やりは終わりです。

  • レタス1玉くらいは軽く食べてしまうそうです。1カ月ほど前に行った伊豆大島の元町港の堤防で、岸壁に着いた海藻や貝を食べているウミガメを見つけましたが、海面まで上がってこなくてぼやけた印象しかなかったのですが、ここではっきり見ることが出来ました。

    レタス1玉くらいは軽く食べてしまうそうです。1カ月ほど前に行った伊豆大島の元町港の堤防で、岸壁に着いた海藻や貝を食べているウミガメを見つけましたが、海面まで上がってこなくてぼやけた印象しかなかったのですが、ここではっきり見ることが出来ました。

  • 以前スリランカを2週間ほどかけて旅したことがあり、コスコダにある「ウミガメ孵化センター」で赤ちゃんガメを見るタイミングがあったのですが、その当時はジェフリー・バワの設計したホテルを全部見学することを優先してスルーしてしまいました。ここでその無念が晴らされた気がします。

    以前スリランカを2週間ほどかけて旅したことがあり、コスコダにある「ウミガメ孵化センター」で赤ちゃんガメを見るタイミングがあったのですが、その当時はジェフリー・バワの設計したホテルを全部見学することを優先してスルーしてしまいました。ここでその無念が晴らされた気がします。

  • 2階からの眺望は良かったのですが、我々以外にお客も少なく閑散としたイメージです。

    2階からの眺望は良かったのですが、我々以外にお客も少なく閑散としたイメージです。

    大浜海浜公園 見はらし広場 公園・植物園

  • アクアリュームエリアには奄美に住むたくさんの生物が展示してありました。これは「リュウキュウアユ」で、琉球列島固有亜種で奄美大島に生息していますが、沖縄本島の在来個体群は1970年代に絶滅しています。

    アクアリュームエリアには奄美に住むたくさんの生物が展示してありました。これは「リュウキュウアユ」で、琉球列島固有亜種で奄美大島に生息していますが、沖縄本島の在来個体群は1970年代に絶滅しています。

  • 「トゲノコギリガザミ」ハサミは強靱で強く、はさまれるとケガをするほどです。「カニであってはさまれると痛手を負うことからカニハサミ」となり、これが短縮されて「ガザミ」となったそうです。ノコギリガザミという和名は、甲の縁に鋸の歯のような突起がついていることに由来するするそうです。英名はマッドクラブで、マレーシアのマラッカ郊外のポルトガル・スクエアの「J&amp;Jコーナー」という店で食べましたが美味しかったです。

    「トゲノコギリガザミ」ハサミは強靱で強く、はさまれるとケガをするほどです。「カニであってはさまれると痛手を負うことからカニハサミ」となり、これが短縮されて「ガザミ」となったそうです。ノコギリガザミという和名は、甲の縁に鋸の歯のような突起がついていることに由来するするそうです。英名はマッドクラブで、マレーシアのマラッカ郊外のポルトガル・スクエアの「J&Jコーナー」という店で食べましたが美味しかったです。

  • 同じマレーシアのペナン島ではジョージタウン郊外の白い砂浜にある「シーパールラグーン」ではこんな姿で出てきました。実が詰まって美味しいのですが、こうやって棒でたたいて殻を割りました。食事をしていて石川啄木もここへ来たことがあるのではないかと思いました。「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」という歌の意味をここで理解した気がしました。

    同じマレーシアのペナン島ではジョージタウン郊外の白い砂浜にある「シーパールラグーン」ではこんな姿で出てきました。実が詰まって美味しいのですが、こうやって棒でたたいて殻を割りました。食事をしていて石川啄木もここへ来たことがあるのではないかと思いました。「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」という歌の意味をここで理解した気がしました。

  • 「ユゴイ」と一回り大きな「オオクチユゴイ」の水槽です。主に淡水域に生息すしますが海域に侵入することもあるそうです。沿岸付近の浅い海から汽水域にかけて生息しますが、淡水生活が中心であると考えられ、稚魚は成長につれて川を遡り河口から河川中流域に生息するようになります。前日のマングローブの森のカヌーツアーでも見かけた魚です。

    「ユゴイ」と一回り大きな「オオクチユゴイ」の水槽です。主に淡水域に生息すしますが海域に侵入することもあるそうです。沿岸付近の浅い海から汽水域にかけて生息しますが、淡水生活が中心であると考えられ、稚魚は成長につれて川を遡り河口から河川中流域に生息するようになります。前日のマングローブの森のカヌーツアーでも見かけた魚です。

  • 中央にある大きな水槽には色鮮やかなアカモンガラがいました。この水槽は海に住む生物がいるのだと分かります。

    中央にある大きな水槽には色鮮やかなアカモンガラがいました。この水槽は海に住む生物がいるのだと分かります。

  • 大きなウツボも口を開いています。

    大きなウツボも口を開いています。

  • 一緒にいるアカハタなどは食べられないのか心配になります。

    一緒にいるアカハタなどは食べられないのか心配になります。

  • 同じ水槽には大きなウツボもいました。この部分だけで1メートルを超え、砂地の部分も1.5メートル以上あります。一見して3メートルくらいありそうです。

    同じ水槽には大きなウツボもいました。この部分だけで1メートルを超え、砂地の部分も1.5メートル以上あります。一見して3メートルくらいありそうです。

  • こんなのと海の中では出会いたくないです。

    こんなのと海の中では出会いたくないです。

  • 奥には円形の水槽があり、ウミガメの子亀がバタバタ泳いでいました。

    奥には円形の水槽があり、ウミガメの子亀がバタバタ泳いでいました。

  • ずっと眺めていても飽きないほど癒されます。小さいもので24グラム、大きいものでも55グラムしかないそうです。生まれて2か月ほどですが、アオウミガメの子供の方が少し大きいようです。

    ずっと眺めていても飽きないほど癒されます。小さいもので24グラム、大きいものでも55グラムしかないそうです。生まれて2か月ほどですが、アオウミガメの子供の方が少し大きいようです。

  • 熱帯魚の水槽もありました。昔獣医をしていた叔父の家には大きな熱帯魚の水槽がいくつもあり、お金持ちなんだなぁと思ったことを思い出します。旅行することの多かった我が家では金魚を飼うのが精一杯でした。

    熱帯魚の水槽もありました。昔獣医をしていた叔父の家には大きな熱帯魚の水槽がいくつもあり、お金持ちなんだなぁと思ったことを思い出します。旅行することの多かった我が家では金魚を飼うのが精一杯でした。

  • 海底のミステリーサークルの模型もありました。これは長年謎だったようですが、2011年に1匹のアマミホシゾラフグのオスが作っていることが分かりました。2015年にはアメリカの国際生物種探査研究所から世界の新種トップ10に選ばれたそうです。星空フグの名前の由来は体に星の様な斑点があるからだそうです。このサークルを作って、メスを呼び込んで交尾するのが目的だそうです。

    海底のミステリーサークルの模型もありました。これは長年謎だったようですが、2011年に1匹のアマミホシゾラフグのオスが作っていることが分かりました。2015年にはアメリカの国際生物種探査研究所から世界の新種トップ10に選ばれたそうです。星空フグの名前の由来は体に星の様な斑点があるからだそうです。このサークルを作って、メスを呼び込んで交尾するのが目的だそうです。

  • ブランコのひもが切れないか心配しました。

    ブランコのひもが切れないか心配しました。

  • 駐車場へ向かう橋の欄干はかわいいイルカになっていました。

    駐車場へ向かう橋の欄干はかわいいイルカになっていました。

  • この青い海と白い砂浜は日本の渚百選や日本の海水浴場55選にも選ばれたことがあるそうです。観光を終えてバスは名瀬方面へ戻ります。

    この青い海と白い砂浜は日本の渚百選や日本の海水浴場55選にも選ばれたことがあるそうです。観光を終えてバスは名瀬方面へ戻ります。

  • 名瀬港のフェリーターミナルの周りにはたくさんのコンテナが並んでいます。以前イタリアのサレルノ港からチュニジアのチュニス経由でマルタ島のヴァレッタへ向かうフェリーに乗る際に延々と並ぶコンテナの迷路の中を歩いてフェリー乗り場に向かったことが思い出されます。ヨーロッパのフェリーに乗る際にフットパッセンジャーが大変なことを思い知った旅でした。

    名瀬港のフェリーターミナルの周りにはたくさんのコンテナが並んでいます。以前イタリアのサレルノ港からチュニジアのチュニス経由でマルタ島のヴァレッタへ向かうフェリーに乗る際に延々と並ぶコンテナの迷路の中を歩いてフェリー乗り場に向かったことが思い出されます。ヨーロッパのフェリーに乗る際にフットパッセンジャーが大変なことを思い知った旅でした。

    名瀬港 乗り物

  • 名瀬港大橋の上を通過します。散歩するとかなり歩きましたが、バスだとあっという間です。V字型の港の入り口には「立神」と呼ばれる岩が見えます。

    名瀬港大橋の上を通過します。散歩するとかなり歩きましたが、バスだとあっという間です。V字型の港の入り口には「立神」と呼ばれる岩が見えます。

  • 「立神」については前の旅行記でも書いたように、奄美を開祖した二神が降り立ったことに由来します。奄美大島の開闢神話では、女神「阿摩弥姑(アマミコ)と男神「志仁礼久(シニレク)」が奄美群島や琉球列島を作ったとされます。奄美という島はプカプカと海に浮いているとされ、波や風にさらわれないために「立神」が杭の役割を果たしていると考えられています。

    「立神」については前の旅行記でも書いたように、奄美を開祖した二神が降り立ったことに由来します。奄美大島の開闢神話では、女神「阿摩弥姑(アマミコ)と男神「志仁礼久(シニレク)」が奄美群島や琉球列島を作ったとされます。奄美という島はプカプカと海に浮いているとされ、波や風にさらわれないために「立神」が杭の役割を果たしていると考えられています。

  • 湾の反対側には名瀬校のフェリーターミナルが見えました。名瀬の町ともこれでお別れです。

    湾の反対側には名瀬校のフェリーターミナルが見えました。名瀬の町ともこれでお別れです。

  • 名瀬港の東側には「山羊島」が見えてきました。白い建物は「奄美山羊島ホテル」です。「山羊島」は奄美大島から最も気軽に渡ることができる離島で、ホテルが1軒立っているだけで住人はいないそうです。山羊はホテルで買っているものが数頭いるだけのようです。

    名瀬港の東側には「山羊島」が見えてきました。白い建物は「奄美山羊島ホテル」です。「山羊島」は奄美大島から最も気軽に渡ることができる離島で、ホテルが1軒立っているだけで住人はいないそうです。山羊はホテルで買っているものが数頭いるだけのようです。

  • バスは空港方面へ向かうので帰る時間が近いことを感じさせます。午前中のもう1つの観光は「大島紬村」の観光です。

    バスは空港方面へ向かうので帰る時間が近いことを感じさせます。午前中のもう1つの観光は「大島紬村」の観光です。

    大島紬村 名所・史跡

    おすすめはティディベア。思っていた印象をいい方に裏切る素晴らしい施設でした。 by kojikojiさん
  • 昭和の雰囲気を醸し出す看板に、これはあまり期待できないなと思い込んでしまいます。実際は素晴らしい施設でした。

    昭和の雰囲気を醸し出す看板に、これはあまり期待できないなと思い込んでしまいます。実際は素晴らしい施設でした。

  • 大きなゲートをくぐって、添乗員さんが料金を支払いに行くのを少し待ちます。その後は係員さんの説明を聞きながら広大な敷地の中を見学していきます。1万5千坪ある広大な敷地内にある亜熱帯植物庭園は手入れが行き届いています。

    大きなゲートをくぐって、添乗員さんが料金を支払いに行くのを少し待ちます。その後は係員さんの説明を聞きながら広大な敷地の中を見学していきます。1万5千坪ある広大な敷地内にある亜熱帯植物庭園は手入れが行き届いています。

  • アダンも大きな実を付けていますが、まだオレンジ色に熟れていません。

    アダンも大きな実を付けていますが、まだオレンジ色に熟れていません。

  • 亜熱帯植物庭園の途中で大島紬の工房に立ち寄りますが、敷地をぐるりと回って最後にこの高倉まで戻ってきます。大体30分の見学コースです。

    亜熱帯植物庭園の途中で大島紬の工房に立ち寄りますが、敷地をぐるりと回って最後にこの高倉まで戻ってきます。大体30分の見学コースです。

  • いろいろな種類のヤシの木が実を付けていますが、トックリヤシなのかトックリヤシノキモドキなのか…。

    いろいろな種類のヤシの木が実を付けていますが、トックリヤシなのかトックリヤシノキモドキなのか…。

  • ハナチョウジ(花丁子)がきれいな赤い花を付けていました。珊瑚のように赤い植物ということから「コーラルプラント(Coral plant)」、赤い筒状の花が沢山咲いて花火のように見えることから「ファイアー・クラッカー・プラント(Fire cracker plant)」、学名から「ラッセリア(Russelia)」などと呼ばれます。

    ハナチョウジ(花丁子)がきれいな赤い花を付けていました。珊瑚のように赤い植物ということから「コーラルプラント(Coral plant)」、赤い筒状の花が沢山咲いて花火のように見えることから「ファイアー・クラッカー・プラント(Fire cracker plant)」、学名から「ラッセリア(Russelia)」などと呼ばれます。

  • 月桃が赤い実を付けていました。5月から6月にかけて白い花を付けますが、10月下旬にはこんな姿になっています。

    月桃が赤い実を付けていました。5月から6月にかけて白い花を付けますが、10月下旬にはこんな姿になっています。

  • 久し振りにパパイヤの木を見ました。最後に観たのは竹富島だったでしょうか。この姿を見るとトラン・アン・ユン監督のデビュー作「青いパパイヤの香り」という映画を思い出してしまいます。2000年頃に1カ月ほどかけてベトナムを縦断した旅では、現地のツアーで知り合った欧米人との挨拶は「青いパパイヤの香り観た?」とかべトナム出身のアメリカ人監督トニー・ブイの「スリーシーズン(邦題:季節の中で)いいよね。」が合言葉でした。

    久し振りにパパイヤの木を見ました。最後に観たのは竹富島だったでしょうか。この姿を見るとトラン・アン・ユン監督のデビュー作「青いパパイヤの香り」という映画を思い出してしまいます。2000年頃に1カ月ほどかけてベトナムを縦断した旅では、現地のツアーで知り合った欧米人との挨拶は「青いパパイヤの香り観た?」とかべトナム出身のアメリカ人監督トニー・ブイの「スリーシーズン(邦題:季節の中で)いいよね。」が合言葉でした。

  • メコンデルタツアーで一緒だった連中とはハノイに着くまでに何度か再会しました。イスラエルから来たカップルがいたのですが、途中で分かれてしまったらしく「同じツアーにいた別の男性と旅しているのを見たよ。」なんてどうでもいい情報をハノイで教えてもらったり。

    メコンデルタツアーで一緒だった連中とはハノイに着くまでに何度か再会しました。イスラエルから来たカップルがいたのですが、途中で分かれてしまったらしく「同じツアーにいた別の男性と旅しているのを見たよ。」なんてどうでもいい情報をハノイで教えてもらったり。

  • ヒカゲへゴは草というより樹木のように見えるので木生シダといわれますが、葉先を見ると背の低いシダ植物を思わせます。新芽は茹でて灰汁抜きして食べられると沖縄で教えてもらいました。幹には枝が落ちた後が楕円形の鱗片(りんぺん)という跡がたくさん見えますが、英語では Flying Spider monkey Tree Fern といい、猿の顔をした空飛ぶクモシダという意味だそうです。沖縄では小判に見立てて触るとお金持ちになると聞きました。

    ヒカゲへゴは草というより樹木のように見えるので木生シダといわれますが、葉先を見ると背の低いシダ植物を思わせます。新芽は茹でて灰汁抜きして食べられると沖縄で教えてもらいました。幹には枝が落ちた後が楕円形の鱗片(りんぺん)という跡がたくさん見えますが、英語では Flying Spider monkey Tree Fern といい、猿の顔をした空飛ぶクモシダという意味だそうです。沖縄では小判に見立てて触るとお金持ちになると聞きました。

  • ベニヒモノキ(紅紐の木)が赤い花穂をつけています。これはキャットテールにも似ていますが、マレーシア原産の常緑低木です。

    ベニヒモノキ(紅紐の木)が赤い花穂をつけています。これはキャットテールにも似ていますが、マレーシア原産の常緑低木です。

  • 小さな池のそばにはハナシュクシャ (花縮紗)が真っ白な花を付けていました。日本には江戸時代に渡来し芳香を愛でられてきたようです。和名はジンジャーですが、これは英名のジンジャーリリーやホワイトジンジャーに因みますが、生姜とは関係はありません。

    小さな池のそばにはハナシュクシャ (花縮紗)が真っ白な花を付けていました。日本には江戸時代に渡来し芳香を愛でられてきたようです。和名はジンジャーですが、これは英名のジンジャーリリーやホワイトジンジャーに因みますが、生姜とは関係はありません。

  • ここで気が付きましたが、大島紬の村なのでどこかに泥染めをする場所があるはずだということです。

    ここで気が付きましたが、大島紬の村なのでどこかに泥染めをする場所があるはずだということです。

  • 池の畔にはホテイアオイがきれいな花を付けています。葉柄が丸く膨らんで浮き袋の役目をしていることで、浮き袋の半ばまでが水の中にあります。日本ではこの浮き袋のような丸い形の葉柄を布袋(ほてい)の膨らんだ腹に見立てて「ホテイアオイ(布袋のような形をしているアオイ)」と呼ばれるようになりました。子供の頃金魚屋さんで30円くらいで売られていましたが、花が咲くことはありませんでした。

    池の畔にはホテイアオイがきれいな花を付けています。葉柄が丸く膨らんで浮き袋の役目をしていることで、浮き袋の半ばまでが水の中にあります。日本ではこの浮き袋のような丸い形の葉柄を布袋(ほてい)の膨らんだ腹に見立てて「ホテイアオイ(布袋のような形をしているアオイ)」と呼ばれるようになりました。子供の頃金魚屋さんで30円くらいで売られていましたが、花が咲くことはありませんでした。

  • 金魚屋さんで売られていたものよりはるかに巨大なホテイアオイです。花が咲いた姿を見たのはミャンマーのインレー湖をボートで旅していた時でした。巨大なフローティングのトマト畑に上陸した時に目の前を流れていきました。

    金魚屋さんで売られていたものよりはるかに巨大なホテイアオイです。花が咲いた姿を見たのはミャンマーのインレー湖をボートで旅していた時でした。巨大なフローティングのトマト畑に上陸した時に目の前を流れていきました。

  • 大島紬村のある龍郷町の辺りは島の一番細い場所なので、この山の上の展望台からは太平洋と東シナ海が一目で見ることが出来るそうです。東シナ海側は「奄美クレーター」と呼ばれ、昭和45年の1970年に鹿児島ラサール高校の山口氏を中心とした調査によって、星窪や赤尾木湾の円形地形は隕石落下が原因でできたものと推定されています。波の静かな湾なので、天気の良い風のない夜は満天の星が海面に映り込むそうです

    大島紬村のある龍郷町の辺りは島の一番細い場所なので、この山の上の展望台からは太平洋と東シナ海が一目で見ることが出来るそうです。東シナ海側は「奄美クレーター」と呼ばれ、昭和45年の1970年に鹿児島ラサール高校の山口氏を中心とした調査によって、星窪や赤尾木湾の円形地形は隕石落下が原因でできたものと推定されています。波の静かな湾なので、天気の良い風のない夜は満天の星が海面に映り込むそうです

  • 最初の見学は「泥染め技術保存館」です。38人は入りきれないので表で待つことにします。ガイドさんの説明によると「泥染め」は世界中で奄美大島だけでおこなわれている天然の染色方法だそうです。

    最初の見学は「泥染め技術保存館」です。38人は入りきれないので表で待つことにします。ガイドさんの説明によると「泥染め」は世界中で奄美大島だけでおこなわれている天然の染色方法だそうです。

  • 絹糸の蚕白質の上にシャリンバイ(バラ科の植物)に含まれているタンニン酸色素と泥田の中の鉄分(酸化第2鉄)の化学結合を85回以上繰り返し染色することにより堅牢で色落ちしない深く光沢のある渋い黒色に染まるそうです。

    絹糸の蚕白質の上にシャリンバイ(バラ科の植物)に含まれているタンニン酸色素と泥田の中の鉄分(酸化第2鉄)の化学結合を85回以上繰り返し染色することにより堅牢で色落ちしない深く光沢のある渋い黒色に染まるそうです。

  • 絹の美しい光沢は動物性、シャリンバイ染の柔らかさは植物性、鉄分による鉱物性の3つの特徴を兼備えた強い繊維になるそうです。

    絹の美しい光沢は動物性、シャリンバイ染の柔らかさは植物性、鉄分による鉱物性の3つの特徴を兼備えた強い繊維になるそうです。

  • シャリンバイの樹皮を煮出した染液で絹糸を数10回染め、色を固着させるために石灰液に浸けてから、再度染液で染めます。その後、鉄分を含んだ泥田に浸けると、染液に含まれている色素成分と鉄分が結び付いてしっかり染まります。

    シャリンバイの樹皮を煮出した染液で絹糸を数10回染め、色を固着させるために石灰液に浸けてから、再度染液で染めます。その後、鉄分を含んだ泥田に浸けると、染液に含まれている色素成分と鉄分が結び付いてしっかり染まります。

  • ここでは実際に泥染めが行われているのだと分かります。

    ここでは実際に泥染めが行われているのだと分かります。

  • 染色に使うシャリンバイの幹をチップ状にしたものが籠に入れられてあります。

    染色に使うシャリンバイの幹をチップ状にしたものが籠に入れられてあります。

  • 工房の表にはシャリンバイの木が植えられていました。奄美ではテーチ木と呼ぶそうす。5月ごろに枝先に白い花を咲かせ、球形の果実は秋に黒く熟します。和名の車輪梅は枝が車輪状に広がり、ウメに似た花を付けることが由来だそうです。

    工房の表にはシャリンバイの木が植えられていました。奄美ではテーチ木と呼ぶそうす。5月ごろに枝先に白い花を咲かせ、球形の果実は秋に黒く熟します。和名の車輪梅は枝が車輪状に広がり、ウメに似た花を付けることが由来だそうです。

  • 染色に使う泥田は蘇鉄(ソテツ)が自生しているところでないと良い色と風合いが出ないそうです。鉄を蘇よみがえらせると書くソテツは、泥田に鉄分を補給しています。

    染色に使う泥田は蘇鉄(ソテツ)が自生しているところでないと良い色と風合いが出ないそうです。鉄を蘇よみがえらせると書くソテツは、泥田に鉄分を補給しています。

  • ほとんど真っ黒に染まった泥染めの実演を見せていただけました。1つ1つの工程が丁寧ですが、それを続けないと出来上がらないストイックなものを感じてきます。

    ほとんど真っ黒に染まった泥染めの実演を見せていただけました。1つ1つの工程が丁寧ですが、それを続けないと出来上がらないストイックなものを感じてきます。

  • 泥田の周囲にはいろいろな種類の花が咲き乱れ、不思議な雰囲気を醸しています。

    泥田の周囲にはいろいろな種類の花が咲き乱れ、不思議な雰囲気を醸しています。

  • 知っている花もありますが、分からないものはその場でグーグルレンズで確認しておきます。写真が悪いとパソコンの画面で写真を表示しても認識しないことがあります。

    知っている花もありますが、分からないものはその場でグーグルレンズで確認しておきます。写真が悪いとパソコンの画面で写真を表示しても認識しないことがあります。

  • コルジネリの赤い葉を見るとバリ島を思い出します。バリ島ではこの植物を田んぼなどの敷地境界に植えます。広大な田んぼや棚田を見ていてもこの木を見れば誰の田畑は分かるわけです。バリの農業はスバックという水利システムなど見た目では分からない仕組みがあって面白いです。

    コルジネリの赤い葉を見るとバリ島を思い出します。バリ島ではこの植物を田んぼなどの敷地境界に植えます。広大な田んぼや棚田を見ていてもこの木を見れば誰の田畑は分かるわけです。バリの農業はスバックという水利システムなど見た目では分からない仕組みがあって面白いです。

  • ハイビスカスもピンクや白や白と赤紫など色とりどりに咲いていました。

    ハイビスカスもピンクや白や白と赤紫など色とりどりに咲いていました。

  • 「サンタンカ」は照りの強い濃緑の葉と鮮やかな赤い小花を房状につける姿が熱帯の花木らしいエキゾチックな印象です。アカバナサンタンカはミャンマーの国花でもあります。カンボジアのプノンペンを旅した時はジャワサンタンカの花はシヴァを表すと教えてもらったことも思い出します。

    「サンタンカ」は照りの強い濃緑の葉と鮮やかな赤い小花を房状につける姿が熱帯の花木らしいエキゾチックな印象です。アカバナサンタンカはミャンマーの国花でもあります。カンボジアのプノンペンを旅した時はジャワサンタンカの花はシヴァを表すと教えてもらったことも思い出します。

  • 「伝統工芸名人の館」も38人はいっぺんに入れないので後から見学することにします。

    「伝統工芸名人の館」も38人はいっぺんに入れないので後から見学することにします。

  • 入り口にはバリ島の絵画が飾られていました。ウブド辺りの農村の風景が描かれていますが作者もとくに有名というわけでもなさそうです。バリ島の絵画には一時傾倒していて、美術館の見学にとどまらずにカマサン村に行ってカマサンスタイルの有名な画家のイ・ニョマン・マンドラさんから絵を買ったり、バトゥアン村のイ・ワヤン・マルディアナさんの工房でも細密画を買いました。

    入り口にはバリ島の絵画が飾られていました。ウブド辺りの農村の風景が描かれていますが作者もとくに有名というわけでもなさそうです。バリ島の絵画には一時傾倒していて、美術館の見学にとどまらずにカマサン村に行ってカマサンスタイルの有名な画家のイ・ニョマン・マンドラさんから絵を買ったり、バトゥアン村のイ・ワヤン・マルディアナさんの工房でも細密画を買いました。

  • この建物では大島紬について学ぶことになりますがその工程は壮絶すぎるものでした。まずは織り上げたいデザインの原画を作成します。

    この建物では大島紬について学ぶことになりますがその工程は壮絶すぎるものでした。まずは織り上げたいデザインの原画を作成します。

  • デザインの原図を基に使用する糸の密度に合わせて織物用の図案に書き換えます。いわゆる糸作りのための指示書ともいえます。大島紬の図案は組織と密度に合わせた方眼紙に小さな「十字」をいくつも描いて作り、曲線も全て絣の点に置き換えられます。

    デザインの原図を基に使用する糸の密度に合わせて織物用の図案に書き換えます。いわゆる糸作りのための指示書ともいえます。大島紬の図案は組織と密度に合わせた方眼紙に小さな「十字」をいくつも描いて作り、曲線も全て絣の点に置き換えられます。

  • これは大島紬村オリジナルブランドの「原野にて」というデザインでした。

    これは大島紬村オリジナルブランドの「原野にて」というデザインでした。

  • 整経と糊貼りを経て絣締め(かすりじめ)という糊貼りした糸を、図案に沿って模様部分を固く織り込む作業に移ります。これはしっかりと織り込む必要があるので力の強い男性の仕事だそうです。

    整経と糊貼りを経て絣締め(かすりじめ)という糊貼りした糸を、図案に沿って模様部分を固く織り込む作業に移ります。これはしっかりと織り込む必要があるので力の強い男性の仕事だそうです。

  • 絣締め(かすりじめ)は絹の縦糸に木綿の横糸を織り込んでいきますが、真っ白な反物の中にはこの設計図が織り込まれているわけです。

    絣締め(かすりじめ)は絹の縦糸に木綿の横糸を織り込んでいきますが、真っ白な反物の中にはこの設計図が織り込まれているわけです。

  • ほとんどパソコンの画面の画素数の世界を感じます。大島紬は何ピクセルなのだろうと考えてしまいます。

    ほとんどパソコンの画面の画素数の世界を感じます。大島紬は何ピクセルなのだろうと考えてしまいます。

  • トルコの絨毯で有名なヘレケ村では手の小さい女の子が細かい絨毯の柄が織れるとされていましたが、これはノットと呼ばれる織り目の数が多いということです。それと比べても大島紬の細かさと準備の工程の数には驚かされます。

    トルコの絨毯で有名なヘレケ村では手の小さい女の子が細かい絨毯の柄が織れるとされていましたが、これはノットと呼ばれる織り目の数が多いということです。それと比べても大島紬の細かさと準備の工程の数には驚かされます。

  • 織られている布の柄を見てもただの晒のようにしか見えません。

    織られている布の柄を見てもただの晒のようにしか見えません。

  • 工程を素人が聞き覚えたことを書くよりも説明パネルの方が分かりやすいと思います。写真も付いているので理解しやすいです。

    工程を素人が聞き覚えたことを書くよりも説明パネルの方が分かりやすいと思います。写真も付いているので理解しやすいです。

  • 読み返していてもこの仕事は絶対に自分には向いていないだろうと思えるほど緻密で細かい作業を繰り返します。

    読み返していてもこの仕事は絶対に自分には向いていないだろうと思えるほど緻密で細かい作業を繰り返します。

  • 地糸と絣筵を2日間かけて煮出したテーチ木(車輪梅)の染料で約30回ほど、染めたり干したりを繰り返していきます。

    地糸と絣筵を2日間かけて煮出したテーチ木(車輪梅)の染料で約30回ほど、染めたり干したりを繰り返していきます。

  • 「絣部分解き」は染色後に織りの作業の前に糸の加工を行います。「織締め」をしている綿糸を切り、絣を露出させる「目破り」という作業工程です。

    「絣部分解き」は染色後に織りの作業の前に糸の加工を行います。「織締め」をしている綿糸を切り、絣を露出させる「目破り」という作業工程です。

  • 上段が「部分解き」で、中段が「抜き染め」で下段が「摺り込み染色」の状態ですが、違いは見比べられません。

    上段が「部分解き」で、中段が「抜き染め」で下段が「摺り込み染色」の状態ですが、違いは見比べられません。

  • これが縦糸になって柄を織り上げていくのですから気が遠くなります。伝統的な柄には「龍郷柄」という奄美を代表する女性用として奄美に自生するソテツをデザインしたものがあります、ソテツの葉と実を幾何学模様で表現した大島紬の代名詞的存在です。

    これが縦糸になって柄を織り上げていくのですから気が遠くなります。伝統的な柄には「龍郷柄」という奄美を代表する女性用として奄美に自生するソテツをデザインしたものがあります、ソテツの葉と実を幾何学模様で表現した大島紬の代名詞的存在です。

  • 「亀甲柄」は男物の小付け模様の代表で亀甲の形が縁起が良く男性の風格を一段と引立てるため結納返しの活用等で定評があります。他にも「西郷柄」「有馬柄」「伝優柄」「白雲柄」「花ん華」などがあります。

    「亀甲柄」は男物の小付け模様の代表で亀甲の形が縁起が良く男性の風格を一段と引立てるため結納返しの活用等で定評があります。他にも「西郷柄」「有馬柄」「伝優柄」「白雲柄」「花ん華」などがあります。

  • この糸巻き1個に巻かれた糸だけでどれ程の労力がかかっているかと思うと気が遠くなってきます。

    この糸巻き1個に巻かれた糸だけでどれ程の労力がかかっているかと思うと気が遠くなってきます。

  • 本場奄美大島紬には2種類の織り口文字が織り込まれています。1つは赤色の「本場」と呼ばれている文字です。この織り口文字用の糸は本場奄美大島紬協同組合で製造販売され、組合員が引換券と引換えでしか買えません。引換券は大島紬の検査をすると1反につき1枚(1反分)もらえます。この文字は検査の際に穴が開けられます。ほどいて再使用出来ない様にする為です。地球印の証紙も同じ理由で穴が開けられます。2つめは、屋号や会社名やブランド名が織り込まれます。この文字は織元で製造します。

    本場奄美大島紬には2種類の織り口文字が織り込まれています。1つは赤色の「本場」と呼ばれている文字です。この織り口文字用の糸は本場奄美大島紬協同組合で製造販売され、組合員が引換券と引換えでしか買えません。引換券は大島紬の検査をすると1反につき1枚(1反分)もらえます。この文字は検査の際に穴が開けられます。ほどいて再使用出来ない様にする為です。地球印の証紙も同じ理由で穴が開けられます。2つめは、屋号や会社名やブランド名が織り込まれます。この文字は織元で製造します。

  • 薩摩藩を追われた西郷隆盛が奄美大島で結ばれた愛加那も機織りを生業としていたことを思い出しました。

    薩摩藩を追われた西郷隆盛が奄美大島で結ばれた愛加那も機織りを生業としていたことを思い出しました。

  • 織締めをしている綿糸を切り、絣を露出させる「目破り」という作業工程の後は「絣筵」を丁寧に解いて、絣糸を取り出してから機にかけます。これらの糸を設計通りに並べて機に立て付け、絣を合わせながら織ることによって大島紬の柄となっていきます。

    織締めをしている綿糸を切り、絣を露出させる「目破り」という作業工程の後は「絣筵」を丁寧に解いて、絣糸を取り出してから機にかけます。これらの糸を設計通りに並べて機に立て付け、絣を合わせながら織ることによって大島紬の柄となっていきます。

  • 何となく理屈は分かったような気になりますが…。

    何となく理屈は分かったような気になりますが…。

  • 何となく括られた縦糸ですがすべて順番が決まっているわけです。

    何となく括られた縦糸ですがすべて順番が決まっているわけです。

  • 理屈では分かってもどうやったらこのように柄が合っていくのか、横糸と合わさって柄が出来るところの理解が不足しています。今までもミャンマーのサガインの織物工場やカンボジアのシェムリアップのアーティザン・ダンコールという工房などいろいろなところで見学して学んだ気もしますが、そのどれよりも細かい作業でした。

    理屈では分かってもどうやったらこのように柄が合っていくのか、横糸と合わさって柄が出来るところの理解が不足しています。今までもミャンマーのサガインの織物工場やカンボジアのシェムリアップのアーティザン・ダンコールという工房などいろいろなところで見学して学んだ気もしますが、そのどれよりも細かい作業でした。

  • 「製織(手織り)」の作業では1センチから2センチ織り進んでは機を止め、手に縫い針を持って絣のズレを修正します。このように数センチ織り上げては針で絣のわずかな狂いを調整する「絣調整」を繰り返しながら1日10センチ程度織り進め、数ヶ月かけて織り上げるそうです。

    「製織(手織り)」の作業では1センチから2センチ織り進んでは機を止め、手に縫い針を持って絣のズレを修正します。このように数センチ織り上げては針で絣のわずかな狂いを調整する「絣調整」を繰り返しながら1日10センチ程度織り進め、数ヶ月かけて織り上げるそうです。

  • 織り上げられた本場奄美大島紬は、本場奄美大島紬協同組合で厳しい検査を受けます。検査の全てに合格すると組合の証紙を貼ることが許され、全国各地へ向けて出荷されます。

    織り上げられた本場奄美大島紬は、本場奄美大島紬協同組合で厳しい検査を受けます。検査の全てに合格すると組合の証紙を貼ることが許され、全国各地へ向けて出荷されます。

  • 工房の前の日本庭園には京都の銀閣寺の銀沙灘と向月台の様な庭園がありました。由来は分かりませんが、鹿児島の知覧の武家屋敷にも日本庭園が数多く残されていたのを思い出します。この築山は「蓬莱山」を表しているようです。「蓬莱山」は渤海(ぼっかい)湾中にあるといわれる蓬莱山と方丈山、瀛洲(えいしゅう)山の三山(島)を三神山と総称しますが、ここには2つしか無かったように思います。

    工房の前の日本庭園には京都の銀閣寺の銀沙灘と向月台の様な庭園がありました。由来は分かりませんが、鹿児島の知覧の武家屋敷にも日本庭園が数多く残されていたのを思い出します。この築山は「蓬莱山」を表しているようです。「蓬莱山」は渤海(ぼっかい)湾中にあるといわれる蓬莱山と方丈山、瀛洲(えいしゅう)山の三山(島)を三神山と総称しますが、ここには2つしか無かったように思います。

  • 敷地内には小さな川が流れ、木製の橋が架けられていました。写真を撮って歩いているのでツアーの他の方の姿はありません。

    敷地内には小さな川が流れ、木製の橋が架けられていました。写真を撮って歩いているのでツアーの他の方の姿はありません。

  • 木漏れ日の下を歩くのは気持ち良かったです。10月の終わりだというのにセミが鳴いています。調べてみるとオオシマゼミというもので、10月に一番多く鳴くそうです。クマゼミの様な透明な羽に緑がかった美しい姿のようですが見つけることは出来ませんでした。

    木漏れ日の下を歩くのは気持ち良かったです。10月の終わりだというのにセミが鳴いています。調べてみるとオオシマゼミというもので、10月に一番多く鳴くそうです。クマゼミの様な透明な羽に緑がかった美しい姿のようですが見つけることは出来ませんでした。

  • ようやく高倉まで戻ってきました。奄美大島では穀物を貯蔵する倉として利用されてきました。高倉を支える大きな丸太はイジュの木を利用して建造されています。同じような倉は川崎の「日本民家園」にもありました。

    ようやく高倉まで戻ってきました。奄美大島では穀物を貯蔵する倉として利用されてきました。高倉を支える大きな丸太はイジュの木を利用して建造されています。同じような倉は川崎の「日本民家園」にもありました。

  • 高倉は水やシロアリに強い木材を使用し、組み込み嵌め込み式なので釘を使わずに造られています。柱はネズミが登れないようにツルツルに削られており、倉庫部分には4.8トンの米俵を収納出来たそうです。いつの頃からかネズミ除けに柱の上部にはトタン板が貼られています。

    高倉は水やシロアリに強い木材を使用し、組み込み嵌め込み式なので釘を使わずに造られています。柱はネズミが登れないようにツルツルに削られており、倉庫部分には4.8トンの米俵を収納出来たそうです。いつの頃からかネズミ除けに柱の上部にはトタン板が貼られています。

  • この高倉ではネズミ除けに柱の上部にはトタン板が貼られています。高倉は火災から稲もみを守るためや、作業の利便性といった理由で、集落の外れに数棟まとめて建てられました。

    この高倉ではネズミ除けに柱の上部にはトタン板が貼られています。高倉は火災から稲もみを守るためや、作業の利便性といった理由で、集落の外れに数棟まとめて建てられました。

  • 倉の下には巨大な水瓶が置かれてあります。大きな池や川の少ない奄美大島では雨水が大切な生活用水だったのだと感じます。アメリカ人の友人が若い頃にミャンマーを旅したことがありました。その当時はタイからインドへ抜けるなど通過だけでした旅が出来なかったようです。ある日移動のバスで屋根の上に座ったそうです。早朝は気持ちよい風に吹かれていたのですが昼前には口にヘアドライヤーを突っ込まれたようだったと言っていました。バスは途中で故障してしまい現地の乗客と近くの民家に行ったそうです。持っていた水はとっくに無くなっていて極度の脱水症状で死ぬと思っていたそうです。民家には大きな水瓶がありましたが、ボウフラの浮いている泥水のようで、これを飲んだら死ぬなと思ったそうです。どうせ死ぬならとその水を飲んだそうですが、数日後に体を壊して本当に死にそうだったそうです。子供の頃に亡くなったお母さんが頭に浮かび過去の人生が頭の中に浮かんでは消えたと言ってたので、「走馬灯」について教えてあげました。

    倉の下には巨大な水瓶が置かれてあります。大きな池や川の少ない奄美大島では雨水が大切な生活用水だったのだと感じます。アメリカ人の友人が若い頃にミャンマーを旅したことがありました。その当時はタイからインドへ抜けるなど通過だけでした旅が出来なかったようです。ある日移動のバスで屋根の上に座ったそうです。早朝は気持ちよい風に吹かれていたのですが昼前には口にヘアドライヤーを突っ込まれたようだったと言っていました。バスは途中で故障してしまい現地の乗客と近くの民家に行ったそうです。持っていた水はとっくに無くなっていて極度の脱水症状で死ぬと思っていたそうです。民家には大きな水瓶がありましたが、ボウフラの浮いている泥水のようで、これを飲んだら死ぬなと思ったそうです。どうせ死ぬならとその水を飲んだそうですが、数日後に体を壊して本当に死にそうだったそうです。子供の頃に亡くなったお母さんが頭に浮かび過去の人生が頭の中に浮かんでは消えたと言ってたので、「走馬灯」について教えてあげました。

  • 工房の見学の最後にはお約束のショップに案内されますが、これと言って欲しいものが無くて残念でした。手間がかかるので高価だということは分かっていても手の出ない値段ですし、着物も切ることはありませんし、リタイアしているのでネクタイも必要ありません。

    工房の見学の最後にはお約束のショップに案内されますが、これと言って欲しいものが無くて残念でした。手間がかかるので高価だということは分かっていても手の出ない値段ですし、着物も切ることはありませんし、リタイアしているのでネクタイも必要ありません。

  • 諦めてショップを出ようとしたら泥染めの体に耳の内側と手足に伝統柄を施したティディベアがいました。何でこんなところに押し込めておくのかと思うほどキャビネットの中にいます。貰っていたクーポン券がほとんど手つかずだったので11,000円全額支払うことが出来ました。

    諦めてショップを出ようとしたら泥染めの体に耳の内側と手足に伝統柄を施したティディベアがいました。何でこんなところに押し込めておくのかと思うほどキャビネットの中にいます。貰っていたクーポン券がほとんど手つかずだったので11,000円全額支払うことが出来ました。

  • 後で行った「奄美パーク」でいただいた「あまみっけ」という奄美大島を紹介するサイトには奄美を旅するティディベアがいました。それは市川和子さんという有名なティディベアの作家さんの物でした。この子もほとんど同じデザインなのでその流れで作られたものかもしれません。<br />あまみっけ:https://amamikke.com/aboutus/<br />https://www.youtube.com/watch?v=R19wUzJV7pU

    後で行った「奄美パーク」でいただいた「あまみっけ」という奄美大島を紹介するサイトには奄美を旅するティディベアがいました。それは市川和子さんという有名なティディベアの作家さんの物でした。この子もほとんど同じデザインなのでその流れで作られたものかもしれません。
    あまみっけ:https://amamikke.com/aboutus/
    https://www.youtube.com/watch?v=R19wUzJV7pU

  • 案内してくれたスタッフの方とティディベアを買った際のスタッフの方に見送られて最終日のお昼ご飯に向かいます。

    案内してくれたスタッフの方とティディベアを買った際のスタッフの方に見送られて最終日のお昼ご飯に向かいます。

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