2011/10/19 - 2011/10/23
399位(同エリア528件中)
まさとしさん
キルギスを旅する。
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タジキスタン側から緩衝地帯を走りキルギスタン側の国境へと向かった。この緩衝地帯も天気が良いと景色がよいのだが、雲が多く残念だ。若干ではあるが迫力のある雪山を眺める事ができた。
キルギスタン側の入国審査では2時間ぐらい足止めを食らってしまった。我々以外に通行人はいないのに何をやっているのかとにかく時間がかかる。しかも日が暮れて寒い中、荷物を細かく調べられた。暇だから珍しいモノをおもしろがって調べているといった感じだ。こんな地の果てにいたら時代の流れから取り残されても仕方ないだろう。
完全に日が暮れた頃、キルギス最初の町であるサルタシュに到着した。町の中心の交差点には信号もあり、交通の要衝といった感じだが町は小さい。ここでゆうこさんは下りていった。今夜宿泊した後、明日カシュガルへ向かうらしい。ちょうど良い宿も運転手が紹介してくれた。 -
再びオシュに向け走り出した。座席が定員通りになったのでリラックスしながら向かうことができる。しばらくは快適な舗装道路だったが、峠に近づくとふたたび未舗装道路になってしまった。でも道幅は広く高速で走る事ができる。
しばらくすると雨が降り出した。と思った雪だった。路肩には雪が積もりだしている。そんな中、タイヤがパンクしてしまった。 -
タイヤ交換をすれば良いだけだが、この雪の中の作業は大変だ。でも運転手は慣れているようで15分ほどでタイヤを取り替えてしまった。
道路は全体的に整備されていたが、そんなトラブルがありオシュに着いたのはムルカブを出て12時間後の11時前だった。オシュでの宿は夜も遅いので運転手が知っていた安宿のタージマハルという宿に泊まる事にした。
オシュの町は3日前から断水しているようだ。明日水が復旧するような気配はなく、ここにあまり長居はしたくない。
ビシケクまで一緒に行く韓国人のテフは宿代を節約するため明日の夜行で行こうと言ってきたので合わせる事にした。
【10月20日(木)】
オシュ到着翌日。
ビシケクにはこの日の夜行で行く事になったので日中はオシュの町を観光する事にした。といってもこの町に見所はほとんどない。ちょっとした岩山と中央アジア最大級のバザールが唯一の見所だろうか。
水が使えないのでペットボトルの水を浴びる不便な生活だ。パミールに比べ暖かいので水でも我慢できるのが救いだ。ペットボトルの水で頭を洗い、出発の準備を整え町へ出た。
両替に少し困ったが、実は宿の横が両替屋だった。タジキスタン・ソモニの両替はマーケットの両替屋で断られたが、ホテルの横なら大丈夫だった。 -
宿泊したタージマハルホテル。別にインド人が働いているわけではない。もしかしたら経営者がインド人かもしれないが単なる安宿。1泊300ソム(520円)。
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中央アジア最大級のジャイマ・バザール。
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ジャイマ・バザール近くでビシケクへのマルシュルートカを確認しに向かった。すると今夜出発しそうな車はすぐに見つかった。
車の運転手と値段交渉をして一応予約して宿まで迎えに来てもらうようにした。しかし本当に来てくれるのかちょっと怪しい。値段はビシケクまで900ソム(1530円)。 -
オシュは日中は暖かく汗ばむ陽気だが日陰に入るとやはり肌寒い。
ここでラグマンを食べたがタジキスタンではパスタみたいな面ばかりだったが、ここでは歯ごたえのある中華麺だったのでその美味さにに感激した。 -
昼食は汁のないラグマンにした。野菜たっぷりで値段はタジキスタンと同じ位なのに量はタジキスタンの倍あった。
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オシュの町並み。後方はスレイマンの岩山。上れるらしいがやめた。
ホテルで待っていたら夕方6時に約束していた車がやってきた。ステップワゴンで定員以上詰め込まれる事はないので多少ゆとりはあるが、道は険しいので今夜は多難だ。また景色も楽しめない。
峠を何度か通過し、その際雪道を走っている事もあった。ビシケクまでは険しい峠を何度も越え、12時間くらい走る事になる。
【10月21日(金)】
ビシケクには8時前に到着した。ビシケクの朝は遅く、まだ夜が明けたばかりで肌寒い。トロリーバスで宿に行こうとしたら警官に職務質問を受けた。偽警官か本物かよくわからないがとにかく面倒くさい。荷物検査と財布から金を出して見せろとか実にうさんくさい。本物の警官でも金を抜き取られる事があるらしいのでやっかいだ。揉めていたら警察の詰め所に連れて行かれた。本当に警察かどうかも怪しい部屋だがたいしたトラブルはなく解放された。
キルギスはビザがなしで観光客に優しい国かと思ったが、これではウズベキスタンよりひどい。第一印象は最悪な国だ。おかげで完全に目が覚めた。
キルギスがなぜ日本人だけビザを免除しているのか。それは10年ほど前日本人技師が誘拐された際、解放するのに何人かのキルギス人が犠牲になってしまった。その恩返しとして日本はキルギスの空港建設や湖畔のリゾート開発など大規模な経済援助を開始した。その際たくさんの日本人技師がキルギスを訪問する事になり、その際ビザ取得の手間を省くため日本人はビザが免除された。それが現在まで続いているという事だ。なので再びビザが必要になる可能性はありえるらしい。 -
警官から解放されたあと、再びオシュバザールの北の停留所に向かった。ここで10番のトロリーバスを拾い、あっさり目的の「南旅館」が入るアパート近くまで来る事ができた。
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これが「南旅館」が入るアパート。道路に面した部分は商業施設になっている。南に向かっていたトロリーバスが左に曲がる手前の交差点に面している。すべてのトロリーバスが左に曲がるので曲がってから下りてもいい。
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そしてアパートのここをくぐる。
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入り口は何カ所かあるが「16〜25」の入り口を上る。
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3階の「22」の部屋が南旅館になる。
しかし部屋の前には表示がまったく出ておらず少し手こずった。
旅館といってもアパートを旅行者に開放している民宿だ。ここは久々の日本人宿(経営者はキルギス人)でもある。
ビザ待ちなどの人もいるが長期滞在者が潜伏する中央アジア最強の沈没宿だ。値段は1泊150ソム(260円)で今回の旅行で最安値だ。
ここでサマルカンドで別れたたかし君に再会した。彼もオシュバザールのタクシー乗り場で怪しい警官の職務質問にあったらしい。
宿はお湯も出て洗濯も干せて快適だ。
韓国人のテフもここでビザ取得のため沈没する事になる。彼は今日中に中国ビザの申請を済ませるため慌ただしく宿を出て行った。 -
南旅館の団欒室。
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そしてドミトリーの部屋。
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昼前、一人で町へ出た。とはいえビシケクで見たいものもなく中心部を一周して昼食を食べて終了だ。
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ここにもレーニン像が残っていた。
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昔は国旗がはためく国立歴史博物館の前にレーニン像が建っていたが裏手に移動させられたようだ。今は別の銅像が建っている。
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大祖国戦争記念碑(第二次世界大戦の碑)。国によって戦争の呼び方は様々だ。
周辺には黄色い花が咲き乱れとてもきれいだ。 -
大衆的なツムデパート。
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町中の両替屋。
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中心部のはずれにサウナがあったので入ってみた。
外観は中東のハマムをイメージしたデザインで興味深い。入場料は150ソム(260円)。
浴槽がなく物足りないが、サウナでいい汗がかけた。パミールの疲れも落ちて今夜はゆっくり眠れそうだ。
中心部を一通り歩いてビシケクはもう十分といった感じだ。明日アルマトイに移動しようかと思ったがも1泊ここでゆっくりしよう。
【10月22日(土)】
ビシケク二日目。ここに連泊することになる。
アルマトイから中国までの列車にあわせて日にちを調整だ。アルマトイは来週月曜に出発する事になる。ここまで急いできたが、少し余裕が出てきた。
この日は久々に部屋でゆっくりする事にした。 -
昼過ぎにテフたちとメディナバザールへラグマンを食べに向かった。ここにはウイグル料理の店があるらしい。
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ここで汁なしのラグマンを食べた。シャシリクも脂がのってうまかった。
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【10月23日(日)】
朝8時に出発する事にした。同じ宿にいた旅行者で同じくアルマトイ経由で中国に抜けるというA君と一緒に西バスターミナルへ出発だ。
しばらくはA君と行動を共にする事になる。南旅館から西バスターミナルはこのマルシュルートカで一本だ。 -
西バスターミナルに到着。
西バスターミナルからアルマトイへのマルシュルートカが出ている。 -
日曜で人の集まりはいまいちだ。しばらく周辺をうろつく事にした。朝食をとっていなかったのでここで食べる事にした。
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その場で作られた焼きたてパンだ。
11時頃、アルマトイ行きのマルシュルートカは席が埋まらないのに出発する事になった。これはありがたい。 -
1時間ほどで国境に到着。
荷物検査などはなくスムーズで今までの国境とは大違いだ。国境で他の客を待ったりして1時間ほどで再びアルマトイに向け出発した。写真はカザフスタン側からの国境ゲート。
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