2019/08/09 - 2019/08/16
17位(同エリア683件中)
こあひるさん
佐渡の旅もあっという間に終盤・・・。相川上町と共にとても楽しみにしていた宿根木(しゅくねぎ)のまち歩き。
小木港に寄った北前船は、約4㎞離れた宿根木で修理されていたと言われる。
小木町は、計画的に敷地割りされた近世の港町で、船員に対して商売をする店や廻船問屋が立ち並ぶ商業の町だった。それに対し宿根木は、自然発生的で不整形な町割りの中世からの港町。廻船問屋や船主のほかに、船大工を始め造船技術者が居住し、千石船産業の基地として繁栄した。
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小木から宿根木までは路線バス(宿根木線)でほんの十数分なのですが、お昼近くまでバス便がないため、10時過ぎ、タクシーで宿根木までやってきました。
宿根木の集落に面して(県道を挟んで)、入り江になった宿根木海岸があります。
村が出来た頃には、もっと大きな浜が広がっていたそうです。浜と集落を区切る道路もなかったでしょうし。海の玄関口として「大浜」と呼ばれる広場になっていました。
集落の人口が増え建物も増えてゆき、浜は公共的な広場として整備され、船着き場や作物の乾燥場として利用されました。造船が盛んになる江戸時代後期からは、造船場所としても使われました。 -
集落の手前は駐車場で、そこには食事処や町案内所(バス待合も兼ねている)、バス停があり、案内人が町並み探訪マップをくれました。町並み保全協力金(100円程度)を払います。
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宿根木海岸は後で見ることにして、まずは集落歩きを・・・。
駐車場に面した部分は、風垣(かざがき)で覆われています。日本海から吹き込む潮風から集落内の建物を守る竹の垣です。
この集落には、狭い谷に100余りの民家が密集していて、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されています。風垣は昔からあるものでなく、重伝建の保護のためなのかな? -
宿根木のガイドマップです(宿根木公会堂前にあった看板を写したものなので、わが家がこの時にいた駐車場は、左上になります)。
宿根木の町並み入口とあるのは、高台にある駐車場から集落への入口だろうと思われます。大浜の駐車場から入ったわが家とは逆方向になります。
称光寺川と並行して数本の小路が海へ向かい、それに面して家屋がぎっしり建っています。小路の大半が海に向かっているのは、海(大浜)がかつて千石船の荷揚げ場・造船場であり、北海道や大阪へ通じる玄関口だったからです。 -
風垣の真ん中、そして左右から集落に入れます。わが家は、風垣の右側から・・・。風垣から内側へ入るなり、宿根木の特徴である密集した板張りの家屋と狭い路地の世界。
こちらは「浜上(はまんじょう)」と呼ばれる家屋で、千石船「白山丸」を所有していた廻船主の邸宅でした(非公開)。 -
「木羽葺き石置き屋根」と呼ばれる石屋根を見ることができます。日本海からの強風から屋根を守るために、杉の板張りの上に石を並べています。
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海へつながる小路のうち、最も右側の路地は、世捨小路(よすてこうじ)と呼ばれています。名前の由来ははっきりわからないそうです。
宿根木に入るには海からの道が一般的であり、海岸から村の奥にある神社やお寺に向かう人々は、必ずこの世捨小路を通りました。
逆に、お寺から出た霊はこの小路を通り、村との別れを告げるのです。
かつては、海と山とをつなぐ、集落における主要な小路だったのです。 -
小路の石畳は中央がすり減り、長い年月を感じます。どんな人がどんな様子で通ったんだろう?
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宿根木は、北前船航路の寄港地であった小木港から約4kmほどのところにあり、船大工をはじめ造船技術者が居住し、村全体が千石船の産業基地として繁栄しました。
宿根木の建物は、船大工が建てたと言われますが、実際その多くは家大工が建てたものです。
家移りや敷地の細分化が盛んに行われ、納屋を主屋に、主屋を納屋に・・・など転用を繰り返しました。狭い谷の中で、日当たりなど少しでも良い条件の場所に移り住み、より快適な住環境を確保するためでした。 -
約1haの土地の中、海に向かう小路に面して、110棟ほどの建造物が高密度に建ち並んでいます。この密集性が、宿根木集落の特徴となっています。
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世捨小路にある「柴田収蔵の生家」(非公開)。
柴田収蔵は、文政3年(1820)宿根木に生まれました。蘭学の他、医学や天文地理学を極め、鎖国政策下において、世界に目を向け数多くの世界地図を残した人物だそうです。 -
「柴田収蔵の生家」の向かいにあるのは「角」と呼ばれる家(写真の右側)(非公開)。寛政5年(1793)に建てられた、現時点において、宿根木で建築年が判明する最古の建物(家屋)とされています。
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世捨小路をさらに奥へ進むと・・・急に上り坂になっており・・・
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その先は階段になっていて、県道を挟んで高山という地区になります。県道は、集落の西にある大浜から、ぐるっと集落を囲むようにして、大浜と反対側・・・東側にある高台へ続いているのです。わが家が歩き周っている地区・・・いわゆる宿根木の集落は、谷内という地区を指します。
明治の終わりになると、蒸気船や鉄道が現れ、電信が発達し、宿根木の廻船は次第に姿を消してゆきました。多くの者は海を捨て、横井戸を掘り、高台に田畑を開いてゆきました。船大工は仕事を求めて集落を離れ、出稼ぎに行くようになりました。現在、60戸180人ほどが静かに暮らす半農半漁の集落となっています。 -
階段を上り切ると、道路脇に展望スペースがありました。集落の屋根と宿根木海岸が見渡せてナイスビューイング!!
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かつては、ほとんどが石置き木羽葺き屋根だったそうですが、江戸時代に石見瓦、昭和30年代に能登瓦が廻船で運ばれ、屋根の造りも変化していったようです。
現在、主屋や納屋の屋根約40棟が、石置き屋根に復元されています。 -
すき間にパズルをはめ込むように家屋が建っています。
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海と高台に囲まれた狭い谷あいにギッシリ・・・。家屋の敷地が狭いため、ほとんどの建物は総二階建てとなっています。
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さて・・・また集落の中へ。
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小路の数はそう多くはないのですが、どちらから来たのか、一度通った道なのか・・・わからなくなります。
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建物の外壁に、船板や船釘が使われているものがあり、千石船産業の基地ならではの家並みとなっています。
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所々、草が生い茂るスペースが・・・かつては家屋があったのでしょうけれど・・・。
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時代に取り残されたような・・・この集落で、現在も暮らす人々が確かにいます。
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家屋は主屋だけでなく、納屋や土蔵が混じり合っています。廻船による繁栄と衰退、そして出稼ぎと農林漁業への転換という歴史を映し出しす建物の変化が見られます。
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こういう窓の少ない建物は納屋・・・なのでしょうか。
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日射しが強烈で・・・コントラストが大きすぎて写真がまともに撮れません。
旅が始まってから、毎日どんどん最高気温が上がっていく感じでした・・・この日だったかこの翌日だったか忘れちゃいましたが、記録的な暑さだったようで・・・よりにもよって、こんな極暑のところに来ちゃったなんて・・・。 -
小路を抜けると・・・称光寺川に出ました。称光寺川は、集落の北側を東西に流れる川です。
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再び小路へ。
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いっそう狭い小路を入って行くと・・・
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公開民家「金子屋」があります。船大工職人の家で、宿根木が隆盛を極めつつあった弘化3年(1846)以前の建物とみられています。
金子屋 名所・史跡
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入ると土間と台所。
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上がった部屋は、囲炉裏があるオマエ(居間)。
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その奥に畳のお部屋。
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2階の天井はかなり低いです。
宿根木は狭い谷あいに家屋が密集しているため、ほとんどの建物が2階建てとなっています。古くは平屋だったものを、階高を上げ総2階とすることで、接客空間を増やし、人が集まれる座敷を造り、体裁を整えていったのです。 -
2階の窓から見える向かいの家並み。
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船板などを利用した総板張りの外壁は、日本海から吹き付ける潮風から建物を守る役目も果たします。包み板とも呼ばれます。雨水の水はけも良いのです。
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さて・・・どっちに行ってみる?
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他の家屋とはまったく異なる雰囲気・・・グリーンに塗られた可愛い洋風の建物は旧郵便局舎です(非公開)。
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大正10年(1921)、電信・電話の開始を記念して建てられた、宿根木で数少ない洋風建築です。前の小路が狭すぎて・・・全体が入りきりません~。
建物を所有した石塚家は廻船業で財を成し、明治中期になると、薬局や郵便事業へと転業しました。
同年には宿根木小学校の新築も行われるなど、当時の宿根木は、小木町に次ぐ三崎の中心地だったのです。 -
ちょっと行ったり来たりとなっちゃいましたが、旧郵便局舎の斜め向かいには、「清九郎」という公開民家があります。
「清九郎」は、江戸時代中期に廻船業を始め、幕末から明治にかけて財をなした船主が建てた家です。
平成2年(1990)の修復工事中に、安政5年(1858)の墨書が発見されました。この墨書に小修理の記録があることから、築年はそれ以前とされます。 -
外観は他と同じように質素ですが・・・さすがにかなりの財を成した廻船主の家だけあって・・・内部は広く、意匠を凝らしてあります。宿根木の建築の中でも、建築材料・技術ともに、最高水準を誇る建物のひとつだそうです。
上がりの扉などは、溜塗りという方法の漆塗りです。 -
広くゆったりとした土間。
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井戸も屋内にあります。
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オマエ(居間)も広く、とても明るいです。
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溜塗りの天井や柱・・・豪華な造りです。
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オマエ(居間)の吹き抜けに、立派な神棚がありましたが、別室に立派な仏壇もあります。古民家では、神棚と仏壇とが平等に置かれているなんてありがちなことです。
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各座敷部屋も広々しています。狭い土地にギュウギュウに密集しているということを感じさせません。先ほど見学した「金子屋」に比べると、格段に豪奢な家屋だと感じます。
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中庭も有しており、そこには、岩窟を利用した保存庫のようなものが設けられています。
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昔は冷蔵庫がなかったため、夏でもひんやりとした岩窟を利用して、野菜などを保存していました。
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中庭から主屋を眺めた画・・・宿根木の家屋とは思えません。
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2階です。
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襖絵にもお金をかけています。
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2階も、圧迫感のない高さがあり立派な造りです。
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中庭を見下ろせます。これが家紋かしら。
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オマエ(居間)上部は吹き抜けとなっています。
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石置き木羽葺き屋根を間近で見ることができました。昔は、ホントに石を置いただけだったのですが、今は、石が動かないようにしっかり固定されているそうです。
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よく見ると・・・木のストッパーのようなものがあり、その上に石が置かれていますね。
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小路に面した窓からの眺め。
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「清九郎」の立派なお屋敷ぶりに驚きました~。
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旧宿根木郵便局の向かい側には「穴口」という屋号の家屋があります(非公開)。
ここは廻船主・佐藤伊左衛門の家でした。お庭だけ自由に見学できるようになっています。
元禄時代(1688~1703)に宿根木で分家して酒造業を営み、その儲けを元に200石積みの船を買い取り、廻船仲間になりました。それ以降、手堅く廻船業を営み、江戸末期から明治時代には、全国のどこの港でも「佐州 宿根木浦 伊左衛門」で通用するほどまでになりました。佐渡の長者番付にも名を連ね、広大な土地を所有していました。
越前から千石船で運ばれた笏谷石を敷石にした広い庭が見られます。宿根木の小路の敷石にも、笏谷石が多く使われているようです。 -
細い小路を抜けると・・・
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また称光寺川が流れる小路に出ました。
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そのまま進むと・・・
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宿根木のシンボル的な「三角家」と呼ばれる家屋があります。
5~6年前JR東日本のCMで、吉永小百合さんがこの「三角家」のあたりを歩いているシーンを見て、どこの町並みだろう?と、初めて佐渡の宿根木を知り、かなり惹かれました。 -
塩の看板も、家屋と同じ木製です。
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いったん「三角家」の前を通り過ぎ、称光寺川沿いにそのまま進んでみます。
今は整備されたため、川というよりも、単なる水路のようにしか見えませんが、かつては、時に水害を起こす川でもありました。弘化3年(1846)の水害では、死者45人、家屋損壊50件もの被害が出ました。
川のところどころに洗い場があります。 -
洗い場は、かつては14箇所ほどあり、上流と下流で洗うものを分けて利用していました。
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そのままさらに進むと、集落最北の宿根木公会堂(非公開)があります。
様々な行事に使用される芝居小屋形式の集会施設で、大正期に建てられた旧公会堂と、位置・規模などほぼ同じに建てられています。
大浜と並んで、この場所も集落の広場となっていました。明治初めまで、称光寺の末寺4つを含む境内地であり、後に役場や小学校が開かれた村の中心地でした。 -
公会堂の向こうには、白山神社の石鳥居が見えます。
手前の小さな石橋には「安永5年(1776)申高津」という銘・・・石鳥居には「安政2年」の年号が刻まれており、いずれも船主・高津勘四郎の寄進とされています。
石材は瀬戸内海産の御影石で、尾道港から石工同行で運搬されました。当時の日本海側では、物と技術の交流・交易が活発であった様子がわかります。 -
川から少し奥まったところに共同井戸があります。
宿根木の人口は、江戸時代中期頃からどんどん増加していき、谷内に収まりきらず、上の高台へと広がっていきました。高台は段丘上に位置し。井戸水が不足したため、高台の住民は、谷内のこの共同井戸を利用しました。 -
共同井戸の脇から高台へと続く石段・・・高台の住民が水汲みのため、担い棒で桶をかついで上り下りしました。石段は、毎日の水汲みですり減っています。
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けっこうな長さと角度の石段を登ってゆくと・・・その途中に、集落を見渡せるビュースポットがあります。
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海岸の岩礁もよく見えます。
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こんなキツイ石段を、毎日毎日重い水を担って往復したのは女性たちでしょうか。
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さて・・・「三角家」まで戻ってきました。
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道幅が狭いので、家屋全体の姿を映すのが難しいです(笑)。
建物の形から三角家、舟形の家などと呼ばれています。家屋は、弘化3年(1846)の水害後に隣町から移築したもので、川の中州を埋め立てて出来た敷地に合わせ、4間x6間の四角い建物を、三角形に切り詰め建てられました。 -
「三角家」も公開民家となっています。
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三角家の見取図です。外から眺めるとわかりにくかったけれど・・・ホントに三角形なのですね~。最大限に土地利用を図った知恵と技が見られます。こちらの図が1階。
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これが2階。四角い家を、こんな三角にしちゃうんだからスゴイね。
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三角地の発生について説明もありました。
村の始まりは、今から約700年前の鎌倉時代(1192~1337)。廻船業を営むために、現在の新潟県上越市近辺の人々が移住してきました。川の流れと波打ち際が混在する、荒涼とした浜辺だったと思われます。 -
中世の終わりころの室町時代(1338~1573)から安土桃山時代(1590~1602)にかけて、住民が増え始めました。住宅地の拡大を図るため、崖を削りました。川の流れに伴い、中島が形成されました。
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江戸時代の初め(1603~)には、佐渡金山が隆盛を極め、宿根木の廻船業も急激に発展し、住民が増えました。これに対応して川筋と道筋を整備し、宅地を開発しました。この時に三角地が発生し、現在に至ります。
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宿根木は、廻船業に携わる人々が同じ土地で暮らすことにより、お互いの信頼関係が深まり、村はますます発展しました。
文政11年(1824)~弘化3年(1846)頃の地図です。職業別に色分けされています。青が船大工、黄色が船持ち・・・一方、オレンジは農業となっています。 -
江戸時代の終わり頃の弘化3年(1846)6月、宿根木で大水害が起こりました。住宅、蔵、お寺など約100棟の建物が被害に遭い、45人が亡くなったと伝えられています。
赤っぽく色づけされている建物が被害を受けました。 -
昭和55年(1980)の建物種別分布では、川筋、道筋と建物は、ほぼ残されています。しかし、宿根木から離村する人々が多くなり、世帯数は徐々に減り始めました。2013年になると、建物数は変わらないものの、居住世帯は35世帯となってしまいました。
地図でオレンジが主屋、黄緑が納屋、灰色が蔵です。 -
玄関の左手にキッチンがあります。玄関からまっすぐ上がると、1階の中央にある10畳ほどのメインのお部屋。
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平成18年(2006)まで、実際にここで人が暮らしていました。慣れないと使いづらいだろう形状だと思いますが・・・工夫しながら機能的に使って来た暮らしぶりがよくわかります。
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仏間は、三角形の一角を利用しています。
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浴室も、五角形をしています。
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2階へ上がってみます。
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階段を上がったところは五角形の板間というか廊下というか・・・スペースになっています。
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2階の主たる畳部屋。2階の天井は、屋根のいびつな形状を反映しています。
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平成18年(2006)10月に宿根木を離れるまで、三角家には深野アサという方が住んでいました。
狭く低くなった角を、物置スペースとして利用しています。 -
和裁の仕事部屋でしょうか。
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平成18年(2006)10月に宿根木を離れるまで、三角家には深野アサさんが住んでいました。
昭和24年(1949)に、旦那さまと一緒に住み始めてから色々な工夫を重ね『三角形』と仲良くしてきました。旦那さまは昭和40年に亡くなったそうです。アサさんは残された4人の子供と共に、『三角形』に悩まされながらも、見事に暮らし続けました。
結婚前から針仕事(和裁)の修行をしており、宿根木でも針仕事をしていました。塩販売(専売公社時代)の代理店をしたり、新聞配達(新潟日報)をしたり、ヤクルト販売をしたりして生活を支えました。 -
かつて称光寺川にかかる橋は木製で、昭和50年代始めに河川改修があり、現在のようになりました。当時、道と川は非常に接近していて、一帯が生活の場でした。この写真・・・子供が立っている橋が切れたあたりからは道じゃないかと思うのですが・・・水量が多い時のものなのかな。
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左側に写っている「三角家」の基礎石積みは、3段まで確認できます。
宿根木の家並みは変わらなくても、すべてが昔のまま・・・と言うことは、当たり前だけれどあり得ない・・・それは海外の旧市街のようなところでも同じ・・・なんだろう?道路などの設備が近代的なものになっているからだけでなく・・・そこにある目に見えない何かが絶対的に違う・・・じっとり感が無くなっているというか・・・。 -
川の利用は公共的なもので、食べ物や食器は上流、洗濯は中流、汚れ物は下流でした。昭和49年(1974)には、各戸に簡易水道が届きました。
村を流れる称光寺川の日常は穏やかで、おばあさんから子供まで、洗い物をしながら川端会議の場となり、生活の知恵も受け継がれました。 -
三角家の玄関前の路地はとても狭い。
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宿根木の家屋は、幅広の縦板で覆われたどっしりがっしりしたシンプルな家屋ですが、時々、ちょっとした遊び心のある意匠が見られます。
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ちょうど正午になりました。集落の中で数少ない飲食店・・・狙っていたカフェは、お盆の時期だからか、予約した人のみになっていました・・・。
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腰板として使われた分厚く風格のある板は、千石船建造の際に余ったものや廃船になったものを利用しています。
船に使われる板は、一番外側の板でも厚さ1寸2分(36mm)ほどあります。これらは、船喰い虫の被害を防ぐためで、数年で取り換えられます。船には役立たなくなりますが、一般家屋にとっては宝のような材でした。こうして、造船の残材や派生材は十分に利用され、千石船の里らしさになっています。 -
川沿いは、通りがやや広く感じます。
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こちらの家屋は「伊三郎」。明治24年(1891)に工事着手された主屋ですが、建築中に、船乗りだった親子2代が海難に遭い、一時未完成のまま使用されていました。
建築後102年を経た平成5年(1993)に修復が行われましたたが、その際に確認できたことは、痛みの激しさでした。 -
姓の石塚の「石」を彫透かした軒下飾りをつけるなど、生活を楽しもうとする時代の流れを感じさせる建物です。
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腰板には、帆船用の船板だけでなく船釘も利用されています。
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独特の家並みの間を彷徨い歩くのが楽しい。
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こちらのお家にも、扇子の形をした軒下飾りがありました。
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「茶房やました」に入れなかったのでガッカリしていたら・・・伊三郎と川を挟んだ向かいに、探訪マップには載っていないカフェ「Cafe nano」がありました~!ラッキー!休憩!休憩~!!
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カフェ、新しいのかな。メニューの多くに、佐渡産の食材を使ってあります。価格は観光客価格だったけれど・・・オシャレな感じ。
わたしは、佐渡牛乳と佐渡フルーツ(桃)のかき氷を・・・ふんわり氷とたっぷりの桃、おいしく頂きました~。連れ合いは、佐渡産コシヒカリと夏野菜たっぷりガパオライス・・・意外とお腹が空いてたのね・・・?? -
ほぼ1時間ほど休んで・・・歩いていないところがもう少しあるので・・・町あるき再開~。13時になります・・・一番暑い時間帯に突入~・・・。
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同じ路地を通っているかも。
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お盆の時期のせいか・・・猛暑のせいか・・・観光客はかなり少なめでした。
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宿根木の一番奥にある称光寺に来ました。
貞和5年(1349)開創と伝わる時宗の古刹です。山門は大正12年の大火災を免られたもので、享保2年(1717)の棟札が残り、建物で最も古いものです。宗門には海を稼業とする者が多く、千石船の里・宿根木にふさわしいお寺です。 -
岩壁をくり貫いて、墓碑や供養塔が置かれています。
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本堂は、大正12年10月に起きた称光寺大火後の建築です。
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大浜の駐車場に戻ってきました。「よしかわ屋」は食事処です。
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軒下飾りもあります。
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県道を渡って・・・駐車場を振り返った画。
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高台の家々と、谷内の集落と・・・けっこう高低差があります。
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岩礁に立つ短い石柱は、船つなぎ石。
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船つなぎ石は、シロボウズとも呼ばれます。
石橋や石鳥居と同じく、瀬戸内海から運ばれてきた御影石で造られました。安永5年(1776)頃に立てられたものと思われています。享和2年(1802)の小木地震により海岸が1mあまり隆起し、それによって千石船も入れなくなりました。船つなぎ石は現在も7本残っています。 -
宿根木海岸でもたらい舟(はんぎり)に乗れます。たらい舟を漕ぐのは、衣装を着けた女性でなく、地元・小木弁の船頭さんによるクルーズ。わが家が乗った矢島経島よりもマニアックな感じがしますね。
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穏やかな宿根木海岸。
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わが家は、風垣の右側から集落に入りましたが、風垣の左・・・食事処「よしかわ屋」の建物の裏手へ進むと・・・海へ流れ出て行く称光寺川があります。
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海岸近くの土蔵。
一般的に土蔵と言えば、白い漆喰塗りをイメージしますが、潮風が強いこの地方では、たとえ漆喰塗りの土蔵であっても、サヤと呼ばれる板で覆われ保護されています。多くは、千石船で繁栄した幕末から明治にかけて建てられています。土蔵を持つ者は船主に多かったようです。
土蔵の屋根は、火災に備えて瓦葺きになっています。瓦は島根県産の石州瓦で、今も26棟が現存しています。建物が密集する宿根木では、火災は最も怖ろしいものでした。今では、生活の中で火を焚くということは少なくなりましたが、現在でも火災への備えとして、輪番制の夜番(火の用心)が行われているそうです。 -
こちらのお家の玄関軒下にも扇子状の飾りがありました。
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海へ流れ出る称光寺川を遡って進むと、先ほど入ったカフェのある小路へ繋がっています。
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2階の洗濯物や、パラボラアンテナ・・・ここでひっそりと暮らす人たちが確かにいます。
ひととおり歩き周ったかな・・・。
高台の県道をさらに上がったところに「佐渡国小木民族博物館」があります。展示品そのものよりも、建物が大正9年(1920)に建てられ、昭和45年に廃校となった旧・宿根木小学校校舎だと言うので見たいな・・・とは思ったのですが・・・バスの時間と、あまりにも暑すぎて高台へと上がって行く気力・体力がなく・・・14:05のバスで帰ることにしました(その次のバスは・・・なんと18:30になっちゃうので)。
後になって喉元過ぎると・・・なんでもっと頑張らなかったんだろう・・・と少々後悔することがしばしばあります。 -
終点の小木の2つ手前「琴平神社前」で降り、商店街の家並みを見ながら帰ることにしました。琴平神社には寄りませんでしたが・・・。
まだ14時過ぎで、時間はたっぷりあるのですが・・・とにかく暑すぎて・・・結局、ただトボトボ歩くだけでした。 -
メインストリートから横路地に入ったあたりに「上(かみ)の番所」があったという看板がありました。
慶長11年(1606)に、この付近に小木番所が設置されました。旧図面では、この通りは「番所通り」と言う名前でした。佐渡奉行所の出先機関で、揚げ荷の10分の1を税として徴収したため、十分一口屋と呼ばれました。
ここより南東に「下の番所」もありました。船の大型化に伴い、外の澗(東側の港)の使用が増し、次第に「下の番所」が使われるようになりました。 -
この通りのあたりに、かつて「三味線堀」と呼ばれる船だまりがありました。そう言われても・・・まったくその名残りを感じられません。
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南北が上下逆さまでわかりづらいですが・・・三味線の形に似ていたことから、三味線堀と呼ばれています。
小木では、享和2年(1802)の小木半島沖大地震により1m以上隆起し、波打ち際も40m以上陸上から離れ、遠浅になってしまいました。それまでの番所下付近での荷物検査や十分の一口税などの業務に差し障りが出ました。
そのため、文化3年(1806)に幅10間、長さ5丁の三味線型の堀を造り、小型船が出入りできる水路を完成させました。 -
横道にひっそりと日常の暮らしが潜んでいます。
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「ホテルおぎ」から徒歩圏内には、小さなスーパーが2軒あり、お盆時期でも営業しているとの確認はしてありました(コンビニはなし)。
今夜は、スーパーで何か買ってきて食べよう・・・ということにして、先ずはこの付近にあるA COOPを覗いてみましたが・・・期待していたようなお惣菜やお弁当、あるいはお刺身なども無くて・・・。 -
いったんホテルに戻ってきました。
朱鷺のたまごというお菓子を買って来たので、おやつ休憩。岩手県に、かもめの玉子というお菓子がありますが(宮城県内でもよく見かける銘菓)・・・パッケージ等は異なるものの・・・中身は同じ感じでした。お土産銘菓って、こういうことけっこう多いですよね。 -
17時半頃、街なかとは反対方向にあるもうひとつのスーパー「全日食チェーンたんぽぽ」まで行ってみることにしました。
東側の湾、外の澗沿いに進みます。 -
海沿い・・・小木の古いエリアに比べると疎らですが、住宅街もあります。飲食店も2~3軒ありましたが、お休みのようでした。
周りに何もないせいか、思ったより遠く感じましたが・・・たんぽぽも小さなスーパーで・・・お刺身なんかあればいいなぁ~と目論んでいたのに無くて、ややガッカリ。 -
海岸沿いの国道から1本内側の通りを戻ります。かつて下の番所があった外の澗は、この通りの手前まで海だったようです。
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たんぽぽの周囲は新しく開発された住宅街でしたが、県道沿いのこのあたりは、もっと古びた風情です。
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スーパーのお刺身!とはいかなかったけれど・・・お弁当やお惣菜を買い込んできました。これから夕食を頂きま~す!
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この旅行記へのコメント (4)
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- たらよろさん 2020/09/06 23:22:06
- 路地裏
- こんばんは、こあひるさん
佐渡の路地裏、日本の原風景を眺めているようで、
すごくホッとできる場所ですね。
風で屋根が飛ばないように…と石を置く習慣。
これもまた先人の知恵なんでしょうが、
こういう風景は他ではもう見られないことでしょうし…
細い路地を入ると、真っ青な空と海が見える路地裏から、
瓦屋根と木材の建屋。
これがもうノスタルジックで見事で!!
タイムスリップした気持ちになりましたー♪
やっぱり、佐渡島は行かなきゃ!!
たらよろ
- こあひるさん からの返信 2020/09/09 09:46:26
- RE: 路地裏
- たらよろさん、こんにちは。
宿根木の総板張りの家並み・・・海に面した狭い谷あいに、ギュッと身を寄せ合って暮らした人々の思いや知恵を感じられて、なかなか味わいがありました。
海岸近くは段丘になっているので、町や村と海を見下ろせる場所が多く、素晴らしい景色を堪能できるのも魅力でした。
たらよろご夫妻の佐渡旅は、ひと味もふた味も違う旅になりそうですね。もし行かれたら、旅行記が楽しみです。
こあひる
-
- aoitomoさん 2020/09/06 23:05:12
- 佐渡島行き決定しました~
- こあひるさん こんにちは~
コロナの影響はまだ続いているものの、
国内旅はされているのでしょうか?
私のところは和歌山県民向けのリフレッシュキャンペーンとGoToトラベルの併用で、
県内宿泊旅がかなり安くなるのです。
リフレッシュキャンペーンは10月末までですが。
いままで宿代が高くて泊まれなかったホテルや旅館に連休の度に訪れてます。
最も 県内観光はほぼしているので 温泉でのんびりとか食事を期待してとか、
そっちがメインなんですが。
『宿根木』も吉永小百合さんのCM効果もあってかメジャーな観光スポットになってますね。
重要伝統的建造物群保存地区にもなっていて補修保護もしっかりされている感じがして、その辺は安心な気もしました。
観光もしやすそうです。
石屋根もしっかり再現されているのもいいです。
吉永小百合さんのCMにもでていた風垣
https://www.youtube.com/watch?v=fozYmk7nwJI
風垣も『宿根木』の昔ながらの知恵と思ってしまいましたが、
重伝建保護のためだったんですかね。
『三角家』も凄いですが、公開民家となっているのにも感動します。
『金子屋』は当時の人々の生活が感じ取れますね。
一方で公開民家『清九郎』は立派で、
『オマエ』も吹き抜けにして十分に明かりも取り入れたりして贅沢な造り。
さらにびっくりなのは立派な庭まである『佐藤伊左衛門の家』
上には上が・・ですね。
GoogleのStreetviewも使いながら旅行記拝見したので、
佐渡の『宿根木』に訪れることが出来たら、
しっかり動けそうです。( ´艸`)
佐渡も冬は観光オフシーズンになってしまうので、
GoToトラベルを利用するのなら今がチャンスなんですよ。
行きたいです。
追記
なんと10月に佐渡島行き決定しました。
相方を佐渡島の良さとGoTo利用は今しかないと説得。( ´艸`)
たらい船も10月まではセーフなのでなんとか乗れそうです。
季節的には微妙ですが、楽しんできます。
aoitomo
- こあひるさん からの返信 2020/09/08 15:50:03
- RE: 佐渡島行き決定しました?
- aoitomoさん、こんにちは〜!
> コロナの影響はまだ続いているものの、
> 国内旅はされているのでしょうか?
> 私のところは和歌山県民向けのリフレッシュキャンペーンとGoToトラベルの併用で、
> 県内宿泊旅がかなり安くなるのです。
> リフレッシュキャンペーンは10月末までですが。
> いままで宿代が高くて泊まれなかったホテルや旅館に連休の度に訪れてます。
> 最も 県内観光はほぼしているので 温泉でのんびりとか食事を期待してとか、
> そっちがメインなんですが。
いえいえ〜、わが家は今のところまだ全然旅行モードになっていません。
県内近場で温泉宿なんかいいな(露天風呂つきのお部屋とか)・・・と思ったのですが、宮城県独自のキャンペーンとGoToのせいか、けっこうお部屋が埋まっていて、気が削がれちゃいました。ほぼ満室くらい混んでいる(ってほどでもないでしょうが・・・)場所にも行きたくないな〜と思って・・・。
正直、ホテルや旅館がいくら感染対策をしても、ベッドのマットレス自体は大丈夫なの?とか、シーツなど交換しても布団や枕はどうなの?とか、わりと細かいところまで気になってしまって・・・。
旅館やレストランそのものよりも、重要なポイントは、そこを訪れる人たちの気をつけ方とか行動の仕方だから・・・と思います。現にGoTo登録宿で、何人かの感染者がいたようですが、そこから他の客にクラスターが出たという広がりはないようですし。
公共交通機関もまだ、昼間のガラガラの地下鉄とバスくらいを数分分くらいしか乗る勇気がでず・・・さすがに私も、もっぱら車で出かけるようになりましたよ〜。なので、日帰りで車で2時間以内くらいのスポットに行くことが多くなりました。
> 『宿根木』も吉永小百合さんのCM効果もあってかメジャーな観光スポットになってますね。
> 重要伝統的建造物群保存地区にもなっていて補修保護もしっかりされている感じがして、その辺は安心な気もしました。
> 観光もしやすそうです。
> 石屋根もしっかり再現されているのもいいです。
> 吉永小百合さんのCMにもでていた風垣
> https://www.youtube.com/watch?v=fozYmk7nwJI
> 風垣も『宿根木』の昔ながらの知恵と思ってしまいましたが、
> 重伝建保護のためだったんですかね。
> 『三角家』も凄いですが、公開民家となっているのにも感動します。
久々に吉永小百合さんが出ているCM見ました〜!自分が訪れてから改めて見ると、より親近感や臨場感が増しますね。
公開民家は3つだけですが・・・それぞれ異なる特徴があるのでなかなか面白いです。
> GoogleのStreetviewも使いながら旅行記拝見したので、
> 佐渡の『宿根木』に訪れることが出来たら、
> しっかり動けそうです。( ´艸`)
> 佐渡も冬は観光オフシーズンになってしまうので、
> GoToトラベルを利用するのなら今がチャンスなんですよ。
> 行きたいです。
> 追記
> なんと10月に佐渡島行き決定しました。
> 相方を佐渡島の良さとGoTo利用は今しかないと説得。( ´艸`)
> たらい船も10月まではセーフなのでなんとか乗れそうです。
> 季節的には微妙ですが、楽しんできます。
10月に決まったんですね〜!冬場はたらい舟、お休みなんですね〜。あまり雪は降らないと聞いたのですが・・・。
こあひる
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