2015/05/02 - 2015/05/03
14位(同エリア2888件中)
エンリケさん
2015年のGWは、3月まで携わっていた重い仕事が一段落したことから、リフレッシュのため有給休暇を絡めて海外に行ってみようと計画。
行き先は、直前に“マスターキートン”という欧州を舞台としたアニメがGYAO!で無料配信されていたのを偶然見て、イギリスの草と岩だけの荒涼とした大地が気になり、“せっかくだからもっと荒涼としたところに行ってみよう”ということで選んだのがアイルランド。
アイルランドは昔、司馬遼太郎の“愛蘭土紀行”を読んで、その荒涼とした大地やかつてのケルト人の世界観が残る独特の文化から、いつか行きたいと思っていた国でした。
長年行きたいと憧れていた国の姿はどんなだったのか、まずは経由地の南ドイツ、ミュンヘンから旅行記を始めたいと思います。
<旅程表>
2015年
○5月 2日(土) 羽田→ミュンヘン
○5月 3日(日) ミュンヘン→ダブリン
5月 4日(月) ダブリン→ゴールウェイ
5月 5日(火) ゴールウェイ→アラン諸島(イニシュモア島)→ゴールウェイ
5月 6日(水) ゴールウェイ→アーウィーの洞窟→モハーの断崖→ドゥーラン
→ダンゴーラ城→ゴールウェイ→ダブリン
5月 7日(木) ダブリン→キルケニー→ウィックロウ峠→グレンダーロッホ
→ダブリン
5月 8日(金) ダブリン
5月 9日(土) ダブリン→フランクフルト・アム・マイン→
5月10日(日) →成田
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
2015年5月2日(土)
この年のGWは有給休暇を2日絡めて欧州の西の果ての国、アイルランドへ。
航空券は出発1か月を切った4月上旬にDeNAトラベルで購入。
ルフトハンザ、ANAのスターアライアンス便で燃油、諸税含め138,870円と、夏に行くよりは安く収められたのではないでしょうか。
今回の旅の出発地は2011年5月の北京旅行以来、4年ぶりに羽田。
やっぱり成田よりも近くて構造もシンプルでいいですね。 -
空港へは出発2時間前の10時過ぎに到着。
GWらしくこいのぼりが飾られていて、成田にはないいい演出です。 -
今回の目的地アイルランドのダブリンへは、南ドイツのミュンヘンを経由して行きます。
航空券はルフトハンザなものの、ANAとの共同運航のため、機材はANAのBoeing787-8を使用。
日本の航空会社だと機内食が楽しみですね。 -
空港内をぶらぶらしていたら、あっという間に時間が経過。
12時30分、ミュンヘン行きルフトハンザLH7245便(ANAとのコードシェア便)は定刻通り羽田空港を離陸。
そして14時、楽しみにしていた食事の時間。
うーん、やっぱりANAの機内食は盛り付けもきれいだし、味も口に合う!
ペットボトルが黒部の水というところもいいですね。 -
ちなみにBoeing787-8の前面パネルはこんな感じ。
機内エンターテイメントは今やすっかりコントローラー要らずのタッチパネルになってしまったなあ・・・。 -
さて、LH7245便は定刻より5分早く、現地時間17時15分にミュンヘン郊外のフランツ・ヨーゼフ・シュトラウス空港に到着。
およそ12時間の空の旅でした。
この日は乗継をせずにこのままミュンヘンの地で1泊。
ミュンヘンは2年前の2013年5月にナポリ旅行の経由地として訪れて以来2回目ですが、当時は乗継だけで終わってしまったため、今回街に出るのが楽しみです。フランツ ヨーゼフ シュトラウス国際空港 (MUC) 空港
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空港からミュンヘン中心部に行くにはバスとSバーン(近郊電車)の2通りの方法があり、まずは往復運賃が割引になるというバスを探しますが、これがどこにも見当たらない・・・。
仕方ないのでバスはあきらめて、地下に降りていけばすぐのところにあるSバーンを使うことに。
切符は中央駅まで10.8ユーロ(1ユーロ=140円として約1,510円)。
鈍行で45分程度なのに、日本、さらに前回旅行したばかりのラオスと比べると、ドイツの物価の高さに愕然とします・・・。
(ちなみに空港の自動券売機ではカードが使えたのですが、帰りの中央駅の券売機では同種の機械なのにどれもエラーとなり使えませんでした。)
ここで、切符の買い方に戸惑っている日本人の奥様と遭遇。
娘さんが仕事でこちらにいるとのことで、お一人で日本からやってきたとか・・・。
せっかくなので中央駅までの電車の旅をご一緒することにしました。 -
18時4分発のS8番線に乗り、緑豊かなドイツの田園風景を眺めながらおしゃべりしていたら、約40分でミュンヘン中央駅に到着。
娘さんと会って明日はザルツブルクまで行くという奥様とはこれでお別れ。どうぞお気を付けて!
さて、わたしの方は中央駅の北側に宿を予約していたので、5月のミュンヘンの夕方のひんやりとした空気の中を、まずはそこまでてくてくと歩いて行きます。ミュンヘン中央駅 (ハウプトバーンホフ) 駅
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19時、少し迷って中央駅から10分ほどで、アゴダで予約したミュンヘンでの宿、“THE 4 YOU HOSTEL & HOTEL”に到着。
部屋は日本のビジネスホテルより少し広いくらいの屋根裏部屋のようなところで、1泊53.5USD(約6,500円、ホテル税7%込み)。
*実際はアゴダのリワードポイントを使ったので3,000円引きの約3,500円。
全体としてきれいに掃除されているし、(ドイツの物価を考えれば)駅に近いわりには廉価で良い宿といえるのではないでしょうか。ザ 4ユー ホステル & ホテル ミューニッヒ ホテル
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洗面所やシャワー室もこんなふうにきれい。
ただ、シャワーの水圧がやたら強すぎるのだけが唯一気になった点でした(笑)。
ドイツ人は圧迫好き?? -
宿で落ち着いた後、19時45分、ミュンヘンの街なかに繰り出します。
こちらは中央駅前のPrielmayer通り。
駅前はトラムが縦横無尽に走っていて、いかにも“ヨーロッパの街”という感じ。
・・・そういえば、2015年9月にはミュンヘン中央駅にシリアなどからの難民が到着して構内は寝泊まりする人々で大混乱というニュースがありましたが、現在はどうなっていることでしょう??
【難民殺到の独ミュンヘン、オクトーバーフェスト開幕で緊張高まる(2015年09月18日AFPBB)】
http://www.afpbb.com/articles/-/3060730
これからは安定のヨーロッパ旅行にも注意が必要ですね。 -
トラムの線路の続くPrielmayer通りを真っ直ぐ進んで行くと、何やら重厚な建物が。
何か歴史的名所かと思ったら、地方裁判所(Landgericht)とのこと。
第二次世界大戦後再建されたものなのかどうか分かりませんが、ドイツは現在使われている建物でも目を見張るものが多いですね。 -
大通りを渡るため地下道を通り抜けて行き、20時、カールス門(Karlstor)に到着。
ここから先は歩行者天国のノイハウザー通り(Neuhauser str.)です。
このあたりは土曜の夜を楽しむ市民や観光客でいっぱいです。カールス門 建造物
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カールス門をくぐりノイハウザー通りに入るとさらに人は増え、両側はオシャレな建物が立ち並び、何とも賑やかな通り。
ノイハウザー通り 散歩・街歩き
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通りの中にこんな鮮やかな花が添えられているのもドイツらしいですね。
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クラシックを演奏する人もいて、まさに“ヨーロッパの歩行者天国”という感じですね。
逆に言えば、ヨーロッパならミュンヘンに限らず見られる風景、ということでもあり、わたしの旅としてはちょっぴりマンネリ感も。 -
カールス門からノイハウザー通りを真っ直ぐ歩いていくと、10分ほどで壮麗な建物がそびえる賑やかな広場に到着。
ミュンヘンの中心、新市庁舎(Neues Rathaus)とマリエン広場(Marien Platz)です。
この市庁舎、もともとは1867〜1909年にネオ・ゴシック様式により建てられたものですが、第二次世界大戦中の1944年、連合国による空爆により破壊されてしまい、現在の建物は戦後に再建されたもの。
しかしこの市庁舎、ブリュッセルのグランプラスの市庁舎に形や雰囲気がとてもよく似ていますね。
【ベルギー・フランドル紀行(1) ブリュッセルのグランプラスの市庁舎】
http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=18725279ミュンヘン新市庁舎 建造物
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高さ85mの塔の中ほどには、ドイツ語圏の街ではよく見られる仕掛け時計が。
この仕掛け、毎日11、12、17、21時に見られるとのことで(季節や日によって異なる場合あり)、この日はもうそろそろ21時というところだったのですが、食事をとっていて見逃してしまいました。 -
新市庁舎を違う角度からパチリ。
こんな造るのに40年もかかった手間ひまかかりそうな建物を再建するとは、敗戦国という立場ゆえかワルシャワ旧市街を再建したポーランド人の影に隠れてしまっていますが、ドイツ人もすごいものですね。
日本だったら景観や伝統的な技術を無視して四角いコンクリートの建物に変えてしまうのに。
最近流行りのテレビ番組のように、“日本人すげー”とならずに隠忍自重しているのがドイツのまたえらいところ。
(日本人が知らないだけで現地では同じように“ドイツ人すげー”と自画自賛してたりして。)
【マリエン広場HP】
http://marienplatz.de/ -
さて、せっかくミュンヘンに来たのだから美味しいビールやソーセージを食べようと、地球の歩き方を頼りにレストランを探します。
(地球の歩き方には何度もつぶれた店を紹介されながら、結局頼りにしてしまう・・・。)
最初に入った“パウラーナー・イム・タール”(Paulaner im Tal)は店の中が雑然としていて、店員が常にあっちに行ったりこっちに行ったりで一人旅の東洋人など相手にしてくれなさそうな雰囲気。
10分以上待っても無視されたままだったので結局店を出て、道路を挟んで斜め向かいにある行列のできている店、“ヴァイセス・ブロイハウス”(Weisses Brauhaus)に行くことにしました。シュナイダーブロイハウス バー
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10分ほど並び列が進んでヴァイセス・ブロイハウスの店内に入ると、中は暖房が効いていて暖かい空気が。
日が落ちてすっかり肌寒くなっていた身には、何だか心安らぐ空間です。
それに、こちらの店の方は、最初に入ったパウラーナー・イム・タール同様混んではいましたが、ドアの内側で待っていた案内人が、東洋人の客一人だったにもかかわらず、嫌な顔ひとつせずに空いていた席に案内してくれ、接客態度にも非常に好感が持てました。
・・・席に着いて店内を見渡すと、壁にはあのバイエルンの“狂王”ルートヴィヒ2世(1845-86年)の肖像。
自分の趣味でおとぎの城のようなノイシュヴァンシュタイン城を建設するなどハチャメチャな王でしたが、今となっては貴重な観光資源を造ってバイエルンの名を高めたということで市民に人気があるのでしょうかね。 -
注文を取りにきてくれたのは、常に笑顔でメガネのかわいらしい女子学生のアルバイトらしき店員。
この前年に訪れたマインツでもそうでしたが、ドイツの飲食店の女性店員はレベルが高いですね(笑)。
美人にサーヴしてもらうとビールも一段と美味しいです(笑)。 -
白ソーセージはないとのことだったので(午前中で終わりらしい)、代わりにメインで頼んだのは、この時期が季節のアスパラガスとポテト、ベーコンの盛り合わせ。
出てきたのはこんなに大きいアスパラガスでびっくり。
口に含んでみると、歯で噛みしめたときの感触が何とも言えず、日本で食べるアスパラガスとは異次元の美味しさ。
・・・それでも、ちょっと一人で食べるには量が多かったのと、厚い肉がなかったのとで、最後の方は飽きてしまったかも。
お代の方はビール(3.95ユーロ=約550円)とあわせて22.85ユーロ(約3,200円)。
ビールは日本と同じくらいですが、料理の方はやはり高いですね・・・。
日本(の購買力)は一時期に比べ本当に弱くなってしまったなあ。
“日本すげー”と言っている場合ではないですよ。 -
食事を終え店の外に出ると、もう22時近く。
しかも雨がぱらぱらと降ってきて肌寒さも一段と増してきました。
マリエン広場に戻ると、暗い空の下、美しく市庁舎がライトアップされていましたが、眺めるのはほどほどにして、風邪をひかないようホテルへの道を急ぎます。 -
カールス門のあたりでも、22時をまわって店はほとんど閉まっているというのに、相変わらずたくさんの道行く人々が。
みんな夜の街を楽しんでいますね。
・・・この後は真っ直ぐホテルに戻り、旅行一日目はこれで終了。
翌日のミュンヘン観光&ダブリンへのフライトに備え、体をゆっくり休めます。 -
5月3日(日)
6時、起床。
窓を見ると、外は強い雨。
前日の夜から降り始めた雨が、朝になっても止まずに降り続いている模様・・・。
ヨーロッパ旅行で朝からこんなに雨が降っているのは初めての経験かも。
ダブリンへの便の出発時刻は15時30分なので、この日はそれまでの間、ミュンヘン市内を観光の予定。
シャワーを浴び、ホテルで簡素な朝食をとった後、7時40分にチェックアウト。
フロントに荷物を預け(荷物室の鍵を渡され、自分でドアを開閉して荷物を置いて行くスタイル)、雨の中の観光に繰り出します。 -
雨は一向に止む気配がなく、逆に強まっている様子も・・・。
仕方ないので日本から持ってきた折り畳み傘を開いて街歩き。
ヨーロッパにはもう10回以上行っていますが、朝っぱらから傘をさして観光するのはやはり初めて。
雨の多いアイルランドではこんな事態を覚悟していたのですが、まさかドイツでこんなことになろうとは・・・。
前日と同様、カールス門をくぐってノイハウザー通りにやってきましたが、8時を過ぎても誰も歩いていませんね・・・。 -
ドイツの街にはよくある動物の彫刻。
狩猟生活をしていたゲルマン人時代のなごり?
しかしこの猪、どこかセクシーポーズですね(笑)。 -
8時10分、ノイハウザー通りから見えるロシア風の葱坊主っぽい2つの塔が特徴的なフラウエン教会(Frauenkirche)へやってきました。
このフラウエン教会、創建は1468〜88年とのことですが、新市庁舎と同様、旧市街の90%を破壊したという1944年の連合国の爆撃により、屋根は吹き飛び、2本の塔のうち1本は穴が空くほどのダメージを負ったと言われています。
そんな傷だらけの教会でも、ミュンヘンの人々は修復に努め、50年後の1994年になってようやく修復が完了したのだそう・・・。
正面にまわるとあいにく外壁の大部分は修復工事中。
第二次世界大戦の傷跡は完治したものの、これからは将来に向かってのその美しい姿の維持が大変そうです。
しかし、約100mあるという高い高い塔を見ていると、すぐに首が痛くなってきますね(笑)。フラウエン教会 (ミュンヘン) 寺院・教会
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教会内部に入ってみると(入場無料)、最近修復されたものだからか、それほど古さを感じない造り。
身廊部分は高さ約30mの天井を支える太い柱が印象的で、正面以外窓がまったく見えないのもなかなかおもしろい造りです。 -
身廊の端の拝廊の部分の床には有名な“悪魔の足跡”が。
この教会に悪魔が忍び込んだとき、“この教会には窓がない”と勘違いしたとの伝説があり、それを記念するために作られたんだとか。
確かにこの場所に立つと、上の写真のように、正面のステンドグラス以外はまったく窓は見えないですね。 -
身廊の片隅にはバイエルンのヴィッテルスバッハ家出身の神聖ローマ皇帝(ドイツ王)ルートヴィヒ4世(在位:1314-47年)の記念碑が。
ドイツ人の盟主としての神聖ローマ帝国皇帝といえばオーストリアのハプスブルク家のほぼ独占状態でしたが、ここバイエルンのヴィッテルスバッハ家からも実は2名(*)選出されているんですね。
*もう一人はハプスブルク家の男系断絶後のオーストリア継承戦争中(1740-48年)に皇帝となったカール7世(在位:1742-45年)。 -
9時、フラウエン教会の見学を終え、ヴィッテルスバッハ家の宮殿であったレジデンツ(Residenz)に向かいます。
途中、新市庁舎の裏の道からは、フラウエン教会の高い2本の塔がはっきりと見渡せます。 -
新市庁舎からはレジデンツはすぐ近く。
建物の前面にある広場には、ナポレオンによる神聖ローマ帝国解体時に王国に昇格したバイエルンの初代王、マックス・ヨーゼフことマクシミリアン1世(在位:1806-25年)の像が。ミュンヘン レジデンツ 博物館・美術館・ギャラリー
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レジデンツに向かって右手にある古代ギリシャの神殿風の建物は、ドイツを代表するオペラの殿堂、バイエルン州立歌劇場(Bayerische Staatsoper)。
18世紀前半に上の写真のマクシミリアン1世が創建したものですが、もとの建物は、やはり第二次世界大戦中の1943年に連合国の爆撃を受け破壊。
現在の建物は戦後の1963年に再建されたものとなっています。
・・・ミュンヘンの建物を語るとき、どうしても第二次世界大戦の話が出てきてしまいますが、それは、この街の人々が戦争での荒廃を乗り越えて、かつてのバイエルン公国・王国時代からの伝統を大事に引き継いでいることの証でもあるのでしょうね。バイエルン国立歌劇場 劇場・ホール・ショー
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さて、入口でチケットを買い(宝物館とのコンビチケットで11ユーロ=約1,540円)、隣の荷物預かり所に傘を預けてレジデンツの見学開始。
このレジデンツはヴィッテルスバッハ家最後の王のルートヴィヒ3世が1918年にドイツ革命で退位した後、1920年に博物館として一般に開放され、第二次世界大戦で大きな被害を受けながらも、見事な修復がなされて現在に至っています。
最初の回廊を入ったところにはこんな絵画や彫像が展示。
出だしはシンプルな感じですが・・・。 -
次の部屋に入るとこんなこてこてしい装飾の壁が。
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この部屋は洞窟を模したという“グロッテンホーフ”。
襞かウロコのような装飾がまさに“グロい”感じですね(笑)。 -
壁のくぼみにある女性の彫刻はこんなざらざらとした肌で、どんな美意識かと思いますね・・・。
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側面もやはりこてこてしい感じ。
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こちらの女性の彫刻には貝殻が多用されています。
このグロッテンホーフが造られたのは1581年から1586年にかけてだそうですが、ポツダムのサンスーシ宮殿(1745-47年建築)の貝殻の間に見られるような、後のロココ様式の特徴を備えているのはどういうわけか・・・。
このレジデンツはバイエルンを支配していたヴィッテルスバッハ家の居城として1385年に建築が始められて以来、ルネサンス、バロック、ロココなど様々な様式を採り入れてきたとのことですから、このグロッテンホーフも後の時代に大きく改修がなされたものなのでしょうね。 -
続いてはルネサンス様式で造られたという、長さが68mもある“アンティクヴァリウム”(Antipuarium)という大広間。
入った途端、広さだけでなく、丸天井を飾る美しい絵画や、広間の端に古代彫刻がズラリと並んだその壮麗さに目を奪われます。 -
広間の端の台座で欧米人の団体客が説明を受けている隙にアンティクヴァリウムを正面からパチリ。
壮麗なシンメトリーの空間ですね。
窓からの採光の度合いも素晴らしい。 -
広間の両端にはヴィッテルスバッハ家が収集してきた古代ローマ時代の彫刻が。
それぞれの彫刻の碑には“IMP CAESAR”(インペラトール・カエサル)と書かれているところを見ると、みなさん皇帝だった方でしょうか。
塩野七生氏の“ローマ人の物語”は読破しましたが、いずれも名前と顔に覚えのない皇帝ばかりだな・・・。
賓客たちに“皇帝の彫像を集めたぞ”と誇示したいヴィッテルスバッハ家の“見栄”でしょうかね。 -
上を見ると一面に見事な天井画。
この天井も第二次世界大戦でかなりの被害を受けたとのことですが、そんなことを微塵も感じさせない修復っぷりですね。 -
最後に反対側からもそのシンメトリーな構造をパチリ。
やはり写真映えのする間ですね。 -
次の間に行くまでの回廊にはポツンとひとつ、こんな彫像が。
影が何だか色っぽく、本体とあわせてひとつの作品になっていますね。 -
こちらは中国の明や清の時代の磁器を集めた部屋。
中国の磁器は異国趣味の流行から当時のヨーロッパの王侯貴族がこぞって収集していたもので、ヴィッテルスバッハ家も例外なくコレクトしていたんですね。 -
日本の伊万里焼の展示も。
伊万里焼は佐賀藩祖の鍋島直茂が豊臣秀吉の朝鮮出兵(1592、98年)に参加したことがきっかけで、朝鮮から連れて来られた陶工により製造が始められたもの。
1644年の明滅亡による混乱時に中国から日本への磁器輸入先のシフトが行われ、ヨーロッパで広く伊万里焼が収集されるようになったのだそうです。
そういえばクィーンのフレディー・マーキュリーも伊万里焼のコレクターだったそうですね。 -
次からは、このレジデンツの所有者であったヴィッテルスバッハ家の居室の部分が続きます。
他のヨーロッパの宮殿をいくつも見てきた方なら、ああこんなものかと特に驚くべき要素はないですが・・・。
ただ、ドイツらしく臭いもなくきれいに保存されているところが素晴らしいところです。 -
こちらの居間の壁には女性の身体をまさぐる男性2人の何だかいやらしい感じの絵が。
何か意味があるのでしょうかね?? -
壁に掲げられたタピストリーもきれいに保存されていますね。
こういったものは戦時中は焼失してしまわないようどこかに避難してあったのでしょう。 -
こちらは中国(満洲族っぽい服装)とインド(象)とトルコ(絨毯)がごっちゃになったような東方趣味のタピストリー。
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こちらはムハ(ミュシャ)のようなファンタジーっぽいタピストリーですね。
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以上でレジデンツの居室の部分は終わり。
他のヨーロッパの宮殿に比べ、壁もタピストリーもきれいに保存されているのが印象的でした。
壁の大部分は第二次世界大戦後に修復されたものだから当たり前といえば当たり前かもしれませんが・・・。 -
居室の後の階段には、ナポリの考古学博物館やカゼルタのブルボン王宮でもみた“休息するヘラクレス”の像が。
有名な像だけにけっこう模刻があるんですね。
【ナポリの休日(7) カゼルタのブルボン王宮のヘラクレス像】
http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=29983020 -
こちらは宮廷礼拝堂でしょうか。
3階の通路部分から眺めるその姿は何とも荘厳な印象です。 -
礼拝堂の天井にはフランス、ランスのノートルダム大聖堂の“微笑みの天使”によく似たレリーフが。
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そしてレジデンツ博物館の最後を飾るのは、1180年から1918年まで約740年にも渡ってバイエルンに君臨してきた華麗なる一族、ヴィッテルスバッハ家の121人の肖像画を壁一面に並べた“祖先画ギャラリー”(Ahnengalarie)。
さすがにここは観光客が溜まっていますね。 -
各肖像画とも金色の額縁に入れられて、死後も最高の名誉を与えられているようですね。
当時のヨーロッパの王侯は庶民とは厳然たる差があったのだなという思いです。
・・・時計を見ると10時40分。
以上、入場から1時間半ほどで博物館の見学は終わりです。 -
続いては同じレジデンツ内にある宝物館(Schatzkammer)へ。
こちらは展示面積が狭いせいか、博物館よりも混み合っている感じです。
ちなみに、この後に訪れるアイルランドも含め、GW後半のこの時期見かけるのは欧米人(特にドイツ人)の観光客ばかりで、日本人も含めアジア系の観光客はほとんど見かけませんでした。
航空券の値段が低いのもうなずけます(やはりGW後半のヨーロッパは“穴場”!)。
さて、作品に目を向けると、写真は11世紀初めに作られたという黄金に輝く十字架。
どこかケルトっぽい呪術的な感じがしますね。
(これからアイルランドに行って確認してくるわけですが。) -
こちらの騎馬の置物はカッパドキアの竜退治で有名な“聖ゲオルギオス”(英語ではジョージ)。
本体は16世紀末、台座は17世紀前半の製作です。
最近ロシア語読みを嫌って“ジョージア”に日本名が変わった“グルジア”の国旗と同じ柄の鎧が印象的ですね。 -
こちらはブンデスリーガの優勝トロフィー“マイスターシャーレ”を想起させる装飾用の皿。
16世紀半ばの作品です。 -
最後は紀元前12世紀から紀元前後にかけて中央アメリカで栄えたオルメカ文明の“翡翠のマスク”をモチーフにした異色の置物。
18世紀前半の作品で、この頃は中国や日本などの東洋だけでなく新大陸にも興味を持ち始めた時代だったのでしょうね。
11時、これにてレジデンツの見学は終わり・・・。 -
ダブリンへの飛行機の時間までにもうひとつくらい見て回れそうだったので、11時20分、未だ降りやまない雨の中、少し離れたアルテ・ピナコテーク(Alte Pinakothek)へ。
ヴィッテルスバッハ家が16世紀から収集した名画が並ぶ美術館で、19世紀から20世紀初めの作品が中心のノイエ・ピナコテーク(新美術館)に対し、こちらは15世紀から18世紀までの作品が中心。
わたしも長らく行ってみたいと思っていた美術館でした。
【アルテ・ピナコテークHP(英語版)】
http://www.pinakothek.de/en/alte-pinakothekアルテ ピナコテーク 博物館・美術館・ギャラリー
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入場料は通常7ユーロ(約980円)のところ、この日は日曜日のため1ユーロ(約140円)とオトク。
その分見学者も多い印象です(雨が降っていることもあるかもしれませんが。)。
コインロッカーに傘を預け、見学開始。
見学者が多いといってもひとつひとつの部屋が広いので、日本の美術館の特別展ほど混雑しているわけではありません。 -
さて、わたしがアルテ・ピナコテークで見たお気に入りの絵をいくつかご紹介。
最初はルターの肖像画でも有名なドイツのルネサンス期の画家、ルーカス・クラナッハ(LUCAS CRANACH、1472-1553年)の筆による“ルクレティア”(LUCRETIA)。
美術の教科書のこの絵を目にして以来、ずっと聖書の人物かと思っていたら、実は紀元前6世紀に古代ローマを王政から共和政に移行させる契機となった女性なのだそうです。
(この絵は当時の王の王子に凌辱されたことを父や夫に告白した後、自ら命を断つ場面。このことが契機となって、ローマの市民は王を追放し、共和政に移行した。) -
続いては同じくドイツのルネサンス期の画家、アルプレヒト・デューラー(ALBRECHT DURER、1471-1528年)の有名な“四使徒”(1526年)。
描かれている4人の人物は、左から、聖書を持つヨハネ、鍵を持つペテロ、巻物を持つマルコ、剣と本を持つパウロ。
緋色の衣装が印象的なヨハネは実はルターの訳したドイツ語の聖書を持っていて、これはデューラーがルターの宗教改革を支持していることを表しているのだそうです。 -
次は、作者不明のため“聖女ヴェロニカの画家”(MEISTER DER HL.VERONIKA)と記されている、“キリストの聖顔布を持つ聖女ヴェロニカ”(HL.VERONIKA MIT SCHWEISSTUCH、1400-20頃)。
ここで登場する“聖女ヴェロニカ”とは、キリストが十字架を背負ってゴルゴダの丘へ向かう途中、亜麻布でキリストの顔の汗を拭ったとされる伝説の女性。
描かれた年代からしても、ルネサンス前の中世的な雰囲気を持つ絵で(例えば、ヴェロニカと天使たちの大きさがおかしいなど遠近法が無視されている。)、作者は写実的なネーデルラント絵画の影響を受けたケルン派の画家と言われています。 -
続いて時代は少し下って、南ネーデルラント(フランドル)の風刺画家、ピーテル・ブリューゲル(PIETER BRUEGEL、1525/30-69年)の“怠け者の天国”(DAS SCHLARAFFENLAND、1567年)。
怠惰と暴飲暴食にふける人々を描いた、ブリューゲル得意の風刺画ですね。 -
続いてはフランドル、アントワープのペーテル・パウル・ルーベンス(PETER PAUL RUBENS、1577-1640年)の作品。
最初の妻に先立たれた後、晩年に結婚した2人目の妻、“エレーヌ・フールマンの肖像”(HELENE FOURMENT)です。
ルーベンス53歳の時に結婚したというエレーヌの年齢はなんと16歳。
37歳年下の妻に対するルーベンスの愛情が感じられる絵ですね。
ちなみにルーベンスは、若く生命力にあふれた彼女を、“三美神”や“パリスの審判”(いずれもプラド美術館蔵)などの作品に登場する女神のモデルにしたとも言われています。 -
続いてはルネサンス期のイタリア絵画から。
まずはラファエロ(RAPFAEL、1483-1520年)の“垂幕の聖母”(DIE MADONNA DELLA TENDA、1514年)。
聖母マリアを真横から描いた珍しい作品です。 -
次は同じくラファエロの“テンピの聖母”(DIE MADONNA TEMPI、1508年)。
この上なく慈愛に満ちた表情の聖母マリアが印象的なこの作品は、あの“狂王”ルートヴィヒ2世の祖父であるルートヴィヒ1世(在位:1825-48年)が、プロイセンやスペイン、ロシアとの国家の威信を賭けた争奪戦の末、20年かかってフィレンツェのテンピ家から手に入れたという名画中の名画。
暗号名“メバト”と呼ばれ、ルートヴィヒ1世が常に気にかけていたという名画獲得までのエピソードは、西洋画好きの者にとってはあまりにも有名です。 -
このアルテ・ピナコテークにはラファエロの作品は3つあり、その最後は“カニジャーニの聖家族”(Die hl. Familie aus dem Hause Canigiani、1507年)。
“カニジャーニ”とは、最初にこの絵を所蔵していたフィレンツェの一族の名前。
上の“テンピの聖母”にも負けない慈愛に満ちた聖母マリアの表情も印象的ですが、何よりもラファエロらしい三角形の構図と落ち着きを感じさせる独特の色遣いが素晴らしいですね。 -
ラファエロ作品の次はヴェネツィア派のティントレット(JACOPO ROBUSTI GEN. TINTORETTO、1518-94年)から。
“ウルカヌスに見つかったウェヌス(ヴィーナス)とマルス”(VULKAN UBERRASCHT VENUS UND MARS、1555年)です。
何やらレジデンスの居間でも見たようないやらしさを感じる作品ですが、こちらは不倫をテーマにした話。
画面の中央から左では、夫の留守中に妻である愛の女神ウェヌス(ヴィーナス)が不倫をしていたのを、夫である火の神ウルカヌス(ヴァルカン)が念入りに確認しています。
その一方で、画面の右側では、戦争の神マルス(マーズ)がテーブルの下からこっそり逃げようとして犬に吠えられる始末・・・なんとも滑稽な絵に仕上がっています(笑)。 -
続いては同じくヴェネツィア派の巨匠、“ティツィアーノ・ヴェチェッリオ”(TIZIANO VECELLIO、1488/90-1576年)の“皇帝カール5世の肖像”(KAISER KARL ?)。
ルターの宗教改革に始まるプロテスタントの勃興を支持したクラナッハやデューラーの作品と、それを弾圧した神聖ローマ帝国のカール5世の肖像がひとつの美術館に同居しているなんて、何とも歴史の“妙”ですね。 -
最後はフランドル人画家ヤン・ホッサールト(JAN GOSSAERT GEN. MABUSE、1478-1532年)の“ダナエ”(DANAE、1527年)。
“ダナエ”とはギリシャ神話に登場するアルゴス王の娘の名前で、父である王は、“孫に殺される”との神託を受け、子どもを産まないよう一人娘を青銅の塔に閉じ込めてしまいます。
その閉じ込められたダナエを見初めた天空の神ゼウスは、黄金の雨となってダナエに降り注ぎ、やがてダナエは英雄ペルセウスを産む、という話なのですが、この作品はそのゼウスとダナエが交わる場面が描かれています。
西洋画好きにとって、“ダナエ”と言えばウィーンの世紀末画家グスタフ・クリムト(1862-1918年)の作品が有名ですが、この作品はそれとの比較のために撮らせていただきました。
やはりクリムトの圧倒的迫力(&エロさ)には及ぶべくもありませんね・・・。
【グスタフ・クリムト〜ダナエ(wikipediaより)】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%8A%E3%82%A8_(%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%A0%E3%83%88%E3%81%AE%E7%B5%B5%E7%94%BB) -
12時、飛行機の時間もあったので、途中からは急いで見て回り、入口に戻ってきました。
アルテ・ピナコテークは2階しかなく、それほど大きくないため、1時間弱で主要な絵画は見て回れると思います。
さて、ミュンヘンにはノイエ・ピナコテークなどまだまだたくさんの観光スポットが残っているのですが、それは次回の乗継の機会にでも。
雨の中、急ぎホテルに戻って荷物をピックアップし、再びSバーンでフランツ・ヨーゼフ・シュトラウス空港へ。
次はいよいよ今回の旅のメイン、アイルランド初上陸です!
(ドイツ・アイルランド旅行2日目後半〜ダブリン観光に続く。)
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この旅行記へのコメント (6)
-
- pedaruさん 2016/01/24 05:31:12
- アイルランドに期待しながら順番に見せて頂きます。
- エンリケさん お早うございます。
もしかしたら初めての書き込みかも知れません。
丁寧にわかり易く、しかも無理のない展開、気負ったところのない秀逸な旅行記です。
これからエンリケさんの旅行記にはまりそうです。コメントの裏には膨大な知識と教養が感じられます。
美術館の絵の解説はわかり易く引きこまれました。ご自分の言葉で語られる内容に感銘を受けました。
エンリケさんの旅行記の人気の秘密はここにあると思います。
スコットランドよりもなお一層アイルランドな土地だと想像していました。
アイルランド旅行記をこれから楽しみにしています。
pedaru
- エンリケさん からの返信 2016/01/28 00:42:11
- ご訪問ありがとうございます。
- pedaruさん
こんばんは。ミュンヘン旅行記にご訪問ありがとうございます。
そのような言葉でお褒めいただき、たいへん恐縮しております。
学生の頃から世界史や美術が好きなものですから、その国の歴史や絵画の話となると旅行記の作成にもつい熱が入ってしまい、だらだらと長い解説になってしまったりしています。
自分ではもっとシンプルに旅行記を作成できたらと思っているのですが・・・。
> スコットランドよりもなお一層アイルランドな土地だと想像していました。
> アイルランド旅行記をこれから楽しみにしています。
pedaruさんもわたしと同じ頃にスコットランドを訪問されていたんですね。
スコットランドも寂寥感あふれる風景が多く、ヨーロッパの果てを感じさせますね。
ただ、おっしゃるとおり、ちょっと見た感じ、アイルランドの方が街や遺跡の規模が小さく、より田舎な感じがしますね。
こういうふうに、両者を比較してみるのもおもしろいです。
わたしのアイルランド旅行記はもう少し続きますが、ぜひまたのぞきに来ていただければ。
今後ともよろしくお願いします。
-
- サウスピーチさん 2015/11/06 02:47:00
- ミュンヘン!
- エンリケさん、こんにちは♪
私は7月だったので、エンリケさんは一足先にミュンヘンに行かれてたんですね。
懐かしい写真を見ながら、エンリケさんと同じ場所に居たかと思うとちょっと嬉しかったです♪
白アスパラ、召し上がったんですね。
私はやっぱりしゃきしゃきのグリーンアスパラの方が好みです^^
白アスパラはアメリカでも旬の時にたまに買って食べるのですが、
ちょっと土臭いというか・・・。(アメリカでだけなのかなぁ。)
5月のドイツはまだ肌寒かったんですね。(前回の5月の極寒のヨーロッパを思い出しましたよ。苦笑)
私は今回は丁度7月の猛暑(37度くらい)の時で、ホテルもレストランも、お土産屋さんも、どこにも冷房が入っていなくて、毎日ぐったりでした・・・。(><) 8つ以上の街に行ったのですが、どこも同じだったんですよ〜。
アイルランドに関しては何も知らないし分からないので、続きを楽しみに、またお邪魔しますね!
それでは、また。
サウスピーチ :)
- エンリケさん からの返信 2015/11/07 19:27:19
- 同じ食べ物でも・・・。
- サウスピーチさん
こんばんは。ミュンヘン旅行記にご訪問ありがとうございます!
> 白アスパラはアメリカでも旬の時にたまに買って食べるのですが、
> ちょっと土臭いというか・・・。(アメリカでだけなのかなぁ。)
ミュンヘンで食べた白アスパラはそんなことはなく、やわらかくて美味しかったですよ。
同じ食べ物でも気候や土が違うと、味も違ってくるとはよく言いますよね。
先日も職場の同僚と、日本で飲む牛乳とヨーロッパで飲む牛乳は味が違うという話題で盛り上がりました(笑)。
> 私は今回は丁度7月の猛暑(37度くらい)の時で、ホテルもレストランも、お土産屋さんも、どこにも冷房が入っていなくて、毎日ぐったりでした・・・。
7月のドイツはそんなに暑かったんですね・・・。
このところ地球の温暖化で、日本だけでなく世界中が暑くなってきているのでしょうかね。
サウスピーチさんの今回のドイツ旅行、最終目的地はミュンヘンなんですね。
どんなご経験をされたのか、旅行記、楽しみにしています!
-
- 川岸 町子さん 2015/10/04 18:41:37
- それぞれの旅
- エンリケさん、おばんでした☆
わぁーーー!びっくりですーー!
あら?スリランカではなくて、まずその前のアイルランドだったのですね〜。
写真に関しては素人の女性が、アイルランドを旅して気に入り、撮った写真をまとめたものを見せてもらったことがあります。
世界各国を旅されたエンリケさんが選んだ国アイルランドの様子を見せて頂くのが楽しみです(@^▽^@)
さてその前にミュンヘンですね。
私は2回行ったことあるのですが、2回とも表面的な部分だけで、サラッと街を歩いてビール(笑)で、なさけないわ・・・。
なので、こんなにも様々な顔を持つ街だと気づきませんでした。
空港から街への列車で助けて頂いた女性は、心強くて安心なさったことでしょうね。
旅のいいスタートですね(@⌒ー⌒@)
ドイツに住んでいた友人が、ホワイトアスパラをおススメしていました。
そんな事を思い出しながら、素敵な夕食を拝見。
博物館も丁寧にご紹介下さり、一枚一枚読ませて頂きました。
以前ご覧になった物との比較や、他の国とのつながりを交えてのお話、世界史の苦手な私にも大変わかりやすく、さすがです!
ブンデスリーグのカップのたとえには、笑いました(*^▽^*)
これから先が楽しみです。
明日から気温が下がりそうなので、風邪ひかれませんよう。
町子
- エンリケさん からの返信 2015/10/04 23:17:06
- たまにはヨーロッパの旅を。
- 川岸 町子さん
こんばんは。いつもご訪問ありがとうございます!
スリランカ旅行記、期待させてしまってすみません。
アジアが2つ続くのはいかがなものかと思い、間にヨーロッパを挟ませていただきました。
アイルランド・・・4トラベルのトラベラーの方々の旅行記を読んでいくと、男性よりも女性、それも比較的若い方がハマってしまう国のようですね。
確かに、ヨーロッパというと最近はどこの国も若者よりもシニア層の旅行者が目立つ感じですが、アイルランドに限っては、若者の旅行者が多かった印象です。
> さてその前にミュンヘンですね。
> 私は2回行ったことあるのですが、2回とも表面的な部分だけで、サラッと街を歩いてビール(笑)で、なさけないわ・・・。
町子さんは2回もミュンヘンを訪れたことがおありなんですね。
わたしは今回初めて訪れましたが、魅力的な観光スポットが街の中心部にコンパクトにまとまっていて、非常に観光のしやすい都市だという印象を受けました。
ただ、ミュンヘンは滞在時間が22時間と短く、せっかくの美食の街なのにアスパラガス料理しか食べられなかったのが心残りでしたね。
白ソーセージとか、もっといろんな料理を味わいたかったですね・・・。
> これから先が楽しみです。
> 明日から気温が下がりそうなので、風邪ひかれませんよう。
ありがとうございます!
また長い旅行記になりそうですが、みなさんがアイルランドに興味を持ってもらえるよう、工夫して書いて行きたいですね!
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