
2022/03/31 - 2022/04/05
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旅に恋するウミガメさん
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愛媛県で訪れたのは、城の中で最も新しい『松山城』。岡山にも松山城がありますが、愛媛(伊予の国)の城と区別するためにそちらは『備中松山城』と呼ばれています。岡山に『備中』が付くのであれば、こちらは『伊予』。しかし一般的には、『備中松山城』に対して、愛媛の城は『松山城』。別名は『勝山城』または『金亀城』と言います。この日はお天気も良ければ、桜の花もほぼ満開。美しい城が、更にその美しさを増していました。備中松山城と同じくこちらも現存12天守のひとつで、日本さくら名所100選、日本の歴史公園100選にも選ばれている松山城。今回は蛇口から出てくるみかんジュースを飲みながら、城見学を楽しんだ私たちでした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 自家用車
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背景が綺麗ではありませんが、今回は幕末に再建された『松山城』を紹介します。
画像は築城に着手した加藤嘉明。
築城3名人と呼ばれる藤堂高虎、加藤清正、黒田如水(黒田官兵衛)の名前は皆さんも良くご存知だと思いますが、こちらの加藤嘉明も築城の名手ですよ。
賤ケ岳七本槍のひとりで、秀吉朝鮮出兵の時には水軍の将を務めた武将。
秀吉亡き後、関ヶ原の合戦では徳川家康に従軍。
その功績が認められ、20万石の大名となりました。
加藤嘉明の後は蒲生忠知が入国するも、参勤交代の途中で病死。
後に親藩・松平定行が三代城主となり、本壇を改築。
その時(1642年)に建てられたのが、3重の連立式天守でした。
しかしながらその城は1784年の落雷で焼失。
私達が今目にしているのは、1852年に再建されたものです。
昭和の時代に入り今度は放火で一部を焼失しましたが、その部分は既に総木造で復元。
完全城郭建築を見たいのであれば、松山城へ…。
今回は時間の関係もあり、リフトで本丸広場を目指します。 -
夏目漱石が、英語の教師として赴任していた松山。
城山ロープウェイの建物の前には、『坊ちゃんとマドンナ像』が置かれています。松山城山東雲登山口~長者ヶ平ロープウェイ 乗り物
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こちらは、ロープウェイ乗り場にある城の模型。
乗車前に見ておくと、本壇がイメージできると思いますよ。 -
晴天!
本丸広場へ向かうために私達はリフトを利用しましたが、駐車場からは ①ゴンドラ ②リフト ③徒歩の3つの方法があります。
リフトに乗っている時間はおよそ6分。
今の季節は、桜を見たり街並みを見たり…。
またリフトの下にもいろいろ書いてありますので、退屈せずに頂上駅まで行くことができます。 -
頂上駅に到着。
ゴンドラの駅もリフトの駅もこちらの建物ですが、広場側から見ると左にリフト乗り場。
右にゴンドラ乗り場。 -
天守まで徒歩10分とありますが、寄り道ばかりしていた私たちはその数倍も時間がかかってしまいました。
松山城には階段や坂が有りますが、緩やかなので駐車場(下)から歩いて上るのでなければ足の負担もそれ程感じないでしょう。 -
徒歩で本丸広場を目指すのであれば、4ルート。
東雲神社方面と書かれているのが『東雲口登城道』。
二の丸庭園・県庁方面と書かれている方には、『県庁裏登城道』と二の丸史跡庭園を経由する『黒門口登城道』があります。
もう一つは、本壇の北側を歩く『古町口登城道』。 -
本壇を目指し、本丸広場を北へ進んでいきます。
と言っても『城』ですから、直線で天守に行くことはできません。
この旅行記の最初に紹介しましたが、築城主は加藤嘉明。
この漢字を『かとう よしあきら』と読む人もいれば、『かとう よしあき』で読む人もいますが、江戸幕府が編纂した寛政重修諸家譜(かんせいちょうしゅうしょかふ)には『よしあき』で書かれているそうですよ。
正式な資料ではありますが、編纂されたのは加藤嘉明没後およそ200年。
時を遡った情報がどこまで正しく記載されているのかは分からない…という事でした。
幕府が関わっているということもあり、パンフレット等には『よしあき』の名が使われていますが、「学校で習ったのは、よしあきらだった。」と言う人たちもいますので、これに関してはどちらが正しいと決めるのは難しいようです。 -
最初に松山城の石垣を見てみましょう。
(本丸で見た石垣をランダムに紹介。)
この松山城では、野面積み(のづらづみ)・打込接(うちこみはぎ)・切込接(きりこみはぎ)を見ることが出来ます。
石垣技術が登場した初期の頃は野面積み。
その後に登場したのが打込接。
そして江戸時代になると切込接に変わっていきます。
石が描く横ラインや、石と石の隙間などで上記3種類の区別が出来ると思いますが、打込接も初期の頃と後期の頃ではかなり差が有ります。
石垣の説明は【春のSAKURAドライブ】城の魅力は無限①の旅行記で記載しましたので良かったらそちらをご覧ください。
松山城は、天守に近づくほど切込接。 -
画像中央にある石には、縦に矢穴の跡が残っていました。
-
太鼓門の石垣。
表面には化粧が施してあるように見えましたが、風化のせいで消えてしまったのか、それとも見せるための化粧ではなく単に削り跡だったのかを判別するには、私のレベルでは難しいものがあります。
石の下の方を見ると矢穴で石を割っているというのも分かりますので、素通りせずほんのちょっぴりでも石垣に目を向けてくださいね。 -
打込接よりも、綺麗な横ラインを描いている切込接。
-
石垣の『扇の勾配』は、本当に美しいですよね。
この日は雲ひとつなく桜もほぼ満開でしたので、美しい城が更にその美しさを増していました。
丸亀城もこのような青空だったら良かったのですが、こればかりは【運】。
画像は隠門続櫓(重要文化財)。 -
屏風折の石垣。
敵が一気に攻めてくるのを防ぐために、わざと道を曲げるように造られています。
石垣は防衛のために築かれましたが、丸亀城の石垣も松江城の石垣も【芸術美】。 -
続いては春らしく桜。
ソメイヨシノよりも赤みが強い陽光桜は、愛媛の山間部で暮らしていた高岡正明氏によって生み出されたものだそうです。
映画化もされている『陽光桜-YOKO THE CHERRY BLOSSOM-』。
松山城を訪れたら是非こちらの桜もご覧ください。 -
先程徒歩で本丸広場へ向かうには4つのルートが有ると紹介しましたが、戸無門近くにあるこの場所(画像の石垣の間)に出るのが黒門口登城道。
松山城の特徴である登り石垣を見るのであれば、県庁側の2ルートを選びましょう。
石垣の上を歩くことはできませんが、二の丸御殿の辺りでこの登り石垣を見ることができます。
しかし黒門口登城道は石段が多く、雨の日は滑り難いシューズでお出掛けください。 -
前の画像の右に見えていた道を進むと戸無門へ行きますが、その門へ行くためにはU字に曲がらなくてはいけません。
今は道も舗装されていますし柵も有りますから迷うことはないのですが、もし舗装されていなかったら、乾門方面に向かって真っすぐ進む人もいたと思います。
「石垣で道幅も狭くなっているから分かるでしょ!」と仰るかもしれませんが、歩いている状態なら確かに曲がる場所もすぐ分かるでしょう。
しかし下から勢い良く駆け上がる敵兵にとっては、この曲がる場所が石垣に遮られて見えないのです。
特に人気アニメキャラ伊●助タイプなら、周りが見えず絶対に真っすぐ進んでしまうと思いますが、実はこの道は行き止まり。
「しまった!」と引き返そうとすれば、後続の人たちとぶつかり合い…倒れ…敵は大混乱という状況が容易く想像できます。
是非その辺りを確認しながら歩いてください。 -
重要文化財に指定されている戸無門は、大手入口最初の門。
-
内側から見ると、屋根が3つの高麗門の造り。
鏡柱(画像中央付近)の後方に控え柱(小さな屋根の下にある左側の柱)は有りますが、門扉が見当たりません。
敢えてこの様な造りにしたのは、敵軍を次の筒井門へ誘い出すためではないかと言われています。
門の基本も丸亀城の旅行記で記載しましたので、そちらをご覧ください。 -
正木城(伊予松前城)から移築された筒井門、松山城最大の門。
櫓部分には沢山の狭間(小さな窓)が有り敵を迎え撃つようになっていますが、ここで見逃してはいけないのが石垣(右)の奥に隠れている隠門(重要文化財)。松山城 筒井門東続櫓 名所・史跡
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戸無門から筒門へ進む敵軍にはこの門(隠門)が見えない造りになっており、敵の側面から奇襲することができます。
ではここで戦をイメージしてみましょう。
筒井門を突破しようとする敵軍。
下からも続々と兵が上ってきますが、門扉が閉まっているため自然とここに人が溢れるような状態になります。
筒井門の内側では松山藩士たちが敵軍を迎え撃つために待機。
もしかしたら敵軍は丸太で門を叩いていたのかもしれませんが、それは時代劇ドラマの見過ぎかも?
いずれにせよその状況の時に、隠し門から出てきた松山藩士たちが敵を側面から攻撃。
敵軍にとっては最初の難関ですので、お見逃しなく!
隠門は、埋門(うずみもん)形式の櫓門。
埋門は石垣や土塀の下部をくり抜いたり、石垣に穴をあけるような感じで造られた門のことを言いますが、鏡柱の横に寄掛柱があり石垣に寄り掛かるような感じでこの柱が立っています。 -
鏡柱(かがみばしら)には饅頭金物(まんじゅうかなもの)と肘金(ひじがね)。
扉の方には壺金(つぼがね)と入り八双(いりはっそう)。
城門の基本構造も、そろそろ頭の中に入ってきた頃ではないでしょうか。 -
筒井門を潜ると、正面に見えてくるのが石垣の上に建造された太鼓櫓。
建物の右には渡塀があり、太鼓門へと続いています。
満開の桜で見えないのですが、この塀は内側が白色の漆喰塗籠で外側が黒色の下見板張り。 -
太鼓門。
右の巽櫓西塀を辿っていくと巽櫓。
敵軍にとっては次の難関です。 -
巽櫓。
残念ながら今は工事が行われているため建物がネットで覆われていますが、代わりに満開の桜を楽しんだ私でした。
巽櫓及び巽櫓西塀の改修工事は、令和4年5月12日まで行われます。 -
反対側から見る太鼓門。
戦が起こっていれば、ここでも大勢の人が敵軍を待ち受けていたことでしょう。
画像に写っている白い塀は、筒井門から侵入してくる敵の正面に位置するもの。
太鼓櫓の紹介で桜に覆われていた部分が、この塀です。
太鼓門を突破すれば、次に目指すのは本壇。 -
本丸広場に有る井戸は、直径2m深さ44.2m。
谷底にあった泉を井戸にして残したもの。 -
画像の右に見えている建物は、馬具櫓。
奥には天守が見えています。 -
『本壇』を歩く前に、少しだけこの言葉に触れておきましょう。
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本壇は天守など主要な建物がある区画を指しますが、松山城の場合は本丸の北側にこの本壇が有ります。
本壇の他にも、天守曲輪や天守郭という言葉で表されることもありますが、曲輪も郭も石垣や塀などで区切られた区画のこと。
画像左から、南隅櫓、小天守、低い建物が一の門南櫓(重要文化財)、後方に天守(重要文化財)、右隅に二の門南櫓(重要文化財)が写っています。 -
本壇の石垣の前にある建物(人がいる所)は、天守前チケット売り場。
チケットを購入したらいよいよ本壇の見学です。
ここでも、攻める側或いは護る側になったつもりで歩いてみましょう。 -
一の門へ続く道。
天守がすぐ目の前に見えていますが、城ですからそう簡単に辿り着けるはずがありません。
天守の石垣のように見える所には、天守の建物ではなく塀(筋鉄門東塀)が設けられています。
天守があるのは、その塀の奥側。 -
筋鉄門東塀をアップにしてみたら益々天守の建物の一部のようですが、先に天守の屋根をチェックしてみましょう。
一番上の屋根は入母屋造り。
すぐ下に曲線を描いている唐破風。
更にその下が千鳥破風(△の部分)。
石垣の上の壁は、天守の建物ではなく筋鉄門東塀。
外側から見る筋鉄門東塀は、黒い下見板張り。
下見板張りは細長い横板を少しずつ重ねて貼って行く外壁施行方法ですが、その板に煤(すす)と柿渋(かきしぶ)で出来た墨が塗られているため黒くなっています。
狭間や石落しなども有りますので、少し気にしながら歩いてみては如何ですか? -
石垣部分には、内部に溜まった水を外に排出するための排水溝がありました。
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本壇入り口にある一の門(重要文化財)は、脇戸付き高麗門。
松山城 一ノ門 名所・史跡
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この門には八双が無いので、門扉を取り付ける金具がどのように入っているのかが良く分かりますよ。
また閂を取り付けるための饅頭金物も有り、門の基本的な構造を確認したい人は是非チェックしてみましょう。 -
二の門側から見た一の門。
後方奥に見えるのは小天守です。
この小天守は、昭和8年の放火により焼失。
現在は復元されていますが、重要文化財には指定されていません。
白い部分は漆喰塗籠、黒い部分は下見板張り。 -
一の門の横にあるのは一の門南櫓(重要文化財)。
画像は一の門と二の門の間で撮影したものですが、ここは桝形の仕切りになっています。
左に見える塀の外側は下見板張りですが、内側は漆喰塗籠。 -
一の門を潜るとすぐ左手に現れるのが二の門。
鏡柱側には入八双。
真ん中に閂を取り付けてある饅頭金物(乳金物)。
そして右(鏡柱の後方)に控え柱。 -
二の門も脇戸付。
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今度は反対側から見てみましょう。
こちらは薬医門。
門の左に二の門南櫓(重要文化財)、右には三の門南櫓(重要文化財)が有ります。 -
角度を変えて見た天守。
こちら側に有るのは、2つの千鳥破風(△部分)でした。
天守は最上階が漆喰塗籠で、下の階は下見板張り。
板には煤と柿渋で出来た墨が塗られていると言いましたが、信長や秀吉の城には高級品の黒い漆が使われていたとか。
流石はどえりゃ~事をする天下人です。 -
今までは90度曲がると次の門が現れましたが、ここは90度左に曲がると天守の石垣。
その為U字屈折になります。 -
反対側から見る三の門(重要文化財)。
脇戸は有りませんが、高麗門の造り。 -
三の門から90度右に曲がると、今度は筋鉄門(すじがねもん)。
これを潜ればいよいよ天守ですが、最後の門も特徴が有りますので見逃さないようにしましょう。
この筋金門も放火で焼失してしまいましたが、現在は復元されています。
一の門の手前で天守と一体化しているように見えたのが、画像左に写っている筋鉄門東塀(重要文化財)。
外から見た時は壁が黒かったのを覚えていますか?松山城 小天守 名所・史跡
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今までの門は木だけが使われていましたが、この筋金門を見ると間隔を空けて鉄板が貼り付けられています。
隙間なく鉄板を貼り付けてあるのは鉄門(くろがねもん)。 -
ようやく天守入り口まで来ました。
出入口は、地下1階の穴蔵。
「何でここが1階じゃないの?」と思いましたが、石垣のこの部分はあくまでも穴蔵で木造の建物部分から1階が始まる…と割り切って考えることにした私です。
石垣部分を見ると、綺麗な仕上がりの切込接。
リフト&ゴンドラ乗り場近くにあった石垣と比べると、雲泥の差ですよ。
この天守にはスリッパと鍵付きロッカーが有りますが、急な階段を上ることを考え私はバレエシューズのようなMyスリッパを持参。
しかし松山城では特にスリッパを持参する必要はないと思いますので、心配な方だけ持っていきましょう。
手すりなどを触った後は、用意されているアルコールで消毒。
しっかりと感染予防策が講じられていた松山城でした。松山城 名所・史跡
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鉄板貼りになっている穴倉(天守)の門扉。
見せる門ではなく、完全に護りの門ですね。 -
天守は居住空間ではないので、天井部分は画像のように剥き出しになっている事が多いのですが、松山城の天守の天井は普通の和風住宅のように板が貼られています。
その点も他の櫓と違うので比較してみましょう。 -
天守の床。
板張りというだけなら他の城でも良く見掛けますから特に珍しくはないのですが、ここの床を良く見ると畳を敷くことができるようになっています。
主要な部分に使われている柱も立派で、床の間や武者走りなども有りますので、時間をかけてご覧になられると良いでしょう。
天守の中では、見どころを映像で確認できます。 -
今度は展示を見てみましょう。
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松山城は現存12天守で唯一親藩の城ですから、今回は三つ葉葵を中心に幾つか紹介しようと思います。
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葵紋入塗金薬缶。
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長持に付いている家紋は、三つ葉葵と星梅鉢。
三つ葉葵は松平家の家紋で、星梅鉢は旧姓である久松家の家紋。
ちなみに加藤家の家紋は蛇の目で、蒲生家の家紋は左三ツ巴。 -
火事装飾①
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火事装飾②
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鬼瓦
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天守鯱の雛形。
松山城の天守は落雷で焼失していますが、ペリーが来航した翌年に再建。
三都の焼物師から取り寄せた鯱の雛形の中から選ばれたのが、京都清水のものでした。 -
では実際に天守の屋根の上を見てみましょう。
鯱には避雷針が取り付けられていますよ。 -
角度を変えて…。
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こちらにも三つ葉葵の紋。
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天守の展示ではありませんが、リフト&ゴンドラ乗り場にも鯱が置いてありましたので一緒に紹介します。
左は【天丸】。
こちらは天守の屋根の南側に置かれている鯱で、玉を銜えています。
右の【まつ姫】は、天守の屋根の北側にある鯱。 -
再び天守。
甲冑の重さは約20㎏~40㎏と言われていますが、着用するとそれ程重いとは感じないとか。
「本当かなー?」と思いましたが、機会があれば一度着てみたいですね。 -
侍の似顔絵。
説明書きを読むと、天守再建当時の大工が二の重南の下見板張りの裏に描いたもので、モデルは作事奉行ではないかという事でした。
慕われていたのか、それとも憎き監督官だったのか? -
続いては木組み。
これを見て「なるほど!」と思う人はその道に携わっているか、或いはパズル好きではないでしょうか。
展示だけでは日本伝統技術の素晴らしさを伝えていくのはなかなか難しいものがありますが、実際に木を削り組み立てていく様子を映像で見ると、その凄さを理解してもらえると思います。
以前私も某テレビ番組で宮大工さんの職人技を見ましたが、木組みは本当に素晴らしい。
これを考えた人は、もっと素晴らしい。
「あっぱれ!」でございます。 -
天守から見る、桜満開の本丸広場。
今の天守は、家康の甥である松平定之の時代に改築されたもの。
加藤嘉明が最初に建てた天守は5重だったようですが、現在は3重です。 -
下に見えているのは、本丸の東側(鬼門)を護る艮(うしとら)門東続櫓。
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乾櫓(重要文化財)は、搦手入り口に置かれた門。
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本壇の北西に置かれているのが、画像奥にある北隅櫓。
その左横にあるのが十間廊下で、北隅櫓手前方向に有るのが玄関と玄関多聞櫓。
この辺りも昭和8年の放火により焼失しましたが、現在は復元されています。 -
天守を出る前に撮影したもの。
先程の十間廊下の左部分がこちら。
角には南隅櫓が置かれていますよ。
画像には写っていませんが、この左方向に小天守。 -
玄関・玄関多聞櫓。
玄関と言うくらいですから、本来はこちらが天守への入り口になっていたようです。 -
建物の中から見る玄関。
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天守からの帰りは、筋鉄門ではなく仕切門から。
ここも高麗門の造り。
仕切門も、その左側に見えている仕切門内塀も重要文化財ですよ。 -
仕切門を潜ると天神櫓。
本壇の東北(鬼門)に置かれている櫓です。 -
最後に、松山城で待っている食べ物の誘惑をご覧いただきましょう。
いよかんソフト。
う~ん、こちらも捨てがたい! -
しかし私がどうしても挑戦したかったのは、蛇口から出てくるみかんジュースでした。
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この日のジュースは甘い【いよかん】。
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この蛇口ジュースはプラカップとビアジョッキが選択できますが、今回はビアジョッキ。
遠慮して注いでも、並々と注いでも値段は変わらず。
これから益々気温が上がりますので、城見学に疲れたら蛇口から出てくる生ジュースを飲んでみませんか?
ちなみに友人の話では、蛇口から出てくるジュースは松山空港にもあるそうですので、空の旅を楽しまれる方はそちらでどうぞ。
値段も同じだそうです。 -
今回は長い城旅行記になりましたが、兎にも角にも見どころ満載の松山城。
現地ではバーチャル体験も出来ますので、ゴールデンウィークに完全城郭を見に行ってみませんか?
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