熊野本宮・湯の峰温泉旅行記(ブログ) 一覧に戻る
年末年始は、2000年前から繋がる蘇りの世界にタイムトリップ。<br /><br />八百万の神の国に存在する &quot;El Camino&quot; -&quot; 熊野古道”を歩いてきました。<br /><br /><br /><br />☆★☆熊野古道 Walk 旅行記☆★☆<br />・中辺路;箸折峠(牛馬童子→継桜王子):https://4travel.jp/travelogue/11733360<br /><br />

El Camino -蘇りの路- 2022 虎でぃっしょなるJAPAN/プリンスが待つ社へ(熊野古道を歩く-1:中辺路:箸折峠)

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2021/12/29 - 2022/01/02

40位(同エリア592件中)

旅行記グループ 古道を歩く

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48

ウェンディ

ウェンディさん

この旅行記のスケジュール

2021/12/29

この旅行記スケジュールを元に

年末年始は、2000年前から繋がる蘇りの世界にタイムトリップ。

八百万の神の国に存在する "El Camino" -" 熊野古道”を歩いてきました。



☆★☆熊野古道 Walk 旅行記☆★☆
・中辺路;箸折峠(牛馬童子→継桜王子):https://4travel.jp/travelogue/11733360

旅行の満足度
4.5
観光
4.0
ホテル
4.5
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
高速・路線バス 自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • El Camino(エル カミーノ)とはスペイン語で、神の路(みち)を意味する言葉。<br /><br />神の路とは即ち巡礼路であり、キリスト教の巡礼地としてはRoma(ローマ)やal-Quds(エルサレム)があり、中でも聖地巡礼としても有名なのが、フランスやイタリアから数百kmの巡礼路が伸びるSantiago de Compostela (サンティアゴ デ コンポステラ)である。<br />El Caminoはこのサンティアゴ デ コンポステラへと続く巡礼路を指し、巡礼者だけではなく多くの旅人もEl Caminoを歩き、聖地を目指す。<br /><br />日本においても同じような聖地への巡礼路があり、その1つが熊野古道。<br />

    El Camino(エル カミーノ)とはスペイン語で、神の路(みち)を意味する言葉。

    神の路とは即ち巡礼路であり、キリスト教の巡礼地としてはRoma(ローマ)やal-Quds(エルサレム)があり、中でも聖地巡礼としても有名なのが、フランスやイタリアから数百kmの巡礼路が伸びるSantiago de Compostela (サンティアゴ デ コンポステラ)である。
    El Caminoはこのサンティアゴ デ コンポステラへと続く巡礼路を指し、巡礼者だけではなく多くの旅人もEl Caminoを歩き、聖地を目指す。

    日本においても同じような聖地への巡礼路があり、その1つが熊野古道。

    那智山 自然・景勝地

  • 熊野古道は海外では、El Camino Japones,&quot;KUMANO&quot;(神の路,熊野古道)と呼ばれ、サンティアゴ デ コンポステラのシンボルであるホタテ貝のConcha(コンチャ)と対比して、熊野古道のシンボルである3本足の八咫烏(やたがらす)が日本の神の路のアイコンとして知られているそうだ。<br /><br />だから、新型コロナが流行する前には、伝統的な日本の神の路、それも死と再生を司る“蘇りの聖地”である熊野は海外からの旅人にも人気で、多くのゲストが2000年の歴史を持つ古道を歩きに来日していたのだが、2年前の春に日本が実質的な鎖国状態に入ってからは熊野古道を通る海外の巡礼者の姿も激減してしまったとのこと。<br />

    熊野古道は海外では、El Camino Japones,"KUMANO"(神の路,熊野古道)と呼ばれ、サンティアゴ デ コンポステラのシンボルであるホタテ貝のConcha(コンチャ)と対比して、熊野古道のシンボルである3本足の八咫烏(やたがらす)が日本の神の路のアイコンとして知られているそうだ。

    だから、新型コロナが流行する前には、伝統的な日本の神の路、それも死と再生を司る“蘇りの聖地”である熊野は海外からの旅人にも人気で、多くのゲストが2000年の歴史を持つ古道を歩きに来日していたのだが、2年前の春に日本が実質的な鎖国状態に入ってからは熊野古道を通る海外の巡礼者の姿も激減してしまったとのこと。

    熊野那智大社 寺・神社・教会

  • 熊野古道歩きには私自身も以前から興味を持っていたのだが、三重、奈良、和歌山をまたがる熊野古道は私の居住地からはアクセスが良くなく、更に現地入りしてからの公共交通手段も非常に便が悪く、自宅から熊野までの往復だけで丸2日必要。<br />

    イチオシ

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    熊野古道歩きには私自身も以前から興味を持っていたのだが、三重、奈良、和歌山をまたがる熊野古道は私の居住地からはアクセスが良くなく、更に現地入りしてからの公共交通手段も非常に便が悪く、自宅から熊野までの往復だけで丸2日必要。

    熊野古道 大門坂 名所・史跡

  • また、ピンポイントで熊野古道歩きをするにしても悪天候の場合の予備日も含めて現地滞在丸3日の計5日間の日程が最低限必要であり、週末+有給1日程度のお休みではサラリーマンには熊野古道の歩き旅は難しい。<br /><br />そんなわけで熊野古道は国内の旅先としてはなかなか触手を伸ばすことがなかったのだが、昨年の晩秋にふと思い立って調べてみたら、熊野地方は冬の降雪量もそれほど多くはなく、天候さえ大荒れにならなければ、年末年始の休暇であれば歩けてしまう!と判明し、突貫工事のプランニングで2021年の年末と2022年の年始の真冬に歩くことを決めた。<br /><br />(写真:熊野古道マップ;新宮市のHPより<br />熊野古道には大まかに分けて7つのルートがあり、全てを踏破するならば1ヶ月以上の長い日程が必要となる)

    また、ピンポイントで熊野古道歩きをするにしても悪天候の場合の予備日も含めて現地滞在丸3日の計5日間の日程が最低限必要であり、週末+有給1日程度のお休みではサラリーマンには熊野古道の歩き旅は難しい。

    そんなわけで熊野古道は国内の旅先としてはなかなか触手を伸ばすことがなかったのだが、昨年の晩秋にふと思い立って調べてみたら、熊野地方は冬の降雪量もそれほど多くはなく、天候さえ大荒れにならなければ、年末年始の休暇であれば歩けてしまう!と判明し、突貫工事のプランニングで2021年の年末と2022年の年始の真冬に歩くことを決めた。

    (写真:熊野古道マップ;新宮市のHPより
    熊野古道には大まかに分けて7つのルートがあり、全てを踏破するならば1ヶ月以上の長い日程が必要となる)

  • 私たちの暮らす現代では、熊野というと熊野三山である熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の観光地巡りがメインであり、それらの熊野三山には古事記や日本書紀に登場するアマテラスなどが奉られている・・というイメージが強いかもしれないが、熊野古道の聖地におわす神々は、元来は自然崇拝の八百万の神。<br /><br />アマテラスなどの日本創世神話に登場する神々は後付けされた神となる。<br /><br />熊野本宮大社は川を、<br /><br />(写真:熊野本宮大社 大斎原)

    イチオシ

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    私たちの暮らす現代では、熊野というと熊野三山である熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の観光地巡りがメインであり、それらの熊野三山には古事記や日本書紀に登場するアマテラスなどが奉られている・・というイメージが強いかもしれないが、熊野古道の聖地におわす神々は、元来は自然崇拝の八百万の神。

    アマテラスなどの日本創世神話に登場する神々は後付けされた神となる。

    熊野本宮大社は川を、

    (写真:熊野本宮大社 大斎原)

    旧社地 (大斎原) 名所・史跡

  • 熊野速玉大社は岩を  <br /><br />(写真:神が降り立った岩を奉る神倉神社)<br />

    熊野速玉大社は岩を  

    (写真:神が降り立った岩を奉る神倉神社)

    神倉神社 寺・神社・教会

  • 熊野那智大社は滝を、自然信仰の神;八百万の神として奉っていたそうだ。<br /><br />(写真:朝7時すぎ、朝日が差し込む瞬間の那智大滝)<br />

    熊野那智大社は滝を、自然信仰の神;八百万の神として奉っていたそうだ。

    (写真:朝7時すぎ、朝日が差し込む瞬間の那智大滝)

    那智の滝(那智大滝) 自然・景勝地

  • しかし、神への信仰は世界中のどこでも政治に利用されるモノで、欧州では十字軍、南米では植民地化のための政治的な策略として、宗教というものは支配者に都合の良い方向へとねじ曲げられることが多い。<br /><br />日本における自然信仰の土地であった熊野においても似たような事象がおき、それが時の権力者の政策により明文化され、日本の事実であるとして記録されたのが古事記や日本書紀といった文献。<br /><br />熊野では、八百万の神に加えて、アマテラス、スサノオウ、イザナギ、イザナミが各神社において自然神と肩を並べるようになり、次第にそれらの神々は自然神よりも強い地位を持たされるようになり、それから1000年以上の時を経た現代では各神社の説明板にある主神の名の中には、川、岩、滝といった八百万の自然由来の神の名は小さく記されているだけだ。<br /><br />(写真:那智大社の説明板)

    しかし、神への信仰は世界中のどこでも政治に利用されるモノで、欧州では十字軍、南米では植民地化のための政治的な策略として、宗教というものは支配者に都合の良い方向へとねじ曲げられることが多い。

    日本における自然信仰の土地であった熊野においても似たような事象がおき、それが時の権力者の政策により明文化され、日本の事実であるとして記録されたのが古事記や日本書紀といった文献。

    熊野では、八百万の神に加えて、アマテラス、スサノオウ、イザナギ、イザナミが各神社において自然神と肩を並べるようになり、次第にそれらの神々は自然神よりも強い地位を持たされるようになり、それから1000年以上の時を経た現代では各神社の説明板にある主神の名の中には、川、岩、滝といった八百万の自然由来の神の名は小さく記されているだけだ。

    (写真:那智大社の説明板)

  • そんな熊野の神社だが、私の中では熊野の神は八百万の神で、今の主神がイザナギだろがアマテラスだろうが関係ない。<br />私にとっては、川、岩、滝のようなや自然神を奉る神社への巡礼路である熊野古道を歩くことに意義がある。<br /><br />熊野古道には大まかに分けて7本のルートがあり、4泊5日の日程で歩けるのは多くはなく、今回の旅では田辺から熊野本宮大社へ繋がる中辺路(なかへち)ルートと、熊野本宮大社から熊野那智大社へと繋がる大雲取越ルートの2つのルートをチョイスしてみた。<br /><br />とはいうものの中辺路のルートだけでも、この日程では全ては歩ききれないので、バスを利用し丸1日を使い中辺路ルートの中でも有名所の2カ所を歩くことに。<br /><br />1日で歩いたルートは↓で、そのスタートは川湯温泉だ。<br />1本目:牛馬童子像のある箸折峠-継桜王子<br />2本目:発心門王子-熊野本宮大社<br /><br />(地図:熊野本宮観光協会の公式HPでPDF地図のダウンロード可:<br />https://www.hongu.jp/access/areamap/)<br />

    そんな熊野の神社だが、私の中では熊野の神は八百万の神で、今の主神がイザナギだろがアマテラスだろうが関係ない。
    私にとっては、川、岩、滝のようなや自然神を奉る神社への巡礼路である熊野古道を歩くことに意義がある。

    熊野古道には大まかに分けて7本のルートがあり、4泊5日の日程で歩けるのは多くはなく、今回の旅では田辺から熊野本宮大社へ繋がる中辺路(なかへち)ルートと、熊野本宮大社から熊野那智大社へと繋がる大雲取越ルートの2つのルートをチョイスしてみた。

    とはいうものの中辺路のルートだけでも、この日程では全ては歩ききれないので、バスを利用し丸1日を使い中辺路ルートの中でも有名所の2カ所を歩くことに。

    1日で歩いたルートは↓で、そのスタートは川湯温泉だ。
    1本目:牛馬童子像のある箸折峠-継桜王子
    2本目:発心門王子-熊野本宮大社

    (地図:熊野本宮観光協会の公式HPでPDF地図のダウンロード可:
    https://www.hongu.jp/access/areamap/)

  • 今回の旅では最初に川湯温泉に宿泊し、温泉と熊野古道をダブルで愉しむことに。<br /><br />川湯温泉は河原の石の下から温泉が湧き出す土地で、夏は観光客が自ら河原で穴を掘って露天風呂を自作して愉しむので有名だが、さすがに雪がちらつく真冬では自堀露天は寒すぎて無理なので、あらかじめ河原に設置されている川をせき止めた温泉へと向かう。<br />

    今回の旅では最初に川湯温泉に宿泊し、温泉と熊野古道をダブルで愉しむことに。

    川湯温泉は河原の石の下から温泉が湧き出す土地で、夏は観光客が自ら河原で穴を掘って露天風呂を自作して愉しむので有名だが、さすがに雪がちらつく真冬では自堀露天は寒すぎて無理なので、あらかじめ河原に設置されている川をせき止めた温泉へと向かう。

    川湯温泉 温泉

    冬は川をせき止めて造った露天風呂;仙人の湯で川湯遊び/川湯温泉 by ウェンディさん
  • 川を堰き止め造った温泉は、仙人の湯。<br />外湯の露天風呂だが、基本ルールは水着(水陸両用着)着用。<br /><br />多分、何も着用せずに温泉につかったとしてもペナルティは無いとは思うが、あまりにも衆人環境なので、ここは水着に着替えるか、着衣のまま足湯がベターだろう。<br /><br />

    川を堰き止め造った温泉は、仙人の湯。
    外湯の露天風呂だが、基本ルールは水着(水陸両用着)着用。

    多分、何も着用せずに温泉につかったとしてもペナルティは無いとは思うが、あまりにも衆人環境なので、ここは水着に着替えるか、着衣のまま足湯がベターだろう。

    仙人風呂 温泉

  • 私たちが宿泊した民宿でも宿泊者への水着の貸し出し(無料)もあったのだが、さすがにコロナ禍の今、他の方と水着を共用することには抵抗があったので、私たちはズボンをまくって足湯だけを楽しむことに。<br /><br />川の中からはポコポコとかなり熱めの湯が湧いていて、その湧く場所はたえず変わるので、足の裏にいきなりホットな湯の攻撃を受けることもしばしば。<br /><br />水着を着て、肩までどっぷりと浸かっている方達も茹で蛸の様だったが、さすがに湯から上がってからは寒そうに見えた。<br /><br />真冬に仙人の露天湯に浸かりに来る場合には、宿は湯から近いところがお勧めだ。<br />

    私たちが宿泊した民宿でも宿泊者への水着の貸し出し(無料)もあったのだが、さすがにコロナ禍の今、他の方と水着を共用することには抵抗があったので、私たちはズボンをまくって足湯だけを楽しむことに。

    川の中からはポコポコとかなり熱めの湯が湧いていて、その湧く場所はたえず変わるので、足の裏にいきなりホットな湯の攻撃を受けることもしばしば。

    水着を着て、肩までどっぷりと浸かっている方達も茹で蛸の様だったが、さすがに湯から上がってからは寒そうに見えた。

    真冬に仙人の露天湯に浸かりに来る場合には、宿は湯から近いところがお勧めだ。

  • 川湯温泉での宿泊は、温泉民宿の大村屋。<br />大村屋はバス停のすぐ前にあり、公共交通機関を利用する方にも便利な宿だ。<br />民宿ではネコや犬を室内飼いしているのでアレルギーのある方は宿泊が難しいが、ネコ好きな私には人なつっこいネコがいる宿は天国だ。<br /><br />温泉民宿なので、お風呂も掛け流し温泉で、かなり熱め。<br />温泉は2室あり、部屋単位での利用だったが、混み合うこともなく、食事の前後に心ゆくまで川湯のお湯を味わうことができた。

    川湯温泉での宿泊は、温泉民宿の大村屋。
    大村屋はバス停のすぐ前にあり、公共交通機関を利用する方にも便利な宿だ。
    民宿ではネコや犬を室内飼いしているのでアレルギーのある方は宿泊が難しいが、ネコ好きな私には人なつっこいネコがいる宿は天国だ。

    温泉民宿なので、お風呂も掛け流し温泉で、かなり熱め。
    温泉は2室あり、部屋単位での利用だったが、混み合うこともなく、食事の前後に心ゆくまで川湯のお湯を味わうことができた。

  • 夕食も美味しく季節の野菜と地のモノばかりで、連泊した2日間で内容も異なり、川湯温泉は快適な滞在だった。<br /><br />

    夕食も美味しく季節の野菜と地のモノばかりで、連泊した2日間で内容も異なり、川湯温泉は快適な滞在だった。

    川湯温泉 温泉民宿 大村屋 宿・ホテル

    中辺路歩きの拠点に。コスパ的にもお勧め/川湯温泉 温泉民宿 大村屋 by ウェンディさん
  • さて、話は本題である熊野古道歩きへと戻す。<br /><br />1日に2つの熊野古道ルートを歩くには綿密な時間調整が必要で、バスの時刻表とルートの歩行時間を並べながらプランニング。<br /><br />このエリアは唯一の公共交通機関であるバスの便が悪く、1本逃すと次は2時間後なんて当たり前なので、しっかりとした時間で管理をしたプランニングが重要となる。<br /><br />この日の予定は↓こんな感じ。<br />川湯温泉バス停 乗車(龍神バス) 8:15 1010円<br />牛馬童子口バス停 降車 9:08 熊野古道 <br />箸折峠コース 約6.5km 2.2時間WALK<br />野中一方杉バス停 乗車(明光バス) 11:25 990円<br />熊野大社前バス停 降車 11:50 バス乗り換え<br />熊野大社前バス停 乗車(龍神バス) 12:00 470円<br />発心門王子バス停 降車 12:15 熊野古道 <br />発心門コース 約7km 2.5時間WALK<br />熊野大社前バス停 乗車(龍神バス) 15:10 310円<br />川湯温泉バス停 降車 15:16<br />

    さて、話は本題である熊野古道歩きへと戻す。

    1日に2つの熊野古道ルートを歩くには綿密な時間調整が必要で、バスの時刻表とルートの歩行時間を並べながらプランニング。

    このエリアは唯一の公共交通機関であるバスの便が悪く、1本逃すと次は2時間後なんて当たり前なので、しっかりとした時間で管理をしたプランニングが重要となる。

    この日の予定は↓こんな感じ。
    川湯温泉バス停 乗車(龍神バス) 8:15 1010円
    牛馬童子口バス停 降車 9:08 熊野古道 
    箸折峠コース 約6.5km 2.2時間WALK
    野中一方杉バス停 乗車(明光バス) 11:25 990円
    熊野大社前バス停 降車 11:50 バス乗り換え
    熊野大社前バス停 乗車(龍神バス) 12:00 470円
    発心門王子バス停 降車 12:15 熊野古道 
    発心門コース 約7km 2.5時間WALK
    熊野大社前バス停 乗車(龍神バス) 15:10 310円
    川湯温泉バス停 降車 15:16

  • 熊野古道の歩く時間のペースは平均的なコースタイムで計算したが、このコースタイムが曲者で、写真をゆっくりと撮っていたりすると、結構厳しい時間配分となるのだが、そこは私のカモシカのような俊足で何とかすることに。

    熊野古道の歩く時間のペースは平均的なコースタイムで計算したが、このコースタイムが曲者で、写真をゆっくりと撮っていたりすると、結構厳しい時間配分となるのだが、そこは私のカモシカのような俊足で何とかすることに。

  • 熊野古道歩きの朝は早く、宿で朝食を食べ弁当を受け取ったら、バスに乗り、1本目のスタート地点である牛馬童子口バス停から歩き始める。<br /><br />(写真:和歌山県公式観光サイトよりDL:<br />https://www.wakayama-kanko.or.jp/plan-your-trip/model-courses/kumano-and-koyasan/plan01/)<br />

    熊野古道歩きの朝は早く、宿で朝食を食べ弁当を受け取ったら、バスに乗り、1本目のスタート地点である牛馬童子口バス停から歩き始める。

    (写真:和歌山県公式観光サイトよりDL:
    https://www.wakayama-kanko.or.jp/plan-your-trip/model-courses/kumano-and-koyasan/plan01/

  • 牛馬童子像バス停付近から継桜王子付近まで歩くルートは通称:箸折峠コースと呼ばれる。<br /><br />箸折峠コースは山道と現代の里山の中を通るルートで、多少の山道はあるがそれほど難所ではなく、歩行距離6.5kmで、標高差は200m程度と、ハイキング程度の道のりだが、山道もあるので靴は雨でも土が滑りにくいトレッキングシューズがお勧めだ。

    イチオシ

    牛馬童子像バス停付近から継桜王子付近まで歩くルートは通称:箸折峠コースと呼ばれる。

    箸折峠コースは山道と現代の里山の中を通るルートで、多少の山道はあるがそれほど難所ではなく、歩行距離6.5kmで、標高差は200m程度と、ハイキング程度の道のりだが、山道もあるので靴は雨でも土が滑りにくいトレッキングシューズがお勧めだ。

  • そんな熊野古道歩きだが、<br />熊野古道を歩いて何があるのか?<br />見所はどこ?<br />何が面白いのか?<br />と問われてしまうと、その答えは“特筆すべきモノは無い”となってしまう。<br /><br />熊野古道は有名であるが故に、観光地のように捉えられることも多いが、あくまでも、古道歩き、神の路歩き。<br />絶景の和風景を見ることができる・・・とか、<br />美味しい特産物が食べられる・・・とか、<br />スペシャルなことはほとんど無い。<br /><br />敢えてその解を求めるとするならば、“現代まで2000年以上続く蘇りの路の歴史を、肌で感じ、その足跡をたどる”と言ったところだろうか。<br />

    そんな熊野古道歩きだが、
    熊野古道を歩いて何があるのか?
    見所はどこ?
    何が面白いのか?
    と問われてしまうと、その答えは“特筆すべきモノは無い”となってしまう。

    熊野古道は有名であるが故に、観光地のように捉えられることも多いが、あくまでも、古道歩き、神の路歩き。
    絶景の和風景を見ることができる・・・とか、
    美味しい特産物が食べられる・・・とか、
    スペシャルなことはほとんど無い。

    敢えてその解を求めるとするならば、“現代まで2000年以上続く蘇りの路の歴史を、肌で感じ、その足跡をたどる”と言ったところだろうか。

    熊野古道 名所・史跡

    1日で見所2カ所を歩くプランニング(中辺路:箸折峠&発心門王子)/熊野古道 by ウェンディさん
  • 熊野が神の聖地として京の世間の人々に広く認知され始めたのは平安時代で、蟻の熊野詣で有名な熊野詣の皮切りは、907年に宇多上皇が熊野を聖地として詣でた熊野御幸と言われている。<br /><br />上皇を始め熊野を詣でる人々は、道ばたのお地蔵様や道祖神に祈りを捧げながら、神の路を歩いた。<br />

    熊野が神の聖地として京の世間の人々に広く認知され始めたのは平安時代で、蟻の熊野詣で有名な熊野詣の皮切りは、907年に宇多上皇が熊野を聖地として詣でた熊野御幸と言われている。

    上皇を始め熊野を詣でる人々は、道ばたのお地蔵様や道祖神に祈りを捧げながら、神の路を歩いた。

  • さきほど、熊野古道に絶景やスペシャルな見所はない!と書いたが、古道歩きの道沿いではささやかな楽しみを見つけることができる。<br /><br />このルートでの楽しみの一つは、熊野古道歩きのアイドル的存在である牛馬童子像との出会い。<br />

    さきほど、熊野古道に絶景やスペシャルな見所はない!と書いたが、古道歩きの道沿いではささやかな楽しみを見つけることができる。

    このルートでの楽しみの一つは、熊野古道歩きのアイドル的存在である牛馬童子像との出会い。

  • バス停から歩き始めてから20分ほどの箸折峠の山中には小さな像があり、童子が乗っているのは馬と牛。<br /><br />この像は平安時代に熊野を詣でる花山上皇の旅姿を模した像であるといわれている。<br />上皇・・・というと“おじいちゃん”の様なイメージを持つが、この牛馬童子像は、童子の名が示すように乗っている人物はまだ子供の雰囲気を残した童の顔。<br /><br />昔の宮廷画家のように人物は美化(捏造)し彫像されたのかと思いきや、花山上皇は、上皇の即位が19歳の若さだったというので、納得。<br />花山上皇は天皇の即位期間がたったの2年間しかなく、17歳で天皇に即位したのに19歳になった時には藤原氏の陰謀により天皇位から引きずり下ろされ、上皇へとその呼び名は変ったそうだ。<br /><br />そんな史実から悲運の運命を感じさせる花山上皇だが、一説によるとかなりユニークな人物であり、ある意味GIFTEDな才能があり芸術面に優れた能力を発揮していたという逸話もあり、藤原氏の陰謀による失脚説も実は陰謀ではなく、当時の政治的には“そうするしかない”判断だったのかもしれない。

    イチオシ

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    バス停から歩き始めてから20分ほどの箸折峠の山中には小さな像があり、童子が乗っているのは馬と牛。

    この像は平安時代に熊野を詣でる花山上皇の旅姿を模した像であるといわれている。
    上皇・・・というと“おじいちゃん”の様なイメージを持つが、この牛馬童子像は、童子の名が示すように乗っている人物はまだ子供の雰囲気を残した童の顔。

    昔の宮廷画家のように人物は美化(捏造)し彫像されたのかと思いきや、花山上皇は、上皇の即位が19歳の若さだったというので、納得。
    花山上皇は天皇の即位期間がたったの2年間しかなく、17歳で天皇に即位したのに19歳になった時には藤原氏の陰謀により天皇位から引きずり下ろされ、上皇へとその呼び名は変ったそうだ。

    そんな史実から悲運の運命を感じさせる花山上皇だが、一説によるとかなりユニークな人物であり、ある意味GIFTEDな才能があり芸術面に優れた能力を発揮していたという逸話もあり、藤原氏の陰謀による失脚説も実は陰謀ではなく、当時の政治的には“そうするしかない”判断だったのかもしれない。

    箸折峠・牛馬童子像 名所・史跡

    必見の小さな童子像/箸折峠・牛馬童子像 by ウェンディさん
  • また、花山上皇が乗る動物2頭が牛と馬という異なる動物で、なんだかチグハグに感じられるが、当時に流行った神仏集合した世界観で見れば、牛頭と馬頭の動物は阿弥陀如来の従者を示す観音菩薩と勢至菩薩だとのことで、この2匹の動物にもきちんと意味があるそうだ。<br /><br />牛馬童子増の脇にひっそりとたたずむのは役小角(役の行者)の姿ということで、熊野古道を歩く旅人の安全をそっと見守っていてくれるようだ。<br />

    また、花山上皇が乗る動物2頭が牛と馬という異なる動物で、なんだかチグハグに感じられるが、当時に流行った神仏集合した世界観で見れば、牛頭と馬頭の動物は阿弥陀如来の従者を示す観音菩薩と勢至菩薩だとのことで、この2匹の動物にもきちんと意味があるそうだ。

    牛馬童子増の脇にひっそりとたたずむのは役小角(役の行者)の姿ということで、熊野古道を歩く旅人の安全をそっと見守っていてくれるようだ。

  • この日は、朝から冷え込みが厳しく、山道では霜柱が足下でざくざくと音を立てた崩れ、童子増に備えられたお酒(水)はガチガチに凍っていて、私たちが吐出する息も白く煙る位の寒さ。<br /><br />南紀ならば真冬でも暖かいかな?なんて歩き始める前には思っていたが、念のためにダウンジャケットを持ってきて正解。<br />もこもこのダウンは脱いでいる時は背中のバックパックの中でかさばって邪魔なのだが、立ち止まると躰が一気に冷えるので、防寒具は必須だった。<br />

    この日は、朝から冷え込みが厳しく、山道では霜柱が足下でざくざくと音を立てた崩れ、童子増に備えられたお酒(水)はガチガチに凍っていて、私たちが吐出する息も白く煙る位の寒さ。

    南紀ならば真冬でも暖かいかな?なんて歩き始める前には思っていたが、念のためにダウンジャケットを持ってきて正解。
    もこもこのダウンは脱いでいる時は背中のバックパックの中でかさばって邪魔なのだが、立ち止まると躰が一気に冷えるので、防寒具は必須だった。

  • 箸折峠には不動明王を掘った石碑もあり、手を合わせてから最後の峠道へと入る。

    箸折峠には不動明王を掘った石碑もあり、手を合わせてから最後の峠道へと入る。

  • 牛馬童子像を過ぎると箸折峠の峠道も、もうすぐ終わり。   

    牛馬童子像を過ぎると箸折峠の峠道も、もうすぐ終わり。   

  • 峠の先にある東屋からは、眼下に広がる近露(ちかつゆ)の集落が一望できる。<br /><br />その昔に箸折峠を越えた熊野の巡礼者達も、この光景を目にしたことだろう。<br />集落に点在する板葺きや茅葺きの家の炉端からは、薪が白煙を吐き、鉄鍋からは煮物の香りが漂い、旅人の食欲をわしづかみ。<br /><br />峠路で疲れ切った躰に染みる美味しそうな香り・・・<br />今宵はこの集落で宿にしようか・・・なんて思ったに違いない。

    イチオシ

    峠の先にある東屋からは、眼下に広がる近露(ちかつゆ)の集落が一望できる。

    その昔に箸折峠を越えた熊野の巡礼者達も、この光景を目にしたことだろう。
    集落に点在する板葺きや茅葺きの家の炉端からは、薪が白煙を吐き、鉄鍋からは煮物の香りが漂い、旅人の食欲をわしづかみ。

    峠路で疲れ切った躰に染みる美味しそうな香り・・・
    今宵はこの集落で宿にしようか・・・なんて思ったに違いない。

  • 山道を少し下り北野橋を渡れば、もう近露集落だ。

    山道を少し下り北野橋を渡れば、もう近露集落だ。

  • 近露集落に入ると最初に出会うのが“近露王子(ちかつゆおうじ)”だ。<br />近露はこの集落の名前だが、王子=プリンスを意味するの?<br />近露王子の名前からは、この辺りに貴族のプリンスでも住んでいたのだろうか?<br />なんて考えてしまうが、王子=プリンスではなく、<br />王子=御神童子のことを指す。<br />ニュアンスはちょっと異なるが王子=地蔵尊、道祖神に近く、旅の安全を祈るポイント(神社)が王子と呼ばれたそうだ。<br /><br />熊野詣が盛んであった院政の時代、熊野古道;特に中辺路ルートには王子と呼ばれる祈祷所(神社の形式が多かったそうだ)が多く造られ、その数も100以上あったことから熊野九十九(つくも)王子と呼ばれていた。<br />

    近露集落に入ると最初に出会うのが“近露王子(ちかつゆおうじ)”だ。
    近露はこの集落の名前だが、王子=プリンスを意味するの?
    近露王子の名前からは、この辺りに貴族のプリンスでも住んでいたのだろうか?
    なんて考えてしまうが、王子=プリンスではなく、
    王子=御神童子のことを指す。
    ニュアンスはちょっと異なるが王子=地蔵尊、道祖神に近く、旅の安全を祈るポイント(神社)が王子と呼ばれたそうだ。

    熊野詣が盛んであった院政の時代、熊野古道;特に中辺路ルートには王子と呼ばれる祈祷所(神社の形式が多かったそうだ)が多く造られ、その数も100以上あったことから熊野九十九(つくも)王子と呼ばれていた。

  • 王子社は熊野古道沿いに一定の距離を保って設置されたために旅人の道しるべ的な役割も果たしていたという。<br /><br />巡礼する貴族や人々は王子にたどり着くと、そこで般若心経を唱え、旅の安全を祈願したということだが、神社で般若心経を唱えるだなんて、日本人の心の広さっていかほど?って感じ。<br /><br />だって、いくら八百万の神がおわす熊野だからって、王子社(神社)の前で仏教のお経である般若心経を唱えるだなんて、神様が聞いたら苦笑いするでしょ。きっと。<br />

    王子社は熊野古道沿いに一定の距離を保って設置されたために旅人の道しるべ的な役割も果たしていたという。

    巡礼する貴族や人々は王子にたどり着くと、そこで般若心経を唱え、旅の安全を祈願したということだが、神社で般若心経を唱えるだなんて、日本人の心の広さっていかほど?って感じ。

    だって、いくら八百万の神がおわす熊野だからって、王子社(神社)の前で仏教のお経である般若心経を唱えるだなんて、神様が聞いたら苦笑いするでしょ。きっと。

    近露王子 名所・史跡

    王子様がいるのか?/近露王子 by ウェンディさん
  • 近露集落にある近露王子は文書にもその名が残る王子社で、1081年に熊野巡礼中の藤原為房が川で禊ぎをしてから、近露王子で祈祷をしたとの記録がある。<br />その当時は“近露”ではなく“近津湯”王子と表記していて、もしかすると現在の川とは異なる場所に温泉が湧く湯の川があったのかもしれない。<br /><br />近露王子は、後鳥羽上皇の時代には宿泊し盛大な歌会も催された場所とのことだが、現在に残るのはその石碑のみで、社などはない。<br /><br />

    近露集落にある近露王子は文書にもその名が残る王子社で、1081年に熊野巡礼中の藤原為房が川で禊ぎをしてから、近露王子で祈祷をしたとの記録がある。
    その当時は“近露”ではなく“近津湯”王子と表記していて、もしかすると現在の川とは異なる場所に温泉が湧く湯の川があったのかもしれない。

    近露王子は、後鳥羽上皇の時代には宿泊し盛大な歌会も催された場所とのことだが、現在に残るのはその石碑のみで、社などはない。

  • 近露王子からの熊野古道は、しばらくは集落の生活道路。<br /><br />道路脇には昔ながらの雑貨屋があり、現代のその暖簾はクロネコだが、今から1000年前は旅籠や団子屋さん、お茶屋さんだったのだろう。<br /><br />

    近露王子からの熊野古道は、しばらくは集落の生活道路。

    道路脇には昔ながらの雑貨屋があり、現代のその暖簾はクロネコだが、今から1000年前は旅籠や団子屋さん、お茶屋さんだったのだろう。

  • 近道集落の生活道を抜けると、そこからはぐっと登り坂。<br /><br />舗装道路だが、一気に標高を200mほど上げるために急坂を登り、息が切れる。<br />

    近道集落の生活道を抜けると、そこからはぐっと登り坂。

    舗装道路だが、一気に標高を200mほど上げるために急坂を登り、息が切れる。

  • 標高が上がるので、古道脇の景色も徐々に変わり、屋根の上には雪も。

    標高が上がるので、古道脇の景色も徐々に変わり、屋根の上には雪も。

  • この辺りは峠路なので、小さな石仏がたくさん。

    この辺りは峠路なので、小さな石仏がたくさん。

  • その多くが供養塔だった。

    その多くが供養塔だった。

  • 熊野の巡礼者の中には、病の回復を祈願しつつ巡礼した者、旅の途中で体調を崩しその命を落とした者も多くいたのだろう。<br /><br />熊野古道の巡礼路は神の路、蘇りの路とも呼ばれ、熊野三社へ巡礼することで極楽浄土を感じ、新たな自分となり元の生活へと戻る“蘇り”の意味があるそうだが、巡礼の途中で命を落とした方の来世での甦りを祈る路でもあった気がする。<br />

    熊野の巡礼者の中には、病の回復を祈願しつつ巡礼した者、旅の途中で体調を崩しその命を落とした者も多くいたのだろう。

    熊野古道の巡礼路は神の路、蘇りの路とも呼ばれ、熊野三社へ巡礼することで極楽浄土を感じ、新たな自分となり元の生活へと戻る“蘇り”の意味があるそうだが、巡礼の途中で命を落とした方の来世での甦りを祈る路でもあった気がする。

  • 急坂を登りきるとそこは見晴らしの良い高台で、目の前には狼乢山(狼だわ山)の姿。<br /><br />狼乢山はその昔は日本狼の生息地として有名だったが明治38年に最後の目撃情報があって以来、その姿は途絶えているという。<br />

    急坂を登りきるとそこは見晴らしの良い高台で、目の前には狼乢山(狼だわ山)の姿。

    狼乢山はその昔は日本狼の生息地として有名だったが明治38年に最後の目撃情報があって以来、その姿は途絶えているという。

  • 狼乢山の左には羊作嶺と呼ばれる稜線が見え、別名を乙女の寝顔という。

    狼乢山の左には羊作嶺と呼ばれる稜線が見え、別名を乙女の寝顔という。

  • この日の午前中は天候がイマイチだったので見えないかと思ったが、乙女の横顔を発見!<br /><br />たしかに鼻筋や顎のラインとか、乙女の雰囲気が感じられるかもしれない。<br /><br />

    この日の午前中は天候がイマイチだったので見えないかと思ったが、乙女の横顔を発見!

    たしかに鼻筋や顎のラインとか、乙女の雰囲気が感じられるかもしれない。

  • 熊野古道沿いの小さな石仏に参りながら、歩を進めると・・・

    熊野古道沿いの小さな石仏に参りながら、歩を進めると・・・

  • 本日2つめのプリンスである比曽原(ひそはら)王子へと到着。<br />比曽原王子も現在残るのは石碑のみで、社は現存しない。<br />

    本日2つめのプリンスである比曽原(ひそはら)王子へと到着。
    比曽原王子も現在残るのは石碑のみで、社は現存しない。

  • そして、箸折峠ルートの最後の王子は継桜(つぎざくら)王子で、こちらは今も社殿が残る王子社であり、その石段を登り参拝する。<br /><br />

    そして、箸折峠ルートの最後の王子は継桜(つぎざくら)王子で、こちらは今も社殿が残る王子社であり、その石段を登り参拝する。

  • 王子社は小さな社で、そのすぐ近くには石碑があった。

    王子社は小さな社で、そのすぐ近くには石碑があった。

  • 継桜の名前の由来は、この地には檜(ひのき)を台木とした美しい桜の木があり、後醍醐上皇に随行した藤原定家(新古今和歌集の編集者)もその桜の珍しさ、美しさを記録に残しているとのことだ。<br /><br />

    継桜の名前の由来は、この地には檜(ひのき)を台木とした美しい桜の木があり、後醍醐上皇に随行した藤原定家(新古今和歌集の編集者)もその桜の珍しさ、美しさを記録に残しているとのことだ。

    継桜王子 寺・神社・教会

    藤原定家も愛でた継桜/継桜王子 by ウェンディさん
  • 継桜のある峠はその昔から茶屋&quot;とがのき茶屋”などがあり、コロナ前までは現代でも茶屋として熊野古道を歩く旅人の足休め所となっていたそうだが、残念ながらコロナ禍に入った今は休業なのか、廃業なのか、その扉は閉ざされたまま。<br /><br />屋根に雪が積もる建物だけがひっそりと古道にたたずんでいた。

    継桜のある峠はその昔から茶屋"とがのき茶屋”などがあり、コロナ前までは現代でも茶屋として熊野古道を歩く旅人の足休め所となっていたそうだが、残念ながらコロナ禍に入った今は休業なのか、廃業なのか、その扉は閉ざされたまま。

    屋根に雪が積もる建物だけがひっそりと古道にたたずんでいた。

  • 熊野古道の箸折峠コースの終点は、野中の清水。<br />その昔からこんこんと美味しい水が湧き出ている場所で、巡礼者はここで水を汲み旅を続けたとのことだが、雪がちらつくこの日の気温では、冷え冷えに冷えた清水はちょっと飲めなく、清水は見るだけに。<br />夏に来たら、美味しい水を味わうのだけどね。<br /><br />中野の清水から野中一方杉のバス停までは歩いて15分ほど。<br />朝9:10に牛馬童子バス停に到着し歩き始めて、野中一方杉のバス停到着が11:10。<br />次のバスは11:25なので15分ほど余裕があった。<br />時間的にはほぼコースタイムとなったが、実はコレはかなり早足で歩いてのトレッキング。<br /><br />牛馬童子からのルートは上り坂が多かったので、距離感以上に時間がかかった。<br />同じルートをもう少し楽に歩きたいならば、逆ルートがお勧めで、野中一方杉のバス停から歩き始め牛馬童子バス停に向かうのがお勧めだが、それだと箸下峠からの絶景の楽しみが半減してしまうかも。<br /><br />足が速い方ならば、牛馬童子バス停から登るコースの方が楽しめるだろう。

    熊野古道の箸折峠コースの終点は、野中の清水。
    その昔からこんこんと美味しい水が湧き出ている場所で、巡礼者はここで水を汲み旅を続けたとのことだが、雪がちらつくこの日の気温では、冷え冷えに冷えた清水はちょっと飲めなく、清水は見るだけに。
    夏に来たら、美味しい水を味わうのだけどね。

    中野の清水から野中一方杉のバス停までは歩いて15分ほど。
    朝9:10に牛馬童子バス停に到着し歩き始めて、野中一方杉のバス停到着が11:10。
    次のバスは11:25なので15分ほど余裕があった。
    時間的にはほぼコースタイムとなったが、実はコレはかなり早足で歩いてのトレッキング。

    牛馬童子からのルートは上り坂が多かったので、距離感以上に時間がかかった。
    同じルートをもう少し楽に歩きたいならば、逆ルートがお勧めで、野中一方杉のバス停から歩き始め牛馬童子バス停に向かうのがお勧めだが、それだと箸下峠からの絶景の楽しみが半減してしまうかも。

    足が速い方ならば、牛馬童子バス停から登るコースの方が楽しめるだろう。

    野中の清水 名所・史跡

    清らかな水がこんこんと湧き出る/野中の清水 by ウェンディさん
  • この日の午後は、バスを乗り継いで熊野古道の発心門コースを歩いて熊野本宮大社へ。<br /><br />そのお話は次の旅行記で。<br />

    この日の午後は、バスを乗り継いで熊野古道の発心門コースを歩いて熊野本宮大社へ。

    そのお話は次の旅行記で。

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