2022/03/31 - 2022/04/05
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ST&G-旅に恋するウミガメさん
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この旅行記では、『日本現存天守12城』のひとつで『日本100名城』にも選ばれている丸亀城を紹介します。残念ながらこの日は生憎の雨模様でしたので淡い桜のピンク色も映えなかったのですが、GWに向け城の少しでも多くの方に城の魅力を知ってもらおうと『基本情報』を確認しながら、【丸亀城】の魅力に迫ってみようと思います。天守は小さいのですが、魅力たっぷりの城です。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 自家用車
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うどんでお腹を満たした後は、現存12天守のひとつである丸亀城へ移動。
生憎の雨模様でしたが、大手二の門から入城して天守を目指します。
入城前に、まずは写真撮影。
大手門と天守を一緒に写真に収めることができるのは、高知城(こちらも現存12天守のひとつ)だけではありませんよ。丸亀城 名所・史跡
-
明治時代には陸軍省の所轄となり、大手二の門に続く道は木の橋から石橋に改築。
皆さんに注目して欲しかったのは、鳥ではなく石橋です。 -
今度は二の門の左右にある石垣を見てみましょう。
安土桃山城の後に建てられた近世城郭の多くは、石垣や濠そして瓦葺きの建物で築かれていますが、城のことを知れば知るほど城革命児と言われた信長の偉大さを感じるようになりました。
「彼の頭の中はどうなっていたのか…?」
一度覗いてみたかったなー。 -
白壁の下にある石垣と、左手前に見えている石垣を比べてみましょう。
-
白壁の下にある石垣は、自然の石が使われている野面積み(のづらづみ)。
形も大きさも不揃いの石で積まれているため、乱積み(らんづみ)という言葉が使われることもありますが、乱積みは打込接や切込接などでも使われます。
野面積みは石垣技術が登場した初期のものですが、自然の石で積み上げると石と石の間に隙間が出来てしまい、(手や足を使って)簡単に乗り越えられるという欠点があったため、その隙間には細かい石が詰めてあります。 -
今度は二の門に近い方の石垣を見てみましょう。
先程の野面積みと比べると、石の大きさや形もある程度整い石垣に横線が出来ています。
自然の石ではなく加工された石が使われていますが、後述の切込接(きりこみはぎ)と比較するとまだ隙間があるので、その部分に石が詰めてあるのがお分かりいただけるでしょうか。
野面積みの次に登場したのが、この打込接(うちこみはぎ)。
丸亀城の石垣の殆どは、打込接の技法で積まれていますよ。 -
大手二の門を潜ると現れるのが桝形(ますがた)。
城を守るための出入口(虎口/こぐち)ですが、枡のような四角い空間なので『桝形』と呼ばれています。
敵をこの場所に封じ込め、三方から攻撃した場所。
出陣の際には兵(武者)が集まり点呼なども行っていたので、『武者溜り』という言葉が使われることもあります。
正面に見える大きな石は『鏡石』。
城主の権力や財力を見せつける効果がありましたが、石の形や見せ方は城により異なります。 -
桝形の石垣は、『野面積み』や『打込接』から進化した切込接(きりこみはぎ)。
隙間が殆ど無く、打込接よりも横線が綺麗に出ています。
【乱積み】は横ラインが凸凹になっているもので、【布積み】は横ラインが一直線に近い状態で積まれているもの。
石の隙間が無い切込接でも、綺麗に横線を描いているものと、敢えて凸凹に積んでいるものが有ります。
前者が【布積み】で後者が【乱積み】。
こちらの鏡石の前には看板が立っていますが、その上方向を見ると小さなハート石があり若者たちの人気撮影スポットになっているとか。
この石がハート型と言うのであれば、大きな鏡石の上にある石もハート型に見えるのは気のせいでしょうか。
桝形に入られたら、是非探してくださいね。 -
再び大手二の門に戻り、門の基本を確認してみましょう。
まずは大手門(おおてもん)について。
大手門は、城の正門にあたる門。
『大手』の代わりに、『追手』の漢字を使う所もあります。
搦手(からめて)は大手の反対(=裏)ですから、正門である大手門(入り口は大手口)に対して裏にあるのが搦手門(搦手口)…と覚えておきましょう。 -
先程大手門は正門にあたる門だと言いましたが、門の構造で言うとこちらは屋根が3つの高麗門(こうらいもん)。
濠側から見ると屋根が1つですが、城内側に回ると屋根が3つ有ります。
これが高麗門の特徴。
高麗門は後程紹介する薬医門(やくいもん)の進化型と言われていますが、薬医門は外側から見ても内側から見ても屋根は1つしかありません。
高麗門や薬医門の他に、櫓門(やぐらもん)、長屋門(ながやもん)、埋門(うずみもん)などいろいろ有りますが、屋根の下の部分(門扉や柱の部分など)は殆ど同じなので、最初にそちらから見ていきましょう。
門扉が取り付けてある左右の大きな柱は鏡柱(かがみはしら)。
鏡柱に打ち付けてある饅頭のような形をしたものは、饅頭金物(まんじゅうかなもの)。
その後方(鏡柱の裏面)を見ると、門扉を取り付けるための金具が打ち付けられています。
饅頭金物は、乳金物(ちかなも)や単に釘隠しとも言いますが、今回は饅頭金物で紹介させていただきます。 -
門扉にも饅頭金物が有りますが、扉の裏を見ると饅頭金物の位置には門を閉める閂(かんぬき)が取り付けられています。
時代劇ドラマなどでご覧になられたことがあると思いますが、閂は門を閉めるための横木のこと。
それを取り付ける釘を隠しているのが、画像の饅頭金物ですよ。 -
今度は丸亀城の御殿表門(玄関先御門)を見てみましょう。
ここでは大きな扉(右)の方をご覧いだただきたいのですが、門扉が取り付けてある柱が鏡柱、その真後ろに立っているのが控え柱(ひかえばしら)。
門が開いている時は、この2本の柱の間に扉がすっぽりと収まっています。
そして扉の中央には閂(=横木)。 -
再び大手二の門。
今度は門扉と鏡柱の接合部分に注目してみましょう。
鏡柱側に打ち込むのが肘金(ひじがね)、扉側には壺金(つぼがね)という名前の金物が取り付けてあります。 -
「肘金?壺金?何それっ?」と言われそうですが、私たちが普段開け閉めしているドアの蝶番の働きをしているものと考えてください。
この画像では、扉(左)と柱(右)の間にある茶色い金具部分が肘金と壺金になります。
略して肘壺とも言いますが、この金具を固定するための釘を隠しているのが鏡柱側は饅頭金物。
しかし門扉側には饅頭金物ではなく、八双金物(はっそうかなもの)と呼ばれる細長い金具が取り付けられています(画像の青緑の部分)。
全ての城の門扉には必ず八双が取り付けられているという訳ではありませんが、これは金具の補強だったり門扉の装飾として用いられていたもの。
この八双金物にも種類があるので、先端部分で比較してみましょう。
画像の大手二の門で使われていたのは出八双(ではっそう)。 -
御殿表門の扉に使われていたのは、先端が二股に分かれている入り八双(いりはっそう)。
大手二の門の扉には3つの八双金物が使われていますが、玄関先御門は2つ。
重厚感を出したり敵に威圧感を与える働きもあった八双金物ですが、これが全くない所もあります。
門扉が取り付けてある左右の鏡柱の上には冠木(かぶき)と呼ばれる横木(鏡柱を貫いている木)もありますので、門を潜る時に見てみましょう。 -
城内側(桝形)から見た大手二の門。
高麗門の特徴である3つの屋根があります。 -
門の左右にあるのは、切り石を積んだ武者走りの階段や、弓/鉄砲で敵を迎え撃つための狭間(三角形や四角形の小さな窓)。
-
今度は桝形にあるもう一つの門『大手一の門』を見てみましょう。
基本の門の上に櫓が載っている『櫓門』の造りで、門の中では最も格式が高いものと言われています。
(次に格式が高いのが薬医門。)
櫓の中には時刻を知らせる太鼓が置かれていたため、『太鼓門』とも呼ばれていますよ。 -
反対側から見た大手一の門。
主要部分に使われているのは立派な欅の木。
実に堂々とした門ですよね。
これだけ立派な門を構えていたのですから、『武家諸法度』や『一国一城令』、また『明治の廃城令』がなかったら…と考えると、建物が残っていないのが非常に残念です。
そのような時は、想像力を働かせて歩いてみましょう。
皆さんが城主だったら、どのような城を築かれますか? -
桜の開花に合わせて露店なども出るようですが、雨の日の平日はお休み。
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ここまでは高麗門(大手二の門)と櫓門(大手一の門)の2つを紹介しましたが、今度は御殿表門(玄関先御門)を見てみましょう。
基本構造の門の上に、切妻屋根が1つだけ載っている薬医門(やくいもん)。
こちらも格式が高い門で、寺院の門にも使われています。
中の様子が見えないような造りになっていますが、逆に内側からも外の様子が分からないので、敵の襲撃に備えた門としては不向き。
私は門の外側 左方向から門と番所を撮影しましたが、右方向から撮影すると門と天守を一緒に写真に収めることができます。
天気が良ければ、記念に残しておくと良いでしょう。 -
外側から見た時は門の横が白壁になっていましたが、内側に回るとこのような造りになっています。
藩主の居所であった『御殿』に出入りする人たちを見張っていた場所。 -
城内観光案内所(兼売店)。
大手一の門の櫓の中をご覧になりたい方は、こちらで見学可能か聞いてください。
画像は丸亀のご当地キャラトリオで、真ん中の『京極くん』は丸亀藩の藩主『京極氏』のこと。
一国一城令で廃城となった丸亀城ですが、幕府の命で城の再建にとりかかったのが山崎家治。
それを完成させたのが、京極高和でした。
左は丸亀名物の団扇にちなんだ『うちっ娘』。
右は鳥奉行の『骨付きじゅうじゅう』。
お昼ご飯を食べたばかりなのに、骨付き鶏を想像したらまたお腹が空いてきた~~~!丸亀城内観光案内所 / うちわ工房「竹」 名所・史跡
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観光案内所の所で道が二股に分かれますが、右に進むと上り坂。
これが見返り坂です。
『扇の勾配』と言われる美しい石垣を見るためにも、頑張ってこの坂を上りましょう。
この美しい勾配を決めているのは、石垣内部にある飼石(かいいし)と呼ばれる石。
上下の石の間に挟まっているのですが、表面ではなく裏面(石垣の内側)にあるので、私達の目で確認することはできません。
勾配の角度を決めたり石材を安定させるために用いられる飼石ですが、実はこの石の存在を知ったのは熊本城にあったパネルでした。
「へ~っ!」と思った後は、絶対に誰かに話したくなる!!!
きっと皆さんも、そうなるのではないでしょうか。 -
飼石に関しては熊本城のパネルの方が分かり易いのですが、何となくイメージできそうな場所がありましたので、この画像を使って説明してみます。
こちらは私達の目で確認できる石垣部分ですが、左右の石の間に三角形の石が詰めてある場所に注目してください。
画像を90度左に回転させたとしましょう。
2つの石の間に三角形の石を入れなければ、その2つの石が描くラインは直線「|」。
三角形の石を入れることにより、2つの石のラインは曲線「ノ」になります。
三角形の石を挟むことで石の下部の角度を広げていますが、それと同じようなことが石垣内部で行われているのです。
石垣表面の見た目は【下の石+上の石】ですが、もし裏側(内部)も見ることができるとしたら【下の石+★飼石★+下の石】になっているはず。
(パネルを見る限りでは、そのような感じでした。)
石垣内部に使われる飼石は画像のように綺麗な三角形ではないかもしれませんが、何となくでもイメージしてもらえたら嬉しいです。
詳しくは熊本城へGO・GO・GO! -
見返り坂の突き当りやや左にあるのが、野面積(のづらづみ)とも土塁(どるい)とも言えるような場所。
大手二の門で見た石よりももっと小さな石が使われていましたが、石垣技術が登場した初期の頃の野面積みは、きっとこのような感じだったのでしょうね。
と勝手に想像しておりますが…。 -
やっと見返り坂が終わった…と右を見たら、再び坂。
思わず目が点になりました。
この日は雨が降っていましたので、念のため…とトレッキングシューズを履いていましたが、それでも♪行きはヨイヨイ・帰りは★超★コワイ♪。
いつ滑ってもおかしくないような路面に、ハラハラでしたよ。
それくらいスリルのある坂。 -
石垣の反対側には階段も有りますが、画像のこの幅しかないのですれ違いが出来ません。
傘が有っても無くても、階段を歩くことができるのはひとり…という感じです。
晴れている日は問題ないのですが、雨の日の下り坂は本当に恐ろしい。
雨の日の階段は下り専用にして欲しいと思ったくらい、坂を下るのが恐怖でした。
路面が濡れている日のスニーカーとクロッ●スは、お気をつけあそばせ! -
『稲むしろあり 飯の山あり 昔今』は、高浜虚子が三の丸から讃岐富士(飯野山)を眺めて詠んだ句。
-
今度は石垣の隅角部(すみかどぶ)を見てみましょう。
長い石と短い石を交互に組み合わせているように見えますが、これは直方体の石の長い面(角石・長辺)と短い面(角石・短辺)を交互に積み上げる算木積み(さんぎづみ)という技法で、石垣の強度を増すためのもの。
この技法が有るというのは知っていても、本当にその働きをしているのかピンと来なかった私でした。
石垣の隅角部で思い出すのは、「奇跡の一本石垣」と言われた熊本城の飯田丸五階櫓。
「よくぞ耐えた!」という画像が見られますので、ご存知ない方は是非ネットなどで検索してください。 -
矢穴。
矢穴の「矢」は、石を割る時に使う道具のこと。
石工は石の目(割れる方向)を見定め、ノミと金槌でこのような穴(矢穴)をミシン目状に掘り、その穴に楔(くさび)などを打ち込み、亀裂を入れて石を割るのですが、こちらの石は何らかの理由で矢穴がそのまま残っています。 -
石が割れるとこのような削り跡(矢穴の跡)が残るのですが、綺麗な面ではなく敢えて跡が残る方を見せているのはそうせざるを得ない事情があったのか、それともアクセントにしたかったのかは謎。
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こちらは筋状の模様。
縦筋もあれば横筋、また線の間隔が狭いものもあります。 -
すだれ状よりも線が短く、縦や斜めに削ってある石。
石垣の化粧には『すだれ仕上げ』や『はつり仕上げ』と呼ばれるものがあり、筋状になっているのが『すだれ仕上げ』。
細かいノミの跡で仕上げられたものが『はつり仕上げ』。
実はこの丸亀城には大阪城のために切り出された石も使われているため、石垣観察にも気合が入っていた私でした。 -
今度は石垣の刻印を見てみましょう。
丸亀城とは関係のない大名の刻印が入った石も見つかっていますが、先ほども触れたように大阪城から流れ…流れて運ばれてきた石が丸亀城の石垣に使われています。
流れてきたと言っても、『どんぶらこ』と水に浮かんで運ばれてきたわけではありません。
大阪城のために石材を切り出し、それを運搬した大名たちが石に自分の刻印を入れて運んだもの。
しかし大阪城では必要とされなかった石が別の場所で使われ、更にその場所から丸亀城へと運ばれてきたのです。
画像の刻印は、二の丸にある井戸の近くで見つけたもの。 -
丸亀城で見られる刻印およそ170。
細川家の『田』、生駒氏の家紋の『波引車』、その他『△』『○』なども有りますが、風化によりマークの判別が難しいので、出来れば刻印マップのような物があると嬉しいですよね。
先程も紹介しましたが、石垣の刻印は石材切り出し、運搬、また石垣建築の持ち場を表す大名の印だったり、石工棟梁の印、或いは作業上必要な目印などいろいろな説があります。 -
三の丸東側の石垣にある排水口。
これは石垣の中に溜まった水を排出して崩壊を防ぐ働きをしていますが、城マニアの方は排水口に使われている石の種類(花崗岩/凝灰岩)まで見分けるとか…(あっぱれ!) -
桜の木が植えられている二の丸。
ここには番頭櫓(ばんとうやぐら)や長崎櫓など4つの櫓が建ち、櫓の間には多聞(たもん)と呼ばれるが長屋造りの建物(渡櫓)が巡らされていたようです。 -
二の丸の井戸は直径約1.8m深さが約65mある日本一深い井戸。
ここには石垣を築いた羽坂重三郎(裸重三郎)の伝説が残っていますよ。
他にも丸亀城には豆腐売りの人柱伝説が有りますので、興味がある方は調べてみましょう。 -
続いては本丸。
天守の他に4つの櫓跡がありますが、天守の他に建物はないので多聞や櫓などを想像しながら歩いてみましょう。
画像は宗門櫓跡。 -
高さ15mの天守は、独立式層塔型3層3階。
現存天守の中では最も小さく、四国にある木造天守の中では最も古いものです。丸亀城 名所・史跡
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下の屋根の上に載っている三角形の部分は、千鳥破風(ちどりはふ)。
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曲線を描いているのが唐破風(からはふ)。
丸亀城の天守に施されているのは千鳥破風と唐破風の2種類ですが、他の城へ行くと入母屋破風(いりもやはふ)を目にする機会もあります。
入母屋破風と千鳥破風は同じ三角形の破風ですが、下にある屋根(角部)との接続を見ると、千鳥破風なのか入母屋破風なのかを判断することができますよ。 -
天守は白壁だけの面もあれば、このように黒い板が貼られている面も有ります。
板の所には三角形の狭間、また石垣には刻印も有りますので、色々な角度から眺めてみましょう。 -
天守入場料は200円。
スリッパは有りますが、コロナ禍という事もあり私は携帯用のスリッパを持っていきました。
小さな靴箱もありますが『鍵付きロッカータイプ』ではないので、盗まれるのが心配だという方はビニール袋を用意しましょう。
但しお城は『急勾配の階段』という所が多く、ここも例外ではありません。
手すりは掴めるようにしておきましょう。 -
天守からの眺め。
画面下に見えているのは番所長屋。
濠の外は丸亀市の官庁街です。 -
天守の中では展示も行われていますが、丸亀城についてもっと詳しく知りたいという方は丸亀市立資料館へ行きましょう。
天守を見学したら、再び大手門を目指して下って行きます。 -
二の丸から見た天守。
雨というのが残念でした。 -
二の丸搦手。
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戌亥櫓跡に残る石。
良く見ると赤みを帯びています。
これは、藩邸(旧京極家御殿)火災で高熱を浴びて変色した花崗岩。
以前首里城の旅行記でも紹介したことがありますが、火災前はクリーム色だった首里城正殿の遺構部分。
それが火災後は赤くなっていました。
丸亀城の石も同じように赤く変色していましたが、高熱を浴びると変色だけでなく脆くなるのが花崗岩の特徴だそうです。
外から見るだけの首里城の遺構とは違いここは立ち入り禁止にはなっていませんので、目の前で見学することができますよ。 -
高浜虚子の句碑と共に建立された吉井 勇の歌碑。
『人麿の歌かしこしとおもひつゝ 海のかなたの沙弥島を見る』 -
更に奥へと進むつもりが、石垣復旧工事が行われており通行止め。
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下を見ると、台風や大雨で崩落した石垣がずらりと並んでいました。
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丸亀城の復旧工事は令和7年まで続くようですが、この様子も今しか見ることができませんので、時間があれば天守や石垣だけでなく工事の様子も見に行ってみましょう。
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ライトアップの照明もLED。
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石垣の動きを計る装置。
「こんなに小さいのにスゲ~~~ッ!」と驚いていた人。
石がどれくらいズレたのかを計測しているのだな…という事くらいは機械音痴の私でも分かりましたが、この装置の素晴らしさは良く分かりませんでした。 -
城内で見つけた丸亀市のマンホールの蓋。
そこに描かれていたのは城と特産品のうちわですが、残念ながら骨付き鶏は有りませんでしたよ(笑)。
もしかしたら、何処かに鳥が描かれていたのかしら? -
今回は長い紹介になりましたが、城を訪れた時はただ歩くのではなく、ほんの少しだけでも良いので展示に目を向けてみましょう。
次の城・城跡訪問がきっと楽しくなると思いますよ。
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