2020/10/10 - 2020/10/10
276位(同エリア4068件中)
キートンさん
この旅行記のスケジュール
2020/10/10
-
徒歩での移動
-
電車での移動
路面電車
-
船での移動
軍艦島コンシェルジュ・クルーズ
-
船での移動
軍艦島コンシェルジュ・クルーズ
-
電車での移動
路面電車
-
古町橋
-
電車での移動
路面電車
-
バスでの移動
リムジンバス
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
長崎は日本の中でも特殊な歴史をもつ。
南蛮貿易・朱印船貿易の拠点、鎖国中の西洋に開かれた唯一の窓口、キリスト教の広がりと迫害そして信徒発見の奇跡、日本の産業革命を牽引し幕末・明治維新の志士たちが活動した地、そして世界に2つしかない被爆都市・・・
16世紀に西洋との交流が始まって以来、日本列島の西の端の地方都市でありながら常に重要な役割を果たしてきた。
3日目はこの旅最終日。
今日は昨日まで欠航が続いていた軍艦島クルーズが催行されるかどうか、それが最大の焦点だ。
9月の台風10号による損傷の修復工事が、今回の台風接近もあり中断しているようで、上陸できないことは事前にわかっていたが、クルーズ船から見るだけでも軍艦島を目に焼き付けておきたいところ。
あとは時間の許す限り、眼鏡橋とその近辺の観光で旅を締めようかという計画。
さて、海上の波と風はどうか・・・
運命の朝が明ける。
※ 軍艦島の修復工事は完了し、10月16日から上陸可能となったようです!!!
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 船 スカイマーク 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- エイチ・アイ・エス
-
イチオシ
朝6:00前、目が覚める。
早速、窓の外を確認。
空模様はかなり曇っているようだ。ルークプラザホテル 宿・ホテル
-
しかし、ここから見る限り幸いにも海は凪いでいるようだ。
-
7:30前、ルークプラザホテルをチェックアウトし、徒歩で長崎駅へと向かう。
長崎は坂や階段が多い街だ。
地元の人しか通らないようなこんな道を歩くのも悪くない。 -
浦上川の河口に架かる旭大橋を渡る。
橋から見た海も波はほとんどなく、小型の船が出航して行く。
素人が見る限りクルーズが欠航になる要因はなさそうだが、軍艦島は湾の外なので楽観はできない。 -
駅のコインロッカーに荷物を預けようと長崎駅の東口まで来てみたが、駅は工事中に見えた西の方に移っているようだ。
コインロッカーもここから350mの仮通路を通った先にある。
こんなことなら西口から入ったら近かったのに、とんだ無駄足を踏むことになった。 -
東口仮通路から見た新長崎駅。
工事中ではあるが、すでにこちらで営業していた。
コインロッカーに荷物を預けた時には8時をとっくに過ぎていた。
軍艦島クルーズの受付の前に少しでも市内観光できると思っていたが、ちょっと厳しいか・・・ -
結局、どこも観光できないまま軍艦島デジタルミュージアムへ。
8:50頃に来てみるとすぐに受付することができた。
幸いにも予約変更していた軍艦島クルーズは催行が決まったようで、船に乗る順番もなんと1番をゲット。
ネットでの事前予約は上陸・周遊プランしか選択できなかったので、料金は4900円+310円(軍艦島入場料)=5210円を入金していたが、軍艦島に上陸できないので周遊プラン(4500円)となり、差額710円が返金となった。 -
周遊プラン(4500円)は軍艦島デジタルミュージアムの見学も含まれている。
クルーズの出航10:00の10分前に常盤港(ミュージアムから徒歩約5分)に行かないといけないので、ミュージアムの見学時間は最大45分となる。(クルーズ終了後に再入場も可能)
「軍艦島シンフォニー」というプロジェクションマッピングが30分毎に上映され、語り部による解説がある。 -
9:00から今日初回の「軍艦島シンフォニー」を鑑賞。
全長30mのスクリーンに、かつての繁栄ぶりや廃墟となった現況の写真が映し出される。
上映時間は15~20分。 -
1950年代後半頃を再現したアパートの暮らし。
各戸は、2K(6畳2間)か古い棟で1K(6畳1間)が標準的だったと思われる。時間をかけて見学したい by キートンさん軍艦島デジタルミュージアム 美術館・博物館
-
1/30スケールの30号棟模型。
1916年(大正5年)に建てられた、日本最古の鉄筋コンクリート造の高層アパートだといわれている。 -
30号棟は上から見るとほぼ正方形で、中央には中庭と吹抜けと階段があった。
地下に共同浴場と売店、1階には郵便局や理髪店などがあったという。 -
30号棟模型の所々で当時の日常風景か垣間見れるようになっている。
-
「シマノリズム」は、1/150スケールのジオラマにプロジェクションマッピングを用いて軍艦島のイベントや日常の様子を再現している。
-
夜、軍艦島に上がる打ち上げ花火。
-
上空から見た軍艦島のジオラマ。
建ぺい率、容積率ともに、今の都市計画では考えられない密度だったようだ。
16号棟から19号棟の4棟の屋上が緑になっている。
軍艦島は人工物で固められた「緑なき島」と呼ばれた。
そこで、建物の屋上に「青空農園」を造って、畑や田んぼを知らない子供たちの教育と農作物の収穫を行っていた。
ただ、潮風が吹きつける屋上は農作物の生育には適さなかったようで、やがて農園は閉鎖され花壇や屋上遊園地などに変わっていったという。
ちなみに、かつて公共放送の局が放送した軍艦島のドキュメンタリー番組「緑なき島」は、坑内映像に捏造疑惑がもたれており、その映像が某国が主張する強制労働の根拠として利用されている、という由々しき事態を引き起こしているとか・・・ -
イチオシ
「地獄段シアター」は、16号棟と57号棟の間にある急勾配の階段「地獄段」を再現したもの。
地獄段を上って行くと端島神社につながっていた。
ここでも階段の奥には端島神社があるが、行き止まりに突然現れた祠という感じだった。 -
廊下の一部が、高橋昌嗣フォトギャラリーとなっていて、荒廃した軍艦島の写真が展示されている。
-
「パノラマ世界遺産」は、7台のモニターでパノラミックに映す世界遺産。
修復工事中で見学できなかった旧グラバー住宅を映した。
グーグルのストリートビューと連動した画像なので、パソコンでも見ることができるのだが・・・ -
力道山の空手チョップが炸裂するテレビ画面。
1953年(昭和28年)テレビ放送が始まったが、50年代の世の中は街頭テレビの時代。
軍艦島では本土より一足早く、一般家庭にテレビが普及していった。 -
軍艦島デジタルミュージアムの見学は約45分で切り上げ、常盤港へ。
そもそも軍艦島デジタルミュージアムは単独での入場料が1800円もする施設。
映像ギャラリーや立入禁止区域のVR体験もしないと割に合わないところだが、クルーズとセットになるとかなりお得になっている。
乗船の順番は1番をゲットしていたので先頭で待つ。
ただしプレミアムでの予約ではなかったので、プレミアムシートには座れない。 -
10:00出航のはずが、20分程度過ぎてからようやく動き出した。
右側にはジャイアント・カンチレバークレーン。
1909年(明治42年)に完成した、日本初の電動クレーン。
110年以上過ぎた今でも稼働する、現役の巨大クレーンである。 -
続いて、昨日鍋冠山公園展望台からも見えていた第三船渠。
入り江の背後の崖を削ったコンクリート吹付けの急斜面が見えている。 -
女神大橋をくぐって外海の方へと出て行く。
まだ波は穏やか。 -
やがて右側に神ノ島教会と岬のマリア像が見えてくる。
神ノ島はもともとはその名の通り島だったが、1960年代に埋め立てにによって陸続きとなった。 -
イチオシ
東シナ海に出ると、沖之島と伊王島の2つの島がある。
この2つの島の間は幅数十mしかなく3つの橋でつながっているので、2つ合わせて伊王島と呼ぶのが一般的のようだ。
沖之島の馬込地区には、白亜のゴシック様式が美しい馬込教会が見える。
このあたりは日本で最もカトリック教徒の比率が高いところで、その多くは馬込地区に集中しているという。 -
クルーズ船は伊王島大橋の下をくぐって行く。
2011年に開通した伊王島大橋によって沖之島・伊王島と本土がつながり、長崎市中心部から車で30分程度で島まで行くことが可能となった。
平面線形がS字カーブを描いているのが特徴的だ。 -
伊王島を過ぎると高島が見えてきた。
高島は、江戸時代に石炭の採掘が始まり、明治初期からトーマス・グラバーらによって本格的な近代炭鉱として開発された。
高島炭鉱は、世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼・造船・石炭産業」の構成資産のひとつになっている。
1986年(昭和60年)に閉山になってからは人口が激減したが、今でも400人弱が島で暮らしている。 -
高島を見送ると軍艦島が近づいてくる。
軍艦島の手前には中ノ島という小さな無人島があり、途中では軍艦島とつながって見える。
中ノ島にも一時期炭坑があったが出水が多く数年で閉山し、その後は軍艦島の住民のための緑化公園や火葬場・墓地があったという。 -
いよいよ軍艦島の全貌が現れた。
正式には「端島」(はしま)という。(以後、端島と表記する)
長崎港から南西の海上約17.5kmの位置にある、周囲約1.2kmの島である。
面積は約6.5haで、概ね東京ドーム1.4個分である。
南北に約480m、東西に約160mと細長く、横から見たシルエットが戦艦「土佐」に似ているといわれている。 -
クルーズ船では、ガイドによりモニターに映し出された映像を解説している。
ちなみにこの日のガイドは、端島ではなく池島出身の女性だった。(・・・と言っていたように思う)
このモノクロ写真は1910年(明治43年)のものと思われる。
端島はもともと南北約320m、東西約120mの島だったが、埋立工事により約3倍の面積に拡張された。 -
端島に接近すると、まず反時計回りに周遊していく。
島の北東部に残る7階建の建物は、端島小中学校。
1階から4階までが小学校、5階と7階が中学校、6階には講堂、図書館、音楽室などがあった。
左上に見える百葉箱みたいなのは、端島神社。 -
端島小中学校の隣の建物は、「報国寮」と呼ばれた65号棟。
海上からはわかりにくいが、コの字型をした島内最大規模の建物である。
建物に囲まれた部分には島内最大の児童公園があった。
大戦末期から戦後にかけて、物資不足の時期に建設された。 -
イチオシ
島の北側から西へと周り込むと、社宅が林立する廃墟群が現れる。
最盛期には約5300人が住み、当時の東京都の9倍の人口密度まで達したという。
世界には鉱業の衰退でゴーストタウン化した例(アメリカの金鉱や日本の炭鉱など)が多いようだが、これほどのビル群のゴーストタウンはなかなかないだろう。
ちなみに、1990年代まで香港に存在した「九龍塞城」は、約2.6haのわずかな土地に最大約5万人が住んでいたといわれる。
九龍塞城はスラム化した違法建築の集合体なので、単純に端島と比較はできないが、人口密度で比較すると端島の20倍以上という異次元の高密度地区だった。 -
東シナ海側(南西側)から見た端島の全景。
島を約3/4周したあたりでクルーズ船はUターンして、ここからは時計回りに周遊する。
(つまり、来たコースを戻る)
船の後方右側の席に座っていた(というよりかなり立っていたが)ので、ここまで写真は撮りづらかったが、ここからは見やすくなる。 -
島の南西部にある、30号棟(中央)、31号棟、白い灯台など。
30号棟は、1/30スケールの模型が軍艦島デジタルミュージアムに展示されていた建物で、日本最古の鉄筋コンクリート造の高層アパートである。
白い灯台は、無人島になってから建てられたものである。
廃鉱前は、24時間3交代で操業していたため、夜間も常に照明が灯り、灯台は必要なかったのだという。 -
ツタがからまる3号棟は、最も高台に建つ職員社宅。
幹部用の社宅で、島内で唯一各戸に風呂があったという。
3号棟以外の島民は公衆浴場を利用していた。
飲料水などは、当初は海水を蒸留し、その後給水船で運ばれ、1957年(昭和32年)に本土から6.5kmの海底送水管が敷かれて送水された。
電気は当初島の自家発電だったが、1918年(大正7年)に高島から海底ケーブルが敷かれて送電された。 -
31号棟と48号棟の間は、瓦礫化としている。
このあたりには、公民館や「昭和館」という映画館があった。
端島では福利厚生が重視され、映画が福岡から直送されて長崎市内より早く封切りされたという。
炭鉱は3交代勤務で日中は暇な人も多く、日に2回の上映は非常ににぎわった。
いち早くテレビが普及したこともあり、映画館は1970年に閉館し、1991年の台風により全壊したようだ。 -
波が打ち寄せる護岸には、亀裂や崩壊している部分も見られる。
-
イチオシ
右から59号棟、60号棟、61号棟と並ぶ。
59号棟と16号棟の間(写真右側)には、端島神社へと上って行く「地獄段」と呼ばれた階段が少し見えている。 -
外壁の剥離、鉄筋露出が進んでいる66号棟。
その向こうに見えるのが、「報国寮」と呼ばれた65号棟。
66号棟と65号棟の間には、「潮降り街」という通りが地獄段下まで続いていた。
海が荒れて高潮になると、59号棟から66号棟の上を越えて潮が通りに降りかかったのだという。 -
島の北端には、69号棟の端島病院(手前の4階建)と68号棟の隔離病棟(2階建、護岸でほとんど見えない)がある。
炭坑の仕事は危険を伴うので、病院は炭坑会社が経営していた。 -
北西から見た端島。
軍艦だとすると、船尾を見ているアングルである。
左から端島小中学校、65号棟「報国寮」、端島病院、67号棟。 -
島の南東側は採炭関連施設があったエリアになる。
貯炭場だった場所には、貯炭ベルトコンベアーの支柱の列、沖には積込桟橋の橋台が残っている。 -
積込桟橋橋台の南西側にドルフィン桟橋がある。
上陸可能な時には、このドルフィン桟橋から上陸する。
ドルフィン桟橋近くには、石積の護岸が残っている。
明治期の島の拡張に造られた護岸は、石灰と赤土を混ぜた天川(あまかわ)という接着剤を用いた石積工法であった。
ちなみに、世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼・造船・石炭産業」に登録されているのは端島全体ではなく、厳密にいうと明治期に造られた岩壁と海底坑道だけである。 -
ドルフィン桟橋から上陸した付近には第二竪坑桟橋の昇降階段部分が残っている。
第二竪坑は端島の主力坑であった。
端島炭鉱は良質な強粘炭が採れ、日本の近代化を支えてきた炭鉱のひとつだった。
第二竪坑は、1890年(明治23年)に端島炭鉱が三菱に譲渡されてから開削された坑道である。
1965年に開発された三ツ瀬採掘区域も第二竪坑から通じており、端島から約2km離れた海面下1000mを超える地点にまで達した。
坑内は気温30℃、湿度95%という悪条件のもと、爆発や出水などの危険と隣り合わせの過酷な仕事であった。
そのため、鉱員の給与は当時の平均水準の1.5倍から2倍だったうえ、家賃や光熱費もかなり安かったという。
「三種の神器」(テレビ、洗濯機、冷蔵庫)といわれた高級電化製品がいち早く普及したのも当然といえる。 -
イチオシ
出航して約1時間経過して、北の空に青空がのぞいてきた。
もう少し青空が広がってほしいところだ。 -
島の南部には、レンガ造りの第三竪坑捲座、総合事務所、鍛冶工場、仕上工場などが残っている。
総合事務所の中には、鉱員専用の共同浴場があり、きれいな浴槽に入る前に荒洗いを行っていた浴槽はいつも真っ黒だったという。 -
約30分ほど端島の周りを周遊した後、端島をあとにする。
-
揺れはあまりないが、乗客は帰路では少々疲れ気味か・・・
-
復路も往路と同じコースをたどる。
伊王島大橋を過ぎて、右手に赤い灯台を見送る。 -
三菱重工業長崎造船所香焼工場には、3つの巨大な門型クレーンが並んでいる。
-
左には、高鉾島と青空がのぞく北の空。
台風14号の影響はもうほとんどなさそうだ。 -
女神大橋は、主塔高さ170m、橋長880m、最大支間長480mの斜張橋で、世界最大級の客船も下を通過できるよう高い位置を通っている。
車道だけではなく両側に歩道があり、長崎の夜景スポットにもなっている。 -
小菅付近の解体作業現場と巨大な海上クレーン。
-
2日前に来た小菅修船場跡が見える。
今回のクルーズで端島の上陸はできなかったが、端島だけでなく往復する間も見どころがあって楽しめた。 -
停泊する船の向こうにグラバー園の洋風建築も見れる。
-
帰港する港の対岸の風景。
稲佐山の中腹に、宿泊したルークプラザホテル(写真右端)が見える。 -
2時間弱のクルーズを終え、12:10頃に常盤港に到着。
長崎駅前14:45発長崎空港行きのリムジンバスに乗りたいので、これからの2時間弱が最後の観光となる。 -
大浦海岸通からめがね橋まで路面電車で移動。
-
眼鏡橋が架かる中島川は川幅が狭いものの河岸に下りることができる。
飛び石もあって対岸に渡ることもできる。 -
川面にさざ波があって、残念ながら今日は「めがね」には見えない。
-
眼鏡橋は、中国から来日して興福寺の住職となった黙子如定によって、1634年(寛永11年)に架けられた。
国内では沖縄の天女橋に次いで、現存する古い石造アーチ橋である。眼鏡橋 名所・史跡
-
中島川で兄さんたちがとるポーズは何?
平和祈念像のつもりかヨガのポーズかシェーの進化形か・・・ -
イチオシ
中島川には多くのコイが生息している。
白シャツの兄さんは、よっぽどそのポーズがお気に入りらしい。 -
コイに餌をまくちびっ子兄さんは、ちょっと腰が引けぎみ?
-
中島川に架かる石橋の多くは、江戸時代の寛永から元禄期に架設されたといわれる。
水害で破損や流失することもあったが、多くは復元されているようだ。 -
興福寺へ向かう道に並ぶ怪しげな自販機・・・
ここで何かを購入する勇気は私にはない。
というより、ここで時間をつぶしている暇はない。 -
興福寺前の通りを北へ進むと、龍馬通りの石碑があり亀山社中記念館まであと210mとの案内がある。
-
たかが210mと侮ってはいけない。
意外と手ごわい龍馬通りである。 -
13:00前、亀山社中記念館に到着。
入場料は310円で、開館時間は9:00~17:00。 -
亀山社中とは、坂本龍馬らにより1865年(慶応元年)に長崎で結成された浪士結社・貿易結社である。
私設海軍・貿易など、薩摩藩などから資金援助を受け、近代的な株式会社に類似した組織、商社といわれる。
グラバー商会などとの取引で武器や軍艦などを薩摩名義で購入、長州へ渡すなどの斡旋を行い、検悪であった薩摩と長州の関係修復を仲介した。
1866年の薩長同盟の締結に大きな役割を果たした。
1867年に土佐藩に附属する外郭機関として、「海援隊」と改称し、坂本龍馬が隊長となった。長崎市亀山社中記念館 名所・史跡
-
第一展示室には、坂本龍馬の紋服、ブーツ、月琴(琵琶の一種)、ピストル、陸奥守吉行(刀)、坂本龍馬立像などが展示されている。
ちなみに、亀山社中記念館の現在の名誉館長は坂本龍馬を敬愛する武田鉄矢で、彼が結成した「海援隊」は龍馬が暗殺された年齢(33歳)に達した時に解散したという。 -
第一展示室のみ写真撮影可で、資料などが見られる第二展示室は不可であった。
龍馬が身を隠したといわれる中二階は見学すらできなかった。 -
イチオシ
亀山社中記念館を出た道を右に少し行くと、龍馬のぶーつ像がある。
-
龍馬のぶーつ像から北の方向の眺め。
ここからの風景もなかなかのものである。 -
時間に余裕があれば風頭公園まで行きたいところだが、厳しかったので龍馬通りよりひとつ南側の道を下りて行った。
-
興福寺の山門まで来て、ちょっと見学して行こうかと思ったが、入場料300円だったのでやめにした。
-
中島川まで戻り、古町橋を渡る。
下流には一覧橋、右岸側に光永寺山門がある。
中島川沿いもなかなか風情があって、もっと散策してみたいところだ。 -
市民会館から路面電車で長崎駅前まで移動。
長崎の路面電車は乗車区間に関係なく一律130円と安くて、観光にも利用価値があった。 -
コインロッカーに預けた荷物を引き取り、駅前へと戻る。
今回の旅では軍艦島上陸と旧グラバー住宅見学ができなかったので、いつか再訪すべきだと考える。
その時、この敷地はどんなふうに再開発されているのか楽しみでもある。 -
長崎駅前の長崎県物産館は、GOTOトラベルの地域共通クーポンが電子クーポンでの利用可だったので、そこで土産を購入することにした。
これで、この旅で与えられた地域共通クーポンを使いきった。 -
長崎県物産館と同じビルにあるバスターミナルで空港行きのリムジンバスの切符を購入し、バスの出発まで15分ほど時間があった。
そこですぐ北にある西坂公園に来てみた。 -
西坂公園は、豊臣秀吉によるキリシタン禁止令により、1597年2月5日京阪地方へ伝導していたフランシスコ会宣教師6人と日本人信徒20人が処刑された場所である。
キリストが十字架に架けられたゴルゴタの丘に似ていることから、信者たちが西坂の丘を処刑の場として望んだのだという。
26人は全て男性で、最年少は12歳だった。
大浦天主堂は、この日本二十六聖人に捧げられた教会堂で、教会内の大きな油絵はこの時の処刑の様子を描いている。 -
西坂公園と道を挟んで建つ聖フィリッポ教会は、二十六聖人のひとりでメキシコ人殉教者の聖フィリッポ・デ・ヘススに捧げられた教会。
この教会を設計した今井兼次は、日本にアントニ・ガウディを紹介した人物でもあり、独特のデザインの双塔にガウディの影響が見られる。 -
この旅の観光を全て終えて駅前のバスターミナルへ。
バスターミナルの券売機横には少ないながらコインロッカーがあった。
しかも駅のコインロッカーより200~300円安い。
こんなことなら遠い駅まで行く前にこのロッカーをチェックしておくべきだった。 -
14:45発のリムジンバスで長崎空港へと向かう。
高速道路から遠くに大村湾が見えてくる。 -
長崎空港のターミナルには屋上に展望デッキがある。
帰る頃になって青空が広がってきた。
まあ、出発前は台風接近でどうなることやらと心配していた割には、あまり観光に影響なかったのでぜいたくはいえないが・・・ -
長崎は16世紀にポルトガル船が来航して以来、日本の歴史に大きな影響を与えてきた。
そう大きくはない街に、多くの歴史遺産が凝縮されているだけではなく、山に囲まれた地形、複雑な海岸線、いくつかの展望地と夜景スポットなど、景観も非常に優れている。
やや不満な点があるとすれば、教会や博物館などで写真撮影不可のところが多かったことくらいか。長崎空港 空港
-
この旅を通じて歴史の勉強になったのは言うまでもないが、歴史を支えた偉人達が成した功績も知ることができた。
特に印象に残った人物をひとり挙げるとすると、マルコ・マリ・ド・ロ(ド・ロ神父)だろう。
多くの偉人は数々の偉業の裏に野心が見え隠れするが、ド・ロ神父の生涯は私財を惜しみなく投じて貧しい地域のために尽くした「無償の奉仕」を強く感じた。
ド・ロ神父の功績は長崎のそれほど広くない地域に限られ、日本の歴史から見ればささいなことだったかもしれないが、ド・ロ神父の精神は聖職者の鏡ではないかと思えた。
神戸空港行きのスカイマークのフライトで今回の旅は幕を閉じた。
国内ではまたあの病が広がり始めた。
次の旅はいつのことになるのか・・・
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
激動の歴史の舞台を巡る長崎 2020
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
この旅行で行ったスポット
長崎市(長崎) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 激動の歴史の舞台を巡る長崎 2020
0
90