2014/09/07 - 2014/09/08
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エンリケさん
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晩夏のフランス、アルザス・ロレーヌ地方を巡る旅9日目後半。
最終目的地のパリにて、セーヌ川中州のシテ島に浮かぶノートルダム大聖堂を見学した後は、パリに来たからには外せない、ド定番のルーヴル美術館へ。
そのルーヴル美術館では、2012年にイスタンブールの考古学博物館を訪れた後、古代オリエント文明にハマっていたこともあって、古代エジプトやオリエントの至宝を中心に、たっぷり3時間半もの間を見学。
・・・以上、ドイツのマインツから始まって、全17回、旅行記を書き終わるのに約8年をかけた盛り沢山の旅行記になりました。
2022年のコロナ後のヨーロッパは、ロシア上空を飛べなくなって経路も遠くなり、物価もさらに上昇していると聞いていますが、またこんな、日本での日常を忘れてその国の歴史や文化に浸れる、長期間の旅をしてみたいものですね。
<旅程表>
2014年
8月30日(土) 成田→ソウル→フランクフルト・アム・マイン→マインツ
8月31日(日) マインツ→ストラスブール
9月 1日(月) ストラスブール→コルマール→エギスアイム→コルマール
9月 2日(火) コルマール→リクヴィル→リボーヴィレ→コルマール
→ストラスブール
9月 3日(水) ストラスブール
9月 4日(木) ストラスブール→ナンシー
9月 5日(金) ナンシー→メッス→ランス
9月 6日(土) ランス→パリ
〇9月 7日(日) パリ→
〇9月 8日(月) →ソウル→成田
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 3.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩 飛行機
- 航空会社
- 大韓航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
9月7日(日)
10時、パリ発祥の地、セーヌ川中州のシテ島にそびえるノートルダム大聖堂の見学を終了。
続いては、パリに来たからには外せない、ド定番のルーヴル美術館を目指すことにします。ノートルダム大聖堂 寺院・教会
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アール・ヌーヴォーの芸術家、エクトール・ギマール(Hector Guimard、1867-1942年)がデザインしたという、オシャレな地下鉄シテ駅(CITE)の入口を通り過ぎ・・・。
シテ駅 駅
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シャンジュ橋(Pont au Change、両替橋)へ出てセーヌ川を渡ります。
シャンジュ橋 建造物
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そのシャンジュ橋の先にはシャトレ広場(Place du Châtelet)。
広場中央には、ナポレオンによるエジプト遠征の勝利を記念して1808年に造られたという噴水(La Fontaine du Palmier)と、黄金に輝く勝利の女神で装飾された柱がそびえています。シャトレ広場 広場・公園
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シャンジュ橋からシテ島側に目を戻すと、堅牢な城砦の姿をしたコンシェルジュリー(Conciergerie)が。
もともとカペー朝の王宮だったものを、王宮の移転に伴い1370年から牢獄に転用したもので、フランス革命期にはあのマリー・アントワネットも囚われていたという、フランスの歴史を語る上では欠かせないスポットとなっています。コンシェルジュリー 城・宮殿
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セーヌ川の畔を、1607年に竣工したという、パリ最古の橋であるポン・ヌフ(Pont Neuf、新橋)まで歩いて行き・・・。
ポン ヌフ 建造物
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さらに対岸のフランス学士院(Institut de France)を眺めながらセーヌ川を西へ。
フランス学士院 史跡・遺跡
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次のポン・デザール(Pont des Arts、芸術橋)まで来ると、クラシックなスタイルのフランス学士院の入口正面が見渡せます。
ポンデザール 建造物
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そして10時20分、ポン・デザールから広大なルーヴル宮殿、すなわちルーヴル美術館へと到着です。
ルーヴル美術館を訪れるのは2009年以来ですが、相変わらず敷地内はだだっ広く、中庭の中央には1989年に建設されたガラスのピラミッドが、まるでこのルーヴル宮殿が建てられた当初からそこにあったかのごとく、当然のような表情で世界からの観光客たちを迎え入れています。ルーヴル美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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ルーヴル美術館の中庭には、美術鑑賞と関係なく、公園のような感じで休日のひとときを楽しむ地元の人々も。
ルーヴル ピラミッド 現代・近代建築
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さて、このルーヴル美術館、入口のひとつはこのガラスのピラミッドにあるのですが、ものすごい長蛇の列ができていて、ここからではなかなか入れそうにありません・・・。
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そこで、もう一つの入口のある、すぐ近くのカルーゼル凱旋門(Arc de Triomphe du Carrousel)へ。
高名なエトワール凱旋門よりも先に、ナポレオンのヨーロッパ大陸での勝利を記念して1808年に完成した凱旋門で、この横にある階段から下りたところに、ルーヴル美術館へとつながる入口があります。
こちらの入口もけっこう知られていると思うのですが、向かう人はほとんどなく、すんなり地下へと入れます・・・。カルーゼル凱旋門 国立公園
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・・・と思ったら、ガラスのピラミッドの下に近づくと、それなりの行列が。
それでも、ガラスのピラミッドの地上部分にできていた行列に並ぶよりは、早く中に入れそうです。 -
ガラスのピラミッド越しに眺めるルーヴル宮殿。
20世紀末にこのピラミッドを設計した建築家は、よくもまあ、こんなオシャレな構造を考え付きますね(笑)。
調べてみたら、イオ・ミン・ペイ(貝聿銘、1917-2019年)という広州市出身の中国系米国人とのことで、欧米にルーツのない建築家がデザインしたことにさらに驚き。 -
ガラスのピラミッドの下からは約30分並んで11時、ようやくチケットを購入して(12ユーロ=約1,680円)、美術館に入場。
地下から上がったところにあるリシュリュー翼の“マルリーの中庭”(ブルボン朝期のマルリー宮の庭園を飾っていた彫刻を集めたもの)では、こんな彫刻群がお出迎え。
右は、ギリシア神話の海神ポセイドンの妃で海の女王アンフィトリテ(Amphitrite)の彫像。
作者は、太陽王ルイ14世に仕え、ヴェルサイユ宮殿やその庭園を彩る彫刻群の製作を手掛けたアントワーヌ・コワズヴォ(Charles Antoine Coysevox、1640-1720年)となっています。ルーヴル美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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さて、広大なルーヴル美術館の作品群を鑑賞するにあたって、まずは1階(地上階)の部屋から見ていくことにします。
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1階でまず向かったのは、シェリー翼にある古代エジプト美術の展示。
2010年にエジプトを訪れて以来、エジプト美術に興味を持っていたもので、このルーヴル美術館でも優先的に見学。
まずこちらのガラスケースの中にあるのは、“お供え物を運ぶ女”(Porteuse d'offrandes、第12王朝初期のBC1950年頃)
コーティングされたイチジクの木(bois de ficus enduit et peint)を利用とのことですが、4000年も昔の木の彫像が残っていることに驚き。
人物も、現代の人間と変わらない写実的なプロポーションで、当時のエジプト人の生活の様子がありありと目に浮かぶようですね。 -
こちらはアメン・ラー信仰からアテン信仰への宗教改革を行った、顔の長い王としてもお馴染みの、第18王朝のアメンホテプ4世又はアクエンアテン像(Le roi Amenophis IV- Akhenaton、BC1350年頃)。
エジプト旅行の際もあちこちでこのお方の顔を見かけましたが、頭の一部が欠けていても、一度見たら決して忘れられない、印象的な顔の王ですよね。 -
こちらもアメンホテプ4世に関連する、“輝くアテン神を崇拝するスフィンクス姿のアクエンアテン”(Akhenaton en sphinx adore Aton rayonnant)。
こんな姿の者も作らせてしまう強烈な個性の王だったのですね。
彼の死後、息子のトゥトアンクアメン(ツタンカーメン)王の時代にエジプトはアメン・ラー信仰に戻りますが、このような強烈な個性の王に誰もついて行けなかったのでしょうね・・・。 -
エジプト美術の部屋は天井もエジプトっぽい感じです。
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こちらは“「アメン神の崇拝者」カロママ”(La “divine adoratrice d'Amon”Karomama、BC850年)。
左足を少し前に出すポーズや髪型など、1000年以上も昔の“お供え物を運ぶ女”像とほぼ様式が変わらないところが何よりもスゴイ。 -
こちらはエジプト中部、ルクソールの王家の谷で発見された、“セティ1世を歓迎する女神ハトホル”(La deesse Hathor accueille Sethi Ier、BC1294-BC1279年)。
石灰岩に彩色された絵が、まるで当時のもののように鮮やかで、ルクソールの王家の谷で見た、超古代の墓の衝撃を思い出します。
ちなみにセティ1世は、エジプト新王国の最盛期を現出し、アブ・シンベル神殿やカルナック神殿などあちこちに自身の像を作らせた、あのラメセス2世(在位:BC1279-BC1213年頃)の父王。
セティ1世の治世が安定していたことが、次代のラメセス2世時代のエジプトの繁栄につながったと言われています。 -
こちらはその“セティ1世の副葬品”(Serviteur funeraire du roi Sethi Ier、BC1294-BC1279年、第19王朝)
珪質土器(faïence siliceuse)とのことですが、その鮮やかな青色から時代感覚を狂わされそうです。 -
このようなエジプト美術の間をずんずんと進んでいき・・・。
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こちらも超古代の色彩の残る木製の船のミニチュア。
作品の解説を控えるのを忘れてしまいましたが、ダブリンの国立考古学博物館で見た同じような船の模型がBC1900年頃のものであったことから、やはりその頃のものなのでしょうね。
【ギネスと雨の国アイルランド(11) ダブリンの国立考古学博物館の古代エジプト第12王朝時代(BC1900年頃)のナイル川を渡る船の模型】
https://4travel.jp/travelogue/11102870#photo_link_42525453 -
ナイル川中流のアスユートの墓地から出土した、タマリスク材で作られた人形模型(cimetiere d'Assiout bois de tamaris peint、BC1950年頃、第12王朝)。
“お供え物を運ぶ女”と同様、超古代の人々の生活が目の前に蘇るようです。 -
こちらはラメセス2世(Le Roi Ramses Ⅱ、BC1279-BC1213年、第19王朝)の巨像が並ぶ“ラメセス2世の間”。
よく考えたらルーヴル美術館も大英博物館と同様、これだけのものをエジプトから盗んできたのですね・・・。 -
こちらは雌ライオンの頭部を持つ女神セクメト(La deesse Sekhmet)。
宗教改革を行ったアメンホテプ4世の父王、アメンホテプ3世(Amenophis Ⅲ、BC1391-BC1353年、第18王朝)時代の閃緑岩(diorite)製のものとなっています。 -
“ジェドホルの石棺の蓋”(Couvercle du sarcophage de Djedhor)。
ジェドホルとはエジプト末期王朝時代、最後のエジプト人の王朝と言われる第30王朝時代のファラオ(在位:BC361-BC359年)。
ミイラを入れる石棺も、過去の王朝のものとはだいぶ変わってシンプルになってきていますね。
これもギリシャ文明などの影響でしょうか・・・。 -
こちらは紀元前2世紀、ギリシャ人の王朝であるプトレマイオス朝時代の“エジプトのギリシャ人の棺”(Le cercueil du Grec d'Egypte Tisicrates)。
アレクサンドロス大王のエジプト征服によりギリシャ人が入植した後も、支配層であるギリシャ人の間にミイラ文化は継承されたのですね。 -
“シドンの王、エシュムナゾール2世の石棺”(Sarcophage d'Eshmunazor Ⅱ, roi de Sidon)。
現在のレバノンのサイダ(Saida)から発掘された、エジプト文明の影響を受けた紀元前5世紀のフェニキア人の王の石棺で、胴体の部分には彼らの使っていたフェニキア文字が刻まれています。
そういえばイスタンブールの考古学博物館でも似たようなフェニキア人の王の石棺を見ましたね。
【ブルガリア~イスタンブール紀行(10) イスタンブール考古学博物館の紀元前6世紀のシドンの王タブニトの石棺】
https://4travel.jp/travelogue/10763978#photo_link_28695122 -
入場から1時間半近く経過した12時20分、古代エジプト美術の次は同階の古代オリエント美術の間へ。
いきなり現れたこちらの巨大な牛のモニュメントのようなものは、アケメネス朝(ハカーマニシュ朝)ペルシャ(BC550-BC330年)の首都、スサから発掘された、“ダレイオス1世の宮殿の謁見の間(アパダナ)の柱頭”(Chapiteau d'une colonne de la salle d'audiences(Apadana)du Palais de Darius Ⅰer)。 -
モチーフや様式など、これまで見てきたエジプト文明とは異なる、何か違う星の文明のようなものを感じますね。
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そしてその巨大な柱頭の先には・・・。
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ペルシャ帝国の都、スサの宮殿を覆っていたものとされる、優美な空色の背景が残る神獣の姿を描いたレリーフが。
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こちらはスサのダレイオス1世宮殿の第一の中庭を飾っていたという彩釉レンガ、その名も“ライオンのフリーズ”。
当時はペルシャなど、オリエントにもライオンが生息していて、“獣の王”ということから、やはり王権の象徴とされていたのですね。 -
こちらはアケメネス朝ペルシャの前にメソポタミアを支配していた新バビロニア王国時代(BC625-BC539年)の彩色レリーフ。
その第2代の王ネブカドネザル2世(在位:BC605-BC562年)の時代にバビロンのイシュタル門へと続く行進の道を飾っていたものとされます。
こちらも、イスタンブールの考古学博物館にも同様のものがありました。
【ブルガリア~イスタンブール紀行(10) イスタンブール考古学博物館のバビロンの行進の道を彩るライオンのレリーフ】
https://4travel.jp/travelogue/10763978#photo_link_28690372
アケメネス朝ペルシャは、自分たちが滅ぼした新バビロニア王国から宮殿の装飾技術を取り入れたのですね。 -
色は落ちてしまったものの、スサのダレイオス1世宮殿を装飾していたという神獣のレリーフがこんなにたくさん。
それにしても、ルーヴル美術館は大英博物館に勝るとも劣らない“盗っ人博物館”ですね(笑)。 -
こちらもダレイオス1世宮殿を彩っていたとされる彩釉レンガ、“射手のフリーズ”(Frise des archers)。
ダレイオス1世時代(BC522-BC486年)のBC510年頃の作とのこと。
ちなみにダレイオス1世はギリシャにも遠征軍を派遣して服属させようとした、ヨーロッパ側から見れば“ペルシア戦争”(BC499-BC449年)を起こした好戦的な王としても有名ですよね。 -
“射手のフリーズ”の一人をズームアップ。
鮮やかな彩色は発見当時から引き継がれているものなのか、それともその後、修復されたものなのか。
いずれにしても、古代のペルシャの世界が蘇るようです。 -
こちらはイラン北部のカルラーズ(site de Kaluraz)から発掘された、紀元前9世紀から紀元前7世紀頃の“擬人化された彫像容器”(Statue-récipient anthropomorphe)。
BC2800-BC2300年頃にエーゲ海のキクラデス諸島で栄えた“キクラデス文明”の彫像にも通じる、ピカソの絵画のようなシュールさですね。
【永遠ブルーの空 ギリシャ(2) アテネの国立考古学博物館のキクラデス文明の展示】
https://ssl.4travel.jp/tcs/t/editalbum/edit/11784138/ -
続いての間は“コルサバードの中庭”。
イラク北部から起こり、紀元前8世紀から紀元前7世紀にかけて、エジプトを含むオリエントの広域を支配して大帝国を打ち建てた新アッシリア(BC911-BC609年)の王、サルゴン2世(在位:BC722-BC705年)が建設した首都、ドゥル・シャルキン(現在のイラク北部の村コルサバード)にあった遺物を展示しているという部屋です。
明るいガラスの天井からは直射日光が降り注いでいますが、貴重なアッシリア帝国の遺産が傷んでしまわないか心配になってしまいますね・・・。 -
こちらはコルサバードのサルゴン2世宮殿にあったという“ライオンを捕らえた英雄ギルガメシュ”。
ライオンがネコのようにかわいらしいです(笑)。
“ギルガメシュ”とは、メソポタミア文明の初期を担ったシュメール人の初期王朝時代の伝説的な王(BC2600年頃?)。
現代から4600年も昔の王とは、かなり気が遠くなるほどの話ですが、新アッシリア帝国のサルゴン2世の時代からしても、2000年も前の神話時代なのですよね・・・。 -
こちらは人頭有翼雄牛像の“ラマス”。
2015年、ISIL(イスラム国)に掌握されたイラク北部では、異教の偶像としてラマスなどのメソポタミア文明の遺産が破壊されたとの報道があったところですが、どの程度の貴重な遺産が被害に遭ったのでしょうかね・・・。 -
こちらは車を運ぶ人々の姿を描いたレリーフ。
色がない分、先ほどのアケメネス朝ペルシャのダレイオス1世宮殿のレリーフより質実剛健な印象を受けますね。 -
羽の生えた聖霊(神?)に向かってもみ手をする人物を描いたレリーフ。
こちらも人物の姿がかなり写実的で、当時のレリーフ製作技術の高さが窺えます。 -
別の人頭有翼雄牛像(Taureau androcéphale aile)が両側に飾られた門。
当時のサルゴン2世の宮殿も、このような門があったのでしょうか。
これをもって、コルサバードの中庭を退出・・・。 -
続いてもメソポタミア文明の部屋。
時代はさらに遡って、紀元前22世紀のシュメール人の都市国家、イラク南部のラガシュに君臨した“グデア王”(BC2144-BC2124年頃?)を称える部屋です。 -
こちらがその“グデア王”(Gudea, prince de Lagash)の立像。
両手を胸の前に握りしめた姿が特徴的で、“ニンギルス神(ラガシュの都市神)に捧げる”(dediee au dieu Ningirsu)と形容されているところから、神への祈りのポーズなのでしょうか。
古代のギルス市のあったイラク南部のテルロー遺跡(Tello, ancienne Girsu)から出土したもので、BC2120年頃の作品と伝えられています。 -
その隣にもグデア王像(Gudea, prince de Lagash Statue anépigraphe)。
やはりイラク南部のテルロー遺跡から出土したもので、こちらはオシャレな帽子(?)をかぶった温和そうな顔がしっかりと遺されています。
・・・これでお分かりの通り、この部屋がなぜ“グデア王の部屋”と呼ばれているかというと、すべてグデア王の像で埋め尽くされているから。
グデア王の治世は都市国家ラガシュの最盛期でシュメール文化が花開いており、彼自身もたくさんの像を作らせたとか。
現在発見されているだけでもグデア王の像は26体あり、その多くがここルーヴル美術館の“グデア王の部屋”に展示されています。
そうそう、イスタンブールの考古学博物館にもライムストーン製の一体が展示されていましたね。
【ブルガリア~イスタンブール紀行(10) イスタンブール考古学博物館のグデア王の立像】
https://4travel.jp/travelogue/10763978#photo_link_28690375 -
こちらは“湧き出る壺”の異名を持つグデア王の立像(Statue dite au “vase jaillissant”、BC2120年)。
手に持った壺から水が湧き出てくる様子から、農業の女神ゲシュティンアンナに捧げられた像(dediee a la deesse Geshtinanna)とのことです。 -
こちらは顔と右腕の一部が欠けたグデア王の座像(Gudea, prince de Lagash Statue dite “colossale”、BC2120年)。
やはり“ニンギルス神に捧げられた像”(dediee au dieu Ningirsu)とされているところから、この両手を胸の前で合わせるポーズは、ニンギルス神への祈りを示しているのでしょう。
ちなみにグデア王のひざから下に垂れ下がった衣装には、全体にびっしりと楔形文字が刻まれています。 -
こちらはグデア王の息子でラガシュの王子、ウル・ニンギルスの像(Moulage de la statue d'Ur-Ningirsu, prince de Lagash, fils de Gudea、BC2110年)。
こちらもニンギルス神に捧げるポーズをとっていますね。
しかし親子で顔が似ていて、その上、ポーズや衣装が同じでは区別がつきませんね(笑)。 -
こちらは豊穣や復活の神である“ニンギシュジダ神”に捧げられたというグデア王の座像(Gudea, prince de Lagash Statue assise dediee au dieu Ningishzida、BC2120年)。
古代メソポタミアは古代エジプトや古代ギリシャと同様に多神教で、崇拝の対象となる様々な神様がいらっしゃったのですね。 -
“マリのシャッカナック(知事)、イディン・エルの像”(Statue d'Iddin-El, Shakkanakku de Mari、BC2090年)
“マリ”とは、ユーフラテス川沿いにあったイラク国境に近い現シリアの街。
シュメール人の街としてBC2900年頃からBC1800年頃にかけて栄え、BC1759年頃に勃興してきたアムル人の王国、古バビロニアのハンムラビ王(在位:BC1792-BC1750年頃)によって破壊されたという・・・。
【ルーヴル美術館による解説】
https://collections.louvre.fr/en/ark:/53355/cl010120557 -
そしてこちらはマリの代官、“エビフ・イルの彫像”(Ebih-Il, nu-banda、BC2340年またはアッカド帝国時代初期のBC2250年頃、Mari(Syrie), temple d'Ishtar)。
高さ50cmほどのこの像は、1934年にマリのイシュタル神殿があった場所から発見されたもので、背中には楔形文字で“女神イシュタルにこれを捧げる”と刻まれており、文字通り祈りのポーズをとっています。
シュメール人の装束である“カウケナス”と呼ばれるスカートをまとっているとともに、写真では分かりにくいですが、目の部分には遠くアフガニスタンから輸入されたというラピスラズリが象嵌されており、当時のシュメール人支配層の文化を知る上で、この像は貴重な“生き証人”のようになっているところです。
【フランス文化省(Ministère de la culture)による解説】
https://archeologie.culture.gouv.fr/mari/en/statue-ebih-il -
そしてこちら、通路にもなっている部屋の中央にそびえるのは・・・。
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そう、中学校の歴史でも習った、“目には目を、歯には歯を”でお馴染みの“ハンムラビ法典”(Code de Hammurabi, roi de Babylone、BC1792-BC1750年)。
古バビロニアのハンムラビ王がメソポタミアを統一した後、玄武岩に刻ませて作らせたもので、てっぺんにみえるレリーフのうち、左側の人物はハンムラビ王自身、右側に腰掛けているのは太陽神シャマシュと言われています。
その下にはアッカド語の楔形文字がびっしり。 -
楔形文字が刻まれたハンムラビ法典の表面をズームアップ。
なるほど、確かに中学校の教科書に載っていた楔型文字ですね。 -
アッカド語の楔形文字は裏面にも。
このハンムラビ法典、近代になって発見されたのは1901年、イランのスサにて。
古バビロニアが滅んだあと、紀元前12世紀にザグロス山脈を本拠地とするエラム人の王により持ち去られたとのこと。
玄武岩で造られた高さ225cm、幅65cm、奥行き47cmの石碑の前には今もたくさんの人だかりができており、3800年前の人類の叡智の結晶である282条の文章には、時代を超えて人々を惹きつける不思議な力が宿っているようです。 -
古代オリエントの部屋を後にし、続いて近代の彫刻が連なる部屋へ。
この部屋には白亜の大理石像がたくさん・・・まさに“彫刻の森”ですね。 -
そんな中で目立っていた、ブロンズの像がこちら。
フランシスク・デュレ(Francisque Joseph Duret、1804-65年)の“ぶどう狩りでの即興演奏”(Vendangeur improvisant sur un sujet comique、1839年)という作品で、まるで現代のヒッピーを表現したかのような作風です(笑)。 -
ジャン=アントワーヌ・ウードン(Jean-Antoine Houdon、1741-1828年)の“狩猟の神ディアナ”(Diana the Huntress、1790年)。
つま先だけで、うまく全体の体重を支えている像ですね。 -
そんな彫刻の間をどんどんと進んでいき・・・。
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入場から2時間半近くが経過した13時20分、最初の“マルリーの中庭”に戻ってきました。
さすがはルーヴル美術館、2時間半では1階の全部も見られません。 -
ここでお腹が空いたので、美術館内のカフェ“Cafes de la Pyramide”で昼食。
ビーフカレーパン10.35ユーロ(約1,450円)とエスプレッソダブル3.35ユーロ(約470円)で合計13.7ユーロ(約1,920円)。
味はそれほどでもないのに、やはり館内の食事は高めですね・・・。カフェ ドゥ ラ ピラミッド フレンチ
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昼食後の13時50分、美術館見学を再開。
こちらはリシュリュー翼2階の“ナポレオン3世の居室”(Appartements Napoleon Ⅲ)。
ナポレオン1世の甥の皇帝ナポレオン3世(在位:1852-70年)が居室として使っていたもので、ブルボン朝時代のヴェルサイユ宮殿に比べれば規模はずっと小さいですが、庶民からすれば目も眩むような豪華さを誇っています。 -
部屋に飾られていた、ドイツの画家フランツ・クサヴァー・ヴィンターハルター(Franz Xaver Winterhalter、1805-73年)によるナポレオン3世の肖像。
伯父であるナポレオン1世の名声をもとに、政治犯の受刑者から第二共和政大統領、そして第二帝政の皇帝へと上り詰めた人物ですが、彼の人生にもその偉大な伯父に負けないドラマチックさがありますよね。 -
部屋の一角にはナポレオン3世のこんな銅像もあります。
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ナポレオン3世の居室の大食堂。
この部屋で数多くの国賓がもてなされたのでしょうね。 -
偉大なる伯父、ナポレオン1世(在位:1804-14,15年)の肖像画も飾られていました。
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さて、リシュリュー翼2階の大半を占めるナポレオン3世の居室を後にし・・・。
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14時10分、リシュリュー翼の3階に上がって西洋絵画の間へ。
見学者は皆、広大なルーヴル美術館の1階、2階で力尽きてしまうのか、この辺りは人が少なくガラガラです(笑)。 -
人が少ないのでのびのびと見学(笑)。
こちらはフランドル地方のアントワープ出身で、あのルーベンスの弟子でもあった画家、アンソニー・ファン・ダイク(Anton Van Dyck、1599-1641年)の“チャールズ1世”(Charles I、1635年頃)。
ファン・ダイクは清教徒革命で処刑された英国王、チャールズ1世の宮廷画家としても有名ですよね。
彼は清教徒革命が勃発する直前に病気で42歳の若さで亡くなっていますが、それが彼にとって幸せだったのかどうか・・・。 -
続いては、ユトレヒトの画家ヘリット・ファン・ホントホルスト(Gerrit van Honthorst、1590-1656年)の“コンサート”(Le Concert、1624年)。
登場人物が皆、頬を赤らめて、楽しそうな顔をしています(笑)。 -
光と影の画家、レンブラント(Rembrandt Harmenszoon van Rijn、1606-69年)お得意の肖像画もズラリ。
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アムステルダム出身の画家でレンブラントの弟子、ウィレム・ドロステ(Willem Drost、1633-59年)の“ダヴィデ王の手紙を受け取るバト・シェバ”(Bethsabée recevantla lettre de David、1654年)。
“バト・シェバ”とは旧約聖書に登場する女性で、入浴中の姿を古代イスラエルの王ダヴィデ(在位:BC1000-BC961年頃)に見初められて妻となり、次王のソロモンを出産することとなる人物。
アムステルダムの国立美術館でも、同趣旨の作品が飾られていたところです。
【涼しきオランダ・ベルギーの夏(9) アムステルダム国立美術館のヤン・ファン・スコアル作“バト・シェバのいる風景”】
https://4travel.jp/travelogue/11656030#photo_link_67808436 -
こちらは師匠であるレンブラントの同趣旨の作品、“ダヴィデ王の手紙を手にしたバト・シェバの水浴”(Bethsabée au bain tenant la lettre de David、1654年)。
ダヴィデはこの後バト・シェバを呼び寄せて関係を持ち、彼女を妊娠させますが、実は彼女は人妻の身。
ダヴィデは自らの罪を隠そうとし、彼女の夫で軍人のウリヤを敵陣に置き去りにして殺してしまい、未亡人となったバト・シェバはダヴィデの妻に。
この“バト・シェバの水浴”、背後には人の倫理に関わるストーリーが隠れているがゆえに、近代以来、多くの画家によって絵画の題材とされてきたのですね。 -
こちらもアムステルダム出身の画家、サロモン・デ・ブライ(Salomon de Bray、1597-1664年)の“髪をとかす若い女性”(Jeune femme vue en buste, se peignant、1635年)。
オランダ人らしく金髪の女性となっていますね。 -
14時20分、両側の壁に同じサイズの絵画が掲げられた特別感のある部屋へ。
この部屋は“メディシス・ギャラリー”(la Galerie Médicis)。
壁一帯に掲げられているのは・・・。 -
そう、ピーテル・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens、1577-1640年)がフランス王妃のマリー・ド・メディシス(1575-1642年)のために描いた24点の連作、“マリー・ド・メディシスの生涯”(Vie de Marie de Médicis、1621-25年頃)。
フィレンツェのメディチ家出身のマリーが、生誕してからフランス・ブルボン朝の初代国王アンリ4世(在位:1589-1610年)の妻となって栄華を極め、その後息子であるルイ13世(在位:1610-43年)と対立しながらも、和解を図っていくまでの生涯がローマ神話の神々になぞらえたかたちで表現されている大作です。
まずこちらは24連作の3番目、“公女の教育”(L'Instruction de la reine, dit aussi L'Education de la reine)。
中央の赤い衣装を身に着けているのが少女時代のマリーで、教育係としての知恵の女神ミネルヴァ(ギリシャ神話ではアテナ)が開いた本を覗き込んでいます。
その上にいる翼のついた帽子をかぶっているのは、商業や旅人の神メルクリウス(ギリシャ神話ではヘルメス)。
右側には裸身の三美神エウプロシュネ、アグライア、タレイアが描かれ、マリーに美を授けています。 -
続いては5番目の場面、“1600年10月5日にフィレンツェで挙行されたマリー・ド・メディシスとアンリ4世の代理人による結婚式”(Les Epousailles de la reine ou La Réception de l'anneau, dit encore Le Mariage par procuration de Marie de Médicis et d'Henri IV, à Florence le 5 octobre 1600)。
画面中央左は指輪を嵌めさせてもらうマリー。
この結婚式にはフランス王アンリ4世は多忙のため来られず、マリーの叔父にあたるトスカーナ大公フェルディナンド1世・デ・メディチが代理人として花婿の位置に立っています。
ちなみに作者のルーベンス自身もこの時たまたまフィレンツェに滞在しており結婚式にも参加したそうで、マリーの背後で大きな十字架を掲げているのが若き日のルーベンスとのこと。 -
6番目の場面、“王妃のマルセイユ上陸、1600年11月3日”(Le Débarquement de la reine à Marseille, le 3 novembre 1600)。
この絵は24連作の中でも世界史や美術の教科書に載るほどの特に有名な作品。
中央に描かれているイタリアからやってきた花嫁マリーはとても堂々としていて、神々や天使たちの祝福を受けています。
マリーの前で両手を広げ、お迎えをしている青いマントを着けた人物は、国家としてのフランスを擬人化したもの。
よく見ると、マントにはブルボン王家のユリの紋章(fleur-de-lis)が描かれていますね。
画面下部に描かれた、金髪裸身のふくよかな女性は、“いかにもルーベンス”という感じです。 -
10番目の場面、“サン=ドニ大聖堂での王妃の戴冠式、1610年5月13日”(Le Couronnement de la reine a l'abbaye de Saint-Denis, le 13 mai 1610)。
文字通り、パリ郊外のサン=ドニ大聖堂で戴冠するアンリ4世とマリーの図。
上空では天使たちが祝福の金のコインを降らせ、24点もの連作が続く“マリー・ド・メディシスの生涯”の中でも、中核となる絵画と位置付けられています。
ちなみに、同じくこのルーヴル美術館にあるジャック=ルイ・ダヴィッド作の“ナポレオン1世の戴冠式”(1805-07年)、このマリーの戴冠式に構図や雰囲気が非常に似ていて、作者のダヴィッドは、ルーベンスのこの絵画から大きな影響を受けていたことが窺えます。
【晩夏のアルザス・ロレーヌ(16) ルーヴル美術館2階ドゥノン翼のダヴィッド作“ナポレオン1世の戴冠式”】
https://4travel.jp/travelogue/11783840#photo_link_75047445 -
15番目の場面、“摂政マリーの至福”(La Félicité de la Régence)。
24連作中、最後に完成した作品で、夫であるアンリ4世が暗殺された後、息子ルイ13世の摂政となったマリーの姿を、周囲に古代神話の神々が取り巻くかたちで、いかにも威厳あり気に描いています。
ただ実際には、この後マリーは、1598年にナントの勅令を発してカトリックとプロテスタントの融和を図るなど名君と称えられたアンリ4世の政策をことごとく破棄し、独善的な傾向を強めてルイ13世と対立。
この絵画の完成後の1631年には名宰相リシュリューの失脚を謀るも、逆にコンピエーニュに幽閉され、その後ブリュッセルへ亡命。
最後は1642年、67歳でケルンの地で没することになります。 -
メディシス・ギャラリーの最後を飾るのは、アントワープ出身でマリー・ド・メディシスの宮廷画家となったフランス・プルビュス(Frans II Pourbus、1569-1622年)による“マリー・ド・メディシスの肖像”(Marie de Medicis(1573-1642), reine de France depuis 1600年)。
1600年、まさにアンリ4世と結婚したばかりの、これから権力への道を上り詰めていく前の、野心に満ちたマリーの姿が描かれていますね。 -
14時30分、入場から3時間半が経過したところで、ルーヴル美術館を退出。
まだまだ見るべきものはありましたが、ルーヴル美術館には今後もまた来ることがあるだろうし、長時間の作品鑑賞でさすがに疲れたので今回はこの辺で・・・。 -
14時50分、美術館の外に出て、隣接するチュイルリー公園(Jardin des Tuileries)をぶらぶら。
都会の中心部に広い緑があるのはやはりいいものですね。チュイルリー公園 広場・公園
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この日のパリは、天気も良く、今回のドイツ・フランクフルトからアルザス・ロレーヌ地方を経由しての旅程中、いちばん気温が高い感じで、歩いていて汗ばむほど。
やはりパリは人口密集地帯だから、ちょっと田舎のアルザス・ロレーヌ地方よりも気温が高めなのでしょうか? -
ルーヴル美術館とともにカルーゼル凱旋門にも別れを告げ・・・。
カルーゼル凱旋門 国立公園
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途中、お土産を買ったりしながら15時40分、ルーヴル美術館から北へ徒歩10分ほどのところにある“オペラ座”こと“パレ・ガルニエ”(Palais Garnier)へ。
てくてくと歩き続けて建物の陰から見えてきたその姿は、思わず“おおっ”という声が漏れてしまうほど荘厳・・・。オペラガルニエ 劇場・ホール・ショー
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パレ・ガルニエの荘厳なファサードを近くからパチリ。
このパレ・ガルニエ、19世紀後半のナポレオン3世によるパリ改造計画の中で、1860年、建築家シャルル・ガルニエ(Charles Garnier、1825-1898年)の提案競技が当選し、建築中に普仏戦争の敗戦や第二帝政の崩壊などを経験しながらも、1875年にパリ国立オペラの公演劇場として完成。
1964年にはマルク・シャガールによる天井画も取り付けられますが、1989年、フランス革命200周年を記念して、バスティーユ広場の一角に、新しいオペラ劇場としてオペラ・バスティーユ(Opéra Bastille)が誕生。
以来、パレ・ガルニエでは、バレエや小規模オペラ、管弦楽コンサートを中心とした公演内容になるも、“パレ・ガルニエでオペラを観たい”という人々の声に応え、引き続きオペラの上演が行われているとか。 -
このパレ・ガルニエ、凱旋門やエッフェル塔などと並び、パリのランドマーク的なところもあって、入口には内外からの観光客がたくさん。
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せっかくなので、中に入って有名なシャガールの天井画を見ようとしますが、この日は昼の公演があるらしく、一般の観光客は入場禁止。
全部見て回れなかったルーヴル美術館と同じく、またパリに来なければならない理由ができましたね・・・。 -
さて、この日の夜にある帰国便のフライト時刻は21時。
まだ5時間ほどあるところですが、ここでもう、やり尽くした感が出てきて、空港に向かうことに。
いったん地下鉄でパリ東駅と北駅の間にある宿、ホテル・ダミアンに戻って荷物をピックアップし、北駅から鉄道(RER B線、4:50から23:50まで10~20分間隔で運行、所要25分、9.75ユーロ=約1,370円)でシャルル・ド・ゴール国際空港へ。
ちなみにこのパリ北駅、構内には黒人など移民系の人々が大勢たむろしていて体感治安が悪く、さらにシャルル・ド・ゴール国際空港へ向かう電車内も、そのようなところを通っていくせいか、途中、乗降するのはコワい顔の黒人ばかりで、空港に到着するまでの間、何か起こったりはしないかと、気が気ではありませんでした・・・。 -
17時過ぎ、シャルル・ド・ゴール国際空港に無事到着し、ほっと一息。
ここで日本のマンガ好きな男性の空港係員との会話を楽しんだりしながらのんびりと時間を過ごし、21時ちょうど発の仁川国際空港行き大韓航空KE902便で一路、韓国へ。シャルルドゴール空港 (CDG) 空港
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翌9月8日(月)12時40分(時差+7時間)、大韓航空KE902便はロシア上空を通過して中国上空を飛行。
2022年のロシア・ウクライナ戦争で、ヨーロッパにいちばん近いこのルートはしばらく飛べないのでしょうね・・・。 -
そして14時50分、大韓航空KE902便は定刻通り、仁川国際空港に到着。
17時40分発成田空港行きKE001便に乗り換え、20時に成田空港に無事到着、今回の旅が終わりました。
途中、ヨーロッパ以外の新しい旅に目移りし、2014年9月の旅行当時から、旅行記が完成するまでに8年の月日を要してしまいましたが、こうしてコロナ禍や原油価格・物価高騰によりヨーロッパに行きにくくなってくると、典型的すぎて平凡に思えるフランスの旅も魅力的に見えてくるものですね。
ちなみにこの間、フランスでは、2016年1月にアルザスやロレーヌ、シャンパーニュ=アルデンヌといった地域圏が統合され、新たに“グラン・テスト”(Grand Est)という地域圏が発足。地方分権改革が進んでいるようです。
フランスにありながら異文化の匂いのする、情緒ある響きの“アルザス”、“ロレーヌ”は遠くになりにけり、といった感じですが、一方で、情緒がそれを拒むのか、いまだ明治以来150年もそのままになっている道府県制度を変えられない我が国の行政は一体・・・。
(晩夏のアルザス・ロレーヌ~終わり~) -
(おまけ)
パリのルーヴル美術館近くの観光客向けのお店で買ったお土産も備忘録ついでにご紹介。
フランス土産の定番、MAXiM'S DE PARISとMONBANAのチョコですが、お値段は2014年当時でこの大きさのものがそれぞれ13.9ユーロ(約1,950円)と9.95ユーロ(約1,400円)。
2022年現在はどれだけ値上がりしていることでしょうね・・・。
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この旅行記へのコメント (4)
-
- 川岸 町子さん 2023/02/04 22:51:22
- 次回に繋げる旅
- エンリケさん、おばんでした(*^▽^*)
2014年に行かれたのに、様々な事を覚えていらっしゃると驚きます。
旅の記憶や思い出が鮮明によみがえり、8年がかりで完成とは素晴らしいです!
私なんて12月の旅の内容でさえ、思い出せないことあります(苦笑)
私もルーブルは2回行ったのに、エジプト関連の展示は、ほとんど見ていないです。←ただ単純に忘れているだけなのかも(笑)
彩色された“セティ1世を歓迎する女神ハトホル”は、さすがの美しさですね。
仰るようにルクソールを思い出します。
“ラメセス2世の間”も、そのままカイロにありそうです。
先日テレビでギザに日本の援助で建てられた新しい博物館の一部を見ました。
歴史好きな観光客にまたエジプトへ来てもらう目的で造られたかのようで(笑)、私も再訪したくなりました。
美術や博物館がお好きなエンリケさんにとって、中身の濃いお時間を過ごされた最終日となりましたね。
見残しは次回に持ち越され、また新しい楽しみが増えますね。
町子
- エンリケさん からの返信 2023/02/06 00:23:26
- 再び世界へ旅立ちたいですね。
- 川岸 町子さん
こんばんは。
2014年のフランス旅行記、最後までご覧いただき、ありがとうございます。
この後にラオスやスリランカ、ネパールなど、独特な文化を持つ国を旅したせいで、そちらの方が刺激的だったため、こちらの旅行記を長らく放置していましたが、コロナ禍の巣ごもり期間を利用して、8年越しでようやく完成することができました。
> 2014年に行かれたのに、様々な事を覚えていらっしゃると驚きます。
> 旅の記憶や思い出が鮮明によみがえり、8年がかりで完成とは素晴らしいです!
いえいえ、わたしもだんだんと昔の旅の記憶が薄くなってきているところで(笑)、当時の旅のメモを捨てずにとっておいたことが、旅行記づくりに大いに役立ったところです。
やはり旅でメモをとるのは大事ですね。
> 私もルーブルは2回行ったのに、エジプト関連の展示は、ほとんど見ていないです。
> 彩色された“セティ1世を歓迎する女神ハトホル”は、さすがの美しさですね。
> 仰るようにルクソールを思い出します。
> “ラメセス2世の間”も、そのままカイロにありそうです。
ヨーロッパにおける古代エジプトの展示というと、どうしても大英博物館を思い出してしまいますが、ルーヴル美術館も意外にあるものですよね。
> 先日テレビでギザに日本の援助で建てられた新しい博物館の一部を見ました。
> 歴史好きな観光客にまたエジプトへ来てもらう目的で造られたかのようで(笑)、私も再訪したくなりました。
わたしもこの年始にエジプト関連のテレビ番組の中で、カイロの考古学博物館からギザの新博物館への宝物の移動セレモニーが壮麗に行われているのを見て、再びエジプトを訪れたい気持ちが高まっていたところでした。
> 美術や博物館がお好きなエンリケさんにとって、中身の濃いお時間を過ごされた最終日となりましたね。
> 見残しは次回に持ち越され、また新しい楽しみが増えますね。
新型コロナの感染症法上の位置づけが引き下げられる今年こそ、以前のように自由な気持ちで海外の旅を楽しみたいものです。
ただ、依然として燃油高が収まらないのが悩みの種ですが・・・。
-
- yunさん 2023/01/06 04:15:18
- 旅への想い
- エンリケさん
新年 すでにお仕事開始の頃でしょうか。
8年にわたる旅…
旅の記憶を大切に、最後まで旅行記仕上げられて一段落ですね。
エンリケさんの旅への想いを感じながら拝見。
ちょうどパリ滞在中、奇しくも先日ルーブル美術館をオリエント/エジプト展示を中心に歩いてきたばかりにて、うん!うん!と頷いてしまった。
しばしお留守だった“瀕死の奴隷”は定位置に戻っています。
(エンリケさんの再訪を待っているようですよ)
滞在中、もう一度訪問予定にて“メディシス・ギャラリー“をしっかり見学しようと考えており、予習させていただいてます。
パリへは飛行時間15時間超え、円安にてホテル代も一大事。
コロナ発生以来、続々と困難到来の時代。
現役世代の仕事と対価が見合う日本になる事を願ってやみません。
良き年になりますように。
yun
- エンリケさん からの返信 2023/01/07 23:15:47
- パリに行ってらっしゃるのですか?
- yunさん
こんばんは。
新年早々、ご訪問ありがとうございます。
yunさんはパリに行ってらっしゃるのですか?
それもルーヴル美術館を見学してきたばかりとは、なんとうらやましい。
こうして旅行記を作成していると、早く海外に行きたいという思いが募ってくるものですが、燃油高や物価高、さらには帰国時のワクチン接種証明の提示の必要性など、現実にはハードルが高く、なかなか踏み切れずにいるところです・・・。
> しばしお留守だった“瀕死の奴隷”は定位置に戻っています。
> (エンリケさんの再訪を待っているようですよ)
これまでフランスに行くたびに、ルーヴル美術館には訪れているので、まだ訪れていないフランスの地方を巡るついでに、ルーヴル美術館に再訪しようと考えているのですが、いつになるのやらです。
> パリへは飛行時間15時間超え、円安にてホテル代も一大事。
やはりそんな感じなのですね。
わたしの身の回りでは、コロナ禍以来、海外に行く方がとんといなくなってしまったもので、海外の実情が(テレビ番組で目にするいいトコばかりの情報は別として)全く入って来ないですね。
> コロナ発生以来、続々と困難到来の時代。
> 現役世代の仕事と対価が見合う日本になる事を願ってやみません。
> 良き年になりますように。
最近の国内政治の決断やスピードなどを見ていても、日本が世界に取り残される感が一層強まっているように思います・・・。
そんな閉塞感を打開しに、海外に飛び出してはみたいのだけれども、なかなかうまくは行きませんね・・・。
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