2022/05/20 - 2022/05/20
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gianiさん
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2022/05/20
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毛利元就が、石見国および銀山の支配拠点として整備した街。
古来から温泉地としても著名で、優れた泉質を誇ります。
政治都市、銀山外港、北前船寄港地、温泉観光地と社会の変遷を幾度も乗り越えて繁栄した街。令和に直面する不況の中で、どのように再生するか目が離せません。
徒歩で回れる小さな町ですが、一泊してじっくりと堪能することを、ぜひお勧めします。
- 旅行の満足度
- 5.0
-
https://4travel.jp/travelogue/11752924
石見銀山の旅行記↑
世界遺産を構成している温泉津へ向かいます。
全長14km峠越えもある銀山街道(自然歩道として整備)を歩く根性はないので、私は文明の利器に頼ります。
大森集落から鉄道駅までは、石見交通の路線バスが通っています。 -
JR仁万駅はローカル線なので、
列車を待つ長い時間を利用して、夕食をいただきます。
駅から徒歩7,8分の所にあるお店。おさかな処 料理 かめや グルメ・レストラン
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地魚をリーズナブルに味わえます。
地元漁師とのチャンネルを持っているのでしょうね。
メニューも、毎日の漁獲状況に対応できるフレキシブルなもの。 -
一番感動したのが、小鉢類。
プロの料理人が捨てる部位を、絶妙の仕込みで絶品に。
酒が進みます。まさに漁師料理です。
魚を熟知した人にしかできない逸品です。 -
今日のメイン
客からお金を取って料理を提供する。
プロ意識を感じました。 -
仁万の次は、馬路駅。
大内氏が石見銀山の外港として整備した鞆ヶ浦や、
鳴り砂の琴が浜があります。 -
温泉津駅で下車。
21世紀になって初めて訪れた温泉津の町は、大いに寂れていました。
大きな旅館が軒並み廃業。かつて泊まった宿が廃墟と化している姿を目にするのは悲しいです。 -
古民家を利用した宿に素泊まります。
詳しくは言えませんが、近所の古刹の跡取りの奥様が
歴史的文化的価値のある空家を次々と再生しています。
こうした努力のおかげで、温泉街の情緒ある景観が守られています。湯るり 宿・ホテル
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寝るだけの宿を取った理由は、ただ一つ。
温泉津の醍醐味、外湯を堪能するため!
伝説の外湯が2つありますが、源泉かけ流しという次元を超えてます。
いずれも源泉からの距離が2,3m、機械で汲み上げず地味をたっぷり含んだお湯、といった昔ながらのスタイルです。薬師湯 温泉
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温泉観光地としての歴史に相応しいハイカラな建物。
夜9時まで営業しているのが長所です。
湯上りの挽きたてコーヒーのサービスも、心憎いです。 -
屋上で、無料コーヒー片手に涼みます。
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静かな温泉町。
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コインランドリーのある建物に、2か月間の限定でお店が入っていました。
夜食にいかめしをいただきます。 -
シェフはイスラエル居住経験のある方で、ユダヤ風の味付け。
いか飯のイカは、地元漁師が内々で処分するカテゴリー。
市場に出回らず、漁師が知り合いにだけおすそ分けしたときに外部に流出する貴重な食材。 -
翌朝
泊まった部屋。調度品も、江戸期のものです。 -
共用スペースでゆっくり。
朝の儀式は、外湯参拝。
宿の内湯に宿泊者用タオルが備え付けてあるので、タオル片手に外湯めぐりできるのが嬉しいです。 -
泉薬湯は、早朝から営業しているのが長所。
始業時間に行っても、地元民が既に先客として入浴中(笑)。
日本の温泉という雰囲気。
お湯は透明ですが、空気に触れると鉱物が褐色化して、浴室に堆積しています。
今年印刷された能書きに「最近のキーパンチャー、タイピスト等の職業病に効く」と記載。50年以上、時間が止まっています。湯治の湯 泉薬湯(元湯) 温泉
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昨日、夜食をいただいたコインランドリー。
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タイムトンネルのような道を超えると、、、
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日本海に面した沖泊の集落です。
16世紀、毛利元就が銀を積み出す港として整備しました。温泉津沖泊 名所・史跡
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その先には入り江が。
日本海や温泉津湾の奥まったところにあり、防衛・防災面で優れた立地だと分かります。湊入口の右側には櫛山城、左側は鵜の丸城が建設され、毛利水軍の御三家の一つ、内藤水軍が駐留しました。 -
恵比寿神社。
湊に面して建ちます。沖泊、鞆ヶ浦、銀の積出港には必ず建てられた神社です。恵比寿神社 寺・神社・教会
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湾内には、船を係留するための「鼻ぐり岩」が今も残ります。
鼻ぐり岩 自然・景勝地
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沖泊の一つ南側の浦。
ここから、鵜の丸城を見上げ、実際に登ることができます。
1571年築の海城です。鵜の丸城址 名所・史跡
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登山道にある秀逸な案内表示。
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温泉津の歴史と石見銀山のかかわりについて学べる、コンパクトながらも秀逸な展示スペースがあります。
ゆう ゆう館 美術館・博物館
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中生以前
10世紀の史料「和名類聚抄」(写真)に温泉(ゆの)郷として記載。
13世紀の史料には津と書かれ、港としての機能が確認できます。 -
地名の確立
1561年に毛利元就は温泉津を占領。銀山経営と石見国支配の拠点としました。
温泉のある港ということで、温泉津の地名が全国区になりました。 -
石見銀山
毛利元就は、銀の積出港として温泉津を整備。銀山へは、生活物資や灰吹法に必要な鉛などが荷揚げされ、ヒトやモノが盛んに行き交いました。
番所:銀山役人が港に入る船を取り締まり、積荷の課税や通交を管理。
宿蔵:荷役・保管を担当した問屋。役所への届出、廻船との売買、船員の宿泊、水食糧の補給、海難事故の処理などを担当。
助郷:物資輸送のための人馬調達。 -
江戸時代に温泉津は、温泉津浦、小浜浦、波路浦、沖泊浦の4か浦の総称で、風向き等の気象条件に応じて使い分けられました。
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潤う町
1632年の「たばこ役算用状」からも分かるように、当時の贅沢品が温泉津で大量消費されたことは、銀山の富が海へスルーしないで温泉津にも滞留していたことが分かります。ウィンウインの関係です。 -
資料室には、様々な交易品や贅沢品が展示されています。
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北前航路
17世紀中盤には銀の生産量が激減し、銀の輸送も陸路に切り替わります。
諸国の物資を季節風に乗って帆船輸送する物流体制が確立し、温泉津は廻船の西航路(北前)の寄港地として繁栄します。1707年に16軒あった廻船問屋が、1745年には40軒余りに増加していることからも分かります。 -
廻船業者の栄枯。江戸時代初期の温泉津寄港は加賀の大型船が突出していましたが、1793-1865年に編纂された「諸廻船御往来御改帳(写真左)」によると、隠岐の小型船が最も多くなっています。
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西田葛
1700年に瑞泉寺の僧が上洛の際に吉野葛の製法を学び、萬屋久衛に伝授。特産品となった。現在は、1月に限定生産。 -
船絵馬(1903年)
海上安全を祈願して船主や船頭が神社に奉納しました。鉄道網の整備に合わせて北前船は衰退し、寄港地温泉津はまたしても変化を迫られます。 -
温泉観光地
物流拠点としての役割を終えた温泉津は、古くから知られる温泉を前面に押し出し、湯治場として繁栄します。
むすび
平成になって温泉街は衰退しますが、令和では若者がSNSやメッセージアプリを活用して、全国のパワーあふれる人材を呼び寄せ、尚且つ客を集めるべく奮闘中です(昨晩お邪魔した飲食店も、その試みの一つです)。 -
17世紀の絵図と比べても、温泉津の町並みは当時と変わっていないことが分かります。石見銀山に伴う歴史を豊かに残すという意味でも、温泉津は高く評価されています。
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西念寺
毛利元就が九州立花城を攻めた際に、手柄のあった然休上人が開基した。毛利氏が、境内と沖泊を結ぶために岩盤を開削したトンネル「沖泊往還道」の出入り口があります。 -
北前船の守り神として、信仰を集めました。
ゆうゆう館に展示されている船絵馬も、ここに奉納されたものです。龍御前神社 寺・神社・教会
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内藤家庄屋屋敷
家屋は、1747年の温泉津大火以降の現存する最も最古の建築。
当主は代々又左衛門を名乗り、現在は18代目淳彦氏。
略歴:内藤家は毛利水軍御三家の一つ。毛利元就の命を受けて温泉津港口に鵜の丸城を築き、初代奉行(=毛利直轄地)に着任。徳川支配下では、温泉津の庄屋を務め、以後廻船問屋、酒造業、郵便局等の経営に携わる。 -
石州(石見国)の旅は、これで終しまい。
次は雲州(出雲国)松江へ移動します↓
https://4travel.jp/travelogue/11754481
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