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(2021年1月17日新規投稿)<br />2008年冬、余った青春18きっぷを使い、日帰りの小さな旅に出た。<br />向かったのは、野州足利。<br />のんびり出発したので、訪れるのは足利学校と鑁阿寺だけとした。

青春18きっぷの旅 ~足利学校と鑁阿寺を訪ねて~

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2008/01/13 - 2008/01/13

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旅行記グループ 【下野国】

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20

旅猫

旅猫さん

(2021年1月17日新規投稿)
2008年冬、余った青春18きっぷを使い、日帰りの小さな旅に出た。
向かったのは、野州足利。
のんびり出発したので、訪れるのは足利学校と鑁阿寺だけとした。

旅行の満足度
3.5
観光
3.5
グルメ
3.5
交通
3.5
同行者
一人旅
交通手段
JRローカル 徒歩

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  • 昼ご飯を食べてから家を出て、足利駅に着いたのは14時過ぎだった。<br />足利駅は、地元の駅から2度乗り換えが必要なので、思ったよりも遠く感じた。

    昼ご飯を食べてから家を出て、足利駅に着いたのは14時過ぎだった。
    足利駅は、地元の駅から2度乗り換えが必要なので、思ったよりも遠く感じた。

    足利駅

  • 駅から中央通を西へと向かい、通一丁目交差点から国道293号線を北へ辿ると、次の交差点の北西の角に濠と土塁が見えて来る。<br />それが、足利学校であった。

    駅から中央通を西へと向かい、通一丁目交差点から国道293号線を北へ辿ると、次の交差点の北西の角に濠と土塁が見えて来る。
    それが、足利学校であった。

    史跡足利学校跡 名所・史跡

  • 濠に沿って左手に進むと、すぐに門と御堂のようなものが見えて来る。<br />その門は裏門で、奥に見えているのは方丈のようだ。<br />裏門からは入れないので、入口へ回り込むことにした。

    濠に沿って左手に進むと、すぐに門と御堂のようなものが見えて来る。
    その門は裏門で、奥に見えているのは方丈のようだ。
    裏門からは入れないので、入口へ回り込むことにした。

  • 裏門の先にあった入徳門から校内へと入る。<br />そして、学校門を潜ると、何やら足元に蹲っているものがいた。<br />猫である。<br />項垂れているので、そっと背後に回り込もうとしたが、途中で気付かれてしまった。

    裏門の先にあった入徳門から校内へと入る。
    そして、学校門を潜ると、何やら足元に蹲っているものがいた。
    猫である。
    項垂れているので、そっと背後に回り込もうとしたが、途中で気付かれてしまった。

  • さらに進むと、孔子廟の入口である杏壇門の前に出た。<br />寛文8年(1668)に建てられたものだが、明治時代に火災に遭い、屋根などはその後に再建されたものだそうだ。

    さらに進むと、孔子廟の入口である杏壇門の前に出た。
    寛文8年(1668)に建てられたものだが、明治時代に火災に遭い、屋根などはその後に再建されたものだそうだ。

  • 孔子廟も寛文8年(1668)に建てられたもので、廟内には、天文4年(1535)に造られた孔子坐像や足利学校の創始者と云われる小野篁公像が祀られていた。

    孔子廟も寛文8年(1668)に建てられたもので、廟内には、天文4年(1535)に造られた孔子坐像や足利学校の創始者と云われる小野篁公像が祀られていた。

  • 孔子廟の東側には、校舎に当たる方丈が建っている。<br />平成2年(1990)に再建されたもので、敷地の東側に建つ建物は、ほぼすべてが再建されたものだそうだ。

    孔子廟の東側には、校舎に当たる方丈が建っている。
    平成2年(1990)に再建されたもので、敷地の東側に建つ建物は、ほぼすべてが再建されたものだそうだ。

  • 瓦ぶきの玄関を挟んで隣に建っているのが庫裏。<br />その奥には書院が続いている。<br />方丈、庫裏など、寺院のような建物があるのは、足利学校の先生や生徒に僧侶が多く、僧籍が無いと入学できない時期があったことなどが関係しているようだ。

    瓦ぶきの玄関を挟んで隣に建っているのが庫裏。
    その奥には書院が続いている。
    方丈、庫裏など、寺院のような建物があるのは、足利学校の先生や生徒に僧侶が多く、僧籍が無いと入学できない時期があったことなどが関係しているようだ。

  • 方丈の裏手には北庭園が復元されていた。<br />学校と言うより、やはり寺院のような風景である。

    方丈の裏手には北庭園が復元されていた。
    学校と言うより、やはり寺院のような風景である。

  • 東南の角には、衆寮と呼ばれる建物があった。<br />学生が寝泊まりしたりする学生寮のようなものだそうだ。<br />北側には、野菜などを育てていた菜園場(さえんば)などもある。<br />足利学校では、学問だけではなく、清掃や野菜作りなど、すべての作業が修行となっていたそうだ。

    東南の角には、衆寮と呼ばれる建物があった。
    学生が寝泊まりしたりする学生寮のようなものだそうだ。
    北側には、野菜などを育てていた菜園場(さえんば)などもある。
    足利学校では、学問だけではなく、清掃や野菜作りなど、すべての作業が修行となっていたそうだ。

  • 足利学校を見学した後、北西に隣接する鑁阿寺へと向かう。<br />途中の大日大門通沿いには、松村写真館という古風な写真館があった。<br />明治26年創業の老舗で、なかなか凝った造りの建物だった。

    足利学校を見学した後、北西に隣接する鑁阿寺へと向かう。
    途中の大日大門通沿いには、松村写真館という古風な写真館があった。
    明治26年創業の老舗で、なかなか凝った造りの建物だった。

  • 鑁阿寺の手前に、蔵のある旧家のような建物があった。<br />立派な門構えだったが、敷地のかなりの部分が月極駐車場などになっていて、旧家の苦しい台所事情が垣間見られた。

    鑁阿寺の手前に、蔵のある旧家のような建物があった。
    立派な門構えだったが、敷地のかなりの部分が月極駐車場などになっていて、旧家の苦しい台所事情が垣間見られた。

  • そして、いよいよ鑁阿寺へと入る。<br />足利の二つ引両が翻る反橋で濠を渡ると、足利十三代将軍義輝が再建した仁王門がある。<br />京室町に幕府を開いても、やはり一族の故郷足利を忘れていないところが感慨深い。

    そして、いよいよ鑁阿寺へと入る。
    足利の二つ引両が翻る反橋で濠を渡ると、足利十三代将軍義輝が再建した仁王門がある。
    京室町に幕府を開いても、やはり一族の故郷足利を忘れていないところが感慨深い。

    鑁阿寺 寺・神社・教会

  • 仁王門を潜ると、右手に、足利義兼により建久7年(1196)に建てられた鐘楼が、左手には、徳川綱吉の母である桂昌院により、元禄5年(1692)に再建された多宝塔が建っていた。<br />多宝塔は、なかなか優雅な姿をしていた。

    仁王門を潜ると、右手に、足利義兼により建久7年(1196)に建てられた鐘楼が、左手には、徳川綱吉の母である桂昌院により、元禄5年(1692)に再建された多宝塔が建っていた。
    多宝塔は、なかなか優雅な姿をしていた。

  • そのまま直進すると、正面に本堂が見えて来る。<br />鎌倉時代後期に、足利貞氏により正安元年(1299)に再建されたものだが、室町時代にかなり手が加えられているらしい。<br />それでも、初期の禅宗様の姿を今に伝えている。<br /><br />※平成25年(2013)に国宝に指定されています。

    そのまま直進すると、正面に本堂が見えて来る。
    鎌倉時代後期に、足利貞氏により正安元年(1299)に再建されたものだが、室町時代にかなり手が加えられているらしい。
    それでも、初期の禅宗様の姿を今に伝えている。

    ※平成25年(2013)に国宝に指定されています。

  • 本堂の西側には、重要文化財の一切経堂が建っている。<br />現在の建物は、応永14年(1407)に関東管領足利満兼により再建されたもので、内部には、一切経二千巻余りを蔵した輪蔵があった。

    本堂の西側には、重要文化財の一切経堂が建っている。
    現在の建物は、応永14年(1407)に関東管領足利満兼により再建されたもので、内部には、一切経二千巻余りを蔵した輪蔵があった。

  • 境内の東西には、永享4年(1432)に修築されたと云われる東門と西門(写真)が建っている。<br />北門もあり、南に建つ仁王門を含め、正方形の境内に東西南北に門が設けられているのが面白い。

    境内の東西には、永享4年(1432)に修築されたと云われる東門と西門(写真)が建っている。
    北門もあり、南に建つ仁王門を含め、正方形の境内に東西南北に門が設けられているのが面白い。

  • しかも、四方にぐるりと濠と土塁が巡らされている。<br />この鑁阿寺の境内は、平安時代後期に、足利氏の祖である源義康が居館を構えた場所なのである。<br />中性の武士の館が、奇跡的にもその姿を留めている貴重な場所なのだ。

    しかも、四方にぐるりと濠と土塁が巡らされている。
    この鑁阿寺の境内は、平安時代後期に、足利氏の祖である源義康が居館を構えた場所なのである。
    中性の武士の館が、奇跡的にもその姿を留めている貴重な場所なのだ。

  • 境内の一角に、朱色の門を構えた建物があった。<br />赤御堂と呼ばれる御霊屋で、足利歴代将軍の像を祀っているそうだ。<br />裏手には、足利義国と足利義康の墓もあるらしい。

    境内の一角に、朱色の門を構えた建物があった。
    赤御堂と呼ばれる御霊屋で、足利歴代将軍の像を祀っているそうだ。
    裏手には、足利義国と足利義康の墓もあるらしい。

  • 陽も傾いて来たので、そろそろ帰ることにする。<br />足利駅に戻り、小山行の列車に乗車。<br />そのまま帰ろうかと思っていたが、ふらりと宇都宮駅まで行き、餃子を食べてから家路に着くことにした。

    陽も傾いて来たので、そろそろ帰ることにする。
    足利駅に戻り、小山行の列車に乗車。
    そのまま帰ろうかと思っていたが、ふらりと宇都宮駅まで行き、餃子を食べてから家路に着くことにした。

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この旅行記へのコメント (4)

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  • hot chocolateさん 2021/01/20 20:02:35
    青春18切符
    旅猫さま

    こんばんは。
    栃木県といえば、日光や鬼怒川が有名で何度も行っているのに、足利学校は、まだ訪れたことがありません。
    日本最古の学校という事で、かなり古い建築物をイメージしていましたが、再建なのですね。
    とはいえなかなか見ごたえのある学校です。
    でも、確かに学校というより、寺院のような雰囲気もしますね。

    青春18切符を利用した小さな旅、有意義な旅でしたね。
    コロナがなければ、去年、青春18切符を利用して、2泊して木曽路の旅を楽しもうとしていたのに残念でした。

    hot choco

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2021/01/21 08:02:14
    RE: 青春18切符
    hot chocoさん、こんにちは。

    書き込みありがとうございます。
    足利は未踏の地でしたか。
    でも、あの界隈はどこも地味ですので(笑)

    足利学校は、日本最古の学校と言うことですが、実際には『跡』なので、建物はほとんどが再建されたものでした。
    でも、なかなか見応えがありました。
    鑁阿寺のほうは、国宝の本堂などほとんどの建物が文化財でこちらも良かったですよ。

    青春18きっぷで木曽路とは良いですね。
    木曽路は風情が合って好きです。
    今年、行けると良いですね。

    旅猫
  • 前日光さん 2021/01/17 17:58:36
    足利へのアクセスは、県民でもちょっと遠いなと。。。(^_^;
    旅猫さん、こんばんは。
    遅くなりましたが、今年もよろしくお願いいたしますm(_ _)m

    さて足利学校は、昔はあんな立派な学校施設はありませんでした。
    いつの間にか再建されていて、ビックリした記憶があります。
    日本で一番古い学校と言われながら、杏壇門と孔子廟だけではサマにならないと思って、再建したのでしょうね。
    でも門を入ってすぐにある櫂の木は、昔からあったような?

    鑁阿寺の仁王門は、足利義輝が関わっていたのですねぇ。
    「麒麟が来る」で、向井理演じるところの義輝を見るまでは、あまり意識していませんでしたが、今度行く時にはもっとしっかり眺めて来ようと思います(^_-)

    鑁阿寺の手前の蔵のある旧家のような建物、確かにほぼ駐車場になっていますよね。
    私もここを訪れる度に、いろんな思いにとらわれたことを思い出しました。
    あんな一等地にありながら、駐車場にするということは。。。たぶんそういうことですよね。
    鑁阿寺が国宝になった時には、正直ビックリしましたが、それくらいの価値はあるのかもとも思いました。
    地味ですが、銀杏の葉が黄色く色づくときの多宝塔や境内の様子はなんともいえず美しいです。

    最後の電車の写真は、私にとってのJRのイメージはこれなんですよね。
    宇都宮駅から東京に行くときには、いつもこの電車に乗っていましたから。
    この後宇都宮で餃子ですか?


    前日光

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2021/01/17 18:56:36
    RE: 足利へのアクセスは、県民でもちょっと遠いなと。。。(^_^;
    前日光さん、こんばんは。
    こちらこそ、今年もよろしくお願いいたします。

    足利学校は始めて訪れましたが、立派な建物があり驚きました。
    でも、ほとんどが再建だと知り、ちょっとがっかり。
    よく考えれば、新しい感じですし、学校跡と書かれていたので、遺構なんですよね。

    鑁阿寺の仁王門が足利義輝の再建と知り驚いています。
    京に幕府を開いても、代々ちゃんと菩提寺は大事にしていたのですね。
    義輝は、剣豪将軍として知られ、生きていれば室町幕府もまだ何とかなったでしょうに。
    鑁阿寺の本堂は、かなり古い形態を留めているようですね。
    前の部分がかなり後世に増築されてしまったので、これまであまり価値が認められていなかったようですね。
    大銀杏が色づくころは綺麗らしいので、またゆっくり訪れたいと思っています。

    手前の旧家も、まだ残っているようですね。
    日本は、相続税の運用が悪いのか、旧家が土地の切り売りしないと生きていけない。
    なのに、近代になってから富豪になった階級の人はいつまでも財産があり余っている。
    変ですよね。

    宇都宮線も高崎線も、つい少し前までは、あの電車ばかりでしたね。
    個人的には好きなのですが、今は趣の無い車両ばかりになって寂しいです。
    帰りは、青春18きっぷだったので、ふらりと餃子を食べて帰りました。

    旅猫

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