2010/11/05 - 2010/11/05
65位(同エリア1005件中)
エンリケさん
ルクソール2日目。
ルクソール西岸の熱気球ツアーの後、朝食をとって東岸及び西岸の見どころを回るガイドツアーへくりだします。
この地が“テーベ”と呼ばれていた古代エジプト新王国時代につくられたカルナック神殿やルクソール神殿、王家の谷、ハトシェプスト女王葬祭殿では、その巨大さとともに3000年以上も前の鮮やかな色彩が残る壁画やレリーフに感動。
その後のギリシャ文明などに明らかに影響を及ぼしたと思われるエジプトは世界の文明の起源だな〜と改めて感動しました。
<旅程表>
2010年
11月3日(水) 成田→関空→
11月4日(木) ドーハ→ルクソール
○11月5日(金) ルクソール→(夜行列車)
11月6日(土) →ギザ、カイロ
11月7日(日) ギザ、カイロ→ドーハ
11月8日(月) ドーハ→関空→成田
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 1.5
- ショッピング
- 1.0
- 交通
- 2.0
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道 タクシー
- 航空会社
- カタール航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
-
11月5日(金)
ルクソール西岸の熱気球ツアーからホテルに戻って来ると7時。
用意されていた朝食をとります。
エジプトはトマトを使った料理が多く、これがなかなか美味しかったです。
手前のスープは豆の入ったもので、味がなくちょっと受けつけませんでした。
パンもあちこちで出てきましたが、固くてちょっと・・・という感じ。
それから、エジプトはイギリスとの付き合いが長かったせいか、紅茶がポピュラーな飲み物となっています。
紅茶は万国共通な味で安心できますね。 -
この日は英語のガイド付きツアーでルクソールの見どころを回ります。
スカーフを巻いた年齢不詳の女性ガイド(高校生くらい?)とドライバーの二人がつきます。
このガイドが無愛想で、話しかけてもにこりともしないで通り一遍なことしか答えてくれず、ちょっとテンションが落ちました・・・。
安いツアーだったのでしょうがないと言えばしょうがないですが、まあはずれでした。
まずはホテルをチェックアウトし、荷物を預け、9時にカルナック神殿へ。
“生者の都”であるルクソール東岸最大の建造物です。
朝早くから欧米からの観光客でごった返しています。 -
前日の音と光のショーのときと同様、アメン神(“隠れたるもの”という意味を持つテーベで古くから信仰されていた神。新王国時代に太陽神ラーと結びついて国家神となった。)を表す牡羊のスフィンクス参道を通って第一塔門へ。
カルナック神殿は国家最高神であるアメン神に捧げられたアメン大神殿、その妻であるムトの神殿、アメンとムトの子であるコンスの神殿などから成る巨大な神殿群で、古代エジプトにおける宗教の総本山とも言うべきところです。
今回訪れるのはカルナック神殿のうちアメン大神殿。
もともとその基礎はテーベに都が移された古代エジプト中王国時代(BC20〜BC17世紀)に築かれましたが、歴代の王によるたび重なる増改築により破壊されたり再利用されたりしたため、現在残っている塔門や列柱群などはほとんど新王国時代(BC16〜BC11世紀)のものです。 -
スフィンクスのあごの下にはよくみるとファラオ(王)の像が。
調べてみると、アブ・シンベル大神殿などあちこちに自分の像を建造した自己顕示欲の強い新王国時代の王、ラメセス2世(在位BC1290-BC1224年?)の像のようです。
あまりにも意外な配置だったので、写真を見返してみるまで気づきませんでした。
古代エジプトの建造物というと巨大なサイズの人物像が多いため、このようなミニチュアサイズの人物像は、サイズ感が狂っているような、ちょっと奇妙な印象を受けます。 -
第一塔門をくぐります。
向こうに見えるのは第二塔門。
その先に巨大列柱群があります。
このカルナック神殿(正確にはカルナック神殿のうちアメン大神殿)には、空間のしきりを表すこのような巨大な塔門が10ほどあります。 -
第一塔門と第二塔門の間にある中庭です。
第二塔門の手前には、自己顕示欲の強いラメセス2世の巨像が左右に配置されています。
カルナック神殿の中でも有名な観光ポイントであるため、観光客が集中しています。 -
左側のラメセス2世の像です。
股間の下のミニチュアサイズの像は第一王妃のネフェルタリとも、娘のベントアナトとも言われています。
しかしこのサイズ、やっぱり奇妙な印象です・・・。 -
ラメセス2世の像を正面からパチリ。
ちなみにこの巨像は“パネジェムの巨像”とも呼ばれています。
なんでも、のちの王であるパネジェム1世がこの像を自分の名前に書き換えてしまったとか・・・。
遺跡捏造事件はこんな超古代の昔からあったんですね(笑)。 -
第二塔門を抜け、巨大列柱の林立する大列柱室へ。
奥行き52m横幅102mの空間に134本もの巨大な柱が林立するさまはまさに圧巻です。
この列柱室は、ラメセス1世から建築が始まってセティ1世が引き継ぎ、ラメセス2世(またもや・・)の時代に完成したそうです。 -
中央通路沿いの巨大列柱をパチリ。
これらの中央の柱は高さが23mとほかの柱よりも高く、歩いている人と比べるとその大きさが一目瞭然です。
また柱には深くレリーフが刻み込まれています。
レリーフの中にはラメセス2世のカルトゥーシュ(王の名前を囲んでいる楕円形の枠)も見えます。
カルトゥーシュの王の名前の読み方については“地球の歩き方”の巻末のほうに載っていて、照らし合わせてみるとおもしろいように分かります。
時間がないかたは写真を撮っておいて後で解読してみるとよいでしょう。 -
こちらの巨大列柱にも深いレリーフが刻み込まれいます。
拡大してみると、柱に刻まれている人の肌やハゲワシの羽根、天井のカルトゥーシュの中などにほんのり赤や青、黄色といった超古代の彩色が残っているのが分かります。 -
こちらの天井のカルトゥーシュにも古代の色彩が。
光が当たらない部分だから色が落ちにくかったのでしょうね。
しかし、3000年以上前の建造物が残っているだけでもすごいことなのに、塗られていた色まで残っているとは・・・建造物の巨大さよりもむしろ彩色の方に感動です。 -
大列柱室の次の第三塔門を抜けました。
中央にはトトメス1世のオベリスク、そして右側、第四塔門の先にはハトシェプスト女王のオベリスクが天を突き刺しています。
それぞれのオベリスクにはヒエログリフ(象形文字の一種である神聖文字)とともにカルトゥーシュが彫られており、誰が建てたものなのか識別できるようになっています。
ちなみにオベリスクとは、太陽信仰から来た記念碑で、そのほとんどは花崗岩の一枚岩で作られています。 -
第四塔門の先、ハトシェプスト女王のオベリスクの周辺には、こんなふうに顔が削られぼろぼろになった立像が並んでいます。
人為的なものでしょうか、それとも自然の風化によるものでしょうか?
廃墟感がいっそう高まります。 -
前日の音と光のショーでも通りましたが、聖なる池の近くにはハトシェプスト女王の倒れたオベリスクが横たえられています
-
カルナック神殿の最後に、アメンホテプ3世(在位BC1386-BC1349年)が寄進したという、聖なる池に向いている大スカラベをパチリ。
“スカラベ”とは“フンコロガシ”として有名な砂漠の甲虫で、古代エジプト人は、糞玉を転がすスカラベを日輪の回転を司るものとして神格化し、ケプリ神(頭がスカラベの形をしている)すなわち太陽神の化身(=永遠と再生の象徴)としてあがめたそうです。
このスカラベの周りを3回まわると願い事が叶い、5回まわると幸せな結婚ができ、7回まわるとまたカルナック神殿に戻ってくる事ができるのだそうです。
もちろん俗説ですが・・・。
わたしはまわりませんでしたが、欧米の団体旅行者たちがくるくるとまわっていて(影を見てください。)、その切れ目をねらって写真を撮るのがたいへんでした。
旅行者たちが輪になってまわっているところを一緒に撮ったほうがおもしろかったかも・・・。 -
10時30分、カルナック神殿から南に3km離れたルクソール神殿にやってきました。
ルクソール神殿は、カルナック神殿の中心であるアメン大神殿の付属神殿として、新王国時代の王アメンホテプ3世によってアメン・ラー神に捧げるために建立されたものです。
かつてアメン大神殿とはスフィンクス参道で結ばれていて、現在その遺構の発掘作業が進められています(エジプト紀行(1)参照。)。 -
神殿の第一塔門入口にはオベリスクと巨大なラメセス2世の左右一対の座像があります。
こちらもたくさんの観光客で賑わっています。 -
入口の反対側を見ると、カルナック神殿へと続くスフィンクス参道(現在途中まで復元)が伸びています。
-
ラメセス2世座像とオベリスクを斜め下からパチリ。
“オベリスク”という呼称は、後世のギリシャ人が“オベリスコ”(串)から名付けたもので、もともとは“テケン”(保護・防御)と呼ばれていたそうです。
現在エジプトにあるのは7基で、国外に持ち出された23基と合わせて全部で30基あるそうです。
このルクソール神殿にももともとは2基あったのですが、右側のオベリスクはムハンマド・アリ(1769〜1849年、アルバニア系の軍人で、エジプトをオスマン・トルコから半ば独立させ、ムハンマド・アリ朝(1805-1953年)を開いたエジプト総督)が1833年にフランス国王ルイ・フィリップに贈ってしまい、今は片方しか見ることができません。
ちなみに、オベリスクを贈った代わりにフランスからは時計塔が贈られ、カイロのムハンマド・アリ・モスクに設置されたのですが、今は故障して動かず、エジプト人は皆、損をしたと言っているようです・・。 -
参考までに・・・。
これがパリのコンコルド広場に設置された元ルクソール神殿のオベリスク(2009年7月撮影)。
左にアンヴァリッド、右にエッフェル塔が見えるのでお分かりかと思います。
オベリスクにはちゃんとラメセス2世のカルトゥーシュが刻まれています。
エジプトに行った後に見ると、よく分かります。
今ではパリにとってはなくてはならないランドマークになっていて、とても返還できないでしょうね・・・。 -
第一塔門をくぐってやや狭い通路を通り、ラメセス2世の中庭へ向かいます。
左側の壁の上にははるか時代を下って13世紀に建造されたモスクが乗っかっています。
第二塔門の先にはカルナック神殿と同様、巨大列柱が見えます。 -
遠足でしょうか。
スカーフを巻いた女性の先生(?)に連れられた子どもたちもはしゃぎながら中に入ってきます。
さすがに“ワンダラー!ワンダラー!”はありませんでした。
しっかり教育してください! -
塔門を抜け、“ラムセス2世の中庭”へやってきました。
振り返って見ると、“テーベ3神の聖堂”があります。
これは“オペト祭”と呼ばれる年1回のナイル川氾濫の際のお祭り時に、カルナック神殿からやってくるアメン神、アメン神の妻のムト神、その子のコンス神の3神の船を休ませる場所なのだそうです。
こういう自然崇拝の話は日本の神道にも通じるものがありますね。 -
テーベ3神の聖堂の右には、13世紀に建てられたモスク“ガーマ・アブーイル・ハッガーグ”がそびえています。
当時ルクソール神殿は砂に埋もれていて、古代の異宗教の神殿とは気づかず建造してしまったとか。 -
さて、ラメセス2世の中庭を見渡してみると、これでもかというぐらいラメセス2世の像が。
本当に自己顕示欲が強かったんですね・・・。 -
反対側もこんな感じ。
-
列柱廊へ続く第二塔門(アメンホテプ3世の塔門)の前にもラメセス2世の座像が。
いい加減もう閉口です。。 -
しつこいラメセス2世を振り切って(笑)第二塔門を抜けると、右側にツタンカーメン(トゥトゥアンクアメン、在位:BC1333-BC1324年?)とその妻アンケセナーメンの座像がありました。
この幼な夫婦は仲が良かったことで知られ、この寄り添う座像からも彼らの仲の良さをうかがい知ることができます。
自己顕示欲の強いラメセス2世に辟易していたので、なんだか心休まる、ほっとする像です。 -
列柱廊を抜け、アメンホテプ3世の中庭までやってきました。
ここはがらんとしていますが、振り返ると巨大列柱が迫ってきて、かなりの圧迫を感じます。 -
さらに先へ進み、コプト教会跡へとやってきました。
入口の壁には古代の色彩の跡がわずかながらに見られます。
時代がはるか下ってローマ帝国時代、排斥されたキリスト教(=原始キリスト教のひとつであるコプト教)信者達がこの地に来て、古代の宗教の神殿としての意義が失われつつあったルクソール神殿の一部をコプト教の礼拝の場として使っていたようです。 -
さらに神殿の奥に入ってみると、超古代のレリーフや色彩のあとが色濃く残されている空間がありました。
ちゃんと屋根があって風化の進みが遅くなっているためでしょう。
やはり色彩が残っているというのは超古代の人々のファッション感覚に触れることでもあり、レリーフ自体が残っていることよりも一層の感動を覚えます。 -
神殿の最奥部には、“アレクサンドロス大王の間”と呼ばれる部屋もあります。
BC332年、当時アケメネス朝ペルシアに支配されていたエジプトを征服したマケドニアのアレクサンドロス大王(アレキサンダー大王)は、この地の円滑な支配を進めるため、自ら太陽神アメンを信仰し、ファラオを名乗りました。
そこで、ルクソール神殿にも自らのレリーフを刻ませ、エジプト支配を強固なものとしようとしたのです。
このレリーフの左側には(おそらく)アトゥム神(二重冠をかぶった太陽神の一人)からアンク(生命)を与えられ、祝福を受けるアレクサンドロス大王が描かれています。
頭上にアレクサンドロス大王を示す“カルトゥーシュ”があるので大王その人と分かります。
ちなみに左から4番目にもアレクサンドロス大王が描かれ、左から5番目の勃起した男性器をもつ豊穣の神ミン神(新王国時代にアメン神と習合し、アメン・ラー・カームートエフ神となった。)に捧げものをしている場面が描かれています。
ミン神のそこは黒ずんていて、みんなに触られていたんだな〜とちょっとおかしくなりました。
どこの観光地でもこういうのは一緒ですね(笑)。 -
こちらは頭上に蛇で囲まれた日輪を抱くハヤブサ姿の太陽神であるラー神(新王国時代に国家神であるアメン神と習合し、アメン・ラー神となった。)からアンクを与えられ、祝福を受けるアレクサンドロス大王。
肌の赤い色がわずかながら残っています。
古代エジプトの神々はその姿かたちに特徴があってはっきりしているので、ギリシャ神話の神々より覚えやすいかもしれません。
そういった神々や歴史が分かるとこういったレリーフもいっそうよく理解できて、旅も楽しくなります。 -
11時、ルクソール神殿を後にし、今度はナイル川西岸の王家の谷(新王国時代の王の墓所)へ。
ルクソールの中心部に西岸へ渡る橋はなく、かなり南から大周りして行きます。
途中にはこんな田園風景が広がります。 -
やがて緑はなくなり、ごつごつした岩肌ばかりの景色になります。
そして30分ほどかかって、王家の谷に到着。
ここはカメラ持ち込み禁止で、車の中に置いていくよう言われます。
何年か前は撮影可能だったそうですが、現在は残念ながら写真はとれず・・・フラッシュをたく輩が多く、遺跡保護のためなのでしょうか?
王家の谷は一つのチケット(80£E=1,200円)で3つの墓に入れます。
わたしはラメセス3世、4世、9世の墓に入りました。
いずれもミイラはありませんでしたが(多くの王のミイラはカイロの考古学博物館に保管されています。)、超古代の青や赤、黄色や白といった原色系の鮮やかな色が残る壁画が素晴らしく、圧倒されました。
(墓の内部は風もなく、外よりも蒸し暑い感じで汗でダラダラになりました。脱水症状にご注意ください。)
また、ツタンカーメンの墓は別料金で100£E=1,500円かかります。
黄金のマスクなど、きらびやかな中身の多くはカイロの考古学博物館にあり、ここには棺と彼自身のミイラしか置いておらず、寂しいものでした。
ただ、棺のデザインや壁画は素晴らしく見応えがありました。彼のミイラも、19歳で年若く亡くなったときの姿をとどめていて、なんだか物悲しくなりました。
なお、王家の谷の中では売り子が王家の墓のポストカード集を1ドルで売っているので、記念に買うとよいでしょう(1ドルと言っているのに値段をつり上げてくるぼったくり例がよくあるそうですので注意してください。)。 -
続いて、12時30分、ハトシェプスト女王葬祭殿へ向かいます。
駐車場からは“タフタフ”と呼ばれるおもちゃの車のようなシャトルバスに乗っていきます。
そして、岩山をバックにした城塞のような雰囲気の葬祭殿が姿を現しました。
このハトシェプスト葬祭殿では、1997年11月17日に“ルクソール事件”と呼ばれるイスラム原理主義過激派の無差別テロ事件があったことでも知られています。
この事件では、待ち伏せしていたテロリストにより日本人10名を含む外国人観光客61名とエジプト人警察官2名の合計63名が死亡、85名が負傷。犯人と思われる現場から逃亡した6名は全員射殺されました。
その後エジプト政府はテロ対策を強化し、ルクソールではこのような事件は起こっておらず非常に治安がよい状態が保たれています。
犠牲者に黙とうしつつ、中に入ります。 -
ハトシェプスト女王葬祭殿は王家の谷と打って変わって撮影自由です。
まずは定番の、ハトシェプスト女王の顔をしたオシリス神列像の写真をパチリ。
ハトシェプスト女王(在位BC1479-BC1458年?)とは、古代エジプト最大の領土を誇ったトトメス3世(在位BC1479-BC1425年?)の母で、トトメス3世が幼かったため、エジプト初の女王として息子と共同統治をしたことで知られます。 -
オシリス神列像を正面からもパチリ。
オシリス神とは冥界の支配者で、マァト(正義)の羽根飾りのついたアテフ冠を被り、ミイラの包帯を巻いた死者の姿で表されます。
弟のセト神に殺害されたのち、妻であるイシス女神によって復活いたという神話から、人は死後オシリス神になって復活することを願ったのだそうです。
このオシリス神像にもハトシェプスト女王のそんな願いがこめられているのでしょう。 -
葬祭殿の上階のテラスから反対側を望みます。
地階のテラスには日陰がなく、容赦のない日射しが照りつけていますが、その向こうには緑豊かな田園地帯が広がっています。
ちなみに“葬祭殿”とは、王の死後供養の儀を行うための建物で、墓よりもナイル川に近い位置に建造されています。
生と死の世界の中間、ということなのでしょうね。 -
オシリス神列像の下の階、第二柱廊には古代の彩色を留めるレリーフが数多く残されていました。
これは武器をもって行進あるいは乗船する兵士のレリーフ。
超古代の戦争を描いているのでしょうか。
レリーフからは肌の赤い色や空の青い色が見てとれます。 -
こちらはアヌビス神のレリーフ。
カラフルな色遣いがよく分かります。
当時は相当きれいだったんでしょうね。 -
ホルス神(ハヤブサ姿の天空の神)に捧げものをするトトメス3世(下のカルトゥーシュから推測)のレリーフです。
超古代の色遣いが伝わってきて感動がこみ上げてきます。 -
捧げものを前にする国家神アメン神のレリーフです。
こちらもカラフルですね。 -
国家神アメンの妻ムト女神と頭に日輪を抱くハヤブサ姿の太陽神ラー神です。
ムトは母を意味し、ムト女神はハゲワシの冠をつけた女性の姿で表されます。
頭上には2箇所、青、赤、白で表された極めて写実的な姿のハゲワシも飛んでいますね。 -
ハトシェプスト女王葬祭殿、大満足で、予定時間をオーバーしてしまいました。
13時30分、ガイドツアーの最後に、メムノンの巨像を見ていきます。
ここは入場料がかからない絶好の撮影ポイントとなっています。
そもそもこの座像は古代エジプト新王国のアメンホテプ3世のもので、彼の葬祭殿の前に建てられたものでした。
しかし、その葬祭殿を後の王たちが石材として使用し、破壊されてしまったため、残されたこの像は、後のギリシャ人支配のプトレマイオス朝期にギリシャ神話のメムノンのものとされ、現在の名となりました。 -
14時、ツアーとセットになっていた昼食をとります。
中央上のナス料理はスパイスが効いていておいしかったです。
左のチキンは骨が多く食べづらかったですが、なんとか完食できました。
ただ、右上のナンのようなパン(アエーシ)と右下のナスのペースト(ババガヌーク)は口に合わず受け付けませんでした。
やっぱりパッケージツアーの食事ははずれが多いですね。。
ちなみに左上のスプライトは別料金で25£E(375円)。しかも別料金であることを最後に知らされます。
エジプトの物価を知ってしまったらもうぼったくりにしか思えません。 -
15時、ガイドツアーが終わってホテルに戻ってきました。
ここでガイド&ドライバーとお別れなのですが、このガイドが自分たち2人にチップを払うよう強要してきました。“チップを払ってもらうことが我々のシステムだ”と。
最初から最後まで無愛想なガイドを続けられて最後にチップを強要とは頭にきましたが、おみやげ屋に連れて行かれることを免れたし(おみやげは興味ないと主張しておいたので)、旅行会社からろくなお金もらってないんだろうなとちょっと慈悲心も出てしまい、結局10ドルずつあげることにしました(手持ちが10ドル紙幣しかなかったので)。
別れ際にガイドがニヤリとしていたので、ちょっと高すぎたかもしれません・・・。
しかし、ぼったくりされたりチップを払ったりするのが煩わしくてわざわざ割高なパッケージツアーにしたつもりだったのに、これでははじめから自分で何でも手配すればよかったと、逆にストレスがたまります。
中途半端に自由度の高いパッケージツアーだとどうしてもこういった矛盾が出てきてしまうんでしょうね。
さて、この日はこの後夜行列車でカイロまで向かうのですが、出発時間が19時30分なので、ホテルで少し休んだ後、再び東岸をぶらぶらします。 -
ルクソールを発つ前に、もう一度ルクソール神殿を見ておこうと、ナイル川沿いにやってきました。
16時を過ぎて西日が差し始め、神殿が赤く染まっていきます。 -
今日もまた夕暮れの時間になりました。
ナイル川の向こう、ネクロポリスに夕陽が沈んでいきます。 -
この日は東岸から夕陽をパチリ。
相変わらず客引きはしつこく、常に話しかけられながら写真を撮っていました。。
予想していたとおり、昨日の客引きも現れ、“今日も乗るかい?”とずうずうしくも話しかけてきます。
“今日は何人乗せた?”
“いや、今日はゼロだよ。ヒマでね。これからカイロ行くんだろ?”
“そうだ。もう行かなきゃ。じゃあな”
最後はお互い笑いながら別れました。 -
ホテルに戻り、現地旅行社の車でルクソール駅へ。
同じように夜行列車でギザ、カイロへと向かう欧米の旅行者が多い印象です。
そもそも外国人用とエジプト人用で列車の種類が違うようなので当たり前か・・・。
ガイドブックなどの情報では駅は撮影禁止と聞いていましたが、現地アシスタントが写真は禁止されていないというので、入ってくる電車をパチリ。
ルクソールの現地アシスタントとはここで別れて電車に乗り込みます。 -
19時40分、定刻より少し遅れてギザ、カイロ行きの夜行列車が出発しました。
出発してすぐに夕食が出されます。
ライスは冷たく、パンは固く、肉は冷たくて固い・・・。
まともに食べられたのは左下の白いヨーグルトのみ。
一等車のはずなんですが。。 -
夕食後、ベッドメイクしてもらって眠りにつきます。
寝台はこんな写真の感じで、左には洗面台もあり歯も磨けます。
この日は4時起きだったし、翌日も5時にギザ駅に着くというので予習もろくにせずもう休みます。
しかし、ドアの建付けが悪くて常にガタガタゴトゴトうるさく、ろくに眠れませんでした。。
こうして、感動と怒りが入り混じったルクソール観光を終えました。
ギザ、カイロではどうなることやら。
→TO BE CONTINUED...
(ギザ観光(ピラミッド、スフィンクス等)に続く。)
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この旅行記へのコメント (2)
-
- kumさん 2011/01/19 04:02:37
- やっぱりいいなぁ
- エンリケさん、こんばんは
エジプトはやはりスケールがでかいですね・・・
賛否はあるようですが、お写真を見る限り、
すっごく行ってみたいなぁと思いました。
古代エジプトが栄えたのがあまりに大昔なので感覚がつかみづらいですが
考えてみたら紀元前2000年くらいから2000年くらい王国が栄えてきたと思うと古代エジプトの歴史は超長いですよね。
しかもその後も商業や農業によって豊かさを維持してきたのだから
アレキサンドリアなどのエジプトの都市のメトロポリスとしての歴史の長さはもしかしたら世界で一番長いかもしれないですね。
>なんでも、のちの王であるパネジェム1世がこの像を自分の名前に書き換えてしまったとか・・・。
これにはウケてしまいました(笑
改ざん問題は今に始まったことではないんですね^^
kum
- エンリケさん からの返信 2011/01/19 21:56:54
- RE: やっぱりいいなぁ
- kumさん
こんばんは。ご訪問ありがとうございます。
エジプトはタクシーを含めガイドなど観光業に携わる人の姿勢が、ぼったくりやチップを強要したりなど(日本人からすれば)非常にいやしく見え、嫌いになる人も多いようですね。
わたしも最初はファルーカ乗りにだまされたり、ガイドやタクシー運転手にチップを強要されたりして非常に嫌な思いをしましたが、慣れてしまえばうまく交渉できるものです。
自分の知らない世界を知ったと思えば日本の物価に比べてわずかの出費ですから、そういうことも楽しい思い出になります。
エジプトでは気が遠くなるほどの昔、今の人間とは種類が違うような“古代人”と呼ぶべき人たちが、高度な石の文明をつくって古代ペルシャやアレクサンドロス大王に支配されるまで2、3千年もの長い間君臨してきたわけですが、その間、遺跡捏造をしたり上司への不満や処世術をパピルスに書きとめたりと、けっこう今の人間と似たようなことをしてきたわけですよね。
エジプトを旅行するとそういうことも考えられて、人間はそんなに進化していないんだな〜と思えておもしろいです。
シリアやヨルダンはぼったくりなどあまりなく人々はもっと素朴な感じですかね。
エジプトとはまた一味違った聖書の世界を感じてみたいですね。
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