2018/03/06 - 2018/03/21
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しにあの旅人さん
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フィレンチェから南へ10キロ、サンタンドレア・イン・ペルクシーナ(Saint Andrea in Percussina) という小さな村に、マキアヴェッリの山荘が残されています。
今回のイタリア旅行のハイライトです。
前回書きましたように、この旅行記の教科書は塩野七生「わが友マキアヴェッリ フィレンチェ存亡」(新潮社 電子版)です。いろいろと引用します。僭越ながら敬称を略させていただきます。
日本ではマキアベリと表記されることが多いようですが、塩野七生にしたがいマキアヴェッリとします。この方がイタリア語の原音に近いと思います。
ニコロ・マキアヴェッリ(1469-1527)、権謀術数を正当化するマキアベリスムの語源となった人物です。どちらかというと悪い意味で有名です。しかしマキアヴェッリは、15-16世紀の混沌としたイタリアの実情を冷静に観察して、国家はどうしたら効率的に運用できるかという原理を解き明かした政治哲学者です。その言っていることは現在の日本にもそのまま適用できます。
(2018/08/12 露出の補正を覚えたので、写真を一部入れ替えました)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
フィレンツェから、サンタンドレア・イン・ペルキュシーナに向かいます。
バス停です(Busitalia STA North Bus Station)。フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ駅のすぐ近く、駅を背にして右側です。 -
定刻10時にバスは出ました。バスの運転手さんはなかなかのイケメンのお兄さんでしたが、ずっと携帯で私用の(多分カノジョとの)電話に忙しかったです。バスステーションでバスをバックさせて出発後、フィレンチェ市内の細い道路、サンタンドレア・イン・ペルキュシーナの登りにかかるまで、ずっとお話し中。登りにかかるとぱたっとおしゃべりをやめました。もしかして、私たちを降ろすために電話をやめたのではないかな。バスに乗るとき、「このバスはサンタンドレア・イン・ペルキュシーナに行くか」としつこく聞きましたからね。
バスの中に路線案内などはなし、「次・・・に止まります」などという放送もなし。あってもイタリア語は分からない。だいたいこのあたりかなというところで、通路の向こうに座っていた若いカップルに「サンタンドレア・イン・ペルキュシーナは次ですか?」と英語で聞いてみました。若ければ英語くらい分かるだろうと思ったのですが、鳩豆でポカーン。やばっと思いましたが、後ろの座席の初老の紳士が、英語で「次だよ、降車ボタンを押しなさい」降車ボタンがどこか分からなくてキョロキョロの私に、「あなたの頭の上、そう、そこだ」若ければいいというものではない。
こういうエピソードは、旅の思い出としていつまでも残りますね。 -
サンタンドレア・イン・ペルキュシーナ。フィレンチェからバスで25分くらいの村です。バス停の周りには家が全部で10軒あるでしょうか。500年前、マキアヴェッリがこの村にいた頃と、現在も大して違いはないそうです。
-
マキアヴェッリ山荘のガイド付き見学のアポは11:30、でもバスが2時間に1本なので10:30には着いてしまいました。さっそく村の見学です。トスカーナ地方の丘陵がはるかに続き、のどかな美しい春でした。
-
マキアヴェッリ山荘をぐるっと回ります。これが道路に面した正面。この石造りの建物がオリジナルで、左右に後世の増築があります。妻が座っているのがレストランのテラスです。
-
裏手です。こちらの方が建物の入り口だったそうです。
私がサンタンドレア・イン・ペルキュシーナに行こうと思ったのは、塩野七生の「我が友マキアヴェッリ」を読んでからです。
この村はフィレンチェの郊外で、バスはあるらしいが、それ以上は書いてありません。彼女が書いたのはガイドブックではないので、当たり前です。
そこで、いろいろ調べました。ヴィッラ・マキアヴェッリというレストランがあって、マキアヴェッリ記念館というのもある。どうやら同一経営らしい。そのレストランのホームページのメルアドにメールを打ってみました。
私の壮絶な英語のメールに、返事の英語もまた壮絶。フィレンチェからサンタンドレア・イン・ペルキュシーナに直接来るバスがある。「それは分かっているけど、どうやったらそれが見つかるんだい」
ここで救世主登場。今回の旅行の飛行機、ホテル、鉄道の予約を担当している旅行会社のNさん(女性です、美人)に泣きついたところ、たちどころにバス会社、時刻表を教えてくれました。プロというものは恐ろしいものです。こういう場合の解決策も教えてくれました。グーグルマップで経路を調べると、移動手段を教えてくれます。うまくいくと時刻表も芋づるで出てくる。今回がその芋づるでした。
ここから向こうからくるメールの英文レベルが上がりました。担当が替わったみたい。妻によれば、いままではレストランの主人の中学生の息子「わー、日本から変なメールが来ている、ぼくに返事させて」、ここからは記念館の担当者、じゃないかと。めでたく時間、バス停の位置などの確認があっという間に終わりました。11:30記念館訪問、12:30レストランで食事。予約完了
マキアヴェッリは1498年からフィレンチェ共和国の官僚でした。といってもたいして偉くない。塩野七生によれば、彼は、役人としてはいわゆるノンキャリで、第二書記局書記官というのが肩書きだそうです。ところが1513年のフィレンチェの政争に巻き込まれて首になります。収入がなくなったわけです。おまけにフィレンチェ追放になって、やむなく親の遺産の、サンタンドレア・イン・ペルキュシーナの山荘に引きこもります。この山荘に住んでいたのは1525年くらいまです。
約束の時間に中年の女性がマキアヴェッリ記念館から出てきました。ガイドさんです。レストランの制服を着ていたので、本職はレストランでしょう。
今日のガイドの客は私たちだけでした。早速山荘に案内してくれました。入るとすぐ左が書斎です。ここでマキアヴェッリが「君主論」や「政略論」を書きました。窓際に古いテーブルがひとつ。マキアヴェッリが使っていたテーブルだそうです。オリジナル。 -
ご覧のようにロープで保護されています。「触っていいか」ガイドさんに聞きました。いいそうです。触ってきました。
-
椅子も、
-
テーブルも。
私はマキアヴェッリと500年の時を経て、間接ですが、握手をしてきました。 -
台所です。こういう台所が3カ所あるそうです。ここで彼の妻マリエッタが愛する夫のために料理をしたのか。
-
ところがガイドさんが言うには、おそらく料理をしたのは下女であろう。マキアヴェッリはこの村の領主である。下女もいたし、下男もいた。領主の奥さんは普通自分で料理などしない。
マキアヴェッリは、当時フィレンチェの政争に巻き込まれて失業中、自分は貧乏であると嘆いていたそうです。下女や下男がいる貧乏というのはどうも腑に落ちなくて、ガイドさんに聞いてみた。
彼女曰く、この山荘に付属する農地は、ブドウ畑だけで27ヘクタール。そのほかにオリーブ林などもある。今も500年前もかわらない。27ヘクタールのブドウ畑からとれるワインをマキアヴェッリ一家で飲めるはずがないので、売っていたのでしょう。それなりに収入があったというのが、彼女の説。
「マキアヴェッリは、自分は貧乏だと言っている。それはメディチのような金持ちに比べると貧乏だということか」ガイドさんに聞いてみました。彼女は笑いながら「まあ、そんなところでしょう」 -
ガイドさんがテラスに案内してくれました。目の前にブドウ畑とお隣の家が見えます。山荘の道路の反対側です。
「ここからフィレンチェのドゥオーモが見えます」ガイドさんが突然言います。
その指さすさきには、 -
見えます。
-
拡大します。
ドゥオーモです。
「その庭に出て、なにげなく右手の方向に眼をやった私は、胸に、鋭い刃物かなにかで突かれたような、肉体的な痛みを感じた。フィレンツェが、見えるのである。右手の下方はるかに、サンタ・マリア・デル・フィオーレの、レンガ色に白い稜線の走る円屋根が見えるのだ」(「我が友マキアヴェッリ」より)
マキアヴェッリは外交官として、チェーザレ・ボルジアや、フランス王ルイ十二世と外交交渉を行いました。傭兵に頼っていたフィレンチェに徴兵制を創設しようとしました。とにかく有能だったので、ノンキャリながら、フィレンチェの頭脳として大活躍しました。その母国政府から彼は追い出されてしまいます。フィレンチェから追放されていたメディチ家がふたたび共和国の実権を握ります。その政変に巻き込まれたのです。
彼の情熱と才能の全てが未完のままフィレンチェに残されました。
引用を続けます。
「サンタンドレアの山荘の庭に立って、もやがかかっていたり曇っていたりするとたちまち見えなくなるほど遠い、しかし晴れていればいやでも見えてしまうフィレンツェを、(マキアヴェッリは)どんな想いで眺めたことであろう」(カッコ内筆者が加えました)
落胆のマキアヴェッリは500年前この景色を見ていました。
彼は、昼間は酒場で、近くの職人を相手に口汚くののしり合いながら、カード博打で遊んだそうです。しかし夜、官服に着替えてから、彼はあの書斎のテーブルに座ります。そして、「君主論」や「政略論」を書いたのでした。
山荘訪問を終わります。 -
このあと、道路の下を通っているワイン倉を抜けてレストランに向かいました。
この奥が山荘です。
塩野七生によれば、マキアヴェッリが酒が好きだったかどうか、古来学者の間で議論されてきたそうです。彼の著作や手紙には、飲んだとも飲まなかったとも書いてない。塩野七生は飲める説、あんな激しい文章が下戸に書けるはずがない、というのが彼女の根拠です。
ガイドのシニョーラに聞いてみました。
「Of Course!」即座に、あんまりはっきり断言するので、根拠を聞けません。
「ところで、あなたはワインがお好きですか?」聞いてみました。
「Yes!」彼女はにっこり、明瞭な答えでした。多分これが根拠でしょう。
マキアヴェッリとは離れますが、ここは第二次大戦のとき、レジスタンをかくまい、逃がした通路だそうです。ガイドさんは誇らしげに話してくれました。
「彼女って、すてきな人ね」妻の一言。 -
レストラン入り口です。
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看板がぶら下がっています。マキアベリの横顔。
-
レストランでの食事は今回のイタリア旅行で一番おいしい料理でした、妻が選んだクリームソースつきビフテキが最高だったそうです。
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私はとりのもも肉。まさかこういうふうに出てくるとは思いませんでした。とても食べきれません。
-
レストラン内部。
500年前の今日のような春の午後、マキアヴェッリが近くの職人とカードで遊んだのは、ここです。
私たちが食事をしている間も、いかにも近隣の住人らしき人々が、一組、二組と集まってきました。500年前のマキアヴェッリと同じように憩い、情報の交換をしているのだと思いました。
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この旅行記へのコメント (4)
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- ももであさん 2018/07/06 13:16:30
- すごい!
- ハンドルネームは、シニアの旅人よりもシニアより達人の方がお似合いですね♪
- しにあの旅人さん からの返信 2018/07/06 17:23:12
- はじめまして
- コメントありがとうございます。文字ばかりの旅行記で恐縮です。
ももであさんのイタリアの田舎ドライブ旅行記を読みはじめました。5まできました。まだまだあるので、楽しませていただきます。来年は南イタリアとシチリア旅行を予定していますので、参考にさせていただきます。
-
- sundy2017さん 2018/07/06 00:36:01
- 行かなかったのが残念です。
- 目に鱗の旅行記でした。
学生時代、世界の名著シリーズを無理して読んだのですが、理解し感銘したのは君主論だけ。その関係で塩野七生のファンに。今、終末に備え本をどんどん捨てていますが、彼女の本は最後まで持っていると思います。
奥様も同じ趣味をお持ちなのですか?羨ましいです。
これから書かれる旅行記が楽しみです。
最後になりますが、私のフィレンツェ旅行記に、いいね、を頂き有り難うございました。
- しにあの旅人さん からの返信 2018/07/06 07:54:33
- RE: 行かなかったのが残念です。
- フォロー有り難うございます。25日間のフィレンチェ楽しく読みました。
私もフォローさせていただきました。
私も最近はものを買わないようにしております。本は電子ブックです。これだと場所はとらないし、文字の大きさ、色は自由なので、14ポイントで、黒字に白抜きで読んでおります。
投稿原稿はワードで下書きをします。それを妻に見てもらいます。シビアーなだめ出しが入ったりします。それを繰り返します。実質的に二人の合作のようなものです。
ところで、私たちがフィレンチェにいたのは3月12-14日ですから、重なっていたのですね。どこかですれ違っていたかもしれません。
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