
2022/05/19 - 2022/05/19
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5月の上旬は知床へ1週間ほど旅するつもりでしたが、ツアーの催行人数に達することなく中止になってしまいました。ぽっかり空いてしまった予定に急遽HISの「足元ゆったりシートで行く♪立山黒部アルペンルート・雪の大谷ウォークと開放感たっぷり!新緑の黒部峡谷鉄道・トロッコ列車に乗車&宇奈月温泉2日間」に申し込んでみました。1泊2日でお手頃な料金設定だったのと、宇奈月温泉に泊まれるのも魅力でした。昨年の夏の信州旅行で黒部ダムまで行っていながらその先の立山まで行けなかった無念さが残っていたこともありました。今回の旅で父の遺していた写真の順番や記憶が整理できて、中途半端になっていた旅行記の修正もすることが出来ました。
さて今回の旅の当日は平日の早朝に東京駅に行くということでかなり早い時間に家を出ました。午前5時を少し回った所でも池袋発の丸の内線はそこそこ混んでいましたが座ることが出来ました。集合場所の丸ビル前に着いてもまだ誰もいませんでした。仕方ないので東京駅の煉瓦駅舎の写真を撮って時間調整します。それらしいバスが来てそれらしい方が来られたので近くまで行くとHISの添乗員さんでした。検温をして体調確認表を貰って手続きを済ませます。この日の参加者は1人参加2名と2名参加16名の18名ということでした。HISの場合かなり詰め込まれるので心配していましたが、今回はラッキーでした。昨年の伊勢志摩の旅ではHISのラッピングバスの狭い座席に閉じ込められた43人のツアーだったので、今回は足元の広いバスを利用したものを選びました。座席は横4列に対して1組を1列ごとにテレコに座るので、前後には誰もいない状態なので座席をリクライニングもすることが出来ます。長丁場のツアーのなのでこれは助かりました。添乗員さんに後で聞いた話ではこれにあと1名でも参加者が増えたら成立しない並び方だったそうです。午前6時50分にバスは出発して、一ツ橋料金所から首都高速に入って関越自動車道に向かいます。宇奈月温泉までの道中では「上里サービスエリア」と上信越自動車道の「小布施サービスエリア」で休憩が入ります。小布施は4月に旅したばかりで懐かしかったです。その時は雪を頂いていた北信五岳も戸隠山と妙高山以外は雪が無くなっていました。北陸自動車道路に入って、親不知を通過した先の「越中境サービスエリア」で40分の自由昼食になります。デイリーヤマザキの中にイートインがあって、富山ブラックラーメンと旬の白エビかき揚げ蕎麦をいただきました。立山連峰の山々を眺めながら黒部で高速を降りてバスは黒部川沿いに宇奈月温泉へ向かいます。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- エイチ・アイ・エス
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この日の集合場所は東京駅の丸ビルの前に午前6時35分でした。通勤ラッシュの丸の内線には乗りたくないので、午前5時30分に池袋駅を出ましたが、ほぼ満席の状態でした。
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集合時間まで40分くらいあるのでベンチに座って時間を潰しました。妻に荷物を見ていてもらい、周辺をぶらぶら散歩します。
東京駅 赤レンガ駅舎 名所・史跡
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「愛の像(アガペの像)」は第2次世界大戦後に戦争犯罪者として捕まり、巣鴨刑務所にて刑死および獄死、法務死されたBC級戦犯が残した遺書を遺族や関係者を軸に「巣鴨遺書編纂会」が結成され、昭和28年にそれらの遺書をまとめた「世紀の遺書」が出版されます。昭和30年11月に収益金の一部でこの像が多くの出征兵士が通った東京駅丸の内の駅前広場に設置されます。製作は横江嘉純(よこえ よしずみ)によるものです。
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「愛の像(アガペの像)」と対を成すように置かれた像は「正二位勲一等子爵井上勝君像」で、鉄道庁長官などを歴任し日本の鉄道発展に貢献したことにより「日本の鉄道の父」と称される井上勝です。大正3年の1914年に本山白雲の原型制作により東京駅丸の内側の駅前広場に銅像が設置されます。しかし戦時中の金属供出に伴い撤去され、井上勝の没後50年を機に1959年に朝倉文夫の制作により再建されています。
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午前6時になると朝日が駅舎に当たり始めました。
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「行幸通り」の先に皇居の森がきれいに見えます。
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この辺りの風景も少し見ないうちにどんどん変わっています。普段は用が無いと都内を歩くことも少ないので、こんな時に驚くことになります。
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リニュアルされた東京駅に来たのもここ数年のことです。地下鉄で通過することはあってもなかなか地上に出ることはありません。
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こんな時代に生まれ育っていると「行幸通り」もきれいになっているし、東京駅の姿も現在とは違います。
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丸の内線の駅から八重洲口の北口に行く途中で北側のドームを見る機会は何度かあったので南側のドームを見てみます。
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基本的にはデザインは変わりませんが、朝日がドーム内に当たってきれいでした。
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昨年ステーションギャラリーに「木彫り熊の申し子 藤戸竹喜」を見に行った帰りに立ち寄ったステーションホテル。
東京ステーションホテル 宿・ホテル
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子供の頃に逓信総合博物館へ通うほど切手が好きでしたが、KITTEにはまだ1回しか行ったことがありません。「切手でたどる 郵便操業150年の歴史Vol.3 平成・令和編」が最近発売され、4トラベルでアップしているエジプト展の写真が使われたのですがまだ送られてきません。
KITTE (キッテ) ショッピングモール
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集合時間前にバスがやってきて、添乗員さんの準備が出来るのを見計らって手続きを済ませます。HISの場合はワクチン接種のチェックは無いようですが、健康確認書と検温だけで参加はOKのようです。この日の参加者は18名ということで拍子抜けします。昨年参加した伊勢志摩の1泊2日のツアーは43名でバス1台という完全に「密」なツアーでした。
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1名参加2名と2名参加8組の18名は10組と計算して、バスは10列なので2人掛けに左と右にずらして座ると前後には誰も座らないようになります。(最前列だけ添乗員さんが座るので3人ですが)これは後で添乗員さんに聞いた話ですが、後1人でも参加者が増えるとこの並び方が成立しないということでした。
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午前6時40分と少し時間前に出発します。バスは中央交通という会社に変更になりました。wifiとコンセントが無いと最近はがっかりしてしまいますが、最近は少しづつ増えてきているようです。座席をリクライニングすることが出来るのでバス的には快適でしたし、ドライバーさんは凄い良い人でした。皇居を左に見ながら一ツ橋料金所から首都高速に入り、関越自動車道を目指します。
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午前8時30分に「上里サービスエリア」で15分のトイレ休憩になります。トイレ休憩よりも買い物の方が楽しいのですが、あまり面白いものはありませんでした。
上里サービスエリア (下り) 道の駅
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最近は紙媒体のロードマップも作られなくなりつつあるので楽しみが減ります。見つけると家に持ち帰って保管して、次の旅行のルートの確認などに使っています。今回も4月の信州の旅でもらった「北信濃エリア」のマップを持ってきました。
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「上里サービスエリア」を出て藤岡ジャンクションから上信越自動車道に入ります。すると見えてくるのは妙義山です。初めは車窓の右側に見えますが、そのうち左側に移っていきます。
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赤城山と榛名山と共に上毛三山の1つに数えられる妙義山は耶馬渓 と寒霞渓 と共に日本三大奇景の1つと呼ばれます。
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表妙義縦走路は岩稜帯が連続し、こぶ岩・鷹戻し・奥の院の鎖場等で多数の死亡や重傷等遭難が繰り返し起こっているそうです。最後にここを登ったのは昭和44年の1969年の8歳の時でした。
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一応落下しても助けられるようなのか、体にロープが巻き付けられています。父との旅行は結構な命がけで、何度も「ここで足を踏み外したら死ぬな。」と思うことがありました。
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妙義山が見えなくなるとしばらくは緑の美しい山の中を走り続けます。時折り山藤がきれいに咲いていました。花は紫色が濃く、藤に比べて色濃く、白色のものもあるようです。藤との違いはツルの巻き方向が反対であること、花穂が長く伸長しないことで区別できるそうです。
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しばらくすると車窓の右手に浅間山が見えてきました。昨年は信州のツアーで善光寺へ行った帰りに志賀高原から草津を経由して、最後に「鬼押し出し園」に立ち寄って久しぶりに仰ぎ見ることが出来ました。
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浅間山へは家族旅行で昭和47年の1971年の8月に軽井沢にあった共同通信社の保養所に泊まった後に登りました。当時11歳で弟が9歳と6歳でしたが、全員でよく登ったものです。
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当時は山頂の噴火口の縁まで行くことが出来ました。この年は上高地から2度目の槍ヶ岳を登って、中岳、大喰岳、南岳キレットを通過してきた穂高から奥穂高を登った後なので、浅間山は簡単な山でした。
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ただ、下山する途中で捕まえた蛇を小諸の懐古園でいじっていたら弟が噛まれてしまい、それがマムシだと分かって大騒ぎになったことがありました。佐久病院に緊急入院して、母と下の弟を残して父と2人で帰ったのですが死んでしまうのではないかドキドキしました。
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左側の車窓からは遠くに北アルプスの山々が雪を頂いた姿を見せてくれました。
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午前10時20分に「小布施サービスエリア」に到着しました。ここで20分のトイレ休憩があります。ここは4月の松本城の桜と上田城の桜を観た後に湯田中温泉に向かう途中でも立ち寄りました。なのでめぼしいお土産が無いことは分かっています。
小布施パーキングエリア 下り 軽食・フードコート グルメ・レストラン
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驚いたのは駐車スペースの脇の花壇にアヤメが満開だったことです。ここのサービスエリアの脇には千曲川が流れ、八重桜がきれいなはずでしたが少し時期が早すぎました。ゴールデンウィークの頃であれば八重桜とリンゴの白い花が見えたのだろうと思います。
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その時期は過ぎていましたが、アヤメを見ることが出来るとは思いもしませんでした。アヤメの多くが山野の草地に自生していて、生育は比較的乾燥している場所を好むようです。
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「いずれアヤメかカキツバタ」という慣用句は、どれも素晴らしく優劣はつけがたいという意味ですが、見分けがつきがたいという意味にも用いられます。
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ここで見たかったのは「北信五岳」の山々です。4月にはまだ雪が積もっていた飯綱山はすっかり姿が変わっています。
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その奥に見える戸隠山は同じ1,800メートルほどの標高ですが、まだ一面の雪景色です。
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黒姫山もまだ少しの雪が残っています。
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400メートルほど標高の高い妙高山はまだ冬の姿のままです。
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斑尾山は1,400メートルほどなので雪は残っていません。2か月連続で「北信五岳」を見比べられるとは思いませんでした。一度は覚えた「まみくとい」も忘れそうです。斑尾山(ま)、妙高山(み)、黒姫山(く)、戸隠山(と)、飯縄山(い)の頭文字をとって並べたものです。
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サービスエリアを出発するとバスの右手にリンゴの木が見えました。1か月前はただの枯れ木の姿でしたが季節は移り替わっています。一度白い花を見てみたいです。その奥には小布施の町が広がっています。
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志賀高原方面の山々の雪ももう残っていないようです。春スキーのシーズンも終わったのでしょう。
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千曲川の奥は苗場山でしょうか。山の向こうは上越の「苗場」や「みつまた」や「かぐら」スキー場です。
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バスの左手には妙高山が近くになってきました。
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黒姫山もどっしりと構えた美しい山です。
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妙高山の山麓には赤倉スキー場があります。もう50年近く行っていませんが、小学生の頃に「朝日旅行社スキー教室」に行かされました。
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全く知らない子供たちに混ざってスキー教室というのは結構心細いものもありましたが、ちょっと大人になった気分でもありました。
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通り過ぎたサービスエリアには芝桜が満開でした。今回の旅が終わればすぐに北海道の旅があります。札幌から旭川を経由して稚内へ行く途中に芝桜を見に行く予定になっていたと思います。
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火打山から新潟焼山辺りはまだまだ雪が残っています。
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妙高サンシャインランドの観覧車が見えました。こんな豪雪地帯によく造ったと思います。ちなみに冬季は休業だそうです。
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この辺りの左側の車窓は迫力のある風景が続きます。
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添乗員さんから座席の移動は控えるように言われていて、どなたも動かないので写真を撮りに移動するのが憚れます。
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早朝からの移動で寝不足のために10分ほど気絶していたようで、目が覚めると上越ジャンクションを過ぎていました。目の前には日本海が広がっています。上越ジャンクションからは北陸自動車道路をしばらく走ります。天気も良く穏やかな日で、波も立っていないようです。
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旅行前から天気が気になっていましたが、出発の前日18日までは低気圧の影響が強く、旅行から帰った21日も天気が悪かったのは立山のライブカメラを見ていて分かりました。うまいタイミングで旅が出来たものだと我ながら感心します。
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新潟は米どころなので車窓の左右には水田が広がり、ちょうど田植えの季節のようでした。
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黒姫山南東側の「権現切羽」で採掘された「青海石灰岩」は2キロにわたるベルトコンベアでこの明星セメント糸魚川工場に運ばれます。
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この辺りはフォッサマグナと呼ばれる大地溝帯(だいちこうたい)の西側に当たる辺りです。フォッサマグナはラテン語で「大きな溝」を意味します。西縁は糸魚川静岡構造線と呼ばれ、諏訪湖を越えて静岡県の安倍川に至ります。
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バスの車内は水分補給以外の飲食は禁止ですし、マスク着用でも会話は最小限なのでとても静かです。さらに座席をリクライニングしているので誰もいないように見えます。
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「天下の險」として知られる親不知海岸を進みます。「親不知」の名称の由来は、断崖と波が険しいため、親は子を、子は親を省みることができない程に険しい道であると聞いたことがあります。
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また、壇ノ浦の戦い後に助命された平頼盛は越後国(現在の新潟県長岡市)で落人として暮らしていましたが、都に住んでいた妻は夫を慕って2歳になる子を連れて京都から越後国を目指します。しかし、途中でこの難所を越える際に、連れていた子供を波にさらわれてしまい、悲しみのあまりその時のことを歌に詠んでいます。
「親不知 子はこの浦の波枕 越路の磯の 泡と消え行く」越中境パーキングエリア 上り フードコート グルメ・レストラン
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移動中の最後の休憩は「越中境サービスエリア」でした。ここでは40分ほどの休憩になり、自由昼食の時間も兼ねます。とても小さいサービスエリアで、デイリーヤマザキの中に15人くらい座れるイートインがありました。
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添乗員さんからお昼の場所がインフォメーションされた時点で、ネットで検索してメニューは調べてあり、富山名物のブラックラーメンを注文しました。ここはもう富山県なのだと感じます。
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妻はサクサクに揚げた白えびのかき揚げをのせた蕎麦を注文しました。このもずっとと白エビを食べていたような気がします。ちょうど旬の季節なのでとても美味しかったです。
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サービスエリアを出ると北アルプスの北端の山々が見えます。残念ながら富山側から見える山の名前までは分からないのが残念です。
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越後から越中富山に入っても米どころなので田植えが始まっていました。
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子供の頃に登った白馬岳から立山連峰に向かっての山々がずっと続いています。
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水の張られた田んぼがとてもきれいでした。
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黒部川を渡るとそろそろ高速道路を降りるようです。川沿いに黒部川を遡って宇奈月温泉に向かうのだと思います。
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黒部インターチェンジで一般道に入ります。宇奈月温泉が近いと思うとワクワクしてきます。
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今まで富山周辺に来る機会があまりなかったですが、一度じっくり旅してみようかと思います。
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黒部川が近くに見えてくると宇奈月温泉もすぐです。
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