2019/07/14 - 2019/07/15
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エンリケさん
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2019年夏休みのポーランド旅行記9日目。
今回の旅の最終日。
8日間過ごしてきたポーランドを去り、日本への経由地ミュンヘンへ。
乗継時間が9時間半もあるため、Sバーンで市内中心部へ繰り出し、2015年5月以来、4年ぶり2回目の市内観光。
念願の白ソーセージを食べたり、ピナコテーク・デア・モデルネやエジプト美術博物館で現代や古代の芸術に親しんだりと、大満足で今回の旅を締めくくることができました。
<旅程表>
2019年
7月 6日(土) 羽田→ミュンヘン→ワルシャワ
7月 7日(日) ワルシャワ
7月 8日(月) ワルシャワ→グダンスク
7月 9日(火) グダンスク→マルボルク城→グダンスク
→トルン
7月10日(水) トルン→ウッチ→クラクフ
7月11日(木) クラクフ
7月12日(金) クラクフ→ヴィエリチカ岩塩坑→クラクフ
7月13日(土) クラクフ→アウシュヴィッツ・ビルケナウ
強制絶滅収容所→クラクフ
〇7月14日(日) クラクフ→ミュンヘン→
〇7月15日(月) →羽田
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
7月14日(日)
6時にクラクフ・バリツェ国際空港を発ったルフトハンザドイツ航空LH1627便は、1時間15分の飛行時間を経て、7時15分にミュンヘン近郊のフランツ・ヨーゼフ・シュトラウス国際空港に無事到着。
羽田への便は16時40分発のため、それまでの間、市内を観光。
空港のサービスセンター(出口近くにあるスーパーEDEKAを右に行ったところ)に荷物を預け(後払いで5ユーロ=約620円、クレジットカード払い可)、身軽になったところでSバーン(近郊鉄道)の発着場に向かいます。フランツ ヨーゼフ シュトラウス国際空港 (MUC) 空港
-
7時40分、Sバーン発着場の自動券売機にて、空港-市内間の1日券(One-Day-Airport-Ticket)を購入(クレジットカード使用可)。
空港から市内までは片道券だと11.6ユーロ(約1,440円)なのですが、1日券だと13ユーロ(約1,610円)となり、往復にすると10.2ユーロ(約1,270円)もオトクです。
ただ、この自動券売機、初心者だと操作方法が分かりにくく、1日券が表示される画面にたどり着くまでに5分ほどかかってしまいました・・・。
自動券売機の操作方法については、以下のサイトが参考になるかと思います。
【Amazing TRIP~ミュンヘンSバーンの乗り方】
https://amazing-trip.xyz/t-blog/munich-mvv/ -
空港から市内まではS8番線を利用。
ドイツの鉄道は乗車前に切符の打刻が必要と聞いていたので、先ほど購入した一日券を打刻機(先ほどの券売機の脇にあり)に挿入しようとしたところ、大きすぎて入らず・・・。
一日券には“Gultig am 14.07.2019”(2019年7月14日に有効)と書いてあるし、打刻がなくても大丈夫だろうと思い、そのまま列車に乗ることにします・・・。 -
8時05分、ミュンヘン中央駅行きの電車はミュンヘン空港駅を出発。
車窓に広がるのはこんな田園風景。
・・・とのんびりしていたら、改札員がグループで出現。
乗車券に打刻がないので、内心ドキドキしていましたが、何のお咎めもなく改札終了。
やはり一日券には打刻は不要のようです。 -
空港駅出発から45分後の8時50分、ミュンヘン中心部の“イザール門駅”(Isartor)で下車。
地上に出ると、空高くそびえる大きな門塔が。
このイザール門、神聖ローマ帝国の皇帝ともなったバイエルン公ルートヴィヒ4世(在位:1294-1347年)により、ミュンヘン市街を取り囲む城壁の東門として1337年に建造。
第二次世界大戦の末期、連合国軍の爆撃により破壊されますが、ミュンヘンオリンピック前の1969年から1972年にかけて再建。
今ではこうして、貴重な観光資源として在りし日のミュンヘン旧市街を偲ぶよすがとなっています。イザール門 史跡・遺跡
-
実はミュンヘン観光は2015年5月のアイルランド旅行で立ち寄って以来2回目。
このイザール門から続く通りを、4年前も訪れた旧市街の中心、マリエン広場に向かって歩いて行きます。
しかしこの時間帯、周りを見ても、日曜日の朝のため歩いている人はほとんどいないですね。 -
さて、ミュンヘンでは午前中しか食べられないという白ソーセージ(ヴァイスヴルスト)を食べようと心に決めていたので、マリエン広場に向かう通りにある、9時に開店したばかりの“シュナイダー・ブロイハウス”(Schneider Brauhaus)へ。
そういえば、このお店、以前は“ヴァイセス・ブロイハウス”(Weisses Brauhaus)という名前だったんですよね。
4年前に訪れた時から名前が変わっていてびっくり。
“狂王”ルートヴィヒ2世の肖像は、相変わらず窓際に飾られているようですが。
【ギネスと雨の国アイルランド(1) ミュンヘンのヴァイセス・ブロイハウスの店内】
https://4travel.jp/travelogue/11056261#photo_link_40517572シュナイダーブロイハウス バー
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店内では民族衣装を着けた女性が注文をとりにやってきて、いかにも観光客向けのお店という感じ。
ドイツに来たからにはということで、まずはビールを一杯注文(3.27ユーロ=約410円)。
ふう~美味い。
ポーランドの最後の2日はビールを断っていたので、余計美味しく感じます(笑)。
ちなみに、籠の中のプレッツェルは、食べた分だけお代が請求される仕組みになっています(1枚1ユーロ=124円)。 -
そしてついに、念願の白ソーセージがやってきました(1本2.8ユーロ=約350円)。
茹でたお湯につけられたままの姿で、見た目もぷりぷりしていて美味しそう・・・。
そして付属のマスタードを付けて食べてみると、これが柔らかくて美味しい!
ちなみにわたしは初めてだったので、そのまま食べてしまったのですが、帰国後調べてみたら、本当は皮を剥いて食べるのが正しいやり方なのだそうです。
【Weisswurst richtig essen: Langsschnitt und Kreuzschnitt(ヴァイスヴルストの正しい食べ方:縦切りと横切り)】
https://www.youtube.com/watch?time_continue=81&v=QnqLFljr6lo&feature=emb_title
そうか、皮を剥けばもっとふわふわした食感が楽しめたのか・・・。 -
日曜の朝からこんな伝統あるお店でビールを飲んで、白ソーセージを食して・・・我ながら何とも贅沢な時間。
南ドイツの旅はこういうところがたまりませんね。
お代は合計9.87ユーロ(約1,230円)にチップを少々。
ポーランドに比べれば少し割高な感じですが、店の格を考えると、むしろ安い方かな・・・。 -
シュナイダー・ブロイハウスでの朝食を大満足で終え、9時40分、マリエン広場(Marien Platz)へ。
そこにそびえるのは4年前もその巨大さに圧倒された新市庁舎(Neues Rathaus)。
【ギネスと雨の国アイルランド(1) ミュンヘンの新市庁舎】
https://4travel.jp/travelogue/11056261#photo_link_40517565ミュンヘン新市庁舎 建造物
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下に目を向けると、新市庁舎が立つマリエン広場の方は、何かのイベントの準備なのか、大きな車が多数停まっていて、いまいち映えない印象・・・。
そんな中でも、中国系と思われる観光客がポーズをとって撮影に集中しています。
しかし、自分で言うのもなんですが、こんな朝早くから観光しているのはアジア系の旅行者ばかりですね・・・。マリエン広場 広場・公園
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マリエン広場からてくてく歩いていき、10時15分、ミュンヘン中央駅の北側にある、美術館や博物館が集中する芸術地区へ。
ここでは、4年前に行けなかった“ノイエ・ピナコテーク”(Neue Pinakothek、新絵画館)を訪れたかったのですが、入口のドアが閉ざされていて、内部に人の気配がありません・・・。ノイエ ピナコテーク 博物館・美術館・ギャラリー
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別の出入口に回っても、ドアは開いてそうにありません・・・。
残念ながらここはあきらめて、別のスポットへ行くことにします。
なお、帰国後に調べたところ、ノイエ・ピナコテークは大規模改修工事のため、2018年12月31日から2025年まで閉館中とのことでした。 -
ノイエ・ピナコテークのすぐ南にある“アルテ・ピナコテーク”(Alte Pinakothek、旧絵画館)は4年前に訪れていたので、10時20分、その隣にある“ピナコテーク・デア・モデルネ”(Pinakothek der Moderne、現代絵画館)へ。
こちらはオープンしているようです。ピナコテーク デア モデルネ (モダン ピナコテーク) 博物館・美術館・ギャラリー
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入ってみると、いきなりこんなオブジェがお出迎え。
入館料は、通常10ユーロ(約1,240円)のところ、日曜のこの日は無料とのことで、思いもかけずラッキー。
4年前にアルテ・ピナコテークを訪れた時は日曜は1ユーロだったのに、さらに無料になったのか、それともこの日が特別な日だったのか・・・。
【ギネスと雨の国アイルランド(1) ミュンヘンのアルテ・ピナコテーク】
https://4travel.jp/travelogue/11056261#photo_link_40596149 -
バッグをロッカーに預け(使用料は無料)、カメラだけ持って作品鑑賞開始。
館内は白を基調とした空間で、このように作品間の距離がだいぶ空いているので、ゆったりとした感覚で鑑賞できます。 -
このピナコテーク・デア・モデルネ、名前のとおり現代芸術の美術館で、ポーランドで見た現代美術に比べると難解な作品が多いですが、ピカソやダリなど有名画家の作品も多く、ちょっぴりミーハーになった気分で鑑賞することができます。
-
そんな現代美術の作品のいくつかをご紹介。
はずはご存知パブロ・ピカソ(Pablo Picasso、1881-1973年)から。
こちらは“ソレル夫人”(Madame Soler、1903年)。
まだ“キュビスム”に目覚める前の、比較的真面目だった“青の時代”(1901-03年)の頃の作品ですね。 -
こちらはピカソには珍しい彫刻作品で、“女の頭”(Head of a Woman、1909年)。
サザエさんのようにも見えますが(笑)、キュビスムの影響がうかがえる貴重な作品となっています。
ちなみにこの作品、ピカソの青年時代の恋人、フェルナンド・オリヴィエ(Fernande Olivier、1881~1966年)がモデルになっているとのこと。
【アートペディア~フェルナンド・オリヴィエ ピカソが有名になる前を知る唯一の女性】
https://www.artpedia.asia/picaso-fernande-olivier/ -
こちらは“ヴァイオリンを持つ女”(Woman with a Violin、1911年)。
完全にキュビスムと分かる作品ですね。 -
すぐ脇に展示されていたのは、ピカソとともにキュビスムに取り組んだジョルジュ・ブラック(Georges Braque、1882-1963年)の、“マンドリンを持つ女”(Woman with a Mandolin、1910年)。
こちらの方が元のかたちが分かるかな・・・。 -
第一次世界大戦で盟友ジョルジュ・ブラックを徴兵に取られ、“キュビスムの時代”が終わった後の作品となる、“母性”(Motherhood、1921年)。
ちょうどこの頃に最初の妻、オルガ(Olga Khokhlova、1891-1955年)との間に長男となるポールが産まれたそうで、この絵は厳粛な気持ちで彼女らを描いたものなのでしょうね。
【アートペディア~オルガ・コクラヴァ ピカソ第一夫人】
https://www.artpedia.asia/olga-khokhlova/ -
“本、果物、マンドリン”(Book, Fruit Bowl and Mandolin、1924年)。
またキュビスムっぽくなってきました。 -
“女”(Woman、1930年)。
シュルレアリスム(超現実主義)時代の作品で、1927年からピカソのモデルとなり、その後愛人ともなったマリー・テレーズ・ウォルター(Marie-Therese Walter、1909-77年)を描いたものとされています。 -
“座る女:ドラ・マール”(Seated Woman:Dora Maar、1941年)
タイトルにもあるとおり、“泣く女”(1937年)のモデルとしても有名なピカソの愛人“ドラ・マール”を描いたもの。
一回りしてキュビスムに戻ってきた感ですね。
【アートペディア~ドラ・マール ピカソの「泣く女」のモデルとなった愛人】
https://www.artpedia.asia/dora-maar/
しかしこうして並べてみると、ピカソの女癖の悪さに辟易するとともに、女性への愛が彼の表現革命の原動力だったのかなとも感じます。
人類にとっては偉大な芸術家を産み出してくれた一方、つきあった女性個人に対してはかわいそうな気持ちになりますが・・・。 -
続いてはバルセロナ出身のシュルレアリスト、ジョアン・ミロ(Joan Miro、1893-1983年)の“絵画”(Painting、1925年)。
そういえば昔、デンマークのルイジアナ現代美術館で彼の彫刻作品を見ましたが、抽象絵画になると訳が分からなくなってきます。
【ノルウェー~デンマーク紀行(9) ルイジアナ現代美術館のミロのブロンズ彫刻“人間”(Parsonage、1970年)】
https://4travel.jp/travelogue/10486477#photo_link_19798197 -
次はベルギーのシュルレアリスト、ルネ・マグリット(Rene Magritte、1898-1967年)の“アクロバットなアイデア”(The Acrobat's Ideas、1928年)。
アルファベットが浮かんで見えますね。 -
同じくマグリットの“三次元”(The Third Dimension、1942年)。
この葉っぱのモチーフはよく彼の作品に使われますね。
【絶対の探求(1940-66年)~ルネ・マグリット】
https://www.musey.net/2409 -
マグリットには珍しい彫刻作品、“自然の恵み”(The Natural Graces、1967年)。
彼のモチーフによく使われる“鳩”と“葉っぱ”を組み合わせたような作品ですね。
【アートペディア~ルネ・マグリット “大家族”(The Large Family、1963年)】
https://www.artpedia.asia/magritte-the-large-family/ -
スペイン・フィゲラス出身のシュルレアリスト、サルバドール・ダリ(Salvador Dali、1904-89年)の“欲望の謎”(The Enigma of Desire、1929年)。
チーズのように見える物体に空いている穴ぼこには、“ma mere”(わが母)という文字がたくさん書かれており、この作品が描かれた当時すでに亡くなっていた彼の母親に対する嘆きが強く感じられます。
ちなみに右上と左後方にはライオン、チーズ(?)の穴の向こうの岩の中には顔のない女性の裸の上半身が見え、こちらは何とも意味が分からないシュールな絵となっています。 -
時代が遡って、こちらはフォーヴィスム(野獣派)の画家アンリ・マティス(Henri Matisse、1869-1954年)の、“ゼラニウムと静物”(Still Life with Geraniums、1910年)。
原色系の色遣いが目に眩しいですね。 -
こちらはノルウェー表現主義の画家、エドヴァルド・ムンク(Edvard Munch、1863-1944年)の、“アスガルドストランドの通りと赤いドレスを着た女性”(Street in Asgardstrand and a Woman in Red Dress、1901/03年)。
暗い感じの絵が多い彼にしては、珍しく明るい原色系の色遣いが目立つ、フォーヴィスムチックなムンクですね。
【ノルウェー~デンマーク紀行(5) ベルゲン美術館のムンク作“カール・ヨハン通りの夕べ”(1892年)】
https://4travel.jp/travelogue/10480377#photo_link_19640704 -
ドイツ表現主義の画家マックス・ベックマン(Max Beckmann、1884~1950年)の、“黒い自画像”(Self-Portrait in Black、1944年)。
Wikipediaに掲載されている彼の写真を見ると、特徴を捉えていて本当にそっくり。
【Wikipedia~マックス・ベックマン】
https://ja.wikipedia.org/wiki/マックス・ベックマン -
絵画部門の最後は、抽象絵画の祖でここミュンヘンでも活躍したワシリー・カンディンスキー(Wassily Kandinsky、1866-1944年)の“「太い」と「細い」”(Fat and Thin、1937年)。
うーむ、まだまだわたしは抽象絵画が楽しめる領域まではたどり着けていないですね・・・。
【アートペディア~ワシリー・カンディンスキー 純粋抽象絵画の創立者】
https://www.artpedia.asia/wassily-kandinsky/ -
さて、興味深くも難解な現代絵画を鑑賞していたら、いつの間にか12時20分と、2時間が経過・・・。
このピナコテーク・デア・モデルネ、絵画部門のほかにも、現代デザインの展示部門があるので、残された時間で見ていきます。
こちらはさまざまなデザインの自動車やオートバイの展示。
こういうものを展示するところ、いかにもドイツっぽいですね。 -
こちらは一部屋まるごと様々なかたちをしたイスの展示。
何やら北欧っぽい感じもします。
【ノルウェー~デンマーク紀行(5) ベルゲンの西ノルウェー工芸博物館】
https://4travel.jp/travelogue/10480377#photo_link_19641546 -
・・・と、デザインコーナーはあっさりと流して、12時50分、ピナコテーク・デア・モデルネでの芸術鑑賞を終了。
お昼を回り、ピナコテーク前の緑地では、宇宙船のようなデザインの遊具で遊ぶ子どもたちと、それを見守るたくさんの人々が。 -
さて、飛行機の時間を考えるともう1か所くらい回れそうだったので、近くにあるギリシャ彫刻を展示しているという“グリプトテーク”に行ってみることに。
この前年にギリシャを訪れ、優美なギリシャ彫刻に関心を持っていたため、ミュンヘンを訪れる際は見学候補に入れていたものでした。
13時、それらしき建物を見つけたので入ってみると・・・。 -
ピナコテーク・デア・モデルネと同様、ここも入館無料。
またまたラッキーとなりましたが、展示室を進んでいくと・・・。 -
展示されているのはギリシャ彫刻ではなく、古代エジプトのミイラの棺桶など。
どうやらここは、目指していたグリプトテークではなく、エジプト美術博物館だった模様・・・。
そういえば先ほどの入口、エジプトのルクソールで見たハトシェプスト女王葬祭殿に似ている感じがしなくもない・・・。
【エジプト紀行(3) ルクソールのハトシェプスト女王葬祭殿の入口】
https://4travel.jp/travelogue/10524002#photo_link_20826547
帰国後に調べてみたら、このエジプト美術博物館、もとは“レジデンツ”(バイエルン王の宮殿)に収められていたエジプト関係の美術品を、2013年6月に新設したこの建物に移転したものとのこと。
比較的新しいものなので“地球の歩き方”には載っていなかったということか・・・。
しかしこの展示ケース、展示品の種類も時代順もばらばらで雑多な感じがしますね。州立エジプト美術収集館 博物館・美術館・ギャラリー
-
グリプトテークではないものの、エジプト美術もいいかなと思い、このまま最後まで鑑賞を続けます。
こちらは1~2世紀頃のローマ帝国時代の4歳の子どものミイラ(中央)と、ミイラにかぶせるマスク群。
ミイラの顔の部分には“エンカウスティーク”(蜜蝋画法)による故人の写実的な肖像画が描かれており、古代エジプトもクレオパトラの死後、ローマ帝国に支配されるようになって、ローマ人の美術を受け入れていったことがよく分かります。
あるいは逆に、エジプトに植民したローマ人がエジプトのミイラ技術を取り入れていったのかもしれませんが。 -
こちらは古代ローマ帝国の五賢帝のひとり、ハドリアヌス(在位:117-138年)が寵愛した美青年“アンティノウス”(Antinous、111-130年)の彫像(135年頃)。
小アジアのビテュニア出身の青年アンティノウスは、ハドリアヌスの寵愛を受けますが、エジプト視察中、ナイル川で謎の溺死を遂げます。
その死を悲しんだハドリアヌスは彼を神格化して神殿を建設し、アンティノオポリスという都市を建設したほか、帝国中にアンティノウス像を建てさせ、天空にアンティノウス座を作ってしまいます。
このアンティノウス像がエジプトのファラオのような姿をしているのは、そういうわけだったのですね。
しかし、ハドリアヌスは“五賢帝”と称されるとはいえ、愛人が忘れられなくてその像を全国各地に作ってしまうなど、かなりの専制君主ぶりが痛ましいところです・・・。
治世が長くなると、何かおかしなことをやりだすとは、古今東西、どこの世界も同じですね・・・。 -
こちらの写真、中央は1~3世紀頃のローマ帝国時代の墓碑。
左右は4世紀頃のコプト時代(東ローマ帝国時代)の墓碑。
この1年前に見た、紀元前の古代ギリシャ時代のものより劣っているところを見ると、異民族の侵入や経済力の衰退などで芸術が退化したということなのか。
それとも、墓碑の習慣が上流階級から下層階級にまで行き渡った結果、質の悪いものも出てきたということなのか・・・。
【永遠ブルーの空 ギリシャ(2) アテネ国立考古学博物館の紀元前5世紀末頃の墓碑】
https://4travel.jp/travelogue/11411019#photo_link_56403907
いずれにしても、ミイラ芸術にせよ、芸術は人を弔うところから発展してきたということがわかりますね。 -
こちらの男性の頭部像、右側はBC2550年頃(カフラー王統治期)のエジプト古王国時代のもので、左側はBC300年頃のプトレマイオス朝時代の僧侶のもの。
エジプトの彫刻技術は、今から4500年も前の古王国時代にすでに完成していたことにびっくり。 -
BC2400年頃のSabuとその妻Merititesの彫像。
この時代にして、これほど写実的で超古代の色が残っているところも勿論すごいのですが、何より、およそ1000年も後の時代の、ツタンカーメンとアンケセナーメン夫妻の座像と様式が変わらないところがもっとすごい・・・。
【エジプト紀行(3) ルクソール神殿のツタンカーメンとアンケセナーメンの座像(BC1330年頃)】
https://4travel.jp/travelogue/10524002#photo_link_20825914
エジプト文明、驚異の持続力ですね・・・。 -
体育座りが特徴的なこちらの像は、BC1220年頃(ラメセス2世統治期)のアメンの大祭司、バケンコンス(Bakenkhonsu)。
“バケンコンス”とは、月の神である“コンス”のしもべという意味。
こんな3000年以上昔のことが分かるのも、文字を残し、その文字が解読されているエジプト文明だからこそのことですね。 -
こちらは“メロエのヴィーナス”(Meroitic Venus)とも呼ばれる女性の立像。
2~3世紀頃、スーダンのナイル川流域に栄えたメロエ王国時代(紀元前6世紀~紀元後4世紀)の彫像です。
当時からエジプトとスーダンでは人種的な差異があったのでしょうか、この像は黒人のように見えますね。 -
こちらはエジプトから少し離れて、イラク北方、モスル近郊のニムルド遺跡から見つかった、BC870年頃(アッシリアのアッシュールナツィルパル2世統治期)の翼のある髭面の精霊などを描いたレリーフ。
よく見るとレリーフの中央部分には帯のように楔型文字が刻まれています。 -
髭面のレリーフをクローズアップ。
現代のアラブ人ととてもよく似た顔つきです。
しかし、エジプト文明と違って、紛争続きの現地イラクで見られない分、ミステリー度が増しますね。 -
こちらはバグダッドの南約90kmに位置するバビロン遺跡で見つかった、BC580年頃(新バビロニア王国のネブカドネザル2世統治期)のライオンのレリーフ。
ライオンは後に古代ギリシャにおいてアテナに転化したとされる戦争の女神、“イシュタル神”のお供として付き従っている聖獣で、このレリーフは古代都市バビロンのイシュタル門から続く“行進の道”を飾っていたとされます。
【ブルガリア~イスタンブール紀行(10) イスタンブール考古学博物館のライオンのレリーフ】
https://4travel.jp/travelogue/10763978#photo_link_28690372
そういえばバビロン遺跡は2019年に日本の百舌鳥・古市古墳群やミャンマーのバガンなどとともに、ようやく世界遺産登録されたとか。
【イラクの古代遺跡バビロンが世界遺産に、ユネスコ(2019年7月7日AFPBBNews)】
https://www.afpbb.com/articles/-/3233947
古代遺跡マニアには羨望の地バビロンもいつか旅行できる日が来るのでしょうか・・・。 -
展示はエジプトに戻って、こちらは、BC500年頃のハヤブサの姿をした銀製のホルス神。
BC500年といえば、エジプトがアケメネス朝ペルシャに支配されていた時代ですが、そんな混乱期でも2500年続いたエジプト文明はびくともせず、エジプトの天空神をモチーフにした作品の写実性や精巧さに驚くばかり。 -
こちらはローマ帝国時代初期(1世紀頃)のホルス神を抱くイシス神の像。
イシス神はエジプト神話における豊穣の女神ですが、3000年続いたエジプト文明も、ローマ帝国時代にはついに、ローマの彫刻の影響が見られるようになっていきます。
これは実は、エジプトの神々を多神教であったローマ人が受け入れたからだともされていますが、その中でも女性に人気のあったイシス信仰はローマ帝国全土に広がり、やがてローマ帝国内におけるキリスト教の普及とともに、イシス信仰がマリア信仰に変化していくこととなります・・・。
この像は、イシス神ながら聖母マリア像の原型として、そのことをよく表す作品となっています。
【参考:東京国立博物館 ホルス神を抱くイシス女神倚像(紀元前7世紀~紀元前1世紀頃)】
https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/E0050704 -
最後はメロエのピラミッドから見つかった黄金の装身具。
紀元前1世紀頃のメロエ王国の女王アマニシャケト(Amanishakheto)のものとされ、エジプト的なモチーフとギリシャの金細工がミックスされた、文化の伝播を知る上でも貴重なものとなっています。
さて、時計を見ると13時30分。
まだまだ展示物はたくさんあるのですが、飛行機の時間もあるので、このあたりでエジプト美術博物館の見学を切り上げることにします。
しかし、エジプト美術はエジプトではなくほかの国で見た方が、エジプト自身よりも研究が進んでいて勉強になるかも。
そのほとんどが墓泥棒によって持ち出された盗掘品かもしれませんが・・・。 -
13時55分、ミュンヘン中央駅からS8番のSバーンに乗車。
45分後の14時40分、ミュンヘン近郊のフランツ・ヨーゼフ・シュトラウス国際空港に到着。
空港内のサービスセンターで預かってもらっていた荷物を受け取り、出国手続きへ。ミュンヘン中央駅 (ハウプトバーンホフ) 駅
-
そして16時40分、ルフトハンザドイツ航空LH714便は、定刻通りミュンヘンを離陸。
翌7月15日(月)10時50分、羽田空港に到着し、今回の旅が終わりました。
ミュンヘン、空港と市中心部を結ぶ交通の利便性が良く、市中心部には美術館、博物館など観光スポットが集中していて、短いトランジット観光でも楽しめる街ですね。
・・・現在のコロナ禍で多くの国の美術館、博物館は閉鎖されたままですが、一日も早くこのコロナ禍が終息し、また元通り、美術鑑賞、文化鑑賞ができる世の中に戻ってほしいものですね。
そのときまでは、みなさんの旅行記の中で芸術鑑賞を・・・。
(雨多き初夏のポーランド~終わり~)
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