2011/09/08 - 2011/09/14
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まさとし 国連加盟国全て訪問済さん
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スリランカでは泥沼化していた内戦が終結。かつてのLTTE(タミル・イーラム解放のトラ)支配地域にも旅行ができるようになった行ってみた。
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【9月8日(木)】
マーレからコロンボまでは1時間半で現地時間の4時40分に到着する。 -
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コロンボの国際空港に到着。マーレからくるとずいぶんモダンな空港に感じる。
朝から到着客が集中し、出稼ぎ労働者が続々帰国している。入国審査を済ませ両替を済ませて空港循環のバスに乗り込んだ。乗り込んだのは空港循環バスで市内へ向かうバスが発着するターミナルへ移動する事になる。コロンボへはエアコン付きのミニバスで1時間ほどだ。快適だったが荷物代を請求された。
スリランカ人の出稼ぎ労働者も要求されていたので払うしかないのだろうか。
到着したのは民間バスターミナル。スリランカの鉄道の拠点であるコロンボ・フォート駅にも近い。 -
この一角はペターと呼ばれる商業地で安い宿が点在している。SHALINKA REST INNという宿に泊まることにした。1泊800ルピー(600円)とやっと長期旅行の一般的な相場の宿にありつけた感じだ。
昨夜寝てないので少し仮眠をとることにした。しかし日中は窓の外がちょっと騒がしい。
起きたら11時だった。少しのんびりしすぎたがコロンボで必ずしておきたいことは北部への旅行事情の情報収集だ。かつてのLTTE(タミル・イーラム解放の虎)の支配地域の中心都市ジャフナに行くためには未だ国防省の許可が必要だと聞いていた。
なので国防省の場所も知る必要がある。とりあえず観光案内所に行って情報収集が先決だ。
観光案内所は海岸沿いのゴール通り沿いにある。列車で行こうと思い駅へ向かった。 -
コロンボフォート駅。
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しかし1時間以上来ないようなのでオートリキシャで向かうことにした。
バスで行ってもよかったが、早く行ってスムーズに手続きを済ませたいという思いが行動を急がせた。今回のスリランカ訪問の最大の目的は北部地域への訪問だ。
スリランカは長年LTTE(タミル・イーラム開放の虎)との内戦状態にあり、その影響は北東部の立ち入り制限にとどまらず首都コロンボにもその影響を及ぼしていた。
北部最大の都市ジャフナは内戦前スリランカ第二の都市だった。その人口の大半をタミル人が占めていたため、ジャフナを中心とした北部はタミル人の独立運動の拠点となった。
かなり前にジャフナは政府軍の手に落ちたが、ジャフナへの幹線道路は依然として反政府勢力の支配下におかれたままだったでジャフナは陸の孤島状態にあった。反政府勢力の支配地域は長年激しい戦闘状態にあり、援助関係など特別な外国人しか出入りができなかった。投資を呼び込むこともできず経済は疲弊していた。そんな経緯からスリランカは常に内戦国として暗い影を落としていた。
その戦争が2009年5月、突如終結へと向かったのだ。
終戦を機に北部への旅行も急速に開放され始めた。
現在、北部地域はまだまだ復興途上の段階で観光客は気軽に訪問することはできないとのことで陸路でジャフナに入る際はパーミットが必要だ。その申請は国防省で可能という情報を得ていた。その詳細情報を得るために観光案内所を訪問した。案内所で北部に行きたい旨を伝えると現在はパーミットなしでパスポートがあれば入れるとのこと。
内戦終結と共に徐々に規制は解除されつつあるようだ。面倒な手続きがどんどん省略されるのはいいことだ。今後鉄道なども再建されるだろうしスリランカの未来は明るい気がする。 -
バスでフォートへ戻った。バスはだいたい10ルピー(7円)。
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コロンボに北のは13年ぶりだ。前回訪問した1998年頃は毎週のように爆弾テロが起こり、首都はかなりの緊張状態だった。
円筒状のワールドトレードセンターやセイロン銀行本店ビルは爆弾テロの標的にされ、前回訪問した際は建物は閉鎖され、周辺にバリケードや検問所が張り巡られ、歩いて近づくだけで緊張したものだ。 -
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当時はそれらに隣接するホテルも閉鎖されている場所が目立ち、最前戦の雰囲気さえ感じたものだが、現在は大半のバリケードは撤去され、高層ビルが建ち並ぶオフィス街はビジネスマンが行き交い都会の日常を感じることができる。
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コロンボのコロニアル建築の建物。
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ハイカラなモスク。
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今朝、観光案内所に行こうと列車の切符を買ったのだが、1時間以上来ないことで乗らなかった。その切符がもったいないので夕方使うことにした。といっても10ルピー(7円)だ。帰宅ラッシュで10両編成の列車は超満員だ。
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列車で海岸線のバンバルピッティアで降りた。ここからもたくさん人が乗り込んでくる。
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海岸線を走り去る列車。
バッバルピッテイアで食事を済ませ帰りはバスで戻った。
【9月9日(金)】
北部の中心都市ジャフナへは列車で行くかバスで行くか出発直前まで悩んだ。
列車だとジャフナまで走っておらず、途中のバブニアまで停車駅の少ないインターシティで行くことになり、比較的快適だがそのあとのバスは大変だ。
コロンボからバスだと乗り換えは必要ないがいったどのくらい時間がかかるのか不安が大きい。
結果として列車を選ぶことにした。朝5時にフォート駅に行くとバブニア行きのチケット売り場には長蛇の列ができていた。 -
バブニア行きの列車に乗り込む。
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二等は固定された二人がけのシートで進行方向に向いている場所に座ることにした。
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インターシティはほとんど停まることもなくアヌラーダプラには定刻の11時15分に到着。ここで30分停車した。
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バブニアには約1時間に到着。時間はまだ午後1時前だ。バスだとここまでこんなに早く来られなかっただろう。
バブニアから北部のジャフナやマンナールまでは内戦で40年くらい運休し、今では線路もはがされ復旧は容易ではない。
バブニア駅からオートリキシャでバス乗り場へ向かった。 -
バス乗り場がバブニアの中心になっているようだ。ここからジャフナまでの距離は160㎞ほどだ。
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午後2時にジャフナ行きのバスがあり、出発まで30分以上あって客が誰も乗っていなかったので本当に出発するのか不安になりつつも近くの食堂で昼食を取ることにした。タミル人の店か南インド風のミールスでなかなかおいしかった。
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食事を終えて戻ってきたらさっきのバスが超満員になっていた。短時間でどこからこれだけ集まったのか不思議なくらいで目を疑った。そんな中、一番前の席を確保できた。
バスは定刻通り2時に出発した。 -
先が長いのにすでに立っている人もかなりいる。道路沿いでも人を拾い、超満員で足の踏み場もない状態のままジャフナを目指した。
道路は工事中の箇所が多く、スピードは出せない。平行する鉄道は工事が進み、すでに線路が敷かれているのがみえる。
バブニアを出て一時間。オマンタイ検問所にさしかかった。ここから先を訪問する際、外国人観光客はパーミットの提示を求められることになる。とはいえ昨日コロンボで確認したところパスポートだけで大丈夫とのことだ。兵士がバスに乗り込んできて外国人の僕だけバスを降りるように指示された。別室に連れて行かれパスポートの情報を記入されサインをさせられた。スリランカ国軍の兵士による手続きはいたってスムーズで友好的だ。この手続きは事前に取る必要があったパーミットがここで取得できるようになったためだろう。
かつてのタミル・イーラム開放の虎(LTTE)支配地域はここから北部のエレファントパスまで続く。
この区間は政府の管理下ではなかったためインフラは遅れていた。なので終戦後、急ピッチでほとんどすべての区間が工事をしている。そんなわけで片側通行の区間も多く、距離の割に時間がかかる。
キリノッチで少し休憩することになった。キリノッチは旧LTTE支配地域の沿道沿いで最大の都市だが、電気や水道もないような寂れた町だ。 -
バスは再び北を目指し、ラグーンが見えてきた。
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ラグーンの先がエレファントパスだ。ここにも軍の検問所があり、ここまでが旧LTTE支配地域だった地域となる。
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検問所近くの道路沿いには最近建てられたであろうスリランカ統一の記念碑がそびえていた。
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ジャフナに近づくにつれ銃弾で穴だらけになった家や屋根が抜け落ちた廃屋などが目立つようになってきた。このような建物を見ていると激しい内戦がつい最近の事だと思い知らされる。
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バブニアを出てから4時間半でジャフナの中心部にあるバスターミナルに到着した。かつてのスリランカ第二の都市だが、日が暮れ街灯もなく、真っ暗の町だ。時折停電したり頼りない町だ。
宿は町のバスターミナルの近くにVSKロッジという安宿を発見した。1泊500ルピー(350円)だ。南インド同様チェックアウトは24時間制を採用しているので明日の18時まで宿にいることができる。
ジャフナの住民はほぼすべてタミル人だ。町中から公用語であるシンハラ文字は消えてしまった。
タミル人はインド南部を旅行したときはもちろんシンガポールやマレーシアでも接する機会が多い。インド人といえばタミル人というくらい接する機会が多く親しみがある。 -
なのでコロンボから北部に来るとなぜか初めての場所に来た気がせずホッとする。 -
食事もうまい。
【9月10日(土)】
ジャフナの中心部は比較的復興が進んでいるようで市場やマーケット、僕が泊まっているホテルの周辺は戦闘の跡はあまり見られない。一見何の変哲もない南インドの地方都市だ。
しかし町の至る所でスリランカ国軍の兵士を目にする。国軍の兵士はシンハラ人である場合がほとんどだ。タミル人を未だ監視するシンハラ人兵士を見ていると内戦が終わったとはいえ民族対立の火種が消えたわけではないんだと感じる。 -
路地裏に入るとまだまだ銃弾の跡が残る民家の壁や屋根が抜け落ち壁だけになってしまった廃屋が目立つ。
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共同住宅の廃墟だが人が住んでるようだ。
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かつてのジャフナ駅舎。
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駅名の表示がかすかに残る。
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線路は取り除かれているが、プラットホームなどがそのまま残っている。
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地下の連絡通路。水がたまっていて通行不能だ。
そして連絡橋など当時のスリランカの鉄道駅としてはかなり設備の整った大きな駅だった事が伺える。
その荒廃ぶりに時間の流れを感じるがこの駅も内戦の終結と共に復興される可能性は大きい。 -
連絡橋と連絡橋の上から駅構内を見下ろしてみた。
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線路はさらに海がある西に続いていたようだ。
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野原になった駅構内。
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ジャフナ最大のヒンドゥー寺院であるカンダスワーミー寺院を見学に行った。この寺院は修復されたのは新しい感じがする。
そのあとジャフナフォートにも行こうとしたが政府の要人来るらしく、フォートには近づけなかった。もともとジャフナフォートは軍事施設として使用されているので中を見学することはできない。 -
壊れたままの時計塔。
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北部に来るとヒンドゥーなので牛が多い。
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市場ではマグロの干物が売られていた。1キロ700ルピー(500円)とのこと。
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昼食はおかわり自由のミールスだ。
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ジャフナで滞在したVSKロッジ。1泊500ルピー(350円)。
ジャフナはその名前のインパクトはコロンボに匹敵するくらい大きいが、町の見所は限られる。
また地形的にラグーンとベンガル湾に挟まれているジャフナだが乾季の今、日中は暑くて湿度も高いのであまり過ごしやすい町とはいえない。
そんなわけで午後移動することにした。次の目的地はマンナールだ。
マンナールはかつてインドのラーメシュワラムと鉄道連絡船で結ばれていたスリランカの表玄関だ。現在は当時の面影はほとんど残っていないようだが、地形的に興味があり、行ってみることにした。
ジャフナに入るにはバブニアからのルートとマンナールからの二つのルートがあり、マンナールからのルートはラグーンを横切るため通行可能かどうかわからなかった。でもジャフナに来てマンナール行きのバスが頻繁に出ている事で幹線道路(A32)は通行可能なのではと思いこのルートでマンナールへ行くことにした。 -
13時30分のバスでジャフナを出発。
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途中までは昨日と同じ道を戻ることになる。ジャフナの灌漑施設。
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東に30分くらい走ったところでルートA32の分岐点にさしかかった。ここからはジャフナ半島のラグーンに通されたコーズウェイを通行することになる。
乾季の今、ラグーンの海面はすべて干上がっていて鏡のような美しい風景を作り出している。 -
バスは未舗装のコーズウェイをマンナールへ向け走行。
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ジャフナ半島から本土への一番水深が深い部分に橋が架けられていた。つい最近架けられたのだろうか。以前は渡し船が通っていたようだが、この橋の開通で利便性は向上した。
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しかしルートA32はほぼすべて未舗装で体中砂埃だらけになってしまった。
マンナールまでバブニア経由よりは大幅に時間が短縮できたが、結構ハードな移動となってしまった。またこのルートも旧タミル人武装組織の支配地域を通るため検問所は多い。でもこのルートを通る外国人は少ないのか全く相手にされなかった。
ジャフナからバブニアへの所要時間と同じ4時間半かけてマンナールに到着。コーズウェイを渡った島にマンナールの町がある。マンナールは海辺の穏やかな町だ。バスでこの島に入った瞬間、何ともいえない心地よさを感じた。気候もジャフナに比べ湿気が少なく涼しい気がする。
マンナールでの宿は一番安いスターゲストハウスに泊まることにした。町の中心からは歩いていける。1泊500ルピー(350円)だ。すでに日が暮れ中心部に食事に行ったが帰りは暗闇の中を戻る事になる。 -
【9月11日(日)】
朝からバスでタライマンナールへ向かった。
タライマンナールはインドへの鉄道桟橋が置かれていただけで町の規模は大きくなかったようだ。
また現在桟橋付近は軍施設でその先には行けない。
軍施設の北が漁村になっていてそこがバスの終点となった。 -
ここから浜辺の方に出ると灯台や桟橋を眺められるポイントとなる。
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桟橋は現在も使われているようだが、鉄道用の桟橋はどうなっているのか不明だ。
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インドのラーメシュワラムまでは目と鼻の先。
この間はアダムスブリッジという浅瀬になっていて小さな島が連なっている。歩いて渡れたという伝説もある。 -
タライマンナール駅周辺だったと思われる場所には踏切跡が存在する。
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線路の残骸も放置されている。
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ただその先に軍の施設があるのであまりウロウロしないほうがよさそうだ。
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バスでマンナールへ戻った。マンナールはクリスチャンが多いのか教会が多く目につく。
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教会にいた女性たち。
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ここでもバオバブの木が見られる。マダガスカルに比べるとずいぶん太い。
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マンナール島に入るための橋は日本の援助で建設された。その橋を見に行ったらここから2㎞ほど南に崩落した鉄橋が目に入った。
あそこがかつての鉄道ルートだということか。どうりで町中で鉄道跡の形跡が見つけられないわけだ。鉄道はマンナールの町中からずいぶん離れて通っていたのだ。
ちょうど日も西に傾き涼しくなっているのでオートリキシャで鉄橋まで行ってみることにした。
すると日本語を話すリキシャの運転手に出くわした。彼の名はマンスールさん。日本で働いていたらしくお兄さんは現在も日本で働いているらしい。
インドやバングラディシュなど突然日本語で話しかけられ驚くことは多いが、ここマンナールも例外ではなかった。
コロンボだったら警戒してしまうがマンナールでは心を許してしまう。
マンスールさんの案内で鉄橋の前まで行くことができた。
しかし鉄橋周辺もまた軍事施設らしく兵士に聞くと鉄橋の撮影はできないとのこと。その周辺の盛り土や線路の残骸は撮影可能らしい。なぜ橋だけだめなのか。頼み込んだが結局だめだった。マンスールさんによると国防省で許可を取れば撮影可能ということでその事務所はここからは遠く、行くなら明日の方がいいとのこと。
そこまでしてこの橋を撮影する意味が何なのか。この存在を初めて知ったに他ならない。近いうちに撤去されるなら今のうちに記録しておくことも必要だろう。 -
鉄橋周辺の森土と線路の残骸。
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そして夕日。
すぐ近くにはマンナール駅舎の廃屋が残されていた。
これらは明日改めて見学することにして夜はマンスールさんの家に遊びに行くことになった。
タライマンナールから10㎞ほど走ったエルクラムという町で、海辺沿いに広がる小さな町だ。
真っ暗での周辺の景色がきれいなのが見て取れるがそれらを眺めることができないのはは残念だ。エルクラムの住民はイスラム教徒ばかりのようで何軒かモスクがあり、案内してもらった。 -
マンスールさんの家の前に到着。
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マンスールさんの子供たち。
マンスールさんの家で果物をごちそうしてもらい、日本で働いていたときの写真やお兄さんの写真を見せてもらった。
マンスールさんには朝8時にゲストハウスに迎えに来てもらう約束をして宿まで送ってもらった。
【9月12日(月)】
朝からマンスールさんのオートリキシャで軍の施設に許可を取りに行ったが、結局写真撮影の許可は下りなかった。だめならだめで仕方ない。どうやらスリランカ政府としては戦争の傷跡をいろんな場所に公開されたくないというのが理由だそうだ。
至近距離での橋の撮影はだめになったが、離れたところからなら問題ないだろう。 -
軍の施設に行く途中、鉄道の軌道跡を発見した。線路は取り除かれているが、その雰囲気から列車が走っていたのは一目瞭然だ。踏切部分には一部線路が残されていた。
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鉄橋の近くにあるマンナールの廃駅を見学することにした。プラットフォームや駅舎の残骸、貨車が数量放置されている。
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ここはジャフナの駅に比べるとかなり損傷が激しく、ほとんど原形をとどめていない。
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マンナール駅構内には貨車の車輪が散らばっている。
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結局この橋は撮影できなかったが、この距離で十分だ。
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コーズウェイからマンナールに入る時に渡る橋は昨年に日本の援助によって架け替えられたらしい。それまで貧相な仮設の橋しかなかったようだ。
新しい橋に平行して戦争で破壊された橋がそのまま残されていた。 -
そんな感じで日本語のしゃべれるマンスールさんのおかげで鉄橋の撮影こそできなかったが、マンナール島戦跡巡りを満喫できた。
今日はこれからマンナールからバブニアを経由してダンブッラへバスへ向かう。
ダンブッラは有名なシーギリアへの拠点の町だ。
距離的にはそれほどたいしたことはないが、北部の埃まみれの気候から正反対の雨期真っ直中の地への移動となる。 -
バブニアでバスを乗り換えた。バブニアを出たバスは土砂降りの中、南を目指した。
ちょうど小雨になったとき、ダンブッラのバス乗り場に到着した。ここからシーギリアへのバスに乗り換える。そして4時にはシーギリアに到着した。
今にも雨が降り出しそうな天気だ。夕方岩山に上ろうかと思ったが、その計画は諦めるしかなさそうだ。明日の朝、晴れるかも微妙だ。最悪フレスコ壁画だけでも見られればいいので天気に関係なく明日は岩山に向かうことにする。 -
シギリアではフラワーインという宿に泊まることになる。値段は1000ルピー(740円)。事前に電話で予約しておいたがこのシーズンオフではその必要はなかったようだ。宿は民家風で名前の通り花の咲き乱れるきれいな雰囲気の宿だ。
一度町の中心に出たがこれといった見所もなく大雨に降られて宿に歩いて戻れなくなってしまった。リキシャも数は限られている。カフェで紅茶でも飲みながら降りしきる雨と岩山を眺めることにした。 -
土砂降りの中、ちょうどやってきたダンブッラ行きのバスで宿まで戻ることができたが、ホテルから出るのはやめた方が良さそうだ。幸いホテルの周辺には商店もあり、人の生活があるのが救いだ。また宿の人が感じがいいのもこの宿にしてよかった。部屋は蚊帳もあり、熟睡できそうだ。ここにきて北部で全く目にしなかった欧米人観光客を目にすることになった。
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【9月13日(火)】
昨日とは一転、青い空が広がっている。とはいえこの天気も一日もつとは思えない。湿度は高く風も強いのでいつ雨雲が発生するかわからない。 -
頂上には王宮跡がある。
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7時に岩山はオープンするのでそれにあわせて正面ゲートへ向かった。入場料は30ドル。高いがそれなりの価値はある場所だと思いはるばる来たのだ。
周辺には猿も多い。 -
シギリアは岩の上にある王宮跡もすごいが、岩の中腹にある絶壁の窪みにレリーフがあることで有名だ。
そこへは仮設の階段で上る。早朝は観光客がまだ来ないのでゆっくり観光できる。 -
美女が描かれたフレスコ壁画「シギリアレディ」。
宿に戻った。 -
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岩山の中腹から見た下界。
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岩山を登り切るとそこには王宮跡がある。
この王宮が使われていたのは5世紀後半のわずかな11年だが、王宮が放棄されたあと今世紀に入るまで千五百年もの間、誰にも見つけられることはなかった。 -
今世紀になってイギリス人の探検家に発見されてからは修復されかつての王宮を忠実に再現されている。しかしこんなところによく造ったものだと思う。壁画にしてもあんな崖の窪んだ場所によく描かれたものだと不思議で仕方ない。
岩山の頂上にある王中は終始湿った強い風が顔に吹き付ける。見晴らしはいいがあまりさわやかな場所ではないので岩山を降りることにした。
入場券に博物館の代金も含まれていたのでせっかくなので見学に行ってみた。博物館は日本の援助で建設されたらしく、発掘された土器などが展示されていた。またフレスコ壁画のレプリカも展示されていた。
宿に戻り、チェックアウトしたあとバスでダンブッラへ出た。そしてこのままコロンボを目指す。
しかしダンブッラからコロンボへは北東部から通過する長距離ローカルバスを拾うことになるのだが、どのバスも超満員で乗り込むのをためらってしまう。ちなみにコロンボまでは4時間以上かかる。そんなとき客があまり乗っていないクルネーガラ行きのバスが通過したので乗り込むことができた。クルネーガラはコロンボとタンブッラの中間地点にある都市だ。
クルネーガラでバスを乗り換えればスムーズにコロンボへ戻れるだろう。
まだ昼前だが、ダンブッラを出たあたりで黒い雲に覆われ、大雨が降り出した。この時期のスリランカ中部の山岳地帯は午前中しか天気が持たないようだ。いずれにせよスムーズにシーギリヤ観光を済ませコロンボに向かえたのはいい。
クルネーガルでバスを乗り継いだ。コロンボまでは割高なエアコンバスを選んだ。しかしエアコンの効きはいまいちだが、停留所も少なく所要時間は早いはずだ。 -
しかしせっかくのエアコンパスだと思ったら10㎞くらい走って故障して動かなくなってしまった。乗客全員その場でおろされた。
しかもまた雨が降り出して最悪だ。お金は戻ってきたが、ここを通る次のバスに乗れとか言う。
こんな場所を通過するバスなどどれも超満員だ。いつまた土砂降りになるかもわからず、もたもたしていても仕方ないので満員のコロンボ行きのバスに強引に乗り込んだ。もちろん席などないので2時間以上立つ羽目になる。
でも10分ほど走って前の席が空き座ることができた。幸運としかいいようがない。結局コロンボには5時半に到着した。シーギリアから半日がかりの移動だったが、精神的にけっこうハードだった。でも明るいうちにコロンボに到着できてよかった。
コロンボではこの前にも泊まったペターの安宿に泊まることにした。
【9月14日(水)】
朝5時のバスがあり、空港へ向かった。
空港まで1時間半かかる。
空港に着く前、現地通貨ルピーが余っていたのでバス停付近の飯屋で朝食と紅茶を飲み、空港の無料シャトルバスは使わずオートリキシャでターミナルビルへ向かった。
ターミナルビルの中に銀行があり、最両替しようとしたら同じ銀行のバンクシートが必要とのこと。空港で両替していたので準備できたが危うく50ドルを無駄にしするとこだった。
その後のチェックインもすごい行列だ。コンピューターを使っているのがインド系の人種だと本当にペースが遅い。しかも割り込みする輩が時折現れるのでさらにイライラする。そういう輩の神経は理解不可能だが、注意すると「ここはあなたの国じゃないから」とか「あなたの後ろでいい」とかワケわからない言い訳して言っても聞かない。 -
これから乗る飛行機はLCCのエアアラビアだということもわきまえて我慢するしかないのだろうか。とにかくインド文化圏はイライラする。
コロンボの国際空港ターミナルも日本の援助で建設されたらしい。搭乗口付近には無料でインターネットが使えるパソコンがあったり、至れるつくせりだ。ここにたどり着くまでの要領の悪い手続きや行列のアンバランスに違和感を覚える。
9時35分のエアアラビアでシャルジャへ向かう。シャルジャはドバイに隣接する首長国の都市で両都市間はタクシーやバスで移動可能だ。
シャルジャまでは所要4時間。エアアラビアは機内食はもちろん水まで有料だ。さすがに到着が午後2時なので腹が減ると思い食料と水を持ち込むことにした。ペットボトルは機内持ち込みOKの地域は多く存在し、湾岸諸国では問題なしだ。食事は今朝のロッティの残りを持ち込んだ。
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