
2022/10/25 - 2022/10/25
885位(同エリア1405件中)
kojikojiさん
- kojikojiさんTOP
- 旅行記1301冊
- クチコミ1099件
- Q&A回答73件
- 2,331,482アクセス
- フォロワー130人
「黒潮の森・マングローブパーク」を午前11時45分に出発して、バスはさらに南に向かって走ります。30分ほど走って瀬戸内町の「せとうち海の家」に到着します。車窓からは大島海峡越しに加計呂麻島がきれいに見えました。バスを降りて全員で2階の「海力」というレストランに入りますが、1階の小さな売店に売っていた瀬戸内町のレモンとグァバを先に買っておきました。食事後にはすぐに売り切れてしまいますからね。島バナナはたくさんあったので後で買うことにします。今回のツアーは晩御飯は含まれていませんでしたが、お昼は2日間ともに含まれていました。ここでの食事は個人負担だと勘違いしていたので何か得した気分です。海鮮丼にはクロマグロにブリにカツオとソデイカが乗っています。瀬戸内町はクロマグロの養殖が有名で数年前には日本一の水揚げがあったそうです。1か月前には大間でクロマグロ丼を食べたばかりでしたが、奄美の黒マグロも美味しかったです。公園にあった巨大なまぐろのオブジェは大間岬の5倍以上はあったと思いますがすごい迫力です。そのリアルさは能登のイカキングに匹敵すると思います。島バナナを買ってバスに乗り、午後は名瀬に戻りながら島内観光を続けます。まずは「アランガチの滝」に向かいます。駐車場から川沿いの細い道をしばらく歩いた先に小さな公園があり、滝が見えてきました。我々の到着した前日までは雨だったので水の量も多くて迫力はありましたが、わざわざ見に来るところだろうかとは思えます。駐車場からバスが出る際に近所のミカン農家のおばさんが駆け寄ってきて、全員分のみかんを袋一杯いただきました。これには感謝で全員で手を振るとおばさんたちも手を振り返し、中には踊りを踊ってくれる方もいました。滝よりもこちらの方が思い出になりました。次に行った「赤土山展望台」はさらに何だろうという観光地でがっかりです。中にはバスから降りない方もいらっしゃいました。名瀬に戻りがてらに東城内海に面した「三太郎の里」にも立ち寄りました。この日最後の観光は名瀬を越えた先にある「国直海岸」で、ここはウミガメの産卵でも有名なところです。きれいな砂浜と景色を楽しんで集落を後にします。以前「なにこれ珍百景」という番組で「赤く染まる謎の集落」として紹介されていたのを思い出しました。ウミガメは月の明かりと外灯を間違えて集落の中まで入ってきてしまうので、産卵時期は認識できない赤い色の外灯に変えるというものでした。真っ暗にするとハブがいて人間が危険だそうです。名瀬のホテルに戻るとようやく自由時間になり、予約してあった「なつかしゃ屋」という伝統料理の民家レストランに行きました。ここは2021年に発売されたクレアトラベラーの「島特集」で紹介されていました。1か月前に行った伊豆大島の旅でも参考にしたばかりで役に立ちました。午後6時半に開店と同時に個室は全て満室で、部屋に入ると美しく盛られた料理が並んでいます。これがどれも美味しくて、熱々の料理も次から次に出てきます。本当に晩御飯の付いていないツアーで良かったと思える瞬間です。2時間ほどかけてゆっくり料理をいただき、最後には店のご主人といろいろお話が出来て思い出にもなりました。今年出版された料理の本を手に入れることが出来て妻も大喜びでした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス 船 JALグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 近畿日本ツーリスト
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「黒潮の森・マングローブパーク」を午前11時30分に出発したツアーバスはさらに奄美大島の南に向かい国道58号線を走ります。ここからはずっと山の中を走るようで、「アマミノクロウサギに注意!」という看板をたくさん見ました。
黒潮の森マングローブパーク 公園・植物園
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旅行前のニュースで奄美大島に生息する特定外来生物マングースが2021年度は捕獲されなかったと聞きました。2018年4月を最後に4年連続ゼロで、最短で2023年度秋の「根絶宣言」を目指しているそうです。元々はハブの駆除のために数頭のマングースを島内にはなったそうですが、最大で1万頭にも増えたそうです。ハブは夜行性でマングースは日中に行動するのでハブの駆除にはならず、アマミノクロウサギなどが餌になってしまったそうです。
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網野子トンネルを越えるとバスは「伊須湾」に出ました。このトンネルが出来るまでは峠を越えて行かねばならず、島の交通は不便だったそうです。
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さらに「地蔵トンネル」を越えると瀬戸内町に入り、「大島海峡」の先には「加計呂麻島」が見えます。ガイドさんの説明では対岸には「震洋(しんよう)隊基地跡」が残されているということでした。「震洋」とは1人乗りもしくは2人乗りの小型のモーターボートの艇首に炸薬を搭載し、敵艦船に向かって全速力で衝突して自爆する特攻部隊のことです。小学生の頃にいろいろ調べたことがあったので、その当時の思いが蘇ってきました。
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バスはそのまま「せとうち海の駅」の前の駐車場に停まりました。ここで昼食を摂りますが、ツアーの料金に含まれていないと思っていました。ところが海鮮丼の食事つきだったので何か得した気分です。
せとうち海の駅 道の駅
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沖縄の西表島にも「竹富町ネコ飼育条例」があって、ウイルス検査、ワクチン接種
、マイクロチップ装着、避妊去勢手術、竹富町への登録が必要でしたが、奄美大島でも同じような条例がありました。 -
食事会場は2階のレストランでしたが、1階の階段脇にあった「まーさんアンテナショップ」に先に立ち寄っておきます。「まーさん」とは奄美の方言で美味しいという意味です。
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小さなショップなので数の少ない地元産のレモンとグァバは食事前に買っておきました。食事の後だと売り切れている恐れがありますから。
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瀬戸内町は近年までクロマグロの養殖日本一だった場所です。3週間ほど前に大間でクロマグロ丼を食べたばかりでしたが、美味しいものは大歓迎です。お昼のセットは予算の関係もあるのでクロマグロだけというわけにはいかないようです。
海力 グルメ・レストラン
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クロマグロ2切れにカンパチ2切れ、カツオ2切れにソデイカ2切れという内容です。カンパチもソデイカも昨晩食べているので地元の食材だということは分かります。これはこれで美味しかったのですが、今から思えばマグロの刺身でも追加すればよかったと思います。
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食事の後は重たい「島バナナ」を2房買い求めました。世界に約300種あるといわれるバナナの中でも「島バナナ」として奄美でしっかり根付いているのは、マレー原産の小笠原種と呼ばれるバナナで、100年以上前に奄美に伝わったそうです。まだ熟す前の青い状態で収穫し、風通しの良い場所に吊るして追熟させるそうです。
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「島バナナ」は1房900円とやはりいいお値段です。2房買ったのは地元の友人にもお土産にしようと思ったからでした。1家族5本に切り分けて麻紐も付けて4家族におすそ分けましたし。みんなで色づくのを待ってLINEで写真を送り合いましたが、1人フライングして食べたやつがいました。改めて幼稚園の頃の性格は55年経っても変わらないなと思いました。
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この後もう1房買い求め、レモン3袋とグァバ1袋とみかん1袋、黒糖焼酎4本に島ザラメ5袋などなど、帰りの荷物は大変なことになりました。大変でも友人たちやそのお母さんが喜んでくれるのでたくさん買い込んでしまいます。母が元気だったころはたくさんお土産を届けましたが、もう身近にお土産を買っていく先が無くなってしまいました。
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大間岬では大間で吊り上げられた最大のクロマグロが原寸大でオブジェになっていましたが、瀬戸内町の古仁屋港にはこんな巨大なオブジェがリアルな姿を見せてくれます。大手食品会社のマルハニチロや近畿大学がこの海峡でクロマグロを養殖しているのは何かのテレビ番組で観たのを思い出しました。
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「せとうち海の駅」は奄美大島と加計呂麻島を結ぶ町営定期船「フェリーかけろま」や、奄美大島と請島、与路島を結ぶ町営定期船「せとなみ」の切符を販売していました。次の機会があればここからさらに離島を旅してみたいと思います。
フェリーかけろま 乗り物
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大島海峡をトラックを摘んだ運搬船が横切っていきます。そろそろ出発の時間のようです。
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瀬戸内町にある県立古仁屋高校の敷地は大正12年の1923年に旧陸軍の施設として設置された「奄美大島要塞司令部」がありました。建物は昭和20年の1945年3月の空襲で建物は消失していますが、砲弾の跡が残されているそうです。奄美大島の南部にはそういった戦跡が残されているとガイドさんが説明してくれました。
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バスが山間部に差し掛かると必ずこの標識が現れます。アマミノクロウサギ以外にもアマミトゲネズミの看板もありました。アマミノクロウサギは奄美大島と徳之島にだけ生息していて、国の特別天然記念物に指定されています。全身が黒褐色の毛で覆われていますが、腹はやや淡い灰褐色で、耳が短く、足も短いが強靭な爪をもっています。
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マングースが駆除できたので個体数が増えそうですが、現在も減っているそうです。その理由は野良猫が山に入って野生化した野猫が増えているそうで、こちらも駆除しているそうです。マングースは駆除していますが、野猫は保護して里親を探すそうです。人間の理不尽さを感じます。
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そんな話を聞いているうちにバスは「アランガチの滝」に着きました。バスは駐車場に停まり、川沿いの道をしばらく歩くようです。
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川沿いの道はタンカンの畑でもありました。「タンカン」は中国広東省が原産地で、「ポンカン」と「オレンジ類」の自然交雑により誕生したと考えられています。日本へは明治30年の1897年頃に台湾から鹿児島県へ導入されています。
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ヒカゲヘゴの新芽は幹の頂部より伸び、葉柄部から葉がゼンマイのような形状となった後に開いて成熟していきます。ディティールだけ見ると恐竜が住んでいた時代を連想させます。
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我々団体に驚いたのか大きな白鷺が1羽飛び去って行きました。
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駐車場から歩いて10分くらいで「アランガチの滝」に着きました。宇検村にあるアランガチの滝は奄美でも有名だそうです。休憩所なども整備されていて高齢者でも安心して見物できるのでツアーに組み込まれているのだと思います。
アランガチの滝 自然・景勝地
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我々の到着した前日までは雨が続いていたと聞いたので水の量も十分です。渓谷にある滝なので水の音が反響して癒されます。
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落差約30メートルの滝は湯湾岳を源流とするそうで、古くから霊峰としても崇められ、奄美を開祖した二神が降り立った場所と言われています。奄美大島の開闢神話では、女神「阿摩弥姑(アマミコ)と男神「志仁礼久(シニレク)」が奄美群島や琉球列島をつくったとされます。
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「阿摩弥姑(アマミコ)」は海を流れていた島を立神(奄美大島の海沿いの集落の沖にあって神聖視される岩や小島)でとどめ、日の神や水の神、穀物や食べ物の種などを降ろして奄美大島をつくります。その後に島伝いに沖縄へと渡り、最後にヤマト(日本本土)へ向かったといいわれます。朝の散歩で見た名瀬湾の立岩の意味がこれで分かりました。
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タンカンはまだ季節ではないようで市内のスーパーでも売っていませんでした。出回っているのはポンキツという小振りのみかんでした。
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駐車場の脇には同じデザインの平屋が並んでいて、我々のバスが発車しかけると1人のおばさんが大きな袋を持って走ってきました。そこにはたくさんのポンキツが入っていました。バスの中からお礼に手を振るとおばさんたちも手を振ってくれて、さらには踊り出す方もいます。とてもうれしいハプニングでした。
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バスは次の目的地に向かって山中を走りますが、急にスピードを落としました。そこには1本の巨大なガジュマルの木がありました。距離が近すぎて全体像の写真が撮れなかったのが残念です。
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宇検村にすむケンムンとは奄美大島に古くから伝わる妖怪とも精霊とも言われ、容姿はかっぱに似ているが全身けむくじゃらで、相撲といたずらが大好きだそうです。山を守る神でもあり「自然を破壊するとケンムンの呪いにかかる」と恐れられています。
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このガジュマルには伝承があり、看板にはその由来が書かれてありました。住用の市集落に住んでいた男が子供が生まれそうな妻のためにソテツの実を買いに出たそうです。その帰りに大雨が降り出したのでガジュマルの木の下で雨宿りしました。そこへ2匹のケンムンが現れて「市集落に女の子が生まれたのでヤンハジしてきたと言います。ヤンハジとは運定めのことです。「十九になった時、瀬戸内の勝浦集落から嫁をもらいに来る。 家を出て嫁に行くときに大雨が降るだろう。洞窟に中に入って雨宿りをしていたら、その穴が崩れ落ちてきて、娘が埋もれて死んでしまうヤンハジだ」と得意そうに答えたそうです。家に帰ると生まれた子供は女の子で、他に子供が生まれていないのでわが娘のことだと知ります。果たして娘が19歳の時に嫁ぐことになり、奄美の風習では親がおうり(嫁入りする時に送る人)することは無かったのですが、同行して難を逃れたという話しがあったそうです。
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次にバスが停車したのは「赤土山展望台」です。展望台と言ってもこれだけのスペースです。下車観光にはなっていますが、バスから降りない方も多かったようです。
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一応写真を撮っておきます。ここから見える山は奄美大島の最高峰ということですが、標高は694メートルしかありません。
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左側のピークが「湯湾岳(ゆわんだけ)公園」で、小さなピークの右側が「湯湾岳」のようです。奄美大島の開祖といわれる女神「阿摩弥姑(アマミコ)と男神「志仁礼久(シニレク)」が降り立ったといわれる霊山で、文化4年の1807年に江戸から帰国する途中の琉球王国の使節の小禄親方らは山に登り、海路安穏を祈願したとの記録があるそうです。
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阿摩弥姑(アマミコ)信仰などについて知らないと立ち寄った意味も感じられない気がします。もう少し入り組んだ湾と海が見渡せるような展望台は無いのだろうかと思ってしまいます。
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名瀬への戻り道には「三太郎の里」でトイレ休憩がありました。畠中三太郎というのは実在した人の名前で、明治の頃に農業先進地だった薩摩半島川辺町の出身でした。そのような生い立ちから農業指導者として住用村役場を通して奄美大島へ迎えられたそうです。茶畑の普及に尽力したのちの40代の時に夫婦で峠に農園と茶屋を作り始めたそうです。その後離れた場所に車道が出来て茶屋は衰退していくのですが、その頃に柳田国男が奄美を訪れて、「南海小記」に出会いが記されているようです。11月には遠野へ行くのですが、その下調べもまだできていません。
三太郎の里 グルメ・レストラン
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先ほど「アランガチの滝」の駐車場脇のおばさんたちにいただいたのはこの「ポンキツ」でした。緑色のままでも食べられるということで買い求めましたが、さっぱりしておいしかったです。12月には桜島小ミカンも届きますが、旅の記憶はいろいろな食べ物にも残る気がします。
サン奄美 お土産屋・直売所・特産品
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「三太郎の里」は往路でも通りがかった「東城内海」に面した国道58号線沿いにあります。穏やかな水面にメヒルギが2本顔を覗かせています。もう満潮の水位になったのか心配になってしまいます。
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バスは同じ道を名瀬に向かって走ります。国道58号線に看板を見るたびに、沖縄本島を縦貫する道路も国道58号線だと思い出していました。その後のバスガイドさんの説明でその謎は解けました。鹿児島市から種子島、奄美大島を通り、沖縄県沖縄島の那覇市に至る一般国道になりますが、途中を複数のフェリーで結ばれていて、海上航路部分も国道扱いとなっている日本一総延長が長い国道だそうです。12月には沖縄本島を縦断するツアーにも行くので、辺戸岬で北に向かって奄美を思い出すことにします。
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バスは名瀬市内を一度抜けて島の西側の「国直海岸」に着きました。大型バスの駐車場など無い集落なので、道路脇でバスを降りて集落への細い道を歩きます。途中にある家々には防風林であるフクギの並木がきれいでした。
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母と妻と3人で行った沖縄の海洋博公園を抜けた先の備瀬にあるフクギ並木を思い出しました。次は沖縄や鹿児島の離島と言っていたのに2人だけになってしまいました。
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集落の中を歩くと秘密の抜け道のような細道があります。そこは「カミミチ(神道)」と呼ばれ、その名のとおり「神様が通る道」として大事にされているそうです。昔は人は歩いてはいけなかったそうです。この道をしばらく進むと「ミヤ」があるのだと思います。昔は大切な集落の行事はこの「ミヤ」と呼ばれる場所で始まるのだそうです。奄美大島の伝統行事の「八月踊り」のスタートはこの「ミヤ」で神様にまず奉納し、秋の「豊年祭」ではまずミヤ参りをして相撲を奉納するそうです。
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集落にたくさんあった赤いテープを巻いた棒は「ハブ棒」と呼ばれるものだそうです。通りから家に入る際にハブがいたらこの棒で頭を叩いて脳震盪を起こさせるそうです。ほとんどの家の前にあったので本当の話しだと思います。
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公民館には見事なクガツクンチ(土俵)がありました。旧暦の9月9日は神様に集落の安泰を祈願する大切な日だそうです。国直集落ではこの日に「クガツクンチ」という豊年祭を行います。この祭りでは男たちが奉納相撲を取り、女性たちは奇抜な格好で余興を行います。夜になると土俵を中心に男女が輪になって八月踊りを踊るそうです。
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公民館を抜けると海岸線に出て、美しい海が見えてきました。午前中は太平洋側の海を眺めていましたが、こちらは東シナ海になります。
国直海岸 自然・景勝地
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海岸線にはアダンの森が広がっています。なかなか田中一村の様な構図が探せません。アダンは「阿檀」と書き、タコノキ科タコノキ属の常緑小高木です。パイナップルの様な実をつけることでも知られていますが、アダンは「木」でパイナップルは「草」として分類されています。
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40年近く前に1カ月ほどの長期出張で沖縄の那覇で仕事をしたことがありました。仕事を手伝ってもらったクロス屋さんは畳屋さんも営んでいて、やんばるに畳表を取りに行くから一緒に行こうと誘ってくれました。軽トラに乗って荷台には東京へ帰る荷物も積んでもらいました。その道すがらにオレンジ色になったアダンの実を切ってくれましたが、東京へは持って帰れませんでした。弟は農業試験場に勤めていて、病害虫の講義を植物防疫所の職員の方にしています。
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国直海岸に夕方に来るのは旅行会社としては夕日を見せたかったのかもしれませんが、そこまでの景色ではありませんでした。ただ海岸の白い砂浜と海の色は美しいです。
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奄美では太平洋側が荒れると東シナ海側は静かで、その逆もあるそうですが滞在中はどちらの海も穏やかでした。
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国直海岸はウミガメの産卵地としても有名で、5月から8月の間は産卵のために上陸してくるそうです。ウミガメは月の光を目印にするそうですが、住宅の明かりや外灯が白いと誤って集落の中にまで入ってきてしまうそうです。
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そこで人口の光でウミガメを刺激しないようにウミガメが認識できない赤いカバーを用意して外灯に被せるそうです。ピンク色に染まることからこの地の名産のスモモにかけて「すももロード」と呼ぶそうです。
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外灯を消すのが一番簡単なので検討されたそうですが、そうするとハブがいても見えないので人間が危なくなるので赤いカバーに落ち着いたそうです。テレビ朝日の「なにこれ珍百景」でも紹介されましたが、認定されなかったと記憶しています。
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滞在中には我々以外の観光バスには全く出会いませんでした。クラブツーリズム社でも1台のバスを使いまわしているくらいですから、どこの観光地に行っても同じツアーのメンバーだけしか見掛けませんでした。ほとんど観光客を見掛けない旅でもありました。
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集落の背後の小高い山には「邦直城(くになおぐすく)」があり、鹿児島県の文化財に指定されているそうです。山頂付近には石垣や切通しが残ることから「平家の見張り台だった」という言い伝えがあるそうです。それ以外にも「平家の財宝である金のたらいが出土した」などの伝承もあるそうです。
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能登半島や青森の旅、そして積丹半島でも「義経伝説」をたくさん聞かされましたが、奄美大島で「平家の落人伝説」を聞くとは思いませんでした。
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1か月前の伊豆大島の旅では夕方に元町港の堤防でウミガメを見ることが出来ましたが、奄美大島では自然のウミガメを見る事はありませんでした。ただ、翌日はウミガメに餌をあげるというオプションに申し込んでいます。
国直サンセットパ-ク 公園・植物園
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ハイビスカスの仲間のフウリンブッソウゲの花がきれいに咲いていました。この花を見るのはたぶん初めてです。
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国直の集落のハイビスカスはよく見かけるブッソウゲとは違って、二段咲きのハイビスカスでした。レッドフラミンゴという園芸種ハイビスカスのようです。
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ちょうど夕日が当たってとてもきれいでした。
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クワズイモもきれいな葉を付けています。これだけ大きいと傘の代わりになりそうです。20代の頃に花屋さんと打ち合わせをしていて、表に出ようと思ったら雨が降ってきたことがありました。その時に花屋さんがモンステラの大きな葉を持っていたのでそれを傘代わりにして3人で横断歩道を渡ったら、信号で停まった車の中で大笑いされたことがありました。
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国直海岸の集落には30分ほどの滞在でバスに戻ります。この日の観光はこれで終わりになります。1日バスで走っても所詮島の中だけなので移動による疲れはほとんどありませんでした。
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左側の車窓からは美しい海岸線が見えます。ウミガメは1度の産卵で120個前後の卵を産むそうです。体の大きさやお腹の容量やエサのとり具合によっても違いますが、通常は1度産卵したら2週間休むといった周期で1シーズンに4回から5回産卵します。卵は砂で温められて約2か月で孵化しますが、適正温度は24℃から32℃で、この温度幅から外れた温度に長時間さらされると死んでしまうそうです。
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ウミガメにとって砂の温度はさらに重要な意味を持っています。ウミガメは孵化中の温度で性別が決まり、29.5℃を境にそれより高いとメス、低いとオスとして生まれます。温暖化の影響で雌の数が増えているという話しを聞いたことがあります。
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根瀬部の集落を越えると左手に車海老の養殖池が見えました。グーグルで調べてみると入来水産という会社でふるさと納税にも参画しているようです。前に石垣島から送った活車海老が美味しかったので取り寄せてみようかと思います。でも、調理するとき可哀そうな気持ちになってしまうのがネックです。
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名瀬に戻る道中の左側の車窓に風景はとてもきれいでした。東シナ海は両親が健在な頃に年末年始を大阪から蘇州号という中国籍のフェリーに乗って旅した思い出があります。両親ももういませんが、蘇州号も経営する会社の手を離れ同じ航路を運航している新鑑真号を運行する会社の傘下に収まりました。
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現在はキナ臭くなってきた東シナ海ですが、遣唐使や遣隋使の時代から人々が行き交っていたと考えるとロマンも感じます。
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名瀬市内に入る手前に「名瀬港 船客待合所」の建物が見えました。マルエーフェリーが運航していて、鹿児島新港からここ名瀬を経由し、徳之島の亀徳、沖永良部島の和泊、与論島、沖縄本島の本部(もとぶ)を経て那覇に至ります。
名瀬港 乗り物
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A-LINEのフェリーは沖縄本島の残波岬のホテルの部屋から見たことがありました。那覇の港から本部の港へ向かうところでした。体が動くうちに、そして航路があるうちに乗ってみたいと思います。
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名瀬の港には、「臥蛇Ⅱ」という名の大きなフローティングドックが設置されていました。「臥蛇」という漢字の読み方が分からなかったのですが、調べて見ると、トカラ列島に属する「臥蛇島(がじゃじま)」という島の名前に由来するようです。建設しているのは岸壁ケーソンです。ケーソンとは防波堤や岸壁をつくる際に使われる鉄筋コンクリートでできた箱のことで、出来上がったものを港で建設中の堤防の先端に沈めて延長するものです。
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バスは午後5時過ぎにホテルに着きました。部屋で少し休憩してから夕食に出掛けましたが、時間があるのでトリップアドバイザーなどで人気のあった料理屋さんなどの確認をしてみます。
らいおんの穴 グルメ・レストラン
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2階は「らいおんの穴」という新鮮なジビエや島の野草、海産物などが食べられるダイニングバーです。1階は「居酒屋 虎之臣 kounoshin」で、どちらも人気があるようです。
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その前には「パンダのねぐら」というホステルです。この辺りを歩いているとペナン島のジョージタウンの裏道を歩いているような気分になります。
ホステル パンダのねぐら<奄美大島> 宿・ホテル
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よそ見をしていたら通り過ぎてしまいましたが、「パンダのねぐら」の横にある派出所の奥が「なつかしゃ屋」でした。開店時間より少し早いですが、店の扉を開けました。
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今回の旅ではいつも利用しているトラピックス社のツアーは夕食が付いて79,900円という値段でしたが、ほぼ同じツアー内容でクラブツーリズム社は59,900円でした。1晩10,000円の夕食は奄美大島では考えられないし、ツアーの夕食よりは好きなものを食べたいと思い、クラブツーリズム社のツアーを選択しました。
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その後どこで夕食を食べるか考えあぐねていましたが、2021年に出版されたクレアトラベラーの島特集の雑誌を思い出しました。ちょうど1か月前に行った伊豆大島の旅では波浮港の素敵な鯛焼きの店「島京梵天」もその本で知りました。そしてこの「なつかしゃ屋」ともう1軒掲載されていた「有楽 縁」という寿司屋に行こうと決めました。
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月曜日と火曜日の晩しか滞在できないので、月曜日休みの「有楽 縁」を火曜日にして、「なつかしゃ屋」を月曜にすれば両方いけると思いました。一番行きたい「なつかしゃ屋」に電話すると店主の惠上イサ子さんが出られて「月曜日は学校の行事で出掛けなければならず、戻れるのが午後6時過ぎになってしまうので臨時でお休みです。」とのことです。火曜日であれば予約できるということで2日目の夜になりました。ということで今回は「有楽 縁」は諦めることとなりました。
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店主の惠上イサ子さんは奄美空港の近くの笠利町で生まれ、奄美群島内の10校で38年間、生徒たちに国語と家庭科を教えられた元校長先生です。前日が臨時でお休みだったのはそんな理由からでした。島を離れた子供たちが奄美に戻った時に来ることが出来るお店を開くのが長年の夢で、退職と共にこのお店を開かれたそうです。
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翌日の朝に添乗員さんに「昨晩なつかしゃ屋に行ったんですよ。」と話しましたが、知らなかったようでぽかんとされました。横に板バスガイドさんは店の名前を聞いただけで目が輝き、「なつかしゃ屋行かれたんですか。」と嬉しそうに微笑んでくれました。ドライバーさんも「あそこは有名ですからね。美味しかったでしょう。」と嬉しそうで、急に距離が近くなった気がしました。
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料理は昔懐かしい奄美の島料理がいただけるコース料理だけになります。4,000円のコースにイセエビが付いた6,000円のコースになります。電話で予約した際に寿司屋に行けないと分かったのでイセエビ付きのコースでお願いしました。大きな竹の笊に乗った料理は今年出版された「奄美ごはん」という惠上さんの本に掲載されていたレシピを参考に紹介してみます。「豚みそ」は豚の三枚肉のブロックと島の粒みそ、島ザラメにゴーヤの入った優しい料理です。
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「ピーナッツ豆腐」はピーナッツを皮ごとミキサーにかけて裏ごししたものをくず粉でまとめてあります。緑色は小松菜で色付けしてあります。ソースは梅干しに島ザラメを入れた優しい甘さが、初めて食べても懐かしく感じます。
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「天然もすくの寒天寄せ」は加計呂麻島の天然もずくにかにかま、海老にオクラ、キュウリが入っています。モズクには酸っぱさは無く、ほのかな甘さの正体はここでも島ザラメでした。隠し味の島ザラメに魅了され、帰りにスーパーで買い求めたほどです。島ザラメと言っても加計呂麻島の物が良いようです。製造をよく見ないと沖縄産だったり、中には海外のものもあるので要注意です。
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左は「島らっきょうのごまあえ」で、こんなに美味しい島らっきょうは初めて食べました。辛みは全く感じられず、鰹削り節と塩昆布とすりごまがあえてあります。ほのかな甘みは上白糖とのことでした。
「魚のから揚げ」はスジハタなどの地魚を塩を振って片栗粉をまぶして素揚げしたものです。 -
この日のお刺身はキハダマグロでしたが、モチモチの大きな切り身が5切れもあって甘口の醤油でいただきました。
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惠上さんより「ここ数日漁が無くて大きなイセエビが手に入らなかったので、今朝獲れた車海老の塩焼きを付けました。」とのことです。近海で獲れた新鮮なイセエビに味噌と卵とまゆねーずのソースをかけて焼いたシンプルな美味しさです。焼き物は焼きたてが厨房から届けられます。
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「塩豚と冬瓜の煮物」は保存食でもある骨付きの塩豚をシブリと呼ばれる冬瓜と炊いたもので、七味が味を引き締めます。シンガポールの「松發肉骨茶(ソンファ・バクテー)」のバクテーを思い出しました。
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続いて熱々の「車海老のほやほや(お吸い物)」が届きます。この日カヌーに乗った住用地区の郷土料理の1つで、三献料理の三の膳お吸い物でもあります。殻付きの車海老をミキサーにかけて裏ごしし、具材を入れてラップで包んで椀だねを作り、ほやほやというだし汁に入れてあります。何とも優しい甘さが疲れた体に沁み渡ります。
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「油ぞうめん」は甘味ではお盆などで人が集まるときに欠かせない料理だそうです。家庭によって具材は変わるそうですが、ここでは塩豚を入れた人参とニラと玉ねぎの入ったものでした。小さな小鉢で良かったです。もうお腹が限界に近いです。
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最初はオリオンビールからスタートしましたが、すぐに黒糖焼酎に変えました。前の晩にも飲んで気に入った「れんと」が350円というお値段です。奄美の海の色の様なグラスに入っていてとてもきれいです。テーブルセンターは大島紬で、テーブルも古い織機を流用してあるそうです。
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天ぷらは車海老と長命草と餅米です。餅米といってもサツマイモを輪切りにして煮たものを潰して餅粉と上白糖と混ぜたものを練って、それを揚げてあるのでほのかな甘さを感じます。長命草の天ぷらはサクサクで、えぐみもなく美味しかったです。
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「ハンダマご飯」はハンダマという草を煮て、お酢をくわえるとピンク色の汁が出来るそうです。それでお米を炊いてほぐした鮭と刻んだカリカリ梅を混ぜて型に入れたものです。少しいただきましたが、全部は食べきれないと思っていると「食べきれない分はおにぎりにしますからホテルで食べてください。」とありがたいお言葉です。
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部屋にはこんな婦人画報がありました。いい気分い酔っているのでこの店が掲載されているのかまで確認できませんでした。帰ってからネットで検索しましたが、手に入らなそうです。
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「今蒸しあがりました。」と届いたのが「ふくらかん」という豊年祭りや農作業でいただくお茶請けのお菓子です。黒糖のほのかな甘みとふわふわ感が何とも言えません。
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料理はきれいな月桃の葉の上に置かれていました。これが最後なので葉の上に置いてみました。
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食べきれなかった「ハンダマご飯」はおにぎりにされ、さらに「ふくらかん」をお土産にいただきました。
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お店を出る際にハンダマの葉を見せてくださいました。妻は聞きたかったことを矢継ぎ早に尋ねています。
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店主の惠上イサ子さんと記念写真を撮っていただきました。「クレアトラベラーを見てきたんですよ。」というととても喜んでくださいました。この日は満室の満席で忙しかったようですが、惠上さんもお店のスタッフの男性も気さくで気持ちよい食事が出来ました。お勘定は1人6,000円の料理とお酒が全部で2,000円、本が2,000円でした。講談社で出版されている「奄美ごはん」はレシピだけではなく食文化についても優しく書かれてあるので良い思い出とお土産になりました。
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屋仁川通りには気になるお店がたくさんあり、2泊だけではとても足りないと感じます。この「四川」という中華料理店も絶対に美味しいと感じました。
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夜光貝の提灯の下で八月踊りを踊っているようです。
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「グリーンストア」で「なつかしゃ屋」の店のお兄さんに教えてもらった島みそです。ヤマアの味噌が良いそうです。加計呂麻島の島ザラメもこの店に置いてありました。「ふくらかん」の素も売っていたので帰ってから作ってもらいましょう。
グリーンストア (入舟店) スーパー・コンビニ・量販店
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お土産の量がすごいことになってしまったので、スーパーのおじさんに段ボールを貰いました。正確には「裏に段ボール置き場があるから好きなのを持って行ってください。」ということでした。グリーンスーパーの2階はダイソーなのでガムテープはここで買いました。思い返せばいろいろな国で段ボールを拾って歩いている気がします。
屋仁川通り 名所・史跡
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ホテルに帰って9階の大浴場で疲れを癒し、サウナにも入れました。午後11時ではガラガラでした。その後は部屋に戻って、「なつかしゃ屋」でいただいたおにぎりを食べながらオリオンビールのシークアーサー酎ハイを呑むと日付が変わっていました。
ホテルニュー奄美 宿・ホテル
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