2022/04/25 - 2022/04/25
602位(同エリア1419件中)
あおしさん
この旅行記のスケジュール
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
春の弘前の町は桜で埋まります。
前日は弘前でホテルが取れず、青森泊。
今日は三内丸山遺跡に行こうと思っていましたが、なんと第4月曜日は月1回の休業日。
そこで、弘前公園周辺で1日終わってしまったので、今日は再度弘前に行き、レンタサイクルを借りて最勝寺や禅林街をまわりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- JALグループ JR特急
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
ホテルを出て、10時の弘前行の電車まで時間があるので、駅から5分の「青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸」に寄ります。
かつて本州と北海道を結ぶ大動脈だった青函連絡船。
青函トンネル開通時に廃止になりましたがそのうちの一隻・八甲田丸が保存されています。青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸 美術館・博物館
-
かつての青森駅のホームから青函連絡船への跨線橋。
今はホームの入口は閉鎖されていますが、八甲田丸の入口として使われていました。
青函連絡船健在のころは、連絡船を降りた乗客が乗り継ぎの列車の席取りのために、ダッシュしてこの跨線橋を渡る「青函レース」がありました。 -
八甲田丸の入口。
私が青函連絡船に乗ったのは大学生の頃。
当時と変わらない船体で、懐かしい。 -
船内は資料館になっています。
昭和30年代、青函連絡船の全盛期の青函連絡船の乗り場や青森駅周辺の街の雰囲気が再現されています。 -
青函連絡船の歴史の中でもっとも重大事件だった「洞爺丸」事故。
昭和29年、台風のさなか、出航した洞爺丸が沈没、死者・行方不明者1155人の大惨事となりました。
海岸には多くの方の遺体が打ち上げられたといいます。
この事故は故三国連太郎さん主演の「飢餓海峡」をはじめ、多くの作品にも使われています。
この事故から青函トンネルの建設が決まりました。 -
青函連絡船最終日の新聞記事。
他にニュース映像なども放送されていました。
青函連絡船一筋の船員さんは涙声でインタビューに答えていました。 -
甲板に出てみました。
私が青函連絡船に乗ったのは3月。
寒空、北風で石川さゆりさんの大ヒット曲「津軽海峡冬景色」そのものでした。 -
さて、青森駅10時前の電車で弘前へ向かいます。
月曜日なのに、弘前へ向かう人で5両編成の電車は満員。
向うに見えるのは「青い森鉄道」の電車です。青森駅 駅
-
11時前に弘前駅に到着。
月曜日なのに、駅前の弘前公園受付には長い行列。
今日も多くの人が桜の弘前城へ行くようです。
駅前でレンタサイクルを。
1日500円。弘前市観光案内所 名所・史跡
-
弘前の商店街にはレトロなお店が多く残ります。
この一戸時計店もとんがり時計台が印象的でした。
店主の方が亡くなり、現在は廃業しているようですが、この店を保存する活動がされているようです。一戸時計店 名所・史跡
-
この小野金商店も昭和3年に建てられらたお店。
もとは藁工品店でした。
今は猫グッズなどの雑貨を販売していました。小野金商店 名所・史跡
-
赤レンガの教会・弘前昇天教会。
イギリス国教会系の教会です。
中に入りたかったのですが、「コロナ」の関係で閉まっていました。
信者向けの日曜日のミサだけやってるようでした。弘前昇天教会 寺・神社・教会
-
弘前の名所の1つ、最勝寺へ。
隣にある八坂神社から見た五重塔。
幼稚園児たちがお弁当を食べていました。富田の清水 名所・史跡
-
風が吹いてくると、桜吹雪が舞いました。
園児たちは大よろこび。
写真ではいまひとつですが、こんな見事な桜吹雪は見たことがありません。八坂神社 寺・神社・教会
-
八坂神社から最勝院への参道も見事な桜吹雪でした。
観光客の人も歓声を上げていました。
最勝院は普段は境内自由ですが、この時期は500円の「寄付金」がかかります。
ちょっとちゃっかり。最勝院 寺・神社・教会
-
最勝院の五重塔。
見事な塔です。
桜とのコラボがとても美しいです。最勝院五重塔 寺・神社・教会
-
最勝院の隣にある青森県立弘前高等学校。
明治時代に開校した青森県中学校に始まり、まもなく創立140年の青森県屈指の名門校です。
構内には明治時代の校舎が保存されています。
中にも入りたかったのですが、閉鎖されていました。鏡ヶ丘記念館 名所・史跡
-
弘前高の隣にある袋宮寺。
寺というよりお堂のような小さな寺ですが、本尊である観音様は8mもあり、とても大きく立派なものでした。袋宮寺 寺・神社・教会
-
さらにレンタサイクルで進んでいくと、33ものお寺がある寺町・禅林街があります。
33のお寺はメインの通りにある21の寺と脇の通りにある12の寺にわかれています。
脇へ入るところにある赤門。赤門 名所・史跡
-
禅林街のメインの通りの入口にあるのが黒門。
黒門 名所・史跡
-
黒門をくぐると、美しい杉並木、両脇には20の寺院が並び、もっとも奥にある長勝寺へ続きます。
禅林街 名所・史跡
-
黒門をくぐるとすぐにあるのが栄螺堂。
全国でも珍しい八角形のお堂です。
中も特徴的だそうですが、中には入れませんでした。栄螺堂(蘭庭院) 名所・史跡
-
禅林街の一番奥にあり、中心となっているお寺、長勝寺。
見事な山門です。
重要文化財です。長勝寺 寺・神社・教会
-
長勝寺の境内。
本堂と庫裏も重要文化財。 -
このお寺の見どころである弘前城主であった津軽家霊屋。
ただ、一般開放はしていないようで、入り口の塀は閉じられていて、遠くからしか見れませんでした。
少し残念 -
禅林街は弘前城の外城としての役割もありました。
長勝寺の横は元城跡の広場になっていました。嶺応山 梅林寺 寺・神社・教会
-
ここから見る岩木山は今日も美しい。
中央弘前駅 駅
-
弘前公園へ行き公園内にある弘前市立博物館へ。
弘前地域の歴史についての展示がされています。
弘前城主だった津軽氏のことはあまり知らなかったので、勉強になりました。
津軽藩の歴代の肖像画も展示されていました。
真ん中・ 初代津軽為信(1550~1608)
軍事外交に優れた戦国武将で、南部家の家臣でしたが、豊臣秀吉、徳川家康にうまく取り入り、独立した大名となりました。
右は2代津軽信牧(1586~1631)
14歳の若さで関ヶ原合戦に参加し、徳川家との連帯を深め、弘前藩の基礎を固めました。
左は3代津軽信義(1619~1655)
暗君、暴君とも言われるようですが、藩の治世に尽くした殿様でもありました。弘前さくらまつり2024 祭り・イベント
-
青森県出身の版画家・棟方志功のねぷたも展示されていました。
弘前市立博物館 美術館・博物館
-
弘前市は日清戦争後、対ロシアに備えて、東北では仙台第二師団に次ぎ、第八師団が置かれたことで軍都として栄えました。
第八師団では八甲田山に雪中行軍を行い、管轄下の青森歩兵第5連隊210名のうち199人の兵士が凍死、ほぼ全滅した「八甲田山雪中行軍遭難事件」が有名です。
一方、福島大尉が率いた弘前歩兵第31連隊37名と新聞記者1名が無事踏破したものの、日露戦争の黒溝台会戦において福島大尉以下、多くの兵士が戦死しています。誓願寺 寺・神社・教会
-
弘前公園をぐるりと回って津軽藩ねぷた村へ。
多くのお土産物店や名産品店の並ぶ、観光客向けのショッピングセンターです。津軽藩ねぷた村 美術館・博物館
-
ここには有料施設もあり、弘前のねぷたが展示をされています。
太鼓叩き経験や、津軽三味線の演奏などが行われていました。揚亀園 公園・植物園
-
最期は弘前市の氏神でもある弘前八幡宮へ。
弘前の氏神様がなぜ八幡宮?と思いましたが、城主津軽氏は南部氏の分家であり、南部氏は甲斐源氏だったので、京都石清水八幡宮や鎌倉鶴岡八幡宮と同様、清和源氏の氏神である八幡宮が弘前の氏神になったようです。弘前八幡宮 寺・神社・教会
-
4時間ほどレンタサイクルでまわって弘前駅へ戻ってきました。
弘前空港行のバスは月曜日なのに満席。
普通の一般バスが続行便として急きょ運転されていました。弘前駅 駅
-
青森空港も大混雑。
月曜日でこれだったら、GWはさぞかしすごいことになってるのでしょう。青森空港 空港
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
この旅行で行ったスポット
もっと見る
弘前(青森) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 春 桜満開の弘前
0
35