2022/05/26 - 2022/05/29
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ブリッヂ・トレック(橋梁旅行)さん
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梅雨入り前に福井県へ橋を観に行きましたが、北陸本線旧線の隧道群も見逃せません。
北陸本線は米原と金沢を結ぶ路線で、福井県内の木之本~敦賀間、敦賀~湯尾間の山地を抜ける路線は、急勾配の解消等の目的で新線に切り替えられましたが、切替前の旧線の数多くの遺構が日本遺産『海を越えた鉄道』や土木学会選奨土木遺産に認定されています。今回は土木学会の資料も交えつつ、その旧線跡を辿っていきたいと思います。
北陸本線 長浜~敦賀間の歴史概略
1882年(明治15年) 長浜~柳ヶ瀬間、洞道口~金ヶ崎間開業
1884年(明治17年) 柳ヶ瀬隧道開通により、柳ヶ瀬~洞道西口(旧洞道口)間開業
1896年(明治29年) 敦賀~福井間開業
1909年(明治42年) 敦賀駅を現在の位置に移転
1928年(昭和3年) 柳ヶ瀬隧道窒息事故発生、事故対策として外気遮断幕と集煙装置等を設置
1957年(昭和32年) 深坂隧道開通により、木之本~敦賀間を新線に切替、旧線は柳ヶ瀬線に改称し存続
1963年(昭和38年) 新疋田~敦賀間上り線の急勾配を緩和するループ線開通
1964年(昭和39年) 柳ヶ瀬線廃止
1966年(昭和41年) 沓掛(信)~新疋田間が複線化
参考資料:
・土木学会 土木図書館デジタルアーカイブス
・廃線跡散策と軽便、森林鉄道の旅
・長浜鉄道スクエア
・敦賀鉄道資料館
・鉄道建設・運輸施設整備支援機構
・Google
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
-
木之本から敦賀へ順に旧線跡を辿っていきます。
【木之本方新線切替地点】
大岩山の裾野を抜けた辺りで新線は近江塩津のある左方向へ、旧線は国道365号の辺りを走っていました。
※ここより木之本方にも新線に切替えられた区間があるようです。 -
【中ノ郷駅】
1882年(明治15年)開業、1964年(昭和39年)廃止
柳ヶ瀬越えの補機を付け外しするため、全ての列車が停車していました。 -
【柳ヶ瀬駅】
南方向行のバス停辺りと思われます。
写真出典:google -
《map1》
航空写真等を基に、旧線のルートを紫色の破線で地理院の地図に落としてみました。(新設:赤色、撤去:黄色、既設:緑色という彩色の原則がありますが、黄色では分かりにくいので紫色にしています。)
【雁ヶ谷信号場】(雁ヶ谷駅)は北陸道上下線の間辺りにあったようです。 -
【柳ヶ瀬隧道】米原方坑門
1884年(明治17年)開通
延長1,352m、竣工時国内最長の隧道。長浜~金ケ崎間が繋がり、北陸と太平洋側が鉄路で結ばれました。
【土木学会選奨土木遺産】 -
坑門上に通気口らしき物が見えました。
柳ヶ瀬隧道は25‰の勾配上にあり、上り勾配となる上り線(長浜方面行)の貨車を引く蒸気機関車の車輪が空転して登りきれず、トンネル内に煤煙が充満して酸欠になり、乗務員3名が亡くなる事故が1928年(昭和3年)に発生。
この事故が緩勾配の新線建設の契機となりますが、新線建設までの対策として、隧道幕やSLには集煙装置等が導入されたそうです。
隧道上に国道が走っているので、次回はそちらからも観てみたいと思います。 -
排煙ファンの写真がありました。
1928年(昭和3年)より稼働した東山隧道設置の物。『隧道勾配上り口にRC造の二重隧道を増設し上部に送風機、電動機、運転手詰所を設置』したそうです。
出典:土木学会 -
米原方はRCで延長され、開通時の坑門の姿は観られません。
この延長した部分も排煙装置を構成する二重隧道で、刀根⇒雁ヶ谷へ走るyoutubeの動画を見ると、今もトンネル内から通気口と思しき穴が一瞬見えます。
⇒https://www.youtube.com/watch?v=qkjFb6aL2Dk
(2:35辺りから)
じまさん、いつもありがとうございます。この場を借りてお礼申し上げます。 -
扁額は長浜鉄道スクエアに保存され、現地にはレプリカが設置されています。
『萬世永頼』/参議 伊藤博文
「この鉄道が世の為に働いてくれることを永く頼りにする」との意。 -
《木之本~敦賀間 線路縦断面図》
旧線はピークとなる雁ヶ谷信号場に向かって両側とも25‰の急勾配が、新線は下り線の25‰を除いて11‰以下になりました。 -
【柳ヶ瀬隧道】敦賀方坑門
wikiでは雁ヶ谷ポータルに隧道幕を設置したとの記述がありますが、標高の低いこちら側に幕を設置し上から吸引しないと隧道内を負圧にはできません。wikiの通りだとすると、隧道幕で出口(上)を塞ぎ上り機関車~出口間を正圧にして、入口側(下)から排煙しようという意図かもしれません。隧道幕は兎も角、その後に設置された雁ヶ谷ポータル側の排煙ファンは、隧道内の空気を吸引するのではなく空気を送り込んで隧道内を正圧にしていたと推測されます。この方法ならば、排煙と同時に乗務員に新鮮な空気を届けることもできて一石二鳥です。 -
1895年(明治28年)の大水害で笙の川水系は大きなダメージを受け、この坑門付近も損壊し、補修されました。
また、この隧道の西には洞道西口駅がありましたが、柳ヶ瀬隧道の供用開始と共に廃止された事から、峠道「刀根越」経由の徒歩連絡の為の仮駅といった実態だったものと考えられます。 -
《map2》
柳ヶ瀬隧道を抜けると、刀根川を渡って北陸道のシェッドの辺りにまた隧道があったものと思われます。柳ヶ瀬隧道の先『五箇所ノ隧道アリ』との記述が後述の資料p.4にあるので、小刀根・刀根・麻生口・曽々木とここではないかと推測。隧道名は不明、洞門(シェッド)を隧道と記述した可能性もありそうです。
※橋梁名も含め推測の域を出ません。 -
【刀根駅】
敦賀鉄道資料館に俯瞰写真と配線略図がありました。敦賀方から撮影。25‰の勾配中なので、スイッチバックになっています。シーサスにはスノーシェッドを設置して、雪害によるポイント不転換を防止しています。
ホームの場所は北陸道刀根PA(上り線)の辺りか。 -
【橋】(名称等不明)
刀根川に架かる古そうなプレートガーダー。 -
よーく見ると、スティフナー脇に下路橋の横桁を留めているようなリベットがあるのが判ります。元々下路桁だったようです。ガードレールも、見かけないアングルを支柱に使った簡易な留め方なので、道路認定していない通路かもしれません。北陸道建設に際して道路公団が架設した工事用通路を、管理用に存置したものか・・・
-
イチオシ
【小刀根隧道】米原方坑門
1881年(明治14年)竣工
日本人技術者による鉄道トンネルとしては、逢坂山隧道に次いで国内2例目、建設当時の姿を留めるものとしては国内最古!
【土木学会選奨土木遺産】小刀根トンネル 名所・史跡
-
イチオシ
敦賀方は側壁も煉瓦積みですが、途中から米原方は石積み。写真右の側壁は素掘りのように見えます。
旧線の隧道は外国製の小さなSLを想定していた為、非常に狭小な断面で、SLが大型化してくると煤煙の逃げ場がなく滞留しやすい状況でした。 -
待避所はアーチ部のみ煉瓦積み。この辺の周囲の石積みは比較的整然としていますが、そうでない野積みのような積み方の所もあり、あまり綺麗とは言えない不揃いな積み方。
何らかの事情で煉瓦が足りなくなったか、或いは工期短縮の為、急遽石積みや素掘りに変更したものでしょうか。 -
【小刀根隧道】敦賀方坑門
-
イチオシ
要石に竣工年が刻まれています。
最後に貫通した柳ヶ瀬隧道なら兎も角、なぜこの隧道に竣工年を刻んだのか・・・ -
《map3》
第四笙川橋梁から第一奥麻生川橋梁まで、概ね県道・国道の位置と近い位置にあったようです。
麻生口隧道と曽々木隧道は開削されて消失しましたが、曽々木の坑門の一部は残存しているようです。
※麻生口駅・麻生口隧道の位置はよく判りません -
工学会誌の記述によると、塩津方面へ伸びていた旧線とは麻生口で合流していたとの記述があり、現在の国道8号と同じ様なルートだったようです。最終的に採用されたのは疋田の先(終点方)20~30チェーン(約400~600m)のみ。この『旧線』(ボイル案)は、柳ヶ瀬ルートが検討される前に計画されていた路線案で、井上勝鉄道局長が巡視の際に柳ヶ瀬経由ルートの検討を英国人技師のトーマス・R・シャービントンに指示し、実現可能との報告を受けて柳ヶ瀬ルート(旧線)に変更されますが、柳ケ瀬ルート着工前に既に着手していたと判断するのは早計で、図上の計画路線についての記述とも考えられます。
出典:土木学会 -
イチオシ
【第五笙川橋梁】
1882年(明治15年)開通、上路プレートガーダー橋 -
銘板が残っていました!
昭和三年 (辰契橋1902)
日本橋梁株式會社製作
活荷重 E-40
鐵道省
材 L;八幡製鐵所
鈑;淺野造船所
料 鋲;淺野小倉製鋼所 か
RCの床版を載せた以外はほとんど改修されずに残っていました。 -
【第四笙川橋梁】
こちらも1895年(明治28年)の大水害で被災。今は道路トンネルに改修された刀根隧道の坑門も写っています。
出典:土木学会 -
【刀根トンネル】(米原方坑門)
1976年(昭和51年)竣工
北陸本線の刀根隧道を拡大して道路トンネルに転用されました。 -
【刀根トンネル】(敦賀方坑門)
奥に小刀根隧道が見えています。 -
【第三笙川橋梁】
奥は刀根隧道敦賀方坑門。
出典:土木学会 -
【麻生口隧道】
ピラスター外に翼壁のある短い隧道で、麻生口隧道と推測(手前:米原方、奥:敦賀方)。図の位置が正しければ、手前は被災した第二笙川橋梁という事になりますが、全く自信はありません。
出典:土木学会 -
【第四奥麻生川橋梁】
キャプションは『麻生口』ですが、背景の景色や川幅から第四奥麻生と推測。(左:米原方、右:敦賀方)
麻生口駅は洞道西口駅と同様、柳ヶ瀬隧道の供用開始と共に廃止された駅。敦賀線が全通していなかったので、現国道8号と同様のルートにあった旧道塩津街道との接続点に徒歩連絡の為の仮駅を設置したものと推測。その位置付ならば、塩津街道と分かれるこの辺りに駅があったものと考えました。
出典:土木学会 -
《map4》
新線が近づいてきました。 -
【五位川橋梁】
1882年(明治15年)開通
橋台と尖頭形橋脚基部が残存。
この橋も大水害で被災してRCで巻いて補強したかも知れません。
隣には疋田橋の旧橋も残っています。 -
橋の先にはいかにも線路跡っぽいカーブ。
-
【疋田駅】
1882年(明治15年)開業
ホームの石積みが残っていました。 -
《map5》
後から敷設された上り線は勾配を緩和する為ループ線になっており、上下線で別ルートを走っています。新線の下り線と旧線の切替地点は、新上り線との交差の少し南辺りと思われます。 -
【鳩原信号場】(はつはら)
1957年(昭和32年)開業、1963年(昭和38年)廃止
単線の新線開業からループ線が完成し柳ヶ瀬線が北陸本線から切り離されるまで使われていました。通路は新線の線路敷跡で、右側に用地境界杭が見えます。 -
【絹掛川橋梁】
1882年(明治15年)開通、上路プレートガーダー橋
今は下り線専用ですが、鳩原ループができるまでは上下線が通っていました。
反対側から近づいたほうが良さそうです。 -
【鳩原跨線橋】
1952年(昭和27年)竣工、上路プレートガーダー橋
腐食が進行し、敦賀港線を跨ぐ泉跨線橋と共に架替の予定です。 -
《map6》
当初のルートは敦賀市街中心部の大通りになっている辺りを通り、気比神社の近くに敦賀駅があったようです。敦賀駅移転後に新設された敦賀港線は赤の破線で記載。 -
【眼鏡橋】(正式名称不明)
1881年(明治14年)竣工
予備知識がないと何でこんな所に?という第一印象。旧線の小さなアーチ橋のアーチ環外側を見ることができます。 -
【敦賀駅】
1882年(明治15年)開業、1909年(明治42年)移転
2024年(令和6年)開業予定の北陸新幹線の駅や高架橋等の工事が施工中です。敦賀駅 駅
-
新しい敦賀駅は3階新幹線、1階在来線特急ホームになるようです。
新幹線開業に伴って3セク化される在来線の営業がどうなるのか、気になる所…
出典:鉄道建設・運輸施設整備支援機構 -
【敦賀港線】
1882年(明治15年)開通、1909年(明治42年)敦賀駅移転、1912年(明治45年)新線切替、2019年(平成31年)廃止
金崎宮の参道を少し登りましたが、桜の木が邪魔でよく見えませんでした。この崖下付近には敦賀セメント敦賀工場へ至る専用線の隧道があるようですが、見落としました…orz金崎宮 花見
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【金ヶ崎駅】駅舎(敦賀港駅)
1913年(大正2年)築、1999年(平成11年)再現
欧亜国際連絡列車の発着駅。建物は鉄道資料館として利用されています。旧敦賀港駅舎(敦賀鉄道資料館) 美術館・博物館
-
【敦賀港駅油庫】
1882年(明治15年)築
内部は資料が展示されており、見学できます。
建設当時は横浜、京都に次ぐ三番目の大きさを誇っていたそうです。ランプ小屋 名所・史跡
-
【紐育スタンダート石油會社】(紐育:ニューヨーク)
1905年(明治38年)築
当時使われていた灯油は殆どがロックフェラー経営のスタンダード石油傘下の会社の製品で、敦賀もこの会社の設立により、アメリカから直接陸揚げされるようになりました。
【登録有形文化財】敦賀赤レンガ倉庫 名所・史跡
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イチオシ
壁面には右から『紐育スタンダート石油會社』と書いてあったのが判ります。
1951年(昭和26年)に高橋商店がこの倉庫を購入し、北側の壁面には左から「株式会社髙橋商店営業倉庫」と書かれていたそうなので、敦賀市がそれっぽく復元したもの、かも知れません。
※うしやん@炭鉄様のツイートより引用 -
イチオシ
【生け簀の甲羅】
この倉庫でお昼に海鮮丼を戴きました♪ -
【キハ28 3019】
1968年(昭和43年)富士重工製、2000年(平成12年)廃車
北近畿を中心に活躍。大阪市のアチハ㈱が保管・整備していた車両を敦賀市が取得しました。 -
【C58 212】
1940年(昭和15年)川崎車両製、1971年(昭和46年)廃車
小浜線で活躍。敦賀機関区区長が考案し全国で使われた集煙装置がないのが残念な所。 -
今回の旅行記は以上です。
北陸本線旧線といえば隧道群が圧倒的ですが、橋梁や駅等の痕跡も確認できました。
ルートも概ね把握できたので、次回は見落とした箇所も併せもう少し補完できればと思います。
トータル 橋14、トンネル3,駅7,建築2,車両2,他2 を巡る旅でした。
引き続き、◆敦賀~第二観音寺隧道 北陸本線旧線廃線跡巡りの旅◆その2に続きます。⇒https://4travel.jp/travelogue/11762923
※写真は柳ヶ瀬隧道敦賀方坑門の扁額
※橋梁名については『廃線跡散策と軽便、森林鉄道の旅』様のホームページを一部参考にさせて戴きました。この他隧道・駅の位置等について、間違いがありましたら史料と共にご指摘いただけると幸いです。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- marsyさん 2022/06/18 09:15:20
- 柳ヶ瀬トンネル
- 先日もカキコしましたmarsyといいます。
あそこの赤信号はめっちゃ長いんですよね、
日本で一番長いとか。
昔はそれほど車も多くなかったので、車から降りて自分でボタンを押して、赤信号にしてから通っていました。
次回は旧北陸トンネル群ですか、杉津の辺ですよね。あそこは日本海が綺麗ですよね、
では失礼いたします。
ブリッジトレックさん旅行記にポチッとな!
- ブリッヂ・トレック(橋梁旅行)さん からの返信 2022/06/18 10:18:18
- Re: 柳ヶ瀬トンネル
- 確かに長かったです。センサーもあるしもう少し何とかならんのかな~とも思います。トンネル内に2箇所すれ違い用に拡大された部分があって、そこに矢印信号が付いているらしいのですが、さすがに撮影の為に停めるわけにもいかないので、諦めました。
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