2011/09/15 - 2011/09/22
20位(同エリア69件中)
まさとしさん
東京にて観光ビザを取得できたのでアフガニスタンを旅することにしました。
9/15
シャルジャ(435)~カブール(730) Metropool G.H.
9/16
カブール(6時頃)~バーミヤン SAKHI No.1 G.H.
9/17
バーミヤン(バーミヤン観光) Mama Najaf G.H.
9/18
バーミヤン(バンデアミール) Mama Najaf G.H.
9/19
バーミヤン~カブール Mustafa Hotel
9/20
カブール Mustafa Hotel
9/21
カブール Mustafa Hotel
9/22
カブール(840)~ドバイ(1105/1630)~アルビル(1830)~ドバイ (ドバイ空港T2)
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【9月15日(木)】
昨日に続いてエアアラビア、今日はカブールへのフライト。アラブ首長国連邦のシャルジャを5時に離陸した。 -
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イラン高原の乾燥した山岳地帯の上空を通過し、2時間半後の現地時間8時にカブールに着陸態勢に入った。
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気温19度。標高は1800メートルある。湿度がないのでからっとした天候だ。カブール空港にはフライドバイなどほかの民間航空機も到着している。空港には当然軍用機の姿が目立つ。
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アリアナ・アフガニスタン航空の機体。
入国審査は誰一人質問されている様子はなく、行列はどんどん進む。荷物もすぐに出てきた。カブール空港のターミナルビルも日本の援助で造られたらしく、設備はしっかりしている。 -
ターミナルビルへは一般車両やタクシーは乗り入れができず、無料のシャトルバスで少し離れた場所に全員移動することになる。無料バスで向かった先はバスターミナルのような建物で中には食堂や両替屋が入っていた。そしてここからタクシーを使うことになる。このシステムは不特定多数の人が空港ターミナルに近づけないようにする配慮だろう。そうすれば自爆テロを予防する効果がある。
タクシーで市内へ出ることになる。市内のホテルまで言い値が10ドルだ。でも5ドルに下がった。
市内にホテルのあてはないのでまず空港から市内へ行く途中にあるヨーロッパゲストハウスに連れて行かれた。ここは外国人専用でセキュリティーがしっかりしているようだ。しかし1泊80ドル(値引きして)60ドルはさすがに出せない。それにこの宿は外国人専用で逆に標的になりやすく危ないのではと思ったりする。
結局同じタクシーで最新のロンプラから削除された旧市街のジャミルホテルに行くことにした。ロンプラの最新版から旧市街の安宿はすべて削除されている。宿がないということはないだろうが外国人の宿泊を受け入れているのか問題だ。まずジャミルホテル周辺の2軒の安宿に当たってみた。しかしいずれも満室だと言っている。単に外国人の宿泊拒否しているだけかもしれない。この調子だとジャミルホテルもだめかと思い不安の面持ちでフロントに向かった。するとスタッフも感じがよく、問題なく泊まることができた。でも値段は情報より大幅に上がり1泊30ドルだ。とはいえ最初に連れて行かれた宿の半額だ。ここに決めた。
しかしこの宿はジャミルホテルではなかった。メトロポールゲストハウスという宿でジャミルホテルよりランクが少し上だ。でも宿泊拒否されなかったのでホテルの名前を確認せずに決めてしまったのだった。ジャミルホテルは隣にあり、さらに安く20ドルだ。ただジャミンホテルのフロントの対応はあまりよくなく今のホテルでよかった。 -
メトロポールゲストハウスの外観。以下には金を売り店が入っている。
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ホテルの屋上からの眺め。
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今いるホテル周辺は活気のある旧市街の中心にあり、食事にも困らず何かと便利だろう。
このあと歩いて周辺のホテルや有名なムスタファホテルにも行ってみたら20ドルくらいで泊まれることがわかった。最初に連れて行かれたホテルに泊まっていたらとんでもないことになっていた。ホテル以外の物価は安いのでアフガニスタンでの費用は思ったほどかからずにすみそうだ。メトロポールゲストハウスは朝食も付いているらしい。
カブールの町に出た。やたらと警察車両と警官の姿が目につく。信号は機能しておらず、警官の手信号だ。 -
旧市街は雨が降っているわけでもないのにぬかるみが多い。
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とりあえずハザラ人のふりをするためアフガンのシャルワーズ・カミーズというアフガニスタンの民族衣装を購入しに旧市街の市場へ向かった。
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このタジク人のじいさんから購入。
ベストもつけて750+500アフガニーを1100アフガニー(1800円)で購入した。
一度ホテルに戻って着替えてみた。宿のクリーニング屋に着付け方法はこんな感じでいいのか聞いたらいろいろ教えてくれ、アイロンがけまでしてくれた。この宿は少し高かったが、いろいろメリット感じる部分は多い。1ドルでシャツの洗濯もしてもらった。
着替えて再び町に出た。すれ違う人の誰一人として僕をじろじろ見なくなった。
アフガニスタンにはモンゴロイド系のハザラ人が多く住んでいる。ハザラ人の見た目は日本人と変わらず、民族衣装のおかげで僕がこの国のハザラ人だと言えば誰もが信じるだろう。
この格好で外国人に有名な安宿のムスタファホテルに部屋を見せてもらったときは日本人だというまで怪訝な対応をされたが、衣装一つでこんなに庶民の中に溶け込めるものかとかなりの驚きだ。逆に溶け込みすぎて不安な部分もある。写真撮影や怪しい行動が不審者扱いされ、現地人と同じ対応をされるのは怖い気もする。しかもパスポートはホテルに預けてある。とはいえしゃべれば一発で外国人だとバレるので過剰な心配は必要なさそうだ。それよりも遠くから見て外国人に見られなくなったことの方が今後の移動の際、安全に対して効果を発揮しそうだ。 -
カブール市内を流れる川はどろどろだ。
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ここでもインド製のバスが活躍している。
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食事はホテルの前の通りにあるケバブ屋に入った。
宿でもそうだがアフガニスタンでは思った以上に英語が通じない。パキスタンのような感じだろうと思って来たが、この環境で英語が通じないのは厳しいものがある。アフガニスタンではほとんどの食事が羊の肉になりそうだ。 -
レバーや挽肉のケバブ、チキンもある。これでだいたい2ドルくらいだ。
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町中ではカルザイ大統領の写真をよく目にする。
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カブールの見所は旧市街周辺の急斜面にへばりつく土壁の民家もそのひとつだろう。
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靴職人。
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マトンの頭。
市内を監視する警察や軍は完全にアフガニスタン人に移行して国連やNATO軍の姿は見あたらない。
行く場所は限られているので無理にいろいろなところを歩き回るのは控えた方が良さそうだ。
夕方6時をすぎると町は暗くなり、食堂以外はすべてシャッターを下ろしてしまう。街灯もろくになく、真っ暗になってしまうので歩くのは困難だ。今夜の宿は真下に食堂があるからいいが、ホテルの場所によっては外に全く出られなくなるところだった。夜はホテルでインターネットを無料で使わせてもらうことができた。しかし洗濯代のバクシーシを要求されたり、今朝払った部屋代をまた払えと薄気味悪い男が請求に来たり(フロントにいったら解決したが)とワケがわからないが悪い宿ではない。
【9月16日(金)】
6時に宿を出た。外はまだ薄暗いが人の往来はあり、タクシーもすぐに見つけることができた。向かった先はコテサンギというバーミヤンへのミニバスが出る場所だ。
タクシー運転手がバーミヤン行きが集まる場所に連れて行ってくれたので目的の車はすぐに見つかった。ちょうど人が集まったようですぐに出発することになった。
しかしバーミヤンへ行くこのミニバスは危ない南のルート(ウナイ峠)を経由のようだ。途中何度かタリバンの支配地域を通りらしい。実は一昨日ののタリバンによるカブール襲撃の際、安全だった北回り(シバール峠経由)のルートでも襲撃があったようで何人か犠牲者が出たらしい。なので現状では南の方がましだと同乗者は言っている。いずれにしても最悪な状況だということだ。目的地のバーミヤンはハザラ人の町なのでミニバスの乗客は全員日本人に顔立ちが似たハザラ人だ。僕もハザラ人のふりをするしかない。
ほかの乗客も出発するまで僕が日本人だと気づいていなかったようで出発してからタリバンの支配地域を通るから気をつけろと注意してきた。もし何かあったときほかの乗客が助けてくれるわけはなく、まさに自己責任だが不思議と恐怖心はない。通過するだけで何もなければそのまま問題ないはずだ。
この時、行くのはやめた方がいいと客の誰かが忠告してきたらあきらめていたと思う。でもそうはならなかった。大丈夫、大丈夫みたいな感じになったのでそのまま乗ることになった感じだ。
危険だといわれる南ルート(ウナイ峠)の一部は数年前に道路が整備されていてバーミヤンまでの距離も短いので所要時間は北回り(シバール峠経由)に比べ大幅に短縮される。
タリバン支配地域へ入る際検問などはなかったが、雰囲気が一変したので何となくわかった。一度整備された道路が再びタリバン支配地域になったため、途中襲撃を受けて破壊されたトラックが放置されていたり、舗装道路が打ち込まれたロケット弾で陥没していたりとそのまま後片づけがされてない。
数カ所のタリバン支配地域を無事通過しすることができた。 -
3300メートルのウナイ峠まで舗装されていてけっこうスムーズでこのままバーミヤンに一気に行く感じだ。
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他の客はここでリンゴを購入していた。
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ウナイ峠まではこのような舗装道路が続き快適だった。
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しかし突然悪路になったのだ。
まだ半分くらいしか来ていないようだ。 -
そんな中、休憩することになり、朝食をとることになった。僕もケバブを注文することにした。
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隣はハザラ人のレザ。彼が英語を話せるおかげでいろいろ助かる事が多かった。
彼もまたタリバンのせいで、パキスタン、トルコ、イランを難民としてさまよい、苦難の生活を強いられた一人だ。 -
ハザラ人の少女たち。彼女たちには平和な未来が来ることを祈るばかりだ。
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その後もかなり険しい道を走り、大渓谷を走り抜ける。
3000メートル前後の大地を長時間走っていたが、やがてバーミヤンに向け高度を下げ始めた。水が豊富で至るところの支流が滝になっている。途中温泉が湧いていて黄色くなっている場所があった。なかなか興味深い風景なのでここで休憩してもらうことになった。 -
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お湯はぬるいが川の水が冷たいので温かく感じる。
バーミヤンに到着。
標高2500メートル。カブールから6時間半かかり、バザールの前に着いた。通りにたくさんの店があり、とてもにぎやかだ。金曜日でも通常営業している店が多いようだ。
一緒の車でやってきたレザの紹介でバザールの横にある「SAKHI No1 ゲストハウス」に泊まることになった。1泊700アフガニー(1200円)。
そしてレザの会社はホテルの真向かいになる。レザは携帯電話販売の手続きをしたりする会社を経営しているようだ。この町は英語があまり通じないので彼の助けが多少必要になってきそうだ。水場はなく体は川で洗えとのことだ。 -
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部屋はアフガニスタン伝統式。4人くらい寝られる。
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窓の外からは東側の大仏増が眺められる。
このロケーションはすばらしい。 -
バーミヤンの町に出た。といっても一本の通りに商店が連なるわかりやすい町だ。
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川の向こうが石窟群になる。
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仏像があった石窟の方へ行ってみた。
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これがバーミヤンの西大仏があった石窟。
シルクロードの要衝として発展してきたバーミヤンを象徴する仏像石窟。かけがえのない人類の遺産だったこの仏像はタリバンによって2001年に破壊された。
あれからちょうど10年になる。
よく見ると大仏の形の跡がのこっている。 -
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夜は車で知り合ったレザと祭りがあるとかで広場へ連れて行ってもらった。
「バーミヤンシルクロードフェスティバル」。カブールからキタはざらじん歌手のコンサートが開かれていた。周辺には屋台などの出店も出ている。でも寒いし、ハザラ人の歌はよくわからないので我々はすぐに戻ることにした。町中の人すべてが集まってきたような賑わいだ。 -
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夕食はレザの家でごちそうになった。野菜を圧力釜で煮込んだソースとマトンを油で炊き込んだご飯でアフガニスタンへ来てから初めてケバブ不以外を食べることになった。
レザは5人と共同生活を送っている。 -
レザと一緒に生活するおじさん。後ろの肖像画はハザラ人の英雄らしい。名前は忘れたがタリバンに殺されたらしい。
疲れたので9時に部屋に戻って就寝。
この宿はトイレがないのが難で少し離れた公衆トイレまで行かないのがやっかいだ。またこの宿だけではないが電気は夕方6時から10時までしか使えない。あと部屋の前を食堂の従業員が動き回っているのでこの部屋は落ち着かない。
窓からバーミヤンを眺めることができるというのは最高だが、それ以外は窮屈な宿だ。しかも夜になって警官が部屋に職質に押しかけてきて少し焦った。明日は向かいの宿に移動だ。部屋は静かでトイレもあり英語も通じる。値段も200アフガニー(340円)安い。
そういえば髪の毛は川の水で洗えとのことだが、夕方試したら冷たいので無理だった。
しかも川はトイレにもなっているので汚く我慢した方が良さそうだ。井戸水も同じく冷たいので無理だ。
でも日中ならなんとかなりそうだ。
【9月17日(土)】
標高2500メートルのバーミヤン。朝は寒くてトイレに行くのも億劫だ。
8時前に宿のレストランで食事を済ませた。朝から10本もケバブを食べてしまった。そして紹介してもらったレザには悪いが向かいのホテルへ移動することにした。
こちらのホテルは静かで水もふんだんに使える。移動してよかった。 -
それにしても昼間は暑いので歩き回るのも疲れるし、インターネットをやったりして時間をつぶした。バーミヤンにもインターネットはちゃんとある。
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午後3時からバーミヤン観光に向かった。入場料は300アフガニー(6ドル)。
仏像の前に行くだけなら入場料はかからない。での入場料を払うことによって破壊された仏像の裏側の石窟の中をに入ることができる。 -
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案内人がついてきて一通り効率よく回ることができた。写真は西大仏の裏側の石窟にて。
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西大仏の裏からの眺め。
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石窟は自由に歩き回れる。かつて人が住んでいたらしい。
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西大仏の足の部分は破壊されずに残っている。
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西大仏から東大仏の方向を眺める
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破壊された仏像の足元に降りてみた。
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破壊された仏像の足元には崩れた岩の破片がまとめられているが、これらを修復させるのはとても不可能だろうと悲観してしまう。
10年間放置されている状態で手の施しようがないのではと思う。 -
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破壊された大仏は2カ所だ。東大仏のがある方へ移動することにした。途中石窟が連なる。
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バーミヤンでタリバンに破壊された大仏は二つだけではない。
この小さめの石窟にも仏像があったようだ。 -
破壊された東大仏の仏像周辺の石窟内部には小さな仏像が並んでいたと思われる石窟が何カ所かあり興味深い。しかしすべての仏像は破壊され、あとかたもない。
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タリバンによって徹底的に破壊されてしまった。
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東大仏ではこれ以上崩落が進まないように足場が組まれていた。
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石窟内部。
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石窟の階段を下る。
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バーミヤン石窟をあとに。
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移動したママナジャフホテル。1泊500アフガニーだ。
部屋数も多く、部屋が静かだ。 -
ホテルの前ではレザと同居しているおじさんが店番をしていた。
【9月18日(日)】
バーミヤンの西に75キロ行ったところにバンデアミールという湖がある。せっかくバーミヤンまで来たので車をチャーターして行くことにした。
昨日の遺跡の案内人の紹介で7時に車が来る事になっているが本当に来るのだろうか。その値段が妙に安いのも引っかかる。
朝っぱらから宿泊代で昨日払った払ってないでもめたが、近くにいた通訳をお通せば納得したようだ。別に多く請求しようとしているわけではなさそうだが英語が通じないのは大変だ。
約束の時間より少し遅れてハーンという運転手がやってきた。英語を話すのはありがたい。 -
バーミヤンから西へ向かう。まだまだ工事中の箇所が多い。
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バンデアミールまではヘラートへの幹線道路を走ることになり、これがほぼ完璧に整備されていてバンデアミールまで3時間かかると思っていたが1時間半で到着するらしい。
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たまに工事区間もあったりする。
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しばらくすると舗装道路をはずれ、未舗装道路を下りだした。目的地は近いようだ。
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バンデアミール。最初の湖が見えた。
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こちらは枯れてしまった湖だ。
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そのままどんどん高度を下げる。
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吸い込まれるような青い水面。そして周辺の大渓谷。乾燥した大地の中にこれだけの水を見ると感激する。
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イチオシ
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ンデアミールは5つの湖で構成されている。
その中の中心的な湖であるバンデハイバットにとうちゃくした。
湖は深く、透明度はかなり高い。 -
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アフガニスタン人の観光客。この日ここを訪れる外国人は見なかった。
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この湖が凄いのはお風呂のように石灰棚でせき止められていることだ。
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そこからあふれる水は滝となり、水辺周辺は水草が生い茂り美しい景観を作り出している。
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そしてこの大渓谷。
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まだまだ地球はおもしろい。いままでいろいろな場所に行って来たが、ここまで感激したのは久々だ。
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運転手。
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吸い込まれそうなディープブルーの水面。
水は冷たく、アフガニスタンはここで泳ぐとか言っていたが、足を十秒もつけていられないくらいの冷たさだ。 -
下流には別の湖が見える。
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バンデアミールのチャイハネで昼食のケバブを食べバーミヤンへ戻ることにした。
バーミヤンまで来てバンデアミールに行かなかったというのは一生心残りになるとこだった。治安に関しては全く問題ない。
結果として2500アフガニー(4200円)で訪問できてよかった。 -
運転手のハーン。
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方は最後にバーミヤンの仏像を眺めに行くことにした。これでもうバーミヤンに心残りはない。町中には水が湧きだしている場所が多くあり、この町は水が豊富なんだと感じる。
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夕食はまたレザの家でごちそうになった。この日はまかろに。
写真は同居人のナジャフ。ハザラ人だが日本人といわれればみんな信じるだろう。
【9月19日(月)】
カブールへ戻る日がやってきた。できるだけ朝早くバーミヤンを出発したい。しかし比較的安全なシバール峠経由のミニバスはあまり人が集まらないようだ。かといってチャーターする気にはなれない。チャーターは標的になりやすいのでぎゃくに危険だったり。意を決して来たときと同じウナイ峠経由で戻ることにした。
出発前、レザを別れの挨拶ができた。彼のおかげでバーミヤンは充実した滞在ができ、いろいろな情報も得られることができ本当に助かった。
カブールへの移動の際、危険なウナイ峠が一般化しているのは道路が整備されているのが大きな理由だ。多少タリバンの支配地域を通過しても地元民は気にしない。しかし旅行者はそうはいかない。
7時前に人が集まりバーミヤンを出発。今日は同乗者に英語を話せる人が誰もいないので少し不安だ。標高3000メートル近くまで一気に上る。 -
その後はウナイ峠まで3000メートル前後の高地の悪路を延々と走る。でもかなりの区間で工事が行われ数年後にはこの道路は完璧に整備されるはずだ。すでにウナイ峠までは舗装道路が整備され、かなり快適に来ることができるのだ。
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来たときと同じ場所で朝食休憩。
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ウナイ峠を通過。ここからは舗装道路になる。
問題はこの快適なウナイ峠からカブールに向かう舗装道路上に2カ所のタリバン支配地域がある事だ。支配勢力の境界線には煉瓦造りの壁が築かれ、政府軍側の装甲車がタリバンの陣地を向いて待機していた。また政府軍側の検問所ではノーチェックだが外国人だとわかるとタリバン陣地に入れてくれない可能性がある。なのでここでも現地人のふりをする必要がある。
タリバン支配地域内は道路が爆弾やロケット弾の跡だと思われる穴だらけで民家はバラックのような建物が多く目につく。しかし行き交う人々は見た感じ普通だ。しかしこの区間で車が故障などトラブルを起こしたりして動けなくなったらおしまいだ。タリバン側は検問のようなものは日常的に行われていないので車で通過するだけなら問題はない。タリバン支配地域では車内でガンガンかかっていた音楽を消して車内は静かになり、他の乗客も無口になる。手に汗握りながら政府軍支配地区をめざす。
タリバン支配地域では攻撃されたトラックの残骸が2カ所放置されていた。そのうち1カ所は3日前通過したときなかった気がする。荷台からは人参など野菜が散乱していたのが生々しかった。昨日あたりまた攻撃があったのかと思うと急に恐ろしくなってきた。
無事タリバン支配地区を通過。政府軍の検問にさしかかり一安心だ。政府軍の兵士は車の中にタリバンが混じってないかチェックしているようだが、ハザラ人ばかりなのでチェックが甘くすぐに通してくれた。 -
バーミヤンを出て6時間。午後1時にはカブール近郊のコテサンギに到着した。
目の前には建設途中の高架橋。またここに戻ってこられてよかった。
タクシーでムスタファホテルへ向かった。しかし場所がわからないのに客を乗せしばらくしてからそこは交渉した値段よりもかなり高い値段だと行ってくる。めんどくさいので他のタクシーで向かった。カブールに無事に戻れたことがなによりでくだらないタクシー運転手にイライラしても仕方ない。
乗り換えたタクシーはムスタファホテルの場所を知っているようだ。それにしてもカブールは一歩通行が多いのか、遠回りされているのか(交渉性なのでそれはないと思うが)ずいぶん時間がかかった。しかも渋滞は半端ではない。挙げ句の果て警官に職務質問されタクシーから荷物を下ろされ検査までされた。別に金を要求したりする腐敗警官ではなく、治安維持のための職務でやっていると思うので怒っても仕方ない。それにしてもホテルにたどり着くまでずいぶん時間がかかった。 -
ムスタファホテルはカブールで一番有名な安宿だ。
すぐ近くは警察施設で目の前が検問所だ。
少し値段が高騰しているようだったが、この前確認したらそうでもなかったので泊まることにした。部屋はここもアフガニスタンスタイルだ。
でも24時間シャワーが浴びられるのがうれしい。バーミヤンでは頭しか洗えなかったがここでアフガニスタンに来て初めてシャワーを浴びることができた。 -
夕食はいつものようにケバブ屋だ。
【9月20日(火)】
昨日見つけたネットカフェに向かった。しかし途中で停電。それでもネット接続は可能でみんなコンピューターが使えなくなったので通信速度も早くなった。一人だけ得している感じだ。電気は10分くらいで復旧した。 -
午後は新市街の方に行ってみた。スーパーマーケットなどもあるが、あまり繁盛していない。商品に埃がかぶっていたりして買う気も起こらない。商店街には廃墟になったビルも多く、モダンなビルは警備が厳しい。
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ファーストフード店などもあるが、まだまだ国際的な水準には達していない感じがする。
カブールは外国駐留軍の影響で空前の好景気だ。とはいえ金が集まるのは郊外のショッピングセンターだけなのだろう。庶民レベルではその恩恵はなかなか感じることができない。 -
【9月21日(水)】
今日でカブール最終日。明日アフガニスタンを離れることになる。体調が回復しつつあるので朝からケバブを食べることにした。大半のケバブ屋では羊の肉しかないが、カブールの一部の店では羊の挽肉やレバー、鶏肉なども見かけけっこう新鮮だ。 -
そんな、中チキンを食べてみた。でもやはり値段が高かった。鶏肉を頼んだとたん値段が跳ね上がる。アフガニスタンでは鶏肉は高級品なようだ。
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これは定番の羊肉。
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カブール旧市街をまた散策することにした。川は相変わらず汚い。
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旧市街のモスク。
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旧市街の川沿い。
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アイスクリーム屋には行ってみた。
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インドのミルク風味で癖になりそうな味だ。500アフガニー(80円)
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ミックスジュースの店でも買い食いしたりしてみた。マンゴジュースと人参は相性がいいようだ。アフガニスタンではマンゴを多く見かける。これも50アフガニーで80円。
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こちらは卵の屋台。
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夕食は最後なので今日見つけたカブール最大級の串焼きの店に行った。
ただレバーは1本60アフガニー。肉の方は骨だらけで身も固く75アフガニーもしたので見た目ほどの満足度はなかった。 -
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食後はリンゴジュース。リンゴは腸にいいはずだ。(1アフガニー=1.68円)
【9月22日(木)】
出発3時間前の5時半に宿を出発し、タクシーでカブール空港へ向かった。すると空港への幹線道路がいきなり閉鎖されていて急遽住宅街を経由することに。 -
それほど時間のロスもなく空港に到着したが、今度は敷地に入る手前で車ごとチェックをうけ、例のバスで連れて行かれた建物前に到着した。タクシーはここまでだ。
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バス乗り場の建物の敷地に入る前にもまた荷物検査を受けることに。
そしてバスに乗りターミナルビルへむかった。この時間出発便が集中しているようで連絡バスはフル稼働だ。
国際線ターミナルに入る際、再び荷物チェックを受けることになる。荷物チェックに時間がかかり、おかげでチェックインカウンターには人が溜まらず、まったく並ばずに済んだ。
出国審査を経てまた荷物チェック。これがメインの荷物検査だ。いったい何度X線の機械を通してボディーチェックを受けたかわからないが、ここまで1時間ほどだ。アメリカのように口頭での意味のない質問は全くなしでひたすらボディーチェックだ。並んでいる時間は長かったがこれもアフガニスタンらしくていい。この程度なら検査なら予想の範囲内だ。 -
8時40分発。定刻通りフライドバイの搭乗が開始された。
とりえあえず不安も多かったアフガニスタンをあとに一路ドバイへ。ドバイでそのまま乗り継ぎイラクのクルド人自治区の主要都市アルビルまで向かうことになる。
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