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2015年9月、2016年9月、2018年3月、3回ジャカルタを訪れました。<br />その経験からまとめた『空港アクセス・食事・おみやげ編』に続いて『観光編』をお届けします。<br /><br />ジャカルタは観光目的よりも、仕事で、はたまた乗り継ぎで滞在する方が多いのでは?<br />ぶどう畑は、ひょんなことからジャカルタを訪れる機会がありました。<br />行ってみたらイスラム教の習慣やら、オランダ統治時代の名残りやら、思った以上に興味深い街。<br /><br />そんなジャカルタの問題点は、観光には少々ハードル高いこと…。<br /><br />そのため、街歩きしてみたいと思われる方に向け、観光情報をお届けします。<br />なお、ぶどう畑目線の旅行記でありますので、そこは悪しからず。<br /><br />ちなみに、前編の『ジャカルタってどんなとこ?初心者目線の街歩き☆その1』では、<br /> 「空港から市内までの移動手段を知りたい」<br /> 「インドネシア料理、食べてみたいんだけど」<br /> 「気軽に食事できるとこ、ある?」<br /> 「お土産、オススメは?バティックって高いの?」<br />といったプチお悩みに役立つと思われる情報をまとめています。<br /><br />興味のある方は、以下のULRをご参照ください。<br /><空港アクセス・食事・おみやげ編><br />https://4travel.jp/travelogue/11736888<br /><br />【関連旅行記グループ】<br />https://4travel.jp/travelogue_group/2035<br />https://4travel.jp/travelogue_group/2023<br />https://4travel.jp/travelogue_group/2005

ジャカルタってどんなとこ?初心者目線の街歩き☆その2 オランダ統治~独立、イスラムに触れる観光編

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2023/01/02 - 2023/01/02

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旅行記グループ ジャカルタってどんなとこ?

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ぶどう畑

ぶどう畑さん

2015年9月、2016年9月、2018年3月、3回ジャカルタを訪れました。
その経験からまとめた『空港アクセス・食事・おみやげ編』に続いて『観光編』をお届けします。

ジャカルタは観光目的よりも、仕事で、はたまた乗り継ぎで滞在する方が多いのでは?
ぶどう畑は、ひょんなことからジャカルタを訪れる機会がありました。
行ってみたらイスラム教の習慣やら、オランダ統治時代の名残りやら、思った以上に興味深い街。

そんなジャカルタの問題点は、観光には少々ハードル高いこと…。

そのため、街歩きしてみたいと思われる方に向け、観光情報をお届けします。
なお、ぶどう畑目線の旅行記でありますので、そこは悪しからず。

ちなみに、前編の『ジャカルタってどんなとこ?初心者目線の街歩き☆その1』では、
 「空港から市内までの移動手段を知りたい」
 「インドネシア料理、食べてみたいんだけど」
 「気軽に食事できるとこ、ある?」
 「お土産、オススメは?バティックって高いの?」
といったプチお悩みに役立つと思われる情報をまとめています。

興味のある方は、以下のULRをご参照ください。
<空港アクセス・食事・おみやげ編>
https://4travel.jp/travelogue/11736888

【関連旅行記グループ】
https://4travel.jp/travelogue_group/2035
https://4travel.jp/travelogue_group/2023
https://4travel.jp/travelogue_group/2005

旅行の手配内容
個別手配
  • ぶどう畑のジャカルタ行きは、当時、ジャカルタに住んでいたイトコのMちゃんを訪ねてのこと。<br />オジが仕事で長年滞在し、父も出張で訪れた街、これは行かねばと。<br /><br />という表向きの理由以外に「ボロブドゥール遺跡への足掛かりにしよう」<br />なんて、ちょっとした邪心もあったけど。(^^;<br /><br />ともあれ、Mちゃんのおかげで、ぶどう畑はアチコチ行くことができましたが、少々ハードルの高い街ですので、お役立ち情報を提供できれば嬉しいです。

    ぶどう畑のジャカルタ行きは、当時、ジャカルタに住んでいたイトコのMちゃんを訪ねてのこと。
    オジが仕事で長年滞在し、父も出張で訪れた街、これは行かねばと。

    という表向きの理由以外に「ボロブドゥール遺跡への足掛かりにしよう」
    なんて、ちょっとした邪心もあったけど。(^^;

    ともあれ、Mちゃんのおかげで、ぶどう畑はアチコチ行くことができましたが、少々ハードルの高い街ですので、お役立ち情報を提供できれば嬉しいです。

  • では、観光編。<br />トップバッターは、独立記念塔の「モナス(MONAS-Monumen Nasional」です。<br /><br />ジャカルタに行ったなら「遠目でよいので」、その姿を眺めてください。<br />インドネシアの「独立」を象徴する塔だから、ぜひ!<br /><br />実は、「遠目でよいので」と言ったのにはワケがある。<br />塔に上るのは、意外と大変だから…。<br />日曜日は特に混むよう。月曜は休園です。<br /><br />ジャカルタ発日本語ツアーを利用する手もありますが、「塔に上りたい」とお考えの方は、車窓風景のみの場合も考えられますので、必ずその点をご確認ください。

    では、観光編。
    トップバッターは、独立記念塔の「モナス(MONAS-Monumen Nasional」です。

    ジャカルタに行ったなら「遠目でよいので」、その姿を眺めてください。
    インドネシアの「独立」を象徴する塔だから、ぜひ!

    実は、「遠目でよいので」と言ったのにはワケがある。
    塔に上るのは、意外と大変だから…。
    日曜日は特に混むよう。月曜は休園です。

    ジャカルタ発日本語ツアーを利用する手もありますが、「塔に上りたい」とお考えの方は、車窓風景のみの場合も考えられますので、必ずその点をご確認ください。

  • ここからは、自力で塔に行く場合のアクセス方法です。<br /><br />入口の門から塔まで、もちろん歩いても行けます。<br />が、一年中真夏のジャカルタ、楽ちんコースをお望みなら、トラムを利用できます。(^^)<br />往路は無料で、復路はモナスへの入場券を持っていないと乗れません。ご注意ください。入場した方は半券をなくさないように。<br /><br />トラムは南西のゲート近くから出発し、塔の近くの赤いテント前に着きます。<br /><br />赤いテントの近くの階段を地下に下りると、入場券売り場があります。<br />料金は、塔に上る or 上らないで異なります。<br /><br />切符を買ったら、金色に輝く地下通路へ。<br />この長~い通路、冷房が効いているので助かります。

    ここからは、自力で塔に行く場合のアクセス方法です。

    入口の門から塔まで、もちろん歩いても行けます。
    が、一年中真夏のジャカルタ、楽ちんコースをお望みなら、トラムを利用できます。(^^)
    往路は無料で、復路はモナスへの入場券を持っていないと乗れません。ご注意ください。入場した方は半券をなくさないように。

    トラムは南西のゲート近くから出発し、塔の近くの赤いテント前に着きます。

    赤いテントの近くの階段を地下に下りると、入場券売り場があります。
    料金は、塔に上る or 上らないで異なります。

    切符を買ったら、金色に輝く地下通路へ。
    この長~い通路、冷房が効いているので助かります。

  • 黄金の地下通路から地上に出ると、モナスがド~ン!<br />近くで見るモナスは、その大きさに圧倒されます!!<br />台座の下の部分、米粒のような人の姿で、塔の大きさがわかるかな?<br /><br />この「独立記念塔」は、スカルノ大統領の提案で建築が進められました。<br />定礎式は1961年8月17、1975年に完成。<br /><br />インドネシア独立記念日の「1945年8月17日」にちなみ、台座は45m×45m、台座の高さは17mだそうです。<br />そして、高さ137mの塔の外壁は、なんと、大理石!<br /><br />頂上部の炎は「消えることのない火(=永遠に燃え続ける火)」を意味し、独立当時のインドネシア国民の闘志を象徴しています。

    イチオシ

    黄金の地下通路から地上に出ると、モナスがド~ン!
    近くで見るモナスは、その大きさに圧倒されます!!
    台座の下の部分、米粒のような人の姿で、塔の大きさがわかるかな?

    この「独立記念塔」は、スカルノ大統領の提案で建築が進められました。
    定礎式は1961年8月17、1975年に完成。

    インドネシア独立記念日の「1945年8月17日」にちなみ、台座は45m×45m、台座の高さは17mだそうです。
    そして、高さ137mの塔の外壁は、なんと、大理石!

    頂上部の炎は「消えることのない火(=永遠に燃え続ける火)」を意味し、独立当時のインドネシア国民の闘志を象徴しています。

  • 地下通路からの階段(左上の写真の赤い矢印)を上がったら、地上の通路を歩いて台座にアクセスします。<br />トラムを降りた場所から塔への入口が見えているのに、そこから真っすぐ進んで台座に上ることはできないんです。<br /><br />ようやく台座に到着しても、長蛇の列が待ち受けています。<br /><br />インドネシアの独立の象徴ですから、地方から観光でジャカルタを訪れる人たちの観光スポットであり、かつ、子どもたちの社会見学の場。いつも混んでいます。<br /><br />この時は午前中に行ったので日影で並ぶことができましたが、午後は気温が上がるし、西日が当たる?熱中症にご注意ください。<br /><br />暑い中を並んで、ようやくエレベーターの入口に辿り着いても、定員数が少なくてまだろっこしい…。(x_x;

    地下通路からの階段(左上の写真の赤い矢印)を上がったら、地上の通路を歩いて台座にアクセスします。
    トラムを降りた場所から塔への入口が見えているのに、そこから真っすぐ進んで台座に上ることはできないんです。

    ようやく台座に到着しても、長蛇の列が待ち受けています。

    インドネシアの独立の象徴ですから、地方から観光でジャカルタを訪れる人たちの観光スポットであり、かつ、子どもたちの社会見学の場。いつも混んでいます。

    この時は午前中に行ったので日影で並ぶことができましたが、午後は気温が上がるし、西日が当たる?熱中症にご注意ください。

    暑い中を並んで、ようやくエレベーターの入口に辿り着いても、定員数が少なくてまだろっこしい…。(x_x;

  • 艱難辛苦を乗り越えて(?)、ようやく辿り着いた塔の上からの景色はこんな感じ。<br /><br />なお、グーグルマップで混雑状況をみると、夕方以降が空いているよう。<br />ジャカルタの夜景、結構、綺麗なのですが、夜のモナスが観光客にとって安全かどうかは保証の限りではありません。<br />すっかり日の暮れないうちが無難と思います。

    艱難辛苦を乗り越えて(?)、ようやく辿り着いた塔の上からの景色はこんな感じ。

    なお、グーグルマップで混雑状況をみると、夕方以降が空いているよう。
    ジャカルタの夜景、結構、綺麗なのですが、夜のモナスが観光客にとって安全かどうかは保証の限りではありません。
    すっかり日の暮れないうちが無難と思います。

  • モナスは台座部分にも見所があります。<br />そのひとつが「独立の広間」。<br /><br />「インドネシア独立宣言文」を読み上げるスカルノ大統領の肉声を聴けるとあって、社会見学の子どもたちがいっぱ~い。<br /><br />せっかくだから聴いてみたい肉声ですが、時間が決まっているのか、いないのか…。<br />ガイドブックには、「9時~15時まで毎時1回」と書かれていたのですけどね。<br />子どもたちが集合している時は、聴ける確率が高いと思われる。<br /><br />まぁ、聴けたらラッキーくらいに思うのが良さそうな。<br />ここはインドネシア、日本のようにキッチリを求めるのはムリ。<br /><br />ちなみに、読み上げる言葉はインドネシア語で、さっぱりわからずでした…。<br /><br />【関連旅行記】<br />3度目の正直のモナス、独立を宣言するスカルノの肉声を聴く! ジャカルタ・シンガポール2018の旅4-1<br />https://4travel.jp/travelogue/11375793

    モナスは台座部分にも見所があります。
    そのひとつが「独立の広間」。

    「インドネシア独立宣言文」を読み上げるスカルノ大統領の肉声を聴けるとあって、社会見学の子どもたちがいっぱ~い。

    せっかくだから聴いてみたい肉声ですが、時間が決まっているのか、いないのか…。
    ガイドブックには、「9時~15時まで毎時1回」と書かれていたのですけどね。
    子どもたちが集合している時は、聴ける確率が高いと思われる。

    まぁ、聴けたらラッキーくらいに思うのが良さそうな。
    ここはインドネシア、日本のようにキッチリを求めるのはムリ。

    ちなみに、読み上げる言葉はインドネシア語で、さっぱりわからずでした…。

    【関連旅行記】
    3度目の正直のモナス、独立を宣言するスカルノの肉声を聴く! ジャカルタ・シンガポール2018の旅4-1
    https://4travel.jp/travelogue/11375793

  • 台座の基底部内部は「歴史博物館」になっています。<br />古代から現代までのインドネシア史をジオラマで知ることができるので、興味があれば、こちらもどうぞ。<br /><br />【関連旅行記】<br />モナス、2度目のチャレンジ!こ、これは…☆見納めの夜景 ジャカルタ・シンガポール2018の旅3-2<br />https://4travel.jp/travelogue/11368654

    台座の基底部内部は「歴史博物館」になっています。
    古代から現代までのインドネシア史をジオラマで知ることができるので、興味があれば、こちらもどうぞ。

    【関連旅行記】
    モナス、2度目のチャレンジ!こ、これは…☆見納めの夜景 ジャカルタ・シンガポール2018の旅3-2
    https://4travel.jp/travelogue/11368654

  • モナスへの入口、トラム乗り場の近くには、屋台の並ぶホーカーセンターがあって、お土産を売る屋台も見かけました。<br />お腹に自信がないぶどう畑は、ジャカルタでは屋台は利用しませんでしたが。

    モナスへの入口、トラム乗り場の近くには、屋台の並ぶホーカーセンターがあって、お土産を売る屋台も見かけました。
    お腹に自信がないぶどう畑は、ジャカルタでは屋台は利用しませんでしたが。

  • 続いては、これもインドネシアを象徴する「イスティクラル・モスク」。<br />ぶどう畑は「ジャカルタ観光日本語ツアー」で訪れました。<br /><br />東南アジア最大規模を誇るイスラム教の礼拝堂「イスティクラル・モスク」は、1961年、スカルノ大統領により建設が開始され、完成したのは17年後のスハルト政権時代の1978年。<br /><br />「イスティクラル」とは、アラビア語で「独立」を意味します。<br />ここも独立記念塔の「モナス」同様、インドネシア独立を記念する建造物で、初代大統領のスカルノの想いに圧倒されました。

    続いては、これもインドネシアを象徴する「イスティクラル・モスク」。
    ぶどう畑は「ジャカルタ観光日本語ツアー」で訪れました。

    東南アジア最大規模を誇るイスラム教の礼拝堂「イスティクラル・モスク」は、1961年、スカルノ大統領により建設が開始され、完成したのは17年後のスハルト政権時代の1978年。

    「イスティクラル」とは、アラビア語で「独立」を意味します。
    ここも独立記念塔の「モナス」同様、インドネシア独立を記念する建造物で、初代大統領のスカルノの想いに圧倒されました。

  • モスク内は靴を脱いで見学します。<br />肌の露出が多い場合は、羽織るための服が用意されています。<br /><br />イスラム教徒は、礼拝前に前に手や足を洗ったり、口をゆすいだりします。<br />写真下は、そのお清めの場所。<br /><br />見学者にそれは求められませんが、かれこれ30年以上前、今ほど観光スポットでなかったシンガポール・アラブ人街のモスクに行った時、「モスクに入るならこうするもんだ」と信者のオジサンに厳しい表情で諭された経験が…。(~~;

    モスク内は靴を脱いで見学します。
    肌の露出が多い場合は、羽織るための服が用意されています。

    イスラム教徒は、礼拝前に前に手や足を洗ったり、口をゆすいだりします。
    写真下は、そのお清めの場所。

    見学者にそれは求められませんが、かれこれ30年以上前、今ほど観光スポットでなかったシンガポール・アラブ人街のモスクに行った時、「モスクに入るならこうするもんだ」と信者のオジサンに厳しい表情で諭された経験が…。(~~;

  • モスクの礼拝の場所に入れるのはイスラム教徒に限り、かつ、中心部に入れるのは男性のみ。<br /><br />教徒ではない場合、見学できる場所が限られるなど、見学には禁止事項がいろいろあることをご留意ください。<br /><br />このニャンはイスラム教徒のオス?<br />わがもの顔でモスクに出入り。(笑)<br /><br />ちなみに、ぶどう畑は半日の「ジャカルタ観光日本語ツアー」を利用して、モスクを見学。<br />ガイドさんの日本語は怪しい部分もあったけれど、イスラム教徒ならではのとても興味深い話を聴くことができてラッキーでした。

    モスクの礼拝の場所に入れるのはイスラム教徒に限り、かつ、中心部に入れるのは男性のみ。

    教徒ではない場合、見学できる場所が限られるなど、見学には禁止事項がいろいろあることをご留意ください。

    このニャンはイスラム教徒のオス?
    わがもの顔でモスクに出入り。(笑)

    ちなみに、ぶどう畑は半日の「ジャカルタ観光日本語ツアー」を利用して、モスクを見学。
    ガイドさんの日本語は怪しい部分もあったけれど、イスラム教徒ならではのとても興味深い話を聴くことができてラッキーでした。

  • では、内部をご紹介しましょう。<br />モスクのドームは直径45m。<br />インドネシアが独立した1945年にちなんでいます。<br />大きい!そして、綺麗です!

    イチオシ

    では、内部をご紹介しましょう。
    モスクのドームは直径45m。
    インドネシアが独立した1945年にちなんでいます。
    大きい!そして、綺麗です!

  • ドームを支えているのは、巨大な12本の柱。<br />「12」は、アラーの使途「ムハンマド」が生まれた日にちなんでいます。<br />人の大きさで、柱の太さがわかりますね。<br /><br />柱の足元に置かれているのは、たぶんコーラン。<br />コーランに書かれていることは膨大なため、週に1回はモスクに来て、アラーの神の教えを乞うのだそうです。

    ドームを支えているのは、巨大な12本の柱。
    「12」は、アラーの使途「ムハンマド」が生まれた日にちなんでいます。
    人の大きさで、柱の太さがわかりますね。

    柱の足元に置かれているのは、たぶんコーラン。
    コーランに書かれていることは膨大なため、週に1回はモスクに来て、アラーの神の教えを乞うのだそうです。

  • イスラム教徒には、課せられた5つの義務があるそうです。<br /><br /> ・アラーのほかに神はなく、使徒であるムハンマドをあがめる<br /> ・1日に5回礼拝をする<br /> ・貧しい人々に分け与える<br /> ・断食を行う<br /> ・少なくとも一生に一度、メッカ巡礼に行く<br /><br />イスラム教徒に課せられた義務が5つであることから、モスクの主棟は5階建て。

    イスラム教徒には、課せられた5つの義務があるそうです。

     ・アラーのほかに神はなく、使徒であるムハンマドをあがめる
     ・1日に5回礼拝をする
     ・貧しい人々に分け与える
     ・断食を行う
     ・少なくとも一生に一度、メッカ巡礼に行く

    イスラム教徒に課せられた義務が5つであることから、モスクの主棟は5階建て。

  • モスクの壁面は、品質の高さが買われた日本製のステンレスです。<br />自然の風が入り、自然の光が射し込みます。

    モスクの壁面は、品質の高さが買われた日本製のステンレスです。
    自然の風が入り、自然の光が射し込みます。

  • ここで、ガイドさんから聞いた「メッカの巡礼」の話を少々。<br /><br />メッカへの巡礼者は人数をコントロールしているため、毎年、申請が必要なのだそうです。<br /><br />今年メッカに行けた人は来年の申請から外されるとか、何年も行けない人は優先されるとか、そういった優遇措置は一切ナシ。毎年、ゼロからの出発なんだとか。<br /><br />そのため、海外に移住する人もいるらしいです。<br />イスラム教徒の人数が少ない国なら確率が高まるため、ドイツに移住した人は、すぐにメッカに行けたとのこと。<br /><br />「インドネシアのイスラム教徒は増える一方で、メッカに行ける確率は低いけれど、それも神の思し召しだから」とガイドさんは言ってました。

    ここで、ガイドさんから聞いた「メッカの巡礼」の話を少々。

    メッカへの巡礼者は人数をコントロールしているため、毎年、申請が必要なのだそうです。

    今年メッカに行けた人は来年の申請から外されるとか、何年も行けない人は優先されるとか、そういった優遇措置は一切ナシ。毎年、ゼロからの出発なんだとか。

    そのため、海外に移住する人もいるらしいです。
    イスラム教徒の人数が少ない国なら確率が高まるため、ドイツに移住した人は、すぐにメッカに行けたとのこと。

    「インドネシアのイスラム教徒は増える一方で、メッカに行ける確率は低いけれど、それも神の思し召しだから」とガイドさんは言ってました。

  • 電光掲示板に示されているのは、お祈りの時間です。<br />1日5回の礼拝の時間がわかるようになっていました。<br /><br />Subuh(夜明け前)<br />Zuhur(昼12時頃)<br />Asar(午後3時頃)<br />Magrib(夕方6時頃)<br />Isya(夜8時頃)<br /><br />お祈りの時間、太陽の位置によって決まり、毎日微妙に異なることから、礼拝の時間が近づくと、お祈りを促す「アザーン」流れます。<br /><br />ラマダン期間中は、日の出~日没までの飲食が禁止になります。<br />なので、1日の始まりの食事は、左上の「Imasak」時間までに終えなければならないらしい。

    電光掲示板に示されているのは、お祈りの時間です。
    1日5回の礼拝の時間がわかるようになっていました。

    Subuh(夜明け前)
    Zuhur(昼12時頃)
    Asar(午後3時頃)
    Magrib(夕方6時頃)
    Isya(夜8時頃)

    お祈りの時間、太陽の位置によって決まり、毎日微妙に異なることから、礼拝の時間が近づくと、お祈りを促す「アザーン」流れます。

    ラマダン期間中は、日の出~日没までの飲食が禁止になります。
    なので、1日の始まりの食事は、左上の「Imasak」時間までに終えなければならないらしい。

  • お祈りの隊列は、ランダムはダメようですね。<br />真ん中を起点として左右に立つように決められているのかな。

    お祈りの隊列は、ランダムはダメようですね。
    真ん中を起点として左右に立つように決められているのかな。

  • 先ほども触れましたが、モスクの真ん中のスペースに入ることができるのは、信者の男性のみ。<br /><br />女性のお祈りの場所は、仕切りの向こうの左側がスペース。<br />もしくは、私たちが見学している場所なのだそう。<br /><br />アラブ世界では、女性の外出をヨシとしないので、女性は家でお祈りをします。<br />だから、そんなにスペースが要らないってのが理由らしいけど…。

    先ほども触れましたが、モスクの真ん中のスペースに入ることができるのは、信者の男性のみ。

    女性のお祈りの場所は、仕切りの向こうの左側がスペース。
    もしくは、私たちが見学している場所なのだそう。

    アラブ世界では、女性の外出をヨシとしないので、女性は家でお祈りをします。
    だから、そんなにスペースが要らないってのが理由らしいけど…。

  • ドーム外のだだっ広い場所もお祈りの場。<br />一人ひとりのスペースを区切る線が、床に引かれています。<br /><br />このモスクの収容人数は、12万人以上。<br />東京ドームの収容人数が5万5千人ですから、12万は、その倍以上です。<br />ドーム内のスペースは限られているため、ドーム外にもお祈りの場所が設けられているってこと。<br /><br />奥にそびえる尖塔「ミナレット」は、イスラム晴天の節の数をとって、高さ「6666cm」。<br />上部の円盤部分から、アザーンが流れます。<br />今はスピーカーですが、かつては肉声だったそうな。

    ドーム外のだだっ広い場所もお祈りの場。
    一人ひとりのスペースを区切る線が、床に引かれています。

    このモスクの収容人数は、12万人以上。
    東京ドームの収容人数が5万5千人ですから、12万は、その倍以上です。
    ドーム内のスペースは限られているため、ドーム外にもお祈りの場所が設けられているってこと。

    奥にそびえる尖塔「ミナレット」は、イスラム晴天の節の数をとって、高さ「6666cm」。
    上部の円盤部分から、アザーンが流れます。
    今はスピーカーですが、かつては肉声だったそうな。

  • ガイドさんから聞いた話をもうひとつ。<br /><br />ぶどう畑がモスクを訪れた2016年9月5日の一週間後、9月12日はイスラム教の祝日で、「犠牲祭(Eid al-Adha)」が行われるということでした。<br />犠牲祭は、アラーの神の熱心な信者「アブラハム」をたたえるお祭りです。<br /><br />そのお話は…。<br />アブラハムと妻のサラの間には子どもができませんでした。<br />ところが、100歳のアブラハムと90歳のサラの時、神のお告げにより息子が授かります。<br />子どもは「イサク」と名付けました。<br /><br />ある時、アブラハムは神から、息子のイサクを自分のいけにえにするように言われました。<br /><br />山の頂上に着き、アブラハムがイサクにナイフを振りかざした時、天使が現れ、「イサクを殺してはならない。その子羊を代わりにいけにえにしなさい」と告げました。<br /><br />これにちなみ、犠牲祭の日は、羊や山羊、牛を、神に捧げる儀式が行われます。<br />屠殺した肉は、人々に分け与えられるため、犠牲祭日は、イスティクラル・モスクにたくさんの人が訪れるそうです。<br /><br />その話を聞いた時は「そんなお祭りがあるんだ」くらいにしか思っていませんでしたが、その2日後、いきなり現実味を帯びて目の前に突き付けられました。<br /><br />バティック染め体験で「繊維博物館」に行った帰り、道端に牛やら山羊やらがつながれているのを目撃。<br />それらは、なんと、犠牲祭のいけにえだったのです。えぇぇぇぇーーーーー!!!<br /><br />寄進するいけにえが、こんな風に道端で売られているなんて…。愕然としました。<br /><br />屠殺はイスティクラル・モスクだけと思い込んでいましたが、街中のアチコチにあるモスクで行われるため、牛やら山羊やらの販売所もアチコチにできるとのこと。<br /><br />最近はお金による寄付に変わってきているらしいけれど、ラマダン明けのお祭りとともに、イスラム教の重要な「犠牲祭」は、ずっと続くのでしょうね。<br />ベジタリアンではないけれど、とても複雑な思いがします。<br /><br />なお、イスラム教の「ヒジュラ暦」の1年は354年ですので、断食のラマダンも、犠牲祭もその年によって異なります。<br />2016年は9月でしたが、2022年は7月8日~7月12日といった具合。<br /><br />【関連旅行記】<br />アンティーク、イスラム教、オランダ統治、半日ツアーでジャカルタを識る! ジャカルタ・シンガポール2016の旅2-1<br />https://4travel.jp/travelogue/11174237

    ガイドさんから聞いた話をもうひとつ。

    ぶどう畑がモスクを訪れた2016年9月5日の一週間後、9月12日はイスラム教の祝日で、「犠牲祭(Eid al-Adha)」が行われるということでした。
    犠牲祭は、アラーの神の熱心な信者「アブラハム」をたたえるお祭りです。

    そのお話は…。
    アブラハムと妻のサラの間には子どもができませんでした。
    ところが、100歳のアブラハムと90歳のサラの時、神のお告げにより息子が授かります。
    子どもは「イサク」と名付けました。

    ある時、アブラハムは神から、息子のイサクを自分のいけにえにするように言われました。

    山の頂上に着き、アブラハムがイサクにナイフを振りかざした時、天使が現れ、「イサクを殺してはならない。その子羊を代わりにいけにえにしなさい」と告げました。

    これにちなみ、犠牲祭の日は、羊や山羊、牛を、神に捧げる儀式が行われます。
    屠殺した肉は、人々に分け与えられるため、犠牲祭日は、イスティクラル・モスクにたくさんの人が訪れるそうです。

    その話を聞いた時は「そんなお祭りがあるんだ」くらいにしか思っていませんでしたが、その2日後、いきなり現実味を帯びて目の前に突き付けられました。

    バティック染め体験で「繊維博物館」に行った帰り、道端に牛やら山羊やらがつながれているのを目撃。
    それらは、なんと、犠牲祭のいけにえだったのです。えぇぇぇぇーーーーー!!!

    寄進するいけにえが、こんな風に道端で売られているなんて…。愕然としました。

    屠殺はイスティクラル・モスクだけと思い込んでいましたが、街中のアチコチにあるモスクで行われるため、牛やら山羊やらの販売所もアチコチにできるとのこと。

    最近はお金による寄付に変わってきているらしいけれど、ラマダン明けのお祭りとともに、イスラム教の重要な「犠牲祭」は、ずっと続くのでしょうね。
    ベジタリアンではないけれど、とても複雑な思いがします。

    なお、イスラム教の「ヒジュラ暦」の1年は354年ですので、断食のラマダンも、犠牲祭もその年によって異なります。
    2016年は9月でしたが、2022年は7月8日~7月12日といった具合。

    【関連旅行記】
    アンティーク、イスラム教、オランダ統治、半日ツアーでジャカルタを識る! ジャカルタ・シンガポール2016の旅2-1
    https://4travel.jp/travelogue/11174237

  • モスクの開館時間は、グーグルマップによると、月~木は4時~12時、土曜は4時~23時、日曜は休みのよう。<br />金曜日は11時から礼拝があるため、見学はできません。<br /><br />モスクは、独立記念塔「モナス」からほど近い場所にあります。<br />モナスの北東のゲートから出ることができるなら、塔から徒歩10分程度で行けるようです。<br />歩いて行くつもりなら、北東のゲートが開いているかどうかを確認してください。

    モスクの開館時間は、グーグルマップによると、月~木は4時~12時、土曜は4時~23時、日曜は休みのよう。
    金曜日は11時から礼拝があるため、見学はできません。

    モスクは、独立記念塔「モナス」からほど近い場所にあります。
    モナスの北東のゲートから出ることができるなら、塔から徒歩10分程度で行けるようです。
    歩いて行くつもりなら、北東のゲートが開いているかどうかを確認してください。

  • モスク見学後は「ジャカルタ大聖堂」はいかが?<br /><br />「モナス」や「イスティクラル・モスク」ほど、ぜひ訪れて欲しいスポットではないけれど、モスクの目の前にあるんです。

    モスク見学後は「ジャカルタ大聖堂」はいかが?

    「モナス」や「イスティクラル・モスク」ほど、ぜひ訪れて欲しいスポットではないけれど、モスクの目の前にあるんです。

  • モスクと向かい合うように、2つの尖塔がそびえる教会が建っています。<br />それがローマカトリックの「ジャカルタ大聖堂」。<br /><br />前身となる礼拝堂は1810年からあり、火災などによって、オランダ統治時代の1901年、現在の姿になったそうです。

    イチオシ

    モスクと向かい合うように、2つの尖塔がそびえる教会が建っています。
    それがローマカトリックの「ジャカルタ大聖堂」。

    前身となる礼拝堂は1810年からあり、火災などによって、オランダ統治時代の1901年、現在の姿になったそうです。

  • ここも「ジャカルタ観光日本語ツアー」で訪れました。<br />向かいのイスティクラル・モスクのあとに訪れた教会、その中に入ると、イスラムから一転、ヨーロッパさながら。(・o・)

    ここも「ジャカルタ観光日本語ツアー」で訪れました。
    向かいのイスティクラル・モスクのあとに訪れた教会、その中に入ると、イスラムから一転、ヨーロッパさながら。(・o・)

  • 祭壇、身廊と側廊の間に並ぶコロネード(列柱)、側廊に描かれた壁画、ジャカルタにいることを忘れます。

    祭壇、身廊と側廊の間に並ぶコロネード(列柱)、側廊に描かれた壁画、ジャカルタにいることを忘れます。

  • そんな教会の中、「I Love Jakarta」と書かれたTシャツを着た人がせっせと作業をしていました。<br /><br />椅子の座面と背もたれがメッシュになっていて、どうやら、そのメッシュ部分を修繕しているよう。<br />一年中暑いジャカルタらしいね。

    そんな教会の中、「I Love Jakarta」と書かれたTシャツを着た人がせっせと作業をしていました。

    椅子の座面と背もたれがメッシュになっていて、どうやら、そのメッシュ部分を修繕しているよう。
    一年中暑いジャカルタらしいね。

  • 天井に目をやれば、そこにもジャカルタらしさが。<br />ヨーロッパでは天井は漆喰で、そこに宗教画が描かれていたりしますが、木の天井に重厚さを感じます。<br /><br />【関連旅行記】<br />アンティーク、イスラム教、オランダ統治、半日ツアーでジャカルタを識る! ジャカルタ・シンガポール2016の旅2-1<br />https://4travel.jp/travelogue/11174237

    天井に目をやれば、そこにもジャカルタらしさが。
    ヨーロッパでは天井は漆喰で、そこに宗教画が描かれていたりしますが、木の天井に重厚さを感じます。

    【関連旅行記】
    アンティーク、イスラム教、オランダ統治、半日ツアーでジャカルタを識る! ジャカルタ・シンガポール2016の旅2-1
    https://4travel.jp/travelogue/11174237

  • インドネシアの文化・歴史を知るスポットとして、もうひとつ、「国立博物館」があります。<br /><br />独立記念塔「モナス」の周辺は、イスティクラル・モスク、ジャカルタ大聖堂、そして国立博物館と、ジャカルタの見所が集中しています。

    インドネシアの文化・歴史を知るスポットとして、もうひとつ、「国立博物館」があります。

    独立記念塔「モナス」の周辺は、イスティクラル・モスク、ジャカルタ大聖堂、そして国立博物館と、ジャカルタの見所が集中しています。

  • 写真は、国立博物館の入口前の青銅の象。<br />1871年、タイの「チュラロンコーン大王(ラーマ5世)」から寄贈されたものだそうです。<br /><br />ここは、日本語ボランティアの方々によるガイドがある日に訪れることを強くオススメします。<br /><br />博物館は旧館と新館からなり、旧館の展示物の説明に限られますが、民族、陶器、遺跡について、3人のボランティアの方からそれぞれの詳しい説明を聴くことができました。<br /><br />現在、ガイドは休止していると思われますが、日本人観光客が戻ってきた暁には、ぜひ、再開して欲しいと願います。

    イチオシ

    写真は、国立博物館の入口前の青銅の象。
    1871年、タイの「チュラロンコーン大王(ラーマ5世)」から寄贈されたものだそうです。

    ここは、日本語ボランティアの方々によるガイドがある日に訪れることを強くオススメします。

    博物館は旧館と新館からなり、旧館の展示物の説明に限られますが、民族、陶器、遺跡について、3人のボランティアの方からそれぞれの詳しい説明を聴くことができました。

    現在、ガイドは休止していると思われますが、日本人観光客が戻ってきた暁には、ぜひ、再開して欲しいと願います。

  • 説明を聴き、まず認識をあらたにしたのは、地理と民族でした。<br /><br />インドネシアは約5000kmと東西に非常に長く、タイムゾーンが3つもあります。<br />アメリカ合衆国の約4500Kmよりも長いってこと。<br /><br />大小さまざまな島が点在し、その数、13,466 と世界最多。<br />これらの島々に、約300の民族が暮らしている多民族国家です。<br /><br />インドネシアという1つの国にまとまっているほうが、不思議になってきます。(*。*)

    説明を聴き、まず認識をあらたにしたのは、地理と民族でした。

    インドネシアは約5000kmと東西に非常に長く、タイムゾーンが3つもあります。
    アメリカ合衆国の約4500Kmよりも長いってこと。

    大小さまざまな島が点在し、その数、13,466 と世界最多。
    これらの島々に、約300の民族が暮らしている多民族国家です。

    インドネシアという1つの国にまとまっているほうが、不思議になってきます。(*。*)

  • インドネシアの伝統的文化のコーナー<br /><br />写真上:影絵のお芝居のワヤン・クリ。<br />ワヤン(Wayang)は影を、クリ(Kulit)は皮を意味し、人形は水牛の皮で作られます。<br />影絵の話は、古代インドの壮大な叙事詩「ラーマーヤナ」など。<br />ダランと呼ばれる人形遣いが1人でいくつもの声色を使い分けて、人形を操ります。<br /><br />写真左下:ガムランの楽器。<br />ワヤン・クリは「ガムラン」を伴奏に夜8時頃から始まって、夜明けまで続くのだとか。<br />人形遣いも、ガムランを演奏する人も体力勝負。<br /><br />写真右下:聖獣「バロン」と魔女「ランダ」。<br />バロンは善の象徴で、魔女ランダは悪の象徴。<br />この2つの戦いは、どちらかが勝つということはありません。<br />この世は善と悪のバランスで保たれているからだそうです。

    インドネシアの伝統的文化のコーナー

    写真上:影絵のお芝居のワヤン・クリ。
    ワヤン(Wayang)は影を、クリ(Kulit)は皮を意味し、人形は水牛の皮で作られます。
    影絵の話は、古代インドの壮大な叙事詩「ラーマーヤナ」など。
    ダランと呼ばれる人形遣いが1人でいくつもの声色を使い分けて、人形を操ります。

    写真左下:ガムランの楽器。
    ワヤン・クリは「ガムラン」を伴奏に夜8時頃から始まって、夜明けまで続くのだとか。
    人形遣いも、ガムランを演奏する人も体力勝負。

    写真右下:聖獣「バロン」と魔女「ランダ」。
    バロンは善の象徴で、魔女ランダは悪の象徴。
    この2つの戦いは、どちらかが勝つということはありません。
    この世は善と悪のバランスで保たれているからだそうです。

  • とがった屋根が特徴的な西スマトラの家。<br />このとんがりには、言い伝えがあります。<br /><br />昔、ジャワとスマトラが争っていましたが、人間同士の戦いを避けるために、水牛を戦わせることになりました。<br /><br />ジャワはもっとも凶暴な水牛を、一方のスマトラが選んだのは、意外にも水牛の赤ちゃん。<br />赤ちゃん水牛は、まだ角も生えていないため、角の代わりに刀をつけてよいことになりました。<br /><br />戦いが始まると、赤ちゃん水牛はお乳欲しさに、大きな水牛のお腹の下に潜り込み、ジャワの水牛は赤ちゃん水牛の刀でお腹を切り裂かれてしまいました。<br />結果はスマトラの勝利!<br /><br />屋根のとんがりは、水牛の赤ちゃんが角代わりにつけた刀をモチーフとしているんだとか。<br /><br />このあと、陶器や発掘された土器のコーナーを見学。<br />オランダに統治されていたインドネシアですから、「オランダ・東インド会社(Verenigde Oostindische Compagnie)」が発注した「VOC」のロゴ入り磁器もありました。

    とがった屋根が特徴的な西スマトラの家。
    このとんがりには、言い伝えがあります。

    昔、ジャワとスマトラが争っていましたが、人間同士の戦いを避けるために、水牛を戦わせることになりました。

    ジャワはもっとも凶暴な水牛を、一方のスマトラが選んだのは、意外にも水牛の赤ちゃん。
    赤ちゃん水牛は、まだ角も生えていないため、角の代わりに刀をつけてよいことになりました。

    戦いが始まると、赤ちゃん水牛はお乳欲しさに、大きな水牛のお腹の下に潜り込み、ジャワの水牛は赤ちゃん水牛の刀でお腹を切り裂かれてしまいました。
    結果はスマトラの勝利!

    屋根のとんがりは、水牛の赤ちゃんが角代わりにつけた刀をモチーフとしているんだとか。

    このあと、陶器や発掘された土器のコーナーを見学。
    オランダに統治されていたインドネシアですから、「オランダ・東インド会社(Verenigde Oostindische Compagnie)」が発注した「VOC」のロゴ入り磁器もありました。

  • 続いては遺跡のコーナー。<br />写真は博物館の中庭で、ヒンドゥー教のシンボルのひとつ「ヨニ」や、シヴァ神の乗り物、牛の「ナンディ」が展示されています。

    続いては遺跡のコーナー。
    写真は博物館の中庭で、ヒンドゥー教のシンボルのひとつ「ヨニ」や、シヴァ神の乗り物、牛の「ナンディ」が展示されています。

  • 屋内にも、ジャワ各地から出土したヒンドゥ教や仏教の石像などがたくさん!<br /><br />写真左上:シヴァの息子のガネーシャ、頭が象。<br /><br />写真左中:Suhita女王、とても綺麗な像ですね。<br /><br />写真左下:真ん中のレリーフはシヴァと妻のドゥルガー<br />ドゥルガーは外見は優美で美しいが、実際は恐るべき戦いの女神。<br /><br />写真右上:ブラフマー<br />ブラフマーはヒンドゥー教の三大神のひとりで、乗り物は、水鳥ハンサ。<br />4つの顔と、残念ながらこの像の腕は欠けていますが4本の腕を持っています。<br /><br />写真下真ん中:バイラヴァ<br />死体と骸骨を踏みつけて立つ像は4.14mの高さ。<br />発見された時は、地面に埋もれていたそうです。<br /><br />写真右下:真ん中の彫刻はカーラ<br />ヒンドゥー遺跡の門などに、このギョロ目の彫刻がほどこされていたりします。

    屋内にも、ジャワ各地から出土したヒンドゥ教や仏教の石像などがたくさん!

    写真左上:シヴァの息子のガネーシャ、頭が象。

    写真左中:Suhita女王、とても綺麗な像ですね。

    写真左下:真ん中のレリーフはシヴァと妻のドゥルガー
    ドゥルガーは外見は優美で美しいが、実際は恐るべき戦いの女神。

    写真右上:ブラフマー
    ブラフマーはヒンドゥー教の三大神のひとりで、乗り物は、水鳥ハンサ。
    4つの顔と、残念ながらこの像の腕は欠けていますが4本の腕を持っています。

    写真下真ん中:バイラヴァ
    死体と骸骨を踏みつけて立つ像は4.14mの高さ。
    発見された時は、地面に埋もれていたそうです。

    写真右下:真ん中の彫刻はカーラ
    ヒンドゥー遺跡の門などに、このギョロ目の彫刻がほどこされていたりします。

  • 新館には「ジャワ原人」のコーナーがあります。<br />上階には、宝物などを展示するコーナーも。<br /><br />さほど広くない博物館ですので、時間のある方は新館もどうぞ。<br /><br />【関連旅行記】<br />国立博物館でインドネシアを識る!華僑のパワーに圧倒されたチャイナタウン ジャカルタ・シンガポール2016の旅3<br />https://4travel.jp/travelogue/11180094

    新館には「ジャワ原人」のコーナーがあります。
    上階には、宝物などを展示するコーナーも。

    さほど広くない博物館ですので、時間のある方は新館もどうぞ。

    【関連旅行記】
    国立博物館でインドネシアを識る!華僑のパワーに圧倒されたチャイナタウン ジャカルタ・シンガポール2016の旅3
    https://4travel.jp/travelogue/11180094

  • 次なるスポットは「コタ地区」。<br /><br />インドネシアは、1942年に日本軍が統治するまで、16世紀末から約300年間、オランダが統治していました。<br />その植民地時代の雰囲気を気軽に味わえる「ファタヒラ広場」周辺をご紹介します。<br /><br />この広~いスペースが「ファタヒラ広場」。<br /><br />この広場、バタヴィア広場だったり、ファタヒラ広場だったりしますが、同じ場所を指しています。<br /><br />ちなみに、かつてジャカルタは、「スンダ・クラパ」と呼ばれていました。<br />オランダ統治前1527年にバンテン王国のスルタン「ファタフィラ」がジャカルタを征服すると、スンダ・クラパから「ジャヤカルタ (Djajakarta)」 と改名されます。<br /><br />そして、オランダの植民地時代には、オランダの先住民「バタヴィ」にちなんで「バタヴィア」に。<br /><br />バタヴィア、ファタヒラ、いずれもジャカルタに関連する言葉ながら、使い分けられている理由がぶどう畑にはよくわからず…。(-.-)

    次なるスポットは「コタ地区」。

    インドネシアは、1942年に日本軍が統治するまで、16世紀末から約300年間、オランダが統治していました。
    その植民地時代の雰囲気を気軽に味わえる「ファタヒラ広場」周辺をご紹介します。

    この広~いスペースが「ファタヒラ広場」。

    この広場、バタヴィア広場だったり、ファタヒラ広場だったりしますが、同じ場所を指しています。

    ちなみに、かつてジャカルタは、「スンダ・クラパ」と呼ばれていました。
    オランダ統治前1527年にバンテン王国のスルタン「ファタフィラ」がジャカルタを征服すると、スンダ・クラパから「ジャヤカルタ (Djajakarta)」 と改名されます。

    そして、オランダの植民地時代には、オランダの先住民「バタヴィ」にちなんで「バタヴィア」に。

    バタヴィア、ファタヒラ、いずれもジャカルタに関連する言葉ながら、使い分けられている理由がぶどう畑にはよくわからず…。(-.-)

  • ムツカシイ話はさておき、カラフルな貸自転車のあるこの広場、かつてジャカルタの中心地だっただけあって、植民地時代の立派な建物が並んでいます。

    ムツカシイ話はさておき、カラフルな貸自転車のあるこの広場、かつてジャカルタの中心地だっただけあって、植民地時代の立派な建物が並んでいます。

  • 「ジャカルタ歴史博物館」<br />オランダ統治時代の1627年、市庁舎として建てられました。

    「ジャカルタ歴史博物館」
    オランダ統治時代の1627年、市庁舎として建てられました。

  • 白いドームの向こうは、インドネシアの伝統芸能、影絵の「ワヤン博物館」。<br />建物は、かつて、プロテスタント教会だったとか。<br /><br />白いドームがある場所は、かつての処刑場。<br />今は歴史博物館になっている市庁舎の2階から、処刑の様子を確認したそうです。<br />平和そうに見える広場に、ダークな部分が…。

    イチオシ

    白いドームの向こうは、インドネシアの伝統芸能、影絵の「ワヤン博物館」。
    建物は、かつて、プロテスタント教会だったとか。

    白いドームがある場所は、かつての処刑場。
    今は歴史博物館になっている市庁舎の2階から、処刑の様子を確認したそうです。
    平和そうに見える広場に、ダークな部分が…。

  • 現役の郵便局。<br />入口近くに、オランダ植民地時代の名残が。<br />オランダ語のメイルボックスを意味する「BRIEVEBUS」と書かれたオレンジ色のポストです。

    現役の郵便局。
    入口近くに、オランダ植民地時代の名残が。
    オランダ語のメイルボックスを意味する「BRIEVEBUS」と書かれたオレンジ色のポストです。

  • ぶどう畑的には、なんといってもこの「カフェ・バタヴィア」が、この広場のイチオシ!<br />郵便局の並びです。<br /><br />1800年前半、オランダ・東インド会社の事務所、宿泊施設として建設され、<br />1993年に「カフェ・バタヴィア」に生まれ変わりました。

    ぶどう畑的には、なんといってもこの「カフェ・バタヴィア」が、この広場のイチオシ!
    郵便局の並びです。

    1800年前半、オランダ・東インド会社の事務所、宿泊施設として建設され、
    1993年に「カフェ・バタヴィア」に生まれ変わりました。

  • 店内に入ると、レトロな世界が広がっています!

    イチオシ

    店内に入ると、レトロな世界が広がっています!

  • 映画に出てきそうなステージ。

    映画に出てきそうなステージ。

  • たくさんの写真が飾られた階段を上って2階へ。

    たくさんの写真が飾られた階段を上って2階へ。

  • バーカウンターがありました。これまた雰囲気がある!

    バーカウンターがありました。これまた雰囲気がある!

  • その奥が、メインダイニングホール「グランドサロン」。

    その奥が、メインダイニングホール「グランドサロン」。

  • 窓際の席に座れれば、ファタヒラ広場を眺めながらのティー・タイムが楽しめますよ~♪

    窓際の席に座れれば、ファタヒラ広場を眺めながらのティー・タイムが楽しめますよ~♪

  • ここのトイレ、特徴的と聞いていたので、入ってみました。<br /><br />便器に座ると、正面がガラス…。<br />(写真は鏡に映った壁面と自分を撮っています)<br /><br />女子トイレはこの程度(?)で済むのですが、男子トイレは、小の便器がなくて、ガラスに向かって用を足すんだとか。(^^;

    ここのトイレ、特徴的と聞いていたので、入ってみました。

    便器に座ると、正面がガラス…。
    (写真は鏡に映った壁面と自分を撮っています)

    女子トイレはこの程度(?)で済むのですが、男子トイレは、小の便器がなくて、ガラスに向かって用を足すんだとか。(^^;

  • 個室の話はさておいて、ここでもまたタイムスリップ。<br />お化粧直しをしているのは、従業員の方でしょうか。<br />映画のワンシーンを観ているようでした。<br /><br />【関連旅行記】<br />コタ駅を見学☆コロニアルの雰囲気漂うバタヴィア・カフェ、そのトイレは… ジャカルタ・シンガポール2018の旅2-2<br />https://4travel.jp/travelogue/11361223

    個室の話はさておいて、ここでもまたタイムスリップ。
    お化粧直しをしているのは、従業員の方でしょうか。
    映画のワンシーンを観ているようでした。

    【関連旅行記】
    コタ駅を見学☆コロニアルの雰囲気漂うバタヴィア・カフェ、そのトイレは… ジャカルタ・シンガポール2018の旅2-2
    https://4travel.jp/travelogue/11361223

  • 広場の近くには、見所がほかにもいろいろ♪<br />「コタ駅」もそのひとつ。<br /><br />広場の南東の入口を出ると、右手、道の奥に半円のファサードの建物がすぐに見えます。<br />それが、現在、ジャカルタの通勤を支えている「コタ駅」。

    広場の近くには、見所がほかにもいろいろ♪
    「コタ駅」もそのひとつ。

    広場の南東の入口を出ると、右手、道の奥に半円のファサードの建物がすぐに見えます。
    それが、現在、ジャカルタの通勤を支えている「コタ駅」。

  • 構内は広く、風格があります。<br /><br />コタ駅は、1887年開業という長い歴史を持つ駅。<br /><br />かつては、ジャワ島内各地を結ぶ長距離列車のターミナル駅だったそうですが、1990年代後半になると、長距離列車は徐々に削減。<br /><br />ターミナル駅としての機能はほかの駅に移り、今は通勤がメイン。<br />朝・晩は多くの通勤客で混雑するそうです。<br /><br />【関連旅行記】<br />コタ駅を見学☆コロニアルの雰囲気漂うバタヴィア・カフェ、そのトイレは… ジャカルタ・シンガポール2018の旅2-2<br />https://4travel.jp/travelogue/11361223

    構内は広く、風格があります。

    コタ駅は、1887年開業という長い歴史を持つ駅。

    かつては、ジャワ島内各地を結ぶ長距離列車のターミナル駅だったそうですが、1990年代後半になると、長距離列車は徐々に削減。

    ターミナル駅としての機能はほかの駅に移り、今は通勤がメイン。
    朝・晩は多くの通勤客で混雑するそうです。

    【関連旅行記】
    コタ駅を見学☆コロニアルの雰囲気漂うバタヴィア・カフェ、そのトイレは… ジャカルタ・シンガポール2018の旅2-2
    https://4travel.jp/travelogue/11361223

  • コタ地区の地図です。<br /><br />ファタヒラ広場とコタ駅の間には、2つの銀行博物館やオランダ統治時代の建物などがあります。<br />ファタヒラ広場からコタ駅は300mほどの距離なので、どれも徒歩圏内。

    コタ地区の地図です。

    ファタヒラ広場とコタ駅の間には、2つの銀行博物館やオランダ統治時代の建物などがあります。
    ファタヒラ広場からコタ駅は300mほどの距離なので、どれも徒歩圏内。

  • 2つの銀行のひとつが「インドネシア銀行博物館」。<br /><br />「インドネシア銀行」は、1828年、オランダの通貨の発行や資金管理をする銀行として、オランダ・東インド会社によって設立されました。<br />オランダの建築家によって設計された内部は、細部にジャワの装飾が施されているそうです。<br /><br />日本植民地時代には「南方開発銀行」となり、大日本帝国政府がルピアを発行。<br /><br />インドネシア独立後はインドネシアの中央銀行となり、1953年に「インドネシア銀行」として国有化。<br /><br />1962年、新しい中央銀行本館が完成すると、古い建物は放置され、老朽化の一途をたどる…。<br /><br />そこで、2006年に古い建物を修復し、2009年7月に「インドネシア銀行博物館」として公開されました。

    2つの銀行のひとつが「インドネシア銀行博物館」。

    「インドネシア銀行」は、1828年、オランダの通貨の発行や資金管理をする銀行として、オランダ・東インド会社によって設立されました。
    オランダの建築家によって設計された内部は、細部にジャワの装飾が施されているそうです。

    日本植民地時代には「南方開発銀行」となり、大日本帝国政府がルピアを発行。

    インドネシア独立後はインドネシアの中央銀行となり、1953年に「インドネシア銀行」として国有化。

    1962年、新しい中央銀行本館が完成すると、古い建物は放置され、老朽化の一途をたどる…。

    そこで、2006年に古い建物を修復し、2009年7月に「インドネシア銀行博物館」として公開されました。

  • もうひとつが「マンディリ銀行博物館」。<br /><br />「マンディリ銀行(Bank Mandiri)」は、破綻した4つの政府所有の銀行を合併し、1998 年に設立された銀行です。<br /><br />インドネシア政府によって国有化された「マンディリ銀行」は、2005年にオランダ貿易協会のオフィスとして使われていたの建物(1929年~1933年建築)を博物館として公開。<br /><br />そのコレクションは、植民地時代の銀行が所有していた運営用品、有価証券、古い通貨、古いオランダの貸金庫など、多数に及ぶそうです

    もうひとつが「マンディリ銀行博物館」。

    「マンディリ銀行(Bank Mandiri)」は、破綻した4つの政府所有の銀行を合併し、1998 年に設立された銀行です。

    インドネシア政府によって国有化された「マンディリ銀行」は、2005年にオランダ貿易協会のオフィスとして使われていたの建物(1929年~1933年建築)を博物館として公開。

    そのコレクションは、植民地時代の銀行が所有していた運営用品、有価証券、古い通貨、古いオランダの貸金庫など、多数に及ぶそうです

  • オランダ統治時代の建物「トコ・メラ(Toko Merah)」。<br />1730 年に建てられた、ジャカルタで最も古い建物のひとつ。<br /><br />トコ・メラは、オランダ領東インド総督の住居として建てられました。<br />1743年~ 1755年は、アジアで最も古いと言われている「海軍士官学校」となり、1786年~1808年にかけてホテルに改装されました。<br /><br />1851年、華僑が住居兼店舗として使用するためにこの建物を購入すると、外壁を赤く塗ったことから、インドネシア語で「赤い店」を意味する「トコ・メラ」と呼ばれるようになったそうです。

    オランダ統治時代の建物「トコ・メラ(Toko Merah)」。
    1730 年に建てられた、ジャカルタで最も古い建物のひとつ。

    トコ・メラは、オランダ領東インド総督の住居として建てられました。
    1743年~ 1755年は、アジアで最も古いと言われている「海軍士官学校」となり、1786年~1808年にかけてホテルに改装されました。

    1851年、華僑が住居兼店舗として使用するためにこの建物を購入すると、外壁を赤く塗ったことから、インドネシア語で「赤い店」を意味する「トコ・メラ」と呼ばれるようになったそうです。

  • コタ駅とは反対方向、ファタヒラ広場から600mほどの距離には「跳ね橋(Jembatan Kota Intan」もあります。

    コタ駅とは反対方向、ファタヒラ広場から600mほどの距離には「跳ね橋(Jembatan Kota Intan」もあります。

  • かつてはジャカルタ内部まで、大きな運河が流れていたそうです。<br />運河を挟んで、オランダのエリアと、イギリスのエリアに分かれ、それを繋いでいたのが、イギリスが架けたこの跳ね橋。

    かつてはジャカルタ内部まで、大きな運河が流れていたそうです。
    運河を挟んで、オランダのエリアと、イギリスのエリアに分かれ、それを繋いでいたのが、イギリスが架けたこの跳ね橋。

  • ゴッホの絵画に描かれているような素朴な橋かと思いきや、港に入った船が運河を通過できるように造られたそうで、鋼鉄製でした。

    ゴッホの絵画に描かれているような素朴な橋かと思いきや、港に入った船が運河を通過できるように造られたそうで、鋼鉄製でした。

  • もうひとつ、ファタヒラ広場周辺スポットとして、「スンダ・クラパ港」をご紹介します。<br /><br />14世紀、明がインドネシアの海域を牛耳ると、ジャカルタは、中国との朝貢貿易や私貿易、中継貿易で栄えました。<br /><br />その重要な拠点だったのが「スンダ・クラパ港(pelabuhan Sunda Kelapa)」。<br /><br />16世紀初めまで「スンダ・クラパ」と呼ばれていたジャカルタ。<br />当時の地名が港の名前に残っています。

    もうひとつ、ファタヒラ広場周辺スポットとして、「スンダ・クラパ港」をご紹介します。

    14世紀、明がインドネシアの海域を牛耳ると、ジャカルタは、中国との朝貢貿易や私貿易、中継貿易で栄えました。

    その重要な拠点だったのが「スンダ・クラパ港(pelabuhan Sunda Kelapa)」。

    16世紀初めまで「スンダ・クラパ」と呼ばれていたジャカルタ。
    当時の地名が港の名前に残っています。

  • 「古い帆船が並ぶ」という記述を見かけ、美しい帆船を観ることができるに違いないと胸ふくらませてやって来た港。<br />でも、そこに並んでいたのは…。あれぇ…。

    イチオシ

    「古い帆船が並ぶ」という記述を見かけ、美しい帆船を観ることができるに違いないと胸ふくらませてやって来た港。
    でも、そこに並んでいたのは…。あれぇ…。

  • 確かに、船は古い。<br />が、「使い古された」という表現のほうが当てはまるよね…。(++;<br />ググると「ピニシ帆船」がヒットしてくるんだけど、それなのか…???

    確かに、船は古い。
    が、「使い古された」という表現のほうが当てはまるよね…。(++;
    ググると「ピニシ帆船」がヒットしてくるんだけど、それなのか…???

  • そういう疑問は渦巻いたものの、のんびりした雰囲気に、なんだかほっこり。

    そういう疑問は渦巻いたものの、のんびりした雰囲気に、なんだかほっこり。

  • 渡り板が木です。<br />下の写真の渡り板、すごーく細いんだけど。

    渡り板が木です。
    下の写真の渡り板、すごーく細いんだけど。

  • トラックに積み荷を載せるシーンも港ならでは。

    トラックに積み荷を載せるシーンも港ならでは。

  • 港で働く人たちを支える「バイク屋台」も見かけました。

    港で働く人たちを支える「バイク屋台」も見かけました。

  • 船だけでなく、コンテナも古い…。<br /><br />ぶどう畑が行った当時は、ここが観光ルートに含まれているツアーがありました。<br />日本人観光客が戻ってきた暁には、市内観光ツアーが再開されることを願っています。<br /><br />【関連旅行記】<br />かつて栄えた港、スンダ・クラパはこんなとこ ジャカルタ・シンガポール2018の旅2-1<br />https://4travel.jp/travelogue/11360824

    船だけでなく、コンテナも古い…。

    ぶどう畑が行った当時は、ここが観光ルートに含まれているツアーがありました。
    日本人観光客が戻ってきた暁には、市内観光ツアーが再開されることを願っています。

    【関連旅行記】
    かつて栄えた港、スンダ・クラパはこんなとこ ジャカルタ・シンガポール2018の旅2-1
    https://4travel.jp/travelogue/11360824

  • アンティークに興味があるなら「スラバヤ通り(Jl. Surabaya)」へ!<br /><br />ここは、ユーミンが1981年5月にリリースしたミニアルバム『水の中のASIA』のオープニングを飾る『スラバヤ通りの妹へ』の舞台なんだとか。<br /><br />グランド・インドネシアから2.5kmのロケーションです。

    アンティークに興味があるなら「スラバヤ通り(Jl. Surabaya)」へ!

    ここは、ユーミンが1981年5月にリリースしたミニアルバム『水の中のASIA』のオープニングを飾る『スラバヤ通りの妹へ』の舞台なんだとか。

    グランド・インドネシアから2.5kmのロケーションです。

  • 通り沿いに、アンティークのお店がズラリと軒を並べています。<br /><br />1960年代には、中古の家庭用品を売る店が多かったそうですが、1970年頃に、1軒の店がアンティークで成功してから、アンティークの店が増えたとのこと。<br /><br />値段交渉は、最近はスマートフォンの電卓機能を使うそうです。<br />価格は、言い値の3割~5割が相場らしい。

    通り沿いに、アンティークのお店がズラリと軒を並べています。

    1960年代には、中古の家庭用品を売る店が多かったそうですが、1970年頃に、1軒の店がアンティークで成功してから、アンティークの店が増えたとのこと。

    値段交渉は、最近はスマートフォンの電卓機能を使うそうです。
    価格は、言い値の3割~5割が相場らしい。

  • 売られているのは金物中心。<br />中東っぽいランプやら、ビクターのトレードマークに使われていたような蓄音機やら。

    売られているのは金物中心。
    中東っぽいランプやら、ビクターのトレードマークに使われていたような蓄音機やら。

  • ワヤン(影絵)の人形をかたどった青銅のモノは、タバコ用のハサミなんだとか。<br /><br />スラバヤ通りは「ジャカルタ観光日本語ツアー」のコースに含まれていました。<br />インドネシア人のガイドさんのおかげで店員さんの説明を通訳してもらえましたが、店員さんが英語が話せるかどうかは不明。

    ワヤン(影絵)の人形をかたどった青銅のモノは、タバコ用のハサミなんだとか。

    スラバヤ通りは「ジャカルタ観光日本語ツアー」のコースに含まれていました。
    インドネシア人のガイドさんのおかげで店員さんの説明を通訳してもらえましたが、店員さんが英語が話せるかどうかは不明。

  • 昔のアイロン。<br />中に熱した炭を入れて使ったんじゃないかな。<br />先頭に飾りがついているのが面白い。

    イチオシ

    昔のアイロン。
    中に熱した炭を入れて使ったんじゃないかな。
    先頭に飾りがついているのが面白い。

  • 商品の手入れは欠かせません。<br />スラバヤ通りならではの光景ですね。<br /><br />【関連旅行記】<br />アンティーク、イスラム教、オランダ統治、半日ツアーでジャカルタを識る! ジャカルタ・シンガポール2016の旅2-1<br />https://4travel.jp/travelogue/11174237

    商品の手入れは欠かせません。
    スラバヤ通りならではの光景ですね。

    【関連旅行記】
    アンティーク、イスラム教、オランダ統治、半日ツアーでジャカルタを識る! ジャカルタ・シンガポール2016の旅2-1
    https://4travel.jp/travelogue/11174237

  • インドネシアの独立に特に関心が深い人なら、「独立宣言文起草博物館(Formulation of Proclamation Text Museum)」はいかがでしょうか。<br /><br />グランド・インドネシアから1.2kmなので、歩けなくはない。<br />暑くても大丈夫なら。

    インドネシアの独立に特に関心が深い人なら、「独立宣言文起草博物館(Formulation of Proclamation Text Museum)」はいかがでしょうか。

    グランド・インドネシアから1.2kmなので、歩けなくはない。
    暑くても大丈夫なら。

  • 博物館の建物は、大日本帝国海軍の軍人「前田精(ただし)少将」の邸宅。<br />彼はインドネシア独立の平穏無事な実現に貢献した、影の立役者です。

    博物館の建物は、大日本帝国海軍の軍人「前田精(ただし)少将」の邸宅。
    彼はインドネシア独立の平穏無事な実現に貢献した、影の立役者です。

  • 写真は、軍服姿の前田少将。<br /><br />前田少将は、終戦翌日の1945年8月16日の22時、スカルノ氏とハッタ氏を公邸に呼び、入口を入ってすぐのテーブルで、インドネシア独立宣言の打ち合わせをしました。<br /><br />日本に占領されていたインドネシア、終戦で、一歩間違えればインドネシア人と日本軍との間で銃撃戦が始まり、悲惨な流血事件が発生する可能性がありました。<br />それを未然に防いだのが、当時47歳の前田少将だそうです。<br /><br />彼は、インドネシア急進派の青年らによる武力闘争が始まることを恐れていましたが、当時の日本陸軍は、独立許可の発出や支援を一切拒否。<br />非常手段によって、独立を宣言する以外に方法はありませんでした。<br /><br />そのため、少将は武力行使を主張する急進派に拉致されていたスカルノ、ハッタ両氏を解放し、独立宣言起草の場所として、住まいとしていた公邸を提供したのです。

    写真は、軍服姿の前田少将。

    前田少将は、終戦翌日の1945年8月16日の22時、スカルノ氏とハッタ氏を公邸に呼び、入口を入ってすぐのテーブルで、インドネシア独立宣言の打ち合わせをしました。

    日本に占領されていたインドネシア、終戦で、一歩間違えればインドネシア人と日本軍との間で銃撃戦が始まり、悲惨な流血事件が発生する可能性がありました。
    それを未然に防いだのが、当時47歳の前田少将だそうです。

    彼は、インドネシア急進派の青年らによる武力闘争が始まることを恐れていましたが、当時の日本陸軍は、独立許可の発出や支援を一切拒否。
    非常手段によって、独立を宣言する以外に方法はありませんでした。

    そのため、少将は武力行使を主張する急進派に拉致されていたスカルノ、ハッタ両氏を解放し、独立宣言起草の場所として、住まいとしていた公邸を提供したのです。

  • 前田少将との打ち合わせの後、8月17日の午前3時から、スカルノ氏(真ん中)、ハッタ氏(左)、スバルジョ氏(右)で宣言文の起草を始めます。<br />人形を使って、その様子が再現されていました。

    イチオシ

    前田少将との打ち合わせの後、8月17日の午前3時から、スカルノ氏(真ん中)、ハッタ氏(左)、スバルジョ氏(右)で宣言文の起草を始めます。
    人形を使って、その様子が再現されていました。

  • これが草稿文。<br /><br />『宣言<br />我らインドネシア民族は、ここにインドネシアの独立を宣言する。<br />権力委譲その他に関する事柄は、完全、かつできるるだけ迅速に行われる。<br />ジャカルタ、05年8月17日<br />インドネシア民族の名において』<br /><br />独立宣言文が読み上げられた当時は、西暦ではなく日本の紀元(皇紀)を用いていたため、日付の「05」は2605年を表しているとこのと。

    これが草稿文。

    『宣言
    我らインドネシア民族は、ここにインドネシアの独立を宣言する。
    権力委譲その他に関する事柄は、完全、かつできるるだけ迅速に行われる。
    ジャカルタ、05年8月17日
    インドネシア民族の名において』

    独立宣言文が読み上げられた当時は、西暦ではなく日本の紀元(皇紀)を用いていたため、日付の「05」は2605年を表しているとこのと。

  • できあがった起草文のタイプを Sayuti melik 氏に命じ、ピアノの上でスカルノ氏とハッタ氏がサイン。<br /><br />そのピアノも展示されており、奥で宣言文をタイプをしている様子も再現されています。

    できあがった起草文のタイプを Sayuti melik 氏に命じ、ピアノの上でスカルノ氏とハッタ氏がサイン。

    そのピアノも展示されており、奥で宣言文をタイプをしている様子も再現されています。

  • 宣言文を読み上げるスカルノ氏。<br />こうして、インドネシアは独立。<br /><br />先ほど触れた前田少将は、1976年(昭和51年)、たぐいまれなインドネシア国家・国民への貢献の栄誉として、「インドネシア建国功労章」を授与されたとのこと。日本人が知らないインドネシアの英雄です。<br /><br />なお、独立宣言文を読み上げるスカルノ氏の肉声は、この旅行記の最初のほうで紹介したモナスの「独立の間」で聴くことができます。<br /><br />【関連旅行記】<br />インドネシアを識る!独立の陰に日本人あり、宣言文起草博物館で怪奇現象?いやいや、カメラの故障… ジャカルタ・シンガポール2018の旅3-1<br />https://4travel.jp/travelogue/11362655

    宣言文を読み上げるスカルノ氏。
    こうして、インドネシアは独立。

    先ほど触れた前田少将は、1976年(昭和51年)、たぐいまれなインドネシア国家・国民への貢献の栄誉として、「インドネシア建国功労章」を授与されたとのこと。日本人が知らないインドネシアの英雄です。

    なお、独立宣言文を読み上げるスカルノ氏の肉声は、この旅行記の最初のほうで紹介したモナスの「独立の間」で聴くことができます。

    【関連旅行記】
    インドネシアを識る!独立の陰に日本人あり、宣言文起草博物館で怪奇現象?いやいや、カメラの故障… ジャカルタ・シンガポール2018の旅3-1
    https://4travel.jp/travelogue/11362655

  • 最後のスポットは「繊維博物館(Museum Tekstil)」。<br />「バティック体験ツアー」で、バティック染めにチャレンジしました。<br /><br />博物館はグランド・インドネシアから1.5kmですが、車で行くと結構な遠回り。<br />ジャカルタ、こういうことがしょっちゅう…。

    最後のスポットは「繊維博物館(Museum Tekstil)」。
    「バティック体験ツアー」で、バティック染めにチャレンジしました。

    博物館はグランド・インドネシアから1.5kmですが、車で行くと結構な遠回り。
    ジャカルタ、こういうことがしょっちゅう…。

  • バティックの体験工房は「繊維博物館」の奥にありました。<br /><br />ジャワの伝統的な建築様式を取り入れた建物で、天井が高く、風が通り抜ける造り。<br /><br />床に点在しているのは、バティック染めに使う融かした蝋を保温するためのコンロです。<br /><br />BATIK WORKSHOP<br />https://museumtekstiljakarta.org/

    バティックの体験工房は「繊維博物館」の奥にありました。

    ジャワの伝統的な建築様式を取り入れた建物で、天井が高く、風が通り抜ける造り。

    床に点在しているのは、バティック染めに使う融かした蝋を保温するためのコンロです。

    BATIK WORKSHOP
    https://museumtekstiljakarta.org/

  • バティック染めを体験したいと思ったのは、ジョグジャカルタでバティック工房を見学したのがきっかけでした。<br /><br />【関連旅行記】<br />最高級のコーヒー、コピルアックを味わう!ベチャで走る夜のジョグジャ インドネシア・シンガポールの旅2-4<br />https://4travel.jp/travelogue/11064512

    バティック染めを体験したいと思ったのは、ジョグジャカルタでバティック工房を見学したのがきっかけでした。

    【関連旅行記】
    最高級のコーヒー、コピルアックを味わう!ベチャで走る夜のジョグジャ インドネシア・シンガポールの旅2-4
    https://4travel.jp/travelogue/11064512

  • 繊維博物館の体験コースは手書き。<br />まず型紙を選び、布にトレースします。

    繊維博物館の体験コースは手書き。
    まず型紙を選び、布にトレースします。

  • トレースしたら、線に沿って、融けた蝋でなぞっていきます。<br />蝋の部分は染まらずに白く残るため、うっかり垂れた蝋はすぐに拭き取ります。<br /><br />筆代わりになるのは、融けた蝋を入れる「チャンティン」と呼ばれる道具。<br />出っ張った部分に融けた蝋を入れると、先のとんがった部分から蝋が出る仕組みです。

    トレースしたら、線に沿って、融けた蝋でなぞっていきます。
    蝋の部分は染まらずに白く残るため、うっかり垂れた蝋はすぐに拭き取ります。

    筆代わりになるのは、融けた蝋を入れる「チャンティン」と呼ばれる道具。
    出っ張った部分に融けた蝋を入れると、先のとんがった部分から蝋が出る仕組みです。

  • 線を描き終わりました!

    線を描き終わりました!

  • なお、バティック染めは、手書きのほかに、型押しもあります。

    なお、バティック染めは、手書きのほかに、型押しもあります。

  • 染めの行程。<br />本来は、樹皮や香辛料など、天然の素材を使って染めるようですが、この時は化学染料で。<br /><br />染めあがった作品は、しばし、天気干し。

    染めの行程。
    本来は、樹皮や香辛料など、天然の素材を使って染めるようですが、この時は化学染料で。

    染めあがった作品は、しばし、天気干し。

  • 乾かしている間に「繊維博物館」へ。

    乾かしている間に「繊維博物館」へ。

  • 入口で、カラフルな「オンデルオンデル(Ondel-Ondel)」に迎えられます。<br /><br />オンデルオンデルは大きな魔除けの人形。<br />ジャカルタ市内で、中に人が入った巨大な張り子の人形を見かけたりします。

    入口で、カラフルな「オンデルオンデル(Ondel-Ondel)」に迎えられます。

    オンデルオンデルは大きな魔除けの人形。
    ジャカルタ市内で、中に人が入った巨大な張り子の人形を見かけたりします。

  • 博物館では、さまざまな柄のバティックを観ることができます。<br /><br />バティックは、19世紀頃までは、限られた身分の人にしか着られない柄がありました。<br />インドネシアで最も古い模様のひとつが「パラン」という柄で、柄の大きさや特徴の異なるいくつかの種類があり、種類によって着用者の身分や着用場面が制限されていたそうです。<br /><br />ジャグジャカルタの王宮内にある「バティック博物館」に行った時、王族のみに許されていた伝統柄があるのを知って驚いたことが印象に残っています。<br /><br />【関連旅行記】<br />古都ジョグジャカルタの王宮を見学 インドネシア・シンガポールの旅2-2<br />https://4travel.jp/travelogue/11063933

    博物館では、さまざまな柄のバティックを観ることができます。

    バティックは、19世紀頃までは、限られた身分の人にしか着られない柄がありました。
    インドネシアで最も古い模様のひとつが「パラン」という柄で、柄の大きさや特徴の異なるいくつかの種類があり、種類によって着用者の身分や着用場面が制限されていたそうです。

    ジャグジャカルタの王宮内にある「バティック博物館」に行った時、王族のみに許されていた伝統柄があるのを知って驚いたことが印象に残っています。

    【関連旅行記】
    古都ジョグジャカルタの王宮を見学 インドネシア・シンガポールの旅2-2
    https://4travel.jp/travelogue/11063933

  • 人形劇の衣装に使われていたのも、バラン柄のバティック。

    イチオシ

    人形劇の衣装に使われていたのも、バラン柄のバティック。

  • 型染の型、染めに使われる材料も展示されていました。<br />小さな博物館ですので、さほど時間がかからず見学を終え、

    型染の型、染めに使われる材料も展示されていました。
    小さな博物館ですので、さほど時間がかからず見学を終え、

  • 干していた作品を受け取って、体験コース終了!<br /><br />【関連旅行記】<br />手描きバティック染めにチャレンジ!テキスタイル博物館のニャンにほっこり ジャカルタ・シンガポール2016の旅4-1<br />https://4travel.jp/travelogue/11182487

    干していた作品を受け取って、体験コース終了!

    【関連旅行記】
    手描きバティック染めにチャレンジ!テキスタイル博物館のニャンにほっこり ジャカルタ・シンガポール2016の旅4-1
    https://4travel.jp/travelogue/11182487

  • いろいろな観光スポットをご紹介してきましたが、「行ってみたいけど、観光スポットを周るのにはどうすればいいの…?」の疑問が残ると思われます。<br /><br />これがなかなか悩ましいのですが、ジャカルタの交通機関について少々。<br /><br />まずは、無料で、乗り降り自由の観光バス「Jakarta Explorer」。<br /><br />今は7つのルートがあって、「CITY TOUR」の看板がある停留所から乗ることができるよう。アチコチ観光できそうですね。(^^)<br /><br />インドネシア語のサイトですが、参考まで。<br />https://transjakarta.co.id/produk-dan-layanan/layanan-bus/bus-wisata/

    いろいろな観光スポットをご紹介してきましたが、「行ってみたいけど、観光スポットを周るのにはどうすればいいの…?」の疑問が残ると思われます。

    これがなかなか悩ましいのですが、ジャカルタの交通機関について少々。

    まずは、無料で、乗り降り自由の観光バス「Jakarta Explorer」。

    今は7つのルートがあって、「CITY TOUR」の看板がある停留所から乗ることができるよう。アチコチ観光できそうですね。(^^)

    インドネシア語のサイトですが、参考まで。
    https://transjakarta.co.id/produk-dan-layanan/layanan-bus/bus-wisata/

  • レストラン~ホテルなど、移動手段として使いたいのがタクシー。<br /><br />黒塗りベンツの「シルバー・バード」は、英語の話せる運転手さんがいたり、クレジットカードが使えたりします。<br /><br />そのワンランク下のタクシーは「ブルー・バード」。<br /><br />レストラン等で呼ぶ時は、シルバー・バードで、はたまたブルー・バードでと、指定もできます。でも、希望がかなうかとは限りませんが。<br /><br />ちなみに、ぶどう畑は空港から「シルバー・バード」を利用しましたが、道が空いている時間帯なら、それほど高くはありません。<br />『空港アクセス・食事・おみやげ編』にも情報を載せています。

    レストラン~ホテルなど、移動手段として使いたいのがタクシー。

    黒塗りベンツの「シルバー・バード」は、英語の話せる運転手さんがいたり、クレジットカードが使えたりします。

    そのワンランク下のタクシーは「ブルー・バード」。

    レストラン等で呼ぶ時は、シルバー・バードで、はたまたブルー・バードでと、指定もできます。でも、希望がかなうかとは限りませんが。

    ちなみに、ぶどう畑は空港から「シルバー・バード」を利用しましたが、道が空いている時間帯なら、それほど高くはありません。
    『空港アクセス・食事・おみやげ編』にも情報を載せています。

  • ジャカルタの通勤を支えているのが「国営インドネシア通勤鉄道(KCI)」。<br /><br />東京近辺で走っていた中古の電車が使われています。<br />上の写真は、武蔵野線?<br />ジャカルタは、鉄ちゃん垂涎の日本製中古電車の博物館なのだそう。<br />ところが、スイスと合弁で新型車両を製造することが決定したとかで、いずれ、中古車両は消えていくのか…?<br /><br />2019年3月には「地下鉄」も開通しました!<br /><br />グーグルマップで、黒い四角の中に「m」をデフォルメしたようなマークがあるのが地下鉄の駅です。<br />路線図などはコチラ。<br />https://jakartamrt.co.id/en<br /><br />空港からは、「スカルノハッタ空港鉄道(Kereta Bandara Soekarno Hatta)」を利用して市内まで移動できます。<br />『空港アクセス・食事・おみやげ編』で触れていますので、ご参考まで。

    ジャカルタの通勤を支えているのが「国営インドネシア通勤鉄道(KCI)」。

    東京近辺で走っていた中古の電車が使われています。
    上の写真は、武蔵野線?
    ジャカルタは、鉄ちゃん垂涎の日本製中古電車の博物館なのだそう。
    ところが、スイスと合弁で新型車両を製造することが決定したとかで、いずれ、中古車両は消えていくのか…?

    2019年3月には「地下鉄」も開通しました!

    グーグルマップで、黒い四角の中に「m」をデフォルメしたようなマークがあるのが地下鉄の駅です。
    路線図などはコチラ。
    https://jakartamrt.co.id/en

    空港からは、「スカルノハッタ空港鉄道(Kereta Bandara Soekarno Hatta)」を利用して市内まで移動できます。
    『空港アクセス・食事・おみやげ編』で触れていますので、ご参考まで。

  • 手軽な料金で市内を移動したいなら「トランスジャカルタ」のバス。<br />なお、スリに遭う確率は高いとのことなので、くれぐれもご注意ください。

    手軽な料金で市内を移動したいなら「トランスジャカルタ」のバス。
    なお、スリに遭う確率は高いとのことなので、くれぐれもご注意ください。

  • トランスジャカルタの大型バス以外にもバスがあるようです。<br /><br />写真上」中型路線バスの「コパジャ」<br />車掌さんが乗っていて、いつもドアが空きっぱなし…。(・o・)<br /><br />写真下:小型路線バスの「ミクロレット」

    トランスジャカルタの大型バス以外にもバスがあるようです。

    写真上」中型路線バスの「コパジャ」
    車掌さんが乗っていて、いつもドアが空きっぱなし…。(・o・)

    写真下:小型路線バスの「ミクロレット」

  • 地元の人が気軽に利用してるのが「バイク・タクシー」。<br />「Gojek」と「Grab」が主流。

    地元の人が気軽に利用してるのが「バイク・タクシー」。
    「Gojek」と「Grab」が主流。

  • 三輪タクシー、タイではトゥクトゥクと呼ばれていますが、インドネシアでは「バジャイ」。<br /><br />コタ駅前に行くと、バジャイやら、バイタクやら、ミクロレットやらが客待ちする様子が見られます。

    三輪タクシー、タイではトゥクトゥクと呼ばれていますが、インドネシアでは「バジャイ」。

    コタ駅前に行くと、バジャイやら、バイタクやら、ミクロレットやらが客待ちする様子が見られます。

  • 渋滞が当たり前のジャカルタに地下鉄が走るようになり、今後、路線が延長されれば、コタ地区にもアクセス可能になります。<br /><br />無料観光バスの路線も増えたし、移動のハードルはだいぶ下がったような。<br />気軽に観光できるジャカルタになりつつある。<br /><br />近い将来、「歓迎の塔」に再会できることを願いながら旅行記を終わります。

    渋滞が当たり前のジャカルタに地下鉄が走るようになり、今後、路線が延長されれば、コタ地区にもアクセス可能になります。

    無料観光バスの路線も増えたし、移動のハードルはだいぶ下がったような。
    気軽に観光できるジャカルタになりつつある。

    近い将来、「歓迎の塔」に再会できることを願いながら旅行記を終わります。

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