2011/10/05 - 2011/10/07
126位(同エリア194件中)
まさとしさん
トルクメニスタンを陸路で横断。
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【10月5日(水)】
イラン/マシュハド
トルクメニスタンを一緒に移動する事になった日本人4人と6時に宿を出発した。
宿のおじさんの言われるままに市バスを乗り継ぎ、テヘラン行きが発着するバスターミナルとは別のターミナルへ向かった。
ここからトルクメニスタン国境の町グーチャンへバスで向かう事になる。グーチャンまでは2時間で20000レアル(120円)だ。
グーチャンからバージ・ギーラーンというイラン側の国境にタクシーをチャーターして向かった。一人だと乗り合いタクシーの客待ちをしてからの出発になるが、4人いるとすでに客が揃っている状態なので実にスムーズだ。
イラン側の国境までの距離は70キロくらいあり1時間ほどかかった。国境付近で順番待ちをするトラックを一気に追い抜いてイラン側の国境に到着。国境は山脈の中にあり、標高は1500メートルある。イランの出国手続きは比較的スムーズに終了。そのまま徒歩でトルクメニスタン側の建物に向かった。 -
いよいよトルクメニスタンに入国だ。入国管理施設が入る建物にはトルクメンバシュ(トルクメン人の頭領)こと故ニヤゾフ大統領の肖像画が掲げられている。
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トルクメニスタンは中央アジアの北朝鮮というくらい強権的な大統領崇拝の政治が行われていた。その初代大統領であるニヤゾフは亡くなってしまったが、その後もニヤゾフ崇拝に代わりはないようだ。
ただこの国が北朝鮮と大きく違うのは資源が豊富で周辺国に輸出する事で国家財政は常に潤っている。国民は無料でガスが使用でき、冬は一晩中暖房をつけっぱなしでどこへ行って暖かいらしい。比較的モノも豊富なので国民の不満は抑えられているとされている。
とはいえ強権的な独裁国家であるため指導部は常に外国からの情報におびえている。
そのような複雑な政治体制の影響でこの国は旅行会社を通して日程を組まないと観光ビザが下りず、事実上個人旅行は不可能とされている。しかし今回の我々のようにトランジットビザを取得した場合に限ってトルクメニスタンに5日間を限度に滞在する事ができる。その際、旅行制限は特になく、事実上個人旅行が可能という事になる。
トルクメニスタンに入国の際、入国税なるものが一人10ドルかかった。さらにひとグループに対して手数料が2ドル加算される。その後厳しい荷物検査があり、2時間も待たされた。現地人はかなり厳しく調べられ、外国人も例外ではないとされているが、我々4人は全く荷物チェックはなかった。せっかく荷物を開ける準備をしていたのに少しは調べてくれよといった気分だ。ハードディスクの中まで調べられると聞いていたので身構え望んだ荷物検査だが拍子抜けしてしまった。とにかく国境の建物の中で長い時間を過ごす事になってしまった。
トルクメニスタン側は緩衝地帯が数キロ続き、この区間を専用の乗り合いワゴン車で移動する事になる。これが高く一人15ドルだ。
緩衝地帯が終わり、そこからタクシーでアシュガバート市内へ向かう事になる。トルクメニスタン側のタクシーはBMWだった。この国を走っている車は中古ではあるが日本や欧米のメジャーな車が多いように思う。タクシーはアシュガバートに向け山を一気に下った。 -
時折アシュガバートの真っ白い町並みが目に入る。
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アシュガバートに入る際には東西南北各所にゲートが設けられていおる。
ゲートの先がアシュガバート中心部となる。 -
道路は広く街灯が整備され、立体交差化されている場所も多い。
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すれ違う市バスは韓国製の新型バスで何から何まで近代的だ。車のドライバーには譲り合いの精神があるようで最悪な運転マナーのイランよりは人々の心にゆとりを感じる事ができる。
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似たような高層マンションが林立するのはどことなく平壌に似ている。
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手信号も平壌を思い出す。しかしここでは男性警官だ。
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とにかく町中が建設ラッシュだ。
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さてこの町での宿泊先が問題だ。アシュガバートの宿事情はこの1ヶ月で大きく変わってしまった。ほとんどの旅行者が身を寄せていた市内にあるホームステイ先の邸宅が相次いで閉鎖されてしまったのだ。それによって個人旅行者は行き場を失ってしまった。そんな中、町はずれのソ連式安宿「スヤーハットホテル」に行ってみた。
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ここまで利用したBMWのタクシー。
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しかしこのホテルではどういうワケか満室との答え。フロントの女性は親切に他のホテルにも電話をしてくれたが他の安い宿はすべて満室。宿泊拒否か。ホームステイ先が閉鎖されてしまった事で外国人が安宿に集中してしまった。それにより一定水準以下の宿には外国人を泊めないようにしているのだろうか。しかし現地人も断られていたのでそうではなさそうだ。一体今日は何があるのだ。ちなみに明日も満室らしい。とにかくワケのわからない国だ。
ホテルのロビーにはニヤゾフ元大統領の肖像が掲げられていた。 -
今朝起きてから何も食べていないので空腹が限界だ。ホテルの1階に食堂があり、ここでシャシリク(ケバブ)とラグマン(中央アジア風のラーメン)を注文した。ビールもうまかった。イランではなかなかない味付けでうまかった。トルクメニスタンのケバブは挽肉でジューシーだ。
腹は満たされたがこれからどうすればいいのか。念のため近くにある他のホテルにも直接出向いたが案の定断られた。ただ現地人に高級なホテルなら部屋はあるらしい。しかし1泊90ドルらしいのでとても泊まる気にはなれない。
今夜アシュガバートで泊まるのは断念せざるを得ないようだ。このままガスクレーターがあるデルウェゼへ向かう事にした。
ガスクレーターとは今回のトルクメニスタン滞在中で最大の見所といってもいい場所でカラクム砂漠に位置する。その名の通りガスが吹き出ているクレーターだ。夜行くとマグマが吹き出ているような光景が見られる。
まずガスクレーターへの拠点となる町デルウェゼ向かう事になる。デルウェゼなど北部へ向かう乗り合いタクシーが集まるのはダーシュオグズ・バザールという場所だ。タクシーで町はずれのダーシュオグズ・バザールに到着すると乗り合いタクシーの運転手が集まってきた。乗り合いといっても我々は4人いるので車をチャーターする事になる。デルウェゼまでの言い値は200マナトだった。結局値段交渉の末一台100マナト(2800円)で交渉成立した。一人25マナト(700円)と適正価格に近いはずだ。このような時4人いると助かる。一人だと大変な事になっていただろう。
デルウェゼまでの距離は約300キロ。途中町は2箇所しかない。ひたすら一本道を北へ進む事になる。タクシーはアメリカあたりから流れてきたトヨタのアヴァロンで道路は整備されているので移動は快適だ。出発後すぐに日が暮れてしまった。
タクシーは3時間半くらい走り一軒のチャイハネに到着した。
時間は夜10時前。どうやらここがデルウェゼらしい。デルウェゼは町ではなく一軒のチャイハネがあるだけの場所のようだ。腹も減っているのでこのチャイハネで夕食を取る事にした。 -
チャイハネで食べたピラフ。
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チャイハネのオヤジがジープでクレーターに行かないかと誘ってきたが、時間もあるし徒歩で向かう事にした。荷物はチャイハネで預かってもらえる事になった。
日が暮れているのでクレーターの方向がうっすら明るくなっているので目的地はわかりやすい。昼間だと何の目標もないので逆に不安だ。 -
月明かりだけが頼りだ。
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チャイハネから約6キロ、砂漠の中の道なき道を歩き続ける事になる。
行程は丘、平ら、丘、クレーターという感じらしい。行きは月明かりもあり、比較的歩きやすく約1時間半ほどででクレーターに到着した。
突如暗闇の中にぱっくり開いた黄色い口から吹き出る水蒸気。
なんとも異様な光景で恐怖さえ感じる。地獄への扉とも呼ばれるその第一印象はあまりにも衝撃的だった。
穴の中はマグマのよう見えなくもない。穴の中からはガスが放出されている。そこに火が点り、火力自体は強くないがクレーター周辺はガスファンヒーターの熱風と同じような風が全身に吹き付ける。時折突風となり、小さな竜巻も発生したりするので注意が必要だ。 -
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地球にはすごい場所があるものだ。また驚きの場所に出会えた。はるばるここまで歩いてきてよかったと実感できた。暗闇の中を6キロ歩いた末にたどり着いた絶景なのでその感激もいっそう大きなものになった。ジープで来る事も可能だったがあっさり来てしまうとその感激は半減してしまうだろう。ジープの誘いを断ってよかったと思った。ただここまで暗闇の中を歩き続ける事ができたのは4人いたおかげで心強かったのが大きい。一人だったら絶対来るのは無理だった。
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ところでこのガスクレーターはいったい何なのか。
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穴の大きさは、直径約84メートル、深さ約20メートルある。トルクメニスタンは世界有数の天然ガス産出国だが、今から約35年前、天然ガスを採掘中に落盤事故がおこりこのようなクレーターができてしまった。この穴を塞いで沈火させるには、トルクメニスタンの国家予算1年分という莫大なお金がかかるらしい。しかしクレーターからは有毒なガスが漏れ続けていて健康被害のおそれがあった。なのでその対処方法として火をつけてガスを燃やしているとのこと。なのでこの光は決して自然のものではなく、人為的なもので事故を放置し延々と環境破壊を続けている状態でもある。
なんとかこの漏れ続けているガスを有効に使えないものかと思ったりもするが、なかなかいい方法は見つからないのだろう。しかしこのような神経質な場所に旅行者が気軽に近づけるのはおかしな話でもある。ワケのわからないトルクメニスタンの事だからいつ立ち入り禁止になってもおかしくない。今回の訪問はそれに間に合った感じだ。 -
穴の中心の火力はかなり強めだ。
クレーターに感激したはいいものの「行きはよいよい帰りは怖い」とはまさにこの事か。行きは暗闇に目標とする光があり、目的に向かって歩くのは簡単だった。しかし帰りはまったく目的がない。コンパスを頼りにひたすら西へ歩くしかない。時には足跡を頼りに暗闇の中を進む事になる。いつの間にか月も沈んでしまいカンだけを頼りに足を進めた。星はきれいだが天体に対する知識は誰もないのであまりあてにできない。
コンパスだけを頼りに1時間半歩き続けた。すると道路を車が通り過ぎる音が聞こえてきた。幹線道路は近いようだ。そんな中、野犬の鳴き声が聞こえてきた。暗闇の中で犬に囲まれたら終わりだ。かなり焦ったが何の事はない。チャイハネの犬だった。
しかし犬をさけようとしたためかなり遠回りをしてしまいチャイハネに戻ったのは4時頃だ。最初から犬の鳴き声に向かって歩けば簡単にチャイハネへ戻れたのだ。
チャイハネは閉まっていたが中に入れてもらいそのまま寝させてもらう事になった。 -
【10月6日(木)】
チャイハネで寝させてもらった。8時前まで寝ていたら営業が始まり、朝食を食べる客で賑わっていた。デルウェゼにポツンとあるチャイハネ。 -
昨日野犬の鳴き声だと思ってビビッたが犬はここで飼われていた。
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朝食はピラフ。
出発の準備をしているとチャイハネのオヤジに家の裏に呼ばれて寝床代として4人で10ドル払う事になった。室内に入れてもらえ布団まで貸してもらったので払うのは当然か。
一人10ドルでなくてよかった。 -
チャイハネで働く女性たち。
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チャイハネからクレーター方面を見渡したが、日中はどこがクレーターなのかまったくわかない。
今後のルートだがこのまま北に移動すれば簡単にウズベキスタンに入る事が出来る。
しかしアシュガバートに未練がある。どうしてもあの異様な町を歩いてみたい。
他の3人はどう思っているのか知らないが僕の意見が通ってしまいアシュガバードに戻る事になった。
アシュガバートへ向かう場合、11時半にバスがあるらしい。 -
本当に来るのか不安な気持ちで待っていた。
なかなか来ないので不安だった1時間ほど遅れてバスがやってきた。 -
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けっこうまともなバスだ。
途中乗車だったが席に余裕があり、無事に座る事ができた。イランで使われた中古バスだがけっこう快適だ。アシュガバートまでの運賃は10マナト(280円)だ。 -
アシュガバートに到着したのは午後3時過ぎ。最初にする事は今夜の夜行列車の切符を購入する事だ。
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タクシーでアシュガバートの鉄道駅へ向かった。
トルクメニスタンの鉄道は極端に安くて快適なので予約が入りにくいと聞いていた。なので今夜発の列車は半分諦めていたが2時間後の一等寝台車を予約する事ができた。トルクメニスタンの鉄道には乗りたいと思っていたのでうれしい誤算だ。ちなみに値段はトルクメナバートまで一等で12マナト(330円)は安い。ちなみに乗車時間は14時間だ。 -
出発まで2時間くらいある。あまり十分な時間とはいえないがアシュガバートの町を観光することにした。意味不明な近代建築物を横目に徒歩で繁華街と思われる場所をめざした。
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大きな建物には必ずバシュ様(故ニヤゾフ元大統領)の肖像が。
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途中レーニン像など今となっては珍しい銅像がここには存在している。
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交通量が少ないので地下道を通るのは面倒だ。
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中心部のビル。
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中立広場の中立門は取り壊されるのかシートがかぶせられていた。中立門とは頂点に立つ黄金のバシュ像が太陽の動きに合わせて回転するというアトラクションのような記念碑だったがなくなったのは残念だ。
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官庁街や元大統領である故ニヤゾフことバシュ像は写真を撮ろうとすると警官に止められる。でもせっかくなので黄金のバシュ像は隠し撮りする事にした。警官は注意してくるだけで理不尽な要求や身元確認をされる事もなく、トルクメニスタンはそれほど問題がある国には思えない。
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隠し撮りで撮影。黄金のバシュ像。
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午後6時前にタクシーでアシュガバート駅へ戻った。トルクメナバート行きは18時20分発。これから乗る列車は最新とまではいかないが中国製の比較的新しい車両で車内は清潔だ。水やお湯もちゃんと出るので快適な移動ができる。
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夜食として乗車前に駅の食堂でマントゥ(餃子)を購入した。
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列車は定刻通り出発した。出発後検札の後シーツ代が別に1マナト請求された。トルクメニスタンでは慌ただしい行程となってしまったが、行きたい場所には行けたのでよかった。今夜はゆっくり寝られそうだ。
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【10月7日(金)】
アシュガバートから15時間後の午前9時前にトルクメナバートに到着した。 -
ずいぶん快適な移動だった。
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トルクメナバートもまた駅前には白が基調の近代的な建物が目に入った。とはいえアシュガバートに比べればかなり控えめだ。
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トルクメナバート駅前から乗り合いタクシーでファラップの国境へ向かった。ウズベキスタン国境への道。
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国境に到着。
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駅から国境までのタクシー運転手。スピード狂で160キロくらい出す恐ろしい運転手だった。
出国審査はスムーズで荷物を調べられる事もなかった。国境から緩衝地帯の先にあるウズベキスタンの国境線までは乗り合いタクシーで向かう事になった。 -
国境線からウズベキスタンの入国管理施設の建物まではさらに徒歩で10分ほど歩く事になる。荷物を抱えた現地人はこの間の移動に苦労していた。
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