2011/09/24 - 2011/10/05
273位(同エリア1288件中)
まさとしさん
イランでトルクメニスタンビザを取得。
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アラブ首長国連邦のシャルジャから約2時間半でイランの首都テヘラン郊外にあるイマーム・モメイニ国際空港。に到着しました。
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テヘランの空港に着いたもののイマームホメイニ国際空港から市内への交通機関はタクシーしかないとかふざけた空港でしかも馬鹿高い。
車種によって違い最低25万レアル(1600円)からだ。
到着ロビーから出発ロビーにあがり、見回すとおそらく誰かを乗せてきたであろう白タクと目があった。その男も誰かをテヘランへ乗せて帰りたいはずだ。値段交渉して20万レアル(1250円)で市内へ出ることになった。空港で両替した20ドルが20万5千リアルだったのでちょうどいい。これ以上出せないがこれ以上値切るのも無理があるだろう。 -
空港ターミナルをあとに。
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給油する運転手。
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空港からテヘラン市内をめざす
高速道路網は整備されているが、路面のひび割れなど老朽化が目立つ。 -
テヘランの南部にはホメイニ師の霊廟があり聖地になっている。その横を通過した。
そしてテヘランのアミルカビール通りにある安宿「マシュハドホテル」に到着した。
シングル1泊12万レアル(730円)。昔に比べれば高くなった。 -
今日は何かの祝日らしく、店は全部閉まっていて町には活気がない。大半の信号は機能しておらず、黄色が点滅している。交通量はけっこう多いのに交差点など比較的スムーズに流れているのは不思議な感じだ。。
タクシーに現地通貨を全額渡してしまったので金がない。なので両替屋を探さなくてはならない。しかし祝日の今日、両替屋を探すのは至難の業だ。イランでは闇両替もなくなり健全な国になったので旅行するには不便になった。そんな中、かなり歩いた場所に両替商を発見した。空港よりかなりよいレートで両替することができた。 -
そして遅めの昼食はファーストフード風の店でライスとチキンカレーみたいなスープを食べることにした。
24000レアル。200円しないのでまぁ安い。
商店街の一部の店は営業しているが、テヘランの町自体面白味に欠け、道路も広く歩くのが疲れる。
両替以外今日したいことはないので宿に戻ることにした。とにかく今日テヘランのマシュハドホテルに来た最大の理由は他の日本人旅行者からトルクメニスタンビザ情報を得るためだけだ。
【9月26日(月)】
今日は今回の旅行で最大の目的の一つ、トルクメニスタンへの入国ビザの申請をする。マシュハドホテルに泊まったのはその情報収集のためであり、同じ事を考えている日本人がいればいろいろ助け合えるのではというのが理由だ。
同じくトルクメニスタンビザを取得しようとしているKさん夫妻が昨日到着していて、情報ノートから情報を収集していた。なので今日トルクメニスタン大使館に一緒に行くことにした。トルクメニスタン大使館までの行き方などはKさんたちがあらかじめ調べ上げていてくれたのでついて行くだけになった。しかしパスポートコピーが必要とのことで何とか大使館までの道中に手に入れたい。
8時に出発しようと思ったが宿の周辺のコピー屋を含めほとんどの店が閉まっているのでとりあえず地下鉄で目的の駅に向かうことにした。 -
テヘランの地下鉄は中国の援助で建設され、路線網はどんどん広がっている。見た目だけは最新の車両を使用されている。渋滞だらけのテヘラン市内をスムーズに移動できるようになったのはすばらしい。
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地下鉄の北の終点がトルクメニスタン大使館の最寄り駅になる。ここからさらに徒歩45分と結構遠い。タクシーを使えば早いが時間だけはたくさんあるので歩いて向かった。
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テヘランはすぐ背後に山が迫る。なので水は豊富で水道の水も飲む事ができる。
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大使館に到着したのは10時前だ。ビザセクションの窓口はまだ閉まっていた。まさか休みかと急に不安になってきたが10分ほど待つと窓口が開いた。
エクスプレスビザの申請。コピーとパスポートの個人情報ページとトランジット先のウズベキスタンのビザコピーを提出した。
55ドルで翌日から5営業日後の受け取りとなる(ノーマルは35ドルで2週間後)。滞在可能期間は5日間がだ。受け取りはここテヘランでもマシュハドでも可能らしい。相互の大使館はオンラインで繋がっているらしいが本当か。しかも申請書の記入も写真の提出もなくあまりにもあっけなくて拍子抜けすると共に少し不安を感じる。
同じ道を地下鉄の駅へと戻った。地下鉄でアメリカ大使館の跡地の最寄り駅で下車した。このあたりには怪しい壁画が
描かれているが撮影禁止らしい。 -
テヘランの高層ビル。
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専用レーンを走るBRT。地下鉄と共に使いやすいが混雑が激しい。
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昼食のチキン。30000レアル(180円)。
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テヘランに来てやることは済ませた。ビザの受け取りをマシュハドにしたのでこの町に用はない。
夕方同じ宿のスペイン人のカルロスとバザールに行ってみた。カルロスもまたトルクメニスタンビザ取得のためこのホテルにやってきたのだ。
テヘランのバザールは中東最大級だが行った時間が遅かったのでほとんど店じまいしていた。また興味のある店もあまりなくバザールの雰囲気だけでも味わえてよかった。 -
夕食は宿の近くで挽肉のケバブとご飯を注文することにした。イランに来てから割とまともな食事にありつけている。
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ソルティーなヨーグルトとペプシではな「PARSI」ww
【9月26日(月)】
今日宿をチェックアウトして今日の夜行でイスファハンへ移動することにした。イスファハンまで7時間でついてしまうので夜遅く出発するバスに乗ることになる。とりあえず夕方まで宿に荷物を預かってもらうことにした。 -
テヘランの見所といっても何もないが、鉄道駅は見ておいた方がいい。地下鉄と徒歩で駅へ向かった。駅は多くの長距離列車が発着していてけっこう賑わっている。切符売り場には長蛇の列ができていた。もし切符を買うときは旅行代理店を通した方が良さそうだ。
駅からバスでバリヤス広場へ移動した。バスは狭い車内の後ろが女性で前が男性とはっきり区切られている。日中は男性より女性客の方が多いようで後ろ半分は黒ずくめが超満員になっていて見ていて気の毒だ。男性スペースは席が空いている。
そのままバリヤス広場に到着した。ここはテヘランの繁華街だ。イマームホメイニ広場はテヘランの中心とされるが、商業の中心は事実上バリヤス広場となる。周辺はハイソな雰囲気でおしゃれなショッピング街が形成されている。 -
この一角にビル丸ごとパソコンを扱うテナントが入っている秋葉原のような場所もあったりする。
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テナントすべてがパーツ屋だ。
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テヘランにはアルメニア教会がある。
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ナゴルノカラバフの象徴である我らの山像が描かれていた。
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テヘランの地下鉄は中国製なので北京の車両と同じだ。
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それにしてもイラン人は並ぶのはいいが前に出すぎだろ。
夜8時に地下鉄で南バスターミナルへ向かった。イスファハン行きのバスが23時30分にあり、切符を買うことができた。あまり早いバスだと夜中につくのでちょうどいい時間のバスが見つかってよかった。 -
夕食はバスターミナルでチキンライスだ。
23時頃になるとバスターミナルの明かりが消え始めた。バス会社もシャッターを閉め出してだんだん人気がなくなってきた。そんな中30分前にどこから来たのか知らないが客を乗せたイスファハン行きのバスが到着した。比較的新しいボルボのバスだ。
それにしてもせっかくイランに来たのにベンツの旧式バスを全く見なくなったのは残念だ。まさにイランといた雰囲気のあのアンティークさ。趣がある事に加え、実はあのバスの方が足元が広々快適だったり、3列シートのバスもあったりでかなりレベルが高いように感じた。
定刻通りテヘランを出発。
【9月27日(火)】
5時にイスファハンに到着した。まだ夜明け前。1500メートルと標高が高くひんやりとしている。バスターミナルのベンチで2時間ほどうとうとしてバスでアミールカビールへ向かった。
イスファハンでの滞在先であるアミルカビールホテルは欧米人旅行者も多い。部屋の狭さで昔(1998年)来た事があると思い出した。今となっては老舗のホステル。ネットが有料なのは残念。朝食付き。 -
スィー・オ・セ橋。たもとのチャイハネが有名だが、日中は暑いので誰もいない。
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エンゲラープ広場が観光の中心だ。
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シィー・オ・セ橋が架かる川には水が全くない。
橋の下は涼むのにちょうどいい。 -
橋の下は涼むのにちょうどいい。
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チェックインを済ませ、昼寝したあと、夕方町へ出ることになった。テヘランで知り合ったカルロスとたかし君、そしてこの宿で知り合ったドイツ人のヨセフとイマーム広場に出た。イマーム広場は空が広くて開放感がある。日が暮れてから涼しくなっているのでずいぶんとさわやかだ。
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夕暮れのイマーム広場。
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その後カルロス(中)が市バスで知り合ったというイラン人の友達を電話で呼び、ローカルな食事に案内してもらえるという事になった。とりあえず待ち合わせ場所のスィー・オ・セ橋に向かった。ライトアップされた橋は幻想的だ。
約束の時間に遅れて登場したイスマイルというイラン人はよくわからない奴で我々とはずいぶん価値観の違う人間だった。結局あちこちウロウロしただけで食べる場所も何も知らない。何か食べたいというとイラン人は夕食はあまりたくさん食べないのでサンドウィッチがいいとか言う始末。
我々はサンドウィッチなどでは満足できるはずがなく、結局自分たちで食べるところを探し、イスマイルは我々についてくるだけで何のアドバイスもない。結局イマーム広場近くに手頃な食堂を見つけ、ライスとケバブのまともな食事にありつけた。イスマイルは一緒に食事を取ろうとはしなかった。結局そのまま宿に戻ってきた。そのままイラン人とはバイバイ。
宿に戻ったらもう9時だ。でもいろいろな場所を歩けたのはよかった。
【9月28日(水)】
イスファハンは観光客が多く、垢抜けしたモダンな雰囲気を感じるが町が静かで上品でもあり、居心地の良さを感じる。
日中は例のごとく暑いのでやる事もなく、だらだらしようと思ったが、同じ宿にいる黒沼さんたちがアルメニア教会へ行くとの事で日本人のグループ5人でアルメニア人地区へ行く事になった。
フェイスブックはロックがかかっていて自分たちのパソコンでは見る事はできない。でもネットカフェに設置されているパソコンからなら裏技があるようで何とか接続する事ができた。シリアや中国でも同じ事が行われているようだ。イランは何かと面倒な国だ。 -
バスで向かった先はハイソな雰囲気の新市街の一角。
偽物だがスターバックスの珈琲屋があった。 -
アルメニア教会らしきものを発見したがちょうど昼休みで見学できなかった。
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近くのピザ屋に入ることにした。
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アルメニア人地区は屋根のある商店街など全体的にこぎれいな雰囲気だ。
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2時半になると教会の前に観光客が集まり始めた。教会の内部は一面に絵が描かれていて吸い込まれるような美しさだ。
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最初入場料の高さに入るのを躊躇したが、それなりに価値ある内容だったように思う。
しかし礼拝堂内部は撮影禁止なので写真はなし。 -
イマーム広場の近くにチャイハネがあり入ってみた。ここでチャイを飲んだあとシーシャを試してみた。いわゆる水たばこだがイランではガイヤーンというらしい。
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腹も減ってきたのでパンをスープに付けるイランの料理で「アーブ・グーシュト」を食べる事にした。羊の肉汁が入って酸味のきいたスープにパンを漬けて食べる。
それにヨーグルトも混ぜたりする。 -
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帰りにまたイマーム広場に寄ってみた。ここでサフランの黄色いアイスクリームを買ってみた。5000レアル(35円)と安い。
黒沼さんとなおさんは今夜の夜行バスでシラーズへ出発するのでいったんお別れとなる。
でもみんなトルクメニスタンのビザ待ちなのでまたどこかで会う事になるだろう。
【9月29日(木)】
この日はテヘランで同じ宿でイスファハンで再会し、部屋をシェアしているたかし君をヤズドへ移動することになる。
宿でバスの予約を済ませて東バスターミナルへ向かった。 -
市バス。
ヤズドまでは比較的近く4時間ほどだ。バスは休憩なしで走り続けた。4時過ぎにヤズドのバスターミナルに到着。昼食を食べていなかったのでバスターミナルでサンドウィッチを食べてから市バスで町の中心部へ出た。バスを乗り継ぎムスタファホメイニ広場にやってきた。ここから迷路のように入り組んだ旧市街の路地を抜けることになる。途中屋根のある路地など歩いているだけで面白い。そんな複雑な道を地図を見ながらホテルシルクロードをめざした。
ホテルシルクロードはドミトリーで1泊9万レアル(540円)。伝統的な様式で雰囲気のいい宿だ。ネットは無料だが例のごとく不安定で僕のパソコンでは接続不可だった。 -
夕食を探したが店が全くない。ヤスドでは食事する場所がなくホテルでしか食べる事ができないようだ。
結局もう一つの安宿でチキンライスを食べる事になったが8万レアル(480円)もした。宿泊代と変わらない。
【9月30日(金)】
午前中は特にする事なし。こんな日も悪くない。この旅行をはじめて1ヶ月が過ぎようとしている。今日で9月も終わりだ。 -
同じ宿の日本人3人で旧市街を散策。屋根のある路地や土壁の家屋、そしてこの町独特の風を集める塔(バードギール)が目につくのが印象的だ
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ヤズドの旧市街にて
【10月1日(土)】
日本を出て1ヶ月。イラクに入国できなかった事をのぞけば予定通りといったところだろうか。 -
このチャイハネは公衆浴場のハマムを改造して作られたレストランだ。現在ハマムは公衆衛生の問題からイランでは禁止されているらしい。
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イスファハンでも食べたアーブグーシュトを注文。
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ヤズドの土壁の町並みを散策。
この町独特のバードギール(風採塔)が目を引く。 -
屋根がある路地などタイムスリップした雰囲気を味わえる町はイランでここしかないだろう。今日も休日だが明日商店が営業を始めたらまた違った雰囲気を見る事ができるはずだ。
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ヤズドの街角にて。
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ファハダーン広場の周辺に伝統式家屋を見学できる場所が何軒かある。その中でラリーハ邸という場所だけオープンしていたので見学する事にした。
でも今泊まっているシルクロードホテルも伝統家屋であまり新鮮みはなかった。 -
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この穴の中に井戸がある。
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邸宅内を案内してくれた学校の先生だというおじさん。
ラリーハ邸の扉。 -
【10月2日(日)】
ヤスドに3泊もしてしまったが今日出発する事になる。今日は平日で町に活気が出るのかと思ったがそうでもない。そんな中、中心部のモスクみたいな建物(アミール・チャグマーグのタキーイェ)の中にあるケバブ屋で昼食を取る事にした。この建物は複合施設になっていて中には食堂や商店が入居している。入った店はチキンやマトンのいろいろな部位の肉を食べられたがご飯はなし。
午後3時頃チェックアウトを済ませ宿を出発した。マシュハドまでは日本人4人で向かう事にした。そのまま一緒にトルクメニスタンへ行く計画だ。
今夜の夜行バスでマシュハドへ向かうことになる。夕方5時のバスだが2時間前に宿を出発した。旧市街の迷路を抜け、市バスを2本乗り継いでバスターミナルへ向かった。 -
ターミナルへ行く市バス。
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マシュハドへのバスはイランで一般的になったボルボ。といってもイランでライセンス生産されているスカニアバスで乗り心地はあまりよくない。
値段は15万レアル(900円)。
マシュハドまでは12時間以上かかる事になる。イランのバスは休憩が少なく、23時頃になってやっと食事休憩となった。
【10月3日(月)】
8時にマシュハドのバスターミナルに到着した。マシュハドの長距離バスはすべてここに集中するのでかなり規模の大きなターミナルだ。 -
ここから市バスでスムーズにゲストハウスの近くまで行く事ができた。バスターミナルは市内からそれほど遠くないようだ。マシュハドにも地下鉄が開通したようだが、バスターミナルには接続していなかった。
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マシュハドでの宿は口コミで有名になったバリズ・ノンスモーキングという宿(というよりホームステイ)でけっこう欧米人の宿泊客も多い。日本人の宿泊客は今はいないようだ。
混雑しているのはおそらくトルクメニスタンのビザが昨日一昨日と取得できないのでそれを待っている人が足止めを食らっている状態で混雑しているのだろう。
しかも話によると今日も取得できないらしい。今日月曜は旅行代理店専用の申請日らしい。月曜に関しては終了間際に行けば取得できたような話を聞いていたので運に欠ける事にした。 -
とりあえずトルクメニスタン大使館に10時頃顔を出したら案の定断られた。しかも旅行代理店らしきイラン人が大行列を作っていた。
せっかく大使館まで来たのでできれば今日取得したい。ちなみに営業時間のパネルだがこんな感じだ。
火・水・土以外対応してもらえないらしい。 -
少し時間をつぶすことにした。シーシャ(水たばこ)はイランではガイヤーンというらしい。
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営業時間終了間際の12時頃再び大使館に顔を出してみた。
すべての申請者がいなくなったのでそれから窓口に受け取り申請を頼んだらいったん断られたが受け付けてくれた。
申請用紙が渡され今書けといわれ、代金の55ドルを支払った。そして1時間ほど待って無事トルクメニスタンビザの受け取りに成功した。
その際写真1枚とさらにパスポートのウズベキスタンビザと個人情報ページのコピーが必要だったがすぐ近くにコピー屋があり、事なきを得た。とはいえ我々は運がよかっただけで本当は月曜の受け取りはダメで個人旅行者の申請時間は火水土のみらしい。テヘランより曜日指定が限られているので注意が必要だ。
面倒なトルクメニスタンビザの取得成功。明日は朝からバタバタせずにゆっくりマシュハド観光ができる事になる。
夜行明けで疲れていたので昼寝をしたあと、夜にはみんな元気になったので中心部にあるシーア派の聖地であるハラメ・モタッハル広場に行ってみた。マシュハドはシーア派のかなり重要な聖地になっていて世界中から巡礼者が集まってくる。
ハラメ・モタッハル広場は24時間オープンしていて夜の方が一帯がライトアップされていて幻想的だ。 -
広場にはたくさんのモスクがあり、内部はミーラーが散りばめられ輝きを放っている。
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黄金の水飲み場。
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黄金の水飲み場とドーム。広場で一番華やかな場所だ。
そんな中、この広場では巡礼客と同じように黄金のドームの下にあるエマーム・レザーの聖廟を触れに行くのが最大の目的だ。聖廟周辺に近づくには靴を預けなくてはならない。
人でごった返していて一歩間違えたら将棋倒しになる危険性もある。よくメッカでたくさんの死者が出る事故はよく耳にするがここも同じような感じがする。でも異教徒の外国人にも開放されてるのはうれしい限りだ。イラン最後の滞在先ですごいと思えた場所にたどり着いた気がする。他の名所がたいした事なさすぎるので無理もない。 -
【10月4日(火)】
メトロで一駅隣に出た。 -
メトロとはいっても地下を走っているLRT(路面電車)といった感じで車両は中国製だ。
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ここでネットカフェを探し、久々に快適な環境でネットができた。でも少し割高だ。
写真はマシュハドの町並み。 -
昼食は宿でローカルフードを作ってもらうことになった。
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他の外国人旅行者もみんな外出する気がないようだ。この宿が居心地がいいのかマシュハドが何もないのかとにかく人口密度の高い宿だ。
とりあえずイランを出る事になる。
イランに来てからいろいろな日本人と知りあってきたが、最終的にトルクメニスタンへはヤズドから同行しているK夫妻とたかし君と僕の4人で移動する事になる。
4人いるとタクシーなどチャーターしやすいので効率的に移動できる。特にトルクメニスタンのようなワケのわからない国はみんな不安なはずだ。 -
夜、肉屋の前で売られていたレバーを食べてみた。
串焼きはうまい。
【10月5日(水)】
トルクメニスタンを一緒に移動する事になった黒沼さん夫妻と崇君と6時に宿を出発した。
宿のおじさんの言われるままに市バスを乗り継ぎ、テヘラン行きが発着するバスターミナルとは別のターミナルへ向かった。ここからトルクメニスタン国境の町グーチャンへバスで向かう事になる。グーチャンまでは2時間で20000レアル(120円)だ。
グーチャンからバージ・ギーラーンというイラン側の国境にタクシーをチャーターして向かった。一人だと乗り合いタクシーの客待ちをしてからの出発になるが、4人いるとすでに客が揃っている状態なので実にスムーズだ。イラン側の国境までの距離は70キロくらいあり1時間ほどかかった。国境付近で順番待ちをするトラックを一気に追い抜いてイラン側の国境に到着。国境は山脈の中にあり、標高は1500メートルある。イランの出国手続きは比較的スムーズに終了。そのまま徒歩でトルクメニスタン側の建物に向かった。
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