守山旅行記(ブログ) 一覧に戻る
ChapterⅡ,これが私の一週間~从令和2年5月17日星期日到5月22日星期六~<br /><br />外出自粛の4文字が重くのしかかっていた数ヶ月間、漸く我が街滋賀県も解消と相成った。しかしコロナ騒動が収束した訳ではない。数日前に湖東地区で感染患者が出たことが新聞に掲載されていた。然るに自粛解除はなにを根拠に行っているのかは本当にわからない。感染者数増加のピークを過ぎたのか?その根拠はなんなのか?うやむやなまま見切り発車をしたのは、規制をし続けることが限界になったとしか思えない。<br /><br />5月16日というのは取り敢えずではなかったのか?状況如何では延長もあり得るはずではなかったのか?素人にはさっぱりわからない。というより本当に外出自粛要請の解除をするべき時なのであろうか?また反動に対してはどうするのか?問題は山積みのままではないだろうか?<br /><br />そんな中迎えた5月16日、やはり人通りは増えており、先週の土曜日と比較すれば一目瞭然であった。そして迎えた5月17日日曜日、休みを取らせないブラック企業の従業員は、出勤時からその洗礼を受けることとなる。京滋バイパスを走る他府県ナンバーの数だ。別にナンバーを確認しなくても走り方を見れば地元かどうかはすぐに分かる。ドライブだけならばまあ我慢するが、開いている店に屯されるとたまらない。職場もそうだったがディスカウントストアは顕著であった。レジ待ちの際距離を空けろと連呼しても、集客数が多過ぎてそんなことは守られることはない。はっきり言って三密状態と化している。駐車場に停まっているナンバーも京都は勿論大阪・神戸、更には愛知・東京までもが確認出来た。緊急事態宣言が解除されていないエリアから来るのは許されるのか?不要不急と県境越えは自粛のはず。しかし実際には守られてはいなかった。これで良いのだろうか?<br /><br />私事ではあるが6月の沖縄は6年目にして諦めざるを得ない状況になった。会社では上司から顔を合わす度に言われているが、毎回〝沖縄に行くために働いている〟と繰り返し宣っている。その言葉に嘘はないが現に内地の人間が沖縄でコロナ騒動を大きくしており、感染症対策が後手に回っていることから来沖を控えるようにデニーさんも連呼している。しばらくご無沙汰している石垣島では、受け入れる県立八重山病院の感染症対策病室のキャパは3床しか無い。本島もそこまで酷くはないにしてもたかが数は知れている。<br /><br />ただ毎年同じ時期に同じ場所へと向かう・・・曜日も関係なく日にちの絡みだけである。そのために4連休を取る代わりに連勤は厭わない、これが前勤務先では公認であった。しかし今の店は何かにつけて連休を取らさない。おまけに有休も消えてしまったのが昨年4日今年は7日…まして取れないことは当たり前と一喝されるような状態である。未だ労基法に疎い者が多過ぎることには呆れ返るしかない。そんな日常だから故に休みに対する〝拘り〟は生半可なものではない。しかし自分が罹患するならば仕方がないが、無症状感染者としてウィルスを運んでしまえば申し訳が立たないことになる。既に慰霊式典は規模の縮小は宣言されている。戦後75年の節目としてVIP参列者となる予定であった広島・長崎市長はビデオメッセージでの参列が決定した。式典そのものはインパクトのないものとなるが、私にとって〝その日〟を沖縄で過ごせることが旅の目的そのものである。一般人の参加をご遠慮頂くとは言うものの、遺族会を通せば大丈夫であるらしい。しかし沖縄県が越県来訪を拒む現状が変わっていなければ、やはり意地になって行くことはできないとも考えている。<br /><br />沖縄に行くにはタイムリミットがある。航空券手配が4日前、つまり6月17日となっている。それまでにある程度のコロナ渦が改善されることを望むだけである。勿論自分自身の考えを押し付けるつもりはないが、非常事態宣言が解除された2府3県でも不要不急と県境を超える移動が変わっていない中滋賀県への来訪を避けてもらいたいと住人は感じている。<br /><br />色々な思いは個々によって違うであろうが〝越県の移動〟が目を惹かないレベルになって欲しいと切に願う今日この頃であった。<br /><br />日曜日から始まる一週間、のっけから県外ナンバーによる道やお店の〝密〟にヒートアップした私であった。18日月曜日は一日引き籠り、19日火曜日は仕事を終え、洗車と給油、ダイソーショッピングを経て帰宅する。20日水曜日も同じように仕事を終えて帰宅する。ファミリーの一斉LINEは便利ではあるが、外出者が2名いるとどちらに行っているのかがわからない…。<br /><br />予定では引き籠りとなる21日木曜日だったが、例の定額給付金手続きに必要な〝電子認証〟の期限が切れており、最寄りの支所へと出向く。大津市役所の各支所は前市長が〝廃止〟を掲げ大きな議論を巻き起こしたことでも知られている。市長が変わり本庁でコロナ患者を出し閉鎖。結局支所に業務を振って助かった…。これがもし支所がなくなっていたならどうなっていたのであろうか?とにかく〝密〟で閉鎖となった役所など必要ないので、行政職は8割解雇しても十分業務が行えることを〝見せつけた〟ことは責任を取ってもらわねば、市民にとっては怒りが収まらない!!<br /><br />支所でも前知事が〝優遇〟した生活保護と〝高齢者〟が今やらなくてもいいだろうと感じる〝不要不急〟業務を持参して、業務を止めてしまう…。おまけにマスクも無し。どうでもいいから早く要件を終わらせて欲しいとしか思わなかった支所滞在であった。<br /><br />せっかく外出したので地元をドライブで巡ってみた。石山寺は閉門中、勿論門前の土産物屋も閉店している。こんな姿を見たのは生まれて初めてのことである。瀬田の唐橋も中之島から眺めて見るがやはり車の通りは多くはない。瀬田川沿いに走り南郷洗堰手前の〝南郷水産センター〟にも立ち寄ってみた。「閉館」の二文字が目立っている。南郷公園は子供らを遊ばしている若い母親が屯っていた。仕方がない部分はあれど、公園では静かに寛いでいる近所の方もいるから、球技やスケボーなどは自粛するようにと言われて居た筈だ。が当然守られていない…。<br /><br />ただこれだけ人が少ないとカメラを構えて必ず〝邪魔〟が入るのだがそれがない。南郷洗堰下流部から瀬田川令和大橋がキレイに見える。そのまま瀬田川を下ると立木観音が見えてくる。勿論人気はない。やはり5月31日まで閉山すると書かれていた。ここから本で知った〝歴史の舞台〟を訪ねることにした。浄土寺、忠臣蔵で有名になった大石内蔵助良雄の先祖が住んでいた場所とされている。先祖の墓は境内裏の山中にある。運動不足を感じながら石段を歩いて行くと辿り着くが、何やら山の中から物音がする。なんと〝シカ〟がいた(驚)。多分ジモティでなければびっくりするだけであろうが、大石から信楽へと向かう国道422号線はサルやイノシシ、シカはしょっちゅう出会う場所でもある。飛ばしやすい道だが程々にしておこう…。<br /><br />暫く鹿跳橋方向に戻り川沿いを下ると佐久奈度神社がある。元々は別の場所にあったが天ヶ瀬ダム建設により旧境内地が水没地となり昭和39(1964)年に現在位置に移設されている。ちなみに境内から見える〝鹿跳渓谷〟は、ここからが一番きれいに見えると言われている。子供の頃は学校遠足できたこともある場所であった。<br /><br />日暮れが近付いてきたので最後に一か所立ち寄って帰ることにする。富川摩崖仏、通称耳だれ不動さん。大石富川の集落にあるが道路から信楽川を挟んだ山肌に、高さ20mもの大きな阿弥陀如来様が刻まれている。その耳の付近から流れ出る鉱水が〝耳の病〟にご利益があるとして知られている。以前は国道からも見られた筈だが、現在では木が生い茂っており見ることができなくなっていた。昨年だったと記憶しているが参道に倒木があるために足場がかなり悪くなっていると聞いたことがある。なので今日は石碑の場所から手を合わせることにした。これで半日の石山ドライブを終了する。<br /><br />翌日はイベント準備。守山浮気郵便局で郵便物を差し出してから出勤。コロナ感染防止用〝ついたて〟14組を作成する。カッターやメジャーを駆使して作る様は昔よく行っていた大工作業そのもの。ただ久しぶり過ぎるのでなかなか上手く行かなかったのが残念であった。土曜日はイベント本番。密にならない程度に集客があったのでナカナカだった。ただ疲れも一週間分溜まっているので、ファミリーマートでスイカバーを購入して目を覚まし、トライアル滋賀大津店で薬品を購入し自宅へと帰宅。いつもと変わらぬ1週間だったが、地元発見に出かけられたのは収穫だったと思えた。<br /><br />  《次週に続く》

ChapterⅡ,これが私の一週間~从令和2年5月17日星期日到5月22日星期六~

29いいね!

2020/05/17 - 2020/05/23

102位(同エリア262件中)

たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。

たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

この旅行記のスケジュール

2020/05/17

2020/05/19

2020/05/20

2020/05/22

2020/05/23

この旅行記スケジュールを元に

ChapterⅡ,これが私の一週間~从令和2年5月17日星期日到5月22日星期六~

外出自粛の4文字が重くのしかかっていた数ヶ月間、漸く我が街滋賀県も解消と相成った。しかしコロナ騒動が収束した訳ではない。数日前に湖東地区で感染患者が出たことが新聞に掲載されていた。然るに自粛解除はなにを根拠に行っているのかは本当にわからない。感染者数増加のピークを過ぎたのか?その根拠はなんなのか?うやむやなまま見切り発車をしたのは、規制をし続けることが限界になったとしか思えない。

5月16日というのは取り敢えずではなかったのか?状況如何では延長もあり得るはずではなかったのか?素人にはさっぱりわからない。というより本当に外出自粛要請の解除をするべき時なのであろうか?また反動に対してはどうするのか?問題は山積みのままではないだろうか?

そんな中迎えた5月16日、やはり人通りは増えており、先週の土曜日と比較すれば一目瞭然であった。そして迎えた5月17日日曜日、休みを取らせないブラック企業の従業員は、出勤時からその洗礼を受けることとなる。京滋バイパスを走る他府県ナンバーの数だ。別にナンバーを確認しなくても走り方を見れば地元かどうかはすぐに分かる。ドライブだけならばまあ我慢するが、開いている店に屯されるとたまらない。職場もそうだったがディスカウントストアは顕著であった。レジ待ちの際距離を空けろと連呼しても、集客数が多過ぎてそんなことは守られることはない。はっきり言って三密状態と化している。駐車場に停まっているナンバーも京都は勿論大阪・神戸、更には愛知・東京までもが確認出来た。緊急事態宣言が解除されていないエリアから来るのは許されるのか?不要不急と県境越えは自粛のはず。しかし実際には守られてはいなかった。これで良いのだろうか?

私事ではあるが6月の沖縄は6年目にして諦めざるを得ない状況になった。会社では上司から顔を合わす度に言われているが、毎回〝沖縄に行くために働いている〟と繰り返し宣っている。その言葉に嘘はないが現に内地の人間が沖縄でコロナ騒動を大きくしており、感染症対策が後手に回っていることから来沖を控えるようにデニーさんも連呼している。しばらくご無沙汰している石垣島では、受け入れる県立八重山病院の感染症対策病室のキャパは3床しか無い。本島もそこまで酷くはないにしてもたかが数は知れている。

ただ毎年同じ時期に同じ場所へと向かう・・・曜日も関係なく日にちの絡みだけである。そのために4連休を取る代わりに連勤は厭わない、これが前勤務先では公認であった。しかし今の店は何かにつけて連休を取らさない。おまけに有休も消えてしまったのが昨年4日今年は7日…まして取れないことは当たり前と一喝されるような状態である。未だ労基法に疎い者が多過ぎることには呆れ返るしかない。そんな日常だから故に休みに対する〝拘り〟は生半可なものではない。しかし自分が罹患するならば仕方がないが、無症状感染者としてウィルスを運んでしまえば申し訳が立たないことになる。既に慰霊式典は規模の縮小は宣言されている。戦後75年の節目としてVIP参列者となる予定であった広島・長崎市長はビデオメッセージでの参列が決定した。式典そのものはインパクトのないものとなるが、私にとって〝その日〟を沖縄で過ごせることが旅の目的そのものである。一般人の参加をご遠慮頂くとは言うものの、遺族会を通せば大丈夫であるらしい。しかし沖縄県が越県来訪を拒む現状が変わっていなければ、やはり意地になって行くことはできないとも考えている。

沖縄に行くにはタイムリミットがある。航空券手配が4日前、つまり6月17日となっている。それまでにある程度のコロナ渦が改善されることを望むだけである。勿論自分自身の考えを押し付けるつもりはないが、非常事態宣言が解除された2府3県でも不要不急と県境を超える移動が変わっていない中滋賀県への来訪を避けてもらいたいと住人は感じている。

色々な思いは個々によって違うであろうが〝越県の移動〟が目を惹かないレベルになって欲しいと切に願う今日この頃であった。

日曜日から始まる一週間、のっけから県外ナンバーによる道やお店の〝密〟にヒートアップした私であった。18日月曜日は一日引き籠り、19日火曜日は仕事を終え、洗車と給油、ダイソーショッピングを経て帰宅する。20日水曜日も同じように仕事を終えて帰宅する。ファミリーの一斉LINEは便利ではあるが、外出者が2名いるとどちらに行っているのかがわからない…。

予定では引き籠りとなる21日木曜日だったが、例の定額給付金手続きに必要な〝電子認証〟の期限が切れており、最寄りの支所へと出向く。大津市役所の各支所は前市長が〝廃止〟を掲げ大きな議論を巻き起こしたことでも知られている。市長が変わり本庁でコロナ患者を出し閉鎖。結局支所に業務を振って助かった…。これがもし支所がなくなっていたならどうなっていたのであろうか?とにかく〝密〟で閉鎖となった役所など必要ないので、行政職は8割解雇しても十分業務が行えることを〝見せつけた〟ことは責任を取ってもらわねば、市民にとっては怒りが収まらない!!

支所でも前知事が〝優遇〟した生活保護と〝高齢者〟が今やらなくてもいいだろうと感じる〝不要不急〟業務を持参して、業務を止めてしまう…。おまけにマスクも無し。どうでもいいから早く要件を終わらせて欲しいとしか思わなかった支所滞在であった。

せっかく外出したので地元をドライブで巡ってみた。石山寺は閉門中、勿論門前の土産物屋も閉店している。こんな姿を見たのは生まれて初めてのことである。瀬田の唐橋も中之島から眺めて見るがやはり車の通りは多くはない。瀬田川沿いに走り南郷洗堰手前の〝南郷水産センター〟にも立ち寄ってみた。「閉館」の二文字が目立っている。南郷公園は子供らを遊ばしている若い母親が屯っていた。仕方がない部分はあれど、公園では静かに寛いでいる近所の方もいるから、球技やスケボーなどは自粛するようにと言われて居た筈だ。が当然守られていない…。

ただこれだけ人が少ないとカメラを構えて必ず〝邪魔〟が入るのだがそれがない。南郷洗堰下流部から瀬田川令和大橋がキレイに見える。そのまま瀬田川を下ると立木観音が見えてくる。勿論人気はない。やはり5月31日まで閉山すると書かれていた。ここから本で知った〝歴史の舞台〟を訪ねることにした。浄土寺、忠臣蔵で有名になった大石内蔵助良雄の先祖が住んでいた場所とされている。先祖の墓は境内裏の山中にある。運動不足を感じながら石段を歩いて行くと辿り着くが、何やら山の中から物音がする。なんと〝シカ〟がいた(驚)。多分ジモティでなければびっくりするだけであろうが、大石から信楽へと向かう国道422号線はサルやイノシシ、シカはしょっちゅう出会う場所でもある。飛ばしやすい道だが程々にしておこう…。

暫く鹿跳橋方向に戻り川沿いを下ると佐久奈度神社がある。元々は別の場所にあったが天ヶ瀬ダム建設により旧境内地が水没地となり昭和39(1964)年に現在位置に移設されている。ちなみに境内から見える〝鹿跳渓谷〟は、ここからが一番きれいに見えると言われている。子供の頃は学校遠足できたこともある場所であった。

日暮れが近付いてきたので最後に一か所立ち寄って帰ることにする。富川摩崖仏、通称耳だれ不動さん。大石富川の集落にあるが道路から信楽川を挟んだ山肌に、高さ20mもの大きな阿弥陀如来様が刻まれている。その耳の付近から流れ出る鉱水が〝耳の病〟にご利益があるとして知られている。以前は国道からも見られた筈だが、現在では木が生い茂っており見ることができなくなっていた。昨年だったと記憶しているが参道に倒木があるために足場がかなり悪くなっていると聞いたことがある。なので今日は石碑の場所から手を合わせることにした。これで半日の石山ドライブを終了する。

翌日はイベント準備。守山浮気郵便局で郵便物を差し出してから出勤。コロナ感染防止用〝ついたて〟14組を作成する。カッターやメジャーを駆使して作る様は昔よく行っていた大工作業そのもの。ただ久しぶり過ぎるのでなかなか上手く行かなかったのが残念であった。土曜日はイベント本番。密にならない程度に集客があったのでナカナカだった。ただ疲れも一週間分溜まっているので、ファミリーマートでスイカバーを購入して目を覚まし、トライアル滋賀大津店で薬品を購入し自宅へと帰宅。いつもと変わらぬ1週間だったが、地元発見に出かけられたのは収穫だったと思えた。

  《次週に続く》

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車 徒歩

PR

29いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったスポット

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

この旅行記の地図

拡大する

PAGE TOP