2019/07/13 - 2019/07/14
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エンリケさん
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2019年夏休みのポーランド旅行記8日目後半。
午前に引き続き、アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制絶滅収容所(アウシュヴィッツ博物館)の見学を続行。第二強制収容所のビルケナウを訪れます。
そこでは、アウシュヴィッツより大規模、かつ、さらに非人道的だった被収容者の扱いにしばし呆然・・・ホロコーストの記憶を刻みつけ、クラクフに戻ります。
最後のクラクフ観光では、中世からのユダヤ人街のあるカジミェシュ地区を見学。
そして週末のイベントなどで賑わう旧市街の様子を目に焼き付け、この国を後にします。
東欧あるいは中欧の国ポーランド。王宮や旧市街、美術館など、ヨーロッパ的な要素もある中で、第二次世界大戦や共産主義に関する博物館など、ヨーロッパのメジャーな観光地とはひと味違う要素も楽しめる国でした。
何より食事をはじめ物価が安く、お得感が味わえるのも特徴で、観光で見逃したものも多く、またいつの日か訪れてしまいそうです。
<旅程表>
2019年
7月 6日(土) 羽田→ミュンヘン→ワルシャワ
7月 7日(日) ワルシャワ
7月 8日(月) ワルシャワ→グダンスク
7月 9日(火) グダンスク→マルボルク城→グダンスク
→トルン
7月10日(水) トルン→ウッチ→クラクフ
7月11日(木) クラクフ
7月12日(金) クラクフ→ヴィエリチカ岩塩坑→クラクフ
〇7月13日(土) クラクフ→アウシュヴィッツ・ビルケナウ
強制絶滅収容所→クラクフ
〇7月14日(日) クラクフ→ミュンヘン→
7月15日(月) →羽田
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
7月13日(土)
12時、アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制絶滅収容所(アウシュヴィッツ博物館)のうち、第一強制収容所のアウシュヴィッツの見学を終え、第二強制収容所のビルケナウへ移動します。
両強制収容所の間は2kmほど離れており、このような無料のシャトルバスを使って移動します(夏季は10分おきぐらいに頻発)。オシフィエンチム (アウシュヴィッツ第一強制収容所) / アウシュヴィッツ博物館 建造物
-
シャトルバスは動き始めて数分でビルケナウへ到着。
こちらが強制絶滅収容所への死の門・・・。
写真の右側の門の下に、有名な鉄道の引き込み線が走っています。ビルケナウ (アウシュヴィッツ第二強制収容所) 史跡・遺跡
-
こちらはビルケナウの位置図(右側が北)。
真ん中の鉄道(C)を挟んで下(東)にあるのがアウシュヴィッツ(A)、上(西)にあるのがビルケナウ(B)となっています。
比べてみると、アウシュヴィッツよりもビルケナウの方が圧倒的に大きいですね。 -
こちらはビルケナウ内部の配置図。
そもそもビルケナウは、アウシュヴィッツ強制収容所における被収容者の増を補うため、1941年10月、近郊のブジェジンカ村に“アウシュヴィッツ第二強制収容所”として設置されたもの。
総面積は東京ドーム37個分にあたる1.75km2で、アウシュヴィッツの10倍となる300以上の施設から成り、ソ連兵の捕虜などが建設に携わったのだそうです。
ピーク時の1944年には、同時に90,000もの人々がこの場所に収容されていたとのこと・・・。 -
さて、ガイドとはビルケナウの入口のところで待ち合わせ予定だったのですが、わたしが時間と場所を間違えたのか、ガイドが一向に現れないので、独自に見学をスタートすることにします。
敷地内へは、特に入場券チェックもされずに自由に出入りできる感じ。
施設が施設だけにこんなセキュリティで大丈夫なのかと思いつつ、鉄道の引き込み線の先へ進んでお決まりの写真をパチリ。
雲行きが怪しい感じですね・・・。
何だか、右端に写る観光客たちが、ここに連れて来られ行進する被収容者のようにも見えます・・・。 -
アウシュヴィッツにもあった、この収容所に移送されたばかりのユダヤ人の写真。
まさに、この鉄道を通ってこの場所に連れて来られた人たちなのですね・・・。 -
鉄道線とかつての被収容者の居住区域の間には、長い長い有刺鉄線の柵が。
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鉄道線のひとつで停まっている有名な貨物車。
この収容所で殺害された遺族からの寄附で置かれているそうです。 -
線路の上から入口方向を撮影。
この引き込み線が完成したのは1944年5月とのことで、大戦も末期に近い時期だったのですね。
ただ、輸送体制の強化により、ホロコーストは加速していくことになりますが・・・。 -
鉄道線の北側に広がるかつての被収容者の居住区域。
アウシュヴィッツと違い、収容施設のほとんどはナチス・ドイツ親衛隊の撤退時に証拠隠滅のため破壊されて残っておらず、暖房施設の煙突だけがわずかに名残をとどめています。
・・・と、ここまで来たところで急にどしゃ降りの雨が。
敷地内にはこのとおり、避難する施設がないので、いったん入口の建物に戻って、雨が収まるのを待つことにします・・・。 -
14時、1時間近く雨宿りした後、雨がだいぶ弱くなってきたので、とりあえず、鉄道引き込み線の終点まで歩いて行きます。
5分ほど歩いてたどり着いた先には、ヘブライ文字が書かれた帯とイスラエルの国旗カラーの花でかたちづくられたダヴィデの星が。 -
その後ろには、1967年に建てられたという国際追悼記念碑が。
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地面に置かれている記念板には、この収容所に入れられていた人々が使っていた23の言語で、“ナチスによりユダヤ人を中心とする150万人の人々が殺害されたこの場所を、人類への永遠の警告として捧げる”と刻まれています。
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23の言語による記念板はこんなふうに横一列にずらりと。
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そして国際追悼記念碑のすぐ隣には、こんな廃墟の跡・・・。
実はここ、親衛隊が証拠隠滅を図るため、1945年にこの収容所を放棄する際に破壊した、焼却場と遺灰の投棄場の残骸なのだそうです。
手前には降りしきる雨にもかかわらず、かつてこの場所で犠牲になった方々へのメッセージが置かれています・・・。 -
こちらは1943年に親衛隊によって撮影された、破壊前の焼却場の写真。
アウシュヴィッツで見たものよりも大規模な施設であったことが分かります・・・。
【雨多き初夏のポーランド(12) アウシュヴィッツ強制収容所の焼却炉】
https://4travel.jp/travelogue/11618538#photo_link_65948728 -
雨もだいぶ収まってきたようで、今度は、敷地の南側にある被収容者のバラックを見ようと、入口方面に向かって歩いて行きます。
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ビルケナウの敷地の大部分は更地で、建物はほとんど残されていませんが、時折こんな碑も。
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1945年のドイツ撤退時に破壊されずに残されたものなのか、それとも戦後復元されたものなのか、レンガ造りのバラックが並びます。
しかし、こうした姿かたちを見るにつけ、何だか家畜小屋のような感じがして、気分が悪くなっていきます・・・。 -
そんなレンガ造りのバラックのいくつかは扉が開けられていて、内部を見学することができます。
しかし、近くで見ても、雨漏りがしたり、すきま風が入ってきたりしそうな本当に粗末な造り・・・。
意を決して中に入ってみると・・・。 -
アウシュヴィッツで見た被収容者の部屋よりも、遥かに劣悪な内部環境。
ひとつの寝台に複数人が押し込められ、全体で何百人もの被収容者が、こんな衛生状態も冷暖房環境も最悪の、家畜場のようなところで生活していたなんて・・・。
【雨多き初夏のポーランド(12) アウシュヴィッツ強制収容所の被収容者の部屋】
https://4travel.jp/travelogue/11618538#photo_link_65946602 -
かなり気分が悪くなったところで、次にこちらの庭に塀のあるバラックへ。
入口前の解説板を見ると、“このバラック(“Death Barrak”との併記あり)は特に隔離が必要な被収容者のために設けられた”とあります。
“特に隔離が必要な被収容者”とは、力の弱い女性など、収容所での労働に耐えられない者のことで、ガス室に行くまでの間、食事や水なしで数日を過ごさなければならなかったと・・・。
さらに、バラックがいっぱいになったときは、建物の外にそのまま置かれたという・・・。
説明書きを読んでいるうちに、あまりにも書かれていることがむごすぎて、頭の中が真っ白になっていきます・・・。 -
入ってみると、さきほどのバラックよりもさらに粗末な内部。
アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制絶滅収容所見学の最後の最後に、まさに悪魔の所業のような凄まじいものを見てしまった感です・・・。 -
周りを見ても誰も彼もが無口の中、14時40分、ビルケナウ強制収容所の見学を終了。
所要時間は雨宿りの時間を除けば1時間半ほど。
結局自分のガイドには落ち合えませんでしたが、主な場所は見て回れたかな・・・。
(後で集団トイレなどがある木造バラックを訪れていないことに気付きましたが、お土産に買った解説書や、他のトラベラーの方の写真で勉強させていただきました。) -
15時、無料のシャトルバスでアウシュヴィッツの駐車場に戻り、そこから15時30分発のクラクフへの長距離バスに乗車(乗車券は運転手から15ズウォティ=約440円で購入)。
ちなみに、クラクフ行き長距離バスの出発時刻は以下のとおり(2019年7月現在)。
5:45、6:30、8:20、9:20、10:10、11:00、12:15、13:00、13:45、14:45、15:30、16:10、16:40、17:10、17:45、18:15、18:45、19:15、19:45バス バス系
-
17時、バスはクラクフ本駅東隣のMDAバスターミナルに到着。
ちょうど1時間30分の乗車時間でした。MDA バスターミナル (クラクフ) バス系
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バスターミナルの発着場のある2階から降りてきました。
さて、お腹も空いたことだし、このあたりで昼食にしますかね。 -
とは言いながら、結局、旅の終わりで疲れていたし、使い慣れているということで、前日も利用したガレリア・クラコウスカ内の“Polskie Smaki”で昼食。
マッシュルームソースの載った揚げ物みたいなものを適当に注文しまいましたが(16ズウォティ=約470円)、あまりポーランド色がなかったかな・・・。
味はまあそこそこでした。ギャレリア コラコウスカ ショッピングセンター
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いったんホテルに戻って休憩した後の19時、最後の観光にと、クラクフの街に繰り出します。
向かうのは、スタロヴィシュルナ大通りを南へ行ったところにあるカジミェシュ地区。 -
19時20分、カジミェシュ地区に到着。
古今のポーランド君主の中でも随一の名君、“カジミェシュ3世”(在位:1333-70年)の名を冠するこの地区は、13世紀のモンゴル軍の侵攻により人口が激減してしまったポーランドを立て直すため、国王の保護のもと、ヨーロッパ中からユダヤ人の移住を奨励して経済の発展に取り組ませた街。
第二次世界大戦を経て、ほとんどのユダヤ人はナチス・ドイツに虐殺されるかイスラエルへ移住するかしてしまいましたが、彼らがつくった文化や建物などの遺産は今でもこの街に残り、クラクフの貴重な観光資源となっています。
そのうち、こちらの建物は“スタラ・シナゴーグ”(Stara Synagoga)。
かつてユダヤ教の会堂だったところで、現在は“ユダヤ博物館”として、一般観光客の見学を受け入れています(この日はすでに閉館)。スタラシナゴーク (ユダヤ博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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スタラ・シナゴーグの前はちょっとした広場になっていて、その周りには、楽器の生演奏が響き渡ってくるユダヤ料理のレストラン街が。
よく見るとヘブライ語のメニュー表示もあります。 -
広場の一角には、ユダヤ人のシンボル、“ダヴィデの星”をつけた建物も。
こちらはシナゴーグでしょうか?
それとも、ユダヤ人に関する歴史的建造物なのか・・・。 -
こちらの建物は“ヴィソカ・シナゴーグ”(Synagoga Wysoka)。
内部は本や絵葉書などを売るお土産屋になっています。
カジミェシュ地区にはいくつかシナゴーグがあり、こうしてシナゴーグ巡りができるのも、観光のひとつのポイントとなっています。ハイ シナゴーク (シナゴーク ヴィソカ) 建造物
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“新広場”(pl. Nowy)に出ると、そこは若者たちで大賑わい。
何かイベントでもやっているのかと思いましたが、どうやら原因は、広場の中央にあるこの八角形の建物。
この窓口では、カジミェシュ地区名物のポーランド風ピザパン、“ザピエカンカ”を売っており、これが若者や観光客に人気なんだとか。
残念ながらわたしはこの時はザピエカンカの存在を知らず、ポーランドではピザが流行っているのかぐらいにしか思っていませんでした・・・。
味試しもせずもったいないことをしました・・・。エンジョル 地元の料理
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カジミェシュ地区巡りの最後は“テンペル・シナゴーグ”(Synagoga Tempel)。
真ん中の塔の上にダヴィデの星がついた、一目でシナゴーグと分かる建物で、カジミェシュ地区のいちばん北に位置しています。
数あるシナゴーグのうち、ひとつでも内部を見学できればと思っていたのですが、時間が時間だけにこの日はすべて閉館済。
シナゴーグの見学はまたの機会にお預けです。テンペル シナゴーク 寺院・教会
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20時、カジミェシュ地区の散策を終え、旧市街に戻ります。
途中、折よくトラムが前方からやってきたので、その青い車体を記念にパチリ。
そういえば今回の旅行では一度もトラムに乗らなかったなあ・・・。
わたしの旅行スタイルとして、近い距離なら歩いてしまうので、いつものことなのですが。 -
旧市街に入り、その周りを取り囲む緑地をてくてく。
ヨーロッパの都市の多くは、本当に市街地と緑のバランスが良くて、毎回惚れ惚れしてしまいますね。 -
旧市街の中央広場目指して歩いていると、聖マリア教会の裏の広場では、何やらステージが設けられ、こんなにたくさんの観客が。
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ステージ上ではポーランド人らしい美人の方が熱唱しているし、誰か有名な歌手のコンサートなのかなと思って見ていたら・・・。
-
次にステージに上がったのは、外見を見る限りでは素人っぽい人(失礼!)。
もしかして、ポーランド版のど自慢大会なのかな?
いずれにしても、週末のクラクフの夜を彩る楽しいイベントです。 -
20時20分、そんなイベントの楽しい雰囲気を味わった後、中央広場へ。
先ほどの広場に比べると人は少ないですが、それでも、若者を中心にたくさんの人々が、週末の夜の平和な時間を過ごしています。
3日前にクラクフに来てから幾度となく訪れたこの広場とも、この日でお別れ・・・最後に平和な広場の様子を目に焼き付けます。中央広場 広場・公園
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クラクフのシンボル、聖マリア教会ともお別れ。
いつの日か、またクラクフを訪れるようなことがあれば、今度はこの教会の塔に上って旧市街を眺めてみたいものですね。聖マリア教会 寺院・教会
-
20時30分、中央広場に別れを告げ、まだまだ大勢の人々で賑わうフロリアンスカ通りを通って、旧市街外のホテルへ。
翌日は早朝6時のフライトのため、寝坊しないよう、早めに休むことにします。フロリアンスカ通り 散歩・街歩き
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7月14日(日)
出発の日です。
3時過ぎ、まだ辺りが真っ暗な中、ホテルをチェックアウトし、クラクフ本駅へ。
そして3時48分発の電車で、ヨハネ・パウロ2世・クラクフ・バリツェ国際空港へ。クラクフ本駅 (クラクフ中央駅) 駅
-
切符は車内の券売機から購入・・・と思ったら、他の観光客たちも操作に手こずっているらしく、なかなか順番が回ってきません。
そうこうしているうちに改札員が回ってきて、彼から直接購入(9ズウォティ=約260円)。
クラクフの近郊列車は、長距離列車と違い、車内で券売機又は改札員から切符を購入するのが普通で、乗車時に切符を持っていなくても罰金は科されないようです(2019年現在の情報)。 -
4時10分、クラクフ本駅から20分ほどでヨハネ・パウロ2世・クラクフ・バリツェ国際空港(長い・・・)に到着。
ポーランド到着時はワルシャワだったので、自分にとって初めて訪れる空港。
空港の入口には“LEONARDO”の文字が掲げられ、通路脇には・・・。ヨハネ パウロ2世 クラクフ バリツェ国際空港 (KRK) 空港
-
クラクフ国立美術館本館で見た、レオナルド・ダ・ヴィンチの“白貂を抱く貴婦人”が。
クラクフはこの絵画を、“世界で15点ほどしかないレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画のひとつ”ということもあって、かなり“売り”にしているのですね。
ちなみにこの看板、レオナルドのオリジナルの絵にスカートの部分を付け足しているようです(笑)。
【雨多き初夏のポーランド(9) クラクフ国立美術館のレオナルド・ダ・ヴィンチ作“白貂を抱く貴婦人”】
https://4travel.jp/travelogue/11602795#photo_link_65163538 -
チェックイン後は、次に訪れるミュンヘンのガイドブックを読みながら過ごし、6時、ルフトハンザドイツ航空LH1627便は、定刻通りクラクフ・バリツェ国際空港を離陸。
8日間過ごしてきたポーランドとも、これでお別れです。
ポーランド・・・王宮や旧市街、美術館など、ヨーロッパ的な要素もある中で、第二次世界大戦や共産主義に関する博物館など、ヨーロッパのメジャーな観光地とはひと味違うスタイルの観光も楽しめる国でした。
何より食事をはじめ物価が安く、お得感が味わえるのも特徴で、観光で見逃したものも多く、またいつの日か訪れてしまいそうです。
女性は絵画や映画から飛び出してきたような美人が多く、人々も穏やかで優しいですし(笑)。
(ポーランド旅行9日目~おまけのミュンヘン観光に続く。)
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この旅行記へのコメント (4)
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- 川岸 町子さん 2020/05/14 21:18:54
- クラクフの今
- エンリケさん、おばんでした(^-^)
表紙の鉄道のお写真が強烈な印象で目に飛び込んで来ました。
何度も写真やテレビの映像で見ているはずなのに、心に突き刺さるようです。
窓がない貨物の車両の中で、わけわからないまま運ばれた人々。
それだけでも痛ましいのに、ビルケナウ強制収容所は家畜小屋扱いだなんて、言葉もありません。
ここがどんな所で、どんな雰囲気か承知の上で訪れるとしても、想像以上に心が冷え冷えするのでしょうね。
私がカジミエシュ地区を訪れた時は、小さな市が出ている程度でした。
確かエンリケさんと同じ建物の写真を撮った記憶があります。
美味しいご飯が食べられる楽しいエリアになったようで、嬉しいです。
様々な方面から良さを味わえるポーランド旅を私も一緒に楽しませて頂きました。
ありがとうございます(^-^)
町子
- エンリケさん からの返信 2020/05/17 16:26:42
- いつの日か、楽しい街が戻ってくることを信じて。
- 川岸 町子さん
こんにちは。アウシュヴィッツ旅行記の続きにご訪問ありがとうございます。
ビルケナウ、アウシュヴィッツよりもさらにすさまじく、ホロコーストの現場を見せつけられたような気がします。
わたしもアウシュヴィッツほど勉強したわけではないので、ビルケナウの見学ではいろいろと衝撃を受けました。
本当に、世界中の多くの人がこの場所を訪れ、人類の未来に向かって、いろいろなことを考えてほしいものです。
> 私がカジミエシュ地区を訪れた時は、小さな市が出ている程度でした。
> 確かエンリケさんと同じ建物の写真を撮った記憶があります。
> 美味しいご飯が食べられる楽しいエリアになったようで、嬉しいです。
カジミェシュ地区、ポーランドの経済発展とともに観光開発が進んでいるようですね。
現在のコロナ禍で、今後、世界の観光事情がどうなってしまうのか、心配なところではありますが、クラクフでも、ほかのどの都市でも、いつの日かきっと、世界中からたくさんの観光客が集う、楽しい街が戻ってくることを信じてやみません。
-
- ねもさん 2020/05/10 08:36:38
- お久しぶりです
- エンリケさん
前の旅行記とともに力作、勉強させていただきました。降りだした雨がまた旅情をそそっています。私もいつか訪れねばならない地と思います。
3年前にチェコに行ったとき、ポーランドもとチラッと考えたのですが、ポーランドは中東欧の国々では抜群に面積が広くて……
些末的な質問ですが、6時のフライトで4時すぎに空港に着かれています。実際は何時ころ行けばOKだったのでしょう? よく旅行ガイドブックなどには2時間前にと書かれていて、成田空港のようなでかい空港ならごもっともと思います。
でも海外には日本の地方空港のような小さい空港も多いでしょう? 皆さん、どうなさっているのかと思って。
- エンリケさん からの返信 2020/05/15 01:58:05
- 今後は空港でのチェックが厳しくなりそうですね。
- ねもさん
こんばんは。ポーランド旅行記、丁寧に読んでいただき、ありがとうございます。
> 3年前にチェコに行ったとき、ポーランドもとチラッと考えたのですが、ポーランドは中東欧の国々では抜群に面積が広くて……
ポーランドは国土の広さゆえか、鉄道が発達していて、時間もそこそこ正確なので、フランスやドイツと比べても引けを取らないくらい旅しやすい国でしたよ。
鉄道の旅も、物乞いなどおかしな人には遭遇せず、安全に過ごせましたし、治安の面でもフランスやイタリアなどよりはずっと旅行しやすいのではないかと思います。
> 些末的な質問ですが、6時のフライトで4時すぎに空港に着かれています。実際は何時ころ行けばOKだったのでしょう? よく旅行ガイドブックなどには2時間前にと書かれていて、成田空港のようなでかい空港ならごもっともと思います。
> でも海外には日本の地方空港のような小さい空港も多いでしょう? 皆さん、どうなさっているのかと思って。
小さな空港なら、ネットでチェックインして機内預け入れ荷物もなければ、到着は1時間くらい前でも大丈夫なのでしょうが、わたしは、海外では交通機関が遅れる可能性もあるし、テロや移民・難民問題の関係などで急に空港でのセキュリティチェックが厳しくなる場合もあるので、なるべく早く行くようにしています。
今後は新型コロナウイルス関係のチェックも導入されるでしょうから、よく情報収集して空港へ向かう時間を考えなければなりませんね。
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