2020/11/21 - 2020/11/21
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夏子の探検さん
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歩き隊の続きです。
前回分https://4travel.jp/travelogue/11664276
コロナ渦に巻き込まれ、この会も今月23日に「歩き隊」を開催する予定を中止しました。いくら元気な方々が参加するとて、行った先でうつったら大変な事で、主催者が「暫く中止」の案内を年末にしました。
この記録は去年ですが、年が明けまた、緊急事態宣言が出た・・・
1月三連休?!の初日土曜日、ディズニーランドの入場が長蛇の列と記事が書かれた。正直、今更だと思う。私がクリスマスに結婚記念日だから半年前から予約で泊ったので、私だけ行った遊園地(ナガシマスパランド)でも人気の乗り物は恐ろしく密でした!!CMで有名なジェットコースター「白鯨」は朝一でも、30分待ちでした。前日は90分待ちでした。
小中学生も、多分冬休みに入ったのか、子供同士で来てて、大騒ぎでした!
私はその後コロナ状態に成らなかったので、良かったけれど、その後は1月4日まで、何処にも行かず、自粛していました。
だから、良いと言うものでは無い!!
GOTOトラベルも、あっという間に中止に成り、EATまで中止と言うか、飲食店さんが可愛そうですよ・・・夜の街以外でも、クラスターは起こってるし、私が思うに、大都市の通勤地獄が、一番怖いと思います。
私も都内で仕事に明け暮れてた時代、朝晩の超混みの通勤電車で、コロナがうつらないはず無いし、無症状でうつしてる方もいると思う!!
関東で通常通勤の方々、お疲れ様ですが、帰宅したら、ゆっくり休んで下さいね。
今思えば、この会は、みんな良く歩いたと思います。私より年配者が多いのに、みんな生き生き歩いて来た。翌日、私でさえ、筋肉痛に成ったのに、大丈夫だったんだろうか?私は1日置きですが、スポーツクラブで5Kmは歩いて居るのですが、流石に13Kmは結構な距離です。
「歩く事」は元気な証拠!! コロナ渦中でも、近所をお散歩と称し、少し速足で歩いて居れば、身も心も元気に成れるので、お試しあれ☆
表紙は、上加茂神社です。
私はお初でしたので、嬉しかったのですが、「歩き隊」メンバーは、何度も来てるのでと言って、私の参拝を待って居てくれました。
最後の方の、鴨川沿いの遊歩道も、穏やかな日差しの中、土曜日だったので、ご近所の方が、ランニングやサイクリングをしていましたが、さわやかに歩く事が出来たので、とても楽しかったです♪
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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この会は、普段からお弁当持参で、公園などでそれぞれのお弁当を頂く様子
自宅から来た訳では無いので、これは待ち合わせ場所の駅で購入 -
宝ヶ池だそうです。
此処の公園でランチのお弁当を頂きました! -
宝が池は,かんがい用の溜池として江戸時代中期につくられたもので,最初はわき水をせき止めただけの小さなものでしたが,しだいに堤を高め,江戸時代後期にほぼ現在の大きさになったとされています。
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松ヶ崎付近は古くから景勝の地として知られていいますが,この地を公園化する計画が具体化するのは,昭和17年に防空緑地として都市計画決定されたことに始まります。
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家族連れのボート発見!
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昭和36年に,国立京都国際会館が北側隣接地に建設されることが決定してから,施設整備が大幅に進み,子供の楽園(昭和39年),菖蒲園(同46年),憩の森(同49年),桜の森(同52年),北園(同53年),野鳥の森(平成4年)を次々に整備し,現在の姿になっています。
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柿かしら?
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おひさまが当たって綺麗です。
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■ニホンイシガメが生息するようです。見てみたいです。(亀好きの夏子です)
・日本のカメといえばイシガメ。ミドリガメ(ミシシッピアカミミガメ)が増えてイシガメはすっかり数を減らしてしまいましたが,宝が池公園ではまだまだ姿を見ることができます。
・日本固有種。水中から陸上を移動し,様々な動植物を食べる雑食性です。夏季に林縁などで穴を掘り産卵します。近年,大きく数を減らしています。 -
宝ヶ池のHP
https://www.city.kyoto.lg.jp/kensetu/page/0000082746.html -
あたたかな日差し
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こうして、皆で歩きました。
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お陰様で、紅葉さいこ~~!でした!
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この池を市民の憩いの場として利用するために宝が池公園が作られた。比叡山と国立京都国際会館を借景として楽しむ遊歩道とボート遊びが出来る本体部と、山を越えて市営地下鉄松ヶ崎駅側にある運動公園、子供向けの遊戯施設がある「こどもの楽園」と、本体部とこどもの楽園を結ぶ「いこいの森」部分から成り立つ
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空も晴天
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イチョウの木
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四季を通じて花の名所であるように設計されており、特に春の桜の時期は非常に混雑する。野鳥観察の施設もあり京都市内とは思えないほど自然に溢れている。また、池の周囲の遊歩道では近辺の市立小中学校のマラソン大会が恒例行事となったり、ジョギングをする者も少なくない。
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この日もジョギングする方々を見ました。
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途中に池に張り出しの展望所も有り
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思春期から紅葉の落ち葉の中を歩く事が好きでした。
思春期の頃は、東北の宮城県仙台市在住だったので、仙台市森林植物園?今でも有るのかな?を、当時好きだった彼と手を繋いで歩いた記憶が有ります。
サクサク音のする落ち葉の中を、一緒に歩いた彼は、既に3児の親となり、子供さんも成人したおじいさんだろうなぁ~(笑) -
青空と散策路
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紅葉も、見事です!!
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こんな紅葉は、地元四日市には有りません・・・
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あ~~~真っ赤!☆
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宝ヶ池平面図
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紅葉見物でしたので、最高の日和でした(^^♪
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宝ヶ池
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真っ赤なもみじが、この日も、嬉しい☆
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紅葉と日差しがマッチ★
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青もみじと紅葉もみじが良い雰囲気ですね。
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青空で★
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園域は宝が池を中心に国立京都国際会館、グランドプリンスホテル京都に隣接する。
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宝が池公園は、京都三山の一角をなす小高い山に囲まれ、五山の送り火のひとつ「妙法」が南面にあります。古くから、薪や炭を採る里山として、人々の暮らしと深く関わってきた、四季の自然が美しい公園です。
公園のほぼ中央にある宝ケ池を中心として、雑木林や草原、公園の北東を流れる高野川や岩倉川、もともとの谷の地形を利用して整備された面積約62.7ヘクタールの総合公園で、子どもの楽園はその東の端に位置する広場です。 -
生息の植物群
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民家の傍にも、綺麗な小川が流れ、清きよしい。
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さて、ここから上賀茂神社に入ります。
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加茂別雷神社?が本名なの???
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入り口
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大鳥居
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地元・京都では「上賀茂さん」の呼び名で親しまれる上賀茂神社。京都最古の神社であり、「古都京都の文化財」のひとつとして世界文化遺産に登録されている。下鴨神社とともに毎年「葵祭」が行われる、有名で格式高い神社だ。
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上賀茂神社は通称で、「賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)」が正しい神社の名称。ご祭神は「賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)」。
「賀茂別雷大神」は、今から2600余年前すなわち神代の昔、神社の背後にある神山(こうやま)に降臨されたという。当初は山でお祀りしていたが、やがて山里である現在の地にお迎えすることになり、その際に神様の降りて来られる依代(よりしろ)として山を象って作られたのが、「立砂」(たてすな)。いまも境内で見られる、上賀茂神社の象徴ともいえる場所だ。 -
近年の調査で、神山周辺から縄文後期の土器が発掘され、この地に古代の人々が暮らしていたことが立証されている。神話なんて作り話と思うかもしれないが、私たちの祖先が何かを伝えたくて残したもの。自然にまつわる畏敬や感謝の念がテーマとなっていることが多い。
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別雷神(わけいかづちのかみ)は、雷の神様「雷神(らいじん)」とは異なる。むしろ雷を別ける「雷除け」で信仰を集めた。古の人々にとって天災の代表的なものだった落雷を除けることから、厄除け、方位除けなどのご利益があると信じられてきた。
また、雷をもコントロールする強大な力が必勝に繋がるとして、勝運と武運長久を願う歴代の天下人や武将が好んで篤く信仰する神社でもあった。 -
京都で最も古い神社のひとつといわれている「上賀茂神社(かみがもじんじゃ)」。世界遺産にも登録された由緒正しい神社の魅力とともに、京都三大祭りのひとつで、上賀茂神社で行われる「葵祭(あおいまつり)」の魅力もあわせてお伝えします。
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鴨川にかかる「御薗橋(みそのばし)」を渡り境内へ向かうと一の鳥居が見えてきます。まずはこちらで一礼をしましょう。
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京都市北区にある上賀茂神社は、神話の時代から続く京都で最も古い神社のひとつです。正式名称は「賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)」といい、平成6(1994)年には「古都京都の文化財」の17ある構成資産のひとつとして、世界文化遺産に登録されています。
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上賀茂神社は下鴨神社(しもがもじんじゃ)と共に「賀茂氏」の氏神を祀る神社。ご祭神は、神武天皇の御代に賀茂山のふもとに降臨したといわれている賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)です。
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た、賀茂別雷大神の母である「玉依日売(たまよりひめ)」とその父の「賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)」は下鴨神社に祀られています。この二つの神社はとても縁が深く、例年5月15日に行われる葵祭は上賀茂神社と下鴨神社の両社で執り行われているのです。
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この鳥居をくぐると、広い砂場の先に目に入ってくるのが「細殿(ほそどの)」と、その前に盛られた2つの砂山です。
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こちらの砂山は「立砂(たてずな)」と呼ばれ、賀茂別雷大神が降臨したと伝えられる、本殿の背後に位置する「神山(こうやま)」を模したものです。頂上部分には2本(向かって右)と3本の松葉(向かって左)が立てられています。
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こちらの立砂ですが、現在でも行われている鬼門や裏鬼門に砂をまき清める習慣の起源になったといわれています。写真だと分かりにくいかもしれませんが、意外に大きく存在感があり、神聖なパワーを感じる場所でした。
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▲立砂の横に置かれていた「清めのお砂」(一包500円)。お清めのパワーを自宅に持ち帰ることができる
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立砂の意味
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上賀茂神社は、京都の町の中心を流れる鴨川から歩いてスグ。最寄りの停留所である京都市バス「上賀茂神社前」から徒歩約5分の場所にあります。
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手水舎の水は、賀茂別雷大神降臨の地である神山の水を汲みあげたものが使われています。
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上賀茂神社の境内はとっても広いです。一の鳥居から二の鳥居までは、このように長い参詣道と芝生の馬場が広がっています。緑に包まれた下鴨神社の「糺の森(ただすのもり)」とは異なり、とても開放的な参詣道です。
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境内には「御物忌川(おものいがわ)」、「御手洗川(みたらいがわ)」という2つの川と、それらが合流した「ならの小川」が流れています。ならの小川は、葵祭の禊(みそぎ)の儀式を行う神聖な場所としても知られています。澄んだ空気が漂う川の周辺を散策すれば、心が洗われるようです。
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楼門の前にかかる「玉橋」。こちらも国の重要文化財
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「片岡社」は縁結び、恋愛成就の御利益があることでも知られています。かの紫式部も、何度もここに参拝して恋の願いをかけたのだとか。社にはハート型の絵馬がたくさんかけられていました。
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とても可愛らしい絵馬です!
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手水舎から橋を渡って進むと「楼門(ろうもん)」が見えてきます。この楼門と東西に伸びる回廊は寛永5(1628)年に建て替えられたもので、国の重要文化財に指定されています。
楼門の奥には、国宝である本殿や式年遷宮の際に仮の本殿となる権殿(ごんでん)がありますが、通常は非公開なので見ることができません。 -
玉橋のたもとにある「片岡社(かたおかのやしろ)。」上賀茂神社ご祭神の母神である「玉依日売」が祀られている摂社です。
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近年では雷から転じて「電気を司る神様」として電力や鉄道、さらに機械やIT関連など幅広い企業からの参拝があるのだそう。
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いつの時代も、誰が天下人であっても、上賀茂神社では天下泰平であるように、つまりその時代が長く続くことを祈り続けた。その結果、あらゆる武将が参拝する心の拠り所となる。国宝指定の本殿は徳川幕府によって寄進されたものだ。
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上賀茂神社のご神紋で境内にも自生する植物、二葉葵。江戸時代には、必勝の力にあやかろうと「三葉葵」を家紋とした徳川家に二葉葵を贈る儀式が上賀茂神社で行われ、歴代将軍がとても楽しみにしていたそうだ。
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また、最近明らかになった史実に、織田信長の不運の物語がある。目前に迫った毛利攻めの必勝祈願を行うために上賀茂神社を訪れる予定だったことが記録に残っている。その前夜に本能寺の変が起き、討死。もしも一日早く参拝に訪れていたなら?日本の歴史が変わっていたかもしれない。
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こんな可愛いお守りも有りました(私はキリスト信徒なので、買いません。すみません)
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七五三詣でも多かったです。
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七五三祝いのお祓い客も沢山居ました。
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神官の姿の方も・・・この神社に、よく似合います。
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お姿があでやかで、風流ですね!
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賀茂川の上流にあるから「上賀茂」。下流にあるので「下鴨」と通常呼ばれるが、こちらも正式名称は別にあり、「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」。その名のとおり、賀茂氏の祖先を祀るための神社だ。
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古来、日本の神様は、一族の祖先を祀る「祖先神」と、自然物や自然現象を神として祀る「自然神」に大別される。上賀茂神社は自然神、下鴨神社は祖先神、両方を合わせて「賀茂社」となる。だからこそ「葵祭」は両神社、すなわち賀茂社の例祭として行われてきた。上と下どちらが偉いわけでもなく、自然と祖先のどちらが欠けてもいけない、両方がセットの大切な存在なのだ。
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上賀茂神社と下鴨神社の例祭「賀茂祭」は、通称「葵祭」と呼ばれる。欽明天皇の時代(6世紀)、自然災害が多発し飢饉が起きた。その原因を占わせたところ「賀茂の大神に丁寧なお祀りをしていないためだ」とお告げがあり、賀茂社に使いを送り丁重にお祀りをしたところ、天候は劇的に好転したという。これが「葵祭」のはじまりだ。
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ここから両神社は、毎年の例祭に天皇から勅使が送られ、人々の幸せと世の平和を祈願される場所になった。それは現在も連綿と受け継がれている。
祭りの当日、上賀茂神社を訪れた勅使は、祓いの水である「ならの小川」の上に設けられた「橋殿(舞殿)」で天皇からの祈りの詞(ことば)を伝える。そして、それを聞き入れたことを神様に代わって伝える「返し祝詞」が、神様が降臨した「岩倉」と同じ意味合いを持つ場所、神社境内の「岩上(がんじょう)」で上げられる。
葵祭といえば華やかな時代行列が有名だが、天皇の勅使をお迎えして神様に祈りを捧げることが、神社にとって最も重要な儀式。古来変わらず行われてきた伝統的な祈りこそが、本当に大切で意味のある「まつり」なのだ。 -
一つ目は「八咫烏(やたがらす)みくじ」(500円)。神武東征の神話で、神武天皇御一行を導いた八咫烏をかたどったおみくじです。将来を良い方向に導く指針がおみくじに書かれています。
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八咫烏は三本足の不思議な鳥で、サッカー日本代表のシンボルマークとしても有名ですね。立ってこちらを向いている八咫烏の顔がユーモラスでなんともかわいらしいです。
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続いてはこちらの「航空御守(800円)」。空の安全を祈願する珍しいお守で、パイロットやCAさんがこぞって買っていくそう。もし、海外旅行などに行く人が身近にいれば、お土産に渡してあげると喜ばれるでしょう。
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絵馬の種類も多いです。
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境内
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上賀茂さんは天下国家の神社だから個人の縁結びを願うべきではない、との俗説もある。しかし元来、神社とは神様との縁をつなぐ場所。すべての神社に「縁結び」のご利益はある。
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賀茂神社の中で、とりわけ恋愛成就や良縁、子授けなどの良縁を願う人からの信仰を集めているのは、摂末社の「片岡御子神社(片岡社)」。
片岡社には賀茂別雷神の母神である「賀茂玉依比売命(たまよりひめのみこと)」が祀られている。平安時代には紫式部も参拝し、和歌を詠んだと伝えられる。 -
お神酒も奉納されて居ました。
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お神酒も奉納されて居ました。
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馬小屋(神聖な神様の馬がいる場所らしいですが、この日は居ませんでした)
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白馬のようですね。
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真っ赤なもみじが、赤い境内を一層赤くしています。
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圧巻ですね(^^♪
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燃え盛って居るようです。
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良い時期に来れて、満足です!!
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上賀茂神社を過ぎて、京都中心部を流れる、鴨川に出て来ました。
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お天気で爽やかな午後でした。
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この会のリーダー(幹事さん)が先頭を歩きます。
既に10Kmほどは歩いています。 -
河川法における鴨川の起点は京都市北区雲ヶ畑の出合橋付近、総延長はおよそ 31km、流域面積はおよそ 210 ?となっている。この数値は淀川水系の河川では小さな方で、特に流域面積は全淀川水系の 2%弱を占めるに過ぎないらしい。
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賀茂川は鞍馬川と合流後、上賀茂神社、下鴨神社の側を南南東に流れ、加茂大橋手
前で高野川と合流する。この合流地点にあたる「Y」字の又に当たる部分の頂点を、俗に「剣先」やと呼び、近くには公園が設けられている。
そこから京都の市街地の東を真っ直ぐに南に流れ、途中、丸太町付近で琵琶湖疏水
(※2)の水の一部を流入させて水量を増やした上で、そのやや下流にある禊川、高瀬川を分流させている。九条通り付近で南西へ流路を変え、伏見区下鳥羽で桂川に合流する。その後、桂川は瀬田川(宇治川)、木津川と合流して淀川となり、大阪湾に注ぐ。 -
通例として、高野川との合流点より上流は「賀茂川」または「加茂川」と表記される。平安京の東部を流れることから、古くは「東河」とも呼ばれた。賀茂川の名は、この地域に古くから住んでいた賀茂氏に由来する。平安京においては、都の東限であり、賀茂大橋から四条大橋までの一直線の河道はこの時に固定されたと考えられている。
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古くから鴨川は氾濫を繰り返す川として知られていた。これは大都市を流れ
る河川としては、平安京造営時に北山の木が伐採されたこと、市街地の東への拡大にともない河原が市街地化したこと、勾配が急であることなどが原因である。824 年には治水を担当する「防鴨河使」(ぼうかし)という官職が設けられたが、洪水がやむことは無かった。平安時代末期に絶大な権力を握った白河法皇は、自らの意に沿わないもの(天下三大不如意)の筆頭に「賀茂の水」を挙げている。(残りの二つは双六の賽、山法師) 戦国時代末期には、豊臣秀吉が御土居という堤防を作り氾濫による被害を抑えようとしていることから見ても権力者の悩みの種であったことが伺える。 -
江戸年間は京都の文化の発信地として栄え、鴨川の近辺には「友禅染(※3)」や、
「納涼床」、「歌舞伎踊り」など様々な文化が花開いた。
1670 年には今出川通から五条通までの区間に寛文新堤という堤防が設けられ、豊臣
秀吉の築いた御土居との間が新たな市街地として開発された。 -
近年では、1935 年の水害で死傷者 83 名のほか、三条大橋や五条大橋の流失など大
きな被害を出したがこれを契機に河川改修事業が行なわれ、戦争による中断や一部計
画の変更があったものの、1947 年に完成した。これにより河道が掘り下げられ、鴨川は現在の姿になった。 -
美しい京都を一層感じさせてくれた「歩き隊」の行事でした。
この京都も、現在緊急事態宣言の区域に指定されて、今の京都を知る由も無いのですが、今年のこの時期は、美しい紅葉をまた、眺めに行きたいと思います。
毎日コロナ感染者数が増加の一途を辿り、今年は何処に行く充ても無いまま、近所に買い物に行くのもままならず、3連休も、土日も家に居ります。
いい加減に、外出制限で無く、外出中止命令でも出れば、違うのかもと思いますが、四日市は夜の店先が、8時以降開いてないと聞きました。
も~~~~ぅ!早く終息をして欲しいですね。
医療従事者の方々、さぞかし大変だろうと思われますが、どうか、頑張って下さい。明けない夜は無いと、祈って居ます。
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