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今年は、桜前線が関東地方を早々に通り過ぎてしまったので、結局、大宮公園でしか花見をすることが出来なかった。<br />そこで、4月最初の週末を利用して、桜前線を追いかけてみることにした。<br />調べてみると、見頃なのは福島県内。<br />ちょうど白河の関にも行ってみたかったので、白河を訪れることにした。

桜前線を追いかけて~奥州白河~

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2021/04/03 - 2021/04/03

7位(同エリア309件中)

旅猫

旅猫さん

今年は、桜前線が関東地方を早々に通り過ぎてしまったので、結局、大宮公園でしか花見をすることが出来なかった。
そこで、4月最初の週末を利用して、桜前線を追いかけてみることにした。
調べてみると、見頃なのは福島県内。
ちょうど白河の関にも行ってみたかったので、白河を訪れることにした。

旅行の満足度
3.5
観光
3.5
グルメ
3.5
ショッピング
4.0
交通
3.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
高速・路線バス 新幹線 JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • 前日の夜に決めたので、切符は当日地元の駅で購入。<br />そして、大宮駅8時53分発の『なすの253号』に乗車。<br />4月最初の週末とあって、駅は混み合っていた。

    前日の夜に決めたので、切符は当日地元の駅で購入。
    そして、大宮駅8時53分発の『なすの253号』に乗車。
    4月最初の週末とあって、駅は混み合っていた。

  • 列車は、那須の麓を走り抜け、9時47分に新白河駅に到着した。<br />駅舎を出て振り返ると、芭蕉像が春の光を浴びて建っていた。

    列車は、那須の麓を走り抜け、9時47分に新白河駅に到着した。
    駅舎を出て振り返ると、芭蕉像が春の光を浴びて建っていた。

  • 駅前から、10時ちょうどのバスに乗り、白河の関を目指す。<br />バスは、白河市内を南西へと向かって走って行く。<br />山間へと入り、景色が長閑になって来た。<br />乗り合わせたのは、途中3人ほどだったが、白河の関バス停が近付くころには2人だけになっていた。<br />そして、40分ほどで着いたバス停で降りたのは、私だけだった。

    駅前から、10時ちょうどのバスに乗り、白河の関を目指す。
    バスは、白河市内を南西へと向かって走って行く。
    山間へと入り、景色が長閑になって来た。
    乗り合わせたのは、途中3人ほどだったが、白河の関バス停が近付くころには2人だけになっていた。
    そして、40分ほどで着いたバス停で降りたのは、私だけだった。

  • 目指す白河関跡は、バス停の目の前にあった。<br />その場所は白河神社の境内となっていて、その鳥居の脇に、松平定信が寛政12年(1800)に建てた古関蹟碑があった。

    目指す白河関跡は、バス停の目の前にあった。
    その場所は白河神社の境内となっていて、その鳥居の脇に、松平定信が寛政12年(1800)に建てた古関蹟碑があった。

    白河関跡 名所・史跡

  • 鳥居から続く石段を登って行く。<br />杉木立に囲まれた参道は、人気も無く、とても静かだった。

    鳥居から続く石段を登って行く。
    杉木立に囲まれた参道は、人気も無く、とても静かだった。

  • 石段を登り切ると、伊達政宗が奉納したという社殿があった。<br />とりあえず、白河を訪れた挨拶をする。<br />祭神は、白河国造の鹽伊乃自直命だそうで、創建は成務天皇5年(135年)というかなりの古社だった。<br />社殿の脇には、平兼盛や能因法師らが詠んだ古歌碑も建っていた。

    石段を登り切ると、伊達政宗が奉納したという社殿があった。
    とりあえず、白河を訪れた挨拶をする。
    祭神は、白河国造の鹽伊乃自直命だそうで、創建は成務天皇5年(135年)というかなりの古社だった。
    社殿の脇には、平兼盛や能因法師らが詠んだ古歌碑も建っていた。

  • 参拝後、境内を散策してみる。<br />すると、社殿の周辺には、片栗の大群落があった。<br />

    参拝後、境内を散策してみる。
    すると、社殿の周辺には、片栗の大群落があった。

  • 八津・鎌足の片栗に比べれば規模は小さいものの、それでもこれまで観た群落の中では三本の指に入る。

    八津・鎌足の片栗に比べれば規模は小さいものの、それでもこれまで観た群落の中では三本の指に入る。

  • 場所によっては、片栗よりもキクザキイチゲのほうが多い。<br />訊けば、片栗で有名らしいが、キクザキイチゲも負けていない。

    場所によっては、片栗よりもキクザキイチゲのほうが多い。
    訊けば、片栗で有名らしいが、キクザキイチゲも負けていない。

  • 青花のキクザキイチゲも好きだが、清楚な白花も良い。

    青花のキクザキイチゲも好きだが、清楚な白花も良い。

  • よく見ると、アズマイチゲもちらほらと咲いていた。

    よく見ると、アズマイチゲもちらほらと咲いていた。

  • 社殿に向かって右手には、空堀と土塁があった。<br />詳細は分からないが、関ノ森城跡とされているようだ。<br />その土塁や空堀にも片栗とキクザキイチゲが一面に咲いていた。

    社殿に向かって右手には、空堀と土塁があった。
    詳細は分からないが、関ノ森城跡とされているようだ。
    その土塁や空堀にも片栗とキクザキイチゲが一面に咲いていた。

  • それにしても、思わぬところで片栗を観ることが出来て嬉しかった。<br />片栗は、春の野花の代表とも言える植物。<br />うつむき加減の花が、何とも言えない風情がある。

    それにしても、思わぬところで片栗を観ることが出来て嬉しかった。
    片栗は、春の野花の代表とも言える植物。
    うつむき加減の花が、何とも言えない風情がある。

  • 歩いていると、斜めに傾いた石碑があった。<br />芭蕉が奥の細道の途中で白河に立ち寄ったことを記念するものらしい。<br />先人に敬意を払いつつ、一句。<br />「堅香子の 群れ咲く古関 旅の途次」 旅猫

    歩いていると、斜めに傾いた石碑があった。
    芭蕉が奥の細道の途中で白河に立ち寄ったことを記念するものらしい。
    先人に敬意を払いつつ、一句。
    「堅香子の 群れ咲く古関 旅の途次」 旅猫

  • 石碑から少し下がった場所に、大きな杉の木が立っていた。<br />『従二位の杉』と呼ばれる古木で、樹齢約八百年。<br />鎌倉前期の歌人、藤原宮内卿家隆が奉納したと云われているそうだ。

    石碑から少し下がった場所に、大きな杉の木が立っていた。
    『従二位の杉』と呼ばれる古木で、樹齢約八百年。
    鎌倉前期の歌人、藤原宮内卿家隆が奉納したと云われているそうだ。

  • 白河の関跡を観た後、バス停でバスを待つ。<br />午前と午後に1本ずつしかないので、乗り遅れたら大変だ。<br />往きに降りたのは私だけだったが、帰りは3人。<br />1人は地元の方のようだった。

    白河の関跡を観た後、バス停でバスを待つ。
    午前と午後に1本ずつしかないので、乗り遅れたら大変だ。
    往きに降りたのは私だけだったが、帰りは3人。
    1人は地元の方のようだった。

  • そして、バスを降りたのは、南湖東口バス停。<br />南湖と南湖神社に立ち寄るためだ。<br />バス停から少し歩くと、南湖の湖岸に出た。<br />ちょうど桜が満開だった。

    そして、バスを降りたのは、南湖東口バス停。
    南湖と南湖神社に立ち寄るためだ。
    バス停から少し歩くと、南湖の湖岸に出た。
    ちょうど桜が満開だった。

    南湖公園 公園・植物園

  • 南湖は、白河藩主松平定信が、享和元年(1801)に湿地帯を庭園として整備したもので、『士民共楽』の地として、武士だけではなく、町民にも開放されていたそうだ。<br />さらに、南湖十六勝十七景を定め、当時の著名な歌人たちにその風景を詠ませ、湖畔には、その石碑や説明板が立っていた。<br />そのひとつ、兼葭州からは小さな島が見えたが、これが和歌に詠まれた下根の島なのだろうか。

    南湖は、白河藩主松平定信が、享和元年(1801)に湿地帯を庭園として整備したもので、『士民共楽』の地として、武士だけではなく、町民にも開放されていたそうだ。
    さらに、南湖十六勝十七景を定め、当時の著名な歌人たちにその風景を詠ませ、湖畔には、その石碑や説明板が立っていた。
    そのひとつ、兼葭州からは小さな島が見えたが、これが和歌に詠まれた下根の島なのだろうか。

  • 湖畔を歩いて南湖神社へと向かう。<br />その入口脇には、祭神である松平定信の銅像が据えられていた。<br />南湖神社は、大正11年(1922)に建立された松平定信を祭神とする社で、建立にはかの渋沢栄一も支援したことが知られている。

    湖畔を歩いて南湖神社へと向かう。
    その入口脇には、祭神である松平定信の銅像が据えられていた。
    南湖神社は、大正11年(1922)に建立された松平定信を祭神とする社で、建立にはかの渋沢栄一も支援したことが知られている。

    南湖神社 寺・神社・教会

  • 参道脇には、樹齢約200年と言う楽翁桜があり、拝殿前から眺めると、見事な景色だった。

    参道脇には、樹齢約200年と言う楽翁桜があり、拝殿前から眺めると、見事な景色だった。

  • 参拝後、社務所でご朱印を頂く。<br />春限定のものがあったので、併せて頂いた。<br />その社務所では、御神酒が自由に呑めるようになっていた。<br />5種類もあるのは珍しい。

    参拝後、社務所でご朱印を頂く。
    春限定のものがあったので、併せて頂いた。
    その社務所では、御神酒が自由に呑めるようになっていた。
    5種類もあるのは珍しい。

  • 参道を戻り、楽翁桜を愛でる。<br />楽翁とは、松平定信の隠居後の号である。<br />見事な枝ぶりの枝垂桜で、美しい。<br />ちょうど陽が陰ってしまったのが、残念だった。

    参道を戻り、楽翁桜を愛でる。
    楽翁とは、松平定信の隠居後の号である。
    見事な枝ぶりの枝垂桜で、美しい。
    ちょうど陽が陰ってしまったのが、残念だった。

  • それでも、滝水のように花が付き、趣がある。<br />陽が当たっていない分、艶やかさが増していた。

    それでも、滝水のように花が付き、趣がある。
    陽が当たっていない分、艶やかさが増していた。

  • その桜の向いには、茶室が保存されている。<br />その茶室は、定信も好んで訪れたという松風亭蘿月庵。<br />見学が出来るというので社務所へ行ってみたが、人手が足りないと言うことで断られてしまった。

    その桜の向いには、茶室が保存されている。
    その茶室は、定信も好んで訪れたという松風亭蘿月庵。
    見学が出来るというので社務所へ行ってみたが、人手が足りないと言うことで断られてしまった。

    松風亭蘿月庵 名所・史跡

  • 南湖神社に隣接して、翠楽苑と言う日本庭園があった。<br />時間もまだあるので、立ち寄ってみることにする。<br />園内で呈茶が楽しめるというので、呈茶券850円を払って入園した。<br />中へ入ると、石楠花がもう花を付けていた。

    南湖神社に隣接して、翠楽苑と言う日本庭園があった。
    時間もまだあるので、立ち寄ってみることにする。
    園内で呈茶が楽しめるというので、呈茶券850円を払って入園した。
    中へ入ると、石楠花がもう花を付けていた。

  • この庭園は、松平定信の『士民共楽』の理念を受け継ぎ、平成7年(1995)に完成した新しい公園だそうだ。<br />池を中心とした庭園で、その池に面して松楽亭と言う建物が建っていた。

    この庭園は、松平定信の『士民共楽』の理念を受け継ぎ、平成7年(1995)に完成した新しい公園だそうだ。
    池を中心とした庭園で、その池に面して松楽亭と言う建物が建っていた。

  • 呈茶は、その松楽亭で供される。<br />中へ入ると、誰もいない。<br />おかげで、一番良い部屋に通されたようだ。

    呈茶は、その松楽亭で供される。
    中へ入ると、誰もいない。
    おかげで、一番良い部屋に通されたようだ。

  • 庭を眺めながら、和菓子と抹茶をいただく。<br />和菓子は、桃のようだった。<br />程よい甘みがあり、とても美味しかった。

    庭を眺めながら、和菓子と抹茶をいただく。
    和菓子は、桃のようだった。
    程よい甘みがあり、とても美味しかった。

  • バス停へ戻り、13時27分発のバスに乗り、市街地へと戻る。<br />そして、城下町の外れにある旭町一丁目バス停で下車した。<br />バス停からすぐの所には、『宗祇戻し』と言う石碑が建っていた。<br />連歌師宗祇が連歌会のために白河を訪れた際、この場所で既に終わったことを知り、そのことを伝えた女性が和歌で返答したことに風流を感じ、京へ戻ったということに因んだものだそうだ。<br />傍らには、芭蕉の句碑なども建っていた。

    バス停へ戻り、13時27分発のバスに乗り、市街地へと戻る。
    そして、城下町の外れにある旭町一丁目バス停で下車した。
    バス停からすぐの所には、『宗祇戻し』と言う石碑が建っていた。
    連歌師宗祇が連歌会のために白河を訪れた際、この場所で既に終わったことを知り、そのことを伝えた女性が和歌で返答したことに風流を感じ、京へ戻ったということに因んだものだそうだ。
    傍らには、芭蕉の句碑なども建っていた。

  • 宗祇戻しから街沿いに白河駅へと向かう。<br />この辺りには、ちらほらと古い建物が残り、風情があった。

    宗祇戻しから街沿いに白河駅へと向かう。
    この辺りには、ちらほらと古い建物が残り、風情があった。

  • 城下町らしく、街は二か所で鉤の手状に曲がっていた。

    城下町らしく、街は二か所で鉤の手状に曲がっていた。

  • 途中には、海鼠壁のある立派な商家もある。<br />呉服屋のようだ。

    途中には、海鼠壁のある立派な商家もある。
    呉服屋のようだ。

  • 『白河風土記』によると年貢を納める蔵があったという年貢町に入る。<br />歩いていると、右手に酒蔵らしきものが見えて来た。

    『白河風土記』によると年貢を納める蔵があったという年貢町に入る。
    歩いていると、右手に酒蔵らしきものが見えて来た。

  • そこは、市中にある二つの酒蔵のひとつで『千駒酒造』と言う蔵だった。<br />酒蔵を見つけてしまえば、立ち寄らざるを得ない。

    そこは、市中にある二つの酒蔵のひとつで『千駒酒造』と言う蔵だった。
    酒蔵を見つけてしまえば、立ち寄らざるを得ない。

  • 中へ入ると、試飲が出来るというので、迷わずお願いした。<br />どれでも好きなものをと言うので、6種類ほど呑ませていただいた。<br />そして、その中から3種類を購入した。<br />思わぬところで美味しい酒が手に入り、大収穫だった。

    中へ入ると、試飲が出来るというので、迷わずお願いした。
    どれでも好きなものをと言うので、6種類ほど呑ませていただいた。
    そして、その中から3種類を購入した。
    思わぬところで美味しい酒が手に入り、大収穫だった。

  • その先の交差点で奥州道中と出会い、白河宿の中心であった本町となる。<br />そこには、もう一つの酒蔵『大谷忠吉本店』があったが、残念ながら休みだった。<br />ちなみに、ここは、詩人萩原朔太郎の妻美津子の実家だそうだ。

    その先の交差点で奥州道中と出会い、白河宿の中心であった本町となる。
    そこには、もう一つの酒蔵『大谷忠吉本店』があったが、残念ながら休みだった。
    ちなみに、ここは、詩人萩原朔太郎の妻美津子の実家だそうだ。

  • 大谷忠吉本店のすぐ先に、趣のある書店があった。<br />かなり大きな看板建築の建物である。<br />その脇に、白河県立病院・白河医術講義所跡の石碑が建っていた。

    大谷忠吉本店のすぐ先に、趣のある書店があった。
    かなり大きな看板建築の建物である。
    その脇に、白河県立病院・白河医術講義所跡の石碑が建っていた。

  • その斜向かいには、勧工場跡と言う建物もあった。<br />明治末に建てられた小槌屋商会の建物で、白河初の百貨店だったそうだ。

    その斜向かいには、勧工場跡と言う建物もあった。
    明治末に建てられた小槌屋商会の建物で、白河初の百貨店だったそうだ。

  • その建物の裏手には、脇本陣柳屋旅館の蔵座敷が残っていた。<br />無料で見学できるというので、立ち寄ってみることにした。<br />外も中も整備されたばかりのようで、とても綺麗だった。<br />奥には、明治天皇が宿泊したという玉座もあった。

    その建物の裏手には、脇本陣柳屋旅館の蔵座敷が残っていた。
    無料で見学できるというので、立ち寄ってみることにした。
    外も中も整備されたばかりのようで、とても綺麗だった。
    奥には、明治天皇が宿泊したという玉座もあった。

    脇本陣柳屋旅館 名所・史跡

  • 再び鉤の手を過ぎると、中町となる。<br />その鉤の手の近くの民家の庭に、小峰城の外郭石垣の一部が残っていた。<br />追手門から続く土塁と石垣でである。

    再び鉤の手を過ぎると、中町となる。
    その鉤の手の近くの民家の庭に、小峰城の外郭石垣の一部が残っていた。
    追手門から続く土塁と石垣でである。

  • 中町を歩いて天神町との境にある筋違いの交差点まで行き、そこから南へと歩くと、関川寺の参道へと入って行く。<br />この寺は、白河結城氏所縁の寺であり、境内には、結城桜と名付けられた枝垂桜があった。

    中町を歩いて天神町との境にある筋違いの交差点まで行き、そこから南へと歩くと、関川寺の参道へと入って行く。
    この寺は、白河結城氏所縁の寺であり、境内には、結城桜と名付けられた枝垂桜があった。

    関川寺 寺・神社・教会

  • 結城桜の近くでは、三椏の花や紫八汐躑躅も咲いていた。

    結城桜の近くでは、三椏の花や紫八汐躑躅も咲いていた。

  • 墓地には、白河結城氏第二代の結城宗広の五輪塔がある。<br />結城宗広は、南北朝期に南朝の有力武将として活躍し、伊勢で病没したと伝えられているが、ここには遺髪が納められているという。

    墓地には、白河結城氏第二代の結城宗広の五輪塔がある。
    結城宗広は、南北朝期に南朝の有力武将として活躍し、伊勢で病没したと伝えられているが、ここには遺髪が納められているという。

    結城宗広の墓 名所・史跡

  • 関川寺の西側には、土塁跡と空堀跡がある。<br />これは、関川寺の境内が、白河結城氏の居館だった遺構と見られている。

    関川寺の西側には、土塁跡と空堀跡がある。
    これは、関川寺の境内が、白河結城氏の居館だった遺構と見られている。

  • 土塁跡と空堀跡の向いには、妙徳寺と言う寺院がある。<br />その境内にも、源清桜と言う背の高い桜があった。<br />慶長年間に、この寺を創建した際に植えられたものらしい。<br />薄墨色の花だとされるが、確かに、脇に立つ桜より黒ずんで見える。

    土塁跡と空堀跡の向いには、妙徳寺と言う寺院がある。
    その境内にも、源清桜と言う背の高い桜があった。
    慶長年間に、この寺を創建した際に植えられたものらしい。
    薄墨色の花だとされるが、確かに、脇に立つ桜より黒ずんで見える。

    妙徳寺 寺・神社・教会

  • 妙徳寺から妙関寺へと向かう途中の道端に、小さな供養塔があった。<br />これは、戊辰戦争の白河口の戦いで戦死した奥羽越列藩同盟の兵士を供養するものだと云われている。<br />激戦地だった白河には、多くの戦死者の供養塔があるそうだ。

    妙徳寺から妙関寺へと向かう途中の道端に、小さな供養塔があった。
    これは、戊辰戦争の白河口の戦いで戦死した奥羽越列藩同盟の兵士を供養するものだと云われている。
    激戦地だった白河には、多くの戦死者の供養塔があるそうだ。

  • 妙関寺の山門を入ると、目の前に艶やかな紅色の枝垂桜があった。<br />樹齢約400年と言う古木で、伊達政宗が徳川将軍家に献上した桜を、当時の住職が分けてもらったものらしい。<br />乙姫桜と名付けられている。

    妙関寺の山門を入ると、目の前に艶やかな紅色の枝垂桜があった。
    樹齢約400年と言う古木で、伊達政宗が徳川将軍家に献上した桜を、当時の住職が分けてもらったものらしい。
    乙姫桜と名付けられている。

    妙関寺の乙姫桜 自然・景勝地

  • 幹はかなり太く、岩の様だった。<br />それでも、花は可憐で、とても美しい。

    幹はかなり太く、岩の様だった。
    それでも、花は可憐で、とても美しい。

  • その花は、小さな毬のようで愛らしい。<br />ひとつひとつの花も可愛らしく、花飾りの様だった。

    その花は、小さな毬のようで愛らしい。
    ひとつひとつの花も可愛らしく、花飾りの様だった。

  • 乙姫桜を観た後、小峰城跡へと向かうことにする。<br />途中、偶然入った玄仙小路には、趣のある木造の建物があった。<br />千本格子が美しかったが、今は使われていないようだった。

    乙姫桜を観た後、小峰城跡へと向かうことにする。
    途中、偶然入った玄仙小路には、趣のある木造の建物があった。
    千本格子が美しかったが、今は使われていないようだった。

  • 白河駅の近くでは、発掘された小峰城の遺構が保存されていた。<br />その遺構は、追手門から続く外郭の西側に設けられていた道場門の石垣だった。<br />駅前の一等地だが、開発せずに遺跡を残すのは素晴らしい。

    白河駅の近くでは、発掘された小峰城の遺構が保存されていた。
    その遺構は、追手門から続く外郭の西側に設けられていた道場門の石垣だった。
    駅前の一等地だが、開発せずに遺跡を残すのは素晴らしい。

  • 小峰城跡へは、白河駅の前を通る。<br />その駅舎は、大正12年に建てられた大正浪漫香る瀟洒な木造の建物。<br />多くの駅舎が建て替えられて姿を消す中、街の玄関口に相応しい風格を漂わせる貴重な存在だ。

    小峰城跡へは、白河駅の前を通る。
    その駅舎は、大正12年に建てられた大正浪漫香る瀟洒な木造の建物。
    多くの駅舎が建て替えられて姿を消す中、街の玄関口に相応しい風格を漂わせる貴重な存在だ。

    白河駅

  • 地下道を潜り駅の北側に出る。<br />そこから少し歩くと、小峰城跡の入口がある。<br />本丸手前の竹之丸跡まで行き、桜に彩られた復元櫓を撮影した。

    地下道を潜り駅の北側に出る。
    そこから少し歩くと、小峰城跡の入口がある。
    本丸手前の竹之丸跡まで行き、桜に彩られた復元櫓を撮影した。

    小峰城 名所・史跡

  • その後、二之丸の堀沿いに散策。<br />石垣と桜が醸し出す春らしい景色を楽しむ。

    その後、二之丸の堀沿いに散策。
    石垣と桜が醸し出す春らしい景色を楽しむ。

  • 小峰城跡は石垣の美しさで有名だが、桜も多くある。<br />そのため、この季節は城跡が桜に包まれとても美しい。

    小峰城跡は石垣の美しさで有名だが、桜も多くある。
    そのため、この季節は城跡が桜に包まれとても美しい。

  • 城跡西側の会津門跡辺りからは、土塁も見られる。<br />そこにも桜があり、なかなか風情がある。

    城跡西側の会津門跡辺りからは、土塁も見られる。
    そこにも桜があり、なかなか風情がある。

  • そろそろ帰りの時間なので、もう一度石垣と桜の競演を眺める。<br />天気も良く、桜も満開で存分に楽しむことが出来た。

    そろそろ帰りの時間なので、もう一度石垣と桜の競演を眺める。
    天気も良く、桜も満開で存分に楽しむことが出来た。

  • 駅へと戻り、列車を待つ。<br />ホームからは、小峰城跡が良く見える。

    駅へと戻り、列車を待つ。
    ホームからは、小峰城跡が良く見える。

  • 白河駅は東北本線の主要駅なので、新幹線が出来る前は多くの列車が発着していたので、ホームは長く、屋根も立派である。<br />今は短い普通列車しか来ないので、寂しい限りだ。

    白河駅は東北本線の主要駅なので、新幹線が出来る前は多くの列車が発着していたので、ホームは長く、屋根も立派である。
    今は短い普通列車しか来ないので、寂しい限りだ。

  • しばらくすると、16時25分発の新白河行の列車がやってきた。<br />思ったよりも人が少なく、座ることが出来た。

    しばらくすると、16時25分発の新白河行の列車がやってきた。
    思ったよりも人が少なく、座ることが出来た。

  • 隣の新白河駅に到着。<br />新幹線の時刻まで20分余りあるので、構内にあった店で、白河ラーメンを食べることにする。<br />初めて食べたが、なかなか美味しい。<br />喜多方、佐野と並び、好きなラーメンに加えたいと感じた。

    隣の新白河駅に到着。
    新幹線の時刻まで20分余りあるので、構内にあった店で、白河ラーメンを食べることにする。
    初めて食べたが、なかなか美味しい。
    喜多方、佐野と並び、好きなラーメンに加えたいと感じた。

  • ラーメンに満足した後、新幹線のホームに向かう。<br />そして、16時52分発の『やまびこ216号』に乗り、家路に着いた。<br /><br />4月最初の週末に、桜前線を追って訪れた白河。<br />歴史にも触れ、美味しい地酒にも出会えた小さな旅だった。

    ラーメンに満足した後、新幹線のホームに向かう。
    そして、16時52分発の『やまびこ216号』に乗り、家路に着いた。

    4月最初の週末に、桜前線を追って訪れた白河。
    歴史にも触れ、美味しい地酒にも出会えた小さな旅だった。

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この旅行記へのコメント (4)

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  • 前日光さん 2021/04/23 17:09:40
    白河
    旅猫さん、こんにちは
    4月初旬、白河方面に行かれたのですね。
    白河は、昔は陸奥への入口として栄えたようですが、「白河関跡」が少しばかり高速道路や新幹線の駅から離れているせいか、あまり観光客は見かけないようです。
    私が行ったのはもうだいぶ前のことですが。

    でも歌碑などが多数あって、昔日の面影は充分に推測できますよね。
    古歌に詠まれた白河関のわりには、訪れる人が少なくて、むしろ好感を抱きました。

    小峰城は2017年9月に訪れました。
    震災後6年も経っていましたが、まだ修復中でした。
    その時はシートに覆われた部分もあって、翌年の2018年修復終了予定とありました。
    でもお城に登ることはできたので、天守に登ってみました。
    小さなお城でしたが、こぎれいにまとまっていて、好印象でした。
    1866年(慶応2年)の戊辰戦争の際、新政府軍と奥羽越列藩同盟軍が3ヶ月にわたる戦いを繰り広げたところですよね。
    大河ドラマ「八重の桜」で、その辺りは見ていました。
    その歴史をあの石垣は見つめていたのでしょうか?
    咲き乱れる桜が美しいです。

    白河ラーメンは私も何度か食べていますが、さっぱり醤油味で好みです。
    こってり系は、トシのせいかもうダメです。
    塩ラーメンとか、あっさり醤油味が好みです。

    なんだかまた旅に出られない雰囲気ですね。
    早く収まってほしいコロナです(-_-)


    前日光

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2021/04/24 10:11:32
    RE: 白河
    前日光さん、こんにちは。

    書き込みありがとうございます。
    今年は桜の開花が早過ぎて、大宮でちょっとだけしか観られなかったので、天気も良かったので、ふらりと出かけてみました。
    白河は、歴史ある街ですが、白河関は旧東山道に設けられていたので、奥州街道の宿場町であった白河の城下町から離れてしまっていますね。
    おかげで、静かな上に自然も豊かでいいところです。
    あれほどの片栗の大群落があるとは驚きでした。

    小峰城は、随分前に訪れましたが、震災後は今回が初めてでした。
    白河口は奥州の関門とされる重要な場所なので、会津征伐の際にも、上杉軍が徳川家康を迎え撃つための防塁が築かれていました。
    戊辰戦争の際、奥羽越列藩同盟が最重要拠点としていたのも頷けます。
    白河城の攻防戦は、装備の差と新撰組の土方歳三が居なかったことが致命的でした。

    白河ラーメンはさっぱりしていて美味しいですよね。
    喜多方、佐野と並ぶあっさり系で好きです。

    現在、旅をふたつほど計画していますが、微妙な感じになってきました。
    辛うじて、地元は宣言も措置も対象外ですが。

    旅猫
  • hot chocolateさん 2021/04/13 07:49:11
    東北の桜
    旅猫さま

    おはようございます。
    前日に福島への旅を決めてお出かけになるとは、何とフットワークの軽いこと!
    私の今年のお花見は近辺で。

    妙関寺の艶やかな枝垂れ桜も、小峰城跡の清楚な桜も本当に美しい。
    桜だけでなく、カタクリやキクザキイチゲも鑑賞できて、
    遠くまで行った甲斐がありましたね。
    白河ラーメンも美味しそうです。

    hot choco

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2021/04/13 20:46:02
    RE: 東北の桜
    hot chocoさん、こんばんは。

    書き込みありがとうございます。
    余りにも桜が早く行ってしまったので、大宮だけでは消化不良で。
    天気も良さそうだったので、急遽桜が咲いていそうな場所を検索して行ってきてしまいました。
    おかげで、白河の桜を堪能することが出来ました。
    妙関寺の乙姫桜は、何とも言えず艶やかで、綺麗でした。
    桜に包まれた小峰城跡も、素晴らしかったです。
    春に初めて訪れたので、かなり楽しめました。
    白河の関では、まさかカタクリやキクザキイチゲに会えるとは思わなかったので、感動でした。
    締めの白河ラーメンも美味しかったですし。
    なかなかいい旅でした。

    旅猫

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